珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年10/6日分)(副題:今日も高世に悪口する)

閔妃暗殺―日韓近代史の暗部に分け入る - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 今更高世がこんな話をして「日本の侵略や植民地支配に厳しい人間」を偽装しようとしたところで「説得力は皆無」といっていいでしょう。
 なぜなら高世が長い間「アンチ北朝鮮運動のお仲間」として交遊してきた

救う会
救う会会長・西岡力
救う会副会長・島田洋一
特定失踪者問題調査会代表、予備役ブルーリボンの会代表の荒木和博(救う会元事務局長)
【守る会】
◆元守る会代表・三浦小太郎(つくる会理事
 但し、つくる会理事での三浦の肩書きは「アジア自由民主連帯協議会事務局長」だけであり、「守る会と三浦の今の関係」は今ひとつよくわかりません。守る会の公式サイト特定非営利活動法人 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会は「一番新しい記事が2021年7月23日」という2ヶ月前の記事で「ほとんど更新がされておらず」、佐伯浩明が代表だと言うことはわかりますが他の役員はさっぱりわかりません。どう見ても活動が停滞しているとみるべきでしょう。

慰安婦は公娼で戦争犯罪ではない。河野談話は間違ってる
端島炭鉱の朝鮮人労働に何の問題もない

などと「日本の朝鮮侵略、植民地支配」についてデマを飛ばす歴史捏造主義者だからです。かつ、「こうしたウヨ連中」と付き合ってきた頃は高世は「北朝鮮叩きしかやってなかった」。
 しかし「拉致の風化→ジンネットの倒産」で高世は「そのように偽装した方が仕事が増えるのではないか」という判断の下に「日本の侵略に厳しい人間」であることを偽装することに「方針転換した」のでしょう。
 「つくる会理事」という「歴史捏造主義右翼」三浦小太郎について、何ら批判せず、それどころか「高世にとって都合が悪い」ので「三浦がつくる会理事」であることには全く触れず、あげく

三浦小太郎が斬るNY平壌公演1 - 高世仁の「諸悪莫作」日記2008.3.12
 畏友、三浦小太郎さんが、先月、この公演を批判するすばらしい文章をある雑誌に書いた。三浦さんという人、政治だけでなく、文化・芸能にも強い。阿久悠ZARD坂井泉水が亡くなったときには、味わい深い追悼文を書いたし、クラシックからジャズ、ロック、はてはサブカル系アート、少女漫画まで何でもありの実に幅広い教養人だ

嘘の人権 偽の平和 - 高世仁の「諸悪莫作」日記2010.12.26
 畏友、三浦小太郎さんの先月発売の著作『嘘の人権 偽の平和』(高木書房、1200円)が届いた。
 三浦さんは、評論家にして「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の代表をつとめる活動家でもある。以前から、彼の見識の深さ、確かさには教えられることが多かった

2019年に読んだ10冊の本 - 高世仁の「諸悪莫作」日記2019.12.31
 三浦さんは長い付き合いの畏友である。

などと「右翼活動家」三浦を「畏友(畏敬する友人)」「実に幅広い教養人」「彼の見識の深さ、確かさには教えられることが多かった」とまで過去に高く持ち上げた高世が「日本の植民地支配は問題だ」といったところで「あなたの畏敬する友人・三浦が、つくる会理事として日本の植民地支配を美化してることを何一つ批判しないのでは説得力ゼロですね、高世さん(呆)」「つうか、つくる会理事の三浦なんか畏敬したり、教養人扱いしたりしていんですか?。あなた本当に日本の植民地支配が問題だと思ってるんですか?」で終わる話です。
 高世がやってることは「警察の暴力団追放ポスター」に活用された芸能人(例えば歌手)が「暴力団の忘年会や新年会」で「ギャラをもらって」歌を歌うくらい無茶苦茶です。
 あるいは「UR疑惑への批判の声『甘利氏を幹事長にすべきではない』を無視し、甘利を幹事長にしながら、『他人の声に耳を傾けたい』と言って恥じない岸田並みの醜態」というべきでしょう。
 多分、高世にとって「つくる会理事・三浦を絶賛する文を未だに掲載してること」は俺のような「アンチ高世」には触れられたくない黒歴史でしょう(しかしそれでも何故か削除も言い訳もしないで未だに三浦礼賛文をそのまま掲載してるのには心底呆れますが。未だに三浦にこびないといけない理由でもあるのか?)。誰かに「つくる会理事・三浦を畏友と呼んでることと、朝鮮植民地支配への批判と矛盾しないのか」と面と向かって聞かれたら高世はしどろもどろでしょう。
 ということで「俺のコメントに気づくやいなや、速攻削除」でしょうが高世記事には

