常岡浩介&黒井文太郎に突っ込む(2022年1月31日分)

黒井文太郎
 石原慎太郎さんが昔、盟友のベニグノ・アキノを獄中から救出するために、日本の右翼から資金を引っ張って元自衛官グループにを組織し、フィリピンの刑務所襲撃を計画させた話、エモい。劇画みたいな話なのですが、大物右翼の実名書いてるので話自体は実話という

 「石原の与太話」として一部(アンチ石原や石原シンパ)で有名な話です。おそらくそんな事実はないでしょう。
 「荒木和博」の「自衛隊拉致被害者救出」並に無謀です。

ベニグノ・アキノ・ジュニア - Wikipedia
 1972年、マルコス大統領がフィリピン全土に戒厳令を敷き、反政府側の危険人物とされたベニグノ・アキノは「政府転覆の陰謀と武器の不法所持、殺人」の容疑で逮捕・投獄された。アキノは1977年に死刑を宣告されたが、国民に人気のあるアキノを処刑することはできず、マルコスは1980年に「アメリカで手術を受けさせる」という名目で、アキノをフィリピンから追放した。
◆暗殺
 1983年、アキノはフィリピン帰国を決意。
 8月21日、フィリピン軍兵士たちが厳重に警戒にあたっていたマニラ国際空港にアキノが到着。機内には、アキノ帰国を取材するために多くの取材陣が同乗しており、テレビカメラによる撮影もされていた。そこへ3人の兵士が旅客機に乗り込み、アキノを機外へと連れ出した。アキノはその後、頭を撃たれて即死した。アキノ最期の言葉は、飛行機を降りる直前に同行していた記者に言った「必ず何かが起こるから、ビデオカメラを回し続けておいてくれ」だった。
 事件後にフィリピン政府は、「アキノ氏は空港警備員を装った男によって射殺され、その場で犯人は射殺された」「事件は政府や軍部とは無関係の、フィリピン共産党傘下ゲリラ組織「新人民軍」のロランド・ガルマンなる人物の単独犯行である」と発表した。
 TBSは、事件から1週間後の8月28日に、報道番組『JNN報道特集』で「アキノ白昼の暗殺」と題した特別番組を放送した(1984年度日本新聞協会賞を受賞)。この番組では撮影した事件映像を基に、フィリピン政府発表の矛盾点をあぶり出した。
 また、暗殺に使われた銃はガルマンが持っていたとされるリボルバーではなく、フィリピン兵士が携帯するコルト・ガバメントであったことが日本音響研究所鈴木松美による発砲音鑑定により確認されている。さらに鈴木が航空機のジェットエンジンのノイズを除去した音声を分析したところ、アキノを連行した兵士たちが「アコナ(俺がやる)」「プシラ(撃て)」と発砲直前に叫んでいたことが判明し、鈴木はこれをフィリピンの法廷で証言した。アキノ暗殺は、反マルコスの機運を爆発させることになった。
 親米のフィリピン全土が内乱状態に陥る事態は、アメリカも望んでおらず、レーガン米国大統領もマルコスに対し、暗殺の責任があるといって非難するようになったが、後に国外亡命したマルコスをハワイ州に迎え入れている。
 アキノは、今日でも根強い人気を誇っており、彼が暗殺されたマニラ国際空港は「ニノイ・アキノ国際空港」と改称された。

ということで、「赤字部分」でわかるように、石原の与太は「1970年代の話」ですが、石原はこの時期

石原慎太郎 - Wikipedia
◆1972年12月の衆院議員総選挙に旧東京2区から無所属で立候補し当選。1975年4月の東京都知事選に立候補するが落選。1976年12月の衆院議員総選挙に自民党公認で立候補し、国政復帰。選挙後に発足した福田赳夫内閣で環境庁長官として初入閣。

ですからねえ。そんな時期に黒井が言うような「暴挙」をやるわけがないでしょう。こんな与太を「事実であるかのように紹介する黒井」も呆れたバカです。
 まあ、ありうるとしたら「アキノの国外追放」が「欧米や日本の圧力」でしょうね(その場合の「日本の圧力」は勿論「日本政府」であって「当時は一チンピラ議員にすぎない石原」ではない)。
 なお、ググったところ、黒井の言う大物右翼とは

河野一郎*1邸焼き討ち事件(1963年)
経団連襲撃事件(1977年)

の「野村秋介」のようです。
 そういえば以前、別記事「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(10/11分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログで触れましたが「野村とフィリピン」といえば

