珍右翼・高世仁に悪口する(2024年1/6日分)(副題:失われた30年)

困難な時代も希望を持って生きる - 高世仁のジャーナルな日々

 年末年始SNSを見ていておもしろかったのが、津田大介さん*1のXへの投稿。
 ジャニーズ抜きの紅白、紅組が大差で圧勝したのを見て「組織票って大事なんだな」と思うと同時に、自民党から公明党引き剥がせば、普通に政権交代簡単に起きるんだなって思いました。

 「自民党公明党創価学会の関係」「公明党創価学会の組織票」はともかく、「紅白での紅組勝利」が果たして「ジャニーズ組織票がないこと(今回、ジャニーズが出演せず)」と言えるかどうか?。別に津田氏も具体的根拠があるわけではないでしょう。
 可能性だけなら

第74回NHK紅白歌合戦 - Wikipedia
【紅組】
新しい学校のリーダーズ*2
◆ano*3
◆MISAMO*4
伊藤蘭
→但し、キャンディーズとしてなら1975~1977年に出場(3回) 
◆Ado
【白組】
◆Stray Kids*5
◆すとぷり
◆キタニタツヤ
MAN WITH A MISSION*6
SEVENTEEN*7
大泉洋
Mrs. GREEN APPLE
10-FEET

という「初登場組」の人気の違いかもしれない。
 なお、個人的にはそんなことよりも「もはや勝敗など必要なのか?」ですね。
 昔は「歌手一人で歌うケース」が多かった物の、今や「グループで歌うケース」が増えてる。その場合「男女混合」の場合もある(2023年紅白だと『緑黄色社会*8』)のに「『緑黄色社会』は女性がボーカルなので紅組」として紅白に分けてるわけですが、「分ける必要あるの?」だし、裏番組のテレ東の歌番組「年忘れにっぽんの歌(最近の歌は少なく、ほとんど演歌等の懐メロですが)」は「歌合戦形式」でも「紅白(男女別)」でもないわけです。

 1998年から続いてる宝島社の新聞広告。
『失われた30年*9じゃない。天才たち*10が生まれた30年だ。野球*11を、フィギュア*12を、将棋*13を見よ。』

 宝島社の広告は

◆ただの逆張り、天邪鬼でしかない
◆彼らが天才なのは彼らの努力であって日本社会の力ではない
◆何時の時代、何処の国でもそうした天才はいた、例えば
1)「バロン西」こと西竹一*14(1902~1945年:1932年ロス五輪馬術障害飛越競技金メダル)
2)「前畑頑張れ*15NHK河西三省アナウンサー)」の前畑秀子(1914~1995年:1936年、ベルリン五輪200m平泳ぎ金メダル、日本女性選手初の金メダル)
は天才だろうが、彼らが活躍した当時の日本社会が素晴らしかったとは言えない
◆『失われた30年』論が問題にしてるのは日本の社会システムが時代に合ってないという話なので、そうした天才の存在など、何の反論にもなってない

と思いますがそれはさておき。
 なお、「失われた30年(バブル景気が崩壊したとされる1991年以降の30年以上に及ぶ期間のこと)」云々については「日本の経済、景気(バブル景気終了後の不景気)」で論じられることが多いですが俺個人は以下の点で「失われた30年」感がありますね。
【30年前の「金丸訪朝」】
 色々事情はあったのでしょうがこれが「拉致被害者救出」「日朝国交正常化」に直接的にはつながらなかったことはやはり残念です。せめて20年前の小泉訪朝(2002年)以降は何とかして欲しかった。
 金丸訪朝(1990年)からカウントすれば「拉致解決(あるいは日朝国交正常化)・失われた30年」、小泉訪朝からカウントすれば「拉致解決(あるいは日朝国交正常化)・失われた20年」ですね。救う会や家族会、高世にそういう思いがあるかは疑問ですが。
【30年前の「冷戦終了により平和な社会」ムード】
 1991年と言えば、ソ連崩壊により冷戦が終了。
 その後も『1993年1月3日:ブッシュ父米国大統領とエリツィン露大統領、第二次戦略兵器削減条約(START II)に調印(1993年 - Wikipedia参照)』ということで比較的、米露関係も良かった。
 「プーチンウクライナ侵攻(2022年)→米露全面対決」のような話は誰も予想してなかったわけで「どうしてこうなった」感はあります。
【30年前の政治改革ムード(あるいは政権交代ムード)】