 高世さん、あなたが「新しい歴史教科書をつくる会理事」という歴史修正主義極右・三浦小太郎氏を過去記事(例えばhttps://takase.hatenablog.jp/entry/20191231)で「畏友」と高評価したこととこの記事と矛盾しませんか?
 あなたが本気で「朝鮮植民地支配」を法的、政治的、道徳的に問題だ、日本の「負の歴史だ」と思うのなら「つくる会理事」三浦氏への高評価は撤回したらどうですか?

とコメントしておきます。
 以前も「承認制です」と表示されたのに今回も「投稿後、即、掲載」です(失笑)。
 「承認制です」としながら「実際には承認制ではない」という高世コメント欄の「奇妙な設定」には改めて吹き出しました。
 そしてその後、高世は、俺のコメントに気づくやいなや「過去にそうした」のと同様に今回も「反論すること」はせずに、「躊躇なく俺のコメントを速攻で削除する(勿論削除の事実には全く触れない)」のでしょう(追記:やはり予想通り、掲載後、30分も経たないで削除です)。いつもながら高世も呆れたバカです。
 それはともかく、正直、「朝鮮植民地支配を口先で批判しながら、一方で朝鮮植民地支配を美化する歴史修正主義者・三浦を礼賛する」高世のこうした「矛盾だらけの行為」には「本多勝一氏の大江健三郎批判」である本多『文筆生活の方法』(1986年、晩聲社)を連想させます。
 俺個人は「本多勝一氏の大江健三郎批判」である本多『文筆生活の方法』(1986年、晩聲社)の「大江は『沖縄ノート』(岩波新書)などでリベラル左派を自認するなら、右翼文春の主催する芥川賞の選考委員を降りるべきだ」には賛成しませんが、それはともかく。
 大江の場合は「それ(リベラル左派としての活動)とこれ(文春との関係)とは別」といえるかもしれませんが、高世の「文筆生活」について「三浦礼賛と朝鮮植民地支配批判は矛盾しない」とはとても言えないでしょう。
 この記事でも高世は「昔の日本は酷かった」で終わりです。
 決して「そんな昔の日本を『慰安婦は公娼』などとデマまで放言して美化する荒木、島田、西岡や三浦」などといった救う会右翼を「救う会右翼のデマが許せない」などとは批判しない。
 「もはや故人であり、高世にとって批判しても怖くない三浦梧楼朝鮮公使(暗殺事件の黒幕)」などしか批判しない。
 救う会が、「拉致被害者救出」というその「建前上の目的」を達成するためには「韓国と一定の友好、協力関係を構築すべき」所、「河野談話否定論」「朝鮮人強制連行(端島炭鉱など)否定論」などのデマで「日韓関係を悪化させた」上、日本人であっても「和田春樹・東大名誉教授」など「救う会の歴史捏造主義(河野談話否定論など)」に批判的な「良識の持ち主」からは「完全に見捨てられたこと」が「拉致敗戦」を招いたという反省は未だに高世にはできないようです。
 まあ、高世自身がそうした「拉致敗戦の共犯者」ですからね。高世の馬鹿さ、クズさには心底呆れます。
 大体ここで高世が取り上げてる

