チャンネルAJER「救い、守り、創る」茂木弘道さん|荒木和博ARAKI, Kazuhiro
今回のゲストは茂木弘道さん*1です。日中戦争は宣伝戦で中国に負けたこと、日本側の失敗である「蒋介石政権を相手にせず」など、歴史を見直してお話しいただきました。
「金正日、金正恩政権を相手にせず」で拉致を膠着状態にしてるクズ野郎共がよくも日本側の失敗である「蒋介石政権を相手にせず」などと言えたもんです。
しかも戦前日本の場合「判断は完全に間違っていました」が軍事的に蒋介石を打倒できると思ったから「相手にしないこと(和平交渉しないこと)」にした。
荒木らの場合「そもそも日朝国交正常化妨害のために拉致を持ち出してるだけ。拉致を解決する気などない(だから北朝鮮との外交交渉に反対する)」のだから「戦前日本」の方がまだ「ある意味まし」です。
日中戦争は宣伝戦で中国に負けたことですが、「日本が正しかったのに中国政府(蒋介石政権)のネガキャンで英米が中国政府を支持した(そして蒋介石を軍事支援したり、日本に経済制裁したりした)から戦争に負けた」という「いつものウヨの居直り」です。
なお、「荒木や茂木らウヨの居直りは論外」ですが、確かに「中国の宣伝戦の勝利」と言う面は確かにありました。
これについては以下を紹介しておきます。
小林英夫『日中戦争』から一部引用
「軍事力」において圧倒的優勢だったはずの日本軍が、なぜ「日中戦争」に敗れたのか。
一般には、「中国大陸の広大さ」がその理由に挙げられます。どんな大兵力を動員しても、広大な大陸の中では、日本軍は「点と線」しか確保できなかった。そして奥地重慶に逃げ込んだ蒋介石を捉えることは、軍事的にも不可能だった。そのような説明です。
しかしそれは、「日中戦争」の一面でしかありません。最終的には中国は、国際世論を味方につけ、連合国の力を借りることにより、戦争に勝利しています。中国が諸外国を味方につけた「外交力」、あるいは「宣伝力」の強力さを、無視することはできないでしょう。
日本は、「ハードパワー」に頼り、短期の「殲滅戦」で戦争に勝利しようとしました。一方中国は、戦争を「消耗戦」に持ち込み、「ソフトパワー」により形勢逆転を目指しました。
日本軍は南京を陥落させ、さらに徐州・漢口も占領しました。しかし「ハードパワー」による短期決着を目指した日本軍の目論見は外れ、蒋介石は遠く重慶に逃げ込んで抗戦を続けます。
かくして、戦争は「持久戦」となります。しかし中国には、自らの力で勝利を勝ち取る力はありません。そこで中国は、「ソフトパワー」の発揮により反撃に転じようとします。
実際の話、(ボーガス注:米国政府が対日制裁に踏み切らない)初期においてすら、「当時のアメリカ国民の意識調査では、中国に同情する者は七十四パーセントを占め、日本に同情する者は二パーセントにすぎなかった」(黄仁宇『蒋介石:マクロヒストリー史観から読む蒋介石日記*2』P177)という状況でした。小林英夫*3『日中戦争*4』
期待を裏切られた蒋介石は、しかし、すぐに次の行動に着手した。日本からの生糸・雑貨輸入と、日本への石油・くず鉄輸出で日本の貿易・産業の命脈を握るアメリカに焦点を合わせ、外交ロビー活動を積極的に展開したのである。(P135)
アメリカが対日貿易制裁に踏み切れば、外貨獲得と戦略物資供給の両方を遮断できて、日本を兵糧攻めで締め上げることが可能となる。それを見越して、アメリカに照準を合わせたのだ。(P135-P136)その一方で中国は、米国世論を味方につけるための「宣伝戦」にも力を入れていきます。
小林英夫『日中戦争』
そのために一九三七年七月、「宣伝という武器は実に飛行機や戦車と同じ」と主張する薫顕光*5の建議を容れて、軍事委員会第五部(宣伝担当)の副部長に董を据え、親中派の外国人を組織してアメリカを舞台の中心に国際宣伝活動を展開した。これには蒋介石みずから直接責任者となって、豊富な資金を投入する力の入れようだつた。