リクルート事件(1989年)
 藤波元官房長官(中曽根派幹部)を起訴。また起訴されなかったが疑惑の政治家として中曽根前首相(中曽根派領袖)、竹下首相(竹下派領袖)、宮沢蔵相(宮沢派領袖、後に首相、首相退任後も小渕、森内閣で蔵相)、安倍*16幹事長(安倍派領袖)、渡辺*17政調会長(中曽根派幹部、後に中曽根派を離れ、渡辺派領袖)等、自民党幹部政治家の名前が浮上(役職は当時)。
 その結果、「政治的謹慎を派閥領袖達、自民党幹部政治家が強いられ」、大臣経験(宇野氏は中曽根内閣通産相、竹下内閣外相等、海部氏は福田、中曽根内閣文相)があるとは言え派閥領袖でない宇野氏(中曽根派)、海部氏(河本*18派)が「ポスト竹下」の首相に就任。
東京佐川急便の金丸*19自民党元副総裁へのヤミ献金事件(1992年)
◆ゼネコン汚職(1993年)
 収賄側では中村喜四郎建設相(宮沢内閣)や当時の茨城県知事、宮城県知事、仙台市長、茨城県三和町*20長を、贈賄側では当時の清水建設会長、鹿島建設副社長、大林組副社長、大成建設副社長、間組*21会長、社長、西松建設副社長、三井建設*22副社長、飛島建設名誉会長等のゼネコン幹部を訴追(ゼネコン汚職事件 - Wikipedia参照)

等により「政治改革ムード」が高まり、結果として「政党助成金制度、選挙制度改革」等がされた(共産はそんなことより企業・団体献金を禁止または大幅規制すべきだとしてそれらの「改革」をインチキと批判)。
 また、1993年には宮沢内閣が下野し、細川非自民連立内閣が誕生した。
 ところが30年経った今「自民党裏金疑惑」が炸裂した。「約30年前の政治改革」が「無意味だったこと」が露呈した。にもかかわらず「相対的には自民党支持率が高く」政権交代ムードは高まらない。
 「この30年間、一体何だったのか」感は否定できません。
 以前、別記事今日のしんぶん赤旗ニュース(2023年11/6~12日分)(副題:松竹伸幸の醜態を嗤う、ほか)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ今日も「カス駄犬」ことkojitakenに悪口する(2023年11/30日分) - bogus-simotukareのブログで紹介しましたが、以下の志位氏の認識も俺のような「政治改革・失われた30年」でしょう。

志位和夫 日本共産党は野党共闘の再構築に挑戦する|政治・経済|中央公論.jp
 1990年代の「政治改革」の動きは、大手ゼネコンが政治家にランクをつけて献金していたというゼネコン汚職に政界が覆われていたことを契機としたものでした。金丸信自民党前副総裁(当時)の金庫から金の延べ棒が出てきたという、時代劇のようなこともあって、「政治とカネ」の問題、政治腐敗をいかになくしていくかが大問題になった。私たちは、企業・団体献金の全面禁止がなにより大事だと訴えました。
 ところが、政治腐敗は中選挙区制度が原因だとして、選挙制度の問題にすり替えられ、小選挙区制が導入された。当時、私たちは、「小選挙区制は大政党有利に民意を歪め、多くの国民の声を切り捨てることになる」と主張しましたが、そのとおりになってしまいました。
 90年代には小選挙区制とともに政党助成金も導入されました。その名目は、企業・団体献金を禁止する代わりに税金で支えるという話でした。ところが、肝心の企業・団体献金禁止の約束はいまだに果たされず、パーティー券のような形を変えたものも花盛りです。つまり、企業・団体献金政党助成金ももらうという二重取りをやっているわけです。
 政党助成金欲しさに、12月末になると政党の離合集散が繰り返される。政党助成金を原資として、広島の河井克行・案里元衆参議員による大規模な買収事件のようなことも起こりました。
 「政治とカネ」の問題はこの30年間、少しもよくなっていません。岸田文雄政権でも次から次へと「政治とカネ」をめぐるスキャンダルが続いている。腐敗はむしろ深刻化していると思います。

赤旗野党共闘の再構築に挑戦/『中央公論』12月号 志位委員長インタビュー
 「政治とカネ」の問題・政治腐敗をなくすことを名目に1990年代の「政治改革」によって導入された小選挙区制が、大政党有利に民意をゆがめ、虚構の多数を得た自民党が労働法制の規制緩和社会保障の連続削減、集団的自衛権行使容認の閣議決定など暴走したと告発しました。
 志位氏は、「小選挙区制の導入によって政治に多様性と活力がなくなってしまっている」と鋭く指摘し、国民の民意を鏡のように反映する比例代表制を中心にした制度改革が必要だと提起しました。
 企業・団体献金を禁止する代わりとして導入された政党助成金についても、企業・団体献金禁止の約束が果たされず、「政治とカネ」の問題はこの30年間で少しもよくならず、(ボーガス注:2004年の日歯連疑惑(橋本*23元首相、野中*24元幹事長らの名前が浮上、村岡*25官房長官が起訴され有罪判決)など)「腐敗はむしろ深刻化している」と厳しく批判。「『政治改革』の名のもとで行われた小選挙区制と政党助成金は、日本の政治を堕落させた。この二つの大改悪はリセットしなければならない」と主張しています。

