黒坂真に突っ込む(2020年9月22日分)

黒坂真が宮本徹をリツイート
 宮本徹議員。41年前ですが、人民解放軍に射殺された赤旗記者について中国に謝罪と償いを求めるよう、国会で外務省に要求すべきではないでしょうか。
◆宮本徹*1時事ドットコム時事通信ニュース)をリツイート
 天安門事件の時、日本政府の対応は甘く、一方、日本共産党天安門事件について、「重大な人権の蹂躙だ」と徹底糾弾しました。最近の香港での弾圧についても、私は国会で「もっと厳しく抗議せよ」と政府に迫りましたが当時の菅官房長官は「憂慮」を繰り返すだけでした。自民党政権は一貫して人権感覚に乏しい
時事ドットコム時事通信ニュース)
 1989年6月4日に中国共産党・政府が民主化運動を武力弾圧した天安門事件の直後、日本政府が今後の対中政策として「民主・人権」より「長期的、大局的見地」を重視する方針を打ち出していたことが分かりました。このほど秘密指定を解除した外交文書に明記されていました。
対中国「人権より大局重視」 民主化弾圧も「温かく見守る」―天安門事件外交文書:時事ドットコム
 外務省が時事通信の開示請求に対し天安門事件外交文書ファイル9冊(計3123枚)を公開した。西側諸国が対中制裁を強化する中、日本政府はいち早く政府開発援助(ODA)再開に動いたが、当時の詳細な外交方針が判明したのは初めて。
 事件5日後の6月9日、北京の日本大使館は外相宛ての大至急電報で、「諸外国の対中圧力」は「逆効果となり(中国は)ますますその対外態度を硬直化する危険がある」と指摘。
 6月22日に作成された極秘文書「わが国の今後の対中政策」には、「わが国が有する価値観(民主・人権)」より「長期的、大局的見地」を重視し、中国の改革・開放政策を支持すべきだと明記。その上で「今次事態の衝撃がなるべく小さくなるよう対処」するとともに、「西側が一致して対中非難等を行うことにより中国を孤立化」することは「得策でない」と基本的考えを記していた。9日、北京の日本大使館は外相宛ての大至急電報で、「諸外国の対中圧力」は「逆効果となり(中国は)ますますその対外態度を硬直化する危険がある」と指摘。「中国政府のせん動により、国民の間に排外思想が広がる可能性すら考えられる」と意見具申した。
 6月26日にワシントンで行われた三塚博*2外相とベーカー*3国務長官(共に当時)の会談に向けた「中国情勢―日米外相会談大臣発言要領」と題した極秘文書では、「我々は、過度に反応したり、いたずらに感情的になったりすることを避け」、「息長く」「温かい目」で中国側の状況を見守っていくと記載した。
 外務省は6月21日、対中新規援助の延期などを記した極秘文書の中で「人道、人権上の問題をわが国の対中経協(経済協力)政策の基本政策そのものにこれを反映させることは、長期的な対中関係の見地から行き過ぎ」と指摘し、ODAと人権問題を絡ませない方針を示した。

 あまりにも非常識なので、黒坂を誹謗するための「俺の捏造」と思う方も居るでしょうがマジです。俺にはここまで非常識なツイートを思いつく想像力はありません。そもそも俺が捏造するまでも無く黒坂ツイートにはこの種のアホツイートが目白押しです。
 そんなもん外務省に要求して何がどうなるんだって話ですよねえ。
 大体黒坂のツイートは宮本氏の指摘「自民党政権の対中国外交は人権軽視で問題だ」に対する反論には全くなっていませんし。
 これが「大阪経済大学教授」だというのだから大阪経済大学とはよほどレベルの低い大学なのでしょう。

*1:衆院議員。日本共産党中央委員。

*2:中曽根内閣運輸相、竹下内閣通産相、宇野内閣外相、自民党政調会長(海部、宮沢総裁時代)、幹事長(河野総裁時代)、橋本内閣蔵相など歴任

*3:レーガン政権大統領首席補佐官、財務長官、父ブッシュ政権国務長官、大統領首席補佐官など歴任

今日の産経ニュース(2020年9月22日分)

【産経抄】9月22日 - 産経ニュース

 司馬遼太郎氏のエッセー『余話として』(文春文庫)を読み返してみた。収録されている「日本人の顔」では、「面長のひとには頑固なひとが多いことに気づいた」というくだりがある。
 三島由紀夫福田恆存(つねあり)ら“面長”の言論人を挙げ、「どこをどうたたいてもつねに明晰(めいせき)な論理を展開しうるのは、よほど鞏固(きょうこ)な思想と信念が内部にあるから」と評している。

 まあ、司馬も本気では無く冗談だと思いますが「何だかなあ」ですね。
 ちなみに「面長(馬面)のひと」では「俳優の伊藤雄之助」「先代の三遊亭円楽笑点メンバーが司会の円楽をそれをネタにからかう)」がそれをネタにしていました。
 伊藤が城代家老で出演した「椿三十郎*1」で事件が円満解決を迎えた後に、伊藤家老が「次席家老(志村喬)や側用人藤原釜足)が自分をないがしろにして不正を働いていた」のも「若侍たち(加山雄三田中邦衛など)が自分を信用せず大目付清水将夫)に内部告発に駆け込む(但し大目付も共犯であることが直後に判明)」のも「乗った人より馬は丸顔」というギャグまで飛ばしながら、「自分が馬面で風采が上がらないことも一因かもしれない」と言う趣旨のことをぼやいて周囲を笑わせるシーンがありますね。伊藤があまりにも淡々と、ひょうひょうとした「気負いの全く感じられない演技」なのでかえって笑ってしまう。
 伊藤雄之助 - Wikipediaによれば元々は歌舞伎役者の息子だったところ、父、祖父が幼少期になくなり、後ろ盾を失い冷遇されたことで、映画界入りしたようです。
 「歌舞伎出身だが冷遇されたので映画界入り」といえば他にも萬屋錦之介 - Wikipedia
市川雷蔵 (8代目) - Wikipediaなんかもそうでしょう。

