今日の産経ニュース(2019年6月24日分)

【安倍政権考】失策追及は必ずしも野党の支持率アップにつながらない(1/2ページ) - 産経ニュース
 実際には「モリカケ」では大分支持率が落ちましたし、現在「年金2000万円問題」でも安倍内閣自民党共に支持率はいくらかは落ちています(それでも小生のようなアンチ安倍、アンチ自民からすればまだ高いですが)。
 確かにそうした、「安倍内閣や自民の支持率低下」は多くは「支持政党なし」の増加となり、野党支持には必ずしもつながってないようですが、本気で産経が「そんなもん追及されても痛くない」と思うならこんな記事は書かないでしょう。
 「野党の支持率増加につながらないんだから追及しても意味がない→だから野党は追及しないで下さい」という「はあ?」といいたくなる泣き言です。
 こんなもん、まともな人間は、「野党支持者だけでなく」自民党支持者ですら産経に呆れるだけでしょう。
 つうか「どこの国でも」少なくとも建前において「野党による与党の不祥事追及」は「正義の追及」のわけです。支持率がどうこういう党利党略話じゃない。「ニクソンウォーターゲート」「リクルート疑惑」「朴クネの崔順実疑惑」、何でもそうです。
 にもかかわらず、そういう党利党略話を平気でする。しかも産経は建前では「自民党とは別組織である」「自民を支持しなければいけない理由はない」「自民党支持者の団体として生まれたわけではない」のだから呆れますね。さすが、「産経下野ナウ。でも民主党の思い通りにはさせない」と産経公式ツイッターがツイートして「産経は下野してないでしょ?。いつから自民党機関紙になったの?」と批判され、産経のあだ名が「下野ナウ」になっただけのことはあります。


【主張】核のごみ円卓会議 解決促す日本発の妙案だ - 産経ニュース
 「国際的会議を開こう」レベルで「妙案」ねえ。そもそも「核のゴミ廃棄場所」がどこの国でも住民の反対運動で進まない中、「国際会議」を開いても何もどうにもならないでしょう。


吉本タレント11人謹慎処分 対応に追われるテレビ局 - 産経ニュース
 テレビ局やスポンサー企業に、特殊詐欺被害者団体や一般視聴者から「あんな人間をテレビに出すな」などと抗議があったんでしょうか?。当初、吉本や所属タレントがもくろんでいたような「たいした処分もなく幕引き」というわけにはいかなくなったようです。


【正論】靖国神社創立百五十年に際して 東京大学名誉教授・小堀桂一郎 - 産経ニュース

 我が国は昭和20年の敗戦以来本来の国土及び付属領海の幾箇所かを外国勢力の不法占拠*1に任せたままとなつてをり、又現実の侵略の危険*2にさらされながら手を束ねて依然〈諸国民の公正と信義に信頼して〉その返還・安全を空頼みにかけるより他ない為体(ていたらく)である。
 国土の守護神としての靖国の神々への国民の尊崇の念を新たにする事は今日喫緊の肝要事である。

 「国土の守護神?」ですね。靖国は、建前では「戦没者追悼の場」ではなかったのか。
 いずれにせよ「語るに落ちる」というかこの「国土の守護神=靖国の神」発言からはいろいろなことが想像できます。
 まず第一に「ウヨにとって千鳥ヶ淵ではダメな理由、靖国でないと行けない理由」はこれだろうということです。千鳥ヶ淵は「国土の守護神」ではなく戦没者追悼施設ですので。
 第二に「戦没者」でも「民間人や敵軍の兵士(戊辰戦争での彰義隊や白虎隊、太平洋戦争での米兵など)」は靖国に祀られていないこと、一方「戦没者」でない「A級戦犯(死刑や裁判中、あるいは服役中の病死*3)」「安政の大獄で死刑になった吉田松陰橋本左内」「桜田門外の変の水戸浪士」が祀られてることもこれが理由だろうと言うことです。「戦没者追悼施設ではなく、国土の守護神*4を祀る施設」が靖国であり「不戦を誓うのではなく、靖国の神様、我々が北方領土竹島を取り戻すのを応援して下さいと祈る」のが靖国だと言うことです。 
 しかし小堀も「戦没者追悼というのがウソだ」と自分から白状するとは滑稽な御仁です。

