「反党裏切り分子」松竹伸幸に今日も悪口する(2024年1/21日分)(副題:「パルタイ」はもはや死語だと思う)

◆松竹関係ツイート

kumamasa
◆松竹さんは、社会変革にエネルギーを使うより、何年かかるかわからない法廷闘争に力を注ぐ様だ。「新党作れ」という声もあるのに。国民の苦難軽減より、除名撤回の方が大切なのかな。確かに除名は党員にとっては死刑判決に等しいものではあるが。松竹さんのやろうとしてる事ずれてる。
◆もし勝って復党したら地域支部に入るんだろう。勝ったからって「松竹理論」が認められた訳じゃないから綱領も規約も変わらない。まだ裁判闘争の方針も決まっていない様だが。第一裁判費用があるのかも疑問(余計なお世話だが)。

 全く同感なのでメモ。多分「除名撤回」と同時並行で「政治活動」なんてことはしないのでしょうね。


◆松竹版「暴れん坊将軍
 どうでもいいがふと
マツケンサンバ松平健のサンバ)」ならぬ「マツケンロンパ竹の法九条論を党が論破)」
→「論破、ビバ、論破、マツケン論破」
「うつけ者め、余の顔を見忘れたか!」ならぬ「うつけ者め、党規約と綱領を見忘れたか!(赤旗規約と綱領からの逸脱は明らか/――松竹伸幸氏の一連の言動について/赤旗編集局次長 藤田健(2023.1.21)の『党規約をまったく理解していない』『松竹氏は、長い間党に在籍しながら、綱領を真剣に学んだことがあるのでしょうか』、松竹伸幸氏の除名処分再審査についての報告/副委員長 山下芳生(2024.1.17)の『松竹氏の主張は、綱領をまったく理解していないもの』と言った批判は概ね、そういう内容)」
というのを思いついたのでメモしておく。
 で党に批判された松竹と類友(鈴木元など)の対応が

徳川吉宗「うつけ者。余の顔を見忘れたか」: なんじぇいスタジアム@なんJまとめの改変
C 「上様でも構わぬ」→「志位委員長(当時、現・議長)の批判でも構わぬ」
I 「我ら幕臣*1あっての上様ではないか」→「我ら党員(松竹や鈴木)あっての志位委員長ではないか」
→「お前(暴れん坊将軍の悪役一味、松竹とその類友)は不良幕臣(不良党員)だろ、幕臣代表(党員代表)じゃねえだろ、ふざけんな」の批判が該当
L 「笑止千万」
P 「腹を切るべきは拙者ではなく、上様である」→「除名されるべきは拙者(松竹や鈴木)ではなく、志位委員長である」
T「何をほざくか吉宗」→ 「何をほざくか志位」

だからどうしようもない。


連作短歌への反響 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
 反響と言ったところで松竹記事に「いつもの顔ぶれの松竹支持者(シンパ)」が賛同コメントをつけただけで世間的に話題になってる訳では全くない。「松竹と支持者」が狭い空間で「お互い盛り上がってるだけの馬鹿話」です。
 なお、短歌の作者ですが

まひる会」同人
千葉県松戸市在住・大葉清隆

だそうです。
 「大葉清隆」でググったらヒットした

年越し派遣村 ボランティア奮闘記 村民ほとんど「保険証ない…」 – 全日本民医連2009.2.2
・大葉清隆(代々木病院事務長)

全日病厚生会の委員会と第8回病院のあり方委員会 | 安藤たかお 公式ブログ*22012.11.17
医療法人財団東京勤労者医療会*3みさと協立病院事務長の大葉清隆

と同一人物なんですかね。いずれにせよ、そんなに松竹が素晴らしい(党執行部が間違ってる)と思うのならとっとと離党して松竹と一緒に新党でも作ったらどうなんですかね。「党に在籍すること」は義務じゃないんですが。
 なお、以上は「土方歳三」名義で、松竹記事に投稿しますが「いつものように」掲載拒否でしょう。よくもそれで「自由な言論」と抜かせたモンです。心底呆れます。


連作短歌のテーマは「離党」へ | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba

 「まひる野」という歌誌があって、昨年6月、「除名」という連作短歌が掲載されたことを紹介*4した。今年の第1号が刊行され、同じ作者が「パルタイの月」と題する連作短歌を投稿している。

