珍右翼・高世仁に悪口する(2022年10/20日分)(副題:黒沢明『赤ひげ』の紹介)

「ベトナムの赤ひげ」服部匡志医師 - 高世仁のジャーナルな日々

 勇ましく聞こえる「全員一括即時帰国」の方針が、逆に実質的な解決を不可能にしていることについてはすでに何度も指摘したので繰り返さない。
安倍政権が拉致被害者の一時帰国を拒否 - 高世仁のジャーナルな日々
 15日、5人の拉致被害者の帰国20年にあたり、今のままでは、拉致問題の進展はむりだろうと無念の思いを新たにした。

 昔に比べたら「10月15日(2002年のこの日に、5人の拉致被害者が日本に帰国)というある種の記念日」に高世も随分と「拉致問題」をあっさりと片付けたもんです。
 タイトルで分かるようにこの記事のメインは『「ベトナムの赤ひげ」服部匡志*1医師』ですし。
 しかし今の若者に「赤ひげ」といって「立派な医師のこと」とわかるのかどうか(おっさんの俺は勿論分かりますが)。
 勿論元ネタは「山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』 (新潮文庫)」を「黒沢明三船敏郎主演で映画化」した赤ひげ - Wikipedia(1965年公開)ですね。
 ちなみに黒澤と言えば

【黒澤監督作品】
椿三十郎(1962年)
 原作は山本周五郎『日日平安』
どですかでん(1970年)
 原作は山本周五郎『季節のない街』
【黒澤脚本作品:生前に映画を計画したが挫折。全て黒澤の死後に映画化】
◆雨あがる(2000年、小泉堯史*2監督)
 原作は山本周五郎の同名小説
どら平太(2000年、市川崑監督)
 原作は山本周五郎町奉行日記』。脚本には黒澤映画『羅生門』(1950年)、『生きる』(1952年)、『七人の侍』(1954年)、『生きものの記録』(1955年)、『蜘蛛巣城』(1957年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)、『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)、『どですかでん』(1970年)の脚本を務めた橋本忍が協力
◆海は見ていた(2002年、熊井啓監督)
 原作は山本周五郎『なんの花か薫る』、『つゆのひぬま』

ということで『赤ひげ』以外にも多数の「山本周五郎原作映画」にコミットしています。
 ふと思いついて「赤ひげ」でググったら以下のマスコミ記事がヒットしました。しかしこれだけヒットすると言うことは今も「赤ひげ」と言う言葉が若者にも通用するのか?

ハルビンでの日本人華族との運命的な出会い | 「六本木の赤ひげ」数奇な90年 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース2014.8.25(飯島一孝*3
 お金持ちからはしっかりもらうが、貧しい人からはお金を取らない。しかも、6カ国語を駆使して日本にやってきた外国人の悩みを聞いて病気を治す。こんなスーパーマンのような医師で「六本木の赤ひげ」と呼ばれたエフゲーニー・アクショーノフさんが8月5日、この世を去った。死因は心不全だった。享年90歳。

熊本地震:安心の顔と笑顔 益城「赤ひげ」院長が診療再開 | 毎日新聞2016.4.20
 熊本地震で休診していた熊本県益城町の「ふくだ整形外科」が19日、診療を再開した。
 町民に「赤ひげ」と親しまれる院長の福田朋博さん(50)は「地域の人の安心する顔が見たい」と話す。

アジア諸国で医療従事…「赤ひげ」故岩村さんの偉業紹介 愛媛人物博物館 - 産経ニュース2016.12.18
 伝染病が深刻なネパールをはじめ、アジア諸国で医療活動に従事した愛媛県宇和島市出身の被爆者で、「赤ひげ医師」と呼ばれた岩村昇さん *4(昭和2〜平成17年)の偉業を紹介する企画展示が「愛媛人物博物館」(松山市上野町)で開かれている。3月12日まで。

ブラジルを駆ける赤ひげ先生 巡回診療を続ける森口エミリオ秀幸医師(1/2ページ) - 産経ニュース2017.11.5
 南米最大の経済規模を誇るブラジルで、言葉の壁から病院に通うことができない同胞を支え続ける日系人医師がいる。森口エミリオ秀幸氏(59)。毎年、日本1周分の約3000キロの距離を移動しながら日系移住者を訪ね、無償で診察を行っている。運用資金の多くを自己負担でまかなう厳しい状況が続くが、活動は現地の人々の命綱ともなっている。