【日本左翼・失われた30年】
 30年前はまだ日本社会党が最大野党としてそれなりに健在(村山内閣もちょうどその頃)だったところ、今や「最大与党自民、最大野党立民どころか、2019年にできたれいわ新選組の支持率すら下回る」ミニ政党・社民党に没落。
 最大野党の立民は左派とは言えず、「右派」維新や国民民主にすり寄ったり、「左派」共産、社民、れいわに色目を使ったりと右顧左眄。全く頼りない様です。その結果「日本最大の左翼政党」は共産党になっています(最大議席数だった1970年代より、国会議席数は少ないのですが)。しかも「右翼政党」維新が最大野党化する危険性が否定できない。
 労組は労組で、「総評(社会党系)、同盟(民社党系)が合体してできた連合」は旧同盟が主導権を握り、反共右翼路線です。小生も共産支持を表明していますが、それは「日本左翼・失われた30年」においてそれなりに奮闘し存在感を見せている左翼政党が共産だからにすぎません。
【娯楽の世界・失われた30年】
 娯楽の世界も30年間で大きく変わりました。
 例えば「時代劇ファン」小生は暴れん坊将軍 III等、他人の書いた記事の紹介部分が多いとは言え、暴れん坊将軍 カテゴリーの記事一覧 - bogus-simotukareのブログを書いていますが、30年前はまだ「時代劇」が娯楽としてそれなりに人気がありました。民放地上波でも、TBS「大岡越前」(1970~1999年:15シリーズ)、「水戸黄門」(地上波では1969~2011年まで43シリーズ、BS-TBSで2017~2019年に2シリーズ)、フジ「鬼平犯科帳」(1989~2001年:9シリーズ)、テレ朝「暴れん坊将軍」(1978~2002年:12シリーズ)等が放送されていた。
 今や地上波では時代劇は再放送ばかりで新作は「原則として実在した歴史上の偉人を主人公とする*26」と言う縛りがある「NHK大河ドラマ」を除いてほとんど放送されなくなり「鬼平犯科帳」が帰ってくる 十代目松本幸四郎、染五郎と〝共演〟 - 産経ニュースも地上波ではなくCSの時代劇専門チャンネルです(とはいえ新作『鬼平犯科帳』の制作は嬉しいですが)。
 再放送も「テレ朝・おはよう時代劇」のように「朝4時」という「高齢者設定」としか思えない時間にしか放送しない。
 演歌も30年前と違い今やあまり放送されなくなった。
 また歌番組も30年前はいろいろあったところ、今や、地上波では「紅白歌合戦のような特別番組を除けば」、NHK「うたコン」、フジ「ミュージックフェア」、テレ朝「ミュージックステーション」くらいしかないのではないか。
 アニメも30年前は地上波でいろいろあったところ、今や地上波では新作は「深夜放送」がほとんどです。あの「鬼滅の刃」ですらプライムタイム(19~22時)では放送されない。
 日テレ『キン肉マン』(1983~1986年)、『シティーハンター』(1987~1990年まで3シリーズ)、フジ『北斗の拳』(1984~1988年まで2シリーズ)*27などジャンプの人気マンガが多数アニメ化され、その多くがプライムタイムの放送だった頃とは偉い違いです。
 しかも「昔から放送されているアニメ」もプライムタイムにはまず放送されない。もともとはプライムタイムにあった日テレ「名探偵コナン(月曜19時→土曜18時)」、テレ朝「ドラえもん(金曜19時→土曜17時)」「クレヨンしんちゃん(金曜19:30→土曜16:30)」、フジ「ワンピース(水曜19時→日曜9時)」はプライムタイムの外に移動された。
 テレビ東京も「新世紀エヴァンゲリオン」(1995~1996年)などアニメを放送していた夕方の枠ではアニメは放送しなくなり、最近ではドラマ「孤独のグルメ」再放送等を放送している。
 プロ野球も昔は「テレビの人気番組」でしたが今や「クライマックスシリーズ」「日本シリーズ」は放送しても、「ペナントレース」は地上波のプライムタイムではまず放送されなくなった。日本テレビですら巨人戦を放送しません。
 ラジオでもTBSは「ペナントレース」の野球中継を既に止めています(TBSラジオがプロ野球中継から撤退 昭和27年からの歴史に幕 - 産経ニュース(2017.11.29))。TBSラジオの対応は「野球中継を聞くのは主に中高年男性」と言う判断から「若者や女性を取り込むための方策」と見られています(一方、文化放送ニッポン放送は野球中継を継続)。
【参考:時代劇】