安倍晋三前首相は今月19日、靖国神社を参拝した。ご英霊に首相退任を報告したという。
▼英霊に背を向けた中国や韓国への無用の配慮*2は、さらなる干渉を招くだけだ。菅首相が閣僚を率いて靖国を参拝し、平和と国の守りをしっかりと誓う日を期待したい。

 書き出しは「ただの暇ネタかな」と思いきや落ちがいつもの「極右落ち」です。
 ということで、産経にとって安倍や菅は「面長(馬面)ではない(ですよねえ?)が、頑固に靖国参拝して欲しい」という話ですね。まあ、官房長官時代そんなことをしてない菅がそんなことをするとは思いませんし、安倍については「第二次安倍内閣の1年目のみ首相として参拝(しかし国内外の批判から翌年以降は中止(但し玉串料は奉納))→首相辞めてから参拝再開」なのだから「何を今更」の話ですが。

【参考:椿三十郎

やっぱり良かった「椿三十郎」 : シヌマDEシネマ/ハリー東森
 昨夜のNHK BSで放映した「椿三十郎」(1962年)やっぱりいいねぇ。若い頃は断然「用心棒」のほうが好きで、作品の出来もいいと思っていましたが。歳をとったせいでしょうか「椿三十郎」のほうが味があっていいねぇ。
 ラストで幽閉されていた城代家老伊藤雄之助が出てきて、作品の雰囲気がさらにほっとゆるみます。本人のセリフで、「ワシに人望がなかったのがコトの発端」「この間延びした馬ヅラだから」「昔、馬に乗っていたら、”乗った人より、馬は丸顔”と言われた」と笑わすのですが、このあたりは配役が決まってから脚本が書かれたような気がするのですがどうでしょう。

椿三十郎 : Past Geronimo's Disco
 「椿三十郎」を不朽の名作たらしめている要素にはユーモアがあります。
 そもそも三十郎からして、名を問われた際、庭に咲く椿の花を見て、「私の名は・・・椿三十郎。もうそろそろ四十郎ですが」と澄ました顔で飄々と答える。
 まあこれは黒澤明の前作「用心棒」で、本作と同様に三船敏郎演じる主人公が名を問われた際に、桑畑を見ながら「桑畑三十郎。もうそろそろ四十郎ですが」と答える場面を踏襲したもので、「椿三十郎」が「用心棒」の続編として扱われる根拠でありますが、「用心棒」はユーモア性が希薄なシリアス路線なので、作品のトーンは異なっています。
 「椿三十郎」のユーモアといえば、ずっと幽閉されていて、映画の最後の方でようやく姿を現す城代家老
 「乗った人より馬は丸顔」ってもう出オチ的なユーモアですけどねw
 もちろん「椿三十郎」は、ただユーモラスでコミカルな映画というワケではなく、基本的にはスリリングなアクション活劇であって、その軸となるのが、仲代達矢演じる室戸半兵衛と三十郎の駆け引きです。
 最後の決闘の前、城代家老の無事を祝う祝宴の席に姿を現さず、そのまま行方をくらませた三十郎に向けての城代家老の言葉。
 「ありがたいことにあの男は戻ってこやしないよ。あの男はなかなかのヤツだ。でもな、桁外れのああいう男はわしには困るよ」

椿三十郎 - おじさんの映画三昧
 この映画の面白い所は、登場人物がすべてどこか浮世離れしていてとってもおかしいところだと思う。
 その筆頭は、入江たか子さんと団令子さんのコンビだ。
 誘拐された城代家老の奥さんと、娘さんなのだが緊迫感がまるでない。
 人の良さがにじみ出ている城代家老伊藤雄之助さんがまったくの昼あんどんで・・・。
 捕らえられた敵方の侍である小林桂樹さんも、時々押し込められている押入れから出てきては意見したり、かえって味方したりしてしまう。
 三十郎は奥方を実の母親とでも思っているのだろうか、ふてくされながらも何かと親切にする。
 さらにこの映画の構成として、自分は切れ者だと思っている人間がことごとくその皮をひんむかれる。
 大目付の菊井は次席家老などを小馬鹿にしているような所があるが、自分の力を過信したプライドから切腹して果てる。
 その菊井を手玉に取っていると思っている室戸半兵衛は、実は(ボーガス注:三十郎に)コケにされていたのだということに我慢がならず結末を迎える。
 逆に全く頼りないと思われていた伊藤雄之助城代家老が一番分別があり、素浪人の性格も扱いの難しさもお見通しだった。

