今日の産経&中国&朝鮮・韓国ニュース(2019年6月11日分)(追記あり)

「誤解と不安招き憂慮」“蓄え2000万円”の金融庁報告書で自民・二階幹事長 - 産経ニュース
金融庁報告書「猛省促す」 公明・山口代表が不快感 - 産経ニュース
萩生田氏、「2000万円蓄え」の金融庁報告書は「評価に値しない」 - 産経ニュース
金融庁の報告書 麻生金融相が受け取り拒否「政府のスタンスと異なる」 - 産経ニュース
 政府の報告書であり、当然ながら「金融庁のトップ」麻生*1金融担当相(副総理・財務相兼務)の了解も得てるのに、全てを官僚のせいにするこの無責任発言のオンパレード(特に責任者の麻生が他人事のような発言してるのは論外です)。「麻生をかばうための強弁」でしょうが昔の自民党公明党はここまで酷くなかったような気がします。
 立憲民主・枝野代表 金融庁報告書の受け取り拒否・撤回発言に「あぜん」 - 産経ニュースという枝野氏*2の政府・与党批判は当然すぎるほど当然の話です。


【正論】女性天皇でなく旧宮家の男子を 国士舘大学特任教授・日本大学名誉教授・百地章 - 産経ニュース
 なぜそんなに女帝制度を嫌うのか訳が分かりませんね。既に臣籍降下した連中を皇族に戻した場合、誰しも危惧するのは「竹田JOC会長*3スキャンダル辞任」のようなスキャンダルの炸裂でしょう。臣籍降下時代(?)には明らかに宮内庁の監視なんかないですから。大体臣籍降下した連中がなぜ臣籍降下したかと言えば「天皇との血のつながりが薄い」からでしょうに。


【軍事ワールド】「韓国勝利」の証しを消し去る 中国にへつらう文政権に国民は… (1/5ページ) - 産経ニュース

 韓国政府が朝鮮戦争(1950-53年)時の「勝利の証(あか)し」を消し去ろうとして韓国内で論争が巻き起こっている。舞台は、韓国軍を含む国連軍と中国義勇軍が激突した韓国北東部の「破虜湖」(パロホ)。中国に媚びるためなら歴史改変も厭わない文在寅*4政権に韓国国民は怒りの声をあげるのだが。
 破虜湖の戦いは朝鮮戦争が激戦となった1951年5月26日に起こった。破虜湖は華川(ファチョン)ダム建設によってできた人造湖で、元々の名前は「大鵬湖」だった。
 韓国の歴史では、このダムをめぐって韓国第6師団と中国義勇軍が激戦を展開し、4日間の戦闘で約2万人余の中国部隊を壊滅させ、韓国軍が圧勝したと伝えられている。当時の李承晩(イ・スンマン)韓国大統領は4年後に同湖を訪れ、中国の女真族に対する侮称である「オランケ」(北方の野蛮人の意)を打ち破ったとの意味の「破虜」を湖の名として定めた。
 戦闘から68年も経ったいま、問題となっているのは、この「破虜湖」という名前と、戦闘後の処置だ。
■中国に配慮
 韓国の左派紙「ハンギョレ」(電子版)などでは、戦死した中国兵の遺体をダム湖に投げ捨てたと指摘。夏季で遺体の腐敗から伝染病などの恐れがあったこと、埋葬に必要な人員がいなかったことなどが理由とされるが、結果としてダム湖は「赤く染まった」としている。同紙は左派紙らしく、遺体を適切に埋葬しなかったのはジュネーブ条約違反*5だとしている。
 時は流れ、ダム湖周辺は風光明媚な観光地となり、中国からの観光客も訪れるように。そこで目にするのが、李承晩の揮毫した「破虜湖」の石碑と、いかに中国軍を撃滅したかを示す資料を集めた記念館だ。ここで破虜湖という侮辱的な名前の由来を知った中国人が反感を示すようになった。
 そして今年4月、韓国の地元紙「江原道日報」が、冷戦の象徴である破虜湖の名称変更を政府が地元自治体に要請し、新名称を「大鵬湖」とする案があると報じた。
■保守派の不満
 この一報を機に、韓国では論争が巻き起こった。保守系の韓国紙、朝鮮日報(電子版)は名称変更に反発。「中国は、韓国政府や自治体に『中国の観光客が不快に感じている』として、名前を変えろと要求しているという」と報じ、「破虜湖改名を推進する韓国政府の無知と事大主義」と題したコラムも掲載。韓国軍兵士が勇敢に戦った歴史を隠蔽するとは何事か、という論旨だ。
 韓国保守派の視点では、朝鮮戦争で中国義勇軍の参戦さえなければ米韓軍が勝利し、朝鮮半島は統一されていた。ネットユーザーらも「悲劇の分断国家」にしたのは中国なのに、その中国におべっかを使うように名を変えるのは、悪夢の李氏朝鮮時代の政治「事大」(強いものに従うこと)主義の復活にほかならないと批判が巻き起こった。
 新名称の「大鵬湖」にも批判が集まった。韓国ではこの名は、ダムの建設当時に日本の企業などが命名したとの説がある。第二次大戦前の日本による朝鮮併合時代を全否定する多くの現代韓国人にとっては、改名は中国に媚びるうえ日本の「植民地支配」を認めることになる-といった批判が現地メディアやネット上で噴出しているのだ。