昭和のテレビでは毎晩、時代劇が流れていた : 読売新聞編集委員・片山一弘*28(2020.4.30)
 NHK以外の(ボーガス注:地上波)テレビ局が時代劇を作らなくなって久しい。TBSの超長寿番組「水戸黄門」が終わったのが2011年。東京の民放地上波で放送された連続ドラマは、テレビ東京が2016年(平成28年)に放送した「石川五右衛門」(主演:市川海老蔵*29)が最後らしい。時代劇を見て育った筆者にとっては寂しい限りだ。
 子供の時分には、テレビをつければ毎晩どこかの局で時代劇が流れていた。
 読売新聞の縮刷版(東京本社版)をめくって確かめてみた。1973年(昭和48年)5月7日から1週間のテレビ番組表から、連続ドラマとして放送されていた時代劇をリストアップする。筆者が小学3年生だった年だ。
5月 7日(月)午後8時「水戸黄門」(TBS/主演:東野英治郎
5月 8日(火)午後9時「荒野の用心棒*30」(NET=現在のテレビ朝日/主演:夏木陽介
5月 9日(水)午後8時「銭形平次*31」(フジ/主演:大川橋蔵
        午後9時「新書太閤記*32」(NET/主演:山口崇
5月10日(木)午後8時「新選組」(フジ/主演:鶴田浩二
        午後8時「素浪人天下太平」(NET/主演:近衛十四郎*33
5月11日(金)午後8時「赤ひげ*34」(NHK/主演:小林桂樹
5月12日(土)午後8時「剣客商売*35」(フジ/主演:加藤剛山形勲
        午後10時「必殺仕置人*36」(TBS/主演:山崎努藤田まこと
5月13日(日)午後8時「国盗り物語*37」(NHK/主演:高橋英樹
        午後8時「遠山の金さん捕物帳*38」(NET/主演:中村梅之助
        午後9時30分「子連れ狼*39」(日本テレビ/主演:萬屋錦之介
        午後9時30分「若さま侍捕物手帖*40」(フジ/主演:林与一
 しめて週13本。「毎晩どこか」どころではない。日曜の夜は4本。おまけに、この時期には子供向けの特撮時代劇「白獅子仮面」(日本テレビ、水曜午後7時)、「風雲ライオン丸*41」(フジ、土曜午後7時)もあった。
 当時の日本人、時代劇好きにもほどがある。
 フジテレビで「鬼平犯科帳」「剣客商売」など数々の時代劇を手がけたプロデューサー、能村庸一*42は著書「実録テレビ時代劇史*43」で、1973年について<プライムタイムだけで三十本以上の時代劇が放送される、空前の時代劇ブームとなった>と書いている(プライムタイムとは午後7時から11時まで。視聴率調査のための時間区分のひとつ)。
 テレビ時代劇は、テレビの本放送が始まった1950年代から作られていた。そのころ隆盛を誇った映画の時代劇が、1960年代末に急速に人気を失い、映画の俳優やスタッフがテレビ界に流れたことも相まって、テレビ時代劇は1970年代に黄金期を迎えた。
 量産される時代はしばらく続いたけれども、昭和が終わって平成を迎える頃から、視聴率は下がり、制作本数は減った。今や民放では、たまに単発のスペシャルドラマが作られるのみ。NHKだけが大河ドラマにBS時代劇、過去の名作をリメイクした単発スペシャルと、孤軍奮闘しているのが現状だ。
 なぜ衰退したのか。
 まず、現代劇より費用がかかる。時代劇では建物も衣装も小道具も、画面に映るものは人間以外のほとんどが現代と異なるので、何もかも作らねばならない
 それでも高視聴率が取れたからよかったのだが、徐々に数字が落ちてきた。
 さらに、個人視聴率の調査が可能になると、時代劇を見ているのは高齢者ということが明確になった。スポンサー企業は、購買力のある若い層が見る番組を好み、時代劇を敬遠しがちになった。
 ただし、今やテレビは地上波だけではない。90年代にBS局、CS局が登場し、多チャンネル化が進んだ。CS「時代劇専門チャンネル」では、過去の映画やドラマを放送するだけでなく、池波正太郎藤沢周平の原作で本格的な時代劇ドラマを制作している。
 また、ここ10年ほどの間には、インターネットによる動画配信サービスが世界的に盛んになってきた。代表的なネットフリックスやアマゾンプライムビデオは、いずれもアメリカに本拠を置き、日本オリジナルのドラマやバラエティーも制作している。
 時代劇は、俳優の演技にも、衣装や小道具、かつらなどの技術スタッフの仕事にも独特の約束事が多く、伝統芸能・伝統工芸に近い面がある。作品を作り続けて技術を継承していかないと、途絶えてしまう。そうなる前に、テレビであれネットであれ、時代劇が作り続けられる状況が再び来ることを願っている。

