江東区と武蔵野市の選挙でなぜ「表自戦士」と「反表自戦士」とが激しく敵対している(ように見える)のか - 混沌の時代の自由討論会(仮称)
古寺多見(kojitaken)です。
「表現の自由」など、自民党右派(安倍晋三や高市早苗の系列*1)及びそれに準じる諸勢力(参政党、日本保守党、民民玉木分派*2など)や共産党支持の一部権威主義勢力*3を除くほとんどの政治勢力*4にとって当然の了解事項だと考えています
日本共産党を「エロ表現規制派」扱いして敵視する「表現の自由戦士」と同レベルの共産党理解をid:kojitakenはしてるようで、「共産支持者の端くれ」として心底呆れます。なるほど「反共分子のkojitaken」が「共産党にやたら敵対的な理由」の一つは、表現の自由問題で、「表現の自由戦士」と同レベルの共産党理解をしているからなのでしょう(他にも「立民信者(特に枝野、西村と言ったいわゆる立民党リベラル派信者)だから」など理由はあるでしょうが)。
そうした「共産党を規制派として悪口する連中」についての批判としては小松立騎氏の以下の記事を紹介しておきます。
【共産党と「表現の自由」①】 理解不足を「変節」と呼ぶ愚かしさ――共産党の「表現」と「人権」をめぐる一貫性について|小松立騎
「日本共産党は石原慎太郎*5都政時代には表現規制に反対していたのに、いまでは規制派に転じた」「共産党は変節した」「裏切られた」。
そんな声が、「表現の自由」を掲げる一部の論者やクリエイターの周辺から漏れ聞こえてくる。
だが、そうした言説に共通するのは、「共産党の変節」を批判する前提となる理解そのものが、端から破綻しているという事実である。
日本共産党の表現に対する立場は、少なくとも25年以上にわたり明確であり、かつ一貫している。変節したのは共産党ではない。あなたの認識のほうだ。
「表現の自由」という言葉が万能の錦の御旗であるかのように振りかざされるが、共産党はこれを免罪符にはしない。
1999年、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は、田中早苗弁護士*6による「嫌ポルノ権」の寄稿を掲載した。
田中氏は「公共の場にポルノが氾濫し、見たくない者がいや応なしに見せつけられる状況は、セクハラそのものです」と述べている。
この主張は、まさに「表現の自由」と「他者の尊厳」「公共空間における責任」のバランスを問い直すものだった。
共産党はこれを紙面で紹介し、議論を促した。
つまり、共産党は「エロ・グロを好きなだけ解き放て」と言ったことなど一度もない。自由には公共性と責任が伴う。この原則を明快に掲げているのが、共産党の姿勢である。
もしもあなたが、「クリエイターに“こういう表現はまずいよね”と社会が問いかけること自体が圧力だ」と言うのなら、それは自分の表現が社会的に問われることすら我慢ならないという、傲慢と甘えの産物である。
共産党は少なくとも25年以上にわたり、
・実在の(ボーガス注:女性や児童の)人権を守る
・表現の自由を保障する
・公共空間の倫理や社会的責任を問う(ボーガス注:つまり表現の自由を「錦の御旗」にして「エログロ表現をTPOを無視して何処でもいつでも誰にでも公表することは容認しない」ということ。法規制(特に罰則付きの法規制)には否定的だが「自主的なゾーニング」など一定の規制は支持すると言うこと)
という三原則のバランスを、誠実に追い続けている。
それを「変節」だと叫ぶ者がいるなら、それは過去の共産党の立場を都合よく誤解してきた己の浅薄さの告白にほかならない。
裏切ったのではない。
あなたが勝手に信じた幻想が、現実によって剥がれ落ちただけである。
【共産党と「表現の自由」②】 “創作万能論”と現実逃避の自由主義を問う|小松立騎
「法で縛ることには慎重だが、社会的に問題のある表現については共に考えていこう」という姿勢を、「規制の足がかり」と断じて封じようとすることのほうが、むしろ対話を拒否する態度である。