 別に歴史改変ではないですね。「征露丸(昔の名前)」が「日ソ(日露)関係上まずい」として「正露丸」に変わったような話に過ぎません。あるいは「シナ」が今は差別的ニュアンスを持っているがために、最近「シナソバ」「シナチク」とはまず言わないのと同じような話です(「中華そばやラーメン」「メンマ」と呼ぶ)。
 あるいは「トルコ風呂→ソープランド」とか。
 それを「ソ連(ロシア)に媚びるのか!」「中国に媚びるのか!」「トルコに媚びるのか!」と普通の人間は言わない。
 「韓国民は怒りの声」つうのも極めてゆがんだ見方でこんなことで憤激してるのは「韓国の産経」朝鮮日報のような右翼だけです。

【参考:トルコ風呂】

■トルコ風呂(ウィキペディア参照)
 1960年代後半頃より、性風俗店としての「トルコ風呂」は日本で広く通用する言葉になっていた。「トルコ風呂」はさらにしばしば「トルコ」と略して呼ばれ、トルコ風呂で働く女性も「トルコ嬢」と呼ばれていた。「トルコ」という名詞から第一に連想されるものは、中東にある国家よりも、むしろ性風俗店であるかのような状況で、日本に滞在するトルコ人の間では、祖国の名称や伝統文化が性風俗産業と結び付けられて使用されていることに対する憤慨を呼び起こしてきた。
 1981年(昭和56年)から1983年(昭和58年)にかけて、東京大学に留学していたトルコ人留学生、ヌスレット・サンジャクリも「トルコ風呂」の名称にショックを受けた一人である。再来日した1984年(昭和59年)8月に、当時の厚生大臣である渡部恒三*6に「トルコ風呂の名称変更」を直訴するなど、改名運動を行った。また、1983年(昭和58年)まで、新宿区に「大使館」という性風俗店があり、そこが日本電信電話公社の50音別電話帳に「トルコ大使館」と掲載されていたため、渋谷区に駐在している本物の駐日本国トルコ大使館が抗議したこともある。
 この運動はジャーナリストの小池百合子*7(現・東京都知事)の協力を得て、日本のマスコミにも大きく取り上げられた。その結果、1984年10月に横浜市の特殊浴場協会が「トルコ風呂」の名称を用いないことを決定、愛知県と神戸市でも横浜に続いて「トルコ風呂」の名称が撤廃された。
 東京都特殊浴場協会は新しい名称を一般公募し、1984年12月19日に赤坂プリンスホテルで会見を行い、新たな名称である『ソープランド』を発表した。

【参考:正露丸

製品ヒストリー|正露丸・セイロガン糖衣A ブランドサイト|大幸薬品株式会社
1949年(昭和24年)
■「忠勇征露丸」から「中島正露丸」に名称変更
 国際関係上、ロシアを征するという意味の名称はよくないということで、「征」を「正」に改めました。

もとをたどれば:大幸薬品 正露丸 日露戦争に従軍 大戦後「正」に - 毎日新聞
 大幸薬品の「正露丸」は1902年の発売から100年以上が経過するが、有効成分はほとんど変わっていない。日露戦争(1904~05年)では日本軍の軍薬として使用された。当時、衛生環境は劣悪で病死する兵士が多かった。対応策として、下痢や感染症などに効くとされたこの薬をロシアを征伐する「征露丸」として携帯したという。第二次世界大戦後の46年、現在の柴田高社長の祖父、音治郎氏が業者から製造販売権を得て、大幸薬品の前身の会社を現在の社名に変更。薬名はより平和的な「正露丸」とした。

正露丸|家庭薬ロングセラー物語|日本家庭薬協会
 商品名は、日露戦争開戦前という時代背景から、ロシア(露国)を征伐することと、将兵の士気高揚の意味を併せて命名されたと言われています。

正露丸ウィキペディア参照)
 「征露」という言葉はロシアを征伐するという意味で、日露戦争当時の流行語であった。
 第二次世界大戦終結後、国際信義上「征」の字を使うことは好ましくないとの行政指導があり、「正露丸」と改められた。

【参考終わり】

 文在寅氏が金元鳳*8(キム・ウォンボン)なる人物を「韓国軍のルーツ」と肯定的に評価する演説を行い、保守系自由韓国党などの野党が一斉に批判した。金元鳳氏は日本併合時代の独立運動で臨時政府の軍司令官などを努めた人物。問題は戦後にある。
 金元鳳氏は第二次大戦の数年後に北朝鮮にわたり、労働相など政権幹部として長年働いた北朝鮮側の要人。そして文氏が演説した6日は、朝鮮戦争での戦死者を追悼する「顕忠日」で、演説場所はソウルの国立顕忠院(軍人向けの国立墓地*9)。よりにもよって追悼演説で、韓国軍と死闘を繰り広げた北朝鮮の要人を「韓国軍のルーツ」と言うのだから、保守派の反発も無理はない。