「岸和田の赤ひげ先生」中井医院、約100年の歴史に幕 (1/3ページ) - 産経ニュース2020.8.24
 大正時代から約100年にわたり地域の人たちに親しまれてきた大阪府岸和田市の「中井耳鼻咽喉科医院」が、9月末に閉院する。新型コロナウイルスの感染拡大により、来院する患者数が激減したことが影響したという。これまで延べ2百万人を超える患者一人一人を親身になって診察してきた2代目の中井義尚(よしひさ)院長(88)は「岸和田の赤ひげ先生」とも呼ばれ、地域で頼りにされてきただけに、惜しむ声が上がっている。

川口の「赤ひげ先生」 「仮放免」のクルド人を歯科治療 「質の高い治療を全ての人に」:東京新聞 TOKYO Web2021.2.20
 川口市周辺には難民認定を求めて来日したものの入管施設に収容され、拘束を一時的に解かれたクルド人が数多く暮らす。この「仮放免」の状態では健康保険に加入できず、通院をためらったり、断られたりすることが少なくない。市内には、そんな医療弱者を強い使命を持って迎え入れ、治療を行う「赤ひげ先生」がいる。
 「ブラッシング、ブラッシング」。
 JR川口駅近くにある「カワムラ歯科医院」。院長の河村康二さん(73)が歯磨きの手ぶりを交え、診察台で横になるクルド人女性に優しく言葉をかける。

与論の「赤ひげ」30年 診療所閉めても島を見守る:朝日新聞デジタル2021.5.29
 鹿児島県の最南端に位置する与論島で約30年診療所を営み、惜しまれつつ島を離れた古川(こかわ)誠二さん(71)が、再び、島の医療や島民の健康づくりをサポートすることになった。「幸福の島づくり健康大使」という新たな肩書を受け、徳島県と島とを行き来している。

「ここにいてほしい」の言葉に決意 93歳現役の"赤ひげ先生” 地域を見守り続けて58年【岩手発】|FNNプライムオンライン2021.11.21
 医師不足が課題となっている岩手県内で、約60年にわたって宮古地域の医療に力を尽くしてきた93歳の医師がいる。
 「ここにいてほしい」と地域に必要とされてきた「赤ひげ先生」の人生を取材した。
 10月13日、93歳の誕生日を迎えた木澤健一さん。県内でも数人しかいない90代の現役医師だ。
 宮古市津軽石の木澤医院。
 県内でも医師不足が深刻化している宮古地域にあって、地元のかかりつけ医として58年間、その役目を果たしてきた。
 医院は次男・哲也さんが跡を継いでいるため、木澤さんの主な仕事は職場の産業医、施設や学校での定期健診。
 宮古市の診療所に勤務していた30代には、「東京の大病院に来ないか」と誘いがあった。
 「宮古を離れようか」
 揺れていた木澤さんに、運命を決める人物があらわれる。
 地元の名士として知られた山根三右衛門さん。北海道や岩手の海で定置網を経営し、「三陸の漁業王」として名をはせていた。
 医師不足の現状を知っていた山根さんは、木澤さんに「ここにいどがん(ここにいてほしい)」と言った。
 思いもよらない選択だったが、34歳で「木澤医院」を開業。
 2020年、長年にわたって地域医療に貢献した人に贈られる(ボーガス注:日本医師会の)「赤ひげ大賞」を受賞した。