児童を性的対象とする表現において、「実在の子どもが登場していなければ問題ない」という議論は極めて一面的である。「非実在」とされるキャラクターが現実の子どもと近似することで、子どもを性的対象として扱うことへの心理的ハードルを下げ、現実における加害の土壌を耕す危険性がある。これを「ゼロか100か」の直接因果関係だけで評価するのはあまりにもナイーブである。
前回も紹介した通り、1999年、共産党は児童ポルノ禁止法案に超党派で関わったが、「創作物を法の対象にすべきではない」として線引きを明確にした。一方で「ポルノ漫画」についてこうも述べている。女性や子どもの人権を踏みにじる表現にたいしては、運動や教育で反対の世論を高めていくことが大切です。ポルノ漫画は、実態を調査し法的な規制が必要かどうかひきつづき検討していく課題だと思います。
1999年時点から現在まで、法的規制には反対しつつも野放図であっていいという立場ではなかったのである。それを「変節」と断じるのは、過去の言動への理解不足にほかならない。
表現の自由は、憲法21条に保障された重要な権利である。しかしそれは、憲法12条・13条が定める「公共の福祉」や「個人の尊重」との調和のうえに成り立っている。
だからこそ、表現の自由は「絶対無制限」ではない。創作においても、まったく同じことが言える。表現が自由であるためには、その自由が「社会的信頼」に支えられていなければならない。社会の信頼を失った自由は、やがて公共空間から排除されていく。
日本国憲法が保障する「表現の自由」は、単なる“好き放題の権利”ではない。それは、人びとが互いに尊重し合い、責任ある態度で意見を表明し、多様な価値観が共存できる社会を築くための権利である。
同時に、その自由は「公共の福祉」との調和の中でこそ最大限に尊重される。つまり、誰もが自分の言葉や創作に責任を持ち、他者の尊厳や安心を脅かさない限りにおいて、自由に発信できるという原則だ。
この自由は、他者への無関心の上には成立しない。相手の痛みや不安に向き合いながら、それでもなお語るべき言葉、描くべき表現がある。そうした覚悟を持つ者にこそ、日本国憲法は自由を託している。
【共産党と「表現の自由」③】 「社会的規制は“圧力”か?」――政党・政治の役割への根本的無理解|小松立騎
「社会的規制」とは、立法による禁止ではなく、社会の中での価値観の共有や倫理的コンセンサスのことを指す。政治とは本来、そのような公共的討議を通じて合意形成をはかる営みであり、それを「政治的圧力」と断じて封じるのは、むしろ表現の自由に対する敵対的態度に近い。
たとえば、電車内の中吊り広告に過度な性表現があれば、見たくもない乗客(とくに子ども)に強制的に曝されることになる。これを不快に感じるのは「個人的感情」ではなく、公共空間における配慮の欠如という構造的問題であり、セクシュアル・ハラスメントや性差別の温床にもなりうる。こうした懸念を共有する社会的議論の積み重ねが「ゾーニング」や「自主規制」といった対応に結びついてきた。
つまり問題は「感情に基づく禁止」ではなく、「公共空間における表現の適正と配慮」なのである。これは憲法が保障する個人の尊厳や幸福追求権とも深く結びついている。感情的な「気に入らないから潰す」とは明確に一線を画す。
小生も「小松氏と同様の立場」と自認しています。
なお、kojitakenらが「自民安倍派のような右派=表現規制に親和的」というなら「立民党右派」にもそうした人間はいるでしょうに、「など」で片付けて「立民党右派」と書かない辺り、「立民信者」のkojitakenらしいと呆れます。「表現規制に親和的な右派」であろう維新について「など」で片付けてる理由は不明です。
id:HRK-Unidon
bogus*7が私やkojitakenさんの投票行動に影響を与えることはないでしょう。
id:kojitaken
投票行動にあの人の存在が影響する可能性は皆無です。
あなた方のような「俺に明らかに敵対的な人間(かつ知性や誠実さが著しく欠落すると思われる人間)」が、俺の批判で考えを改める事など全く期待してませんので安心(?)して下さい。
