リベラル21と阿部治平を今日も嗤う(2020年7月6日分)

リベラル21 遠ざかった夢、左翼衰弱の理由
 まあ「何だかなあ」ですね。こんなことは「阿部の個人ブログ」ならともかく、リベラル21に掲載することでは無いでしょう。
 以前から「リベラル21」は批判していましたが、この機会に「リベラル21」というタグをつくることにしました。

・平田勝著『未完の時代―1960年代の記録』(花伝社2020・04)
・1985年出版社「花伝社」を設立したとき共産党から離党した。現在花伝社代表取締役
・本書第5章に40数ページにわたる1972年の「新日和見主義事件」に関する記述がある。私は一読して、これこそ彼の日本共産党論であり、最も語りたかったことだと思った。
 平田氏は事件の左翼運動に対する影響についてこう評価している。
「1960年代に盛り上がった学生運動は、1972年に起こった新日和見主義事件で頓挫する。(西欧左翼と比較したとき)その後の強力な民主主義運動を生み出すことにも直接つながらず、政党の刷新や新党の結成など新しい政治潮流を生み出すこともできなかった」
「この事件は、その後の民主運動はもちろん、党の勢いにも影響を及ぼすのではないかと当時から私は思っていた。民主運動、革命運動にとっての世代断絶を引き起こしたのだ。事態はその時憂慮していた通りに推移している」

 タイトル「左翼衰弱の理由」と記事本文「いわゆる新日和見主義事件*1についての共産党非難」は完全にずれてますね。
 そもそも「左翼衰弱の理由」と「新日和見主義事件」を直結させること自体がおかしい。
 当然ながら「昔だと社会党社民連」「今だと社民党」など共産党以外の左派政党はあるからです。また左派団体も労組や市民団体などがあり、学生運動だけが左派運動では無い。
 また、

「1960年代に盛り上がった学生運動は、1972年に起こった新日和見主義事件で頓挫する。」

と言う認識自体が適切なのかどうか。
 学生運動イコール「共産系の民青」ではないからです。非共産系の学生運動も無論存在する。
 「新日和見主義事件の過大評価」、「共産党への不当な言いがかり」、「共産党以外の左派勢力(社会党社民連など)の力不足への免罪」も甚だしいのでは無いか。

 共産党は70年代のいくつかの選挙で勝利した。だが長続きしなかった。

 そもそも1970年代と言えば、1980年の衆院総選挙で自民が「大平*2総裁弔い選挙」で勝利。その後も1980年代は中曽根*3長期政権で、「共産党だけでは無く」野党自体が苦しい立場でした。
 一方、1980年代には「ソ連のアフガン侵攻(1978年)」「カンボジアポルポト虐殺(1979年)」「ソ連の大韓機撃墜(1983年)」「北朝鮮ラングーン事件全斗煥暗殺未遂事件)(1983年)、大韓機爆破(1987年)」「中国の天安門事件(1989年)」など*4共産主義のイメージが最悪になる。
 フランスやドイツ、イタリアはともかく1980年代は英米でも「レーガン政権」「サッチャー長期政権」で右派が強かった。
 1980年代の日本共産党の苦戦について、そうした外部条件を理由に「日本共産党の内部条件」を無視するのは勿論間違いです。
 しかし、逆にそうした外部条件を無視して全てを「日本共産党の内部条件」扱いする阿部は(そして平田氏も?)間違っています。

 民青は衰弱の一途をたどり、かつての20万人から2017年には9500人まで減少した。いま共産党のおもな活動家は70歳代だ。20、30歳代の党員はおそらく数%であろう。

