今日の産経ニュース(2/23分)(聖徳太子ネタがメイン)(追記あり)

■日銀の木内登英審議委員 金融緩和策の縮小を訴え
http://www.sankei.com/economy/news/170223/ecn1702230036-n1.html
 主張の是非*1はともかく勇気ある発言ではあるでしょう。安倍がいわゆる「出口戦略(金融緩和の縮小)」を全く考えてないであろうこと、「狭量な安倍」では「木内氏を委員から更迭しかねないこと」は明白だからです。
 二階*2幹事長ら自民党幹部連にも「木内氏のような硬骨さ」を発揮して欲しいところですが、まあ無い物ねだりなのでしょう。


■次期指導要領で「聖徳太子」復活へ 文科省改定案、「厩戸王」表記で生徒が混乱*3、「鎖国」も復活
http://www.sankei.com/life/news/170320/lif1703200006-n1.html
 まあ「自分に都合のいい既成事実をつくるためなら平気でトバシ記事を書く」産経の記事なので真偽は不明です。
 ただ事実ならがっくりですね。
 俺個人は「何が何でも厩戸王でなければいけない」「何が何でも鎖国は使ってはいけない」「元寇ではなくモンゴル襲来でなければいけない、大和朝廷ではなく大和政権でないといけない」などとは思っていません。
 諸説あるわけで「聖徳太子鎖国元寇大和朝廷は学術用語として明らかな間違い」というわけではないでしょう。聖徳太子について言えば、だから文科省の当初方針も「併記容認」のわけです。
 そこはウヨ連中の主張でも「南京事件否定論」「河野談話否定論」などと言った明らかなデマとは話が違う。
 ただ右翼連中の「歴史学的批判とは到底言えない」無茶苦茶な政治活動(「何が何でも厩戸王表記反対」「厩戸王表記は反日左翼の陰謀だ」」など)を考えれば「それに屈服、迎合した感」は否定できないでしょう。いや実際屈服、迎合なんでしょうけど
 「結論それ自体」については必ずしも反対しないがそこに至る経緯が異常だと言う事です。こんなことではおよそまともな歴史教育ができないでしょう。
 「小中高校の歴史教育は右翼の政治的圧力で、いい加減だから大学行ってから自分でやるわ」「自分の趣味として新書でも読んで独学するわ」なんてのは褒められた話じゃない。

 聖徳太子の研究事情に詳しい駒沢大の石井公成教授は「厩戸王は後代のイメージに縛られず研究するため戦後に想定された名。古代の主要史料には見られず、実名のように扱うのは不適切だ」と指摘。

と石井氏が指摘してる*4のは事実ですが彼のサイト(http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog)を見れば彼が「産経的『厩戸王』否定論」に対しては、「非科学的」「政治偏向的」「まるで戦前の簑田胸喜」として批判していることは分かります。
 その意味で産経の記事での石井説の利用方法は極めて詐欺的です。
 と同時に石井氏も「産経には批判的」なのだから「私が産経的主張には否定的であることを明記しない限り、産経の支持者と誤解されかねないので、コメント使用しないで欲しい」と釘を刺すべきではなかったか。
 これでは「石井は学問的な物言いしてるけど本当は産経の同類じゃないか」と誤解されかねません。
 いやもしかしたら本当に「同類」なのかもしれませんが。

【追記】

http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/9fe9f3071a02bb23868183a759e23a4b
 産経新聞の記事は短いながら、聖徳太子論争はなぜ熱くなるのかに関する私の意見についても紹介してくれており、私の意図をくんだ記事となっています。

 本気で「産経の記事は俺の意思を汲んでくれた」なんて思ってるなら石井氏はバカ野郎です。
 「厩戸王反日左翼の陰謀」なんて書いてる新聞をよくもまあそこまで高評価できるモンです。

 今回の指導要領案の方針変換については、文科省は明言していない*5ようですが、事実を指摘した私のパブリックコメント、そして東京大学インド学仏教学研究室の下田正弘*6教授その他、私の主張を支持してコメントを出してくださった研究者の方々のコメントの影響が大きかったものと考えています。

 もしかしたら「学問的には」「結果的には」厩戸王より「聖徳太子」の方が石井氏らが言うように正しいのかも知れません(俺もこの件は全くの素人ですので何とも言えません)。
 ただしそれでも
1)文科省は右翼に屈服したのであってそれ以上でもそれ以下でもない
2)下田教授や石井氏の存在などある意味関係ない
3)下田氏や石井氏はともかく右翼連中は学問的議論などしていない
のは間違いないでしょう。

 ただ、私はあくまでも客観的な事実を指摘しただけであって、今後もそうした立場で研究を続けていくつもりです。私は、聖徳太子は生前から神格化されつつあったと考えていますが、このブログの「津田左右吉を攻撃した聖徳太子礼讃者たち」シリーズでとりあげた超国家主義者たちのような狂信的で危険な聖徳太子礼賛をやるつもりはまったくありません。

 やれやれですね。産経ら右翼こそが「簑田胸喜」のような「超国家主義者たちのような狂信的で危険な聖徳太子礼賛」をやっているし、その結果の「聖徳太子単独記述復活」なのですがなぜか石井氏はそうは思ってないようです。
 俺が石井氏なら「学問的な意味で聖徳太子復活が正しいと思うが、反動右翼の狂信的運動による結果なので手放しで喜べない」というところですが何故かそう言う常識は彼にはないようです。邪推すれば石井氏は色々言い訳していますが彼こそが「超国家主義者たちのような狂信的で危険な聖徳太子礼賛」をやっている「産経の類友」なのかもしれません。
 あるいは「結果さえ良ければプロセスはどうでもいい」という御仁なのか。およそ学者として人間として評価できる人間じゃないですね。俺の価値観では、石井氏はある意味「I濱女史の同類」みたいなもんです。


■【正論】周到な「聖徳太子抹殺計画」 次期指導要領案は看過できない 拓殖大学客員教授藤岡信勝*7
http://www.sankei.com/column/news/170223/clm1702230006-n1.html
 吹き出しました。聖徳太子が「死後の名前(いわゆる諡)」である事を考えれば生前の名前「厩戸皇子」と呼ぶ方が自然だというのは何らおかしな考えではありません。
 どっちにしろ「反日左翼の陰謀」じゃないし「その程度の事で危うくなる愛国心」なんてしょっぱい代物、インチキな代物でしかない。
 つうか産経も批判するならせめて古代史の専門家を持ってくるべきでしょうにねえ。まあ、古代史の専門家でこんな馬鹿な事を言う奴はいないのでしょうが。
 それにしても今「ウヨのプリンス」安倍政権で『厩戸王』の件で、反日だ左翼だと非難ですからね。民主党政権だの自民党でも「ウヨ連中の大嫌いな福田康夫政権」だのだったら非難はこんなもんじゃすまないでしょう。

文科省は、この珍説が歴史学界の通説であるととらえてしまったようだ。

 大山誠一*8説の是非はともかく*9文科省は大山説を支持してるわけではありません。
 「厩戸皇子と呼ぶこと」は大山説の支持ではない。
 そもそも大山説にしても恐らく「聖徳太子厩戸皇子)の功績(冠位十二階、十七条憲法、遣隋使など)とされるものには後世の粉飾がある(そもそも事実か怪しいモノがある。また事実でも、そうした政策は聖徳太子の主導権はなくむしろ推古天皇蘇我氏など他者の主導権が大きい)」としてるだけでそれは「抹殺」とは違うでしょう。

 明治以降発行された紙幣の人物像として最も多く登場したのは聖徳太子である。このことが象徴するように、聖徳太子は日本人の精神の支えとなる人物だったのだ。 
 聖徳太子の抹殺は日本国家を精神的に解体させる重大な一歩である。「日本を取り戻す」ことを掲げて誕生した安倍晋三政権のもとで見逃されてよいはずがない。