 上皇上皇后両陛下そしてやがては今上天皇皇后両陛下に靖国神社への行幸啓を請願できないものであらうか。

 まあ天皇一家はそんなことしないでしょうね。政教分離原則に反する上、国内外から「A級戦犯を美化するのか」と非難されるような行為をしても彼らにメリットはないからです。


【産経抄】6月24日 - 産経ニュース

 先の大戦で米軍に「パーフェクトゲーム」と言わしめた日本軍の作戦がある。76年前、昭和18年6月から7月にかけたちょうどいまごろ秘(ひそ)かに準備が進められた。米軍の包囲をかいくぐり、陸海軍将兵5200人を救出して「奇跡」といわれた。
 ▼舞台は北のアリューシャン列島の「キスカ島」。その名を知っていても、作戦に至る苦難を知る人は、いまではあまり多くないだろう。率いた海軍の木村昌福(まさとみ)中将を描いた『キスカ撤退の指揮官』(将口泰浩*5著)が光人社NF文庫に加わったのを機会に読み返した。
 キスカ撤退の2カ月前、日本軍はアッツ島玉砕で多くの将兵を失った。

 まあ、こういう「キスカ撤退成功」の様な事例は日本軍においては例外的ですね。多くの場合、「無謀な作戦(例:インパール作戦)でいたずらに死者を増やしていった」わけです(そもそもアメリカ相手に戦争すること自体が無謀ですが)。
 しかし、将口記者ですが

・『キスカ 撤退の指揮官』(2009年、産経新聞出版
・『アッツ島キスカ島の戦い:人道の将、樋口季一郎*6木村昌福』(2017年、海竜社)
・『キスカ島 奇跡の撤退:木村昌福中将の生涯』(2017年、新潮文庫、おそらく2009年の産経単行本の文庫化)
・『キスカ撤退の指揮官』(2019年、光人社ノンフィクション文庫、内容的にはおそらく2017年の新潮文庫と同じ)

て「どんだけ木村中将が好きなんだよ」ですね。まあ、戦前日本では珍しい「撤退成功事例」として自慢したい気持ちはなんとなく分かりますが。

参考

木村昌福(1891~1960年、ウィキペディア参照)
 海軍兵学校の卒業成績(ハンモックナンバー)が下位で、かつ海軍大学校甲種学生を経ていない。人事においてハンモックナンバーが重視される帝国海軍では目立つ存在ではなかったが、太平洋戦争開戦時には熟練した「水雷屋」として一定の評価を得ていた。
 「鈴谷」艦長時代にベンガル湾での通商破壊戦において敵の輸送船(民間船)を撃沈する際に乗員を退去させてから沈めるという人道的配慮を見せた。この際、自艦の機銃指揮官が射撃命令を出そうとしたとき、艦橋から身を乗り出して「撃っちゃいかんぞ!」と大声を出して制止した。
 ビスマルク海海戦では護衛部隊指揮官として参加。艦橋で敵攻撃機の機銃掃射により左腿、右肩貫通、右腹部盲貫銃創を負い倒れるが、最後まで指揮を行った。この際、信号員が咄嗟に挙げた「指揮官、重傷」の信号旗を「陸兵さんが心配する」と叱りつけて下げさせ、「只今の信号は誤りなり」と訂正させたというエピソードも残っている。
 キスカ島撤退作戦では、隠密作戦に必要な濃霧が発生している天候を待ち続け、作戦を強行する事はしなかった。1回目の出撃ではキスカ島の目前まで進出しながらも、霧が晴れた為突入を断念。強行突入を主張する部下たちに「帰ろう、帰ればまた来られるから」と諭して帰投し、状況をよく判断した指揮を行った。痺れを切らした軍令部や連合艦隊司令部からの催促や弱腰との非難にも意に介さず、旗艦で釣りをしたり、司令室で参謀と碁を打つなどして平気な顔をしていたという逸話がある。
 太平洋戦争中の数々の武勲や戦歴についても寡黙であり、1957年に元海軍中佐で戦史家の千早正隆*7が木村らに取材してキスカ撤退作戦の経緯を雑誌に発表するまでは、家族すら木村の事績を知らなかったという。

 この本で沖縄戦を勉強したい - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で「島田知事を美化しすぎるのもいかがなものか」という指摘があるように「木村中将を美化しすぎるのもまずい」でしょうが、日本軍では珍しい合理的な考えの持ち主として一定の評価に値することは確かだろうとは思います。

