珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年7/25日分)(副題:今日も高世に悪口する)

ホロコーストの揶揄で問われる日本の人権感覚 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 俺は「巣くう会の太鼓持ち幇間」高世には「とっとと死ね、クズ」「老害がいつまでも生き恥さらしてるんじゃねえよ。『死もまた社会奉仕*1』て言葉知ってる?」という憤りや憎悪しかないので、今日も高世を罵倒します。
 高世が何か書いたのを読むときも「これ、一見、正論ぽく聞こえるけど、何とかして罵倒できないかな」「こじつけでもいいから罵倒してえな」という感じですね。実際、高世について何か書くときはほぼ毎回罵倒ですが。
 なお、タイトルからして「はあ?」ですね。
 「ホロコーストの揶揄」なんぞあろうとなかろうと「歴史認識問題での無反省ぶり(慰安婦や徴用工問題での菅政権の態度)」一つとっても日本社会にまともな人権感覚なんかあるわけもない。
 まあ、そもそも高世自身が
1)国連人権理事会や日弁連から「違法な人権侵害」と批判される朝鮮学校無償化除外を正当化し
2)河野談話否定論を放言する「西岡力(巣くう会会長)」「島田洋一(巣くう会副会長)」など極右の巣窟と化してる巣くう会を何一つ批判できず
3)田中均氏の外務省追放に加担しながら未だに田中氏に謝罪ができない「人権感覚皆無のクズ野郎」ですが。
 高世のクズぶり、ゴロツキぶりについては
そういうことであるなら、小泉元首相、田中均氏、蓮池透氏らに陳謝する用意くらいはあるんだろうな - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2020.12.21
北朝鮮が崩壊する前に自分の会社を倒産させた無様で無残な話 - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2021.4.28
けっきょく「横田めぐみ拉致問題における安明進証言」などというものにのっかったのが、高世仁が会社をこかした淵源(の少なくとも1つ)ではないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2021.5.25
巣食う会とか家族会系の連中とかかわった北朝鮮関係の言論人は、その後ろくな状況でないと思う(関川夏央や高世仁、恵谷治、李英和ほか) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2021.7.14
を紹介しておきます。

 40%超の視聴率だったようだが

 「小山田圭吾小林賢太郎の辞任で開会式がどうなったのかという怖いもの見たさ」「コロナ下で外出が自粛されてるのでテレビ視聴」つう要素が大きいんじゃないかと思いますね。つまり必ずしも「五輪万歳」ではない。

 一夜明けて今朝の「天声人語」から。
《東京という場を借りただけのようなこのイベントは、果たして必要だったのかと。》
 「東京という場を借りただけ」のイベントという表現に、そのとおりと同意する。五輪を東京でやる意義が分からないままだからだ。

 ということで早速「天声人語」とセットで高世を罵倒します。
 そもそも「五輪の開催場所」なんて「ロス(1984年)」「ソウル(1988年)」「北京(2008年)」、どこであれ毎回「そこでやる必然性」なんか「どこにもない(ただの場所貸し)」と思うんですが違うのか。つうか「ただの場所貸し」で何が悪いのか(「いや、悪くない」という反語)。
 そして高世や天声人語にとって、どんな開会式なら「東京でやる必然性、意義」を示したことになるのか?
 まあ、「東北復興五輪とか抜かしてたけど開会式のどこにそういう要素あったの?」とは思います。もしかして高世や天声人語の言いたいことはそういうことか。でも、だったらもっとストレートに「開会式に東北復興五輪なんて感じなかった」て言えばいい。
 それとも別の意味なのか。別の意味だとしてどんな意味なのか、さっぱりわかりませんが。こんな意味不明な文章では「アンチ菅政権」「東京五輪開催反対派」の俺ですら「何が言いたいのかさっぱり解らない。アンチ菅政権として何でもかんでも批判するのが朝日や高世のやり口か?。建設性皆無だねえ」と思うのだから、「菅政権支持者」「東京五輪開催支持派」はなおさら「朝日がくだらない因縁つけてる」としか思わないでしょう。

 今朝の「ウエイクアップ+」に出演した二宮氏*2は、まだ五輪をなぜやるのか、意義が見えていない、意義が分からないから遠心力が働く、求心力をつくるには意義をはっきりさせることだ、大会期間中、意義を問い直して発信し続けよと語った。
 菅首相は、1964年の東京五輪の思い出話をさかんに出す*3のをみてもわかるように、五輪一般、スポーツ大会一般の意義―アスリートが持てる力を出し切って競うことはすばらしい、とか―しか語っていない。
 いま、なぜここ日本の東京で開かなければならないか、この意義がいっさい明らかにされないまま、ダラダラと今に至っているのだ。
 この責任は、これから繰り広げられるスポーツ競技がおもしろかろうが、問われなくてはならない。