「貧困と無知さえなんとかできれば…」赤ひげと骨太の方針は同じ思い : 読売新聞オンライン2022.7.11
 新型コロナウイルス禍などで貧困や孤独の問題が深刻化している。対策の一つとして、政府が先月閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」には、「社会的処方」という耳慣れない言葉が盛り込まれた。どんな取り組みなのか。
貧困と無知さえなんとかできれば、病気の大半は起こらずに済むんだ
 山本周五郎の人気小説「赤ひげ診療譚」では、貧民救済施設で働く江戸時代の医師、「赤ひげ」こと 新出去定(にいで・きょじょう)が、見習いの医師にこう語りかける場面が描かれている。
 「赤ひげの言葉は現代にも通じる。病気の予防や治療には、的確に診断し、最先端の医療を提供するだけでは限界がある。背景にある社会的な要因を解決していく必要があることを、次世代の医療者たちに知ってほしい」。
 順天堂大医学部の武田裕子*5教授(医学教育)は指摘する。
 治療を中断する人は生活が困窮し、頻繁に受診する人は孤独を抱えているのかもしれない。
 社会的処方では、貧困による劣悪な食事や住まい、差別、孤立など心身の不調の背景にある社会的な要因に注目する。
 必要なのは薬の処方だけではない。気軽に話せる人とのつながりや、得意なことを生かせるボランティア、公的支援などが、心身の不調を和らげる「薬」になることもある。
 もともと英国で広まったもので、「社会的処方」の言葉自体、英語の「ソーシャル・プリスクライビング」を直訳したものだ。
 日本でも近年、一部の医療機関や、地域に入って活動する医師や看護師らの間で広がり始めた。
 例えば、栃木県の宇都宮市医師会では、かかりつけ医らが患者の健康状態に影響する社会的な課題に気づくため、「この1年で、家計の支払いに困ったことがありますか」「生活の困りごとを気軽に頼める相手がいますか」などと尋ねる問診シートを活用。患者のつなぎ先となる地域のサークル活動や、公的支援などが検索できるデータベースを作り、普及を進めている。
 コロナ禍では、社会的に弱い立場の人に影響が集中し、孤独や孤立の問題が深刻化した。
 政府が昨年末に決定した重点計画では、望まない孤独や社会からの孤立は、「自助努力に委ねられるべき問題ではない」と明記され、社会的処方を推進する方針が盛り込まれている。課題は、こうした「処方」がどの地域でも受けられるようにする仕組み作りだ。

社会的処方でググってヒットした

◆西智弘ほか『社会的処方:孤立という病を地域のつながりで治す方法』(2020年、学芸出版社
◆くまゆうこ他『ダメな貴方でも死なない学校を生き抜く術:「社会的処方」と「家族」の関わり方とは何か』(2021年、デザインエッグ社)

を参考までに紹介しておきます。

出稼ぎ者の「赤ひげ」逝く 健診を24年続け…天明佳臣さんの信念 | 毎日新聞2022.10.1
 古里を離れて都会で働く出稼ぎ労働者たちに寄り添い、健康管理に尽くした医師が今年5月、亡くなった。横浜市の港町診療所の元所長、天明佳臣(てんみょう・よしおみ)さん*6。90歳だった。秋田県出身者を中心に宿舎を訪ね歩き、多くの労働者に慕われた。晩年は出稼ぎを巡る課題を本にまとめる作業をしていた。仲間の医師たちが遺志を引き継ぎ、今秋の完成を目指している。
 農林水産省の統計によると、農村からの出稼ぎ者は60年代から増加し、ピークは72年の34万人。その後は減少が続いたが、平成に入った89年でも約6万人が働きに出て、日本の経済成長を支えてきた。農機具の機械化などに伴い支出が増え、農業収入だけでは家計を支えられなかった。一方で、農閑期に地元で働き口を得るのは難しかった。
 都市部では肉体労働を中心に多くの求人があったが、粉じんの多い場所や高所、地下などで不慣れな仕事をする人も多かった。賃金不払いが起きたり、就労先の健康保険に加入できなかったり。
 天明さんたちは1987~2010年度の24年間、秋田県内の市町村から委託を受け、出稼ぎ者の宿舎へ訪問健診を続けた。

【参考:赤ひげ】

(惜別)野村昭子さん 俳優:朝日新聞デジタル
 2022年6月29日死去(熱中症)、本名・増見昭子、95歳
 世話好きのおばさんを演じさせたら抜群だった。映画「赤ひげ」(黒澤明監督、1965年)で演じた療養所の賄い役も印象的だ。預かった少女(二木てるみ)を守るため、娼家の女主人(杉村春子)を大根で殴る場面が出色。