■『キスカ 撤退の指揮官』(2009年、産経新聞出版)のアマゾンレビュー
■upwave:人間臭い木村昌福に親しみを感じる
 軍上層部の無策により多くの兵士が犠牲となった太平洋戦争において、木村昌福のような軍人がいたことには何か潤いのようなものを感じた。
■BLESS
 大和魂、玉砕、特攻、生きて虜囚の辱めを受けず。60年前の戦争というと、こんな命知らずの言葉がイメージとして先行してしまうが上層部の批判をものともせず、人命を第一に戦局を冷静に判断したこんな上官もいたのだと読後、そんなふうに思えてなりませんでした。
■もっと知りたいチベット
 子供のころ、三船敏郎の映画『太平洋奇跡の作戦 キスカ』で「船だ」と叫ぶシーンがあったことを覚えています。三船の役が木村昌福だったが、名前は木村ではなかったような。それ位、うろ覚えでしたが、かっこいい映画だったと記憶しています。
 本書では優しく、部下を大切にする木村の素顔に触れています。特に「撃っちゃいかん」と敵兵の命を救う場面や戦後、部下の生活のため慣れない製塩事業を興すところなどは感動ものでした。

太平洋奇跡の作戦 キスカウィキペディア参照)
 1965年6月19日に公開された日本の戦争映画。日本海軍によって行われたキスカ島撤退作戦を題材にしている。
■あらすじ
 昭和18年(1943年)、アリューシャン列島のアッツ島守備隊が玉砕した。同列島のキスカ島守備隊も、連日に渡って米軍の砲爆撃による猛攻を受け、間近と予想される敵軍上陸により、このままではアッツ島守備隊同様に玉砕する日を待つばかりという悲壮な状況となった。海軍軍令部は、北方担当の第五艦隊司令長官川島中将(山村聡、当時の第五艦隊司令長官・河瀬四郎海軍中将がモデル)の説得により、キスカ島守備隊5千名の救出を決意する。川島は、作戦実行部隊である第一水雷戦隊司令官に海兵同期の大村少将(三船敏郎)を指名した。キスカ島守備隊の運命は、海軍兵学校を「ドンケツ」で出たという出世コースを外れた現場叩き上げの司令官、大村少将の手腕に託されることになる。

 河瀬(1889年生まれ)と木村(1891年生まれ)はほとんど同年齢ですが、山村(1910年生まれ)と三船(1920年生まれ)では10歳の開きがあるので実年齢で考えれば、同期はあり得ない話です(なお、実際には実年齢通り河瀬が、3期上の先輩)。

