「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート150(追記・訂正あり)

id:noharra(野原燐こと八木孝三)に突っ込む(主として批判)

野原燐がリツイート
・KaSuehiro
 はっきり言って、おそらく欧米であるいは僕も、シリアの戦争の詳細なんて知悉してなんかいません。でも非戦闘員の人々が、女性や子供たちや老人が、爆弾で引き千切られ焼かれ、惨たらしく殺される…それを見て、ヤメろ!って(ボーガス注:アサドや彼を支援すると言われているロシアやイランに対して?)声を上げればいい。それだけのことをやろうとしない。

 イヤー、こういうツイートにリツイートする人間id:noharra

 はっきり言って、僕も朝鮮学校の詳細なんて知悉してなんかいません。でも朝鮮学校の生徒や保護者、教職員などが、無償化除外について「こんな差別は許せない」と怒りや悲しみ、嘆きの声を上げ、それを東京新聞などが報じてる…それを見て、無償化除外なんかヤメろ!って声を上げればいい。

と思わないのはどういうことなのか?。つうか、お前シリアのことより国内のこと(例:朝鮮学校無償化除外)に声あげろよ。お前、人権派でも何でもなくて、単にシリア・アサド政権嫌い(あるいはアサドを支援すると言われるプーチン・ロシアやイラン嫌い)なだけだろ?。
 それとも「シリアの反体制派」好きか?
 お前、朝鮮学校の生徒や保護者、教職員などを「同じ日本に生きる仲間だ」とはかけらも思ってないだろ?。明らかに敵視してるよな?
 ちなみにこの野原がリツイートした、KaSuehiroという奴の別のツイート。

KaSuehiro
 端的に言って、多様性ということが理解されていないですよね。(ボーガス注:それを認めたところで何の弊害もないのに)自分たちの許容範囲内での多様性しか認めないのは多様性でも何でもないですからね*1

 KaSuehiroがどういう文脈で何について言ってるのか知りません*2
 考えられる「KaSuehiroが問題にしてる多様性」としては例えば「夫婦別姓」「同性婚」「お茶の水女子大のLGBT入学方針」「卒業式での日の丸、君が代拒否」「公文書で元号を使いたくないという西暦支持者」などがありえますが。
 夫婦別姓にせよ同性婚にせよ他の何にせよ問題は「それであんたや社会に何の弊害があるのか。なきゃ認めろよ。認めないのはお前の個人的感情の押しつけに過ぎないだろ」つう話です。
 いずれにせよ、俺も含め「多くの無償化除外批判派」が言ってるのはそういうことです。「朝鮮学校という多様性を認めよ。認めて、なんか弊害あるの?」つうだけの話です。
 つまりは

ボーガス(つまり俺)
・端的に言って、id:noharraには多様性ということが理解されていないですよね。自分たちの許容範囲内での多様性しか認めないのは多様性でも何でもないですからね。

ですね。
 「自分たちの許容範囲内での多様性しか認めないのは多様性でも何でもない」し、そうした多様性を認めるのは「弊害があるとして禁止や規制などしてない」つうだけであって積極的に支持してることを必ずしも意味しない。要するに「無償化除外反対派」の俺に対するid:noharraの過去の「北朝鮮シンパ」呼ばわりは誹謗だと言うことです。
 正直id:noharraにはいい加減、俺に過去の暴言を謝罪してほしいもんです。

野原燐さんがリツイート
・高来れい@星へのあゆみ出版
 (ボーガス注:国連人権委員会の日本政府の朝鮮学校無償化除外に対する批判について)朝鮮学校側が授業内容等を変えればいいだけのことだ。そうすれば他の学校と同じように無償化、その他の対象になる

・イヤー「僕は朝鮮学校無償化除外については意見保留の立場です」とぬかしてる奴id:noharraがこのリツイートです。どこが保留なんや、お前除外支持しとるやないか。
 では「野原先生の日頃の主張:僕は無償化問題については保留の立場」と「野原先生がリツイートした文章:授業内容を変えればいい」を次のように書き換えてみましょう。

【その1】
野原
・僕は沖縄基地問題について意見保留です 
■野原がリツイート
高来れい
 沖縄県が政府の要望に応えればいいだけの話だ。そうすれば仲井真*3知事時代のように補助金が支給される

【その2】
野原
・僕は靖国問題について意見保留です 
■野原がリツイート
高来れい
 靖国政教分離の観点から非宗教化し、外交上の観点からA級戦犯分祀すればいいだけの話だ。そうすれば公式参拝(ボーガス注:宗教施設でないので参拝ではなく訪問が表現として適切か?)しても問題はないだろう

【その3】
野原
・僕は家永教科書訴訟では意見保留です。
■野原がリツイート
高来れい
 家永氏*4が文部省の修正意見に応えればいいだけの話だ。そうすれば教科書が検定合格して発行できる

【その4】
野原
・僕はチベット問題では意見保留です。
■野原がリツイート
高来れい
 ダライ・ラマが中国政府の要望に応えればいいだけの話だ。そうすればダライがチベットに帰ることもできる。

【その5】
野原
・僕は劉暁波問題では意見保留です。
■野原がリツイート
高来れい
 犯罪者・劉が自らの犯罪を真摯に反省して中国政府に深く謝罪し、二度と政治活動しない、著書は外国語版*5も含めてすべて絶版にするとでも言えばいいだけの話だ。そうすれば劉もたぶん釈放される