 「だから何?」ですね。
「松竹に同調し、党を敵視する輩」がそうした「党を非難する短歌」を作り、そうした短歌を掲載することに躊躇ない「反党分子が編集する短歌雑誌(勿論、日本において短歌雑誌など社会的影響力は皆無)」に掲載されたから何がどうだというのか?。

パルタイ」とはご存じのように、「党」のドイツ語である。

 「ご存じのように」ねえ(苦笑)。後述しますが「パルタイ(英語のパーティー(政党)にあたる)」はもはや「死語」でしょう。

*コラム*【バンカラ日記/2日目】日本語?ドイツ語?旧制高等学校スラング集 | 旧制高等学校記念館
 【スラング】とは「ある階層・社会だけで用いる言葉。卑言。俗語」という意味です。
 実はこのようなスラング旧制高等学校にも存在していたんです!
 特徴としてはドイツ語を元にした言葉が多いです。これは第一外国語、第二外国語としてドイツ語を学ぶ学生が多かったことが影響しています。
◆トリンケン*5:飲酒
◆リーベ*6:恋人 
◆ジンゲル*7:芸者  
◆ハルプ*8:半玉*9(芸者見習い)
◆ベガッテン:性行為。「ベガる」という風にも使った。
◆シュライベン:自慰行為。元々は「書く」というドイツ語だが、「書く」と「マスをかく」をかけている。

ドイツ語学習のおすすめ(小坂光一*10
 1960年代の学生用語はまだドイツ語からの造語がたくさんありました。いわゆる「和製ドイツ語」が頻繁に使われていました。「ドッペる」(落第する、留年する、不合格になる)、「ゲルピン*11」(無一文)、「シャン」(美人だ)、「ウンシャン*12」(美人でない)、「バックシャン*13」(後ろ姿が美しい)、「トテシャン*14」(とても美人だ)、「メッチェン*15」(ギャル、女の子)、「キッセン」(キスする)などですが、今ではすでになじみのない単語になっているかもしれませんね。これらは今ではほとんどが英語からの造語に移行してしまっています。「ドッペる」→「ダブる」、「メッチェン」→「ギャル」、「キッセン」→「キス」のように。

医学書院/医学界新聞【〔連載〕教養としての医者語(9)】(第2699号 2006年9月18日)
 昔の学生用語で再試験(追試)のことをビーコンと呼んでいた。これはドイツ語の動詞wieder-kommen(ヴィーダーコンメン:帰って来る、再び来る)を略して作られた和製独語。「点数が足りず不合格だから出直して来い!」という意味だ。

NHKオンデマンド | 梅ちゃん先生 28回 もつべきものは、友
 医専は期末試験。梅子(堀北真希*16)は懸命に取り組むが、結果は「ビーコン」。「ビーコン」とは再試験のことだが、どこかのんびりしていた梅子に、衝撃の事実が知らされる。学制の変更により、(ボーガス注:大学医学部に移行できなかった医専(医学専門学校)については廃止されるため)梅子が再試験にも落第すれば、退学になるという事実。大慌ての梅子は、弥生(徳永えり*17)らの手助けを借り、再試験に向けて猛勉強する。

ビーコン、ガンバレ梅ちゃん先生 | ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院
 今日の朝ドラで「ビーコン」という言葉が出てきました。
 懐かしー、何年ぶりに聴いただろう。
 ドラマでも解説してましたが「ビーコン」とは「Wieder kommen」からの造語で「wieder(独)=again、再び」「kommen(独)=come、来る」で「再びいらっしゃい」で「再試」を意味する学生の隠語である。

 上で紹介した記事で分かるように「特定の世代(1955年生まれの松竹もそうか?)」においてはドイツ語は一般的でしょうが最近の人間はそうではないでしょう。「上記の和製ドイツ語(?)」のほとんどはもはや死語でしょう。俺もほとんど知りません。
 勿論一方では「アルバイト」「カルテ」などのように今も使われる和製ドイツ語もありますが(「アルバイト」はドイツ語では「労働」と言う意味で、和製ドイツ語の「パートタイム労働」と言う意味ではない。「カルテ」もドイツ語では「カード」の意味にすぎず和製ドイツ語の「診察記録」と言う意味ではない)。
 「パルタイ」でググる