町山智浩『太平洋奇跡の作戦 キスカ』『血と砂』を語る
町山智浩*8
 今日は宣伝みたいな感じになって申し訳ないんですけども。僕が参加した本の話をさせてください。『三船敏郎全映画』というタイトルの本なんですけども。これ、俳優の三船敏郎さんが2020年で生誕100年になろうとしているんですね。それに向けて、三船さんの出演した映画、ほとんど全映画。150本を解説した大著なんですよ。
(中略)
 やっぱり(ボーガス注:『七人の侍』(1954年)、『蜘蛛巣城』(1957年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)、『用心棒』(1961年)、『椿三十郎』(1962年)といった)黒澤明映画の時代劇の侍という印象が強いと思うんですけども。今日はその話じゃない、三船敏郎さんの軍人役の映画についてお話をしたいんですね。
(中略)
 『快傑ライオン丸』は知っていますね。あれのシリーズのプロデューサーのうしおそうじさん*9三船敏郎さんと陸軍の航空隊にいた時、同じ部隊にいたんですよ。で、うしおそうじさんが同じ部隊で三船敏郎さんが上官を殴るのを見ているんですよ。それを証言しているんですよ。
 どうしてか?っていうと、日本では軍隊の中でも上官とか先輩の後輩や少年兵に対するいじめとか暴力とか嫌がらせがすごかったわけですよね。一応、規律では禁止されているのにやるんですよ。
 で、もうめちゃくちゃにやっているのを見て、三船敏郎さんが「ふざけんな! やめろ!」って立ち向かって。すると「お前、なんだ! 上等兵じゃないか!」って。要するに、下っ端じゃないかと言われて。「階級とか関係ねえだろ、この野郎!」って階級章を自分で破り捨ててぶつかっていったということがうしおそうじさんの目撃談として書いてあるんですね。
 で、実は三船さんは軍隊に7年間もいるんですよ。この人は。それなのに全く昇進しなかったのは徹底的に上官の部下とか後輩に対するいじめに逆らい続けて戦い続けたんで、厄介者ということで全く昇進しなかったらしいんですよ。
 それが三船敏郎さんという人だということが本当の目撃談として書いてあるのがこの本なんですけども。まあ、うしおそうじさんの本にも書いてありますけども。で、三船さんってそういう人なんですよ。だから、三船さんの戦争映画は全部そうです。だから、たとえば『太平洋の翼』っていう映画があるんですけども。そこでははっきりと「神風特攻隊の作戦をやろう」っていうのに対して「そんなことはやらせない!」って反対する役ですよ。
 で、その元になった人は源田実さん*10っていう軍人がいたんですけども。その人は別に歴史的には反対をしていないんですよ。でも、三船さんがやったら反対するしかないんですよ。だから役名まで変えられているんですよ。それであと、岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』っていう8月15日、敗戦のその日の24時間ちょっとを記録した映画がありますけども。あの中でも、「兵隊たちは悪くない!」って阿南*11陸相っていう陸軍大臣の役を三船さんは演じていますけども。で、「俺が全部責任を負う!」って言って自分で切腹して。他の兵士たちが「私もご一緒します!」って言うと「お前たちには日本を立て直すという仕事がある! 俺だけが罪を背負えばいい!」って言って腹を切っていくっていう役を三船さんはやっているんですね。
 常に一貫しているんですよ。やっている役が。で、あとは山本五十六っていう誰よりも有名な軍人を(『連合艦隊司令長官 山本五十六*12』で)演じていますけども、彼も戦争に徹底的に反対する役として三船さんはやっていますね。
(中略)
 でね、ちょっと今日は知られていない(ボーガス注:三船敏郎の主演)映画で『キスカ』っていう映画の話をしたいんですが。『太平洋奇跡の作戦 キスカ』っていうものなんですが、これは日本がアリューシャン列島というアメリカのアラスカのあたりにある国土を占領したことがあるんですよ。一瞬だけ。1942年、43年に日本がそこにあったアッツ島という島とキスカ島という島を占領したんですね。日本ってアメリカの国土を占領していたことがあるんですよ。ただ、そこがほとんど無人島みたいなところだったんで、結局占領をした後にミッドウェー海戦で負けちゃったりして、そこが戦略上意味がなくなっちゃうんですよ。占領したのに。で、どうするか?っていうと、日本軍が海外のいろんな島に行きましたけど、そのほとんどを見捨ててしまいましたよね。兵隊たちを。
赤江珠緒
 そうですね。
町山智浩
 で、多くの兵隊さんたちが敵と戦って死ぬというよりは、自ら万歳突撃をして自滅したり、自決したり、あとは餓死したり。まあほとんど自滅していったわけですよね。見捨てられて。ガダルカナルだったり沖縄だったり硫黄島だったり。ほとんどは自滅していく形で見捨てられていったわけですけども。
赤江珠緒
 そうですね。援護がないという状況でね。
町山智浩
 そうですね。「死んでこい!」っていう世界ですよね。ところが、このキスカだけはそこにいた5200人の兵士を全員救出しているんですよ。
(ボーガス注:三船敏郎が)木村(昌福)中将という将軍の役をやっているんですけども。まあ名前だけ「大村」っていう風に映画の中では変えていますけども。彼がものすごく緻密な作戦でこの5200人を救出する映画がその『太平洋奇跡の作戦 キスカ』っていう映画なんですよ。
赤江珠緒
 ああ、じゃあ実際にその史実をベースに。木村中将の采配で助かったということなんですか?
町山智浩
 そうなんですよ。これ、映画の中では大村少将ってなっていますけども。(作戦の当時は)木村少将ですね。で、彼がすごいのは、とにかく絶対に助けるんだっていうことで無茶な作戦をしようとしたり、「もう行きましょう!」っていうのを全部止めていくんですよ。「勝たなければ意味がないんだ。気合じゃないんだよ」っていう。要はほとんどが気合で行ったりしていたんですよね。沖縄なんかでもやらなくてもいい突撃をやったりしているんですけども。「そうじゃなくて、勝つことが大事なんだ。メンツとかそういうんじゃないんだ。耐えることも大事なんだ」って緻密にキスカの5200人を助けようとするっていう話なんですよ。日本軍の話だともう陰惨だったりひどいことをしたりするんじゃないか?って思うじゃないですか。そういうの、一切ないですから。三船さん、1人も殺さないですから。「助ける」戦いなんですよ。だから僕、『ダンケルク』っていう(ボーガス注:撤退戦を描いた)映画が公開された時、「これは日本(ボーガス注:の映画会社)が先にやっているよ」って言ったのはそういうことなんですよ。
山里亮太
 これ、DVDとかでいまも見れるんですね。
町山智浩
 いま、いろんなので見れます。ネット配信とか、いろんなので。