 【その6】以下が思いつかなかったのでとりあえず省略します。
 これを見てどこの人間が「そうか、沖縄基地問題では野原君の立場は意見保留なんや【その1の場合:その2以下は省略】」と思うのか。「お前、明らかに日本政府(つうか安倍政権)支持やないか。何詭弁はいてる?【その1の場合:その2以下は省略】」と思うのが普通の人間でしょう。
 野原先生なら「いや意見保留だ」と思うのかもしれませんが。野原先生が朝鮮学校がらみでしてる言説はそのレベルの酷い詭弁です。いい加減「僕は無償化除外支持です」と正直に認めたらどうなのか。
 「本当は河野談話を否定したいのにアメリカが怖くて否定できない安倍晋三(しかし銅像撤去要求などで否定したいことが見え見え)」「本当は靖国参拝したいのに(以下略)」みたいな特殊事情でも野原にあるのか。その場合、野原にとって「安倍にとってのアメリカ」にあたるものは一体何なのか。
 本当に訳がわかりません。
・それにしても「教育内容を理由に無償化除外なんて差別だ」という無償化除外批判派(朝鮮学校関係者、日弁連、国連人権委員会、前川元文科事務次官など)に対する応答がそれですか、呆れて二の句がつげませんね。
 なお、政府が「教育内容を変えれば無償化する」と公言した事実を小生は知りませんので、野原先生がご存じでしたら是非そのソース(政府の国会答弁なり、無償化除外訴訟での政府主張なり、国連人権委員会での政府主張なり)を提出してください。提出できなければ「根拠レスででたらめ垂れ流した奴=id:noharra」と理解しますがそれでよろしいですね?
・しかしこういうことを容認して「他の学校(例:ウヨが反日呼ばわりしたことがある麻布高校)にも差別が波及しないだろうか」とは野原は危惧しないのだろうかねえ。それとも朝鮮学校差別のためなら波及してもいいと思ってるのかしら?。だとしたら朝鮮学校への野原の敵意はまさに常軌を逸してますな。

・野原燐がリツイート
・ナウちゃん(弱い自分を恥じないこと、弱い誰かを笑わないこと)
 吉見義明さん*6は、第一級の歴史学者従軍慰安婦研究の権威と言える方です。「南京事件」や「従軍慰安婦」の強制性を否定する「文化人」は、歴史学者ではない人が大部分で、歴史学者であっても「専門外」であることが殆どなのです。第一級の学者の主張が軽視されることが多いのは、知性の軽視なのです。

 「日弁連」という法律の専門家集団が「違法行為」と声明してること「朝鮮学校無償化除外」を容認している方がこういうツイートにリツイートですか?。id:noharra先生はご自分が「専門家(日弁連)の主張を軽視してる」自覚がないわけですね。やれやれ。いつもながら呆れます。


■南北、米朝首脳会談
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20180621#p4

 というものはあくまで国家と国家の間の、ある意味でそういう言葉を使うとすれば「談合」に過ぎません。
 一方、革命とか国家の崩壊というものは、誰も予想しない時に起こる可能性があるのです。
id:bogus-simotukare へ。(8/17)

 id:noharra先生(本名・八木孝三)は小生に「応答したつもり」のようですが彼が何が言いたいのか、わかりません。特に「革命とか国家の崩壊」以降はまるきり理解不能です。
 前半の「談合」云々は「南北、米朝首脳会談を野原は評価してないらしい」つうこと「だけ」はわかりますが、なぜ評価しないのか、わかりません。
 合意内容が気にくわないのか。ならばどういう合意内容なら満足なのか。
 それとも「北朝鮮はろくでもない国だから外交交渉なんか何一つしなくていい」つう価値観なのか。
 それとも他に何か評価しない理由があるのか。とりあえず「南北、米朝首脳会談」を評価しない理由についてもっとまともなわかりやすい日本語で書いてください。それともまさかとは思いますが「会談については評価してる」のですか?


■産経『強権与党が下院議席独占 カンボジア、独裁状態に』
https://www.sankei.com/world/news/180815/wor1808150048-n1.html

カンボジア選挙管理委員会は15日、先月実施された下院選の結果を発表した。フン・セン政権の強権で最大野党カンボジア救国党が解党に追い込まれたため与党カンボジア人民党が圧勝、125の全議席を獲得した。ロイター通信が伝えた。日本も関与したカンボジア民主化は大きく後退、国際社会から独裁的との批判が高まりそうだ。
カンボジアは二院制で上院もあるが、上院にほとんど実権はない。今年2月の上院選では与党が選挙で選ばれる全議席を獲得した。

 こうした事態でフンセン首相をろくに批判しないのだからいかに
■アジア自由民主連帯協議会
http://freeasia2011.org/japan/
なんて団体がいかにインチキな団体か、よくわかります。中国と北朝鮮しか批判しないですからね。


北朝鮮国家が平和的な形で民主化する可能性
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20180621#p3

 はある、と考えている。
 朝鮮半島の南北分断に対して、1989年以降の東欧の平和的崩壊*7を参考に、何らかの変化を期待するのが、当たり前の発想だろう。そう思わないのは、よほど頭が悪いとしか思えない。