パルタイ - Wikipedia参照
 倉橋由美子(1935~2005年)の短編小説。1959年当時、明治大学大学院生であった倉橋が、第4回明治大学学長賞への応募作品として執筆し入選するが、その存在を世間に広めたのが明治大学教授で文芸評論家の平野謙*18(1907~1978年)である。平野が『毎日新聞文芸時評欄で本作を推奨したことを契機に『文學界』(文藝春秋)1960年3月号に転載され、1960年上半期の芥川賞候補(なお、この時の受賞作は北杜夫(1927~2011年)の『夜と霧の隅で』)に推挙されたほか、 1960年の女流文学者賞*19を受賞する(但しこの時は芝木好子*20湯葉』 も受賞)などの反響を巻き起こした。

がヒット(倉橋小説において「パルタイ日本共産党」)しますがこれもかなり昔の話です。
 しかも倉橋は「カフカカミュの影響を受けた特異な作風(倉橋由美子 - Wikipedia参照)」ということで「金田一耕助横溝正史」「鬼平犯科帳池波正太郎」等と違い「世間受けする作家でもない(文学ファンはともかく、一般的な知名度は低い)」ですしねえ。
 松竹にとって「ブログの想定読者」は「松竹と同年配かそれ以上」の「高齢者」なのかもしれませんが「パルタイ」なんてもはや「共産党に利害関係も興味関心もない人間」は勿論「産経などの反共右翼」「公安警察、公安検察、公安調査庁の職員」「共産党支持者(党員、後援会員、サポーターなど)」だって「年配者」以外にはもはや死語ではないか。
 なお「パルタイ=パーティー(英語)」で「自民党=LDP(以下、全て英語略称)」「社民党=SDP」「日本共産党JCP」等の「P=パーティー=政党」ですね。
 最後に松竹記事についたコメントに言及。

20代
 松竹さんのやりたいことができる政党はすでにあって、社民党ではないかと思ったのですが、いかがでしょうか。社民党に入党なさって、党首選に立候補し、かつての日本社会党のような大きな政党を取り戻し、共産党とも平和的に共闘を行う。これを実践できれば、松竹さんが正しかったと共産党中央も反省するでしょう。

 上記のコメントが本心か「松竹への当てこすり、嫌み、皮肉」かはともかく、松竹の安保政策は共産どころか「社民党と比べても右寄り」であり、あの男が入党すべきは「立民、国民民主、維新のどれか」でしょう。というか松竹が「自分に自信がある」なら何も既成の政党に入らずとも「社会党を離党し民社党を作った西尾末広*21」「社会党を離党し社民連を作った江田三郎*22」「日本新党を作った細川護熙」「自民党を離党し新党さきがけを作った武村正義*23」「社会党を離党し新社会党を作った矢田部理」「自民党を離党し国民新党を作った亀井静香*24ら」「自民党を離党しみんなの党を作った渡辺喜美*25」「維新を作った橋下徹*26」「れいわ新選組を作った山本太郎」「国民民主党を離党し、無償会を作った前原誠司*27」等(これらの多くは失敗し党が消滅しましたが)のように「松竹新党」を作ればいいだけの話です。
 勿論「新党を作るだけの覚悟(勇気)がない」「能力もない」「人望もない」「世間的な知名度も人気もない」、あるのは「無駄に高いプライド」「松竹の意見を批判する志位議長への深い憎悪や嫉妬」「ごく少数の松竹支持者(シンパ)」だけの松竹とそんな松竹を讃えるしか能がない「松竹の類友(松竹支持者)」にはそんな考えはおそらく「かけらもない」わけですが(呆)。連中も「偉そうなこと」を抜かしてても全く「無様な話」です。
 なお、以上は「土方歳三」名義で、松竹記事に投稿しますが「いつものように」掲載拒否でしょう。よくもそれで「自由な言論」と抜かせたモンです。心底呆れます。
 なお、話が脱線しますが松尾貴史(1960年生まれ)の旧芸名「キッチュ」もドイツ語で「まがいもの、粗悪品、俗悪趣味」を意味します(松尾貴史 - Wikipedia参照)。まあ「キッチュ」を知ってる人ももはや少ないでしょうが。
【参考:和製ドイツ語】