椿三十郎
 まずは、入江たか子(笑)
 お若い方はご存じない女優さんかもしれない。なにしろ遥か昔の無声映画時代における花形スター。ちなみに、いくら歳喰ってる僕でもその頃にはまだぜんぜん生まれてなかったすよ
 『滝の白糸』(1933年、溝口健二監督)などがその当時の代表作になるのかなぁ。なにしろ「銀幕の女王」と呼ばれた無声映画の大女優だった。しかもお公家さんの出身で貴族の気品を自然と身につけた珍しい女優さんだったらしい。ところが日本に音付きの映画(トーキー映画)が上陸し普及した辺りから、彼女の声質の問題(ガラガラ声?)があってか、女優としての人気が落ちてくる。そこから長い停滞期を経たあと、1950年代になってから、なんと!化け猫女優として復活してくる。これが彼女の当たり役になる。僕ら団塊世代には入江たか子=化け猫女優のイメージしかなかったです。で、1955年に知る人ぞ知る『楊貴妃』降板事件ってものがあった。これがまた可哀相な話で、入江たか子が監督である溝口健二に演出をつけてもらってるとき、溝口が入江にとんでもない暴言を吐いたのだ。
 「そーゆー演技をしてるから化け猫映画にしか出られないんだよ」。
 この侮辱的な言葉を受けて入江は『楊貴妃』から降板しちまい、その後女優業から遠ざかることになる。銀座のバーのマダムになったりします。そんな入江をひさしぶりに女優として使ったのが黒澤明だった。この『椿三十郎』で、なくてはならない重要な役柄を彼女に与えます。
 なんだか、入江たか子のコーナーで終わりそうなぐらい長々と書いちまったけど、ようするに、黒澤がそんな彼女を呼び戻してまでこの役柄を与えたのは、この役柄で必要な、貴族訛りの口調と気品が柔らかに光っているような個性を持つ女優は、けっきょくは彼女しかいないと芯から思えたからだろう。
 『椿三十郎』で入江たか子扮する家老の奥方が荒々しい三十郎を諭すセリフがある。
 「あなたは少しギラギラし過ぎてますね。鞘(さや)に入っていない抜き身みたいに。でも本当にいい刀はちゃんと鞘に入ってるものですよ」
 三十郎の男臭さと血なまぐさい殺陣がこの映画のひとつのトーンになっているなかで、それとは違った、穏やかで柔らかな空気を送り込んでくるもう一方の重要なトーンをおもに入江たか子が荷なっていた。上のセリフを彼女は、嫌味の欠片も感じさせない、まるで柔らかな優しい光で包み込むように発している。
◆脇役たち
小林桂樹
 敵方の侍で三十郎たちに拉致される。しかし家老の奥方(入江たか子)の人柄に引かれ協力するようになる。いつも押入れに閉じ込められているが、時おり「失礼します」と言って押入れから出てきて、みんなに助言をする。言い終わったら「失礼しました」と自分からまた押入れに入っていく。

椿三十郎 | 元代表の穴 - 楽天ブログ
 おっとり優しい入江たか子さんが最高。
 押入れから出入りする小林桂樹さんに大爆笑。
 押入れから出るタイミングも、いちいち律儀に押入れに戻るそのタイミングも絶妙。
 伊藤雄之助さんの馬面押しの飄々とした場面がこれまた最高。
 入江さんと伊藤さんのコンビ素敵だ〜。

黒澤明&三船敏郎『椿三十郎』三十郎の哀愁の源泉 | シネマの万華鏡
 最初はほんのコメディリリーフに見えた城代家老の奥方が、実はこの作品の重要なカギを握っているということに、終盤になって気づかされます。
 剣が立ち、何事も力で解決していく三十郎に対して、奥方は平和的に事をおさめる太陽政策の人。
 「本当にいい刀は、鞘に入っているもの」という彼女の名言に、三十郎もタジタジとなってしまいます。
 これ、女性ならではの考えなのかと思いきや、実は城代家老も同じ考えの人間だということが最後の最後で分かる。
 黒澤明は、この城代家老に、藩は三十郎のような桁外れの人間を必要としていないし、仮に召し抱えても持て余すだけだと言わせているんですよね。(もっともその時には三十郎本人はすでに自ら行方をくらましているのですが・・・)
 時代劇には、もめ事のある土地にふらりと現れて、超人的な知略と剣の腕前であっという間に事をおさめ、礼も受け取らずに去っていくという、まさに三十郎ばりのヒーローは珍しくありません。
 さまざまな土地を渡り歩くこうしたタイプのヒーローは、シリーズものには持って来い。
 彼らが一体何故、ただならぬ能力を持ちながら、武士としての出世の道を選ばないのか?なんてツッコミは野暮というものです。
 でも、『椿三十郎』では、最後にその「何故?」の答えを仄めかしています。
 平和な時代に武士らしい武士は不要、むしろ世を乱す存在だということ。
 三十郎のような男の居場所はどこにもない・・・そのことは三十郎が一番良く知っています。

黒澤映画/「椿三十郎」(1962年) | ワンダの映画三昧
 人生の辛酸を舐め尽した三十郎と、世間知らずの若侍たちとのやりとりが軽妙で楽しく冒頭から引き込まれます
 「こうなったら、死ぬも生きるも我々9人!」
 「10人だ!てめーらのやることは危なっかしくて見てられねえ」
 万事おっとりした奥方(入江たか子)のセリフがいいです
 「すぐ人を斬るのは悪いクセですよ」
 「あなたは(三十郎は)なんだかギラギラし過ぎてますね、ヌキ身みたいに」
 「あなたはサヤのない刀みたいな人。よくキレます!でも、本当にいい刀はサヤに入ってます」
 なんといっても入江たか子と団令子の奥方と娘の二人が良かったですねえ。砂漠にあるオアシスのようにこの映画に潤いを与えており、スピーディな展開の中で、二人が出るシーンの間がち密に計算されつくしていたと思います。


