紙屋研究所に突っ込む(2025年9/2日分)(追記あり)

共産党6中総をする前に - 神谷貴行のブログ
 もともと紙屋研究所に突っ込む(2025年8/27日分)(追記あり) - bogus-simotukareのブログに書いていたのですが長くなったのでこちらに移しました。
 興味深いのは松竹も紙屋も「こうすれば党勢拡大」などとはもはや言えず「全党的な議論を」などの抽象的な話しか出来ないことです。
 事実上、神谷や松竹が自分たちの政治主張の無力さを認めたといっていいでしょう。

 (ボーガス注:今回の参院選でどういう理由で何党に投票したのか、過去の衆院選参院選とは投票先が違うのかなど、)広く市民に対して「調査」を行うべきです。

 まあ私見ですが、可能ならやるべきでしょうね。とはいえ共産以外の与野党もそんなことはまずやってないでしょうし、やらない理由は単純に「実施が困難だから」でしょうが。ということで「無理にやる必要も無い」かと思います。
 それにしてもこの理屈だと「党首公選とか、安保論(日米安保堅持)とか、紙屋さんや松竹さんが主張してた、党勢拡大のための党改革論って市民に対する調査が根拠なんですか?。その改革論を実施すると共産を支持すると答える市民が沢山居たんですか?。違いますよね。あなた方の、ただの個人的な思いつきですよね」という突っ込みを確実に招くと思いますが、その辺りどう考えてるんですかね?。もしかして何も考えてないのか?
 紙屋において「データ」云々、「アンケート」云々とは「党は市民アンケートなどデータに基づいて議論すべきだと思うがそうしてるのか?」と党に悪口するとき「だけ」の話で「私(紙屋)や松竹氏は政策を議論する場合、アンケートなどデータに基づいて議論しています。例えば松竹さんと一緒に党首公選、日米安保堅持云々を主張したのは市民アンケートが根拠です」という話ではないのか?。
 おそらく党首公選、日米安保堅持云々で「アンケート調査などデータに基づいた話」など紙屋や松竹はしてないでしょうから「党非難するときだけアンケートやデータ云々が出てくるという、ご都合主義で自分勝手なでたらめな話」なんでしょう。

 党外有識者100人に聞き取りを行い

 そもそも有識者とやらが「正しい結論を出せる保証」はどこにもないし、一体、誰がどういう基準でその有識者とやらを選ぶのかと言う問題もあるのでこんなことはする必要は無いでしょう。そもそも有識者は勿論「100人以上居ます」し。
 例えば有識者も「自民党、維新、国民民主寄りの右派」と「共産、社民寄りの左派」では選挙分析も当然変わるでしょう。
 なお、紙屋の言う「党外」が「党員」のみを意味するのか、「党員プラス後援会員、サポーター」を意味するのか、「広く党支持者を含むのか(「志位氏と対談した」などの程度まで含むのか)」不明ですが、仮に聞き取るとして、別に「党内を除く必要は無い」かと思います。
 問題は「党内か党外か」ではなく「有識者として信用できるかどうか」でしょう。まあ、そもそも既に書いたように誰がどういう基準でその有識者とやらを選ぶのかと言う問題もあるので俺はこの聞き取りには否定的考えですが。

 公明党がサブチャンネルでやっているような選挙プランナー(松田馨氏*1

 松田のようなプランナーは「広報宣伝が下手くそ」という宣伝技術のことしか言わないのでむしろ有害でしょう。まあ、松田は政策には興味が無いのでしょうし、公明も政策には下手に突っ込みを入れて欲しくはないのでしょうが。

・批判的意見も歓迎します。
・誹謗中傷の類は時間をおいて削除します。繰り返される場合はコメントを禁止します。

 今まで無かった「誹謗中傷は削除」「コメント禁止」云々がついに登場しました。「自由な言論」と抜かして,党に悪口していた紙屋ですが「紙屋の本性は独裁体質、お山の大将体質であること」がついに露呈したと言うべきでしょう。
 批判コメントを根拠もなく「誹謗中傷」呼ばわりして削除し、あげくは「コメント禁止」にすることが予想されます。多分その場合の「紙屋がコメント禁止で排除する候補の一人」は「批判コメントを投稿する」俺なのでしょうが。
 なお、上記は紙屋記事に投稿し、以下のコメントがありました。

chocolate
 「今後の党の総括のあり方」について、私はbogusさんの意見に同意します。
 多様な意見を広く聞く姿勢はもちろん大切ですが、そうした外部の意見に縛られてしまうような手法は当事者の主体的対応をスポイルしてしまう危険性が高いと思います。
 神谷さん。せっかくコメント欄を設定されているのなら、あなた自身の意見を返された方が有意義なものになると思いますよ。(ただし、ブログ上の意見の往復は、大抵の場合双方の主張のぶつけ合いに終始し、議論は収斂していきません。批判的コメントを発する人もその部分をわきまえてやり取りができたら、双方にとって意味ある意見交換になるんじゃないかなと夢想しています。) 