 吹き出しました。
 先ず第一に「厩戸皇子と呼ぶこと」は大山説の支持ではない。
 第二に聖徳太子にそこまで価値をおいてる日本人なんてほとんどいないでしょう。
 第三に「紙幣になったから日本人の精神的基盤」というなら「福沢諭吉*10(1万円札)」「新渡戸稲造*11樋口一葉(5千円札)」「紫式部(2千円札)」「伊藤博文*12夏目漱石野口英世(千円札)」なども「日本人の精神的基盤」なのか。正直、「紙幣の偉人」にそこまでの思い入れがある日本人は少ないでしょう。

【追記その1】

http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/a20478c37e2db6fe568506b2f1cad204
聖徳太子研究の最前線『津田左右吉を攻撃した超国家主義的な聖徳太子礼讃者たち』石井公成*13駒澤大学仏教学部教員)
 津田左右吉を激しく攻撃して告発し、著作の発禁にまで追い込んだ者たちの多くは、強烈な聖徳太子礼讃者でした。
(中略)
 彼らは、近代の西洋文明を取り入れなければならない日本の状況と、伝統文化を守りたいという願望の間で悩み、理想的な手本を聖徳太子のうちに見いだしていました。つまり、海外文化を自主的に取り入れつつ中国と対等の外交をし、三経義疏では中国の学僧たちの解釈に基づきながら時には堂々と反論して超絶的天才ならでは深遠な解釈を示した、とするのです。海外文化を取り入れつつ、伝統文化を守った(和歌も詠むなど)点では、明治天皇も同じことになりますので、彼らは明治天皇聖徳太子のイメージを重ねつつ、自己流の聖徳太子研究に励み、また明治天皇御製の和歌をひたすら誦することをもって修行としていました。そうした彼らにとって、聖徳太子関連の文献を批判的に検討して太子の事跡を疑うような(ボーガス注:津田の)研究は、日本そのものを否定する試みのように見えたのです。
(中略)
 蓑田が昭和14年に刊行した小冊子、『津田左右吉氏の大逆思想』では、6点をあげて津田説は反国家的なものだと非難していますが、(中略)最後の第6点が「津田氏の聖徳太子十七条憲法三経義疏擬作論」です。蓑田は、『日本書紀』の聖徳太子関連記述を疑う津田のことを、「悪魔的虚無主義の無比凶逆思想家」などと言って非難しています。彼らにとって、津田の説がどれほど危険な思想と思われたかが分かりますね。
(中略)
 彼らの活動の結果、検事局が津田を出版法違反で起訴して裁判となり、津田は早稲田大学を自ら辞職するに至っています。上代史に関する津田の著作は発行禁止となりました。しかし、津田は、実際には明治人らしいナショナリストであって、天皇を深く敬愛していました。ただ、軍国主義風な天皇観や、東洋は文化的に一体であって日本はその盟主なのだなどといった主張には強く反発しており、『日本書紀』をそのまま信じて狂信的な主張をする者たちについては、彼らこそが日本の伝統を歪曲するもの、日本を滅ぼすものとして、強い危機感を持っていたのです。

http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/c/8865403836f8f43305d91fae6be6238c
聖徳太子研究の最前線『「憲法十七条」を重んじて津田左右吉を批判した法学者: 小野清一郎(1)』石井公成
 今回は、蓑田のような偏った性格の狂信的な超国家主義者ではなく、彼らの目を津田に向けさせるきっかけの一つを作った性格温厚な国家主義の法学者、ということになります。
(中略)
昭和9年  「憲法十七条の国法性について」
昭和10年 「聖徳皇太子十七条憲法の国法性」
     「十七条憲法に現れたる国家及び法律観」
昭和13年憲法十七条における国家と倫理」
昭和15年憲法十七条の宗教的基礎」(小野・花山共編『日本仏教の歴史と理念』)
     「憲法十七条の法理的思想内実」
昭和17年憲法十七条の政治理想」
     「憲法十七条における和の精神について」
昭和18年憲法十七条に見る日本肇国の精神」
昭和26年 「新憲法聖徳太子
 これほど「憲法十七条」を尊重していた小野をいらだたせたのが、津田左右吉でした。
(中略)
 東洋諸国の文化を受け入れて発展させた日本が東洋の盟主となり、東洋の文化・道徳を体現して西洋列強と戦い、東洋諸国を救うのだといった当時の思潮に背を向け、昭和12年岩波新書中の一冊として『支那思想と日本』を刊行しました。インド・中国・日本はもともと文化が違うのだから、「東洋文化」などというものは無い、と主張したものです。同書では、日本は中国の儒教を模倣したものの、深いところでは受け入れていないことを強調しています。
(中略)
 津田説が広まることに危機感を覚えた小野は、『中央公論』11月号に「東洋は存在しないか」を寄せ、津田説は東洋を文化的に否認するものだとして批判しました。敬意を払ったうえでのまともな批判ですが、途中にはやや激した部分も見えます。特に、「憲法十七条」は、津田が言うような中国思想の単なる受容・模倣でなく、「わが民族的な精神を基本としつつ」中国の思想を背景とする国家統治の思想を取り入れたものであり、この伝統が建武中興や明治維新にまでつながるのだと反論した箇所などは、力が入っています。これを受けて、親鸞讃仰の聖徳太子礼讃者たちを中心とする超国家主義団体の運動家であった蓑田胸喜は、『原理日本』12月号に「津田左右吉氏の神代史上代史抹殺論批判」を載せ、激しい言葉を連ねて津田攻撃を行いました。そして、翌年、津田を不敬罪で告発するに至ったのです。

 蓑田胸喜ら戦前右翼の津田攻撃と全く同じ事をしているのが今回の藤岡です。
 もちろん石井氏が指摘するように津田は反日左翼ではありません。それどころか保守派です。

【追記その2】
テレビ朝日『「厩戸王聖徳太子)」 教科書記述めぐり国会激論』
http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000095992.html

民進党笠浩史*14議員
聖徳太子について、中学校の歴史的分野において、厩戸王、かっこ、聖徳太子にするというんですよ。これなんですか?本当に歴史に対する冒涜(ぼうとく)でもあるわけですよ」
松野*15文科大臣
日本書紀古事記において、厩戸王などと表記されていることに触れ、聖徳太子についての史実をしっかりと学ぶことを重視をしている」
民進党笠浩史議員
聖徳太子をかっこにすること自体が問題外であり、大臣の時にもしこんなことやったら後世に汚点を残す」
松野文科大臣
「しっかりと私の責任において(指導要領の)公示をして参りたい」

 俺的に「もしかして松野大臣って下村(第二次安倍内閣文科相)よりずっとまとも?」と松野株が上がり*16、一方で「民進党は笠みたいな極右にアホ質問させてるんじゃねえよ。手前ら産経新聞かよ。だから俺は民進党なんか大嫌いなんだよ」と民進党の株が下がりました。俺みたいな「安倍はもちろん大嫌いだが民進党も大嫌い、松原仁とか笠とか非常識極右がいるから」つう人間は少なくないと思います。


■【主張】聖徳太子が消える 豊かな知識の継承断つな
http://www.sankei.com/column/news/170227/clm1702270002-n1.html
 消えるのは聖徳太子という呼び方*17であって、「聖徳太子に当たる人物が教科書に登場しないわけでは全くない」。
 産経の主張は全くとんちんかんです。