【参考:司馬遼太郎と『面長』】

頑固者 : 山の彼方の空遠く
 日本人の顔は、西洋人に比べると縦に脳味噌が収まっているようで、僕も俗に言う馬面なのは承知している。
 林ふみこの放浪記でも、「乗った人より馬が丸顔」と可笑しみな表現を使っている。
 江戸期から明治に掛けての日本人に馬面と言われるほどに面長の人が多かったと司馬遼太郎の短編集にあり、面長は頑固者だとも続く。
そのままに引用。
《ひとのことをいってはいけないが、ちょっと失礼させて頂くと、池波正太郎氏が、なんともいえぬ塩味のきいたむかし顔である。池波氏とむかいあっていると、日本人の顔はこうなくちゃいけないとつい声をあげたくなる瞬間がある。
 いまは亡い村松梢風氏も面長だったし、宇野浩二氏などは、高村光太郎とならんで骨のあつい昔日本人の馬面だったようにおもわれる。
 そんなことをある日拙宅の客に話していると、ふと面長のひとには頑固のひとが多い事に気づいた。》

 「乗った人より馬が丸顔」とは「椿三十郎」での城代家老伊藤雄之助の台詞ですが、ということはあの台詞の元ネタは、林芙美子『放浪記』だったわけです。
 とはいえ「乗った人より馬が丸顔」でググったところ

筑摩書房 『幕末 写真の時代 【第2版】』 高杉晋作
高杉晋作 上野彦馬撮影 慶応2年(1866)鶏卵紙
 長州藩士。(中略)「乗った人より馬が丸顔」と評された長い顔、わりと小柄で華奢な体軀といわれる風貌を、よく伝えている。

【花燃ゆ維新伝(18)】吉田松陰の志を受け継ぐ「高杉晋作」登場…「無頼の剣術好き」が読書に励む(1/3ページ) - 産経WEST
 「こりゃどうじゃ、世はさかさまになりにけり、乗った人より馬が丸顔」と、晋作は馬づらで身長155センチと小柄

筑波常治の高杉晋作
 残っている写真をみても、顔の大変に長い、痩せた人だったことがわかります。
 晋作が奇兵隊をひきいて馬にのって進軍したとき、だれかがこれをみて、
『こりゃどうじゃ、世はさかさまになりにけり、乗った人より馬が丸顔』
という歌をつくった、ともいわれているくらいです。

がヒットしました。ということで「乗った人より馬が丸顔(高杉晋作)」だそうですので、出典は「幕末維新」まで遡れそうですね(もしかしたら高杉以前にも遡れるかもしれませんが)。もちろん司馬にとっては高杉も「頑固な人」なのでしょう。なお、「安倍晋三」の「晋」はやはり「高杉晋作」からとったようです。

司馬遼太郎著「侍はこわい」: 感謝カンレキ雨あられ @アジア群島人
 この本の解説は作家三好徹。
 一度出版社主催の講演会で同行したときのこと。三好が「私の先祖はどこか見当つきますか」と質問したら、「ヒントを一つくれんか」。「関ヶ原の西」と答えたら、司馬は即座に「ああ、長州やね」と喝破した。「やや面長の長州づらと撫で肩」と説明。

*1:三船敏郎死去(1997年)または黒澤明死去(1998年)の際に地上波の追悼放送で見ました。

*2:そもそも戦没者慰霊の場なら千鳥ヶ淵があります。そして「戦没者では無いA級戦犯」を「不当な報復裁判の犠牲者(いわゆる昭和殉難者)」として靖国が合祀してからは明らかに靖国は「戦没者追悼の場」にはふさわしくない場所でしょう。まあ、A級戦犯合祀以前から「安政の大獄で死刑になった橋本左内吉田松陰」「桜田門外の変の水戸浪士」など戦没者以外も祀ってる靖国が「戦没者追悼の場」としてふさわしいかどうかは疑問符がつきますが(勿論政教分離原則の問題もある)。

今日の中国ニュース(2020年9月22日分)

【主張】中国の外交攻勢 欧州取り込みは失敗した - 産経ニュース
 タイトルだけで読む気を無くしますね(実際読む必要は無いと思いますが)。
 世の中は大抵の問題は「是々非々」であって「100%支持」「100%全否定」なんてことはまずありません。
 中国とEU諸国の関係も話は同じです。
 経済関係がある以上、中国と全面対決などできない。しかし「香港デモ」「少数民族問題(チベットウイグル)」など中国の人権問題について「中国に問題は無い、オールOK」つうわけにもいかないつうだけの話です。
 それは少なくとも反中国・産経のように「欧州が中国を批判した」と手放しで喜ぶ話では無い。我が日本だって「歴史認識問題(慰安婦、徴用工、靖国など)」では国際社会から批判されてる。
 それにしても

主権や領土など中国の主張する「核心的利益」をめぐっては、いかなる状況でも柔軟性を発揮できず、独りよがりの紋切り型の対応しかできない。習氏率いる一党独裁体制の外交の限界だ。

とは自分を棚上げしてよくもいったもんです。そうした「独りよがりの紋切り型の対応」に該当するのはむしろ「歴史認識問題(慰安婦、徴用工、靖国など)」での産経らウヨの態度では無いのか。
 産経の物言い「一党独裁体制の外交の限界」をまねればそうした産経らの態度は「戦前をきちんと批判できないウヨの限界」でしょう。
 大体、スペインのカタルーニャバスク問題、英国のスコットランド問題で分かるように、欧州諸国だって少数民族問題ではそんなに褒められた態度ではありません。カタルーニャにいたっては州政府の前首相が海外に亡命していますし。
 したがって、「少なくとも」少数民族関係(チベットウイグル)の話は「一党独裁体制の限界という話」ではありません。仮に中国が「複数政党制国家」でも少数民族への態度が立派である保証はどこにもありません。 