俺は「あなた方が間違った主張をしている」と思うから批判してるに過ぎません。
【追記】
HRK-Unidon、私自身の反省 - 混沌の時代の自由討論会(仮称)
「第三者への敬称の有無が統一できず(特に三戸都議、上田都議、山崎都議を呼び捨てにする傾向があった)、他者へのリスペクトを欠いたこと」についてお詫び申し上げます。
だそうですが、ならば俺のことを敬称抜きで「bogus」と呼び捨てにしたことについてもid:HRK-Unidonは謝罪するんですかね?。といったら単に「これらの都議の支持者」から「呼び捨てとは都議に失礼だ」と攻撃されて泣きを入れただけの話でしょうが(つまり、俺には呼び捨てを謝罪しない)。
【追記終わり】
id:HRK-Unidon
私が今まで現場で会ってきた共産支持者はどの方も「相手の立場を尊重できる」立派な方ばかりでした。
やれやれですね。
「id:kojitakenやid:HRK-Unidonの主張は間違ってる」「本多平直の暴言を擁護するな」と批判しただけで「相手の立場を尊重できない」呼ばわりです。
単に「俺(id:HRK-Unidon)の言うことをボーガスは『ハイ、その通りです』で認めろ」と言うだけの話でしょう。
というか「本多平直は悪くない」と放言するような輩が「共産支持者」と付き合えるとはとても思えませんね。共産は勿論「本多の暴言には批判的だから」です。id:HRK-Unidonが「俺は共産を敵視してない、ボーガスを敵視してるだけだ」と言い訳するための「口から出任せ」でしょう。
id:HRK-Unidon
「みんな違って当たり前」の文化がある立憲
それ単に立民が、まともな党方針を持たない「選挙互助会」で「野合してる」だけでしょう。政党(同じ政治目的で集まってる建前)なんだから「違う」といっても自ずから限度があるでしょう。だからこそ俺は立民を支持しませんが。
【お知らせ】「みらい (id:mirai20259)」さんに「鍋ブログ」及び「自由討論会ブログ」共同執筆者のメンバーに加わっていただきました。 - kojitakenの日記
id:mirai20259
私はそもそも、kojitaken さんのブログを、その基本的なスタンスとか調子が信頼できるし好きなので、読ませてもらっています(政治的なそれも、野球や音楽の記事から伺える人に対する見方も)。
おいおいですね。
俺は知性と誠実さが欠落するkojitakenなど全く評価していませんがそれはさておき。
いくらkojitakenの承認を得ないと「共用ブログに加入できない」とはいえここまで媚びるか?、と吹き出すとともに呆れます。
旧統一教会の事例などを考えても明白です。「信仰」が「主張・表現」になれば、何でも保護されるという考えに根拠はありません。
同感ですが、ここでid:mirai20259が「規制が必要な表現」に「誹謗中傷や差別的発言・表現*8」しかあげないのが「おいおい」ですね。
性表現だって「差別的性表現」ではなくても、少なくとも「TPOに配慮した自主規制」なら規制されることに別に問題は無いでしょう。
自由討論会ブログの方は今のところ「(エンターテインメントの)表現の自由」に関する議題しか出ていない状況
kojitakenの言う「(エンターテインメントの)表現の自由」というのは「大嘘」で本当は「エロ表現の自由」しか出てない状況です。
例えば、「例は何でもいいですが」以下のようなもの(絵本「ちびくろさんぼ」、映画「砂の器」)も「(エンターテインメントの)表現の自由」でしょうが、そんな問題は自由討論会ブログには全く出ていません。
絵本ちびくろサンボ論争 - クローズアップ現代 - NHK1999.6.17
今月3日、(ボーガス注:径書房から)絵本「ちびくろさんぼ」が10年ぶりに出版された。この物語は、黒人の描き方に問題があり(ボーガス注:サンボという)差別的な言葉も使われているとして抗議を受け、絶版となっていた。今回の出版は、この本が本当に差別的な意味を持つのか改めて問うものだ。これに対し差別解消を目指す市民団体からは、否定的な声が上がっている。アメリカでは半世紀以上の議論の末、この本は絶版にはしないものの、公の場からは遠ざけようという考え方が主流になっている。そうした中、黒人達の間からこの物語の良さをなんとか残せないかという動きも出始めている。今夜は、10年ぶりに出版された絵本が問いかけるものとその波紋を追う。
