紙屋研究所を批判する(2025年9/10分)

『正典(カノン)で殴る読書術 「日本共産党独習指定文献」再読のすすめ』を出します - 紙屋研究所
 「カノンで殴る」に何か掛詞の意味があるのかはともかく、「正典で殴る」は「正拳で殴る(正拳突き - Wikipedia参照)」とかけてる(あまり面白いと思いませんが)のでしょうがそれはさておき。
 「やはり版元は、松竹のかもがわ出版なのか?」が正直な感想です。
 過去には

オタクコミュニスト超絶マンガ評論』(2007年、築地書館
『“町内会”は義務ですか?』(2014年、小学館新書)
『どこまでやるか、町内会』(2017年、ポプラ新書*1
『マンガの「超」リアリズム』(2018年、花伝社)

と「かもがわ以外からも本を出した紙屋*2」ですが「あまり売れなかったのかしら?」「結局大言壮語しても世間にあまり評価されてないのかしら?」「だから最後は松竹のかもがわに頼るのかしら?」が正直な感想です。
 なお、俺個人は
1)神谷を評価してない
2)そもそも「安保廃止、憲法九条擁護、軍拡反対など平和主義」「新自由主義反対(弱者切り捨て反対)」「脱原発」「天皇制廃止」などが支持理由であって、マルクス主義を理由に共産支持ではない
ということで

【以下は紙屋記事に貼り付けられた紙屋著書の表紙による】
エンゲルス『空想から科学へ』*3、『フォイエルバッハ論』
エンゲルスマルクス共産党宣言
マルクス『ゴータ綱領批判』、『資本論
レーニン『国家と革命』、『唯物論と経験批判論』、『なにをなすべきか?』

など「過去のマルクス主義文献(勿論、『紙屋が取り上げたマルクスエンゲルスレーニン限定』でも、紙屋があげた以外にも、マルクス『賃金、価格、利潤』、『哲学の貧困』、『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』、エンゲルスイングランドにおける労働者階級の状態』、『エルフルト綱領批判』、『家族・私有財産・国家の起源』*4、『自然の弁証法*5、『反デューリング論』、レーニン帝国主義論』、『哲学ノート』など、マルクス主義文献はあります(カール・マルクス - Wikipediaフリードリヒ・エンゲルス - Wikipediaウラジーミル・レーニン - Wikipedia参照)し、紙屋のセレクト理由は分かりませんが)」をもとに「紙屋が党に悪口雑言してるらしいこの本(タイトルの『殴る』とは悪口雑言の意味でしょう)」を読む気は全くありません。
 私見ですが「殴る」という表現は「党に悪口雑言かよ、しかもそれを隠す気も無いのかよ。むしろアピールするのかよ。下品すぎねえか。読む気が失せる」という評価を「紙屋ファン、アンチ共産党」以外(党員、後援会員、サポーターなど、党支持者を当然含むが、それ以外も含む)に感じさせ、不適切では無かったか?