高世仁に突っ込む(2020年9/22日分)

古代天皇と仏教―責めはわれ一人にあり - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 そもそもの日本の出発点は、どんな国づくりを目指したのか。それを学びたいと思っている。ダメな伝統なら直さないといけないし、古いものでいいものは復活させたい。
 そんな大雑把な問題意識でいいのかよ、というヤジがとんできそうだが、時代の転換点にはいろんな思考実験があっていいだろう。
 いま、古代の天皇は、かくも立派な政治倫理を持っていたのかと励まされる思いで読んでいる本がある。
 森本公誠『聖武天皇 責めはわれ一人にあり*1』(講談社)。

 あまりにも馬鹿馬鹿しくて吹き出しました。
 「日本の出発点は、どんな国づくりを目指したのか」と言った場合、大抵の人間が想像するのは「近代日本の出発点(明治維新以降の諸改革)」「戦後日本の出発点(終戦以降のいわゆる戦後改革や池田政権での高度経済成長など)」あたりでしょう。
 つまりは

廃藩置県(中央集権化)、地租改正、徴兵令、殖産興業(富岡製糸場などの官営工場など)、明治憲法制定など明治新政府の諸改革をどう評価するのか(たとえば明治維新 - Wikipedia参照)
◆「薩長が進める明治維新」を批判して起こった自由民権運動をどう評価するのか(たとえば自由民権運動 - Wikipedia参照)
治安維持法の廃止(共産党の合法化)、農地改革、財閥解体、新憲法制定(天皇の象徴化、戦争放棄政教分離国家神道の否定)、議院内閣制の導入、違憲立法審査権の導入、地方首長の公選制など)、教育基本法の制定(教育勅語の否定)など、いわゆる戦後改革をどう評価するのか(たとえば日本の戦後改革 - Wikipedia参照)
◆池田政権下の高度経済成長をどう評価するのか(例えば高度経済成長 - Wikipedia参照)

などでしょう。
 ここで「卑弥呼の時代」「聖徳太子の時代」とか想像する奴は普通いない。しかし高世は「聖武天皇ガー」だそうです。
 「民主主義以前の時代の話」なんか今の政治に役立つわけも無いでしょう。
 ましてや高世が紹介する本の著者・森本氏は

森本公誠 - Wikipedia
・2004年から2007年まで、東大寺別当華厳宗*2管長を、2010年から2013年まで、東大寺総合文化センター総長を務めた。現在は東大寺長老。著書『イブン=ハルドゥーン』(2011年、講談社学術文庫)、『東大寺のなりたち』(2018年、岩波新書)など。

という東大寺関係者です。そんな人間が「東大寺創立者聖武天皇を称える本を書いたからと言ってそれにどれほど客観性や説得力があるのか。
 そもそも「今と時代が違う」ので単純比較するわけにも行きませんが、「聖武天皇」に仮に「善意があったところ」で彼の「大仏建立」「国分寺国分尼寺創設」という「仏教政策(?)」は「当時の人々を苦しめた貧困や病気」から民衆を救ったりはしなかったわけです。

《たとえば中学生の修学旅行を引率してきた教師が大仏殿に来て、「先生は入らないが君たちは200万人もの人民を酷使してつくった大仏をよく見て来い」といって、出口で待つ》といった光景もあったという。(森本P22)

 「はあ?」ですね。森本本の記載は「という」であって、伝聞です。つまりは森本氏が目撃した事実では無い。
 それは例えばid:Apeman氏が以前
「ごぼうを捕虜に食べさせて有罪になったB級戦犯」は都市伝説? - Apeman’s diary
「ゴボウ」伝説、再び - Apeman’s diary
で批判していた「ゴボウ伝説」のような都市伝説、つまちは嘘八百では無いのか(まあ、例は「ゴボウ伝説」でなくてもいいんですが)。
 いずれにせよ仮に「そんな教師が実際に一部にいたとしても」本当に「ごくごく一部のマイナーな教師」でしょう。
 いくら『東大寺大仏なんて人民を酷使して創ったもんで現代の視点からは『聖武天皇の仏教精神は素晴らしい』などと手放しで美化できるようなもんじゃない』と思ったとしても、普通の人間は大仏見学自体は否定しないし、こういう物の言い方もしない。
 と言うか俺自身は『東大寺大仏なんて人民を酷使して(以下略)』とは思いますが、俺が大仏見学を引率する教師だったとして、大仏見学自体は否定しないし、こういう物の言い方もしない。ただし『現代の視点では大仏は『聖武天皇の仏教精神は素晴らしい』などと手放しで美化できるようなもんじゃない』という事は、口喧嘩などにならないように注意した上で「やんわりとは言う」かと思います。『聖武天皇の仏教精神は素晴らしい』などという認識を生徒がしているのを教師がそのまんま放置するのは教育上、まずすぎるかと思いますので。
 まあ、そんなこと言わなくても生徒の方もそのぐらい分かる気もしますけど。
 いずれにせよ、そんな教師がゴロゴロいたとも思えない。そんなもんをネタに話をするのは、はっきり言って「森本氏も高世も」レベルが低い。
 と言うと例のid:Mukkeなんざ「東大寺幹部まで務めた仏教の高僧・森本氏をバカにできるほど、ボーガス、お前は偉いのか」といいそうですが、そう言う話じゃ無いわけです。仏教の高僧だろうが何だろうが「馬鹿なことをいう奴(今回は森本氏)」は俺にとって「ただのバカ」です。だから俺は「オウム真理教から一億円ももらっておべっかをほざき、オウム犯罪が発覚した後も正式な謝罪を何一つしないダライラマチベット仏教最高指導者)」なんか少しも偉いと思ってない。「見下げ果てた人間のくず=ダライ」と思ってる。まあ、こういう事を書くから、Mukkeのようなチベット愛好家には俺は嫌われるわけですが。

