れいわをパターナリズムと呼ぶことに賛同できない&「タイトルと内容に酷いずれがある」駄文に呆れる(副題:今日もkojitaken氏に悪口する(2022年5月23日分)

中公新書から中北浩爾『日本共産党』、黒木登志夫『変異ウイルスとの闘い』が発売された - kojitakenの日記
 このタイトルなら中北*1、黒木*2本への感想が書かれるのが普通でしょうが「未読」として書かれない上に

 本記事からリンクを張った高世仁氏は、某人*3によって「珍右翼」なるレッテルを貼られて以前から攻撃*4され続けている。某は最近では弊ブログの攻撃にも熱心だが、私の見るところ「珍右翼」とのレッテルは某自身にこそふさわしい。なぜなら某は極端なまでの権威主義*5であって、下手なネトウヨなんかよりもよっぽど右翼的*6と思われるからだ。私はこの人士を稀に見る醜悪な心性の持ち主であるとして心底から軽蔑している*7。このことは以前にも書いたが、高世氏のブログにリンクを張ったことをきっかけとして改めて申し述べておく。

というのだから「俺に対するkojitakenの不当な非難、個人攻撃」に「腹も立ちます」が、それよりも「馬鹿馬鹿しくて」吹き出しました。
 何でこのタイトルで俺への悪口が始まるのか。「俺に対して」というよりも、中北、黒木氏に対して失礼ではないか。
 つうか、高世記事のうち、「高世の拉致問題での言動(俺の主たる高世批判の理由はこれですが)」と関係ない「伊藤律関係記事」『父・伊藤律〜ある家族の「戦後」』出版さる - 高世仁のジャーナルな日々いくつかの訃報によせて - 高世仁のジャーナルな日々をリンクしてるのをみるにこの御仁、「日本共産党支持」俺の高世批判を
【1】「伊藤律除名撤回」反対論の立場(共産党執行部盲従の立場?)から「撤回賛成の高世」を非難してると勘違いしている
【2】(実は俺の高世批判のメインは『高世が巣くう会の太鼓持ち幇間*8として筋の通らない言動をしていることだ』と知りながら)「伊藤律除名撤回」反対論の立場から「撤回賛成の高世」を非難してると「第三者」に勘違いさせようと卑劣な印象操作をしている
のではないかと疑いますね(俺個人は「伊藤の除名が撤回されるかどうか」になど全く興味はありません)。
 【1】なら文章読解力がなさ過ぎるし、【2】なら「完全な印象操作、言いがかり」。俺的には「風説(デマ)の流布」「卑劣な行為」という意味で【2】の方が酷いですが【1】だっていい加減酷い。まあ、どっちにしろ「いつも、上から目線の尊大な態度」のid:kojitakenが「自己評価だけは無駄に高い」が、その自己評価に全く反する「ろくでもない人間であること」には違いはありませんが。
 なお、『父・伊藤律〜ある家族の「戦後」』出版さる - 高世仁のジャーナルな日々については拙記事「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(6/21分:高世仁の巻、ほか)(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログで、いくつかの訃報によせて - 高世仁のジャーナルな日々*9については拙記事高世仁に突っ込む(2019年10/12分) - bogus-simotukareのブログでコメントしました。


「リベラル(寛容)」の対義語は「保守」ではなく「パターナル(権威主義)」(by 高井崇志 via 中島岳志) - kojitakenの日記
 「れいわをパターナリズムと呼ぶことに賛同できない」というのは、「パターナリズム」と言う言葉は「多義的」であり、「保護者による未成年契約の取消し」「成年後見制度」など「世間一般に適切な物と評価される介入行為」も含むことがあるからです(パターナリズム - Wikipedia参照)。
 「山本太郎が独裁的」といいたいなら、例えば「家父長制支配」とでも言ったらどうか。
 「家父長制支配」といえば「徳田球一体制」を評価するときによく使われる言葉ですが。

*1:一橋大学教授。個人サイト中北浩爾研究室。著書『経済復興と戦後政治:日本社会党 1945~1951年』(1998年、東京大学出版会)、『1955年体制の成立』(2002年、東京大学出版会)、『日本労働政治の国際関係史 1945~1964:社会民主主義という選択肢』(2008年、岩波書店)、『現代日本の政党デモクラシー』(2012年、岩波新書)、『自民党政治の変容』(2014年、NHKブックス)、『自民党』(2017年、中公新書)、『自公政権とは何か』(2019年、ちくま新書)、『日本共産党』(2022年、中公新書

*2:東京大学名誉教授、岐阜大学名誉教授(元・岐阜大学学長)。著書『がん細胞の誕生(新版)』(1989年、朝日選書)、『がん遺伝子の発見』(1996年、中公新書)、『健康・老化・寿命』(2007年、中公新書)、『落下傘学長奮闘記』(2009年、中公新書ラクレ)、『知的文章とプレゼンテーション』(2011年、中公新書)、『iPS細胞』(2015年、中公新書)、『研究不正』(2016年、中公新書)、『新型コロナの科学』(2020年、中公新書)、『知的文章術入門』(2021年、岩波新書)、『変異ウイルスとの闘い』(2022年、中公新書