 高世と二宮のバカさには「はあ?」ですね。「そんな意義はどこにもねえよ。あるというならお前の考える意義をここで言ってみろ!」ですね。
 正直、五輪の意義なんて菅の言う「アスリートが持てる力を出し切って競うことはすばらしい」以外には「何もない」と俺は思います。
 とはいえ「その程度の意義」で「緊急事態宣言下での五輪開催」が正当化できるとは俺は思いませんが。
 つうか、こじつけですら今の東京で五輪をやる意義って、俺には菅の言う「コロナ下でも五輪はできると言うことで、コロナによる陰鬱な空気を払拭したい」程度のことしか思いつきませんが、二宮や高世が言いたいのもそういうことなのか。それとも、別に何か意義があるのか。何か意義があるというなら「お前がまずそれを言えよ、二宮、高世」ですね。
 それともこれは「まともな意義が発信できるものなら菅政権や東京都、IOCJOCは発信してみろ(そんな意義はないと思うが)」つう皮肉なのか。
 だったらそんな回りくどいことしないでストレートに「今の東京で五輪をやる意義はない」と言ったらどうか。
 なお、二宮や高世の言う「意義」云々で思いつきましたが「完全に話の脱線です」がなぜ拉致が風化するかと言ったら*4、二宮や高世の言葉をもじれば

なぜ経済制裁をやるのか、意義が見えていない、意義が分からないから遠心力が働く(つまり拉致問題の風化)、求心力をつくるには意義をはっきりさせることだ*5
拉致をどう解決するのか、方法論が見えていない、方法論が分からないから遠心力が働く(つまり拉致問題の風化)、求心力をつくるには方法論をはっきりさせることだ

拉致問題において経済制裁の意義がいっさい明らかにされないまま、2002年の小泉訪朝から18年もダラダラと今に至っているのだ。
この責任は、これから繰り広げられる北朝鮮拉致問題の動向がどうなろうが、問われなくてはならない。

と言うことだと俺は思います。まあ、「求心力がない」云々つうなら「拉致の風化」なんて「東京五輪がコロナ蔓延や小山田、小林の不祥事辞任などのために祝賀ムードじゃない」レベルではない「悲惨な状態」です。とにもかくにも五輪がテレビ放送されるのに対して、今や拉致なんか全くテレビ放送しません。東京五輪を「求心力がない」云々言うなら高世は東京五輪よりも「拉致の風化」でも問題にしたらどうなのか。そう言ったら「経済制裁支持」の「巣くう会、家族会の太鼓持ち幇間」高世は「ジンネット倒産を契機に拉致問題から逃げ出した卑怯者、クズの分際」でマジギレなのでしょうが。だからこそ、俺は高世が「反吐が出るほど大嫌い」で「軽蔑や殺意や憎悪、憤怒」といった「負の感情」しか奴には感じませんが。

 抗議声明を出したアメリカのユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」のエイブラハム・クーパー副代表は「ナチスの犠牲者の家族が感じていることを日本の方にもわかってほしい。北朝鮮に拉致された人たちのことをお笑い芸人が冗談にしたら、日本の人びとはどう感じるだろうか」と語っている。(朝日新聞23日朝刊)

 俺的には「何でそこで例に出てくるのが北朝鮮拉致なんだよ!」「北朝鮮拉致は人権問題ではあってもホロコーストのような戦争犯罪じゃねえだろ!、ヘイトクライムでもねえだろ!。クーパー、お前は巣くう会や家族会の幇間か!、太鼓持ちか!、高世の同類か!」と不快感を禁じ得ませんね。
 何でそこで出てくる人権問題が例えば

◆映画『ひめゆりの塔』(1952年、1982年(リメイク版)、今井正監督)が描いた『沖縄戦の悲劇』
◆映画『橋のない川(第一部、1969年)(第二部、1970年)』(今井正監督)が描いた被差別部落問題
◆映画『砂の器』(1974年、野村芳太郎監督)が描いたハンセン病差別
◆映画『黒い雨』(1989年、今村昌平監督)が描いた原爆投下