 うちの娘が昔読んだマンガの日本史でも、大仏建立は人民を苦しめる苦役として描かれている(『漫画で学ぶ日本の歴史』(成美堂))。
 私もかつては、こうした硬直した歴史観を持っていたことを白状するが、これでは真にリアルな歴史には迫れないだろう。

 唖然ですね(呆)。「硬直した(左翼的な?、天皇否定の?)歴史観」も何もそれは事実ではないのか(もちろん、だからといって俺もさすがに『仏教美術、あるいは信仰の場としての東大寺大仏』の価値は否定しませんが)。まさか高世は「当時の民衆は喜んで大仏建立に当たりました」とか、そこまで酷くなくても「民衆の意思なんざどうでもいいんだよ、聖武天皇は彼なりの『民衆への愛』で大仏創ったんだから」とかいうのか。
 「時代背景などが違うので単純比較できない」とはいえ、大仏建立を「単に人民を苦しめる苦役として見るべきでは無い」「聖武天皇は仏教の力で苦しむ人々を救いたいという善意から大仏を創った」という男が「北朝鮮金日成金正日巨大銅像」には「人民を苦しめる苦役」として悪口雑言。
 「高世の脳みそは大丈夫なのか?」と聞きたくなります。つうか、相手は「特定失踪者などという与太すら支持した、あの高世」なので本心というよりはジンネットを潰した今、「天皇万歳路線」「東大寺大仏万歳路線」で飯の種を稼ごうという「さもしい試み」なのかもしれません。
 まあ、ウヨ方面ならこの種の天皇万歳には「大いに需要がある」でしょうからね。また「東大寺大仏万歳」で話をするなら「東大寺関係者」「大仏ファン」相手の商売も期待できる。
 高世がそういうウヨ方向に「劣化していく」なら、高世の知人、友人の「少なくない人間(左派やリベラル保守など)」が高世にあきれ果てて高世を見すてるでしょう(今ですら既に「かなりの人間に見すてられてる」のではないかと思いますが)。高世の社会的影響力も「大いに衰退する」でしょうから、アンチ高世の俺にとってそれは「悪いことでは無い」「むしろ大歓迎」ですね(高世への皮肉のつもり)。
 まあ、以前から高世は現上皇夫婦を「(天皇時代に)日本軍が玉砕したパラオ訪問などして好感が持てる」等と持ち上げるなど、天皇万歳の傾向がありましたが、とはいえ「現上皇夫婦」ならまだしも「聖武天皇」ですか(呆)。
 「お前は戦前の天皇万歳教科書かよ(呆)」「育鵬社(産経&日本教育再生機構系列)や自由社つくる会系列)の歴史教科書かよ(呆)」ですね。
 そのうち、「仁徳天皇のかまどの故事」なんかも高世は持ち出すんでしょうか?。でも仁徳の場合は聖武と違って実在性が疑わしいし、故事も明らかに「後世の創作」と見なされてるからさすがにそれはないか。

 今の天皇制は、(ボーガス注:明治維新以前の神仏混淆という)重要な伝統を捨て去ったうえに成り立っている。明治維新は、神仏分離によって日本の伝統だった神仏儒習合(神道・仏教・儒教をミックスした宗教観)を破壊し、天皇神道とだけくっつけて特異な天皇制を作った。しかし、聖徳太子以降、皇室と仏教のかかわりは非常に深い。
 皇室を制度的にも仏教に「取り込んだ」のは真言宗の祖、空海弘法大師で、平城、嵯峨の二人の上皇に灌頂(かんじょう、密教の入門儀式)を授けている。
 意外に知られていないが、天皇家には泉涌寺 (せんにゅうじ、真言宗)という菩提寺があり、歴代の天皇の御陵が39陵ある。江戸時代までは葬儀も仏教で執り行われてきたのだ。

 高世の「この駄文」の中で数少ない「意味ある文章」です。
 「明治新政府神仏分離」をどう評価するにせよ、確かに高世の言うようにそれは「皇室の伝統(神仏混淆)」を大きく変えました(もちろん神仏分離を強行した側は「仏教によるゆがみを是正し、元の正しい神道に戻しただけ」というのでしょうが)。そう言う意味で「伝統を理由に女性天皇に反対するウヨ」は実にばかばかしい。「皇室の伝統」なんてもんは時代によって明らかに変化しているわけです。
 仏教や儒教儒学)が「中国からやってきた最先端思想だ、これを採り入れなきゃ先進国になれない*3」と思われた古代日本では進んでそれらが取り入れられた。その結果「神仏混淆」という日本独自の仏教形態も誕生した。しかし明治時代になるとナショナリズムの高まりから「神仏混淆などおかしい」「外国思想(仏教)の影響を排除して純粋な日本思想にしたい」となるわけです。
 なお、高世は「天皇家と仏教」としか言いませんが、足利尊氏と近い関係にあった夢窓疎石 - Wikipedia徳川家康と近い関係にあった天海 - Wikipedia以心崇伝 - Wikipediaなどでわかるように仏教が関係のあった権力者は何も皇室限定ではありません。前近代においては「政教分離思想」などないですし、この点(権力と宗教の癒着)は欧米なども「英国国教会がわかりやすい例」ですが、全く変わりませんが。