 聖徳太子について、なじみの薄い「厩戸王(うまやどのおう)」と呼ぼうというのは首をひねる。

 「なじみがあるかどうか」と「呼び方が学問的に適切かどうか」は全く別問題です。
 その理屈だと「真田信繁」より「真田幸村」のほうがなじみがあるわけですが、学問的には「信繁」の方が正しく「幸村は後世の創作」のわけです。
 そしてなじみがあることに配慮して文科省は「厩戸王聖徳太子)」という併記は認めてるわけです。


■産経『「聖徳太子」守れ つくる会が次期指導要領案で要望 「日本主体の古代史ストーリーが崩壊する」』
http://www.sankei.com/life/news/170307/lif1703070042-n1.html
 「古代史ストーリーが崩壊する」てそれ「俺達救う会に都合のいい歴史ストーリーを作るためには聖徳太子が必要だ」と言うトンデモ主張にすぎません。
 「徳川家康家系図捏造(徳川氏は源氏の子孫)」などと何一つ変わりません。仮にも教育を語る人間が言う事じゃない。歴史学歴史教育とはそういうもんじゃない。


■産経【正論】聖徳太子を「厩戸王」とし、「脱亜入欧」を貶める 「不都合」な史実の抹消狙う左翼に警戒を 東京大学名誉教授・平川祐弘
http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n1.html
 何度も書いてて正直飽きつつあるんですが「厩戸王」で何が悪いのかさっぱり分かりません。
 どっちにしろこんなことは「学問的に議論すればいいこと」で左翼でも反日でもない。安倍首相も松野文科相も「はあ?」でしょうね。
 「ウヨのはず」の安倍や松野氏すら賛同しない珍論をはけるウヨ連中には心底呆れます。

 日本のプロ・チャイナの学者*18と手をつなぎ「脱亜」を唱えた福沢を貶(おとし)めようとした。

 貶めるも何も福沢諭吉のいわゆる脱亜論を「アジア侵略の思想」「アジア蔑視の思想」とみなし、「そうした思想は現在では中韓などとの友好を阻害する」と判断すれば福沢批判せざるを得ない、つうだけの話です。
 もちろんそうした福沢批判は必ずしも「その他の分野での福沢全否定(例えば慶應義塾や福沢の全著作否定)」を意味しない*19し、また「その他の分野で福沢が評価に値すること」は「福沢のアジア蔑視」を免罪しません。
 そういう考えを「プロチャイナ(親中派*20」と呼びたければ勝手に呼べばいい。
 つうか、それ聖徳太子と何一つ関係ないですが。「聖徳太子厩戸王」をどう理解すれば「反日左翼」だの「プロチャイナ」だのなるのか。
 大体その理屈だと「厩戸王」に反対しなかった安倍首相と松野文科相
1)実は反日左翼
2)反日左翼にだまされた低能バカ
と言ってるのも同然ですが。


■国基研『教科書から「聖徳太子」を抹殺するつもりか』郄池勝彦
http://jinf.jp/feedback/archives/20150
櫻井よしこ『なぜ日本史から聖徳太子を消すのだ』
http://yoshiko-sakurai.jp/2017/03/09/6743
・よしこの「天才バカボン」みたいなタイトルには「聖徳太子厩戸王にして何が悪いのだ!。(文科省の説明に寄れば)生前の名前なのだ!」「桜井さんの好きな安倍総理が、松野大臣と一緒に決めたこと*21なのだ!」「これでいいのだ!」「これでいいのだー、これでいいのだー、ボンボンバカボンバカボンボン」「聖徳太子じゃなきゃいけないと国会で青島幸男が決めたのか?」と言いたくなります。
・冗談はともかく、何度も書きますが「厩戸王聖徳太子)」と言う併記が可能なのだから「表現(歴史用語)としての聖徳太子」は何一つ抹殺されていない。
 もちろん厩戸王聖徳太子)の事績も別に否定されてない。
 いずれにせよ問題は歴史学上正しいか、どうかです。
 ウヨ連中のように学問と全く関係ない事を言い出すのは話になりません。
 まずは高池に突っ込んでみましょう。後でよしこに突っ込みます。

http://jinf.jp/feedback/archives/20150
 文科省の左翼的体質はかねてから指摘されていた

 「どこがだよ(呆)」ですよねえ。
 大体「奥野誠亮*22(田中*23内閣)」「内藤誉三郎*24(大平*25内閣)」「藤尾正行*26(中曽根*27内閣)」「中山成彬*28(小泉*29内閣)」「下村博文*30(第二次安倍*31内閣)」と歴代大臣がウヨだらけ*32なのになんでそう言う話になるのか。
 大体何で「厩戸王」と言ったら左翼になるのか。わけがわかりません。

大和朝廷」ではなく「大和政権」という言葉を使わせようとしたり、「元寇」を「モンゴルの襲来(元寇)」としたり、従来あった江戸時代の「鎖国」という言葉を完全に消してしまったりしている。

 勿論全て理由があるわけです。
 「大和政権」についていえば「当時の政権を朝廷と読んでいいのか」という問題がある。ここでは「朝廷の定義とは何か」が問題になっているわけです。
 「元寇」について言えば「モンゴルの襲来」と言った方がはるかにわかりやすいでしょう。
 「鎖国」についていえば「海外渡航が禁止されていた」「幕府の管理貿易だった」とはいえ「長崎出島でオランダや中国」、「対馬藩経由で朝鮮」と貿易していたことを考えれば「鎖国という表現が適切か」という問題がある(「鎖国」表現を妥当でないとする論者は「海禁」と呼ぶようです)。いずれにせよこれらはあくまでも学問的に論じる話です。

教科書は学術研究書ではない。広く一般的通説や常識を教えるものである。

 言ってることが意味不明ですね。「学術研究の成果」に基づいたものが「一般的通説」のわけです。
 そして仮に「一般の常識」だとしてもそれが「水戸黄門漫遊記」のような事実に反する俗説ならそんなもんは「学術研究の成果」によって排除されて当然です。学校教育でやるのは歴史学であって歴史漫談ではない。
 高池へのツッコミはこれで終わりにして次によしこへ突っ込みます。

http://yoshiko-sakurai.jp/2017/03/09/6743
聖徳太子は新たに「厩戸王(うまやどのおう)」として教えられるというが、神道学者の高森明勅氏が「厩戸王」の事例をアマゾンで調べたところ皆無だったと書いている。

 問題は『学問的にどちらが正しいか』であって『アマゾンでどちらが多いか』ではないし、その理屈だと「ウヨ以外では大東亜戦争なんて使わないので太平洋戦争の方が適切(ただしよしこらはそう言う立場ではない)」になってよしこらの主張は崩壊しますがそれはさておき。
 本当に皆無なのかググって見ました。
すると

・遠山美都男『聖徳太子はなぜ天皇になれなかったのか:厩戸皇子蘇我氏四代の謎』(1995年、大和書房)
藤巻一保厩戸皇子読本』(2001年、原書房

がヒットしました。数は少ないが皆無と言えないでしょう(厩戸王厩戸皇子はほぼ同一視していいでしょう)。
 それにしても「鎖国(使用しない)」「元寇→併記を認めるが『モンゴルの襲来』と書く」と今までの記載が変更された*33のは聖徳太子だけではないのですが聖徳太子へのこのこだわりは、ほとんど病気でしょう。
 「能年玲奈がのんに改名?。レプロ(能年の元所属事務所)の野郎、絶対に許さない」とかならまだわかりますが。

聖徳太子という英雄を日本民族の記憶から消し去ろうとする愚かなことを考えたのは誰か。

 何度も言いますが「厩戸皇子聖徳太子)」と言う併記が認められていますし、仮に表記が「厩戸皇子」オンリーになっても「厩戸皇子聖徳太子」なのでよしこの言ってることはデタラメです。
 「真田丸での呼び名は、真田幸村でなくて信繁?。何故幸村を消し去る!。真田幸村という英雄を日本民族の記憶から消し去ろうとする愚かなことを考えたのは誰か。」と言うくらいバカバカしい。