【参考:西竹一】

バロン西と愛馬ウラヌス物語
 オリンピックの後、西竹一は本業の軍務にもどります。しかし、騎兵の時代は終焉を迎えつつありました。日清・日露戦争では兵員と物資の輸送、騎兵による突撃などことごとく軍馬に頼りました。例えば乃木希典*44将軍が攻略した旅順の203高地では重い大砲を運び上げるのに重用され、馬の力がなかったら落とせなかったといわれます。
 しかし昭和初年ころから、近代戦での軍馬の役割が低下しました。動力をガソリンエンジンに頼る車両の開発が進みました。西竹一がいる騎兵学校でも装甲車や水陸両用車、軽戦車などの開発とともに騎兵にも機甲部隊に関する教育と実技が実施されるようになっていきます。
 1937年(昭和12年)の支那事変後は、陸軍では馬術学生の募集は停止され、機甲教育機関へと移行していきます。騎兵は削減され、代わって戦車連隊が設置されていきます。昭和16年には、ついに騎兵科は歩兵科の流れを汲む戦車兵と統合されて機甲兵となり、兵種としての騎兵は消滅、それまでの騎兵の多くは戦車部隊の要員になりました。
 こうした時代の流れで西竹一も馬から戦車へ乗り換えることを余儀なくされていきます。しかしこの時どんどん左遷といってよいほど冷遇を受けます。
 北満州の牡丹江戦車第26連隊長へと配属になります。
 少佐、中佐と階級こそ上がっていますが明らかに左遷です。これには彼独特の性格が災いしたとみられます。
 派手にアメリカ車を乗り回したり、ブランド品を買ったり、アメリ社交界に出入りしたりして(ボーガス注:父から受け継いだ)莫大な遺産を蕩尽する面もさることながら、天皇を極端に神格視する当時の風潮に懐疑的で、宮城遥拝の際にも頭を下げることはなかったなど、当時としては型破りな行動が陸軍内で反感をかったと言われています。
 そして最期の地となる、硫黄島へと赴任します。そのときの様子を、元皇族で馬術が好きでバロン西と同じく馬術選手としてオリンピックをめざしたこともある竹田恒徳氏*45(平成4年5月死去。竹田恒和・現JOC*46会長の父)が「馬よもやま話*47」で次のように書いています。恒徳氏は陸軍騎兵学校教官を務め戦時中は大本営参謀として命令を伝達する立場にあり、戦後は日本馬術連盟会長やJOC委員として活躍した方です。
「馬はまったく必要がなくなったとはいえ、西さんは拍車と鞭を最後まで手離さなかったし、愛馬ウラヌス号のたてがみの切れ端を肌身離さずポケットに入れていた。いかに馬を、ウラヌス号を愛しておられたかがよくわかる。
 その後、昭和十九年頃であったか、南方へ進攻した日本軍は、破竹の勢いで南太平洋から東南アジアの広大な地域を占領したため、兵力に不足を生じ、北方守備に当たっていた在満部隊をひそかに抽出して、南方に転用せざるをえなくなった。
 私はその頃、大本営作戦参謀から、関東軍作戦参謀に転じて、その間の事情をいちばんよく知っていたため、釜山の港町に派遣され、汽車で満州各地から南下してくる転用部隊をつぎつぎと輸送船に乗せて送り出す処理に当たっていた。その転進部隊の行く先をしるした大本営命令書は、私が輸送指揮官に手渡すことになっており、私だけはその転用先を知っていたのであるが、秘密保持上「出港後開封」と上書きされて厳封してある。つまり、船が港を出てから命令書を開封して見るまで、転進部隊は自分たちの行き先は全く知らされないのであった。
 そのうち西さんの率いる戦車隊が転進部隊として釜山に到着した。西さんは私に、「自分はどこへ行くのだ?」と何度も聞かれたが、それだけは口が裂けても言えない。私はもどかしさと同時に、おそらくは西中佐の最後の死地となるであろう硫黄島行きの命令書を、偶然とはいえ、もっとも親しい仲である私が明朝手渡さなければならないという、なんとも皮肉なやるせない思いであった。
 そうした気持ちをなんとかまぎらわそうと、その夜は私が参謀の身分を隠して泊まっていた木賃宿で、西さんとひっそり別れの酒を酌み交わして夜を明かした。そして翌日未明、出港する船の甲板で厳封した命令書を西さんに手渡したのであるが、ついにこれが今生の別れとなってしまった。」
 西竹一の最期については諸説ありはっきりしません。現在、硫黄島東海岸に「西大佐の碑」があります。
 3月21日払暁、兵団司令部への移動のため敵中突破中に機銃掃射を受けてその場で亡くなった。銀明水及び双子岩付近にて副官と共にピストルで自決した。あるいは3月22日、アメリカ軍の火炎放射器で片目をやられながらも、数人の部下らと共に最期の突撃を行い、戦死したなど諸説いりまじっています。
 場所や日時は判明しないものの。一代の馬術家にして快男児バロン西硫黄島の戦闘で最期を遂げたことだけは確かです。満42歳でした。
 死後、陸軍大佐に昇進。勲三等旭日中綬章を授章しています。また、長男の西泰徳氏(現・硫黄島協会副会長)が男爵を襲爵しましたが、これは昭和生まれで唯一の授爵者となりました。西竹一本人の墓所青山霊園にあります。
 そして、西の後を追うかの如く、1週間後にウラヌスも東京世田谷の馬事公苑の厩舎で静かに息を引き取りました。その後ウラヌスの墓があった津田沼の陸軍騎兵学校は米軍の爆撃を受け、その時ウラヌスの遺骨は吹き飛んで残されていないということです。
【米軍の投降勧告はあったのか】
 硫黄島の戦いで西竹一率いる戦車第26連隊は隊長ともども玉砕しましたが、この戦闘では攻撃したアメリカ軍が「バロン西、出てきなさい。あなたはロサンゼルスで限りなき名誉を受けた。降伏は恥ではない。我々は勇戦したあなたを尊敬を持って迎える。世界は君を失うにはあまりにも惜しい」と連日呼びかけたが、西は黙ってこれに応じなかったというエピソードが残っています。
 クリント・イーストウッド監督の日米合作映画「硫黄島からの手紙」(2006年)でも(ボーガス注:伊原剛志が西を演じ)このシーンが山場として描かれ、また当時硫黄島に合流していた海軍の南方諸島海軍航空隊所属士官の証言としても伝えられてもいます。当時の米軍の記録映画でも稚拙ながら日本語でハッキリと投降勧告を告げている場面も残っていますが、バロン西に対するものではなく、一般の将兵への放送かもしれません。
 こうした「事実だ」とする証言がある一方で、激戦のさなかにアメリカ軍が「硫黄島守備隊の中にバロン西が参加している」と云う事実を「事前に知り得る事などありえない」というクールな見方から、後世の創作であるとする意見もあります。