【参考:仁徳天皇のかまど】

【浪速風】「仁」の歴史こそ世界遺産にふさわしい 「民のかまど」国づくりの歴史、世界へ(8月1日) - 産経WEST
 仁徳天皇でよく知られるのは「民のかまど」の伝承である。高台から見渡すと家々から煙が上っておらず、「炊事もできないほど貧しいのか」と3年間、税を免除した。そのため宮殿は荒れ果て、衣も新調できなかったが、ようやくかまどの煙を見て、「民が富んでいるのは、自分も富んでいるのだ」と喜ばれた。

【語り継ぎたい天皇の和歌】陵墓のみならず心も大きな名君 (1/2ページ) - zakzak
 『日本書紀』に「聖帝」(ひじりのみかど)と称された仁徳天皇天皇が即位をされてから数年後、高台にあがって周囲を見渡した際、家々から炊煙があがらず、国民が苦しい生活をしていることがうかがえました。都市で炊煙が疎(まば)らだということは、地方ではさらに人々が困窮に喘(あえ)いでいるかもしれません。そのため、仁徳天皇は3年間、全ての課税と賦役(ふえき)を免除して、状況の改善を模索しました。倹約のため宮殿修繕はおこなわず、屋根が傷んでも葺き替えをしなかったため、晴れた日には星空が見え、雨漏りもしていたと語り継がれます。
 やがて3年が経った後、家々のかまどからは多くの炊煙が立ちのぼっていることが確認できました。安堵した天皇。掲出歌はこのときに詠まれたものだと語り継がれます。

皇位継承安定への提言全文 自民有志「護る会」(1/6ページ) - 産経ニュース
 日本の天皇陛下は、諸国の皇帝や王と大きく異なった存在である。
 古代における仁徳天皇の「民の竈(かまど)」という故事によれば、天皇陛下は民の台所から夕餉(ゆうげ)を支度する煙が上がらないのをご覧になり、民の暮らしを楽にするために税を取るのをおやめになった。御自らの食事が粗末になり宮殿が傷むことより民を優先なさった。

 皇位継承安定への提言全文 自民有志「護る会」(1/6ページ) - 産経ニュースを読んでも、「仁徳の故事」と「女性天皇反対」とどうつながるのかさっぱり分かりません。

*1:2010年刊行

*2:日本の総本山は東大寺

*3:明治維新において富国強兵、近代化のために近代西洋思想が積極的に取り入れられたのと話は同じです。

今日の産経ニュース(2020年9月21日分)

自民、デジタル庁へ新組織 座長に甘利税調会長 - 産経ニュース
 安倍の子分・菅では予想の範囲内ですが、「さすがに入閣はしない」とはいえ、UR疑惑で大臣を辞任した甘利がこうして重用されるのには怒りを禁じ得ません。


小沢氏「1年以内に政権」 合流新党結成で意欲 - 産経ニュース
 色々な意味で「何だかなあ」ですね。
 第一に今すべき事は「菅政権打倒とそのための野党共闘構築」であって、政権奪取云々なんて事は残念ながらまだ先の話でしょう。
 第二に何で小沢氏が党幹部気取りでこんなことを言うのか。
 確かに彼は「自民党幹事長(海部総裁時代)」「新生党代表幹事」「新進党党首」「自由党党首」「民主党幹事長(鳩山代表時代)」「生活の党代表」など、「与野党の党幹部ポスト」を歴任してきた大物政治家ですが今の彼は立憲民主党においては無役の一議員にすぎません。
 彼の立場で

 社民党も11月に合流する見通しだと説明。

なんて勝手に言うことは本来許されることでは無いでしょう。立憲民主党執行部、社民党執行部に抗議されても文句の言えない話です。
 「彼が大物政治家気取りで、無役にもかかわらず、枝野執行部を無視して放言」であれ、「無役とは言え大物政治家扱いされる小沢氏に、枝野執行部が『言いづらいが言いたいこと』を、あえて言わせてる」のであれ無茶苦茶な話です。前者なら「執行部無視」という意味で、後者なら「執行部のやり口がアンフェア」と言う意味で問題です。
 しかし社民党ももはや「立憲民主党への合流」が既定路線なんですかね?。それが事実なら、俺的には「共産党支持」の理由が更に強まる話ではあります。

今日の中国ニュース(2020年9月21日分)

