珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年3/29日分)(副題:今日も高世に悪口する)

田口八重子さん拉致事件の謎6 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞したとのニュース。夕方の時間が空いたので、つれあいに予約を頼んだ。明日からは混んで観られないだろうと急いだのだが、ぎりぎり最後の2席が取れた。
 長い映画なのだが、不思議な緊張感に縛られ続け、最後はどっと涙があふれてさわやかに終わった。すばらしい「怪作」だった。
 これからも面白い邦画がたくさん出てきてほしい。

 唖然ですね。以前も「同じ事」を書いていますが記事タイトルが「田口八重子さん拉致事件の謎6」なのに、タイトルと関係ない内容を書くとは、高世はどういう神経をしているのか。
 何故「『ドライブ・マイ・カー』を見た」というタイトルで別記事にしないのか。訳がわかりません。
 それはともかく、この高世の感想には「こんなお粗末な感想しか書けないのか。自称ジャーナリストが」と心底呆れます。
 勿論「ネタバレは避けたい*1」ということはわかりますが、これでは内容はさっぱりわからないし見る気にならない。
 例えば、例は何でもいいのですが『幸福の黄色いハンカチ』なども

高倉健演じる人物は一体何者なのだろう、偶然出会った武田鉄矢桃井かおりとはどういう関係性になるのだろうという)緊張感に縛られ続け、最後はどっと涙があふれてさわやかに終わった。

でしょうが、そんな感想を書く人間がどこにいるのか。
 なお、日本人監督の映画としてはこれ以前に『デルス・ウザーラ』(黒澤明監督、1975年)、『おくりびと』(滝田洋二郎監督、2005年)がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞しています。
 また、「前身に当たる賞(アカデミー賞名誉外国語映画賞)」まで含めれば日本人監督の映画としては 『羅生門』(黒澤明監督、1951年)、『地獄門』(衣笠貞之助監督、1954年)、『宮本武蔵』(稲垣浩監督、1955年)が受賞しています。(アカデミー国際長編映画賞 - Wikipedia]参照)

 関連して一つおもしろい話がある。
 金賢姫は「どれひとつについても自信をもって答えることはできなかった」のに、李恩恵先生の誕生日は7月5日だと言った。
 金賢姫の自信ありげな証言に、日本の警察まで引きずられたようで、91年に李恩恵の身元判明を発表した記者会見(なお、会見当時、田口八重子さんの名前は一般向けには伏せられていた)で配布された【李恩恵の身元特定対照表】では生年月日が一致したことになっている。
 しかし、八重子さんの戸籍上の誕生日は8月10日なのである。
 先に紹介したように、そもそも本名や生年月日をはじめ個人的なことは明かさない原則で共同生活をしたのだから、7月5日がほんとうの誕生日かどうかチェックすべきなのに、メディアでもこれがそのまま通ってきた。例えば石高健次『これでもシラを切るのか北朝鮮』(光文社、1997年)でも、八重子さん特定のための一致点として誕生日が7月5日であることをあげている。(P112~113)

 「石高健次」でググったら石高の最新刊は北朝鮮と関係ない石高『コロナ下の奇跡:自衛隊中央病院衝撃の記録』(2021年、南々社)でした。この「南々社」、

図書出版 南々社
【刊行年順(刊行年が同じ場合は著者名順)】
◆村田厚生*2カープは復活できるか』(2009年)
◆井川樹『カープファンは日本一!』、『ひろしま本通物語』(いずれも2013年) 
穂高健一*3広島藩の志士』(2018年)
穂高健一『安政維新:阿部正弘の生涯』(2019年)
 阿部正弘は広島福山藩主(阿部正弘 - Wikipedia参照)。
◆松原淳一『広島の経済』(2019年)
◆原田邦昭『広島ご城下・歴史たび』(2020年)

など「広島ネタが多い」広島のローカル出版社であり、過去に石高が著書を出版した「光文社」よりは明らかに格が落ちます。
 石高も巣食う会とか家族会系の連中とかかわった北朝鮮関係の言論人は、その後ろくな状況でないと思う(関川夏央や高世仁、恵谷治、李英和ほか) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)の「一人」なのかもしれません。

 この矛盾に食いついたのが、大韓航空機爆破事件は北朝鮮がやったのではないと謀略論を主張したジャーナリスト、野田峯雄氏*4で、これをネタに『週刊ポスト』(1991年8月23日号)で「巨弾スクープ!9月「日朝外交」また遅らせるのか 「李恩恵=ちとせ」写真に重大疑惑」なる記事を書いている。
 この謎解きは簡単で、(中略)地村富貴恵さんが、2012年に飯塚繁雄さんに送った手紙には当時の様子をこう書いている。(「八重ちゃん」は八重子さんのこと)
《八重ちゃんが来る前にシンガンスといたので工作員になるには、名前、生年月日など、本当のことを言っては駄目だと言われ、私は生年月日も10日遅れにしたりしていました。その時は八重ちゃんも7月7日が誕生日でしたが、本当の誕生日は日本に帰って来てから分かりました。だからお互いお誕生日は、違う日に祝っていた訳です。》