 騎兵の廃止と言えば以下のような話もあります。

吉橋徳三郎 - Wikipedia
 1871~1920年
 1919年(大正8年)11月、参謀本部第4部長の国司伍七陸軍少将が、陸軍の機関紙である『偕行社記事』に「騎兵ノ将来ニ就イテ」と題する論文を発表し、火器や軍用機の発達した第一次世界大戦の戦訓を踏まえ、乗馬戦闘用の騎兵は廃止すべきで、伝令・斥候用の乗馬歩兵で足りるとする主張をした。これに対して、植野徳太郎軍馬補充部本部長、大島又彦陸軍騎兵学校長らが反対の論陣を張って、激しい論争が起きた。
 吉橋も、1920年大正9年)1月に「『騎兵ノ将来ニ就テ』ノ所感」と題する論文を『偕行社記事』に発表し、あくまで乗馬戦闘教育は維持して徒歩戦闘と併用すべきであると国司少将を批判した。その際、吉橋は、歩兵も機会が少ない銃剣突撃を重視しているのだから、騎兵も機会が少なくても乗馬戦闘を軽視すべきでないと述べた。国司少将は、同年4月の「再ビ騎兵問題ニ就イテ」『偕行社記事』で吉橋に再反論し、吉橋が歩兵戦闘もほとんど射撃戦で決まるとしている点は、現代の士官に例を見ない「妄想」だと述べた。吉橋は、同年6月に再々反論する論文を執筆したものの、『偕行社記事』への発表は取りやめてしまった。
 同年8月、吉橋は、国司少将により「妄評」を加えられたことが名誉上耐えられない旨の遺書を残して、割腹自殺した。