 いや「日本が脱北者を10万人引き受ければ北朝鮮体制が打倒できる」と叫ぶあなたにはそういう可能性の考慮はないと思ってました。一方であなたって南北、米朝首脳会談を全く評価してないようですし。
 なお、「当時の東欧」と「今の北朝鮮」は同一視できないでしょう。
 東欧体制の崩壊を当時の旧ソ連ゴルバチョフ政権は容認しましたが、今の中露は「よほどのことがない限り」北朝鮮体制崩壊を望まないでしょう。
 中露が体制崩壊を容認すればまた話も変わってきますが、そうでない以上、体制崩壊の可能性は低いですね。

北朝鮮が台湾、韓国などのように平和的な形で民主化する可能性」あるいは「民主化しないまでも米朝対立を解消し、中国、ベトナムなどのように米国とうまくやっていく可能性」なども否定できないでしょう。

 私は、収容所に入れられた人など中下層の北朝鮮人民に人権が(おまけに経済的豊かさも)一切ないことを、批判しているのであり、日本人の危険性が増えようが減ろうが論点にはしていない。
民主化しないまでも米朝対立を解消し、中国、ベトナムなどのように米国とうまくやっていく可能性」などどうでも良い。

 「え、日本が戦乱に巻き込まれる可能性が高くなろうが低くなろうがどうでもいいとまで言い切っちまうの?。米朝の対立が激化してもいいの?」「中国やベトナム一党独裁が廃棄されない限り、米国と中国、ベトナムの関係が対立関係でなくなったことなんかどうでもいい、つうのがid:noharra先生なの?(びっくり)」ですね。
 大体日本が戦乱に巻き込まれたら、id:noharra先生がその身を心配してらっしゃるという「中下層の北朝鮮人民」だって無事には済まないでしょう。
 なお、

 中下層の北朝鮮人民に人権が(おまけに経済的豊かさ*8も)一切ないことを、批判しているのであり

というid:noharra先生ですが「中国、ベトナムなどのように米国とうまくやっていけば」人権面(特に経済的人権面)は「今のベトナム、中国のように改善していく」と思うのですがね。
 今の北朝鮮や「過去の中国、ベトナム」が経済的な問題を抱えていた理由の一つは「米国との対立とそれによる制裁」ですから。


脱北者らが北朝鮮政府を提訴
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20180815#p1
 「へえ?、今まで訴えてなかったの?」のが正直な感想です。
 とはいえよく考えれば訴えない理由は想像できます。何せ北朝鮮と日本の間には国交がない。
 どんな判決が出るかわかりませんが、仮に勝訴判決が出たところで「実質的効果はない」でしょう。単に政治的アピールの意味しかない。
 とはいえ「南北、米朝首脳会談以降の宥和ムードをぶち壊す手段」の一つとして、反北朝鮮ウヨ諸君がついにその「政治的アピールとしての意味しかない行為」に踏み切ったわけです。
 8/20の記者会見とやらの後のマスコミ報道がどうなるか気になるところです。産経が大々的に報じるであろうことだけは予想がつきますが。

【追記】
■産経『「帰国事業は人権侵害」脱北者らが北朝鮮政府に5億円賠償求め提訴』
http://www.sankei.com/affairs/news/180820/afr1808200017-n1.html
■朝日『脱北者北朝鮮を提訴 地上の楽園とだまし「人権侵害」』
https://www.asahi.com/articles/ASL8N40ZBL8NUTIL018.html
■毎日『東京地裁:日本から渡った脱北者北朝鮮提訴「人生返せ」』
https://mainichi.jp/articles/20180821/k00/00m/040/053000c
 産経は予想の範囲内です(ただし朝日などと比べて思ったほど記事の分量は多くありません)。
 朝日や毎日が記事にしたつうのが意外です。しかし毎日の記事タイトルは一番わかりづらいですね。産経や朝日みたいに素直なタイトルをつけてほしいですね。
 まあ一番わかりやすいのは産経かな。「帰国事業」と書いてないと一寸わかりづらいですよね。

https://mainichi.jp/articles/20180821/k00/00m/040/053000c
 原告側によると、国交のない北朝鮮に訴状を届けるルートはない。訴えを知らせる書面を地裁の掲示板に張り出す「公示送達」で裁判手続きを進めることはできるが、北朝鮮側の反論がなく、具体的な審理ができずに終結する可能性もある。

 なるほど。それで終わっちゃう可能性もあるわけですね。その場合「原告の言い分を認めた」扱いで原告勝訴なんでしょうが、結局、5億円なんか取り立てられないし、北朝鮮が訴訟に応じて話題になるのが一番の目的でしょうから「北朝鮮が完全無視」つうのが一番原告にとっては痛いかもしれません。

https://www.asahi.com/articles/ASL8N40ZBL8NUTIL018.html
 米国内の裁判所では、北朝鮮の人権侵害による被害を訴える民事訴訟が起こされ、北朝鮮政府に賠償を命じる判決が相次いでいる。

で実質的が意義があるのかと言ったら「実質的意義などない」「政治的パフォーマンスでしかない」わけでまあ、日本での訴訟とやらも仮に勝訴判決が出たところでそれで終わるでしょう(もちろん勝訴判決が出る保証などありませんが)。

http://www.sankei.com/affairs/news/180820/afr1808200017-n1.html
 原告、川崎栄子さんは「裁判で勝って北朝鮮に残る子供たちに再会したい。北朝鮮を動かすには世界中の世論を総動員しなければならない」と語った。