 勿論、田口氏は李恩恵と見なすべきでしょう。「大韓機爆破は北朝鮮の犯行ではない」というのも論外ですがそれはさておき。
 「生年月日が何故か違う」という明らかな矛盾点すら気づかれないほど「まともにファクトチェックしてなかったのか」とげんなりさせられます。
 こんな恥ずかしいことをよく高世も公言できたもんです。
 ただこの程度はまだましで、もっと酷いのは荒木和博(特定失踪者問題調査会代表)らの特定失踪者デマですが。
 何せ「国内で40人以上発見され、その全てが北朝鮮と関係ない」のに未だに「特定失踪者は北朝鮮拉致の疑い」と放言です。
 その中でも特に酷いのが山本美保さんデマですね。
 「山形県の海岸で遺体で発見された」という山梨県警の発表を根拠レスで否定して「美保さんは北朝鮮で生きてる」と言い張る。
 あげく誤鑑定ならまだしも、故意の捏造と言い出す。それ以前から「荒木はキチガイだ」とは思ってましたが「荒木の美保さんデマ」を「初めて知った時(荒木ブログ記事か、産経記事で知った)」は「はあ?」でしたね。非常識すぎて絶句です。
 そんな荒木をまともにメディアが非難しないのは常軌を逸しています。
 以前も指摘したことですが呆れるのは

【北特別委解体】甲府市の特定失踪者、山本美保さんの妹「北の脅しには屈しないが対応を待つのは限界」 - 産経ニュース2016.2.13
【南北首脳会談】甲府の特定失踪者 山本美保さんの妹「北朝鮮は行動で示して」 - 産経ニュース2018.4.27

という記事が「山本美保さんの遺体発見」について全く触れてないことですね。
 産経ですら荒木の「DNA鑑定捏造説」は信用性が乏しいと自覚してるわけです。
 さて野田氏は

野田峯雄 - Wikipedia
 2006年3月23日には「朝鮮総聯大阪府商工会への拉致に関する強制捜査」に抗議する朝鮮総聯の集会にて

 拉致問題に関する取材を進めていくうちに感じたことは、「拉致運動」なるものが当初の目的を喪失し、大きく逸脱しているということだ。この運動の目的は、日本の核武装、戦争国家化(ボーガス注:九条改憲や軍拡予算のこと)である。

と挨拶した

そうですが「野田氏のライターとしての業績をどう評価するか」「彼が出席し挨拶した総連主催の集会をどう評価するか」などに関係なく、赤字部分の挨拶は「全くその通り」というべきでしょう。
 「後で記事をいくつか紹介します」が、後に蓮池透氏も「自分は改憲右派に政治利用された」と後悔しているとおりです。
 高世は野田氏や蓮池透氏のような「救う会批判」にいい加減まともに向き合ったらどうなのか。

 もとに戻ると、八重子さんが金賢姫に、事実とは異なって、自分が上陸したのは「清津」だったと告げることは不思議ではない。
 では、なぜ東京から遠く離れた九州から拉致したのだろうか。

 馬鹿馬鹿しい。以前も書きましたが

珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年3/24日分)(副題:今日も高世に悪口する) - bogus-simotukareのブログ
 今、田口さんが生きてるかどうか、生きてるならばどこにいるのか、どうすれば日本に帰国できるのか、死んでるのなら遺骨や墓はどこにあるのかが一番大事なことで「北朝鮮にどこから入国したか」なんかどうでもいい話

です。勿論「彼女の出国場所が九州かそれとも別の場所か」なんてこともどうでもいいことです。高世はなんでこういうアホな記事を平気で書けるのか。
【参考:改憲右派による拉致政治利用】
 「蓮池透、九条改憲」でググってヒットした記事をいくつか紹介しておきます。

蓮池透さんが著書を『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三』と題した、その切迫した心境とは | ハフポスト NEWS2016.1.15
 北朝鮮による拉致被害者蓮池薫さんの兄で、「救う会」元事務局長の蓮池透さんが2015年末、著書『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)を出版した。蓮池さんに聞いた。
(中略)

 2003年の憲法記念日改憲派議員の集会に呼ばれ、困惑したこともある。「何を話すのか」と聞くと、「九条を変えろ」とでもいっておけとのこと……馬鹿だった私はそれを真に受け、「憲法九条が拉致問題の解決を遅らせている」と発言し、その場では称賛された覚えがある。なんて浅はかな発言だったのだろうと、いま思い出すだけでも冷や汗が出る。(84ページ)