ドイツ語由来の身近な日本語を紹介【和製ドイツ語】 | ドイツ語学習スクール「Vollmond (フォルモント)」の公式サイト
Arbeit アルバイト
【日本語での意味】アルバイト
【ドイツ語での意味】仕事(フルタイム)
 日本語のバイトが本業とは別の仕事(通常はパートタイム)を指すのに対し、ドイツ語のArbeitは、基本的には本業の仕事や、仕事という行為そのものを指します。
Karte カルテ
【日本語での意味】病院のカルテ
【ドイツ語での意味】カード
 ドイツ語ではただ単に「カード」を意味します。
Gelände ゲレンデ
【日本語での意味】スキーの練習場
【ドイツ語での意味】自然の地形・景観が残る土地
 日本語で意味を描写するのが少し難しいですが、Gelände=スキーとは限らないと覚えておいてもらえたら大丈夫です。

日本語になったドイツ語の外来語一覧【語源・由来】 | ごがくねこ
ボンベ Bombe
 ボンベはドイツ語で「爆弾」を意味するBombeに由来します。日本では高圧の気体や液体を入れるための耐圧容器のことを指します。ドイツ語の耐圧容器はgasflascheです。

ドイツ語由来のかっこいい単語40個を総まとめ!「アルバイト」も「ドッペルゲンガー」も実はドイツ語!| Tandemランゲージエクスチェンジ ブログ
ゲネプロ(Generalprobe)
 舞台の通し稽古を意味する「ゲネプロ」はドイツ語の「Generalprobe(ゲネラルプローベ)」の略です。

アルバイトはいつ誕生した?、学生アルバイトの歴史といま
 アルバイトについて、『アルバイトの誕生:学生と労働の社会史*28』を執筆した教育社会学者・岩田弘三さん*29にお話を伺いました。
◆インタビュアー
 「アルバイト」は日本でどのように始まったのでしょうか?
◆岩田
 「アルバイト」は終戦後間もない1940年代後半に、日本で一般的に使われ始めた言葉です。戦前期には「内職*30」と呼ばれていましたが、戦後に「アルバイト」が「パートタイムの仕事」、つまり「定職とはみなせない仕事に従事すること、とくに副業を糧にお金を稼ぐこと」を表すようになりました。
 しかし、由来となっているドイツ語の「アルバイト」は、本来「常勤の労働・職業」や「研究」を意味しています。日本では、戦後に「定職とはみなせない仕事に従事すること」などの異なる意味で定着し、いまに至っているのです。
◆インタビュアー
 なぜ意味が変わったのでしょうか?
◆岩田
 当時、アルバイトをしていた大学生の置かれていた状況が関係しています。高等教育(大学・短大・高等専門学校)への進学率は1955年時点で10.1%にすぎず、大学生はごく少数のエリートだったといえます。しかし終戦後の混乱のなかで生きていくためには、エリートとしての自負をかなぐり捨てて、不本意ながらも学業のかたわらで仕事に従事せざるを得なかった。これにより、みじめな気持ちになった学生は多かったと思われます。そこで、「アルバイト」という言葉が使われるようになりました。語感がカタカナ文字で明るく(中略)自分のモチベーションを高めていた面があったと考えています。
◆インタビュアー
 一部のエリートがするものだった「アルバイト」は、その後どのように広がっていきましたか?
◆岩田
 戦後すぐの時代には、なんとか大学に通うためにやむを得ずアルバイトに従事していました。しかし、1950年代後半以降には「小遣い稼ぎ」のためのアルバイトが増えていきました。「家庭からの給付のみで修学可能」な学生、つまり経済的には必ずしも働かなくてもいい層の学生がアルバイトをし始めたのです。
 特に1970年代以降には授業期間中の経常的アルバイト従事者の比率が増え、アルバイトが日常化していきました。学生側と企業側の両方にその要因がありました。
 学生側は、進学率が上昇し、大学が一部のエリートのものではなくなっていきました。学業以外の活動に興味・関心を持つ学生の割合が高まり、学業以外の活動のためにアルバイトでお金を稼ぐ学生が増えていったのです。具体的には、カメラ、ステレオ、バイク、ギターなどの耐久消費財ブーム。そして、高度経済成長にともなう余暇・レジャーブームです。学生たちは、遊びのためにアルバイトでお金を稼ぐ必要があったのです。1960年代後半になって、アルバイト雇用企業の数は急激に増加しています。高度経済成長期の若年労働力不足を背景とし、アルバイトが「代替労働」となっていきました。代替労働とは、本当は正社員を雇用したい企業が、社会全体での人手不足の影響を受けて叶わず、やむを得ず正社員の不足分をアルバイトで代替することです。
 1970年代には、外資系店舗の日本展開をきっかけとして、アルバイト雇用を前提とする経営が出現し始めました。ファストフード店コンビニエンスストア、スーパーマーケットにおける店員、レジ係などがそれに当たります。1980年代に入るとファミリーレストランなども登場し、急激に事業を拡大していきました。これらの業種では、正社員の雇用をアルバイトに置き換えることによって人件費を削減し、商品の価格を低く抑え、売上・利益を伸ばすという経営戦略を採用していました。このような方針は同業他社だけでなく、他の業種へも浸透していきました。
 つまり、「消極的アルバイト雇用」から「積極的アルバイト雇用」への転換があったのです。正社員が足りないためにやむを得ずアルバイトで労働力を確保していた時代の「消極的アルバイト雇用」が終わり、多くのアルバイト雇用を前提とする「積極的アルバイト雇用」が主流となり、現在に至ります。 