て意味がわかりません。なんで裁判で勝つと子どもに会えるのか?。そもそも訴えてる内容は「賠償金5億」であって「子どもに会わせろ」じゃないですしね。


徳川夢声*9の8月15日(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4774

 徳川夢声氏が、玉音放送を聞いた日に、書いた日記を紹介します。

 「玉音」とは「天皇の声」なので「揚げ足取りすれば」、現天皇が登場する皇室番組も「玉音放送」ですが日本で玉音放送というと、「敗戦の日の」「ポツダム宣言受諾の」といった言葉をつけずとも、ほぼ100%「1945年8月15日の例の放送(日本初の玉音放送)」のみを指します。そしてそれ以外では「玉音放送」だけでなく「玉音」という言葉も右翼でもなければ、まず使わない。玉音でググっても「敗戦の日玉音放送」のことしかヒットしません。
 アマゾンで『玉音放送』でググってヒットする本は

・竹山昭子*10玉音放送』(1998年、晩せい社)
小森陽一*11天皇玉音放送』(2008年、朝日文庫)
・坂本慎一*12玉音放送をプロデュースした男・下村宏*13』(2010年、PHP研究所
・秋山久『君は玉音放送を聞いたか:ラジオと戦争』(2018年、旬報社

ですが全部「敗戦の日玉音放送」です。
 それ以降は玉音放送も玉音も何ら珍しくなくなったからです。今時ウヨですら「玉音を聞いたことそれ自体に感動」なんて奴はまずいないでしょう。
 なお、徳川夢声については『夢声戦争日記』全7巻(1977年、中公文庫)があるようです。

「玉音が聴こえはじめた。その第御一声を耳にしたときの、肉体的感動。全身の細胞ことごとく震えた。」
「かくのごとき国民がまたと世界にあろうか、と私は思った。」
「この佳き国は永遠に滅びない!直感的に私はそう感じた。」
「日本敗れるのとき、この天子を戴いていたことは、何たる幸福であったろうか。」

という徳川夢声の日記記述はどこまで本心かはともかく「当時としては仕方がない」でしょうが現在の我々の目から見れば馬鹿馬鹿しいもんでしかありません。
 正直「自己の保身」のため「沖縄を捨て石にした昭和天皇」を「いただいていたことはなんたる不幸であったろうか」でしょう。いやそれ以前に太平洋戦争という無謀な負け戦に突入したこと自体が「この天子を戴いていたことは、何たる不幸であったろうか」ですが。
 その馬鹿馬鹿しい記述を「戦後70年たった今現在において」褒め称えるのだから三浦も呆れたバカ右翼です。とはいえ面と向かってそう言ったら三浦は怒り出すのでしょうねえ。
 こんなバカ右翼が役員を務める「守る会」の会員id:noharraこと八木孝三がどんなに「戦前美化右翼の批判者」ぶっても俺はid:noharraを信用しません。
 id:noharraはこうした俺の批判について文句があるなら、「守る会を退会」した上で「新しい歴史教科書をつくる会理事」「右翼放送局チャンネル桜常連出演者」というバカ右翼の三浦批判を行うべきでしょう。まあ、そんなことが「エセ・戦前批判者(本当は三浦と同類の戦前美化右翼)」id:noharraにできるとは思っていませんが。


溝口健二小津安二郎ほか
■「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート149(追記・訂正あり)
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20080803/1307052595
で『映画監督・田中絹代』がらみで溝口と小津について書いていますが、こっちにもいろいろ書いておきます。

https://sentence.exblog.jp/4326752/
溝口健二伝説、から一部引用
 仕事の鬼・溝口健二には、役者いびりとか、スタッフ泣かせの唖然とするようなエピソードが幾らでもあります。
 スリッパで頭を叩かれた上に、「こんなセリフひとつ喋れないようでは、頭にきています。脳梅毒です。医者に行って診てもらいなさい。」などと壮絶なことを言われた役者もいたそうですよ。
 1949年の松竹京都作品「わが恋は燃えぬ」の菅井一郎に発せられた言葉だとある本に書いてありました。
 「雨月物語」の森雅之、「死相が表われる役なのですから、メシを食わずに痩せてください。」と宣告されたそうです。
 つづいて「山椒大夫」の田中絹代、立ち回り中に後頭部を打って気絶しているところを、「頭のひとつくらいなんですかっ!」とドヤされました。
 「残菊物語」の当時未婚の新進スター北見礼子には、子供を抱く演技が気に入られず、「だいたいキミは、子供を産んだことがないからダメなんですっ!」とどやされて、「残菊物語」から下されてしまったということです。
 そして、唖然として、なんとも言葉を失うような逸話が、「雨月物語」の水戸光子、輪姦されるシーンでダメを出し続けられた挙句に浴びせられた言葉というのが、「どうも感じがでませんねえ。キミは、いったい輪姦された経験がないんですかっ!」と、輪姦された経験のないことを監督から責められてしまいました*14
 引き続いて、スタッフ泣かせのエピソードを幾つか。
 「西鶴一代女」のロケーション先、春のシーン用にあたりの雪消しを命ぜられたスタッフがようやく消し終わってホッとしていると、「まだ、あそこに見えます」と遥か比叡山の白い山並みを指差した話とか、同じ「西鶴一代女」で、スタッフが必死になって作った街道筋の家並みを見るなり「下手を一間だしなさい。」ということで、徹夜で直したところ、翌朝「上手を一間下げなさい。」(何のことはない、元通り)と言って、スタッフ一同が大いに憤慨してヘコんだというオープンセット事件として知られる話。
 急ぎのシナリオを注文しておきながら、採用しないことに抗議に来た旧友の作家川口松太郎*15に対し、「なにもボクは、キミを世界的文豪とは思っていませんからね。」と言いのけてクサらせた話。
 しかし、それらの逸話のすべてが、天才のみに許された「奇人の奇行」だったわけではなかったみたいで、それぞれのエピソードには、ひとつひとつ、それなりの裏と理由とがあったようなのです。
 例えば、「山椒大夫」の高名な場面、「厨子王〜!」と冬の荒海に向かって叫ぶだけのシーンで、田中絹代は、なんと420回のNGを出し、やり直しをさせられたことは有名ですが、しかし、そこには、監督がそうせずにはおられなかったようなウラがあったというのが、事実として今では広く知られています。
 実は、クランクアップを間近にしてホッと気をゆるめた田中絹代が、溝口監督の「減食令」を破って、昼食にこっそりビフテキを食べたために声が活き活きして艶が出てしまい、それを溝口監督が聞き逃さなかったためというのが、どうもその真相のようです。
 一種の有名税みたいなものなので仕方のないことなのでしょうが、やはり言われっぱなしでは、なんか可哀想ですから、逆に、溝口自身が他の監督のことをどう思っていたか、という記事を探し出しました。
 ウイリアム・ワイラー*16です。
 彼については、「ソロバンを持って監督しているような人」と言っています。
 あの、なにを撮っても格調高い仕上がりをみせるワイラーの器用さが、溝口のような、生涯多くの矛盾欠陥を抱えながら血みどろになって映画と格闘した「叩き上げの天才」には許せないくらいに妬ましかったのでしょうか。
 ワイラーのような洗練された才人に対して、おのずと評価が厳しくなったのも、なにかうなづけるような気がします。

