「参政党に甘い」転落分子・松竹伸幸、紙屋研究所を批判する(2025年9/18日分)

〈動画〉「中国は資本主義」、田村見解に大賛成 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
 「田村委員長相手に何で『上から目線』なんだよ。手前、何様だよ」「そもそも田村氏は手前の意見を採用したわけでもねえのに?」と心底呆れます。まあ、そんな松竹は滑稽なことに「紙屋など類友」にしか相手にされていないわけですが。


大学生のネット番組に呼ばれました | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
 「少数の松竹シンパ」以外には「社会的影響力皆無」の松竹なんぞを呼ぶ気がしれません(もちろんそんな動画は見る気はありません)。松竹ファンなんですかね?。そして何処の大学なのか。
 松竹の母校である一橋大か?
 それにしても松竹記事の

配信日:●●

には吹き出しました(「何処の大学か(一橋大学など)」「大学生の名前」など、配信日以外も黒塗りだらけですが)。なんで配信日が黒塗り?。未定なのか、決定しているが、何らかの理由で松竹が隠してるのか。いずれにせよ黒塗りと言うことは「配信日はしばらく先」なのか。
 いずれにせよ「配信日を公表できる状況になってから記事を書けよ」と思いますね。


明日は名古屋で民主集中制イベント | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba

 各種左翼党派の方も参加されるみたい

【1】何で「みたい」なんて曖昧な書きぶりなの?。なんで「参加する」と断言できないの?
【2】 各種左翼党派て具体的に何処、誰なの?。何で「社民党の福島党首、大椿副党首」とか具体名が出せないの?
ですね。
 結局
1)名前を出しても「それ、どこの党派?。それ、誰?。知らんがな」という無名党派しか参加しないか
2)実際は各種左翼党派など参加するか分からない(根拠レスで放言してる)が「参加するみたい」と書いて「俺たちには党外の多数の支持があるんだ」アピールするが「参加する」と断言する蛮勇がなくて「みたい」とごまかしてるようにしか見えません。
 ちなみにこの集会ですが

平八 日本共産党員/しんぶん赤旗読者
 まだ全部見ていないけど、最後の方で講師*1が「日本の左翼は共産、れいわ、社民が一つになるべきだが、日本共産党民主集中制だからそれが出来ない」とか言っていて、もう見る気がしなくなってる。

なんてレベルの低い代物だったらしい。
 社民党はともかく今や「野党共闘」を茶番呼ばわりするれいわと「野党共闘を進めようとする共産」が一緒になれるわけがないでしょう。それは「民主集中制の是非」とは全く関係が無い。つうか、民主集中制があろうとなかろうと、政策の違う政党がそんなに簡単に一緒になれるわけもない。
 例えば、もともとは同じ政党である「社民党社会党の後継政党)と新社会党社会党を離党した矢田部理らが結党)」だって将来はともかく、現時点では一緒にならないわけです(一緒になることの是非はひとまず置きます)。勿論、社民党新社会党には民主集中制なんて制度はない。
 そして無理に一緒になったって「新生党小沢一郎が代表幹事)、公明党民社党社民連日本新党が一緒になった新進党」が結局解散し「小沢自由党新党友愛(旧民社党グループ)などに分裂した」ように、簡単に解散するのが落ちではないのか。
 平八氏も良くそんなレベルの低い代物を我慢して視聴できた。「偉い!」と感心しますね。そして改めて「松竹、紙屋」と「類友、応援団(今回は後房雄)」のくだらなさ、バカさに呆れます。


「ぼくがかんがえた さいきょうの ろうどうほう」は社会では通用しない - 神谷貴行のブログ
 記事内容についてはコメントはしません(なお、「誹謗コメントしたら訴訟など法的措置(但し何が誹謗と思うのか具体的な指摘はなし)」と平気で恫喝してる紙屋記事には、自己防衛のためにコメント投稿はしません)。
 問題にしたいのは「私見」では【1】党を侮辱してる、小馬鹿にしてるとしか思えない、【2】党支持者でなくても良識派は呆れるであろう「酷い記事タイトル」ですね(漢字「僕が考えた最強の労働法」でも酷いと思いますが、ひらがなで書いたことで酷さが増している)。
 党は「ぼくがかんがえた さいきょうの ろうどうほう」なんてことは勿論言ってない。
 主張してることは「紙屋の解雇は(政治的是非はともかく労働法上は)合法、有効だ」です。一方、紙屋の批判は「いや違法無効だ」(そうした党及び神谷の主張については特にコメントはしません)。
 そして紙屋のように「解雇は違法無効だ」と主張して裁判闘争した人間は過去にいくらでもいます(とは言え無知なので具体例が出せませんんが)が、それらの人間の多くは「ぼくがかんがえた さいきょうの ろうどうほう」なんて非難は勿論してないでしょう。
 何で普通に記事タイトルを「一方的に解雇有効を主張しても世間では通用しない」「党の解雇有効論に反論する」などと書けないのか。
 と言えば、松竹など他の反党分子も同じでしょうが「党が憎い。小馬鹿にしてやる(紙屋や松竹)」「いいぞ、やれやれ(シンパ)」という状況なのでしょう。それを「党が憎くても冷静に批判しようぜ」という奴はまるでいない。何とも寒い風景だと思います。
 なお、「僕の考えたホニャララでは通用しない」はむしろ紙屋と松竹の「僕の考えた理想の日本共産党」ではないか。
 そうした主張は党執行部には相手にされず、むしろ除名され党内外でも支持、評価する声は少ないわけです。
 少数のシンパしか紙屋や松竹など評価してない。


◆紙屋のツイート

紙屋高雪
◆平裕介
・善いキャンセル(キャンセル・カルチャー)はOK、悪いキャンセルはNG
・善い表現規制はOK、悪い表現規制はNG
・善い職業はOK、悪い職業はNG
 善悪の判断が完全に分かることを前提とするご主張のようだが、こういうことを言う人は、神にでもなったつもりなのだろうか?

 もちろん何を持って「良い」「悪い」とするかという問題はありますが、平や紙屋にとっては「差別や排外主義を助長するようなどんな酷い内容の作品」でも「そんな作品は公開すべきではない」と批判することは「キャンセルカルチャー」として否定されることなのか。
 「ヘイトスピーチ規制(表現規制)」も「規制は常に悪」扱いでやってはいけないことなんですかね(呆)。暴力団組員のような「明らかな反社会的集団」も「悪い職業」扱いしてはいけないのか(再度、呆)。俺はそんな考えは全く間違ってると思いますね。そもそも日本の行政や司法だって、そんな立場ではないでしょう。
 今や「善悪の判断は難しい」で、善悪評価を逃げて「100パーセントの自由放任」が許される時代ではないでしょう。
 というか、そもそも、「その屁理屈」では「善悪の判断は100パーセント完全ではない」のだから政治活動、社会活動が「何も出来ない」ことになるでしょうに。紙屋も平も「自らの善悪判断」で政治活動や社会活動をしているのではないのか?。
 改めて「紙屋って本当にアホでクズだな。除籍されて本当に良かった」と心底思いますね。

*1:後房雄のこと