想像力のない外務省と他人事の総務省【調査会NEWS3670】(R4.10.27): 荒木和博BLOG
「荒木一味の思い通りに動いてくれない外務省や総務省」に悪口してるだけの駄文です。
勿論「外務省や総務省」のそうした態度は「積極的支持」か「消極的支持(黙認)」かはともかく「林*1外相」「寺田*2総務相(現在、事務所費疑惑で追及されている)」ら政務三役の支持があるからでしょう。
拉致の風化による「荒木一味の政治力衰退」が窺えて実に喜ばしい。今後も衰退し続けて欲しいもんです。
◆荒木ツイート
荒木和博 on Twitter: "令和4年10月28日金曜日「荒木和博のショートメッセージ」第927号。朴正熙大統領が暗殺されたのは1979年10月26日、私は23歳でした。43周年にあたる10月26日、ソウルにある朴正熙大統領記念館で最後の秘書官の方とお会いし、お話しを伺いました。 https://t.co/Euwk99z1KH @YouTubeより" / Twitter
朴正熙元大統領の話(R4.10.28) - YouTube
6分7秒の動画です。いつもの荒木の朴正熙美化です。
第一にそんなことは拉致被害者帰国(荒木ら特定失踪者問題調査会や予備役ブルーリボンの会の建前上の活動目的)と何一つ関係ないという意味で、第二に「独裁者・朴を経済成長のみを理由に美化すること」は愚劣であるという意味で、第三に「その話は何度目だ?、また同じ話かよ?」と言う意味で馬鹿馬鹿しい。
そもそも「反共右翼」荒木が「経済成長」を理由に美化するのは「朴」だけで、「改革開放の父・鄧小平」「一帯一路やAIIBの習近平」は評価しないのだから全くデタラメです。
そして荒木も「拓殖大学教授」の肩書きを持つのなら、まさに荒木和博も、朴正煕や全斗煥をそんなに高く評価するのなら、拓殖大学の紀要や極右雑誌でないまともな学術誌に彼らの時代制約もふくめて論じる論文でも投稿したらどうか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でしょう。勿論、荒木にはそんな能力はないのは勿論、気概すらないでしょうが。
それにしても荒木が「一番尊敬するのは朴正熙で、二番目が西尾末広*3だ(以前もそんなこと言ってましたが)」と言うのには吹き出しました。
旧民社党職員の荒木が「民社党初代委員長(西尾)」より朴を尊敬してるそうです。当然「西尾の子分」でしかない「西村栄一(民社党書記長を経て民社党二代目委員長。非常識右翼・西村真悟の父)」「春日一幸(民社党三代目委員長)」などは荒木においてもっと評価は低いのでしょう。
朴の何がそんなに魅力的なのか全く分かりませんが。「経済成長」で評価するのなら例えば「富国強兵政策を進めた明治新政府の大久保利通*4」や「高度経済成長の池田勇人*5」等でも良い訳です。むしろ日本人ならその方が自然でしょう。
「反北朝鮮をこじらせて」そうなったのか?
なお、荒木が書くように「1979年10月26日」に朴は暗殺されました。
翌1980年5月18日~27日に起こったのが有名な光州事件です(光州事件 - Wikipedia参照)。
ちなみに1979年には以下の出来事がありました。
1979年 - Wikipedia
◆1月1日
米国と中華人民共和国が国交樹立(米国と台湾が国交断絶)
◆1月16日
イランのパフラヴィー国王が国外亡命(イラン革命の開始)
◆2月17日
カンボジアをめぐる対立から中越戦争が勃発
◆3月28日
米国のスリーマイル島原子力発電所で放射能漏れ事故
◆5月4日
サッチャーが英国首相に就任(G7諸国初の女性首相)
◆11月4日
イラン米国大使館人質事件
◆12月24日
ソ連のアフガン侵攻
なお、単なる偶然に過ぎませんが「朴が暗殺された10月26日」には伊藤博文*6も暗殺されています(伊藤は1909年、朴は1979年:10月26日 - Wikipedia参照)。
【参考:朴正熙記念館】
朴正熙大統領記念館 ソウル・麻浦にオープン | 聯合ニュース2012.2.21
故・朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領(在任1963~1979年)の記念館が21日、ソウル・麻浦区上岩洞に開館した。
朴元大統領に関する映像のほか、稲の開発やダム・高速道路の建設などの業績を示す模型、遺品などが展示されている。
朴正熙記念事業会は「1960~1970年代をよく知らない若い世代と子孫のために、祖父母の世代が朴元大統領とともにどのように民族中興と近代化を成し遂げたか、見て感じる、教育の場にする」と述べた。
一方で批判もある。この日、市民団体は記者会見を開き、「記念館の建設は歴史をゆがめ民主主義を後退させるという反対の声が強かった。にもかかわらず、国民の血税で自分たちの政治的目的を遂げようとすることは歴史犯罪」と述べた。