https://sentence.exblog.jp/1367169/
溝口健二小津安二郎④、から一部引用
 映画評論家の津村秀夫が、小津監督と比較しながら溝口健二について書き残している一文があります。
「(溝口健二という人は)つまり、八方破れの人生で、まあ、彼の人生というのは悲劇的だったですよ。
 小津安二郎との比較において言えば、小津安二郎の人生って一部のスキもなくてね。
 一方の溝さんの方は欠点だらけでね、八方破れなんだ。」
 新藤兼人監督の「ある映画監督の生涯」のなかで最もショッキングに語られる印象深い二つの事件―愛人一条百合子に背中を切られた事件と、映画「楊貴妃」における入江たか子降板事件*17―は、溝口健二の人生を考えるうえで象徴な事件といえるかもしれません。
 新藤兼人の「ある映画監督・溝口健二と日本映画*18」(岩波新書)の書き出しは、「楊貴妃」において、まさにその入江たか子の演技を溝口健二が、「化け猫芝居」と完膚なきまでに罵倒して降板させたという事件から語り出されていますが、この背景には、溝口が昭和7年新興キネマ入江たか子主演で撮った「満蒙建国の黎明」における入江プロとの確執まで遡らなければならないかもしれません。
 その部分を「ある映画監督・溝口健二と日本映画」では、入江たか子の相手役中野英治の証言が掲げられているのですが、要するに、溝口健二監督の「俳優なんかに負けてたまるか、バカにされてたまるか」という気負いと単純な対抗意識だったと記しています。

 溝口の刃傷沙汰については、あるブログ記事に

https://atsushisugimoto.hatenablog.com/entry/2018/04/06/224613
溝口健二(1898-1956)の戦後の代表作『西鶴一代女』(1952)の助監督を務めた内川清一郎は、京都の「松華楼」という旅館で溝口と一緒に風呂に入り、溝口の背中を洗おうとして、そこに一筋の刀傷があるのを見た。
 その傷は柳の葉っぱより少し大きいもので、内川が驚くと、「女に斬られたんですよ」と溝口が言う。それを聞いた内川はさらに驚いたが、溝口はこう言ったそうだ。
「君、こんなことにおどろいてたらダメですよ、これでなきゃ女は描けませんよ」
 これは溝口が54歳の時だというから、『西鶴一代女』が公開された1952年のことだろう。女に斬られたのは1925(大正14)年のことで、溝口はその時27歳、東京朝日新聞に「日活の溝口監督 情婦に斬らる」の見出しが出ている。斬ったのは一条百合子という雇女(やとな)で、別れ話から情痴事件に発展したとの説もあるようだが、真相ははっきりしていないらしい。
 以上は新藤兼人の『ある映画監督』という岩波新書に載っていることで、「ダメですよ」などとうそぶいたのは「老いたる溝口健二のポーズである」と新藤は書いている。

と、入江降板についてはウィキペディア入江たか子」に

 かつて入江プロという入江の独立プロに雇われの身で『満蒙建国の黎明』を制作したことを恥じていたことから入江に反感を持っていた溝口は、映画『楊貴妃』において入江の演技に執拗な駄目出しをした上、「そんな演技だから化け猫映画にしか出られないんだよ」とスタッフ一同の面前で口汚く罵倒するという嫌がらせを行った。執拗ないじめに耐えきれなかった入江は降板、その後は女優として満足な役が与えられなくなった。1959年(昭和34年)、芸能界に見切りをつけ、銀座に「バー・いりえ」を開き、実業界に転身する。その後は娘の女優、入江若葉の夫の店である有楽町のとんかつ店を手伝いながら余生を過ごした。