などではないのか。
 そもそも「ホロコースト戦争犯罪ヘイトクライムであること」を考えれば例に出すべきは

◆日本軍の戦争犯罪である沖縄戦での集団自決強要や戦争マラリア問題
◆米軍の戦争犯罪である原爆投下
旧ソ連戦争犯罪*6であるシベリア抑留
◆日本右翼によるヘイトクライムである『関東大震災での朝鮮人虐殺』

など「戦争犯罪ヘイトクライムであるべき」ではないのか。
 なぜ拉致だけ異常なまでに特別扱いされるのか。「神様、仏様、拉致被害者家族様」か。そんなことだから家族会の連中(特に横田早紀江)が図に乗るわけで実に不愉快です(家族会の下劣さについては例えば拉致被害者家族たちは態度が悪い - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2009.6.15)参照)。
 なお、俺個人は「お笑いにする必然性がある」のであれば「ホロコーストだろうと北朝鮮拉致だろうと何だろうと」お笑いにしていいと思います。
 ただし「そうした必然性はなかなか認められない」し、だからこそ今回の小林の更迭と謝罪のわけですが。
 ちなみに以前、俺は

横田早紀江の悪妻ぶりを見てると映画『ダメおやじ』のオニババを連想する。早紀江は倍賞美津子ほど美人じゃないけど!
◆『めぐみちゃんは生きてる!(早紀江)』て『ブラジルの勝ち組』と何が違うんだ。馬鹿馬鹿しくて話にならない。
◆『特定失踪者を返せ』なんてのは『一休さんとんち話』の『屏風の虎を縛れ』と同じでいいがかりでしかない。一休さんが「まず屏風から虎を出して下さい」といったように「まず特定失踪者が拉致だと証明して下さい」と巣くう会のバカどもには言いたい
◆『強く願えば解決する(早紀江)』のならたとえば『戦前日本の対米開戦』『毛沢東の大躍進』も成功してた

などと書いてきましたが、これは高世や「サイモンの幹部」にとっては果たして揶揄なのかどうなのか。俺個人は勿論揶揄だとは全く思ってませんし、仮に揶揄だとしても『正当な揶揄*7』と思いますが。そして俺は拉致被害者家族会には軽蔑、憎悪や憤怒といった「負の感情」しかもはやありません。

*1:元老・山県有朋に批判的な石橋湛山(戦前、東洋経済新報主筆、戦後は政界入りし、吉田内閣蔵相、鳩山内閣通産相を経て首相)が山県の死去時に山県への皮肉として延べたと言われる言葉。

*2:著書『スポーツ名勝負物語』(1997年、講談社現代新書)、『最強のプロ野球論』(2000年、講談社現代新書)、『スポーツを「視る」技術』(2002年、講談社現代新書)、『プロ野球の一流たち』(2008年、講談社現代新書)、『プロ野球の職人たち』(2012年、光文社新書)、『プロ野球「衝撃の昭和史」』(2012年、文春新書)、『プロ野球 名人たちの証言』(2014年、講談社現代新書)、『プロ野球名脇役』(2014年、光文社新書)、『広島カープ 最強のベストナイン』(2016年、光文社新書)、『プロ野球 人生の選択:なぜあの選手は生き残ったのか?』(2018年、廣済堂新書)、『歓喜と絶望のオリンピック名勝負物語』(2021年、廣済堂新書)など

*3:高世のくだらない思い出話(例えばけっきょく「横田めぐみ拉致問題における安明進証言」などというものにのっかったのが、高世仁が会社をこかした淵源(の少なくとも1つ)ではないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)に比べたら菅の思い出話の方が「ずっとマシ」でしょう。おそらくそう言ったら高世はマジギレでしょうが。

*4:ええ、俺は高世の記事にコメントするときは、その記事が拉致問題に関係なくても、いつも「こじつけでもいいから、拉致問題に絡めて高世批判できないかな?」と思っています。そして「こじつけ」でも「拉致問題に絡めた高世批判」を思いついたら、このように記事に書くことにしています。

*5:ただし対価なくして北朝鮮から拉致被害者が帰ってくるのか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2016.12.9)という指摘の通り「拉致解決」と言う意味では「制裁に意義などない(むしろ逆効果であり、拉致を解決したいなら制裁をすぐに辞め、経済支援とのバーター取引をすべき)」と俺は思いますが。

*6:『日本降伏後(敗戦後)の行為』でありもしかしたら『国際法上の戦争犯罪には該当しない』かもしれませんが道徳的な意味では『戦争犯罪と言っていい』と俺個人は思っています。

*7:揶揄といった場合「いわゆるスターリンジョーク」のような「政治的に正当なものと一般に評価されるもの」も含まれるのかどうなのか。