周知のように聖徳太子は数え年20歳で叔母、推古天皇の摂政となった。

 サーセン、俺は「聖徳太子は20歳で摂政になった」なんてそこまでは正直知りませんが。

 神道の神々のおられるわが国に、異教の仏教を受け入れるか否かで半世紀も続いた争いに決着をつけ、受け入れを決定したのが聖徳太子である。キリスト教イスラム教などの一神教の国ではおよそあり得ない寛容な決定である。

 えーと、別に仏教受容を評価するのはよしこ先生の勝手ですが『キリスト教イスラム教などの一神教の国ではおよそあり得ない寛容な決定』と外国を誹謗するのはいかがなもんでしょうか。
 かつ仏教というのは当時の日本にとって「当時における文化の中心地・中国から来た最新の思想」だったわけです。「幕末明治の西洋文化受容」と似たところがあって「寛容とかなんとかではなくて」受容は「日本近代化」と言う意味で、ある意味自然だと思いますが。
 なお、今回の文科省の決定は「表記の変更」に過ぎませんので「仏教受容における聖徳太子の功績をどう評価するか」とは直接関係しません。

 603年には「冠位十二階」を定めて、政治権力の世襲という従来の制度下にあっても、個人の能力や努力によって登用される道を開いた。これは後の世にも強い影響を与え、身分制度を超越した人材登用の精神につながった。

 ウィキペ『冠位十二階』に書いてありますがこの制度は中国の制度を模範としたと考えられています。なお、中国では科挙制度という「人材登用システム」がありましたが、日本ではその種のモノがないので、結局制度としての人材登用はなされなかったと見るべきなのでしょう。
 つまりは「建武の新政後醍醐天皇」などのように天皇がリーダーシップを発揮すれば話は別だがそうでなければ、「身分制度を超越した人材登用」なんかないわけです。「冠位十二階」はよしこほどには高くは評価できないでしょう。なお、「繰り返しますが」今回の文科省の決定は「表記の変更」に過ぎませんので「冠位十二階をどう評価するか」とは直接関係しません。

607年には「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙(つつが)無きや」という、あの余りにも有名な親書を小野妹子に持たせ、隋に派遣し、遂に隋と対等な関係を築いた。

 隋側は「天子(当時の中国の理念では天子は中国皇帝ただ一人)」「日出づる、日没する(日の出る自分の方が偉いと言いたいのか!)」「恙(つつが)無きや(日本ごとき小国がため口か、手前!)」などの表現に激怒し、結果「対等な関係ではなく」、いわゆる朝貢関係を日本側も受け入れたというのが通説だと思いますが。

以降、日本は中華文明に属することなく、日本独自の大和文明を育んだ。

 いやいや「遣唐使」「平清盛日宋貿易」「足利義満日明貿易」「長崎出島での清朝との貿易」など日本はその後も中国と関係を持ちますが。
 儒学にせよ、いわゆる鎌倉新仏教(担い手の中には栄西道元と言った中国留学僧がいる)にせよ、雪舟(中国に留学)の水墨画にせよ、江戸時代までの日本文化のかなりの部分は中国の影響抜きでは語れないでしょう。もちろん中国そのまんまではなく日本化がされるわけですが。

いま、日本と中国の価値観はおよそ何から何まで正反対だ。

 いやそんなこともないんじゃないですかね。まあ仮にそうだと認めるにしても「江戸時代以前の大きな中国の影響」は否定できません。

中国は軍事力、経済力で既存の国際法や世界秩序に挑戦し続けている。

いつの間にか、聖徳太子とまるきり関係ない話になっています。文科省も「は?。聖徳太子は一体何処へ?」でしょう。

であればこそ、日本の子供たちに日本文明の核を成す価値観を教えることが日本人として誇りを持って生きることの基本になる。

 そのよしこの理屈を認めたところでそこから「厩戸王じゃダメなんです」に繋がる理屈がまるきり分かりません。名称変更しただけで聖徳太子について教えない訳じゃないのに。

 2月27日に「産経」が社説で書いたように、諡(おくりな)(死後に与えられる名)がダメなら「弘法大師」の名前も変えなければならない。

 少なくとも歴史教科書の世界では以前から「弘法大師」単独表記ではなく「空海」単独表記や、「空海弘法大師)」がメジャーで、今回の「厩戸王聖徳太子)」と同じ表記なので反論になっていません。よしこと産経は少しは脳みそを使ったらどうなのか。

自民党参議院議員山田宏氏が指摘した。
聖徳太子は日本が中国の属国にならない道を選び、慎みと思慮深さを基盤とした日本の国柄を育む第一歩を踏み出した人物です。そうした日本の善さを定着させた人物でもあります。だからこそ、日本人は聖徳太子に尊敬と親愛の情を抱き、お札にまでしたのです。」

 そこまで聖徳太子に思い入れがあるのはよしこらウヨだけだと思いますが。
 つうかそのよしこ理論だと「今も聖徳太子の1万円札は使えますが」、聖徳太子にかえて「福沢諭吉」を1万円札にした日本政府は「聖徳太子を抹殺しようとしたこと」にならないのか。
 それとも「福沢は慶應創立者聖徳太子に匹敵する偉人(慶應から政財官界などに人材が輩出)だから」問題ないのか。
 いずれにせよ「今の首相が安倍だから」というのもあるでしょうが、あまりにも主張がデタラメなので自民党議員ですら山田くらいしかこんな与太には乗らないわけです。

 安倍晋三氏が首相に、下村博文氏が文科大臣になって以後、ようやく改善されてきたと思っていた。だが、いままた、日本を貶める意図しか見えてこないような学習指導要領が、突如、提案されている。

 「安倍が容認してるんだから右翼的にも問題ないってことだろ。安倍が認める案を因縁つけるお前らが異常なだけジャン。だからよしこって中教審委員から外されたのと違うの?」「つうか、どの辺りが日本貶めてるのよ?。名前変えただけジャン」と思いますね。
 つうかこれってやっぱ「下村が辞めたのが悔しい」「松野なんかダメだ」なんでしょうね。まあ、下村でも「同じじゃねえのか?」て思いますが。

山田氏が語った。
文科省の官僚も問題です。加えて教科の内容に特定の人々の意見を反映させる仕組みがあります。文科省の下に国立教育政策研究所が、その下に教育課程研究センターがある。同センターには調査官がいて、社会と歴史について、各々、小学、中学担当の調査官が配置され、彼らの意見が反映されると見られています。どんな人物が配置されているのかも、調べる必要があるでしょう」

 どんな人々って山田が疑うような左翼的人間なんかいないでしょう。
 つうか過去には「あの極右・島田洋一すら教科書調査官だった(島田本人が回想してる)」「元教科書調査官の福地惇は後につくる会副会長に転身したことがある」のに何馬鹿な事を言ってるのか。
 大体「厩戸王」のどこが「反日左翼」なのか。

 かつて元インド大使の野田英二郎氏が教科書検定審議会委員となり特定の教科書を排除*34すべく多数派工作をした。氏は北朝鮮テポドンミサイル発射実験に抗議したと、或いは北朝鮮の拉致疑惑を強調しすぎると日本政府を非難した人物*35だ。偏った人物を受け入れる素地が文科省にはあるのだ。

 野田氏の評価はともかくぶっちゃけ文科省もわざわざ野田氏にピンポイントで声かけないでしょう。
 外務省に「そちらから誰か出して下さい」と文科省が依頼して外務省から野田氏が推薦されただけでしょうに。