『赤ひげ』黒澤明最後の白黒作、三船敏郎、加山雄三、二木てるみ:戦後史の激動:So-netブログ
 黒澤明監督映画最後のモノクロ作品です。三船敏郎が黒澤映画に出演するのもこの『赤ひげ』が最後です。3年間の長崎留学を終え、江戸に戻ってきた青年医師・保本登を演じるのは加山雄三。藩主の侍医である御目見医へ推薦されるはずでしたが、幕府の医療機関である小石川養生所へ、見習い医師として住み込むことになります。
 しかも、許嫁のちぐさ(藤山陽子)は、保本(加山雄三)が留学中に他の男と恋仲になっていました。
 出世の道を閉ざされ、許嫁にも裏切られた保本はやけをおこし、小石川養生所でも昼間から酒を飲んでいます。
 赤ひげ(ボーガス注:三船敏郎演じる新出去定)は医師ですが、医療には限界があることをわきまえており、まずは貧困と無知をなくさなければならないと考えています。
 社会の底辺で生きる貧しい人々が苦しむ社会に憤りを感じ、「貧困と無知さえ何とかできれば、病気の大半は起こらずに済む」と保本に言うのです。
 リベラル黒澤明の真骨頂です。
 そんな赤ひげは、松平壱岐(千葉信男)や両替屋など、金のあるところからは法外な治療代を受け取り、貧しい人々の治療にその金を充てます。
 そんな赤ひげを見ているうちに、最初は反発していた保本も、赤ひげの往診に同行するようになり、診療所にも馴染んでいきます。
 小石川養生所には、たびたび食べ物を盗みに来る男の子、長次(頭師佳孝)がいました。
 おとよ(二木てるみ*7)は、長次と話すうちに、貧しさから食べるものがなく盗みを働いていると知り、こっそり自分の食べ物を分けてやるようになります。
 しかし、もう死ぬしかないと思いつめた長次一家は、鼠捕りを食べて心中をはかり小石川養生所に担ぎ込まれます。
 長次のきょうだいたちは死んでいきますが、長次は一命をとりとめます。
 季節が変わり、自分を裏切ったちぐさを許せるようになった保本は、ちぐさの妹、まさえ(内藤洋子)と夫婦になります。
 御目見医への推薦も実現しますが、保本はそれを断り、小石川養生所に残って赤ひげとともに貧しい人々の治療を続けるのでした。
◆名子役出身揃い踏み!
 二木てるみ演じるおとよは、小石川養生所に連れて来られた当初は尋常でない目つきで、その精神の不安定さが画面を通して伝わってきます。
 そして心を開き、他人への思いやりを持てるようになるころには、顔つきまで変わっているのです。
 そして、やはり特筆すべきは、長次の役を演じる頭師佳孝でしょう。
 『どですかでん』のろくちゃんです。
 というより、この好演が認められて、ろくちゃんに抜擢されたのですが。
 おとよと初めて話をする台詞の長いシーンが有名ですが、私が印象に残っているのは鼠捕りを食べて生死の境をさまよう長次の顔です。
 目がうつろで、毒を飲んだ人はこういう表情になるのかとぞっとしました。

『赤ひげ』レビュー - 筑波大学 映画研究部 Tsukuba Cinema Club
 これ以後、黒澤明は非常に寡作になると同時に、海外へ進出していきます。また、黒澤映画に欠かせない存在だった三船敏郎も、本作を最後に黒澤映画には出演していません。そういう意味で、本作は転換点でもあります。だいぶ前に紹介した『椿三十郎』の三船敏郎加山雄三のタッグが再び!という意味でも面白いです。
 ストーリーは以下。
 長崎で蘭学を修め、幕府の御番医になる希望に燃えて江戸に帰ってきた青年医師の保本登(加山雄三)は、自分の知らないうちに進んでいた話によって、小石川養生所で働くことになる。そこでは「赤ひげ」と呼ばれる新出去定(にいで・きょじょう:三船敏郎)ら少数の医師が日夜貧民たちの治療にあたっていた。不本意な事態にすねた保本は、好き勝手に過ごして放逐されるのを待つが、新出は何も言わない。ある日、狂気から三人もの男を殺した美しい狂女(香川京子*8)が、養生所内の隔離施設から脱け出し、保本の部屋へやってくる。保本が女の美しさと彼女の子どもの頃のおぞましい思い出に隙を見せると、女は保本を殺そうとするが、間一髪のとこで新出がそれを止め、事無きをえる。この一件で少し心を入れ替えた保本は、さまざまな人びとの死や恢復の現場に立ち会い、また、医師として人としても偉大な新出の背中を見ながら、少しずつ一人前の医師に成長していく。
 『生きる』(1952年、143分)が好きな人は絶対に好きになると思います。あとは『ブラックジャック』とか『JIN-仁-』とか好きな人も絶対に好きになると思います。まあ医療系の物語って結構ワンパターンではあるんですけど、ワンパターンだからこそ余計に医者と患者にまつわる物語が生きるというかなんというかで、いいんですよね。
 男も女も子役も老人も、みんな骨太の素晴らしい演技なのも見どころです。
 最後にセリフを引用。
新出
「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法などない。医術などと言っても情けないものだ。医者にはその症状と経過はわかるし、生命力の強い個体には多少の助力をすることができる。だが、それだけのことだ。現在われわれにできることは、貧困と無知に対する戦いだ。それによって、医術の不足を補うほかはない。……それは政治の問題だというのだろう。誰でもそう言って済ましている。だがこれまで政治が、貧困と無知に対して何かしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしておいてはならんという法令が、一度でも出たことがあるか」
保本
「しかし、この養生所という設備はそのために幕府の費用で――」
新出
「ないよりはあったほうがいい。しかし、問題はもっと前にある。貧困と無知さえなんとかできれば、病気の大半は起こらずに済むんだ。いや、病気の陰には、いつも人間の恐ろしい不幸が隠れている。」