砂の器 - Wikipedia参照
映画「砂の器」において、ハンセン病の元患者である本浦千代吉(演・加藤嘉)と息子の秀夫(和賀英良を詐称:演・春田和秀(少年時代)→加藤剛(成人時代))が放浪するシーンや、ハンセン病の父親の存在を隠蔽するために殺人を犯すという場面について、全国ハンセン氏病患者協議会(全患協、のちに「全国ハンセン氏病療養所入所者協議会(全療協)」に改称)は、ハンセン病差別を助長するとの懸念から、映画の計画段階で製作中止を要請した。しかし製作側は「映画を上映することで偏見を打破したい」と説明し、最終的には話し合いによって「ハンセン病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」という字幕を映画のラストに流すことを条件に、製作が続行された。協議会の要望を受けて、今西刑事(演・丹波哲郎)が本浦千代吉と面会するシーンは、シナリオの段階では予防服着用とされていたが、ハンセン病の実際に関して誤解を招くことから、上映作品では、背広姿へ変更されている。
【追記その1】
谷原章介が教員の性犯罪続発を受け私見「子どもの性的な作品が多すぎる」 (2025年7月1日掲載) - ライブドアニュース
俳優・谷原章介*9(52)が1日、メインキャスターを務めるフジテレビ系「サン!シャイン」(月~金曜午前8時14分)に出演。
(ボーガス注:盗撮画像共有容疑で逮捕の教員、今年度は学年主任 横浜市教委が謝罪 | 毎日新聞(2025.6.26:神奈川県横浜市)、教員の児童盗撮事件 名古屋市が第三者委で調査へ | NHK | 事件(2025.6.30:愛知県名古屋市、名古屋と横浜の教師は盗撮グループのメンバーで、性的姿態撮影処罰法違反の共犯で逮捕)、広島 女児に不同意わいせつ未遂などの疑い 小学校教諭を逮捕 | NHK | 事件(2025.6.30:広島県広島市)など)教員による性犯罪*10が立て続けに報じられた。
谷原は「(ボーガス注:俳優という)ものを作る立場の人間として言いづらいことでもあるんですけど。基本、僕は表現の自由は守られるべきだと思うんです」とした上で、「ただ日本は諸外国と比べてロリータのような、(子供を)性的な対象にしているような作品、アニメや漫画だったり。ああいうものが、もともとは全然興味がなかった人に『あれ? いいかも』と思わせる機会を作っている面があるのかもしれない」「基本、規制したくはない方ではあるんですけど、日本は子供を主人公にしたような性的な漫画やアニメが多すぎるんじゃないかと思う*11」と私見を話した。
谷原が触れたのはコメント欄で指摘のある事件ですね。
「安易な表現規制」も不適切でしょうが、こうした懸念にまともに応答せず「表現の自由戦士」のように「表現の自由」を振りかざしてエロ表現規制に対抗しようとしても「社会の反感を買うだけ」であまり意味は無いでしょう。
【追記その2】
小松立騎
前から言っているけど、志位さんは自分が頭が良すぎるせいか「頭が回らない人の思考回路が全くわかっていない」。多分「ケーキを切れない人」の存在が理解できていない。
コレ、志位さんの街宣などでもよく感じていて、例えば彼は「◯◯ありきの〜」という言い回しを好むけど、音声情報だと何のことか一瞬わからないのよな。「担税力」というのもそう。誰か志位さんに言ってやってほしい。
(ボーガス注:国民民主党、参政党など)バカの心をくすぐって支持を拡げている政治家・政党が跋扈している昨今、気をつけなければならない。
小松立騎
