黒井文太郎&荒木和博&常岡浩介に悪口する(2023年2月25日分)

常岡浩介がリツイート
金子洋一元参議院議員(神奈川県選出)
 ウクライナの街を丸ごと一つ廃墟にして、なんの反省もないプーチン。彼が君臨するロシアはわが国の隣にあって、北方領土を不法占拠し、核ミサイルはわが国に照準を合わせているのです。だからこそウクライナ侵略戦争対岸の火事ではありえません。

 非常識過ぎて絶句ですね。今のロシアに日本侵攻できる体力があるわけもない。

常岡浩介
 明日、2月26日、18時からの日本テレビ真相報道バンキシャ」で横田徹さん*1ウクライナ取材の第二弾が放送されます。

 「事実上廃業(但し廃業したとは公式には認めてない)」の常岡も他人の業務報告して恥ずかしくねえのかとは思います。もしかして「横田君みたいな偉大なジャーナリストと俺は友人なんです」と言う自慢のつもりか?。仮にそうだとしても「おいおい(苦笑)」というのが世間の扱いの訳です。横田氏も内心では常岡に呆れてるのではないか。

常岡浩介
 中村逸郎*2先生については、佐藤優氏や鈴木宗男氏のようにプーチンのために国内で政治的デマとプロパガンダを流しているわけでもなく、下斗米氏*3のように情勢を見てへつらっているわけでもなく、誰も不幸にしないのに単に意味が分からなくて全くもってすばらしい

 今の常岡のダメさを象徴するツイートと言っていいでしょう。
 まず第一にこれでは常岡が下斗米氏や中村氏の主張の「何を問題だと思ってるのか」全くわかりません(鈴木や佐藤については常岡以外にも「ロシアに甘い」と批判する声があるのでわかりますが)。
 第二にロシア専門家を自称するなら「中村はダメだ」などと他者を批判するだけでなく「常岡個人のロシア認識」を示すべきでしょうにねえ。

黒井文太郎
 常岡浩介さんなどからは周回遅れでしたが、(ボーガス注:クリミア侵攻のあった)2014年から「プーチンには気をつけて」と書き続けてきました。

 何故に「ジャーナリスト廃業」常岡にこんな世辞を黒井が言うのか謎です。
 常岡にはロシア関係の著書は『ロシア語られない戦争:チェチェンゲリラ従軍記』(2008年、アスキー新書)というかなり昔(約15年前)の本しかないし、最新刊*4は『イスラム国とは何か』(2015年、旬報社)でロシアは関係ない。今の常岡に媚びたところで利益があるとも思えないのですが。

黒井文太郎
 暴力団幹部みたいなアサド政権高官らとやり合うには、エリートよりマル暴デカみたいな悪党慣れした人材が適任かも
※これは冗談ではないです

 黒井ツイートの「アサド」を「北朝鮮」に書き換えると以下のような荒木和博の放言と全く同じになります。

ヤクザの出入り 【調査会NEWS2353】(28.12.16): 荒木和博BLOG
 ヤクザと交渉しなければならない外務省の皆さんも大変です。やはりヤクザと渡り合うのはそれに相応しい人間がやった方が良いような気がします。

大阪府警の暴力団担当【調査会NEWS3344】(R02.10.8): 荒木和博BLOG
 西村真悟・元拉致議連幹事長が拉致のことで話すときに、ときどき「北朝鮮と交渉するのは外務省に任せたらアカン、大阪府警暴力団担当の刑事みたいなのに交渉やらせなアカン」と言っています

 荒木といい黒井といい全く呆れたバカです。

*1:著書『戦場中毒:撮りに行かずにいられない』(2015年、文藝春秋

*2:筑波大学名誉教授。著書『ロシア市民』(1999年、岩波新書)、『帝政民主主義国家ロシア:プーチンの時代』(2005年、岩波書店)、『虚栄の帝国ロシア』(2007年、岩波書店)、『ロシアはどこに行くのか』(2008年、講談社現代新書)、『ろくでなしのロシア:プーチンロシア正教』(2013年、講談社)など

*3:法政大学名誉教授。著書『ソビエト政治と労働組合:ネップ期政治史序説』(1982年、東京大学出版会)、『ゴルバチョフの時代』(1988年、岩波新書)、『スターリンと都市モスクワ:1931-34年』(1994年、岩波書店)、『アジア冷戦史』(2004年、中公新書)、『モスクワと金日成』(2006年、岩波書店)、 『プーチンはアジアをめざす』(2014年、NHK出版新書)、『宗教・地政学から読むロシア』(2016年、日本経済新聞出版社)、 『ソビエト連邦史:1917-1991』(2017年、講談社学術文庫)、『神と革命:ロシア革命の知られざる真実』(2017年、筑摩選書) 『新危機の20年:プーチン政治史』(2020年、朝日選書)、『日本冷戦史:1945-1956』(2021年、講談社学術文庫)、『ソ連を崩壊させた男、エリツィン』(2021年、作品社)、『プーチン戦争の論理』(2022年、集英社インターナショナル新書)など

*4:最新刊と言っても約8年前の本でそれ以降、常岡には目立った業績はありません。