■産経【主張】聖徳太子「復活」 歴史の魅力奪わぬ授業に
http://www.sankei.com/column/news/170404/clm1704040001-n1.html
 そもそも「厩戸王聖徳太子)」という表記は認められていたので「復活」ではありません。
 「厩戸王なんて使うな!、聖徳太子だけ使え!」という産経の主張が採用されただけです。産経にとっては何故か「厩戸王は蔑称」だったのでしょう。そんなことないんですけどね。
 しかし「歴史の魅力」つうなら産経のような無茶苦茶な理由で「厩戸王」表記抹殺をする方がよほど「歴史の魅力」を阻害してるんですけどね。
 仮に「厩戸王」に産経が反対だとしても「厩戸王聖徳太子とどっちが適切なのか、双方の論者は何を言ってるのか、考えて見よう」として「歴史学というのは決して固定的なモンではないのだ(研究の発展があり得るし、諸説あることが多い)」ということを子どもに伝えることの方が大事でしょう。

 聖徳太子の「一度に10人の訴えを聞き分けた」といった伝説的なエピソードにしても、「嘘」というより、歴史への興味をひくものではないか。

 はっきりいってウソですよね。まあこんなことで「嘘だ何だ」と大人げないことを言う気は「これを真実として産経らウヨが普及し、『いやウソはまずいだろ』つう人間に対し『反日だ何だ』と誹謗しない限り*36」俺にはないです。
 ただこんなんで「歴史への興味」なんかでるんですかね?。こんなんが「十七条憲法」「冠位十二階」などを学ぶ時に何かメリットになるのか。
 いや水戸黄門漫遊記にせよ、遠山の金さんにせよ、鬼平犯科帳にせよ、あるいは世界史だと「ベルサイユのばら」にせよ横山光輝「三国志」にせよ、なんにせよ「興味を引くための導入部」としてはいいでしょうが、それオンリーでやっていくことなどできないわけです。それじゃ歴史学じゃない。

 江戸時代の鎖国についても、幕府の管理下で交易が一定程度行われていたことから、改定案では「対外政策」と書き換えられた。これも、かえって理解しにくいこと*37から復活した。

 「絶対に鎖国表記じゃ駄目だ」とは俺個人は思いません。
 ただ「鎖国表記だと、日本が『貿易場所が限定されている』など、制限があったとは言え、いわゆるペリー開国前も、出島貿易(清朝、オランダ)、対馬宋氏を介しての朝鮮との貿易、琉球での清朝との貿易をしていたことが見えなくなるのではないか」という問題意識は大事でしょう。
 もちろん「ペリー来航による開国」のインパクトは大きかった。とはいえ「それ以前も外国との交易自体は制限付きでもあった」わけです。

 学者の使う専門用語にとらわれ、時代を貫いて流れる国民の物語を教えなければ、授業は無味乾燥なものになる。

 意味がわからないですね。「時代を貫いて流れる国民の物語」とは一体何なのか。
 「学者の使う専門用語にとらわれ」って、今回問題になってることは「難しい専門用語で理解が困難になる」なんて話では全くない。

戦後の歴史教育は、日本をことさら悪く描く自虐史観が拭えないでいる。

 「悪く描かれてる」のは主として「日中戦争、太平洋戦争」といった侵略戦争や「韓国植民地支配」であってたとえば江戸時代以前の歴史がことさらに悪く描かれてるなんてことはないでしょう。
 そもそも問題は事実かどうかであってこの産経の屁理屈なら「ヒトラーのことを悪く書くな(ドイツ)」「スターリンのことを悪く書くな(ロシア)」というとんでもない話になる。

古代の人々の暮らしや考え方を伝える国造りの神話・伝承についても正当に評価されず、十分教えられていない。

 神話それ自体は歴史じゃありませんのでね。
 もちろん
1)物によっては歴史的事実を一定程度反映しているでしょうし
2)少なくとも神話をつくった人々の価値観は分かりますけどね。それ歴史教育に反映させるのはなかなか難しいでしょう。
 大体この産経の理屈なら「何処の国でも歴史教育で神話を教えてる」ことになるでしょうがおそらくそんなことはない。
 また世界史を学ぶときにも「ギリシャ神話、ローマ神話を学ぼう」と言うことになりかねませんが産経もそう言う気はさすがにないでしょう。

年表の暗記や難解な事項の羅列では歴史への理解は深まらない。

 そんなことは産経が左翼呼ばわりする歴史学者も以前から言ってきたことで何ら新鮮みはないし誰も異論はないでしょう。
 ただ「ある程度は歴史用語を諳記しないと話が分からない」し、また「単純な記憶詰め込みは良くない」といっても「ならばどうするか」と言う代案もなかなか難しいわけです。

参考

http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-24726.html
琉球新報『「集団自決」検定 調査官「つくる会」と関係』
 文部科学省の高校教科書検定で「集団自決」の日本軍関与について断定的記述をしないよう検定意見が付された問題で、日本史を担当した同省の教科書調査官の1人が、「国粋主義的」「戦争賛美」などの批判がある「新しい歴史教科書・改訂版」(扶桑社)の監修者と同じ研究グループに属していたことが18日、分かった。同教科書の関係者が検定過程にかかわっていたことで、その中立性が問われそうだ。布村幸彦文科省審議官が衆院沖縄北方特別委員会で明らかにした。川内博史氏(民主)への答弁。
 文科省は1999年度に「新しい歴史教科書」の監修者、伊藤隆東京大学名誉教授を代表とする研究活動に科学研究費補助金科研費)を助成。その研究グループの資料に、今回の教科書調査官の名前が研究分担者として記載されていた。この調査官は2000年4月から現職に就いている。
 布村審議官は「扶桑社の中学歴史教科書の監修者として、伊藤隆という教授がいる。調査官になる前に、伊藤教授と科研費の研究グループのメンバーに加わっていた者がいる。現在は科研費グループとは一応離れているという形になっているが、そういう調査官が日本史を担当している」と存在を認めた。
 川内氏は「新しい歴史教科書の執筆・監修者と教科書調査官が同じ研究グループにいた。思想的に同じと考えるのは当然だ」と指摘している。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-14/2007101402_04_0.html
赤旗文科省の教科書調査官、採用ルート“闇の中”』
 今回問題となった沖縄戦についての検定意見原案を作った調査官は、日本史担当の村瀬信一*38です。主任調査官は照沼康孝氏。いずれも伊藤隆*39東大名誉教授の教え子です。
 伊藤氏は扶桑社版『新しい歴史教科書』の執筆・監修者です。現在は「新しい歴史教科書をつくる会」理事を降り、安倍晋三前首相のブレーンだった八木秀次氏らの「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有志の会」に参加しています。
 伊藤門下生が歴史認識の問題で物議を醸した例は過去にもありました。一九九八年に高知大教授から主任教科書調査官に転身した福地惇*40(現「つくる会」副会長)です。福地氏は現職の調査官でありながら検定最中に雑誌に登場し、「教科書検定のときに近隣諸国条項というのがあって、日本は侵略戦争をして悪かったと書いていないとまずい。そういうがんじがらめの体制になっている」などと攻撃しました。マスコミが大きく報じ、批判の世論が高まる中、文部省は同氏を解任せざるを得ませんでした。