 赤字部分のコメントを見ても紙屋は、俺にもチョコレート氏にも応答せず、無視するでしょうね。賛同コメント以外は応答しない「狭量な人格」が紙屋だと俺は理解しています。
【追記その1】
 予想通り「気が向いたときだけコメント」「一個人なんだから組織じゃないんだから過剰な期待するな」「そもそもコメントを読む義務もないと思う(つまり賛同コメント以外は読んでないと事実上認めてる)」と堂々と言って恥じない紙屋の「不誠実さ」「政治センスの無さ」には呆れますね。
 「気が向いたとき=賛同コメントだけにコメントする。批判コメントは無視する」の言い換えでしかないでしょうし。
 しかも「松竹さんだって同じ対応だ」てそんなことが言い訳になると思ってるのか。
 「松竹の対応だって自分勝手で酷い」つうだけの話でしょうに。こりゃ「党支持層」は勿論「不支持層」だって1)アンチ共産か、2)松竹、紙屋ファンでもない限り

・党に誠実な対応を求めるくせに、自分らは「気が向いたときだけコメント」と堂々と公言するとか、どんだけ自分勝手で不誠実なの?
 「組織じゃなくて個人だから大目に見ろ」「俺だって家事育児、裁判とかいろいろやることがある」とか言い訳するくらいならコメントしなさいよ。
 「正確なコメントするには時間がかかる」て誰も100点満点のコメントなんか求めてないし、間違ったコメントしたらその時点で訂正したらいいでしょ。大体「紙屋さんのこの主張はどういう意味ですか?」とかその程度の質問にすら答えられないの?
・立場上、そんなことが許されないからコメントしてる、つう面があるけど記者会見でそんな態度取る政治家は普通いないよね。あえて言えば「その指摘は当たらない」等の「菅論法」(菅義偉・新首相が名セリフ、「問題ない」「その指摘は当たらない」「仮定の質問には答えられない」「個別の事案には答えを差し控える」だけで答弁することを期待する。 - 村野瀬玲奈の秘書課広報室参照)、「次の質問どうぞ」(河野外相:例えば「次の質問どうぞ」 河野氏、北方領土交渉で回答拒否連発 | 毎日新聞(2018.12.12)がそれに該当するか。自分らが菅や河野と同レベルの対応してるって自覚ないの?。菅や河野だって支持者いるし、選挙で当選するけど、あんたら(紙屋や松竹)の支持者ってぶっちゃけその程度の「低レベルな連中」でしょ?。しかもあなたらの支持者ってどう見ても「あんたらが批判する共産」「不誠実答弁の菅や河野」と比べて目茶苦茶少ないし。

と呆れるでしょう。というか上記は俺の感想ですが。
 しかし

 私の対応と基本点は似ている、とは思いましたが、はるかにていねいでエネルギッシュなように思います。

ねえ。「俺の投稿コメント」を掲載拒否して恥じない(ちなみに chocolate氏も掲載拒否されてるとのこと)松竹の対応がそんな代物とはとても思えません。本心というよりは「松竹の方が紙屋より上の立場」「紙屋は絶対に松竹批判が出来ない」「紙屋には松竹礼賛しか出来ない」んでしょうね。党を悪口する紙屋が「松竹に絶対服従する姿」はグロテスク、醜悪としか言いようがないですね。

 私は共産党の幹部たちによる暴力(ハラスメント)によって精神疾患にされ、現在も通院・服薬をせざるを得なくなっており、そのことを公表しています。
 私がそうした人間であることを重々承知であるにもかかわらず、そうした私に甘え、私についての侮辱や私の名誉を毀損する表現を行なっているコメントなどに対しては、私は許すつもりは毛頭ありません。コメントの多くが真っ当な批判でも、そのような攻撃を私は決して許していません。
 仮にそのようなコメントがあって、私が削除していないからといってそれは私の「許容」を意味しません。
単に時間が取れずに、あるいはエネルギーがなく、削除をしていないだけです。
 削除、警告、出禁をするのをルールとし、時間が経ってからでも行おうと思いますが、それ自体が私には大きな負担です。すでに精神疾患に苦しんでいる人間にこのような攻撃を累積していくことは許されざる暴力だと感じています。そのようなコメントは「表現の自由」でもなんでもないのです。そのことは拙著でも表明している一貫した立場です。徹底的に戦います。
 そのような行為には、法的な措置も含めて対応されるという代償を払う結果になるであろうことを、この際厳しく警告しておきます。