映画「太平洋奇跡の作戦 キスカ」を観てみた | 北海道で働く女社長の夫の蝦夷日記
 対米戦争の映画は史実として日本が悲惨な敗北を喫するので、暗い結末となるのが必然ですが、この映画は珍しく兵の命を尊重した作戦が題材なので、観ている方も安堵感があります。
 何よりも三船敏郎演ずる作戦指揮官・大村少将がとても魅力的です。大村の上司にして海軍兵学校同期の川島中将(演・山村聡)もいい。
 登場人物の印象的なセリフをいくつか。
 海軍兵学校をドンケツで出て、これといった戦歴もない大村少将の今作戦の指揮官起用に異を唱える幕僚に対して、川島中将の言葉。
「今度の作戦は敵を攻めるのではない。初めから戦果ゼロを目指して、しかも決死の戦いとなると、なまじ手柄をたてたがる奴には務まらんよ。しかし、あいつは腰は重いが、ここぞと立ち上がった時には必ず勝つ。昔からそういう男だ」
 大村の駆逐艦増援要求に尽力した川島に対して、大村があまり感謝の言葉を口にしない事にプライドを傷つけられた艦隊幕僚が、彼に詰め寄った際のやりとり。
「司令官は無礼です。駆逐艦の増援に対して努力された長官に対して、一言ぐらい感謝の挨拶があっていいはずです。感謝の気持ちも無いようでは、この作戦を指揮する資格はありません」
「それは逆じゃないのかなぁ。川島の友情の為だとか、長官の厚意に報いようだとか、そんなちっぽけな気持ちでは判断を誤まる。失敗するに決まっている。礼はいずれまとめて言う。しかしそれはキスカの5200名を無事に連れて帰った後だ」
 米軍の制海権にある中、霧に紛れてキスカ湾に突入する今回の作戦でしたが、第一回目の突入の際、前提条件の霧が晴れてしまったものの突入を具申する各艦長の意見を前に、大村少将の決断を伝える言葉。
「引き返す。帰ればまた来る事が出来る」
 結果、二度目の突入で5200名のキスカ島上陸部隊を撤収し、無事にこの作戦を大村少将は成功へと導きます。陰鬱な気持ちになる日本の戦争映画の中で、これほど晴れ晴れとした気持ちになる映画は他にはないでしょう。
 史実では、この作戦を指揮したのは木村昌福(まさとみ)少将(のち中将)。
 「帰れば、また来る事が出来る」は実際の発言です。
 1回目のキスカ湾突入を断念し日本の艦隊基地に戻った際は、映画でも描かれていたように軍中央は木村提督に非難の嵐を浴びせました。それでも彼はそういった声を気にせず、平然と聞き流していたそうです。もし突入を強行していたら、当時の米軍の動きから日本の救援艦隊は確実に発見・捕捉され、袋叩きにされたのが今日確実視されています。まさに信念の人でした。
 映画の大村は「海軍兵学校ドンケツ」となっていますが、実際の木村少将の卒業時の順位は118人中107番だそうで(似たようなものか)、加えて海軍大学も出ていない為、やはり出世コースからは完全に外れていた存在でした。しかし現場たたき上げの優れた水雷屋として、一定の評価はあったようです。
 またキスカ作戦時の上司・河瀬四郎中将(映画では川島)とは同期ではなく、河瀬中将が3期先輩に当たります(木村:海兵41期、河瀬:海兵38期)。映画の中では大村と川島が軽口をたたき合いますが、実際はそういう関係にはありませんでした。
 戦後、木村昌福は海軍時代の事を周囲にはほとんど語らず、1957年に「キスカ島撤退作戦」の取材で記者が木村の元を訪れて記事が雑誌に発表されるまで、家族の者でさえ彼の業績を全く知る事はありませんでした。