角田房子『閔妃(みんぴ)暗殺:朝鮮王朝末期の国母』(新潮社1988)

て高世も書いてるように「1988年の単行本(後に1993年に新潮文庫)」ですからね。「今頃取り上げるのがそんな昔の本かよ」ですね。
 なお、高世は躊躇なく『閔妃』と書いていますが韓国では『明成皇后』と呼ぶようです(例えば明成皇后 (テレビドラマ) - Wikipedia赤旗いま振りかえる 植民地支配 歴史と実態(1)/脅迫と強圧で実現した「韓国併合」参照)
 『閔妃』とは『閔氏出身の妃』と言う意味で日本で言えば

香淳皇后昭和天皇の妻、上皇の母、現天皇の祖母)を『久邇宮妃(久邇宮家出身の妃)』と呼ぶ
上皇后を『正田妃(正田家出身の妃)』と呼ぶ
◆現皇后を『小和田妃(小和田家出身の妃)』と呼ぶ
秋篠宮妃を『川島妃(川島家出身の妃)』と呼ぶ

ようなものであり「無礼に当たる」という説があることを指摘しておきます。今後はできる限り『明成皇后』と呼ぶべきではないか。
 まあ、これで終わらせてもいいのですが他にもコメント。

 著者の角田房子氏*1が事件を調べようと思いたったのは、1984年、元駐韓大使の後宮虎郎*2(うしろくとらお)氏からたまたま聞いた思い出話からだった。
 1974年8月15日の光復節独立記念日)の式典会場で、朴大統領が短銃で狙撃され、陸英修(ユクヨンス)大統領夫人が被弾して死亡した。犯人は日本旅券をもつ在日韓国人、文世光(ムンセグアン)と分かり、日本大使館は連日、市民のデモに取り巻かれた。
 後宮氏は式典にも列席し、この騒動に大使として対応した。当時を振り返って氏は角田氏にこう言ったという。
 「あのときの、韓国大衆の日本に対する怒りは激しいものでした」。
 「日本はまたも我が国母を殺した―という声が、あちこちから聞こえてきました」。

 赤字部分は「ホンマかいな?」ですね。
 まず第一に『明成皇后(閔妃)の暗殺』は「三浦公使の暴走を事後承認か」「むしろ伊藤博文中央政府が三浦公使に命令したのか」はともかく明らかに「日本の犯行」ですが、陸英修殺害は「日本の落ち度(交番で拳銃が盗まれるなど)」ならともかく「日本が殺した」呼ばわりされる話ではない。
 それでは「ダッカ事件」など「日本赤軍の海外でのテロ」も「日本の犯行」になってしまう。
 第二に『皇后』を「国母」と呼ぶのは自然でしょうが、陸英修は『国母』なのか。ならば「朴正熙」は『国父』なのか。金大中のような朴批判派がいるのに、と言う話です。
 なお、国父と言えば

国民の父 - Wikipedia参照
◆戦前日本の天皇
旧ソ連レーニン
◆インドのガンジー
◆『中国共産党中国国民党』にとっての孫文
 まあ、民進党(現在の台湾与党)は話が別でしょうが、毛沢東蒋介石とはまた「別格の存在」といっていいでしょう。「毛や蒋にとっての大先輩」ですから。
【参考】
孫中山氏生誕150周年記念大会 習近平総書記が重要演説--人民網日本語版--人民日報2016.11.12
「孫文の継承者は国民党」 台湾・洪氏、習氏発言に反論: 日本経済新聞2016.11.12
蒋経国時代までの台湾での蒋介石
◆中国の毛沢東(建国当時の中国共産党主席)
北朝鮮金日成(初代首相)
ベトナムホーチミン北ベトナム初代国家主席
ミャンマーのアウンサン(アウンサンスーチーの父)
◆トルコのケマル・アタチュルクトルコ共和国初代大統領)
◆イランのホメイニ
◆南アのマンデラ

