リベラル21 アイデンティティーを求めて(宮里政充*1)
言うまでもなくコミュニズム(唯物論)と宗教が相容れることは永久にあり得ない。中華人民共和国が現在のまま存在し続ける限り、少数民族としてのチベット民族は中国政府の同化政策に従うしかない。
勿論「コミュニズム(共産主義)と宗教が相容れる」かどうかは議論の余地があります。「言うまでもなく」という「宮里の主張」は事実に反する。
少なくとも、中国は建前では「チベット等、国内での宗教の自由を認めてる」し、ましてや「日本共産党に限らず」複数政党制国家の共産党は「宗教の自由」否定などしていません。
また「相容れない=同化」でもない。「君は君の道を行け、僕は僕の道を行く」と言う形での「相容れない」もあり得る。
それにしても「コミュニズム=唯物論」ね。マルクスが「唯物論」であることは事実でしょうが「マルクス以前にも唯物論は存在する」ので勿論「コミュニズムと唯物論はイコールではない」。「非マルクス主義の唯物論」に失礼です。
リベラル21 砂にもどった中国人? ―論議を呼んだアジア大会でのバスケの敗北(田畑光永)
そんなことが「私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った」と何の関係があるのか(呆)。
なお、「中国バレーがそれなりに強いこと」を考えれば「中国バスケ」等、「中国の成績が今一つの団体スポーツがある」からと言って「中国人が団体スポーツに向かない」ということはないでしょう。
但し、「個人スポーツ(中国が強いものとしては水泳、卓球など)」の方が「団体スポーツに比べて強化しやすい」面はあるでしょう。団体スポーツの場合「一人だけ強い選手」がいても勝てず通常「メンバー全員をレベルアップする必要がある」からです。なお、以上は田畑記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。リベラル21のクズさには心底呆れます。
リベラル21 子供が面白ければ大人も面白い(阿部治平)
チベット文学の専門家星泉*2先生から、ご自身翻訳の『しかばねの物語』(のら書店、2023年09月)をいただいた。死体が面白い話をするというチベットの民話本であった。
星先生によると、この民話はもとは、日本語にも翻訳されているインドの物語『屍鬼二十五話:インド伝奇集』(ソーマデーヴァ著、上村勝彦*3訳、平凡社)である。これがいまから1000年くらい前にチベットに伝わったという。
「常連寄稿者の投稿なら何でも載せる」リベラル21と「チベット愛好者」阿部治平らしいですが、こんなことが「護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った」と言う「リベラル21の表看板」と何の関係があるのか(呆)。
リベラル21 大清帝国の再現を夢見る中国(阿部治平)
そもそも「大清帝国の再現とは何か?」です。
「清朝の最大領土を再現する」というなら例えば「清朝時代に、ロシアに割譲し、ロシア領になった沿海州(ハバロフスク地方)を取り戻す」ということになる。そんなことが現実問題、できるわけがない(中国もする気もないでしょうが)。
単に「大清帝国が世界に冠たる大国だったように、中国も政治、経済大国を目指す」程度の意味にすぎないなら「大清帝国の再現」と表現することに意味はないでしょう。
例えば「英国や日本」が「政治力、経済力を高めようとすること」を「大英帝国(大日本帝国)の再現」と普通いわないのと同じ話でしょう。
あるいは「中国の領土紛争(ベトナム、フィリピンとの南沙諸島問題、インドとのカシミール問題等)」を「清朝時代にルーツがある」からといって「大清帝国の再現」と表現することは「不適切」でしょう。
なお、以上は阿部記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。リベラル21のクズさには心底呆れます。
【追記】
阿部記事については今回予想に反し、コメント掲載されました。「阿部の応答」はないですし、今回掲載したことで「過去のコメント掲載拒否の不当性」がむしろ明らかになったと思いますが。
*1:著書『あれは何の足音だ?:全体主義国家への危機』(2015年、ブイツーソリューション:これについては例えばリベラル21 宮里政充著『あれは何の足音だ?』を読む(阿部治平)参照)。なお、大場久美子の現在は?50代でビキニ?ファンと再婚!馴れ初めは?子供は? | こいもうさぎのブログを信じれば、宮里は女優・大場久美子の義父(『大場の夫』の父)とのこと
*2:1967年生まれ。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授
*3:1944~2003年。東京大学東洋文化研究所教授。著書『インド神話』(2003年、ちくま学芸文庫)、『バガヴァッド・ギーターの世界:ヒンドゥー教の救済』(2007年、ちくま学芸文庫)等