 このように日本は一時期「ドイツ語」が旧制高校や大学を中心に広く普及していました。
 それは

「ハニートラップ」なんてことで、そのような歴史の話を解釈するのはよろしくない(半藤一利氏って、こんなトンデモだったのという気がする)(上) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 日本は歴史的にドイツから強く影響を受けていました。大日本帝国憲法ビスマルクほかドイツ帝国の強い影響をうけて制定されたのはいうまでもないし、統治体系などもいろいろドイツを参考にしています。プロイセンによるドイツ帝国成立と明治維新はだいたい同じ時期でしたから、新生日本としてもいろいろ参考にできることが多かった。理数系でも、当時は、エリート医師はドイツに留学したものです。新しい1000円札の肖像となる北里柴三郎森鷗外斎藤茂吉などもドイツ留学(茂吉は、オーストリアでも留学)したわけです。文学なども、当時はゲーテなどは日本では今日など比較にならないくらい影響があったし、その影響は、今日でも大学の第二外国語でドイツ語が筆頭であるあたりにもうかがえます。獨協大学は、獨逸学協会学校を起源としているくらいです。そうであれば、当時の海軍軍人たちがドイツにあこがれ、またいろいろと日本の模範にと考えたことは何ら不自然な話ではないわけです。

という事実を前提としていました。

*1:悪役が幕臣(旗本や譜代大名など徳川氏の家臣)の場合(親藩徳川御三家)、外様大名の場合はこれに当たらない)

*2:筆者の安藤高夫は以下のような人物。「1959年生まれ。1989年、父の忠夫(医療法人永生会理事長)が死去し、医療法人永生会理事長に就任。2010年7月11日、参院選比例代表から民主党公認で出馬するも落選。2017年、衆院選比例東京ブロックから自民党で出馬し当選。2021年6月3日、東京9区の菅原一秀公選法違反疑惑を理由に辞職。9月28日、自民党は、菅原の後任に安藤を選任。10月31日の衆院選では立民党の山岸一生に敗れ、比例復活もかなわず落選。2023年7月19日、自民党は次期衆院選で東京都第28区に安藤を擁立すると発表」(安藤高夫 - Wikipedia参照)

*3:代々木病院」「東葛病院(千葉県流山市)」「みさと協立病院(埼玉県三郷市)」等の運営母体。東京民主医療機関連合会(東京民医連)の加盟団体の一つ(東京勤労者医療会 - Wikipedia参照)