組織をどう根本的に見直すか、見直しまではどうするのか - 神谷貴行のブログ
 主張の是非はともかく*6、そんなに自分に自信があるのなら、紙屋は、共産に「上から目線」で説教してないで「社会党を離党して新社会党を作った矢田部理新社会党初代委員長)」などのように自分らで新党でも作ればいいのに、とは思います。
 まあ、作る能力も覚悟もないのでしょうが。共産党を良くしたいわけでも、日本の政治を良くしたいわけでもなく、「共産党に悪口して憂さ晴らししたいだけ」だがさすがに正直にそう言ってしまうと「あまりにも無様」なので「共産党の改革」を公言してるだけでしょう。
 「段階的帰国になぜか反対し、即時一括全員帰国に固執する」「なぜか平壌に常駐事務所を設置することに反対する」「蓮池透氏(拉致被害者蓮池薫氏の兄、元家族会事務局長)を家族会から除名して敵視する」など「拉致解決に逆行する」奇妙な言動が多く「北朝鮮への恨みを晴らしたい」としか思えない「拉致被害者家族会」を連想させる紙屋や松竹の言動です。
 しかしそんな本心はモロバレなので、党からも相手にされないだけでなく、野党各党やマスコミなど「党以外から」もほとんど相手にされない(勿論、紙屋らの主張の是非はともかく、党内に支持者がまるでおらず、何か言っても党が受け入れる可能性は皆無なので野党各党やマスコミなど「党以外」も相手にしないという面はあるでしょうが)。
 正直「党内に支持者がまるでおらず、何か言っても党が受け入れる可能性は皆無」なのに新党も作らず「僕の考えた理想の共産党の活動方針」を云々するというのは「僕の考えた方針を受け入れないから選挙で勝てないんだ」などの悪口(そして憂さ晴らし)をするための「前振り」としか俺には理解できませんね。
 ある意味哀れな男です。
 なお、紙屋記事の内、一部についてのみ「思いついたコメント」を適当に書きます*7が、「続けるのが辛いのでは良くない。無理のない範囲での活動」「楽しい活動にしたい」(紙屋記事の一部要約)は一面の真理ですが、「一面の真理」でしかないでしょう。
 別に「政党活動」などしてなくても「学校(小中高大学)の勉強や部活動」「会社の活動」「地域の活動」など、社会的な活動は全て「楽なことばかりではない」。
 というか「毎日の衣食住(家事)」「育児」「介護」「趣味のサークル」といった私的活動だって「楽なことばかりではない」。
 「何を作るか考えて、スーパーで食材買ってきて作る」にせよ「『孤独のグルメ』のように外食する」にせよ,食事には「それなりに手間がかかる」。
 自宅に掃除機かけるのだって、風呂掃除するのだって、庭の草むしりだって、何だってそれなりに手間がかかる。そうした手間が「常に楽しいか」といったらそんなことはない。
 子育てだって上手くいけば嬉しいが、子どもが熱を出したり、トラブルになれば辛いこともあるわけです。場合によっては育児ノイローゼとか、児童虐待とかいうことになる。
 「趣味のサークル」だって「それなりに上達したい」と思えば、「努力の苦しみ」は不可避です。
 以上のことは「皆さん言わなくても分かるかと思います」。
 つまり「楽しい活動」「無理のない範囲の活動」を下手に強調すると「楽なことしかしない」「成果がすぐ出ることしかしない」という「本末転倒なこと」になりかねない。
 しかし「楽なことしかしない」「成果がすぐ出ることしかしない」のでは「企業の営業」であれ「共産の活動」であれ何であれ「本質を外してる」ことになる。大事なことは当然ながら「成果がすぐ出る」とは限りません。
 一方で極端な話「企業の営業」であれ「共産の活動」であれ何であれ「無茶苦茶なノルマを上から強要する」「周囲の支援がまるでない(孤独感に苦しんでる)」など「無茶苦茶な辛さ」があってもまずいのも確かです。
 その点、どういう整理をすればいいのか、俺もよく分かりませんが。
 なお、「紙の赤旗を廃止すべきだ(全て電子版にすべきだ)」と連呼する紙屋(ちなみに松竹も同様の主張)ですが、主張の是非はともかく、「赤旗」10億円募金に6.8億円/ひきつづきご協力をお願いします(2025.8.13)を考えるにそうした主張の支持はどう見ても少ないとみるべきでしょう。
 そもそも

◆月刊論座(紙媒体、2008年9月休刊)を辞めてウェブ論座に移行(朝日新聞
→但し、ウェブ論座も2023年2月に終了。後継サイトとしてRe:Ron(リロン)- 朝日新聞社の言論サイトを2023年4月から開始
◆月刊現代(紙媒体、2008年12月休刊)を出すのを辞めて現代ビジネス | 講談社に移行(講談社

など「電子に完全に移行(論座、月刊現代のような月刊オピニオン誌でこのパターンが多い?*8)」のパターンも一部にはありますが、「朝日、読売、毎日、日経、産経(全国紙)」「北海道新聞東京新聞西日本新聞(地方紙)」「週刊新潮、文春(週刊誌)」など「マスコミ各社」とて電子版を開始しても「紙を並行して出してるところがほとんど」で「紙を廃止したところ」など「非常に少数」であり適切な方針か疑問です。赤旗のような日刊紙で「紙を廃止したところ」が果たしてどれほどあるのか?
 そもそも紙を廃止したら「ネット環境がない人間」は赤旗が読めなくなりますしね。

*1:昔は児童図書だけだったポプラ社が新書まで出すようになったかとある種の感慨があります。

*2:とはいえ小学館ポプラ社は大手ですが、築地書館、花伝社はマイナー出版社です。

*3:これについては不破哲三社会主義入門:「空想から科学へ」百年』(1983年、新日本出版社)がある

*4:これについては不破哲三『講座「家族、私有財産および国家の起源入門」』(1983年、新日本出版社)がある

*5:これについては不破哲三『自然の弁証法エンゲルスの足跡をたどる』(1988年、新日本出版社)がある。

*6:正直、部外者の俺は共産について「組織論」を述べられるほどの知識も無ければ興味も無いですが。これは共産に限りません。他の政党であれ、企業であれ、何であれ「組織論」を述べられるほどの知識も無ければ興味も無いですね。

*7:コメントしてない部分は「知識が無い」等でコメントできないだけであり、紙屋意見に賛同してるわけでは必ずしもありません。

*8:一方で勿論「月刊正論(扶桑社)」「月刊世界(岩波書店)」「月刊前衛(日本共産党)」「月刊地平(地平社)」「月刊中央公論中央公論新社)」など紙媒体の月刊オピニオン誌も一方ではあります。