〈動画〉公明党斉藤鉄夫代表の演説を聞く | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
拙記事転落分子・松竹伸幸を批判する(2025年10/15日分) - bogus-simotukareのブログで批判した〈動画〉公明党の党改革への決意は本物だった | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba同様、今回も「連立離脱で公明を持ち上げる松竹」です。
現状においては「連立を離脱しただけ」にすぎず、公明が自民批判を「立民や共産、社民などとともに積極的にしている」訳では全くありません。
「共産は公明と連携しろ(共産執行部がそういう動きをしないのは不適切だ)」と共産執行部に悪口する松竹は「全くトンチンカン」と言うべきでしょう。
この点、「不愉快なので文章引用は省略します」が自公政権が崩壊した現在、「反動ブロック対決」と「議員定数削減阻止一点共闘」は両立するか、自維政権にどう立ち向かうか(1)、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その77) - 広原盛明のつれづれ日記で松竹同様に「共産は公明と連携しろ(俺の要約)」と共産に説教し、公明を持ち上げる「反党分子」広原盛明も全く政治感覚がずれています。というか「松竹や広原」といった「一部の反党分子」の中で「自公連立(小渕内閣~石破内閣)を1998年~2025年まで、26年間も続け、
・続*1総務庁長官(小渕、森内閣)
・坂口*2厚労相(森、小泉内閣)
・北側*3国交相(小泉内閣)
→北側国交相以降、国交相ポストが公明党の指定席化
・冬柴*4国交相(第一次安倍、福田内閣)
・斉藤*5環境相(福田、麻生内閣)
・太田*6国交相(第二次、第三次安倍内閣)
・石井*7国交相(第四次安倍内閣)
・赤羽*8国交相(菅内閣)
・斉藤国交相(岸田、石破内閣)
→福田、麻生内閣環境相に次ぐ、二度目の入閣
・中野国交相(石破内閣)
等と大臣(主に国交相)も務めてきた公明を最近、連立解消しただけで持ち上げ、長年自民を批判してきた、安倍派裏金追及で岸田、石破政権の早期崩壊に大いに貢献した『功労者』共産をけなす」という
◆ちょっと何言ってるか分からない(サンドウィッチマンの富澤)
◆お前(松竹や広原)は何を言ってるんだ?(ミルコ・クロコップ)
◆あんた(松竹や広原)、バカァ?(『新世紀エヴァンゲリオン』の惣流・アスカ・ラングレー)
◆お前(松竹や広原)はアホか?(横山ホットブラザーズ)
◆お前(松竹や広原)がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな(『少女ファイト』の式島滋)
な動きが強いんですかね?
「2024年衆院選、2025年参院選敗北」「マスコミ調査で支持率低迷」で「とにかく自民からは距離を置いた方がいい」程度の「公明の連立離脱」なんてそこまで高評価は出来ないでしょう。
「自民の支持率が、自民批判派に取って不幸にして復調」などすれば「自民との再度の連立」を画策するのが今の公明でしょう。
公明が自民と縁切りしたのは単に「選挙の敗戦」「支持率低迷」を何とかしたいという「党利党略でしかない」からです。
【1】 「国民福祉税騒動(消費税を3%から7%に上げる代わりに消費税を国民福祉税に改称し、福祉目的税にすることを細川*9首相(日本新党代表)や新生党代表幹事の小沢一郎*10などが画策し、細川が記者会見までしたが、社会党、新党さきがけは反対し、結局細川は方針撤回に追い込まれる。:1994年2月3日)」を契機に非自民連立から離脱した「社会党や新党さきがけ」
→他にも社会党、新党さきがけと細川、小沢との対立点はあったが、この騒動の与えた影響は大きく、「細川首相の佐川急便ヤミ献金疑惑(熊本県知事時代)*11」もあったとは言え、この騒動で閣内不一致(新党さきがけ代表の武村*12は細川内閣官房長官)が露呈したことで政権支持率が低迷し、細川が首相退任(1994年4月28日)に追い込まれる。社会党や新党さきがけは連立離脱しただけでなく、これを契機に「敵(小沢)の敵は味方」で自民に急速に接近し、村山*13自社さ連立政権(1994年6月30日)が後にスタート。