等を俺は連想しますね。「米国にとっての初代大統領ワシントン」なんかも「国父みたいなもの」でしょうか。
 ちなみに今時【孤高の国母】(120)老女官が語る皇太后の1日 夜遅くまで何をしていたのか - 産経ニュースなんて非常識な連載をやってるのが我らが産経です(産経記事での「国母」とは大正天皇の皇后である貞明皇后のこと)。
 なお、以前も別記事で触れましたがこの暗殺事件では「椎名悦三郎(当時、自民党副総裁)が激怒する朴をなだめに訪韓」なんてことになりますし、「藤尾文相の韓国併合を正当化する放言」では全斗煥政権の抗議に対して中曽根首相が藤尾文相を更迭しています(自発的辞任を求める中曽根に対し藤尾が『絶対に辞めない、辞めさせたければ更迭すればいい』と居直ったため)。
 朴や全ですら「日本ウヨが強弁するほど日本万歳ではない」わけです。

 勝海舟*3の存在に少し救われる思いがする。

 俺的には勝よりもこの機会に

布施辰治 - Wikipedia(1808~1953年)
自由法曹団創立メンバーの一人。
・戦前は二重橋爆弾事件、朴烈事件、朝鮮共産党事件などの弁護を行い、また戦後も評定河原事件、阪神教育事件、平事件、台東会館事件などの弁護を担当した。このため布施は韓国で高い評価を受けており、2000年2月29日には韓国文化放送の1時間番組「PD手帳」で「発掘、日本人のシンドラー布施辰治」と題した放送がなされた。そして2004年には韓国政府から建国勲章愛族章が授与され、布施は日本人として初めての韓国「建国勲章」受章者となった。

赤旗韓国から建国勲章うけた弁護士の布施辰治とは?2009.1.14

赤旗韓国公共外交大使 戦前の独立運動家を支援/布施辰治顕彰碑に献花/宮城・石巻2018.11.29
 布施辰治は戦前、国内で治安維持法により弾圧された人の救援だけでなく、日本の植民地だった朝鮮半島に4回船で赴き、激しい弾圧を受けた独立運動家や農民運動の支援に奔走しました。その功績で韓国政府から2004年に日本人で初めて「建国勲章」を授与されました。

金子文子 - Wikipedia(1903~1926年)
 いわゆる朴烈事件により、無期懲役で服役中に獄死した。2018年には韓国「建国勲章」が追叙された。

山梨)金子文子をたたえ 韓国が建国勲章を授与:朝日新聞デジタル2019.6.30
 山梨県ゆかりのアナーキスト金子文子(1903ごろ~26)に韓国政府から建国勲章愛国章が贈られ、親族の金子敬(たかし)さん(75)が勲章と証書を受け取った。叙勲は昨年11月17日付。日本人で同じ勲章を受けたのは、朝鮮独立運動家らの弁護を引き受け、人権派弁護士として活躍した故・布施辰治氏に次いで2人目。

ということで「布施辰治」「金子文子」を紹介しておきます。

*1:1914~2010年。著書『一死、大罪を謝す:陸軍大臣阿南惟幾』(1983年、新潮文庫→2015年、ちくま文庫)、『責任:ラバウルの将軍今村均』(1987年、新潮文庫→2006年、ちくま文庫)、『悲しみの島サハリン』(1997年、新潮文庫)、『甘粕大尉(増補改訂)』(2005年、ちくま文庫)、『いっさい夢にござ候:本間雅晴中将伝』(2015年、中公文庫) など(角田房子 - Wikipedia参照)

*2:外務省アジア局長、駐オランダ大使、駐タイ大使、駐韓大使など歴任(後宮虎郎 - Wikipedia参照)

*3:江戸幕府軍艦奉行、海軍奉行、陸軍総裁などを、明治新政府海軍卿、枢密顧問官などを歴任。