*1:著書『Twitter社会論』(2009年、洋泉社新書y)、『ウェブで政治を動かす!』(2012年、朝日新書)、『動員の革命:ソーシャルメディアは何を変えたのか』(2012年、中公新書ラクレ)、『ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す:これからのソーシャルメディア航海術』(2014年、PHPビジネス新書)、『情報戦争を生き抜く:武器としてのメディアリテラシー』(2018年、朝日新書)等

*2:4人組ダンスボーカルユニット

*3:2013年から2019年までアイドルグループ「ゆるめるモ!」に在籍。2020年よりソロで活動

*4:「9人組女性グループ」TWICEの「サブユニット」。名前「MISAMO」の由来は日本人メンバーであるミナ(本名:名井南)、サナ(本名:湊﨑紗夏)、モモ(本名:平井もも)の名前の頭文字をとったもの

*5:韓国の8人組男性アイドルグループ

*6:5人組ロックバンド

*7:韓国の13人組男性アイドルグループ

*8:男女混合4人組ポップ・ロックバンド

*9:バブル景気が崩壊したとされる1991年以降の30年以上に及ぶ期間のこと

*10:大谷翔平羽生結弦(以上、1994年生まれ)、藤井聡太(2002年生まれ)等のこと

*11:現在ロサンゼルス・ドジャースに所属する二刀流の大谷翔平(1994年生まれ)のこと

*12:2014年ソチ五輪、2018年平昌五輪金メダル、2018年国民栄誉賞受賞の羽生結弦(1994年生まれ)のこと

*13:将棋8冠(叡王、王位、王座、王将、棋王棋聖、名人、竜王)の藤井聡太(2002年生まれ)のこと

*14:第二次松方、第三次伊藤内閣外相等を歴任した男爵・西徳二郎の三男。1924年陸軍士官学校卒業後、陸軍騎兵少尉に任官。1927年、陸軍騎兵学校を卒業し、陸軍騎兵中尉に進級、1933年、陸軍騎兵大尉に進級、陸軍騎兵学校教官となる。1939年には陸軍騎兵少佐に昇進し、軍馬の育成を担当する陸軍省軍馬補充部の十勝支部員となる。しかし1940年以降は陸軍において騎兵部隊が削減され、代わって近代的な戦車部隊が新設された時代であり、「陸軍騎兵」西も方向転換を余儀なくされる。1943年、陸軍中佐に昇進し、1944年3月に戦車第26連隊長を拝命。戦車第26連隊は当初は「サイパンの戦い」に参戦予定だったが、現地守備隊が玉砕したため、1944年6月に硫黄島への動員が下令された。1945年3月、硫黄島の戦いで戦死し陸軍大佐に特進(西竹一 - Wikipedia参照)

*15:「前畑頑張れ!、ゲネルゲン(引用ママ、正しくはゲネンゲル)も出てきました。頑張れ! 前畑、前畑リード! 、前畑リードしております。あと5メーター、4メーター、3メーター、2メーター。勝った!、前畑勝ちました!、前畑の優勝です」という河西の実況は、翌日の読売新聞朝刊において「あらゆる日本人の息をとめるかと思われるほどの殺人的放送」と激賞された一方、「あれでは応援放送で、客観的な実況放送とは言えない」「第三位以下の選手の順位が不明で、スポーツ中継としては欠陥商品」といった批判も少なくなかった。後に河西は「放送席の側にいた陸上棒高跳の西田修平(1910~1997年:1936年ベルリン五輪銀メダル)、大江季雄(1914~1941年:1936年ベルリン五輪銅メダル、1941年にフィリピン・ルソン島で戦死)らが『頑張れ、頑張れ』と声援を送っていたので、俺も一緒になって『頑張れ、頑張れ』とやってしまった」と述懐している(河西三省 - Wikipedia参照)

