今日の産経ニュース(5/28分)(追記・訂正あり)

■中国にらみ…スリランカに巡視船、バングラには1735億円 安倍首相、首脳会談で表明
http://www.sankei.com/politics/news/160528/plt1605280034-n1.html
南シナ海への中国進出阻止…日ベトナム首脳が協力確認 米含め3カ国で連携強化
http://www.sankei.com/politics/news/160528/plt1605280033-n1.html
 産経の「異常な中国敵視」にはうんざりします。そしてこの記事が書くように安倍も「異常な中国敵視外交をスリランカバングラデシュベトナム相手にしている」のならこれまたうんざりします。


■【一筆多論】軍事科学研究で自国守ることのどこが「平和主義に反する」のか? 奇妙な国「日本」 榊原智
http://www.sankei.com/politics/news/160528/plt1605280026-n1.html
 軍事研究が「侵略(というか違法不当な軍事行動)に使われない」という絶対の保証があればこういってもいいかも知れません。
 しかしそんな保証はどこにもないでしょう。


■【大人の遠足】長崎丸沈没の責任を取り自決した菅源三郎船長の石像が学生たちを見守り続け…東京海洋大越中島キャンパス
http://www.sankei.com/premium/news/160528/prm1605280005-n1.html

 昭和17年5月13日、長崎港外で日本海軍が敷設した機雷に触れ沈没。船と命運をともにした菅船長は、海上に浮かび生き延びたものの、後始末を終えた1週間後に自決した。死者・行方不明者39人。海軍の不手際による事故で船長に過失なしとされたが、「それでは海員道が相立たぬ」と遺言した。海員道とは、船員の武士道という。

 「特攻大好き*1」「自決大好き*2」産経の好きそうな話ではあります。小生個人は「生きて責任を取るべきであって」自決することは大きな間違いだと思いますが。

 命をかけて職責を全う*3したが、大学の史跡めぐりの案内には自決の件は書かれていない。「残念」と藤田さん*4
「一切の言い訳をせず、船長として全責任をわが身に負った明治の男の爽快な気構えに、感服するばかりです」

 石像が造られた時代(昭和20年1月)はともかく、今時「日本会議じゃあるまいし」東京海洋大学も自決を美化するわけにもいかないし、そうなれば紹介もしづらいでしょう。
 なお、チベット焼身自殺もそうですが俺は基本的に自殺を美化する気になりません。そう言う行為をする奴(例:お休み中のMukke)はおぞましいと思う。

 何が「明治の男の爽快な気構え」だ、藤田はふざけんな。手前、日本会議の同類か?

と思います。

 菅船長の像は、戦後も複数制作され、故郷の愛媛県・菊間には昭和30年に建立された。足を伸ばすと、瀬戸内海を見下ろす高台に堂々たる銅像が立つ。一時は雑草に覆われていたが近年顕彰の機運が高まり、昨年、慰霊祭も開かれている。

 自決者を顕彰するなんておぞましい、と心から思います。

菅船長の研究に取り組む船員の渡辺伸吾さん(60)が、次女の杉山春子さん(94)が神奈川県内で健在だと教えてくれた。
(中略)
「父は立派でしたが、娘としては悲しかった。あんな時代がまた来ないように見守っている。それが、あの石像なのではないでしょうか」

 自決を褒め称えるような「あんな時代がまた来ないこと」を強く望みますね。

【追記】

■菅源三郎(ウィキペ参照:1883年(明治16年)2月24日〜1942年(昭和17年)5月20日
 航海士、船長。
 愛媛県の旧制西条中学校(今の西条高等学校)、東京商船学校(今の東京海洋大学)を卒業し、日本郵船に入社。日本郵船の外国航路乗組船員として熱田丸、阿波丸などの乗務に就く。1916年に三菱合資会社近海郵船へ移籍して日華連絡航路、日台連絡航路の乗務に従事。1939年に東亜海運に移って上海航路の乗務に就いた。
 第二次世界大戦時に定期船・長崎丸の船長として海軍の捜索要請に協力、揚子江河口にてアメリカの客船「プレジデント・ハリソン」を発見し、これを追跡して座礁させた。
 1942年5月17日に長崎丸が長崎港外で機雷に接触して沈没をする際に、菅は船長として最後まで船橋にあって指揮を取った。菅は救出され、軍側の伝達不足が原因で長崎丸側の責任は無しとされた。しかし死者13名、行方不明26名という惨事の責任を感じて3日後の5月20日に東亜海運長崎支店ビルの屋上で割腹自決を遂げた。
 没後の菅は今治市厳島神社に祀られた他、母校である愛媛県立西条高等学校に胸像が、東京海洋大学海洋工学部越中島キャンパス(東京都中央区)に石像がそれぞれ建立されている。