彼らは、経済学者で親中活動家だったハリー・プライスを中心に「日本の侵略に加担しないアメリカ委員会」 (ACNPJA) を組織し、ニューヨークに事務所を構えて活動した。
アメリカの世論を大きく変え、アメリカが対日経済制裁を政策化するうえで、この活動が果たした役割は大きい(土田哲夫*6「中国抗日戦略と対米『国民外交工作』」『重慶国民政府史の研究*7』 ) 。(P136)
また、ニューヨーク・タイムズの記事も、一九三七年の時点では日中に対し中立の立場で記事を書いているが、三八年夏頃から明らかに中国寄りに変わっていく。
見出しの言葉も、当初は日本が中国の領土を「併合」(annexation) と表現していたのが、三八年に入ると次第に「侵略者」(invader)、「侵略」(aggression)が使われはじめ、日本を「敵」(Enemy)と書くことさえあった。それに比例して、中国の勝利をたたえる記事が増加していったのである。(P136-P137)
さらには、三七年十月、「ライフ」誌に掲載された一葉の写真がもたらした効果も大きい。それは、日本軍の爆撃で破壊された上海駅で泣き叫ぶ赤ん坊の写真だった。アメリカだけでなく世界の新聞に配信されたこの写真は世界中の人々の同情を誘い、反日運動のポスターにも使用された ( 『従軍カメラマンの戦争*8』 ) 。(P137)このような中国側の「ソフトパワー」の発揮は、米国などからの大規模な物資支援、あるいは日本に対する石油禁輸措置などの形で、少しずつ成果を挙げていきます。そして打つ手がなくなった日本は、英米戦争という「狂気の選択」に追い込まれることになります。
結局のところ、「ハードパワー」で圧倒的劣勢にあった中国は、「ソフトパワー」で世界を味方につけたことにより、日本に対して逆転勝利を収めることになりました。
余談ですが、小林氏は、国際社会において中国側の「ソフトパワー」を増大させてしまった事例として、「南京事件」を挙げています。逆に日本にとっては、手痛い「失策」でした。
*1:『新しい歴史教科書をつくる会』副会長。『史実を世界に発信する会』代表。『南京事件の真実を検証する会』監事。著書『戦争を仕掛けた中国になぜ謝らなければならないのだ!:日中戦争は中国が起こした』(2015年、自由社ブックレット)、『大東亜戦争・日本は「勝利の方程式」を持っていた』(2018年、ハート出版)、『日中戦争・真逆の真相:誰が仕掛け、なぜ拡大し、どこが協力したのか?』(2024年、ハート出版)等
*3:早稲田大学名誉教授。著書『大東亜共栄圏』(1988年、岩波ブックレット)、『日本軍政下のアジア:「大東亜共栄圏」と軍票』(1993年、岩波新書)、『満鉄』(1996年、吉川弘文館)、『日本のアジア侵略』(1998年、山川出版社世界史リブレット)、『戦後アジアと日本企業』(2001年、岩波新書)、『日中戦争と汪兆銘』(2003年、吉川弘文館)、『満州と自民党』(2005年、新潮新書)、『満鉄調査部』(2005年、平凡社新書→2015年、講談社学術文庫)、『BRICsの底力』(2008年、ちくま新書)、『〈満洲〉の歴史』(2008年、講談社現代新書)、『ノモンハン事件』(2009年、平凡社新書)、『日本の迷走はいつから始まったのか』(2011年、小学館101新書)、『満鉄が生んだ日本型経済システム』(2012年、教育評論社)、『関東軍とは何だったのか』(2015年、KADOKAWA)、『甘粕正彦と李香蘭:満映という舞台』(2015年、勉誠出版)、『満洲国を産んだ蛇:関東州と満鉄附属地』(2023年、KADOKAWA)等
*4:2007年、講談社現代新書→2024年、講談社学術文庫
*5:1887~1971年。戦前、国民党の国際宣伝活動で活躍。戦後、台湾(中華民国)政府の駐日大使、駐米大使等を歴任(董顕光 - Wikipedia参照)
*8:1993年、新潮社