*4:この松竹記事については拙記事「反党分子」松竹伸幸に今日も悪口する(2023年6/29日分) - bogus-simotukareのブログで批判しました。

*5:英語だとドリンキング

*6:英語だとラバー

*7:英語のシンガー(歌手)にあたるがそれが転じて芸者を指すようになったとされる。

*8:英語のハーフに当たる

*9:玉代(芸者に払う金)」が一人前の芸者の半分であったことに由来する

*10:名古屋大学名誉教授。著書『マニュアル・ドイツ語ABC』(1992年、郁文堂)、『応用言語科学としての日独語対照研究』(1992年、同学社)、『ドイツ語で話してみよう!』(2000年、同学社)

*11:ゲルト(ドイツ語で金)がピンチの意味

*12:「ウン」は英語の「アンチ」にあたる

*13:「バック(後ろ姿)だけシャン(美人)=前から見ると普通か不美人」と言う意味。

*14:「とてもシャン(美人)」の略か?

*15:英語の「メイデン」にあたる

*16:1988年生まれ。2005年、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』での演技が高く評価され、日本アカデミー賞新人俳優賞など、各種の映画賞を受賞。2012年上半期のNHK連続テレビ小説梅ちゃん先生』でヒロイン役を務め、同年の『NHK紅白歌合戦』では、紅組の司会を務めた。2015年8月22日、2009年にドラマ『アタシんちの男子』(フジテレビ)の共演で知り合い、2010年のスペシャルドラマ『わが家の歴史』(フジテレビ)、2015年の舞台『嵐が丘』で相手役として共演を重ねた俳優の山本耕史(1976年生まれ)と結婚したことを所属事務所を通して発表。2017年3月1日、家庭に専念するため「芸能界を引退」と所属事務所が発表し現在まで活動休止状態(堀北真希 - Wikipedia参照)

*17:1988年生まれ。中学2年生の時、「第7回ピチモデルオーディション」(2002年後期)で準グランプリを獲得、主催の『ピチレモン』(学習研究社(現学研プラス))誌で読者モデルとして活躍。2004年、『放課後。』(フジテレビ)で女優デビュー。2010年、映画『春との旅』で毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞と日本映画批評家大賞新人女優賞を受賞(徳永えり - Wikipedia参照)

*18:著書『芸術と実生活』、『島崎藤村』(以上、2001年、岩波現代文庫)等

*19:1946年から1960年まで、女性作家の優れた作品に贈られた文学賞。1961年に中央公論社に引き継がれ、女流文学賞と改名。2001年から婦人公論文芸賞に、2006年から中央公論文芸賞に改名(2006年以降、男性作家も受賞対象となり2006年受賞者は男性作家の浅田次郎)(女流文学者賞 - Wikipedia女流文学賞 - Wikipedia婦人公論文芸賞 - Wikipedia中央公論文芸賞 - Wikipedia 参照)

*20:1914~1991年。戦時下の築地青果市場を舞台に家運再興の為懸命に生きる八重の姿を描く『青果の市』で1942年に芥川賞受賞。1983年、日本芸術院会員、1989年、文化功労者芝木好子 - Wikipedia参照)

*21:社会党書記長、片山内閣官房長官、芦田内閣副総理を経て民社党委員長

*22:社会党書記長、副委員長を経て社民連委員長

*23:細川内閣官房長官、村山内閣蔵相を歴任

*24:村山内閣運輸相、橋本内閣建設相、自民党政調会長(小渕、森総裁時代)、国民新党代表、鳩山、菅内閣金融等担当相など歴任

*25:第一次安倍、福田内閣行革等担当相

*26:大阪府知事大阪市長を歴任

*27:鳩山内閣国交相菅内閣外相、野田内閣国家戦略担当相、民進党代表、国民民主党代表代行等を経て無償会代表

*28:2021年、平凡社新書

*29:武蔵野大学教授。著書『近代日本の大学教授職』(2011年、玉川大学出版部)等

*30:勿論現在も「内職」と言う言葉はありますが、それは「アルバイト一般(戦前の用語法)」ではなく「請負業者から仕事を請け負って、自宅で行う就業(内職 - Wikipedia参照:なお、多くの場合、単価が安いのでアルバイト同様、副業であることが多い)」と言う意味に変化しています。「自宅外でのアルバイト」は「内職」とは呼ばない。