今日の産経ニュース(2023年12/16、17日分)

【産経抄】寄席文字の金字塔 - 産経ニュース

 「橘流」と呼ばれる寄席文字の開祖、橘右近は還暦近くまで弟子を取らなかった。
 「こんなもんじゃ飯が食えねえから、習ったってムダだよ」。
 見習い志願の青年が訪ねて行った折、突き放されたという。昭和30年代半ば、青年は27歳だった。後に一番弟子となる橘左近さん*1だ。
 師匠の仕事を受け継ぎ、東京・新宿末広亭の看板や人気演芸番組『笑点』の寄席文字を担当した。顔や声は知らなくとも、その人の手になる福々しい文字を、目や心の良薬とした落語ファンは多いのではないか。橘左近さんの訃報が届いた。89歳。
 活躍の場は書の分野にとどまらず、資料の少ない噺家の系譜を40年かけて調べ上げた労作『東都噺家系図*2』、落語の名作や噺家の列伝をまとめた著作なども残している。

参考

橘右近 - Wikipedia
 1903~1995年。
【来歴】
・1922年:柳家さくら(後の3代目柳家つばめ)に入門。柳家龍馬で初高座。
・1932年:柳家さん三と改名。
・1939年:橘右近と改名。
・1946年:柳家さくらと改名。
・1947年:橘右近に復名。
・1949年:落語家を廃業し神田立花演芸場の楽屋主任と寄席文字の担当になる。
・1954年:神田立花演芸場閉場。
・1955年:東宝名人会再開にともない東宝演芸場の楽屋主任と寄席文字の担当になる。
・1965年:8代目桂文楽の薦めで橘流寄席文字家元になる。
・1980年:東宝演芸場閉鎖のため楽屋主任と寄席文字担当退任。以後、フリーとなる
寄席文字の復興】
 寄席のビラ字(現代風に言えば寄席宣伝ポスターの文字)は江戸期から専門の職人が書いていたが、寄席の軒数が減少すると次第に職人がいなくなってしまった。 やむなく各寄席で間に合わせ的に書くようになったが、専門職ではないため統一した様式は失われていった。 橘右近は落語家時代から寄席にまつわる物を収集しており、ビラ字の教えを乞う師匠がいない状態から見よう見まねで書き始め、自身のスタイルを確立していった。
【橘右近コレクション】
 本業のビラ、落語会のパンフレット、プログラム、新聞の切り抜き、演芸関係の古書等多岐に渡っている。
 2002年に千葉県松戸市の自宅を「集古庵ミュージアム」としてコレクションの一部を公開したが2003年5月に閉館。2013年にコレクションのうち、3466点が江戸東京博物館に「橘右近コレクション」として収蔵された。

 ひとまず紹介しておきます。


少子化対策の支援金制度 政府の「実質負担は増えない」と主張する不透明な根拠 - 産経ニュース
 「負担が増える」と言ったら「支持率が下がる」と思っての強弁にすぎず「増えない」と言える「具体的な根拠」を出さないのだから話になりません。


窮地の国民民主・玉木氏 トリガー凍結解除、公明幹部が協議打ち切り示唆 - 産経ニュース
 「不信任案賛成がー」(自公)は言い訳であって最初から「何か口実をつけて交渉は打ち切る」気でしょうが、「内閣不信任賛成(可決されれば総辞職か解散しかなく、解散の場合も政権交代の場合は勿論、政権交代しなくても「議席減で辞任した橋本首相(後任首相は小渕外相)」等のように岸田内閣崩壊もあり得る)→しかし岸田内閣と交渉したい」と言う玉木の理屈*3は無茶苦茶であり、「交渉打ち切り」も当然でしょう。
 というか「内閣不信任賛成」の時点で玉木の方から交渉を打ち切るべきではないか?


【家康の功績と遺産】いよいよ最終回 人生の半分を先輩の覇業に捧げた徳川家康 久野潤 - 産経ニュース

 信長の「革命児」「傍若無人」、秀吉の「(ボーガス注:朝鮮への)侵略者」「(ボーガス注:キリスト教という?)宗教弾圧者」というイメージは、史実を無視した戦後史観によるもの

 「はあ?」ですね。根拠レスで「戦後史観ガー」の悪口はやめてほしい。

 秀吉に対して小牧・長久手の戦いで勝利しながらも臣従

 小牧・長久手で家康が破ったのは「秀吉軍主力ではない」「この敗戦後も秀吉の方が優勢」なので臣従したのはある意味当然です。局地戦でいくら勝利しても意味はない。

 自分がただただ天下人になることを目的としたりせず、まずは〝先輩〟天下人たる信長・秀吉を助けて祖国に貢献することで、結果として人望を獲得し地歩を固めていった

 吹き出しました。単に信長、秀吉と対決して「勝利するだけの力がなかった」から臣従しただけの話でしょうに。
 「安倍死後の政治変動(裏金疑惑で追い込まれる安倍派)」同様(?)に「信長」「秀吉」の死去がなければ家康の天下取りはなかったでしょう(信長の死後、秀吉は織田氏からの政権簒奪に動き、家康も秀吉の死後、豊臣氏からの政権簒奪に動いた)。
 その意味では「山上の安倍暗殺」同様(?)に「本能寺の変明智光秀の信長暗殺)」は当時の日本政治を変えました。
 「本能寺の変」がなければ「家康→家康の子孫(江戸幕府)」同様、「信長→信長の子孫」で政治が行われ、秀吉や家康(そしてその子孫)は「織田政権の重臣止まり」だったでしょう。


世田谷一家殺害から23年、元捜査幹部らが遺族の思い描き朗読劇 - 産経ニュース
 事件解決という意味で何の意味があるのかと脱力します。


【産経抄】体力弱る岸田政権 改憲で一点突破を - 産経ニュース
 タイトルの「改憲」で唖然です。
 支持率低下の主原因は「裏金疑惑と物価高」なのだから「物価高対応」「裏金疑惑の解明」「政治資金規正法改正による政治パーティー券の規制」を主張するならともかく、そんなことで支持率は上がらない。
 それとも岸田政権を完全に見捨てた上で「どうせ短命政権に終わるなら、金脈疑惑で辞任に追い込まれたが日中国交正常化は実現した田中首相や、リクルート疑惑で辞任に追い込まれたが消費税は成立させた竹下首相等のように、岸田は世論の批判を無視して最後にでかいこと(改憲)をやってみろ」、つまり「俺一人では自殺しない。どうせ自殺するなら、世間への恨みを晴らすため、何人も巻き添えにしてやる。自殺するんだから命が助かって死刑になっても構わない(電車内でガソリン放火)」みたいな無茶苦茶な話なのか?。
 後者なら随分と岸田に失礼な話です。というか、安定政権ならともかくここまで支持率が下がって「改憲」なんて無理な話です。

*1:著書『落語知れば知るほど』(2007年、実業之日本社)等

*2:1999年、筑摩書房

*3:まあ「反対や棄権したら立民や維新の株を上げてしまう」「与党多数で否決されるから賛成しても問題ない」という玉木の理解だったのでしょうがそれも酷い話です。