*16:三木内閣農林相、福田内閣官房長官自民党政調会長(大平総裁時代)、鈴木内閣通産相、中曽根内閣外相、自民党幹事長(竹下総裁時代)等を歴任

*17:福田内閣厚生相、大平内閣農水相、鈴木内閣蔵相、中曽根内閣通産相自民党政調会長(竹下総裁時代)、宮沢内閣副総理・外相等を歴任

*18:佐藤内閣郵政相、三木、福田内閣通産相自民党政調会長(福田、大平総裁時代)、鈴木、中曽根内閣経企庁長官等を歴任

*19:田中内閣建設相、三木内閣国土庁長官福田内閣防衛庁長官自民党国対委員長(大平総裁時代)、総務会長、幹事長(中曽根総裁時代)、副総裁(宮沢総裁時代)等を歴任

*20:現在は市町村合併古河市

*21:2013年に間組安藤建設を合併し現在は安藤・間

*22:2003年に三井建設が住友建設を合併し、現在は三井住友建設

*23:大平内閣厚生相、中曽根内閣運輸相、海部内閣蔵相、自民党政調会長(河野総裁時代)、村山内閣通産相等を経て首相。首相退任後も森内閣行革相

*24:村山内閣自治相・国家公安委員長小渕内閣官房長官自民党幹事長(森総裁時代)など歴任

*25:宇野内閣郵政相、海部内閣運輸相、橋本内閣官房長官等を歴任

*26:架空の人物が主人公として登場した作品として『三姉妹』(1967年)、『獅子の時代』(1980年)、『山河燃ゆ』(1984年)、『いのち』(1986年)、『琉球の風』(1993年)がありますが例外です(大河ドラマ作品一覧 - Wikipedia参照)

*27:なお『キン肉マン』、『シティーハンター』、『北斗の拳』の主演は全て神谷明で当時の彼の人気が窺えます。アニメに大して興味のない小生もさすがに彼の名前は知っています。

*28:1964年生まれ。著書『独創の太鼓打ち・林英哲』(2023年、読売新聞社林英哲(和太鼓奏者) 時代の証言者 : 読売新聞の単行本化)

*29:2016年当時、現在は市川團十郎を襲名

*30:ライフル銃の名手・秋月左馬之介(演:夏木陽介)、爆雷の使い手・速見雷蔵(演:竜雷太)らの活躍を描くマカロニ・ウェスタン調の時代劇(荒野の用心棒 (テレビドラマ) - Wikipedia参照)

*31:野村胡堂(1882~1963年)の小説『銭形平次捕物控』のドラマ化

*32:吉川英治(1892~1962年)の同名小説のドラマ化

*33:俳優の松方弘樹目黒祐樹兄弟の父親といっても最近の若者は松方や目黒を知らないのでしょうね

*34:山本周五郎(1903~1967年)の小説『赤ひげ診療譚』のドラマ化

*35:池波正太郎(1923~1990年)の同名小説のドラマ化

*36:必殺シリーズの第2作で、藤田まこと演じる中村主水シリーズの第1作。前作『必殺仕掛人』(1972~1973年、緒形拳演じる鍼医者で仕掛人藤枝梅安が主人公)及び前作の原作である池波正太郎仕掛人・藤枝梅安』の設定を踏まえつつも原作を持たないオリジナル脚本(必殺仕置人 - Wikipedia参照)

*37:大河ドラマ司馬遼太郎(1923~1996年)原作)で戦国大名斎藤道三(演:平幹二朗)、織田信長(演:高橋英樹)が主人公

*38:陣出達朗(1907~1986年)の同名小説のドラマ化

*39:小池一夫・原作、小島剛夕・画の同名マンガのドラマ化

*40:城昌幸(1904~1976年)の同名小説のドラマ化

*41:快傑ライオン丸』(1972年4月~1973年4月)の続編

*42:1941~2017年。1963年4月、フジテレビにアナウンサーとして入社するが、1968年、編成企画部へ異動し、プロデューサーに転向。『同心暁蘭之介』(1981~1982年)、『鬼平犯科帳』(1989~2001年:9シリーズ)、『仕掛人・藤枝梅安』(1990~1993年)、『八丁堀捕物ばなし』(1993~1996年:2シリーズ)、『御家人斬九郎』(1995~2002年:5シリーズ)、『剣客商売』(1998~2004年:5シリーズ)など、多数の時代劇ドラマの企画制作を担当。2011年にフジテレビを定年退職したが、退職後もフジテレビや、フジテレビが出資するCS『時代劇専門チャンネル』の時代劇ドラマに、プロデューサーや監修として携わった。著書『時代劇役者昔ばなし』(2016年、ちくま文庫)(能村庸一 - Wikipedia参照)

*43:1999年、東京新聞出版局→2014年、ちくま文庫

*44:歩兵第1旅団長(日清戦争)、第2師団長(台湾征討戦争)、第3軍司令官(日露戦争)、学習院長など歴任

*45:1909~1992年。戦前、陸軍騎兵学校教官、大本営参謀、関東軍参謀など、戦後、日本体育協会専務理事、JOC会長、IOC理事、日本馬術連盟会長、日本スケート連盟会長など歴任

*46:この記事の執筆当時。現在の会長は山下泰裕

*47:1989年、ベースボール・マガジン社