 私自身が解決を阻害した面もあります。世論の右傾化の急先鋒だったと言われたこともありました。私は右も左もない、みんなでやらなきゃいけないと思ってやっていたんだけど、私も政治利用されたと言われればそれまで。気づくのが遅かった。

 なお、小泉訪朝が「2002年9月17日」、5人の拉致被害者帰国が「2002年10月15日」です(2002年 - Wikipedia参照)。

時代の正体〈535〉拉致問題 利用するな 被害者家族連絡会元事務局長・蓮池透さん | 選挙, 社会, 時代の正体 | カナロコ by 神奈川新聞2017.10.11
蓮池透
 拉致が「疑惑」だったころは誰も耳を傾けてくれなかったのに(ボーガス注:小泉訪朝で)突如スポットライトを浴び、有頂天になった。被害者なのだから何を言っても許されると調子に乗った。学生時代は、はやりのウエストコーストロックに入れ込み、望んだわけでもない東京電力に就職し、新聞も読まず、政治に関心もなく、日々をやり過ごしていたノンポリ*5が口にした「北朝鮮に制裁を」が、強硬な姿勢のアピールに躍起だった安倍氏を首相の座に押し上げる片棒を担いでしまった。
 被害者意識が膨らめば加害の記憶は隅に追いやられていく。足かせが外れたかのように安倍政権は集団的自衛権の行使容認に踏み切り、安全保障関連法によって海外での戦争*6に道を開いた。そして本丸である9条の改正を公約に入れるに至った。
 無知ゆえの自分の右巻きな発言に責任を感じるとともに、一方では思いも寄らなかったと言うほかない。「救い出してくれ」の願いはあっという間に「北朝鮮憎し」に変換され、朝鮮学校の高校無償化からの除外といった八つ当たり以外の何ものでもない政策がまかり通る。

九条の会東京連絡会・発足1周年のつどい
講演『拉致問題解決の道』2009.11.13
 蓮池さんは次のようなエピソードを披露した。某大手新聞社*7の編集長からインタビューを受けたが、インタビューとは名ばかりで、編集長が3分の2はしゃべり「経済制裁して、もっと強めて、まあ根競べなんだ。とにかく北朝鮮は弱ってるから。だから我慢しろよ*8」と言うんですね。
 そして最後に編集長は「あなたは昔あんな強硬なこと言ったんじゃないか。何故変わったんだ」と切り出してこのインタビューの目的が何であったか明らかになった。蓮池さんは「確かに昔、非常に軽率だったといまでは思っておりますけれども、改憲派の集会に連れて行かれて何かしゃべれって言われて、で、当時は憲法九条が拉致問題の解決を阻んでいるんじゃないかみたいな、相当馬鹿なことを言ったなと、いま思っておりますけれども。非常に反省しております」と 率直に語った。拉致問題の解決を遅らせているはこのような恥知らずなジャーナリストの姿勢ではないか。

 拉致問題の解決を遅らせているはこのような恥知らずなジャーナリストの姿勢というのは「救う会幇間太鼓持ち」高世にも該当することです。

*1:勿論あえてネタバレする、という選択もありますが

*2:岡山大学教授。著書『ヒューマン・エラーの科学』(2008年、日刊工業新聞社)、『福島第一原発事故・検証と提言:ヒューマン・エラーの視点から』(2011年、新曜社)、『ヒューマン・エラー学の視点』(2012年、現代書館)など

*3:著書『芸州広島藩神機隊物語』(2018年、平原社)

*4:1945~2016年。著書『北朝鮮に消えた女:金賢姫李恩恵の運命を追って』(1992年、JICC出版局)、『破壊工作:大韓航空機「爆破」事件の真相! 』(1999年、宝島社文庫)、『池田大作金脈の研究 (増補新版)』(2000年、第三書館)、『闇にうごめく日本大使館:疑惑のタイ犯罪ルートを追う』(2002年、大村書店)、『「プリンセス・マサコ」の真実』(2007年、第三書館)など(野田峯雄 - Wikipedia参照)

*5:蓮池透氏のこと

*6:とはいえ憲法九条が存在する限り「違憲立法の批判」は免れません。だからこそ、安倍は「首相在任中に法の発動ができなかった」し、現在「九条改憲を画策する」わけです。

*7:こんな右翼発言をするのはやはり産経でしょうか。いずれにせよ蓮池氏がこの右翼記者に相当怒ってることはわかります。

*8:いかに反北朝鮮右翼とは言えよくもまあこんな無礼を蓮池氏当人の前で言えたもんです(呆)