 と言う阿部の酷評が実態に合致しているのかは俺は無知なので知りません。
 ただ以前も書きましたが

高世仁に突っ込む(2020年6/18日分) - bogus-simotukareのブログ
 共産党が擁立した吉田万三氏が足立区長選に、矢野裕氏が狛江市長選に当選したのが1996年、 長尾淳三氏が東大阪市長選に当選したのが1998年、 中里長門氏が陸前高田市長選に当選したのが2003年です。また、 1997年東京都議会議員選挙では共産党は26議席を獲得し「公明24議席」「民主党12議席」を上回り「自民54議席」に次ぐ第二政党となり「都議会共産党ショック」と呼ばれました。この頃がちょうど1970年代後半生まれの俺が選挙権を獲得した前後です。こうした共産党への当時の追い風が俺を「共産支持者(ただし党員では無い)」にしたわけです。改めて当時の「ある種の共産ブーム」を思い起こしました。当時は「天安門事件当時、ソ連崩壊時(1980年代後半~1990年代前半)の共産バッシングを乗り越えてよくぞここまで」とある種の感動を覚えました

と言う事実があるわけです。社会党(後に社民党)、新進党民主党などと言った他野党に失望した選挙民が一時の雨宿り的に共産を支持したという面があるにせよ、共産党は決して「1980年代の苦境」以降、一路、衰退したわけでは全くない。むしろ社民連民社党の方が(民主党などに吸収される形で)消滅して無くなったわけです。
 五十嵐仁 - Wikipedia氏が著書などで言うように「共産党など何ら評価に値しない」と思っていたら一時的でアレ共産支持なんか無い。
 世論調査においても現在、共産党は「支持率6%前後」でこれは「最大与党自民、最大野党立民」よりは下ですが「公明、国民民主、社民」を上回っています(維新の支持率が「吉村大阪府知事のコロナ対応を持ち上げるマスコミ」のせいで最近のびて共産を上回っていますがいずれ落ちるだろうと思います)。
 もちろんだからといって共産党に問題が無いとは言わない。
 しかし「共産党が今の日本社会、政界において何の影響力も無ければ支持もされてないかのような阿部の物言い」は明らかにおかしい。
 大体「高齢者が多い」「構成員が減少傾向」云々つうなら「リベラル21はどうなのか」つう話です。
 阿部(1939年生まれ)のほかも、田畑光永(1935年生まれ)、広原盛明(1938年生まれ)、澤藤統一郎(1943年生まれ)だの寄稿者は「70歳以上のジジババばかり」ではないのか。そして構成員は増えてるのか。それでよくもまあこんなことがいえたもんです。
 過大評価はしませんがこの辺り、 吉良よし子氏(1982年生まれ)を参院議員、常任幹部会委員にしたり、赤旗にAKB48や藤原紀香、相葉雅紀ら大物芸能人が出る理由(2016年9月21日)|BIGLOBEニュースが指摘するように赤旗日曜版に芸能人インタビューを掲載したりする共産党は「若者の支持獲得」について一定の目配りをしている。
 リベラル21はその程度の目配りすらしてないんじゃ無いのか。

 平田氏は、「(公式の党史の)『日本共産党の八十年』から新日和見主義事件に関する記述はすべて消された。共産党はこの事件が『風化』することを待っているのだろうか」と強い不満を明らかにしている。私も共産党は、公党として党史から新日和見主義事件を削除した理由を明らかにすべきであると考える。

 まあ「明らかにすべき」ではあるでしょうが「聞かなくてもなんとなく分かるだろ」つう話でもある。
 川上『査問』など「処分された側の批判」に対し「あの件で、党は100パー正しい、川上らが100パー間違ってるとは言いがたいが、再検討して再評価するにはいろいろとしがらみがある」ということで従来「100パー正しい」かのように書いていた記載をひとまず削ったと言うことでしょう。
 それは「処分されるいわれは無い、不当処分だという俺たちの言い分が認められてない」と言う意味で川上氏や平田氏には不満が残るでしょうが、「100パー正しい」と書き続けることが「ひとまずなくなった」と言うことでは喜ぶべき事じゃないんですかね。
 それにしても平田氏はともかく「ダライラマの不祥事(オウムからの金銭受領)」にはとことん甘い男・阿部が良くも言ったもんです。
 阿部の方こそ「不祥事に対する反省の弁」をダライに求めたらどうなのか。

*1:これについては、同時代社創業者である川上徹 - Wikipediaの著書『査問』(1997年、筑摩書房→2001年、ちくま文庫)が特に有名ですね。

*2:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*3:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*4:最近の若者はこれらをほとんど全て知らないでしょうが