「話が脱線します」が、「頭と性格の悪い」kojitakenに悪口する(2025年10/26分)(副題:宮城県知事選で参政候補が善戦したことに愕然とするが、6選とはいえ現職当選を喜ぶ、ほか) - bogus-simotukareのブログでも触れましたが、kojitakenが言う『目まぐるしく状況が変わる現在の政局(玉木雄一郎が「財務大臣では不満で首相になる気満々過ぎた」だったという宮武嶺さんの「仮説」は、仮説どころか当然。弊ブログも10/7に指摘していた - kojitakenの日記参照)』という言葉がまさに該当するのが「国民福祉税騒動で閣内不一致露呈(1994年2月3日)→細川退陣、羽田*14内閣誕生(1994年4月28日:社会党、新党さきがけの政権離脱により羽田内閣は少数与党でスタート)→羽田退陣(1994年6月30日、たった64日の短命政権。在任期間の短さは戦後4番目*15、戦前を含めても5番目*16)→村山自社さ内閣誕生(1994年6月30日)」でしょう。
細川非自民連立内閣終了(1994年4月28日)からたった2ヶ月(1994年6月30日)で「村山自社さ内閣が誕生した」わけです。それほど社会党、さきがけの「彼らを軽く扱う細川首相や小沢新生党代表幹事らへの恨みは深く」、政権復帰を目指す「自民党の執念もすさまじかった」といえるでしょう。だからこそ、細川内閣崩壊からたった2ヶ月で「自社さの関係構築」が「村山自社さ連立内閣」を誕生させるまでに進んだ。kojitaken風に言えば自社さは「とらわれない発想(玉木雄一郎が「財務大臣では不満で首相になる気満々過ぎた」だったという宮武嶺さんの「仮説」は、仮説どころか当然。弊ブログも10/7に指摘していた - kojitakenの日記参照)」で村山連立内閣を誕生させた。
とはいえ、「村山自社さ連立内閣」以前から「自民と社会党」には「親密な関係」がありましたが。
特に有名なのが「お互い国対委員長だったことから親密な関係」となり、金丸訪朝団(1990年)にも田辺社会党委員長が参加した「金丸*17自民党副総裁と田辺*18社会党委員長の関係」でしょう。他にも「地方自治体での自民、社会党相乗り選挙」とかいろいろあるわけです。今だって立民は地方選挙で平気で自民と相乗りしてますし。恐らくはそうした「過去の関係」があっての自社さ連立であって、それなしでは、「社会党、さきがけの小沢らへの恨み」「自民の政権復帰の執念」だけでは自社さ連立は出来なかったでしょう。野坂浩賢 - Wikipedia参照
1955年、鳥取県議に当選。1966年に鳥取県警察本部警務部長に着任した亀井静香*19とは盟友になり、亀井は後に「あの時、(野坂と)出会っていなかったら自社さ政権は誕生してなかっただろう。」と述べている。とあるように、自社さ連立の中心人物の一人とされる「野坂浩賢(村山社会党委員長の下で国対委員長を、村山内閣で建設相、官房長官を、村山社民党党首の下で副党首を務めた村山の側近)」が元鳥取県議で、同じく自社さ連立の中心人物の一人とされる「亀井静香(村山内閣で運輸相。元警察官僚)」が「鳥取県警察本部警務部長」として鳥取に着任した際に野坂とつながりが出来たというのも有名な話です。
【2】「沖縄基地移設問題」で鳩山政権から離脱した「社民党」
→県外移設公約を反故にし県内移設に切り替えようとした鳩山*20首相に反対した福島少子化等担当相(社民党党首)を鳩山が更迭。
反発した社民党が政権離脱。他にも「鳩山の故人献金疑惑」「小沢民主党幹事長(当時)の西松建設疑惑」もあったが、鳩山が首相辞任に、小沢が幹事長辞任に追い込まれる。
等と違い、政治的信念から自民と縁切りしたわけでは全くない。
「比例削減反対」など個別テーマでは共産と公明の連携はあり得ても「昭和時代の社会党と共産党の共闘(美濃部都知事当選など)」「安倍政権時代の民主党、立民党と共産党の野党共闘」のような共闘など出来る状況ではないでしょう。
勿論、今後、公明が自民批判を強め「もはや公明が自民との再度の連立に動く可能性はない」と見れば、広原や松竹に「公明と連携しろ」と言われなくても共産は公明と連携するでしょう。
そもそも共産どころか「立民」ですら公明と連携してるとは言いがたいのに全く松竹や広原は何をバカなことを言っているのか?