http://www.e.kaiyodai.ac.jp/introduction/hspot.html
■菅船長石像
 菅源三郎船長は、商船学校を1908年(明治41年)に卒業し、第二次世界大戦勃発時には長崎丸の船長として揚子江河口にてアメリカの客船プレジデントハリソンを発見し、これを追跡してかく座(船を浅瀬に乗り上げること)させるなどの功績を上げました。しかし、1942年(昭和17年)に長崎丸は長崎港外で機雷に接触して沈没。事後処理に奔走しましたが、その後、他界されました。

 「その後、他界」という表現に「菅自決を賛美する右翼に荷担したくない」という大学側の悩みを感じます。大学からすれば「いっそ石像を学外に移転したい」「靖国辺りが引き取ってくれるなら渡してもいい」んじゃないか。

http://nippon-ehime.jp/syutyou/2404.html
■郷党の偉人を思う:「責任」その重みと覚悟:菅源三郎船長のこと(日本会議愛媛県本部会長・重松惠三)
 事故の一週間後、自らが救助された忸怩たる思いと責任に、船会社で自決。遺言には「斯くなければ日本帝国の海員道が立ち行かぬ」と。船と人命を失った船長の責任を六十歳の命を絶って果しました。
(中略)
 母校西条高校と郷里菊間の厳島神社には、菅船長を讃える碑が今も人々に己の職務に対する責任の厳しくしかもその崇高なあり方を伝えています。
 私たちは「命がけでやります」「責任を果たします」「一生懸命にやります」「出来なければ腹を切る」
 よく耳にします。特に政治家の先生方に多いように思いますが、市井の人でも軽く使われがちです。自らが言ったことに、自分の任務・職務に責任を云々する人はこの菅船長の事績を想って欲しいものです。この覚悟あれば仕事の結果も違います。
 同じ菅でも大違いの人*5が総理大臣として日本丸の船長でした。この菅船長は進路を誤る*6は、事態対処は間違いか後手。一億三千万人の乗客・国民は危機・大不安。原発爆発・船火事に処置なし。怒鳴るばかりで責任は一切取らない。「船中無策」の船長では船は沈む。
『日本の息吹』平成24年4月1日号「愛媛版」より転載

 「自決賛美」に「菅*7首相への悪口雑言」、さすが極右集団・日本会議です。もちろん日本会議なんか褒めてません。むしろ呆れています。
 

■【もんじゅ受け皿先送り】存続ありき、本質議論なく形骸化…「誰でも言える常識的な内容を並べただけの報告書」
http://www.sankei.com/life/news/160528/lif1605280016-n1.html
 文科省に悪口雑言の産経ですが「もんじゅ廃止を当然の前提とした報告書」「廃止も視野に入れた報告書」ならいいのかといえばそうではないわけです。
 「存続させるべきだが文科省の報告書じゃダメだ、でも俺はどういう報告書ならいいか分からない」つうのは「無責任」つうんじゃないですかね。 

*1:産経の特攻美化としては、たとえば■法華狼の日記『回天で元気が出るなら隗より始めよ』(http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20101023/1287849677

*2:ただし自分は自決をやらず他人にやらせたがる

*3:「自決前の菅の活動」はともかく、少なくとも「自決すること」は「命をかけて職責を全う」ではないでしょう。

*4:OBボランティアガイドの藤田善範さん(88)のこと。

*5:もちろん当時の首相・菅直人氏のこと

*6:日本会議が褒め称える安倍首相の方がよほど「進路を誤っている」と思いますが日本会議にはそう言う常識は無論ありません。

*7:社民連副代表、新党さきがけ政調会長、橋本内閣厚生相、鳩山内閣副総理・財務相などを経て首相