珍右翼・高世仁に悪口する(2023年12/5日分)(副題:西村京太郎初期作品『愛の詩集』についてネタばらしがあります)

周庭さん、事実上の亡命宣言 - 高世仁のジャーナルな日々

 あまりにも悲惨なことを見聞きして「共感うつ」になる人がいる。

 「共感うつ」で思い出したことがあるのでメモしておきます。
 それは西村京太郎(1930~2022年)の初期作品『愛の詩集』(「西村京太郎の部屋」によれば初出は『大衆小説』1965年9月号、西村『夜が待っている*1』(1998年、角川文庫)収録)。
 以下、手元に本がなくうろ覚えなので細部に間違いがある可能性をお断りしておきます。なお、残念ながら「西村京太郎、愛の詩集」でググっても「俺がググった限り」では書評記事は全くヒットしません。というか書評記事は鉄道ミステリがもっぱらで「愛の詩集」に限らず「初期作品」についてのものが多分少ない。
 さて、起承転結の「起」では「主人公の若い女性A」の婚約者である新聞記者Bが失踪します。
 「その新聞記者が何故失踪したのかについてのAの調査」が話のメインです。
 結論を言うとBは「ある難病(小説においては幼くしてかかる病気で、寝たきり状態が長く続き、若くして死ぬことが多いとなっているだけで詳細は書かれていませんので、具体的な病気が想定されてるわけではなく西村の創作でしょう)」について社会に訴える記事を書く過程で「死期が近い」という「難病患者である若い女性C」と知り合う。
 まあ、こうした「難病についての記事」が今も色々とあることは「難病」でググって

1歳まで生きられるのは1割の難病 ″18トリソミー″ 6歳の女の子 富山でも年間1人「小学校に通いたい」願いに壁… | TBS NEWS DIG2023.12.3
 国が指定する難病、18トリソミー。心臓などに重い先天性の障害を伴う染色体の病気で、半数以上は生後1週間以内に死亡し、1歳まで生きられるのは10%と言われています。
 そんな中、富山県滑川市に現在6歳になる18トリソミーの女の子がいます。来春、小学校に入学する予定ですが、娘を学校に通わせるために母親が仕事をやめなければいけない。医療的ケア児と家族が直面する就学の問題。そこには様々な壁がありました。

などがヒットすることでも分かります。
 ここで勘の鋭い人は落ちが読めたかもしれない。
 Bは勿論、記者として「取材対象の一人」としてCと交遊してるわけですが、Cの方は「同世代の男性」である彼に好意を持ってしまう。C自作の『愛の詩集』をBに手渡すまでになる(Cは詩作が趣味という設定)
 あげく「死ぬ前に一度でいいから抱いて欲しい。恋人になって欲しい」「恋人もいないままで死にたくない」とBに迫る。
 ここで「抱く(性交渉を持つ)」という選択肢も勿論あるわけです。Cに同情するBもそこで苦悩しますが、彼は「婚約者Aを裏切れない」「取材対象とそうした関係になるのは記者倫理に反するのではないか?」としてCの要望を結局拒む。
 それに絶望したのかCは自殺。
 ここで「自殺したのは俺のせいじゃない」「新聞記者がそこまで取材相手の人生に責任持てない」とする人間としてはBは造形されていません。
 これも「共感うつの一種」というべきなのか自責の念から、Bは「職と恋人を捨て」失踪するわけです。
 この小説においては「失踪理由の判明」で話は終わっています。Bは結局発見されない(遺体は見つかってないが、最悪、自殺の可能性もある)し、Cが「Bを待ち続けるのかどうか」もわからない(「しばらくは待つつもりである」ことが小説内で述べられますが)。ある意味「希望が何もない」。
 小生的には「西村京太郎=十津川警部もの、鉄道ミステリ」というイメージが強かった。そもそもこの話は「犯罪が起きない」のでミステリではない。「西村も初期はこんな作品を書いていたのか」「まるで松本清張の非ミステリ作品(芥川賞受賞作『或る「小倉日記」伝』などいろいろありますが)のようだ」と「意外」ではありました。
 その結果、このように記憶にも残った。
 まあ

西村京太郎 - Wikipedia参照
◆1961年
 『黒の記憶』で第2回宝石賞候補
◆1962年
 『病める心』で第5回双葉新人賞二席入選
◆1963年
 『歪んだ朝』で第2回オール讀物推理小説新人賞受賞
◆1965年
 『天使の傷痕』で第11回江戸川乱歩賞受賞
◆1967年
  『D機関情報』で第20回日本推理作家協会賞候補。なお、この年は三好徹*2(1931~2021年)の『風塵地帯』が受賞。
◆1969年
 初の新聞連載『悪の座標』(後に『悪への招待』と改題)を徳島新聞に連載
◆1976年
  『消えたタンカー』(十津川ものだが鉄道ミステリではない)で第29回日本推理作家協会賞(長編部門)候補。なお、この年は長編部門は受賞作なし。
◆1977年
  『消えた乗組員』(十津川ものだが鉄道ミステリではない)で第30回日本推理作家協会賞(長編部門)候補。なお、この年は長編部門は受賞作なし。
◆1978年
 鉄道ミステリ第1作となる『寝台特急殺人事件』を刊行
◆1982年
 唯一の時代長編小説『無明剣、走る』を刊行