佐川1億円疑惑って?/都知事選予定候補の細川氏/求められる説明責任2014.1.21
1993年8月、「非自民」8党・会派*21連立政権で首相となった細川氏が、国会で追及され、1994年4月、わずか在職263日で辞任することになったのが、今回、問題になっている佐川1億円疑惑です。
この1億円は、1983年の県知事選の前年の1982年9月に、細川氏が東京佐川急便から借り入れたというもの。当時、細川氏は、借りた目的について、東京・元麻布のマンション購入と、熊本市の細川邸の山門と土塀の修理に使ったと説明しました。
ところが、日本共産党国会議員団と「しんぶん赤旗」の調査、追及で借金の2カ月前にマンションを購入していたこと、山門・土塀の修理が借金の1年も2年も後だったことがわかり、「佐川1億円」の使途が別のところにあった疑惑が濃厚になりました。浮上したのは、1983年県知事選をめぐる裏献金疑惑です。
同知事選では、4選をめざしていた現職・沢田一精*22知事との間で自民党の公認を得るための激しい市町村議・県議に対する工作合戦が繰り広げられました(ボーガス注:細川が自民公認を得たため、沢田は知事選出馬を断念)。本紙は、細川氏擁立のために奔走した選挙参謀や複数の県議から次のような証言を得ました。
「細川氏の秘書から工作資金として何十万円、何百万円単位で金がいるといってもらっていたが、1982年10月以降になると、カネがドーンときて、これ以降カネには苦労しなかった」
「細川事務所の秘書が『選挙資金は潤沢にある。佐川清(佐川グループの総帥)からカネがきたから。それで、当座の選挙資金をつくった』といっていた」
日本共産党は1994年1月、国会で、公認決定をめぐって自民党熊本県連の5役会や常任総務会が開かれた時期と、佐川からの資金提供の時期が符合していることや、これら関係者の生々しい証言をもとに、「佐川マネーは知事選の工作資金ではなかったのか」と追及。細川氏は「知事選に備える必要もあり、借り入れの必要があった」と認めざるを得ませんでした。
その後、細川氏は、同年2月、国会に、日付のない契約書や、押印もなく、発行者の名前も記載されていない1000万円の「領収書(控)」のコピーなどを提出、「完済した」としました。しかし、佐川側との間で「返済などの実務を担当した」という細川氏の「金庫番」だった秘書の証人喚問にも応じず、国会が空転。説明責任を果たさないまま政権を投げ出したのです。
「クリーンな政治」を細川が旗頭に掲げたために「昔のこと(1983年)」とはいえ、「細川自身がヤミ献金を過去に受領していた」と言う疑惑は細川政権支持率を引き下げ、細川は首相を辞任します。
自民党からすれば「細川の疑惑(疑惑当時、細川は自民所属で、1983年の熊本県知事選出馬において自民公認を得るために、佐川からのヤミ献金が政治工作として自民党内にばらまかれた)」を当然、よく知る立場にあり、細川の首相就任は「願ったり叶ったり」ではなかったか。
*1:元・東京都庁幹部職員。東京都財務局主計部長、財務局長、副知事等を歴任
*3:小泉内閣国交相、公明党政調会長、幹事長等を経て公明党常任顧問
*4:1936~2011年。第一次安倍、福田内閣国交相、公明党幹事長等を歴任
*5:福田、麻生内閣環境相、公明党政調会長、幹事長、岸田、石破内閣国交相等を経て公明党代表
*6:第二次、第三次安倍内閣国交相、公明党代表等を経て公明党常任顧問
*7:第四次安倍内閣国交相、公明党幹事長、代表等を経て公明党常任顧問
*10:中曽根内閣自治相、自民党幹事長(海部総裁時代)、新生党代表幹事、新進党幹事長(海部党首時代)、党首、自由党党首、民主党幹事長(鳩山代表時代)などを歴任
*11:これについては例えば、赤旗佐川1億円疑惑って?/都知事選予定候補の細川氏/求められる説明責任(2014.1.21)、細川氏「返した」言うが/「佐川1億円」何に使った(2014.1.25)参照
*12:八日市市長、滋賀県知事、新党さきがけ代表、細川内閣官房長官、村山内閣蔵相等を歴任
*14:中曽根、竹下内閣農水相、宮沢内閣蔵相、新生党党首、細川内閣副総理・外相、首相、新進党副党首(海部党首時代)、太陽党党首、民政党党首、民主党幹事長(鳩山代表時代)等を歴任
*15:2025年10月現在、第一次岸田内閣の38日、第一次石破内閣の42日、東久邇宮内閣の54日に次ぐ。但し、岸田、石破は第二次内閣があり、それを含めれば、羽田内閣ほどの短命ではない。また、女性醜聞で短命に終わった宇野内閣(69日)よりも羽田内閣は短命であった。
*16:2025年10月現在、第一次岸田内閣の38日、第一次石破内閣の42日、東久邇宮内閣の54日、第3次桂内閣(いわゆる第一次憲政擁護運動で崩壊)の62日に次ぐ。但し、岸田、石破は第二次内閣があり、それを含めれば、羽田内閣ほどの短命ではない。
*17:1914~1996年。田中内閣建設相、三木内閣国土庁長男、福田内閣防衛庁長官、自民党国対委員長(大平総裁時代)、総務会長、幹事長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣副総理、自民党副総裁(宮沢総裁時代)等を歴任
*18:1922~2015年。社会党国対委員長(成田委員長時代)、書記長(石橋委員長時代)、副委員長(土井委員長時代)等を経て委員長
*19:村山内閣運輸相、橋本内閣建設相、自民党政調会長(小渕、森総裁時代)、国民新党代表、鳩山、菅内閣金融等担当相等を歴任
*20:新党さきがけ代表幹事、細川内閣官房副長官、民主党幹事長(前原、小沢代表時代)等を経て首相
*21:日本新党、新生党、新党さきがけ、社会党、公明党、民社党、社民連(7党)、民主改革連合(1会派)のこと
*22:1921~2016年。熊本県総務部長や副知事を務めた後、1962年の参院選挙に熊本県選挙区から自民党公認で立候補し、初当選。1971年から熊本県知事に転身し1983年まで3期12年務めた。その後1983~1995年まで再び参院議員(自民党)。1997~2000年まで自民党熊本県連会長(沢田一精 - Wikipedia参照)