*3:この期に及んで「某人」などという意味不明な表現の上、俺の高世批判と「高世記事」を並べて「これこれこういう理由でボーガスの高世批判は間違ってる」という説明もしないのだから心底呆れます。そもそも高世の文章と「俺の高世批判文章」を読み比べることもせず「ボーガスはクズだから、あいつの高世批判は間違ってるに決まってる。読む必要もない」と勝手に決めつけてるのではないか。つうか、そもそも、こんな「俺以外のほとんどの人間には理解不能な文章」を書いて何が嬉しいのか?(呆)。そもそも『そのコメント等を紹介して名指しで批判している山本太郎』などと、「名前も出さずに某」扱いで悪口される俺との扱いの違いは何なのか?正直、俺には「山本太郎などと違いボーガス相手に『俺、kojitakenが100%正しい』と言うことは無理だが、それでも俺を糞味噌に罵倒したボーガスには悪口したい」「有名人の山本ならともかく無名人のボーガスごときをこの偉大なkojitaken様が名指しで批判などしたくない。それでも俺を糞味噌に罵倒したボーガスに悪口はしたい」などといったくだらない理由で「俺の名前を出さずに、記事やコメントの紹介もせずに」俺に悪口してるようにしか見えません。こんな非常識なことをして恥じないkojitakenには心底呆れます。彼って果たして「実社会でまともに生活ができているのか?」と疑いたくなります。

*4:kojitakenのれいわ非難(まあ例はれいわでなくても何でもいいですが)などは「正当な批判」だが、「俺の高世非難やkojitaken非難」はkojitakenにとって「不当な個人攻撃」のようです。その判断基準は何なのかと聞きたくなります。なお、「俺同様に高世の言動に批判的な」これじゃあ「ジャーナリスト」でなくて「反北朝鮮活動家」だ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2012.2.27)、 このようなことをプロのジャーナリストが発言するのはさすがに驚かされる - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2015.12.4)、 そういう例を出すのなら、拉致問題だってやっぱり金(対価)次第じゃないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2018.11.15)、 そういうことであるなら、小泉元首相、田中均氏、蓮池透氏らに陳謝する用意くらいはあるんだろうな - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2020.12.21)、 北朝鮮が崩壊する前に自分の会社を倒産させた無様で無残な話 - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2021.4.28)、 けっきょく「横田めぐみ拉致問題における安明進証言」などというものにのっかったのが、高世仁が会社をこかした淵源(の少なくとも1つ)ではないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2021.5.25)、 巣食う会とか家族会系の連中とかかわった北朝鮮関係の言論人は、その後ろくな状況でないと思う(関川夏央や高世仁、恵谷治、李英和ほか) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2021.7.14)、 高世仁の幼稚なデマ自慢を平然と垂れ流すNHKの馬鹿さとクズぶりに本気であきれ返る - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2022.1.11)、 自分に都合の悪いことを他人などのせいにしているあたりが、高世仁が会社の経営に失敗した遠因でもあったのだろう(福島香織の独立の失敗もあまりにひどい) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2022.5.9)なども「高世への不当な個人攻撃」なのかkojitakenに聞きたいところです(おそらく、都合が悪いのでid:Bill_McCreary さんによる高世批判は無視するか、売り言葉に買い言葉で「そうだ、id:Bill_McCreary氏の高世批判も不当な個人攻撃だ」というかどっちかでしょうが)。大体、kojitakenは「高世自身」が「俺やid:Bill_McCreary さんによる高世批判」に反論せず黙りであることに疑問を感じないのか。「反論する価値もないから、高世氏は黙殺している」とでも強弁する気なのか?

*5:俺のどこが権威主義なのか?。むしろ「しがらみから、文春など出版社の要請を断り切れなかった」のだと「立花に善意に解釈したとしても」晩年に「知の巨人」などと自己宣伝(!)した立花隆の方がよほど「権威主義」ではないか。俺は「晩年の立花」ほどの権威主義は「立花同様に『知の巨人』を自称する佐藤優(佐藤も文春とは深い関係にありますが)」以外には知りませんね。立花万歳のkojitakenはこの「立花の権威主義」を何一つ批判しませんが、例えば日本共産党が党員研究者(例えば渡辺治・一橋大名誉教授)を「知の巨人」などと持ち上げたら「権威主義」と悪口する「デタラメ野郎の反共分子」がkojitakenでしょう。kojitakenのような野郎は心底軽蔑します。

*6:どこが右翼的なのかさっぱり分かりません。kojitakenの別記事で「中国と北朝鮮に甘い」呼ばわりされたので極左認定されるかと思っていました(勿論、俺の自己認識では俺は「中国、北朝鮮に甘くなどない」ですが)。kojitakenの右翼定義は何なのか。もしかしてkojitakenの「右翼認定」に「まともな判断基準」などなく「ウクライナはネオナチ(プーチン)」や「ネトウヨの在日認定」並にデタラメなのか。

*7:こちらの方こそkojitaken及び高世の二人を「稀に見る醜悪な心性の持ち主」として心底から軽蔑しています。

*8:正直、kojitakenが×××新選組を政党の四象限で「リベラルとリスクの社会化」に位置づける中島岳志の見解には全く同意できない - kojitakenの日記石垣のり子参院議員の「ロシアを一方的に非難することこそ誠実な態度」とする正論と、想田和弘の「ゼレンスキーを礼賛しないとまるで国賊のようにぶっ叩く風潮」を捏造する妄論との目も眩むような落差 - kojitakenの日記などで「山本太郎幇間」呼ばわりする中島岳志氏や想田和弘氏と比べても「高世」の「巣くう会に対する幇間ぶり」は酷いと言うべきでしょう。まあkojitakenは「常軌を逸したアンチ北朝鮮(巣くう会の同類の「珍右翼」)」のようなのでそういった考えにはならないのかもしれません。

*9:伊藤律の息子」などの訃報に触れている