と書いてあります。
 改めて「溝口ってクズ(つうか人格破綻者)なんだなあ」と痛感します。

https://sentence.exblog.jp/3557299/
小津安二郎溝口健二
 小津にとって溝口は先輩であったが(中略)溝口独特の独断や非常識を「溝さんにゃ困るね」ということもあった。
 溝口の方も小津の酔態や闊達さが困るのであった。
 溝口は、監督というものが安っぽく見える振る舞いをしては困るのである。
 小津ともあろうものは常に監督らしい威厳に満ちていて欲しかった。
 小津が空振りをする。
 皆がドッと笑う。
 溝口は傍らの野田高悟*19に聞く。
 「いいんですか? 小津はあれでいいんですか?」
 「まアいいんです。」
 溝口にはよいとは思えない。
 監督ともあろう者が衆人環視の中で失態を演じては許せない。
 「やめてくれ、やめてくれ」と心の中で祈っていたろう。
 小津がポロリとフライを落とした。
 ランナーが走る。
 ワァワァと皆が騒ぐ。
 溝口は血相変えて傍らの野田高悟に聞く。
 「ありゃ、いかんのでしょう? 小津は、いかんのでしょう?」
 「よくはありませんな」
 「よくありません。小津はよくありません。」
 そういって、溝口はいまにも泣き出しそうであった。

 溝口と小津のキャラクターの違いがわかる話かと思います。

https://sentence.exblog.jp/8268279/
■「東京物語」における小津演出
 小津安二郎溝口健二成瀬巳喜男黒澤明の4人の巨匠たちのうち、原節子を起用しなかったのが溝口健二だけなので、「なおさら」の印象が強いのかもしれませんが、もし溝口健二原節子を演出していたら,どんな作品が出来上がっただろうかという妄想に、ときどき駆られます。
 演技指導といえば、ひたすら厳しい溝口健二です、ただ美しいという容姿だけで演技の要求を手加減するような溝口健二ではありません、その執拗で理不尽なまでの異常さをぶつけてくる「責め」に、原節子がどこまで耐えられるか、などを含めて、あるいはその果実として、(ボーガス注:原が出演した小津作品)「晩春」や「麦秋」、(ボーガス注:成瀬作品)「めし」や「山の音」、(ボーガス注:黒澤作品)「わが青春に悔いなし」や「白痴」、そして(溝口監督、田中絹代主演の)「西鶴一代女」に匹敵するような作品が、あるいは生み出されたかもしれない可能性(見果てぬ夢というヤツでしょうか)をついつい妄想してしまうのです。

 「え、そうなの?」ですね。
 ちなみにウィキペディア原節子」によれば他に原を起用した監督としては

今井正
 『青い山脈』、『続青い山脈』(1949年)
木下恵介
 『お嬢さん乾杯』(1949年)

がいます。

 溝口健二の演出の厳しさは、「ある映画監督の記録・溝口健二の生涯」によってイヤというほど知らされています。
 俳優が監督の要求どおりに演じられなければ、役者としての自尊心をズタズタにしてしまえるだけの回数を繰り返し演技し直させることを強いて、たとえそのことで俳優を再起不能にまで至らしめても一向に差し支えないというシビアさを生々しい実感として認識しているので、(ボーガス注:溝口が原節子を使っていたらどうなったろうという)その「妄想」にも一層拍車が掛かってしまうのだと思います。
 それに比べると、同じように厳しかったとはいえ、黒澤演出には、役者の扱いにも、もう少し血の通った人間味があったような気がします。

 溝口と比べたら大抵の人間は「いい人」でしょう。


■『映画監督・田中絹代ネタで色々書いてみる』パート2
■「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート149(追記・訂正あり)
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20080803/1307052595
で書き切れなくなったのでこっちにも書いておきます。