参考

聖徳太子(ウィキペ参照)
■虚構説
・十七条憲法を太子作ではないとする説は江戸後期の考証学者狩谷鍵斎らに始まり、津田左右吉は十七条憲法を太子作ではないと主張した。また、森博達*41は十七条憲法を『日本書紀』編纂時の創作とみている。
 ちなみに右派でも谷沢永一藤岡信勝などとは違い『聖徳太子はいなかった』(2004年、新潮新書)を著している。
■大山誠一説
・1999年、大山誠一『「聖徳太子」の誕生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)が発表された。大山は「厩戸王の事蹟と言われるもののうち冠位十二階と遣隋使の2つ以外(例:十七条憲法)は全くの虚構」と主張。さらにこれら2つにしても、『隋書』に記載されてはいるが、その『隋書』には厩戸王は登場しない。そうすると推古天皇の皇太子・厩戸王聖徳太子)は文献批判上では何も残らなくなり、痕跡は斑鳩宮と斑鳩寺の遺構のみということになる。また、聖徳太子についての史料を『日本書紀』の「十七条憲法」と法隆寺の「法隆寺薬師像光背銘文、法隆寺釈迦三尊像光背銘文、天寿国繍帳、三経義疏」の二系統に分類し、すべて厩戸皇子よりかなり後の時代に作成されたとする。
 大山は、飛鳥時代斑鳩宮に住み斑鳩寺も建てたであろう有力王族、厩戸王の存在の可能性は否定しない。しかし、推古天皇の皇太子として、知られる数々の業績を上げた聖徳太子は、『日本書紀』編纂当時の実力者であった、藤原不比等らの創作であり、架空の存在であるとする。以降、『聖徳太子の真実』(2003年、平凡社→2014年、平凡社ライブラリー)や『天孫降臨の夢』(2009年、NHK出版)など多数の研究を発表している。
 『日本書紀』などの聖徳太子像には何らかの誇張、虚構が含まれるという点では、多くの研究者の意見は一致しているが、「非実在聖徳太子推古天皇の皇太子だったことも、聖徳太子の功績とされるモノも全て虚構ではないかという説)」を主張する大山説には批判的な意見が数多くある。ただし、三浦佑之*42など大山説に賛同を表明する研究者も少数だがいる。
 また、岡田英弘*43宮脇淳子*44は大山説とは異なる視点から聖徳太子虚構説を論じている。
■大山説への反論
 遠山美都男*45は「『日本書紀』の聖徳太子像に多くの粉飾が加えられていることは、大山氏以前に多くの研究者がすでに指摘ずみ」としたうえで、「大山説の問題点は、実在の人物である厩戸皇子が王位継承資格もなく、内政・外交に関与したこともない、たんなる蘇我氏の血を引く王族に過ぎなかった、と見なしていることである。斑鳩宮に住み、壬生部を支配下におく彼が、王位継承資格も政治的発言権もない、マイナーな王族であったとは到底考えがたい。」「『日本書紀』の聖徳太子はたしかに架空の人物だったかもしれないが、大山氏の考えとは大きく異なり、やはり厩戸皇子は実在の、しかも有力な王族だった」と批判している。
 その他、大山説に対する反論としては、直木孝次郎*46厩戸王の政治的地位について」、上田正昭*47「歴史からみた太子像の虚実」(いずれも『聖徳太子の実像と幻像』(2001年、大和書房)所収)、森田悌*48『推古朝と聖徳太子』(2005年、岩田書院)などがある。


【追記その3】

http://www.tsukurukai.com/taishi.html
①「大和朝廷」を「大和政権」とする件について
 以下の理由より反対します。これまで通り「大和朝廷」とすべきです。
 用語的な意味において「朝廷」と「政権」に大きな違いはありません。

 厩戸王反対*49も失笑物ですが、他の件にも失笑物の反対をする右翼結社・つくる会です(苦笑)。勿論「大和朝廷」と「大和政権」では違いがあるから変えるわけです。
 勿論その違いについて「是非はともかく」説明もある。要するに文科省が採用した「朝廷の定義(恐らく学界の通説)」があってその定義だと大和時代は「朝廷ではない」わけです(小生は不勉強なので詳しくは知りませんが)。
 その説明について反論しないあたり、つくる会はおそらく変更理由について知らないし、知る気もないんでしょう。もしかしたら「変更理由を読んだがバカなので理解できなかった」のかもしれない。

■②「元寇」を「モンゴルの襲来」とする件について
 以下の理由より反対です。これまで通り「元寇」とすべきです。
 「元寇」という名称は中華帝国による日本「侵略」という意味合いをもちます。ですから、「元寇」と表記することは、中華帝国に対峙する日本の国家意識を表すとともに、その対外膨張に対する警戒意識につながります。それを「モンゴルの襲来」へ転換すれば、この国家意識、警戒意識が解体されていくこと*50になります。

 まあ確かに当時の「元」は「支配領域がほとんど中国(当然、国民もほとんど漢民族)」「文化的に中国化している王朝(中国王朝の一つ)」ですけどトップはチンギス・ハンの子孫ですからねえ。モンゴルで別に問題ないわけです。むしろモンゴルとした方が元とチンギスハンとのつながりとかが分かっていいんじゃないか。
 つうか「元寇でなくてモンゴル襲来だと中国共産党政権の領土侵略(尖閣とか?)に対する警戒が薄れる」て(改めて苦笑)。
 歴史教育てそういうもんじゃないし。そもそも元寇て書いたところでそこから「中国の尖閣侵略が怖い」とか普通思わないし、逆に「モンゴルの襲来」て書いたところで「モンゴルの侵略が怖い」とは誰も思わないでしょうよ。
 大体、今の中国と元時代の中国と全然違うし。「豊臣秀吉朝鮮侵略を教えて日本に対する警戒を高めよう*51」レベルの与太です。
 秀吉時代の日本と今の日本だって当然違うわけです。

【2021年7月30日追記】
 まさか小生のような無名人のブログに「大分たってから」石井氏がコメントするとは思わなかったのでびっくりです。

石井公成
 こんにちわ。「バカ野郎」かつ「学者として人間として評価できる人間じゃない」石井です。拙論をとりあげてくださって、有り難うございます。
(中略)
 なお、私が「超国家主義者たちのような狂信的で危険な聖徳太子礼賛」をやっている「産経の類友」ではないことは、私の太子ブログにおける田中英道批判の記事その他の関連記事、および、日本主義の問題点を論じた私の論文などを読めば明らかだと思うのですが、いかがでしょう。

 まあ、こういう文章には「根は小心者」なのでちょっとびびらざるを得ませんね(苦笑)。今後は悪口するときも気をつけようと思った次第です(改めて苦笑)。
 石井氏がデマを書くわけもないのでたぶん「過去記事のどこかで石井氏を産経の同類と決めつけて悪口した記事」があり、それに石井氏は憤慨してるのでしょう。
 とはいえ、「言い訳になりますが」この記事に限れば

 彼のサイト(http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog)を見れば彼が「産経的『厩戸王』否定論」に対しては、「非科学的」「政治偏向的」「まるで戦前の簑田胸喜」として批判していることは分かります。
 その意味で産経の記事での石井説の利用方法は極めて詐欺的です。
 と同時に石井氏も「産経には批判的」なのだから「私が産経的主張には否定的であることを明記しない限り、産経の支持者と誤解されかねないので、コメント使用しないで欲しい」と釘を刺すべきではなかったか。
 これでは「石井は学問的な物言いしてるけど本当は産経の同類じゃないか」と誤解されかねません。
 いやもしかしたら本当に「同類」なのかもしれませんが。

と書いており、一応、産経とは「同類扱いしていない」つもりです。ただし「産経の右翼的論調を考えれば『取材拒否』が最も賢明な態度であり、取材に応じた石井氏は愚かだ」「取材に応じることで産経の同類と誤解されるリスクや、産経の主張が正しいと誤解されるリスクを冒した」とは思います(これは「この記事を書いた4年前」から今に至るまで、そういう否定的評価です)
 なお、小生はこの問題の専門家ではないので「この問題について必要以上にあれこれ言うことはしません(と言うかそんな能力や資格はありませんが)」が