拘束されたカメラマンを右翼が救出 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 石川さんの口から救出に尽力してくれた恩人として名前が挙げられたのは、笹川氏の他、元三代目山口組直系組長の黒澤明氏、民族派右翼の野村秋介氏、「石川重弘君を救う会会長」は人権弁護士で山口組代理人でもあった遠藤誠氏。

マニラで会ったヤバイ人たち - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 1986年3月、石川さんが解放され、マニラの日本大使館で会見が行われた。
 解放の功労者として表に立ったのは笹川氏だったが、実際に交渉に当たったのは、元山口組の大幹部、黒澤明氏と民族派右翼の野村秋介氏とされる。

なんて話があります。

常岡浩介*2リツイート
◆黒井文太郎*3
 畏れ多いですが、ありがとうございます!
◆福田充*4
 当時の世界のインテリジェンス活動に対する、現地取材とオシント、ヒューミントの相互作用で培った黒井さんの取材と分析は、それまで日本では大学でも研究や教育が出来なかったインテリジェンスの分野をジャーナリズムの観点から明らかにした素晴らしいものだったと思います。

福田充
 少なくとも僕は民主主義に資する「ジャーナリズム」の理想、価値を磨き上げるべきだと考えているので、そのジャーナリズムを実践する「ジャーナリスト」を尊称・敬称の意味で使っていますよ。
 黒井さんはその意味では僕にとっては「ジャーナリスト」なんですよ。インテリジェンス・アナリストに近い。

 黒井なんざ「学問的」云々以前にジャーナリスト、ライター(物書き)としてもまともに世間に評価されてないと思いますが、福田某も随分持ち上げるもんです。しかも黒井の取材と分析に関して「5W1H:黒井が誰(Who)をいつ(When)取材して何(What)を明らかにしたのかなど」について、福田ツイートが具体性皆無なところが笑えます。
 とはいえ、福田よりも馬鹿馬鹿しいのは「自分の言葉で黒井を褒めずにリツイートで片付ける常岡(これでも黒井にこびてるつもりなのでしょうが)」ですが(苦笑)。
 どっちにしろこんなのは「産経・阿比留の安倍礼賛」のような「客観性ゼロの身内ほめ」で滑稽でしかない。
 しかし常岡も昨今では「こびへつらう相手」は何故かもっぱら黒井になったようです。
 なお、福田は「危機管理が専門だと自称する日大教授」ですが、「所属大学・日大」が「危機管理」に見事に失敗して「田中理事長(当時)が背任で東京地検特捜部に逮捕されたあげく」、文科省から「ガバナンスが論外」と批判されて「補助金(私学助成)を全面カットされたこと」を「危機管理とか偉そうなこと抜かしてるけどお前の大学はそれに失敗してんじゃん。お前、恥ずかしくねえの?」と馬鹿にされたら何と答えるんですかね(苦笑)。
 「危機管理」福田のツイートを見ても「所属大学の危機」について何一つツイートせず「ウクライナ危機ガー」というのが実に滑稽です。

*1:鳩山内閣農林相、岸内閣経済企画庁長官、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣農林相、建設相、副総理・五輪担当相、佐藤内閣副総理・スポーツ担当相など歴任

*2:著書『ロシア 語られない戦争:チェチェンゲリラ従軍記』(2011年、アスキー新書)、『イスラム国とは何か』(2015年、旬報社)など

*3:著書『イスラムのテロリスト』(2001年、講談社+α新書)、『世界のテロリスト』(2002年、講談社+α文庫)、『北朝鮮に備える軍事学』(2006年、講談社+α新書)、『日本の情報機関』(2007年、講談社+α新書)、『ビンラディン抹殺指令』(2011年、洋泉社新書y)、『イスラム国の正体』(2014年、ベスト新書)、『地図と写真で読む 「イスラム国」の全貌』(2015年、TAC出版)、『イスラム国「世界同時テロ」』(2016年、ベスト新書)、『新型コロナで激変する日本防衛と世界情勢』(2020年、秀和システム)、『教養としての「軍事戦略家」大全』(2020年、宝島社新書)、『超地政学で読み解く! 激動の世界情勢 タブーの地図帳』(2021年、宝島社)。当初講談社から著書を出していた黒井(元・講談社社員)が「今は出せないこと」が哀れみを感じさせます。

*4:日本大学教授。著書『メディアとテロリズム』(2009年、新潮新書)、『テロとインテリジェンス:覇権国家アメリカのジレンマ』(2010年、慶應義塾大学出版会)、『リスク・コミュニケーションとメディア』(2010年、北樹出版)、『リスクコミュニケーション』(2022年、平凡社新書)など