https://blog.goo.ne.jp/langberg/e/6b0992c8c922fea1be2edd4c769a24c7
■いくらおにぎりブログ【映画】恋文、から一部引用
 真弓礼吉(森雅之)は海軍兵学校を出た元エリート軍人。しかし、戦後の今は弟の洋(道三重三)のアパートに居候をして、細々と翻訳業をしています。ある日、礼吉は兵学校時代の友人、山路(宇野重吉)と再会しました。山路は、オンリー(米軍人相手の現地妻)を相手に、本国に帰ってしまった米兵にラブレターを書くという商売をしています。山路に誘われた礼吉も、この商売を始めることにしました。
 オンリーに同情的な礼吉は、熱心にラブレターの代筆をするので、評判も上々です。そして、仕事の合間には雑踏に立ち、戦前に別れたきりの道子(久我美子)の姿を追い求めるのでした。二人は、お互いに好きあっていましたが、道子は別の男の元に嫁ぎ、今はそれとも別れ、東京にいるらしいのです。
 そんなある日、店の奥で休憩していた礼吉は、山路がラブレターの代筆をしているのを聞くともなく聞いていました。でも、この声には聞き覚えがある。客が去ったあと、山路に確かめると、客の名前はミチコというそうです。間違いない、道子さんだ。慌てて追いかける礼吉。ようやく渋谷駅で再会できた二人。しかし、礼吉はなぜ自分を捨てて他の男と結婚したのか、そしてなぜ米兵相手に娼婦のような真似をしているのかと激怒しまくります。それに、反論することもできずただ泣き崩れる道子。
 やけ酒を飲み荒れる礼吉。道子から来た手紙も破り捨ててしまう礼吉に、弟は心配で仕方ありません。仕事も以前はオンリーに同情的で、誠心誠意やっていたのが、年老いたオンリー(田中絹代)に「惨めだと想わないの、いい年して」と説教を始めてしまう始末。
 弟は、道子のもとを訪ね「まあ、手っ取り早く言えば、結婚して欲しいんです」と愛のキューピット役を買って出ます。道子も、キチンとした職業に就くまで待って欲しい、と前向きです。そして、ようやく道子の就職が決まった日に、弟は三人で食事をする機会をセッティングしました。ところが、礼吉はスネまくって、行かないと言い出し飛び出します。山路も心配して「許してやれよ」と言いますが、礼吉はうーんと考え込んだあげく「イヤだ」と駄々っ子状態。さすがに我慢できなくなった山路は、礼吉をボコり、礼吉もちょっと反省しました。
 一方、いつまでも来ない礼吉に、道子の心は沈んでいます。そのうえ、味方だと思っていた礼吉の弟にまで「いったい、あなたは本当に(ボーガス注:性交渉の相手は)一人の外国人だけだったんですね」と疑われてしまいます。
 ガーン、とショックを受けた道子はフラフラと歩き出し、そこに車が。
 道子の下宿にきた礼吉と山路。二人が道子の帰宅を待っているところに、警官が道子の事故を伝えに来ました。慌てて、タクシーを飛ばす二人。
 「汝らの中でまず罪なき者、石を投げよ」とつぶやく礼吉。「日本人には一人残らず、あの下らない戦争の責任がある」と言うのです。そして、「いったい誰が誰に石を投げられるんだろう」と頭を抱えます(文字通り頭を抱えてます)。
 その頃、病院で目覚める道子。礼吉を乗せた車は夜の街を疾走しています。
 とりあえず、この映画には色々言いたいこともあるのですが、まずは最後の「石をうんぬん」の部分から。これは聖書の「ヨハネによる福音書」第8章「姦通の女」からの引用です。有名な一節なので、信者でなくても知っている方が多いでしょうが、ファリサイ派の人がイエス様を陥れるために、姦通した女を捕まえて「さあ、あなたはこれをどう裁きますか」と迫った時に、イエス様がどう答えたかが書いてあります。ぼくは、不真面目なカトリック信者なので、きちんと理解しているか心もとない部分もありますが、罪のない人間なんていない。そして罪人同士が裁きあうのは愚かなことだ。ただ一人、罪の無い神様が全面的に人を赦しているのだから、あなた方も人と人との付き合いは、和解と赦しをベースにしなさいね、ということだと思います。もちろん、この映画がそう言ったテーマを描ききったかどうかは「まったく別」ですが、いちおう、(ボーガス注:制作意図は)そういう話のようです。
 もちろん、パンパンやオンリーと呼ばれる、米兵相手の売春業が盛んになったのも、日本が戦争に負けたからです。その点では確かに、日本人全体に責任があると言えるかも知れません。
 この映画の助監督を務めた石井輝男監督によると、木下恵介の脚本を、成瀬巳喜男監督が「これはいりませんね」とバサバサ斬っていったそうです。それこそ木下組の助監督、川頭義郎が「先生の本をこれ以上切らないでください」と真っ青になるまでだったそうです。もしかしたら、ここに映画のテーマが曖昧な原因があるのかもしれませんね。成瀬巳喜男であれば、たとえ少ない台詞でも演出でいくらでもカバーできるのでしょうが、新人監督には荷が重かったでしょう。そのうえ、脚本自体、弟の恋愛話なども盛り込んで、肝心な森雅之久我美子の部分が薄くなってしまっています。さらに、田中絹代の初監督を祝ってカメオ出演したスターも多く、メインストーリーにさける尺がどんどん短くなってしまったんじゃないでしょうか。
 ただ主演の森雅之は素晴らしい演技でした。成瀬巳喜男監督の「浮雲」でも、日本一情けない(癖にカッコいい)男を演じきっていましたが、この映画でも、その情けなさは全開。イジイジと拗ねまくってる演技は、まさに人間国宝クラスですね。この役は、最初、オーディション*20田中絹代が美形の俳優を見つけて主演に据えようとしたのですが、「自分の頭の蝿も追えない奴が何を言っているんだ」と成瀬巳喜男監督に激怒されて、森雅之になったそうです。まあ、この判断は実に適切だったと思います。
 一方、弟役の道三重三は、かなりの棒読み。これでオッケーなの?、とちょっと唖然とするほどの演技です。まあ、(ボーガス注:兄役)森雅之や(ボーガス注:兄の元恋人役)久我美子、それに恋人役の香川京子に周りを固められてしまえば、ちょっとやそっとの演技では誰だって大根に見えてしまうと思うので気の毒ではありますけど。
 ともあれ、木下恵介成瀬巳喜男石井輝男と言った名監督達*21にサポートされ、大映、松竹、東宝からも大挙、俳優達は応援に駆けつけたお祭りのような、この映画。それが、決してお祭り騒ぎだけで終わらず、全体的に品良くまとまったのは、やはり田中絹代の功績だと言っていいと思います。