メルケル独裁16年間のつけ、中国がこけたらドイツもこけるのか?(大原 浩) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
 タイトルだけで読む気を無くしますし、実際読む価値は全くありません。これが「マイナー右翼出版社」ならまだしも、仮にも戦前から歴史のある大手出版社である「天下の講談社」のやることなのかと唖然ですね。
 メルケル(2005年から首相)のどこが「独裁なのか?」、メルケルと大連立を組んでる*1社民党も「独裁の共犯なのか?」と聞きたくなるのは俺だけでは無いでしょう。
 「中国がこけたらドイツもこけるのか?」以前に中国がこけたら「そのこけかたが酷い物」なら世界経済が大ダメージです。
 中国に比べたら経済規模の小さい「ギリシャの経済危機(例えばギリシャの経済 - Wikipedia参照)」ですら「ギリシャに金を貸してる欧米の金融機関の倒産→世界経済危機」が危惧されたのに全く何を言っているのか。
 講談社が恥知らずにも『ケント・ギルバートの反中・嫌韓国本』を出版するなど、近年「右翼商売を始めたこと」は知っていましたが、まさか公然とドイツ首相を独裁者呼ばわりして誹謗するほど愚劣とは思いませんでした。
 長期政権なら独裁だというなら「アデナウアー(1949年9月~1963年10月)、シュミット*2(1974年5月~1982年10月)、コール(1982年10月~1998年10月)、シュレーダー*3(1998年10月~2005年11月)など過去のドイツ首相*4」「マクミラン*5(1957年1月~1963年10月)、ウィルソン(1964年10月~1970年6月)、サッチャー(1979年5月~1990年11月)、メージャー*6(1990年11月~1997年5月)、ブレア(1997年5月~2007年6月)、キャメロン(2010年5月~2016年7月)など過去の英国の首相*7」「米国のF・D・ルーズベルト(1933年3月~1945年4月)」、「我が国の池田(1960年7月~1964年11月)、佐藤(1964年11月~1972年7月)、中曽根(1982年11月~1987年11月)、小泉(2001年4月~2006年9月)、安倍(2012年12月~2020年9月)」等も独裁になるでしょう。このライターは彼らも独裁呼ばわりするのか。
 まあ、「モリカケ桜を見る会」安倍は独裁と呼んでもいい酷さでしょうが。
 しかも「メルケルは異常な親中派」て、この極右ライターが「異常な反中国」であるにすぎません。
 ドイツに限らず、どこの国だって中国と深い経済関係があり、敵対関係になどなっていない。
 そしてその「異常な反中国」と言う立場からメルケルに「独裁」などという非常識な悪口をしているにすぎません。もちろんメルケルが退任しようともそうした深い経済関係は変わらないし、その場合はこの種の極右は「ドイツの政治家は皆、異常な親中派」と更に誹謗をエスカレートさせるのでしょうが。
 この極右ライターの寝言にも軽く突っ込んでおきます。

 フォルクスワーゲンの2019年の中国販売は約423万台。全世界販売台数約1097万台(顧客ベース)のうち40%近くを占める。
 トヨタの中国市場での販売台数は162万台(約15%)と決して少なくはないが、ワーゲンの3分の1を少し上回った程度だ。

 「ワーゲンは中国にズブズブだ!。全販売台数の約4割が中国市場だ」と言いたいらしいですがトヨタの「全販売台数の約15%が中国市場」だって「中国市場重視」といえるでしょう。「15%(全体の1/7程度)なんてどうでもいい」と言う奴は普通いない。かつトヨタとしては今後も中国市場に力を入れていくでしょうからおそらく、この「15%」は今後もっと増えて「20%」などになってもおかしくありません。

 幸いにして、日本は太平洋戦争で戦火を交えた米国と少なくとも現在は蜜月だが、ドイツはそうではないのだ。

 吹き出しました。メルケルドイツ国民多数派は「無茶苦茶なトランプとその支持者」に対しては批判的で「蜜月(というか何でもトランプの言いなり)では無い」でしょうが、それは「ドイツが米国を敵視している」という話とは違う。むしろトランプにへいこらしてる安倍の方が恥ずかしい存在です。

*1:大連立の政治的是非はひとまず置きます。

*2:ブラント内閣国防相、経済相、財務相などを経て首相

*3:ニーダーザクセン州州議会SPD社民党)議員団長、ニーダーザクセン州首相等を経て首相

*4:「勿論短命政権もありますが」メルケルに限らず、ドイツで長期政権が多いのはそう言う政治風土なのかなと思いますね。

*5:チャーチル内閣国防相、イーデン内閣外相、財務相を経て首相

*6:サッチャー内閣財務相、外相などを経て首相

*7:「勿論短命政権もありますが」サッチャーに限らず、英国で長期政権が多いのはそう言う政治風土なのかなと思いますね。

黒坂真に突っ込む(2020年9月21日分)

黒坂真リツイート
 中野顕さん。PCR 検査能力を充実させると、金正恩は日本攻撃を断念しますか

 あまりにも非常識なので、黒坂を誹謗するための「俺の捏造」と思う方も居るでしょうがマジです。俺にはここまで非常識なツイートを思いつく想像力はありません。そもそも俺が捏造するまでも無く黒坂ツイートにはこの種のアホツイートが目白押しです。
 「PCR検査をもっと充実させるべきだ」&「(北朝鮮の核ミサイルなどを口実とした)敵基地攻撃能力には反対だ」(中野氏)というツイートにするリツイートじゃ無いですよねえ。
 当たり前ですが「PCR検査を充実させるべきだ」「敵基地攻撃能力には反対だ」という主張を中野氏が一つのツイートで同時にやっていても、それを「PCR検査を充実させれば敵基地攻撃能力が無くても北朝鮮に対応できる」と中野氏が主張していると理解する馬鹿は普通いないからです。「今現在、中野氏が強く訴えたいこと2つをツイートで同時に訴えた」とまともな人間なら理解する。
 PCR検査はコロナ予防が目的であって「それ以上でもそれ以下でも無い(当然、北朝鮮の核ミサイルなど、PCR検査に何一つ関係ない)」なんてことは今更説明するのもばかばかしい。
 黒坂ですら中野ツイートについてそんな理解は本当はしてないでしょう(つまりは言いがかりですが、あまりにも非常識なので言いがかりにすらなってないと思います)。
 そして、仮に「マジでそんな理解をしていた」のだとしても単に黒坂が馬鹿なだけです。
 まあ、正直、ここまでのキチガイは日本ウヨ広しといえども、俺の知る限り「黒坂真」大先生ぐらいなもんです。
 櫻井よしこにせよ荒木和博にせよ島田洋一にせよ、連中は「デマと詭弁」常習でもここまで酷くない。
 マジでまともに応答する気が失われますね。これがなんと「大阪経済大学教授」です。
 大学には失礼ながら、「大阪経済大学ってこんな奴が教授をやれるほどレベル低いの?」と言いたくなります。