 文科省の「厩戸王」取り下げは、いろいろな方面からの反対もむろん大きいのでしょうが、その後入手した様々な情報によれば、古代の文献に出てこないという指摘がやはり決め手になったようです。

という石井氏の指摘は失礼ながらおそらく違うでしょうね。
 たとえば、「財務省が安値で国有地を安倍支持者に叩き売った森友学園事件(背任の疑い濃厚)」
「近畿財務局の赤木氏が精神的苦悩から自殺に追い込まれた森友公文書改ざん問題」
「警察官僚が安倍支持者のレイプをもみ消したとされる伊藤詩織さん準強姦もみ消し疑惑(これについては例えば高校生、大学生、警察庁に入庁したばかりの中村格が現在の自分を見たら、ああいうクズにだけはなりたくないと思ったろう - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)」がわかりやすいですが、安倍政権下においては官僚たちは安倍自民の恫喝に屈して彼らの不正に公然と加担しました(こうした「無法の横行」は安倍長期政権の最大の「負の遺産」といっていいでしょう)。
 これは文科官僚も同様で例えば

赤旗自民議員圧力 文科相認める/前川氏授業 市教委への質問 事前に修正2018.3.21
 文部科学省による前川喜平事務次官名古屋市立中学校で行った授業に対する介入問題で、林芳正*52文科相は20日、自民党文科部会長の赤池誠章参院議員(比例代表)と部会長代理の池田佳隆衆院議員(比例東海ブロック)が複数回調査を求めていたことを認めました。同省による市教委への質問が事前に池田氏による内容確認の上で修正されていたことも判明。自民党国会議員による文科省に対する圧力が明らかになりました。

赤旗文科省の前川氏授業調査/自民議員が執拗な要請 電話とメールの間にも/吉良氏「政治介入そのもの」2018.3.24
 調査をめぐっては、自民党文科部会長の赤池誠章参院議員と、部会長代理の池田佳隆衆院議員の働きかけが発端だったことが明らかになっています。同省は、あくまでも「初等中等教育局の判断で行った」と言い張っていますが、赤池、池田両氏の問い合わせなどがあった事実を、報道されるまで隠ぺいしていました。

赤旗価値判断押し付け批判/畑野議員 前川氏授業調査を追及2018.4.5
 この問題では、自民党赤池誠章参院議員と池田佳隆衆院議員が文科省に働きかけていました。

赤旗が報じるように、文科官僚は自民党文教族議員である赤池(第三次安倍内閣文科大臣政務官自民党文科部会長など歴任)や池田(自民党文科部会長代理など歴任)の命令で前川氏に嫌がらせをしています。
 また前川氏は次官退任後、「朝鮮学校無償化除外など違法だと思ったが、自民党に逆らったら左遷されただろう。左遷されたくないので心ならずも無法に加担した」「官僚時代に教育勅語は今でも有効だと答弁したが、そう答弁しろと大臣に命令されて断れなかった。本当は有効だなんて当時から思ってなかった」(俺の要約)と告白しています。
 こうした事実を前提にすれば仮に「厩戸皇子記述撤回」が「結果的に正しい*53」としてもそれは石井氏が強弁するような「学問的検討の結果」ではなく「赤池や池田の『前川に嫌がらせしろ』という命令に従った」ような「安倍自民の恫喝への屈服」でしかないことは明白でしょう。
 そして小生は「仮に結果的に正しい」としてもそのような「無法な恫喝による撤回」を評価する気にはさすがになりません。


【2021年8月5日追記】
 【2021年7月30日追記】以降も石井氏とコメント欄でやりとりしていますので、興味のある方はご覧下さい。現時点では石井氏コメントは8/3、私のコメントは8/4が最後です。
 石井氏はどうも「小生の人間性」を「悪意の持ち主」という目で見ているようですが、小生自身は「石井氏に対する不当な誤解」はあり得たとしても「悪意のデマ中傷」等する気はないことを改めて書いておきます。
 従って、今後、石井氏から何かコメント等があれば、「誠実に対応する気でいます」が、特にコメント等がなければ、「石井氏に対する挑発行為」と誤解され、敵愾心を煽ることになるのも嫌なので、こちらから石井氏について触れることはしません。

*1:小生も経済通ではないので判断は保留します。ただし木内氏のような批判は他にもあるし、「このまま金融緩和を続けていいのか」は甚だ疑問でしょう。

*2:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)を経て幹事長

*3:きちんと教えれば混乱なんかしないしこんなことを言ったら教育内容は一切変えられなくなります。酷い詭弁ですね。

*4:こうした石井氏の指摘の是非については無知のため特に論じません。

*5:そりゃあ「右翼が怖いから土下座しました」「今の安倍政権は右翼に親和的ですし」とは言えないでしょう。

*6:著書『涅槃経の研究:大乗経典の研究方法試論』(1997年、春秋社)

*7:つくる会会長。著書『「自虐史観」の病理』(2000年、文春文庫)、『教科書採択の真相:かくして歴史は歪められる』(2005年、PHP新書)など

*8:著書『「聖徳太子」の誕生』(1999年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『聖徳太子と日本人』(2005年、角川文庫ソフィア)、『天孫降臨の夢:藤原不比等のプロジェクト』(2009年、NHKブックス)、『聖徳太子の真実』(2014年、平凡社ライブラリー)など

*9:歴史に詳しくないので大山説の評価はしません。ウィキペディア聖徳太子」や石井公成氏ブログ(http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog)によれば大山説は多くの研究者に批判されており支持者は少ないようですが。いずれにせよ問題は石井公成氏ブログ(http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog)やウィキペディア聖徳太子』が紹介する諸研究者(上田正昭氏、遠山美都男氏、直木孝次郎氏、森田悌氏)の大山批判のように学問的に議論されるべきで藤岡のように『聖徳太子の抹殺は日本国家を精神的に解体させる』等というのは馬鹿げています。こうした藤岡のような国粋主義的議論については大山説を批判する石井氏も「非学問的」と批判しています。

*10:慶應義塾大学創立者

*11:東京女子大学初代学長、国際連盟事務次長、東京女子経済専門学校(のちの新渡戸文化短期大学)初代校長など歴任。

*12:工部卿、内務卿、宮内卿、首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など歴任。元老の一人。韓国の民族主義者・安重根によって暗殺される。

*13:著書『聖徳太子:実像と伝説の間』(2016年、春秋社)など

*14:菅内閣文科大臣政務官、野田内閣文科副大臣を歴任

*15:第一次安倍内閣厚労大臣政務官、福田、麻生内閣文科副大臣を経て第三次安倍内閣文科相

*16:ただし■次期指導要領で「聖徳太子」復活へ 文科省改定案、「厩戸王」表記で生徒が混乱 「鎖国」も復活(http://www.sankei.com/life/news/170320/lif1703200006-n1.html)によれば右翼連中に迎合or屈服するようなので過大評価はできませんが。なお、右翼連中がこのように騒いでも「河野談話撤回や南京事件否定を公然とはできない」のは「欧米や中韓など国際的批判(特に米国)が安倍ですら恐ろしいから」です。