今日の「赤旗」、ジェームス三木の訃報の扱いは、(ボーガス注:ジェームスは共産党支持を表明したこともあったのに)共産党にとってちょっと無いんじゃないかな~(社会欄の左下の片隅)。たしか(ボーガス注:元落語協会会長、人間国宝という要素はあるとはいえ、赤旗まつりの寄席に出ていた)柳家小三治のときはもっと大きな扱いやった。
【共産党と「表現の自由」①】 理解不足を「変節」と呼ぶ愚かしさ――共産党の「表現」と「人権」をめぐる一貫性について|小松立騎を書く「明らかに熱心な共産支持者」の小松氏(但し、自己申告に寄れば党員、後援会員、サポーターではなく党外の支持者)も「この程度の批判」は言うわけで、「共産支持者=盲従分子」的なkojitakenのような物言いは明らかにデマです。
小松立騎
俺も相当なガンダムオタクなのでGQuuuuuuXの展開には言いたいことが山ほどあるが、やはり「(ボーガス注:参政党の高い支持率などの異常事態に)もうそれどころじゃない」って感じなんだよな。
今の日本は、いい年こいた中高年がアニメを見て幼稚にキャッキャしていられるほど、安穏ではない。
俺個人は「それは違うんじゃないか」と思いますね。
赤旗だって日曜版その他に娯楽記事(スポーツ記事、エンタメ記事)は載ってるわけだし、厳しい政治状況であるからこそ、そうした「息抜き(まあ、アニメでなくても何でもいいですが)」も大事ではないか。
*1:安倍や高市に限る必要は無いでしょう。今の自民党に「表現の自由」を守る勢力なんてそもそもいるんですかね?
*2:そもそも玉木が創設当時から党首なのに「分派」とは意味不明な表現です。そもそも国民民主党に「表現の自由」を守る勢力なんているんですかね?
*3:意味不明な表現ですね。「共産党支持の一部権威主義勢力」とは一体何なのか?。「共産党それ自体」とは違うのか?。共産党の友好団体(新日本婦人の会、民主青年同盟など)のことか?。それとも「共産党支持を表明する規制賛成派の個人」に「共産党支持の一部権威主義勢力」というレッテルを貼ってるだけか?。いつもながら「意味不明な文章を書いてどや顔する」のはやめてほしい。
*4:「ほとんどの政治勢力」というkojitakenですが「それに準じる諸勢力(参政党、日本保守党、民民玉木分派など)」としてしまったことで「など」が何を意味するか明確でないので「ほとんどの政治勢力」が何を意味するか不明になっています。まあ、社民党や新社会党は多分「ほとんどの政治勢力」に入るのでしょうが。かつkojitakenが名前を挙げた「自民党安倍派、参政党、日本保守党、国民民主党」だけでも「かなりの政治勢力(残念ながら超少数派とは言えない)」であり「ほとんどの政治勢力」云々という物言いは「?」ですね。
*5:福田内閣環境庁長官、竹下内閣運輸相、都知事、日本維新の党共同代表、次世代の党最高顧問等を歴任
*6:1962年生まれ。第一東京弁護士会所属。田中早苗法律事務所を主宰。著書『スクール・セクハラ防止マニュアル』(2001年、明石書店)等(田中早苗 (弁護士) - Wikipedia 参照)
*7:kojitakenは「さん」付けで俺は呼び捨て。予想の範囲内ですが実に腹立たしい。
*8:勿論、表現の自由戦士が問題にする性表現においても「性差別的表現」はありますので、「差別的表現」に対し、一定の規制を認めるid:mirai20259の立場なら、「性表現規制」は当然には否定されません。
*9:1972年生まれ。1992年、ファッション雑誌『MEN'S NON-NO』の専属モデルとなり芸能界デビュー。1994年11月まで2年間務める。1995年、映画『花より男子』の道明寺司役で俳優デビュー(谷原章介 - Wikipedia参照)
*10:学校外での犯行もあるが、多くは学校内で生徒相手の犯行(盗撮や不同意わいせつなど)
*11:放送を見てないので正確な判断ができませんが、この記事を読む限り「法規制」を云々してないので、谷原の考えは「業界の自主規制」の可能性がありますね。いずれにせよ「小学生の子ども(谷原章介 - Wikipediaによれば2015年に三女が誕生)」を持つ親として「(エロ表現は)今のままでいいのか?」と言う疑念が谷原にあることは確かでしょう。