 「気の向いたときだけコメント」と堂々と公言したあげくにこれです。「ついに批判コメント封じの恫喝が始まったか」ですね。
 以前は、「コメント掲載許可はアメブロ公式がやってる、俺じゃない」とモロバレの嘘をつきながら、俺の批判コメントを掲載拒否する松竹よりは紙屋の方がまだましと思っていましたが、何があったのか、突然、こうした「恫喝」を始める紙屋の方が「むしろ松竹より酷いかも?」ですね。
 精神疾患云々、精神的負担云々を、コメント拒否の言い訳にするのなら、そもそもブログを書くべきじゃないんじゃないですかね。あるいは今からでもコメント欄を削除したらどうか。
 というか「精神疾患を批判封じのネタにしてんじゃねえよ。精神疾患を持ち出せば何でも許されると思ってるのか?」と呆れます。
 大体、こんなことを書きながら「家登みろく氏」への「いわゆる、こんな連中(こん連)」による個人攻撃を紙屋が事実上、容認してるのも「何だかなあ」ですし。「家登氏は精神疾患で通院してない」とでも言い訳するんでしょうか?
 「そんなに自分だけが大事なの?」と言いたくなりますが「精神疾患でつらいので、他人のことまで配慮できない」と言い訳でしょうか? 
 しかしこれ、紙屋記事に投稿しますが、投稿したら「誹謗中傷」扱いで「後で削除」ですかね。どうでしょう。
【追記その2】

chocolate
 コメント投稿をしたことで裁判沙汰となっては私は困りますから、あなたの許容基準を「松竹さんブログ」を題材として確認したいと思います。
 以下に2点の題材を示します。あなたの判断を仰ぎたいと思います。
(中略)
 ①・➁について、あなたの判断をお答えください。(あなたの貴重な時間を取らせてしまい恐縮に思いますが、私だって裁判沙汰になるのはイヤです。)
 「訴訟レベルだ」という判定なら、私は以後あなたのブログ内容に対しコメントは致しません。

 正直、 chocolate氏が危惧するように、「訴訟云々」と公然と恫喝する神谷の記事には「自己防衛」「トラブル回避」のために、今後はコメントせず、自ブログ(このブログですが)だけで神谷批判しようか?、と思っています。
 なお、断言していいでしょうが、神谷は chocolate氏の質問には応答しないでしょう。
 何せ、「気が向いたら投稿コメントに応答する」「投稿コメントに応答する義務はない」「裁判対応とかで忙しい。日常生活で、このブログだけやってるわけじゃない」などとコメントに応答しないことについて、言い訳しまくってますからね。しかも chocolate氏に対して、うかつ(?)な応答をすれば松竹批判になって、松竹との関係が悪化する恐れがある。紙屋にとって「いかなる形でも松竹批判は出来ない」でしょうから。
 結局紙屋は何も回答せず「この程度のことにすら回答しないなんて、やはり訴訟云々は恫喝だったのか?(恫喝だから回答しないのか?)」「紙屋とトラブルになるのはご免被る。紙屋氏が好意的コメントで自ブログを埋め尽くしたいならそうすればいい」で chocolate氏も紙屋記事にはコメントしなくなるのではないか。
 俺も今では「紙屋の身勝手さが不愉快」だが「批判コメントして紙屋とトラブルになるのはご免被る。紙屋氏が好意的コメントで自ブログを埋め尽くしたいならそうすればいい」と思っています。過去の俺の「紙屋記事へのコメント」は今更どうにもなりませんが「紙屋が俺のコメントを削除したいなら削除すればいい(但し裁判はノーサンキュー、今後紙屋記事にはコメントしないので削除で決着して欲しい)」と思っています。ということで俺は今後紙屋記事にはコメントしないでしょう。このブログで紙屋批判記事は書くと思いますが。
 しかし紙屋と言い、松竹と言い「党に向かって悪口雑言しながら」、自分たちは「批判拒否」(松竹は批判コメント掲載拒否、紙屋は応答拒否、あげく最近は『誹謗コメントには法的措置も考える』と恫喝)なんだからいい度胸です。まあ、その結果が「マスコミにも野党各党にも相手にされない今の紙屋や松竹の惨状」「一部のシンパにしか相手にされない今の紙屋や松竹の惨状」ではあるでしょうが。
 紙屋や松竹がどんなに放言しようとも彼らは最大与党・自民、最大野党・立民どころか、「彼らが悪口する共産」と比べても「少数の支持者」しかおらず、政治的影響力も皆無でしょう。

*1:著書『残念な政治家を選ばない技術:「選挙リテラシー」入門』 (2016年、光文社新書)等