「日出処の天子」をめぐって3 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
「日出処の天子」をめぐって2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。
きのうパラリンピックが開会した。
もう国論は二分されてなどいない。みんなは、パラリンピックに反対しているのではない、病気になっても治療を受けられない国家危機のときにやるのは反対だと言っているのだ。
小生は、高世同様に「パラ開催反対派」なので「こういうことを書くことは正直躊躇する」のですが、あえて書きます。
パラについて「一般の有観客は不可」と言う点では「国論は二分されてなど、ない」でしょう。だからこそ菅も「無観客」にした。
しかし「学校連携観戦」や「開催(勿論無観客ですが)」については「俺や高世のような開催反対派」にとっては残念ながら将来はともかく、現時点では「国論は二分されてる」と言わざるを得ない。国論が二分されてるからこそ、菅は無観客開催や学校連携観戦を強行したし、テレビ局もパラを放送するわけです。
にも関わらず「国論は二分されてない、皆開催反対だ」。高世も無茶苦茶なことを言うもんです。そういう「デタラメな態度」がジンネットの倒産の原因ではないのか。
この新解釈はすばらしい。これだけでも本書は高く評価されていい。
専門家でない素人の高世が「従来の通説とは違う河上氏の新解釈」を高評価する理由は何なのか。
もちろん「通説だから常に正しい」とは言えませんが、多くの場合「通説は正しい」。「長年、多くの人間が主張した通説」にはそれなりの重みがある。通説否定などそう簡単にできることではないし、多くの場合、通説否定は「間違っています」。
にもかかわらず、研究者でもない「素人」高世が「通説に反する」河上氏の新説を褒める理由は「通説だと聖徳太子は外交音痴、夜郎自大」になってしまうが「聖徳太子ファン」の高世が「聖徳太子」を「そのような失敗者と認めたくないから」でしょう。あえて言えば「聖徳太子ファン」高世の「やってること」は「南京事件否定論」「河野談話否定論」「張作霖暗殺・コミンテルン陰謀論」などの「つくる会と同レベルの歴史捏造行為」でしかない(ここでは河上説の是非については論じてないこと、あくまでも高世の『非学問的な態度』を批判していることをお断りしておきます。そもそも素人の俺には河上説の是非を論じる能力はありませんし、高世と違って俺は聖徳太子には正直な話、あまり興味もありません)。
ただし、河上氏の歴史叙述の方法には同意できないものがある。
もちろん「素人」高世の場合、これも「歴史学的な意味で賛同できない」のではなく「つくる会と同レベル」の「高世にとっての理想の古代日本史を作りたい」というあえて言えば「歴史捏造行為」でしかありません。
高世にとって「都合のいい河上説」は支持し、「都合の悪い河上説」は否定する。それはもはや学問と呼べる代物ではない。
こうした高世の「事実を虚心坦懐に論じるのではなく、感情論でものを見てしまう」人格的なゆがみが「ジンネットを倒産させた」といっていでしょう。高世のこうしたゆがみはおそらく「死ぬまで直らない」し、直す気すらないのでしょう。およそ高世は「ジャーナリスト」をやるべき人間ではありません。もちろん高世は学者にも向いてない。
「日出処の天子」をめぐって2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年8/24日分)(副題:今日も高世に悪口する) - bogus-simotukareのブログでコメントした「日出処の天子」をめぐって - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。
私は冒頭、私たちがなぜいまここにいるのかを138億年の宇宙史からお話しした。これについては別に書こう。
やれやれですね。高世は「138億年の宇宙史」の専門家ではない。「素人」高世にそんなことを頼む方をバカなら、引き受ける高世もバカです。
通説では、「天子」は中華思想上の意味で使用されたと考えられてきた。しかし、中華思想では「天子」はたった一人しか認められないはずだ。だから、この書を送った聖徳太子は「外交オンチ」だとの評価もあった。
これまで私は、聖徳太子がこの書で、隋に対して「自主的」な態度を示そうとしたと思っていた。しかし、やはり「天子」から「天子」へなどと表現すれば、隋皇帝、煬帝(ようだい)が激怒するのは必至*1なのに、なぜあえてそんな大それたことをしたのかは疑問だった。また、「天子」の語を使った書を受け取ったうえでも、煬帝が倭国の留学僧を受け入れたのはなぜなのか。
河上氏の独自の新しい解釈が私の疑問を解消してくれた。
(つづく)
他の問題はともかく
なんてのは容易に「理解可能」ですよね。
つまりは「腹が立ったが、煬帝的には、当時の日本に利用価値があったので怒りを抑えて付き合った」と言うだけの話です。
安倍時代の日本政府に対して「侵略戦争に対する反省がない」と怒りを覚えながらも中韓が「国交断絶」などの措置に出なかったのと話は何ら変わらないでしょう。
何もこれは「日本と中韓の関係」に限らない。「腹が立つからケンカする」では世の中はたいていの場合すみません。
利害関係やしがらみなどがあれば「腹が立っても」付き合わざるを得ないわけです。