*17:正確には『厩戸王子(聖徳太子)』という「併記が許されてる」ので併記すれば消えないのですが。「聖徳太子」という単独表記が不可になっただけです。

*18:具体的に誰のことなのか。

*19:つうか脱亜論否定する人はいますが、福沢全否定なんて俺は見たことないですが。少なくとも日本において福沢全否定などメジャーな存在とはとても言えないでしょう。

*20:ただ誰が考えてもそうした福沢批判派は「日本の中国侵略批判派」と言う意味での親中国ではあっても「親中国共産党」では必ずしもないでしょう。

*21:もちろん文科官僚の決定を「反対する理由もない」ので承認しただけでしょうが。

*22:みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会』初代会長。鈴木内閣法相、竹下内閣国土庁長官を歴任。国土庁長官就任後の、1988年(昭和63年)5月9日に衆議院決算委員会で日中戦争について「あの当時日本に侵略の意図は無かった」と発言して批判を浴び、5月13日に国土庁長官を辞任。「国士庁長官」などと揶揄された。

*23:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相などを経て首相

*24:元文部事務次官。初等中等教育局長時代に、道徳教育の導入(1958年)、全国一斉学力テストの実施(1961年)など、自民党政権の意向を受けて右寄りの文教行政を展開し、日教組から「鬼の内藤」「タカ三郎」と批判された。1964年に退官。1965年、右翼宗教団体である立正佼成会モラロジー研究所の支持を取り付け、参院選挙に自民党から全国区で立候補し当選した。

*25:池田内閣官房長官、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*26:鈴木内閣労働相、自民党政調会長(中曽根総裁時代)など歴任。1986年、第3次中曽根内閣で文部大臣に任命されるが、入閣直後に歴史教科書問題に関連して「戦争で人を殺しても殺人(罪)には当てはまらない」「韓国併合は合意の上に形成されたもので、日本だけでなく韓国側にも責任がある」等の対談中の発言が月刊誌『文藝春秋』(1986年10月号)に掲載され、非難された。韓国や中国の反発を憂慮した中曽根首相は、藤尾の自発的な閣僚辞任を求めるが、藤尾が「罷免すればよい」と主張して辞任を拒否したため、中曽根は罷免権を発動し、藤尾を罷免した。

*27:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*28:2008年9月25日に麻生内閣国土交通大臣に就任するが、「成田反対はゴネ得」、「日本は単一民族」、「日教組を解体へ」などの暴言が非難され28日に辞任。また『第二次世界大戦で日本は負けたが八紘一宇を掲げた、その結果としてアジアやアフリカの植民地が独立し、アメリカにもアフリカ系の人々がどんどん入って来るようになった、そして公民権運動が起き、ついにはバラク・オバマアメリカ大統領になった。全て私達の先祖のおかげであり、歴史直視とはこういうこと。従軍慰安婦南京事件などなかった、中韓のでっち上げ。我々(日本維新の会)が平和ボケの日本人を覚醒させる。安倍総理靖国公式参拝すべき』と主張したことがある。

*29:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相などを経て首相

*30:1997年、自民党内の議員連盟日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の設立に参加。経緯について、当時「マルクス・レーニン主義による自虐史観の教育が行われていることに対し、とても看過できないということで、歴史教科書を考える議連をつくった」と述べている。

*31:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房副長官官房長官などを経て首相

*32:もちろん海部俊樹福田赳夫内閣)、有馬朗人(元東大総長、小渕内閣)、遠山敦子(元文科官僚(文化庁長官、トルコ大使など歴任)、小泉内閣)、田中真紀子(野田内閣)などウヨでない面子もいますが

*33:まあこれらもウヨは批判してはいるのですが、一番熱心なのが厩戸王の件です。

*34:単につくる会教科書を「教科書としてふさわしくない」と批判しただけです。

*35:この辺りはよく知りませんので野田氏についてはコメントしません。

*36:神武建国すら事実という産経だとこの点正直、そういう「聖徳太子デマ」の普及をしかねませんが

*37:と言うより産経らウヨの政治的圧力でしかないです。およそ学問的じゃない。

*38:著書『首相になれなかった男たち:井上馨・床次竹二郎・河野一郎』(2014年、吉川弘文館)、『帝国議会:〈戦前民主主義〉の五七年』(2015年、講談社選書メチエ)など

*39:著書『大政翼賛会への道:近衛新体制』(2015年、講談社学術文庫)など

*40:著書『明治新政権の権力構造』(1996年、吉川弘文館

*41:著書『日本書紀の謎を解く:述作者は誰か』(1999年、中公新書)、『日本書紀成立の真実:書き換えの主導者は誰か』(2011年、中央公論新社)など

*42:著書『古事記のひみつ』(2007年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『古事記を旅する』(2011年、文春文庫)、『日本霊異記の世界』(2010年、角川選書)、『古事記を読みなおす』(2010年、ちくま新書)、『風土記の世界』(2016年、岩波新書)など

*43:著書『モンゴル帝国の興亡』(2001年、ちくま新書)、『日本史の誕生』(2008年、ちくま文庫)、『倭国の時代』(2009年、ちくま文庫)など

*44:著書『最後の遊牧帝国ジューンガル部の興亡』(1995年、講談社選書メチエ)、『モンゴルの歴史』(2002年、刀水書房)、『世界史のなかの満洲帝国と日本』(2010年、ワック文庫)、『韓流時代劇と朝鮮史の真実:朝鮮半島をめぐる歴史歪曲の舞台裏』(2013年、扶桑社)、『悲しい歴史の国の韓国人』、『かわいそうな歴史の国の中国人』(以上、2014年、徳間書店)など

*45:著書『壬申の乱』(1996年、中公新書)、『白村江』(1997年、講談社現代新書)、『「日本書紀」はなにを隠してきたか?』、『卑弥呼の正体』(以上、1999年、洋泉社新書)、『彷徨の王権聖武天皇』(1999年、角川選書)、『聖徳太子はなぜ天皇になれなかったのか』(2000年、角川ソフィア文庫)、『天皇誕生』(2001年、中公新書)、『天皇と日本の起源』(2003年、講談社現代新書)、『古代日本の女帝とキサキ』(2005年、角川叢書)、『古代の皇位継承』(2007年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『蘇我氏四代の冤罪を晴らす』(2008年、学研新書)、『天平の三姉妹:聖武皇女の矜持と悲劇』(2010年、中公新書)、『検証平城京の政変と内乱』(2010年、学研新書)、『天智と持統』(2010年、講談社現代新書)、『日本書紀の虚構と史実』(2012年、洋泉社歴史新書y)、『天武天皇の企て:壬申の乱で解く日本書紀』(2014年、角川選書)など

*46:著書『古代日本と朝鮮・中国』(1988年、講談社学術文庫)、『日本神話と古代国家』(1990年、講談社学術文庫)、『日本古代国家の成立』(1996年、講談社学術文庫)、『万葉集と古代史』(2000年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『額田王』(2007年、吉川弘文館人物叢書)、『日本古代史と応神天皇』(2015年、塙書房)など

*47:著書『日本の神話を考える』(1991年、小学館ライブラリー)、『渡来の古代史』(2013年、角川選書)、『私の日本古代史(上)(下)』(2013年、新潮選書)、『日本古代史をいかに学ぶか』(2014年、新潮選書)など

*48:著書『日本古代の駅伝と交通』(2000年、岩田書院)、『王朝政治』(2004年、講談社学術文庫)、『王朝政治と在地社会』(2005年、吉川弘文館)、『天智天皇大化改新』(2009年、同成社)など

*49:なお、一番、ウヨ連中がこだわってるのがこの厩戸王の件です。

*50:それは、裏返せば元寇以降は中国サイドからの日本侵略なんかなかったと言う事ですが。まあ日清戦争で日本が負けてれば話は違ったかも知れませんが、勝った結果、日本が中国侵略を本格化させていきます。

*51:そんな事言ってる韓国人がいるか知りませんが

*52:福田内閣防衛相、麻生内閣経済財政担当相、第二次、第三次安倍内閣農水相、第四次安倍内閣文科相など歴任

*53:もちろん正しいかどうか、素人の俺には解りませんが。