イスタンブール市長選 与党候補が敗北認める エルドアン政権に大打撃 - 産経ニュース
 再選挙自体、言いがかりも甚だしいものだったようですが、さすがに「再々選挙」つうわけにもいかないでしょう。
 首都での選挙で敗北というのはやはり痛いでしょうね(だからこそ無理矢理再選挙をしかけた)。
 とはいえ、今のところエルドアン政権が続いていることを考えれば過大評価も一方では禁物でしょう。
 「なぜイスタンブル市長選では勝てたのか?」「今回、野党共闘が成立したからか?(このあたり小生もトルコ政治に無知なので、以下、全て思いつきで書いていますが)」「エルドアン政権は地方では強いが都市ではむしろ弱いからか?」など野党側が勝因分析をした上で次に生かす事を期待したい。


引きこもり支援装う「引き出し屋」排除へ 家族会が実態把握 - 産経ニュース
 「支援者を装って、苦しむ家族を食い物にしよう」とはまるで巣くう会です。ただし、拉致被害者家族会は「進んで食い物にされてる」「食い物にされていいのか、と声を上げた蓮池透氏を不当にも除名した」ので俺は何一つ彼らには同情しませんが。

*1:勿論竹島問題と北方領土問題。

*2:ウヨの大好きな「中国の沖縄侵略ガー」「ロシアの北海道侵略ガー」のこと。

*3:A級戦犯のウチ、死刑としては東条英機元首相、裁判中の病死としては松岡洋右元外相、服役中の病死としては小磯国昭元首相などがいます。

*4:A級戦犯だけの責任ではない」とはいえ、無謀な太平洋戦争を開始するなどし、日本を亡国に導いた東条英機元首相らA級戦犯が「国家の守護神」というのも変な話ですが。

*5:産経新聞社会部編集委員(2015年に退社)。著書『キスカ 撤退の指揮官』(2009年、産経新聞出版)、『「冒険ダン吉」になった男・森小弁』(2011年、産経新聞出版)、『魂還り魂還り皇国護らん:沖縄に散った最後の陸軍大将牛島満の生涯』(2012年、海竜社)、『アッツ島キスカ島の戦い:人道の将、樋口季一郎木村昌福』(2017年、海竜社)、『極秘司令 皇統護持作戦:我ら、死よりも重き任務に奉ず』(2017年、徳間書店)、『キスカ島 奇跡の撤退:木村昌福中将の生涯』(2017年、新潮文庫、おそらく2009年の産経単行本の文庫化)、『キスカ撤退の指揮官』(2019年、光人社ノンフィクション文庫、内容的にはおそらく2017年の新潮文庫と同じ)など(ウィキペディア『将口泰浩』参照)

*6:キスカ撤退当時、北方軍司令官。

*7:著書『日本海軍の驕り症候群(上)(下)』、『連合艦隊興亡記(上)(下)』(中公文庫)、『日本海軍 失敗の本質』(PHP文庫)など

*8:著書『USAカニバケツ:超大国の三面記事的真実』(2011年、ちくま文庫)、『キャプテン・アメリカはなぜ死んだか』(2011年、文春文庫)、『アメリカは今日もステロイドを打つ USAスポーツ狂騒曲』(2012年、集英社文庫)、『底抜け合衆国:アメリカが最もバカだった4年間』(2012年、ちくま文庫)、『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(2012年、文春文庫)、『トラウマ映画館』(2013年、集英社文庫)、『99%対1% アメリカ格差ウォーズ』(2014年、講談社文庫)、『トラウマ恋愛映画入門』(2016年、集英社文庫)、『〈映画の見方〉がわかる本:ブレードランナーの未来世紀』(2017年、新潮文庫)など

*9:著書『昭和漫画雑記帖』(1995年、同文書院)、『夢は大空を駆けめぐる:恩師・円谷英二伝』(2001年、角川書店)、『手塚治虫とボク』(2007年、草思社

*10:戦後、航空幕僚長自民党参院議員を歴任。著書『海軍航空隊始末記』、『真珠湾作戦回顧録』(文春文庫)など

*11:陸軍省兵務局長、人事局長、陸軍次官、鈴木内閣陸軍大臣など歴任

*12:海軍航空本部長、海軍次官連合艦隊司令長官など歴任