 「韓国軍のルーツの一つ(勿論全てではない)」は間違いではないでしょう。もちろん文氏も「単なる歴史的事実の指摘」をしたわけではなく、「南北融和を進展させるための発言」で、だからこそ韓国右翼が憤激するわけですが。


【産経抄】6月11日 - 産経ニュース

 阿部昭井上光晴佐藤愛子…。昭和38年下半期の芥川賞候補には、後に大活躍する作家の名前がいくつも見える。私のところに来るはずはない。高をくくっていたおせいさん、いや田辺聖子さんが『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)』で受賞してしまった。

 なお、このうち、佐藤愛子は、昭和44年上半期に『戦いすんで日が暮れて』(現在、講談社文庫)で直木賞を受賞しています。

 受賞は別の意味でも田辺さんの人生を変えた。同じ期の直木賞の候補者だった女性作家と友達になり、作家はまもなく幼い子供を残して亡くなった。田辺さんがその夫と結婚する顛末(てんまつ)は、NHKの朝ドラ「芋たこなんきん」で広く知られる。

 ウィキペディア田辺聖子」によれば、「川野彰子」という作家だそうです。

 「武力を保つには節操はいらないが、節操を保つには武力がいる」。
 小紙に寄せた自衛隊についての論考で見つけた。

 まあこれだけでは田辺の考えは分かりませんね。「非武装中立論」でない限り、「何らかの武力」は護憲派でも認めるわけです。
 そして「武力を保つには節操はいらない」と田辺が言うように「武力を持つ者が節操がある」とは限らず、「節操のない武力」は危険でもある。
 しかしそうした「節操」について産経のような改憲右翼が自覚してるようにはとても思えません。

【追記】
【浪速風】自衛隊を災害時の「男手」と表現した田辺聖子さんの至言 - 産経ニュース
 産経の田辺への扱いが酷すぎますね。小説家なのに小説そっちのけで「自衛隊応援団」のようにずっと描き続けるわけですから。まあ田辺が産経が描くようなウヨ(大阪の曾野綾子?)なのかどうかは知りませんが。


男系皇位継承安定へ 自民有志が「護る会」近く発足 - 産経ニュース

 発起人は鬼木誠*10、高木啓、長尾敬の各衆院議員と青山繁晴山田宏参院議員の5人。

 メンツを見て吹き出しました。全員「大物とは言いがたい」&「トンデモ極右議員」ばかりですので。


【主張】香港で最大デモ 「一国二制度」を守り抜け - 産経ニュース

 習氏は、20カ国・地域首脳会議(G20サミット)出席のため今月来日する。安倍晋三首相は、香港への強い関心を習氏に直接表明することで世界の良識と歩調を合わせるべきだ。

 まあ今から断言していいと思いますが、安倍はそんなことしないでしょうし、そんな安倍を産経も非難しないでしょう。

*1:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相。現在、第二~四次安倍内閣副総理・財務相

*2:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)などを経て立憲民主党代表

*3:竹田JOC会長は「元皇族・竹田宮恒徳王の三男」です。

*4:盧武鉉政権大統領秘書室長、「共に民主党」代表を経て大統領

*5:いや左派とか関係ないでしょうよ。本当にジュネーブ条約違反なら、遺骨を回収して遺族に引き渡すべき話でしょう。

*6:中曽根内閣厚生相、海部内閣自治相・国家公安委員長、宮沢内閣通産相衆院副議長など歴任

*7:小泉内閣環境相、第一次安倍内閣防衛相、自民党総務会長(谷垣総裁時代)を経て都知事

*8:1898~1958年。義烈団・朝鮮義勇隊で活動し、大韓民国臨時政府の光復軍副司令官となる。日本の敗戦後、1948年に民主主義民族戦線などで活動しながら、金奎植(大韓民国臨時政府で外相、文相を歴任。朝鮮戦争時に北朝鮮に渡り(ただし韓国は拉致と主張)1950年に病死)・金九(大韓民国臨時政府で内務相、大統領を歴任。1949年に李承晩派によって暗殺された)などと共に南北連席会議に出席した後、韓国に戻らず、北朝鮮に残留。北朝鮮社会主義政権が樹立された後は、国家検閲相、労働相、朝鮮労働党中央委員、最高人民会議常任委員会副委員長などを歴任した(ウィキペディア「金元鳳」参照)。

*9:自衛戦争でない「ベトナム戦争戦死者」も埋葬されているため、近年では韓国左派から「韓国の靖国」という批判が出ているようです。

*10:第3次安倍内閣環境大臣政務官