「赤ひげ診療譚」 山本周五郎著 を読んで: 生命保険会社勤務、ある中高年サラリーマンの書斎(陽だまり)
 お気に入りのところをご紹介!
「現在われわれにできることで、まずやらなければならないことは、貧困と無知に対する闘いだ、貧困と無知とに勝ってゆくことで、医術の不足を補うほかはない、わかるか」
「それは政治の問題だと云うだろう、誰でもそう云って済ましている、だがこれまでかつて政治が貧困や無知に対して何かしたことがあるか、貧困だけに限ってもいい」
「ここに居てみればわかるだろう、ここで行われる施薬や施療もないよりはあったほうがいい、しかし問題はもっと前にある、貧困と無知さえなんとかできれば、病気の大半は起こらずに済むんだ
「世間からはみだし、世間から疎まれ嫌われ、憎まれたり軽蔑されたりする者たちは、むしろ正直で気の弱い、善良ではあるが才知に欠けた人間が多い、これが切羽詰まった状態にぶつかると、自滅するか、是非の判断を失ってひどいことをする。この世から背徳や罪悪を無くすることはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無知からきているとすれば、少なくとも貧困と無知を克服するような努力がはらわれなければならないはずだ」

『赤ひげ』(1965年 日本) - カトリーヌの「朝1日1映画」2022.7.5
 子役がうますぎ。
 おとよ(二木てるみ)と長次(頭師佳孝)の演技がずば抜けすぎていて。
 また、養生所で働くまかないのおばさん役の1人に、今月1日に亡くなった野村昭子さんが出ていて、彼女が画面に映ると、コミカルさとパッとした明るさが出て、脇役とはいえどすごく印象に残ります。
 娼家「櫻屋」の女主人役の杉村春子さんの意地悪な演技も、ほんとに嫌な感じが出ていてリアル(うまいからこそできる演技)。

*1:著書『はっちゃんベトナムに行く』(2007年、アーティストハウス)、『人間は、人を助けるようにできている』(2010年、あさ出版)、『老ける・老けないは目で決まる!』(2013年、すばる舎

*2:黒澤映画『夢』(1990年)、『八月の狂詩曲』(1991年)、『まあだだよ』(1993年)で助監督

*3:著書『六本木の赤ひげ』(2003年、集英社

*4:「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞。著書 『ネパールの碧い空:草の根の人々と生きる医師の記録』(1983年、講談社)、『ネパールの「赤ひげ」は語る』(1986年、岩波ブックレット)(岩村昇 - Wikipedia参照)

*5:著書『医療現場の外国人対応:英語だけじゃない「やさしい日本語」』(共著、2021年、南山堂)、『格差時代の医療と社会的処方』(編著、2021年、日本看護協会出版会 )など

*6:著書『産業医と臨床医・二足のわらじで時代を穿つ』(2012年、一葉社)

*7:1965年公開の『赤ひげ』でブルーリボン賞助演女優賞を史上最年少(当時)である16歳で受賞(二木てるみ - Wikipedia参照)

*8:黒澤作品では他に『どん底(1957年)』『悪い奴ほどよく眠る(1960年:主人公である三船敏郎の恋人役)』、『天国と地獄(1963年:三船敏郎が演じる権堂社長の妻役)』『まあだだよ(1993年:松村達雄が演じる作家・内田百閒の妻役)』に出演(香川京子 - Wikipedia参照)