ということで「1980年代初頭頃」までは「十津川もの」「鉄道ミステリ」以外も書いていたわけですが。
 正直「初期作品」の路線を晩年も「もっと書いて欲しかった」気はします。その点、松本清張が「明智小五郎江戸川乱歩)」「金田一耕助横溝正史)」「十津川警部(西村)」「浅見光彦内田康夫)」のような「シリーズ探偵」をついに作らなかったのはもしかしたら「初期作品は多様な作風だったのに、晩年はほとんど十津川もの、鉄道ミステリになってしまった西村」のようになりたくなかったからかもしれない。
 なお、高世がどんなに「横田早紀江」への同情を「騙った」としてもそれは「共感うつ」になるような真摯な代物では全くないでしょう。
 また取材対象とそうした関係になるのは記者倫理に反するのではないか?について言えば

有田芳生氏の拉致問題についての本が発売され、その解説を高世仁が担当するとのこと - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 高世はその還暦祝いを横田滋さんら(ご当人と奥さん)に祝ってもらったことがあり(2013年2月)、その席には、有田氏も同席しています(苦笑)。そしてほんと高世って馬鹿だと思うのですが、その時の写真を自分のブログに掲載しています(呆れ)。よっぽど彼はこのことを自慢と感じているようで、それを繰り返し記事にしています。
還暦だ。急がなくては - 高世仁のジャーナルな日々
横田家の家族写真公開の背景(3) - 高世仁のジャーナルな日々
横田滋さんの逝去によせて13-「パイプを作ろう」と滋さんは言った - 高世仁のジャーナルな日々
 どういう事情で横田さんたちから高世が還暦祝いをしてもらったのか定かでありませんが、本気で呆れ返りますね。そんなことしてもらっていて、取材対象者にいうべきことをいえるのか。
てめえ、取材相手となれ合うのもいいかげんにしろ!!!
ってもんでしょ、これ。

と言うバカ野郎が高世です。

 香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)さん(27歳)が事実上の亡命宣言をした。周庭さんは3日、「インスタグラム」で、今年9月に留学を理由にカナダに出国していたことを明らかにした。

 天安門事件(1989年)の面子が今や話題にならないのと同様、彼女も早急に過去の存在になるのでしょう。
 今後、中国で民主化運動が展開されるとしても彼女はもはや参加しないのではないか。そもそも彼女が何処まで「覚悟を持って」運動していたのかも今となると疑問です。周囲に持ち上げられて舞い上がってはいなかったか?

【参考:西村京太郎】

西村京太郎 - Wikipedia
 1975年頃、長編の時代小説『無名剣、走る』を徳島新聞に連載している。鉄道ミステリが大ヒットしたことで、出版社からは鉄道ミステリの依頼ばかりが舞い込むようになり、他のジャンルの作品を書く余裕がなくなったと語っている。本人は江戸時代を扱った時代小説を書きたいと長年希望しているが、どの出版社に話を持ちかけても「いいですね。でも、それは他の社で」と言われ、断られてしまうという。

 まあ、
けっきょく渡哲也は、渥美清と同じ轍を踏んだと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2020.8.22
水島新司も、けっきょく作品をやめるべき時にやめられなかったと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2020.12.3
と似たような話ではあるのでしょう。

*1:「愛の詩集」以外では初期作品「女をさがせ(初出は『小説の泉』1965年4月号)」「夜が待っている(初出は『読切雑誌』1965年3月号)」「赤いハトが死んだ(初出は『読切雑誌』1965年10月号)」「死の予告(初出は『読切雑誌』1964年1月号)」「夜の秘密(初出は『読切雑誌』1965年11月号)」を収録(西村京太郎の著作一覧 - Wikipedia「西村京太郎の部屋」参照)

*2:読売新聞元記者。読売の先輩である作家・菊村到(1925~1999年)や同僚だった作家・佐野洋(1928~2013年)の影響で推理小説を執筆。1966年に『風塵地帯』で日本推理作家協会賞を受賞し、読売新聞を退職し専業作家となる。「聖少女」で直木賞受賞(1967年下半期(1968年1月))。1979~1981年に日本推理作家協会理事長(三好徹 - Wikipedia参照)