「がんばろう共産党」のスローガンでは党組織を再生できない、日本共産党第4回中央委員会総会報告を読んで、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その50) - 広原盛明のつれづれ日記(広原盛明)
仮にも「都市政策学」を専門として、また過去には『震災・神戸都市計画の検証』(1996年、日本経済評論社)なる本も出した広原がマスコミで「阪神大震災30年」についての報道も
◆“教訓って何?” 阪神・淡路大震災30年 被災地からの問い | NHK | WEB特集 | 阪神・淡路大震災2025.1.15
アンケートを監修した、防災心理学が専門の兵庫県立大学・木村玲欧*1教授に結果を分析してもらいました。
◆兵庫県立大学・木村玲欧教授
「30年がすぎ、一見すると人の生活や町並みは元に戻ったかのように見えますが、そこで暮らす一人ひとりの心の中を見ると、亡くなった人への思いや失われたものへの思いはなかなか変わるものではありません。心の中では今もさまざまな形で“震災”が残っている。災害からの復興では、見た目と内面に大きなギャップが生まれるんだということを理解して、寄り添う姿勢が今後も必要になります」
次に、阪神・淡路大震災が生んだ「教訓」とその継承についてです。
まず、震災を経験した人に尋ねました。
震災経験者の半数余りが、体験や教訓を誰にも語っていないと答えています。
回答からは、震災について話すことへのためらいがあることがうかがえます。
◆兵庫県立大学・木村玲欧教授
「災害の記憶は決して気軽に話せるものではありません。ただ、次の大災害にどう立ち向かうかを考えたとき、過去の教訓こそが重要な行動指針になります。教訓を未来につないでいくためにも、震災について語る機会は被災者の日常会話だけに任せるのでは不十分で、行政や地域などが語りやすい“場”をつくることが求められます。新たな災害が起きると過去の災害は忘れ去られがちになりますが、それぞれの教訓を丁寧に拾い、未来の防災へつなげていくことが重要です」
「『30年では震災は終わらないんだ』という事実が浮かび上がる結果でした。自然災害はいつ起こるかわからないものですが、いざ起きればその1回が人の人生や社会をひっくり返すほどの衝撃を与えるということ。そして、立ち直るにはとても長い時間がかかるということが今回の結果からわかりました」
「それを理解したうえで重要になるのは、災害が相次ぐ中で『次に被災するのは自分かもしれない』と捉え、今困っている人をどう支えるかや、次に困るかもしれない自分はどう備えるかを考えることです。また、行政や教育現場、それにメディアなどの災害を伝える組織には、震災の記憶と教訓を特に若い世代が受け止められるかたちで発信していくことが求められます。そうした積み重ねによって一人ひとりの防災力を高めることが、今後起こりうる災害と戦い、乗り切っていくために必要だと思います」
等、いろいろとされてるというのに、それそっちのけで「日本共産党に悪口雑言」とは「阪神大震災30年の振り返りよりもそんなことがそんなに大事か?」「あんた都市政策学が専門で、過去には阪神大震災関係の本も出してたよね?」と心底呆れます。「老害」「レベルの低い反共分子」としか言いようがない。
なお、上記は広原記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「自称リベラル」が全く呆れます。
昭和東南海地震 - Wikipedia
当時、日本は太平洋戦争の最中で、軍需工場の被害状況などの情報が連合国に漏れることを恐れた軍部は情報を統制した。翌8日がマレー作戦、真珠湾攻撃3周年(大詔奉戴日)ということもあり、戦意高揚に繋がる報道以外の情報は統制された。地震についての情報は、申し訳程度にわずか数行触れただけで、具体的な被害状況は一切伝えられなかった。
三河地震 - Wikipedia
当時は太平洋戦争中であり、国民の戦意を低下させないことや軍需工場の被害を伏せるため、政府によって報道管制が敷かれ、地震発生の報道はなされたものの被害規模やその後の状況などは多くが伏せられた。
1944年12月、南海トラフで起きた「消された地震」 被害はなぜ、隠されたのか2021.12.7
いまから77年前、1944年12月7日午後1時36分。三重県沿岸でマグニチュード7.9の大地震が発生した。
伊豆半島から三重県南部までの広い範囲を津波が襲い、死者1千人を超える大災害となった。
しかし、当時は太平洋戦争のさなか。言論統制が激しく、この「東南海地震」の詳細は報道されることなく、「隠された地震」「消された地震」とも呼ばれた。
この地震の37日後。1945年1月13日午前3時38分に、内陸直下型の三河地震が発生した。
未明の地震で、就寝中に家屋の下敷きになった人が多く、三重県や愛知県で2306人の死者を出した。しかし、この地震の被害も隠されることになった。
これらの地震では、研究者や気象台職員による現地調査も行われていた。しかし、その結果が公表されたのは、戦争が終わってからだった。
「隠された地震」太平洋戦争の末期、三重・愛知・静岡を津波が襲い1200人超犠牲か…公表されず : 読売新聞2023.12.7
1944年(昭和19年)12月に紀伊半島沖を震源に発生した「昭和東南海地震」から、7日で79年を迎える。三重、愛知、静岡県を津波が襲い、1200人以上が犠牲になったとされるが、太平洋戦争の末期で被害はほとんど公表されず、「隠された地震」と呼ばれる。