 年老いたオンリー(田中絹代)に「惨めだと想わないの、いい年して」と説教を始めてしまう始末。

 まあ、映画制作時が1953年、田中が1909年生まれですからこういう扱いになってしまうのは仕方ありませんが若い頃なら久我(1931年生まれ)の演じたヒロインの役を田中がやっていたわけです。
 つうか香川京子(1931年)はともかく森雅之(1911年生まれ)は久我とは20歳も年の差があって、田中と大して年齢が変わらないんですけどね。まあ年齢よりも森の演技力を重視したと言うことなんでしょうが、本来はやや無理があるでしょう。

主演の森雅之は素晴らしい演技

というわけで昭和映画を代表するスターが森ですが、それを頭に入れていれば、id:Bill_McCrearyさん記事『昨日知った面白い(と私は思った)話』(https://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/7df76d1206e988b87bbb9b7409b42977)で紹介される森のエピソードは「人間ができている」としか言い様がありませんね。
 まあ、ウィキペディア森雅之」に出てくる浮気エピソードは人としてどうかと思いますが。

弟役の道三重三は、かなりの棒読み

て、まあググってもほとんど記事がヒットしませんからねえ、この人。
 ちなみにヒットした数少ない記事の一つによると

https://ameblo.jp/tetsu8/entry-12239418733.html
■新東宝俳優録37 国方伝(くにかた・つたえ)、阿部寿美子
 国方伝は31年生まれ。50年に俳優座二期生として入所している。同期は中々の顔ぶれで、小沢昭一、高橋昌也、井上昭文佐竹明夫菅原謙次佐藤英夫城所英夫、和田孝、土屋嘉男、島崎雪子、小林トシ子、宮崎恭子*22などがいた。後の「七人の刑事」のうち三人(菅原、佐藤、城所)がいるのが目を引く。
 国方の本名は道三重三という風変りな名前である。道三を苗字のサイトで調べると全国で15件、読み方は「ドウサン」としか書かれていないが、俳優座一期生の阿部寿美子によれば、彼の場合は「ミチサン」と読むらしい。
 田中絹代の第一回監督作品「恋文」(53年新東宝)で森雅之の弟役に抜擢されたが、「ミチサンサン」では呼びにくいので国方伝という芸名をもらったという。これをきっかけに翌54年に新東宝に入社している。
 新東宝では脇役として活躍。どれが代表作なのかというと難しいのだが、ポスターに名前が割合早い順番で大きく載っているといった観点でいえば「0線の女狼群」や細川俊夫の項で書いた「ソ連脱出 女軍医と偽狂人」あたりになろうか。
 新東宝倒産後は、テレビドラマに出演。「アッちゃん」(演出・中川信夫)、「忍者部隊月光」(プロデューサー・佐川滉)、「特別機動捜査隊」(プロデューサー・中井義)といった新東宝人脈での出演がほとんどである。出演記録の最後は「無用ノ介」(69年)の第3話になっており、この辺で姿を消したようである。

だそうです。

http://mogamiya-forth.cocolog-nifty.com/dailylife/2016/03/1953-86e4.html
■恋文(1953年新東宝)、から一部引用
 監督は田中絹代。第1回監督作品であります。
 田中絹代の初監督作品ということもあってか脚本は木下恵介が担当し、これに成瀬巳喜男が手を入れたそうな。
 もともとは彼女に監督させてみようという発想をしたのは小津安二郎だったって。それに難癖つけたのが溝口健二という、裏話の段階でもはやオールスター。キャストもオールスターというか、田中先生のためなら、と松竹・大映東宝の俳優陣が勢ぞろい。
 で、物語はというと、ビビアン・リー(ボーガス注:主演)の「哀愁」となんか似てるよ。
 弟・洋(道三重三)のアパートに居候している真弓礼吉(森雅之)は元将校の復員兵。英語とフランス語が得意ということで、洋の持ってくる翻訳の仕事を請け負ったりしている。その合間に礼吉は街に出ては誰かの姿を探している様子。
 渋谷まで出向いた礼吉は旧友の山路(宇野重吉)と出会う。礼吉は、山路に自分の仕事を手伝ってほしいと言われたが、それは米兵の女になっている女性のラブレターの代筆。
 家にいてじっとしているよりは、と考えて礼吉は手伝いを引き受ける。
 そんな折、山路の客としてやってきた女の声に礼吉は聞き覚えがありました。その女の後を追う礼吉、井の頭線の渋谷駅で彼女を見つけ出します。彼女は久保田道子(久我美子)。礼吉の幼馴染で、礼吉がひそかに愛していた女性でした。礼吉は街に出ては彼女の姿を捜していたのでした。礼吉が外地にいた戦時中に、道子は親の決めた相手と結婚していたけど夫は亡くなっています。
 かわいさ余って憎さ百倍、ってわけでもないけど、自分が好きだったのによその男の嫁になったあげく米兵のオンリーにまでなった道子を礼吉はなじってしまいます。
 生きるためには仕方なかったとはいえ、礼吉の言葉に道子は嘆き悲しみます。礼吉は礼吉で、自分の想い人が自分が生活のため客として相手にしているオンリーみたいになってしまったことで酒に逃げちまいました。そのオンリーのラスボス的に、物語の中盤で登場するのは田中絹代先生です。
 一方で弟の洋はそんな兄の様子を見かねて、道子の元を訪ねます。道子は一生懸命に求職活動していました。そして、やっととある立派なレストランのクロークとして就職します。
 洋はそんな道子を礼吉と一緒にお祝いしようと考えますが、礼吉は意固地になってしまって「行かない」ということを聞きません。そんな礼吉を山路が張り倒します。それでやっと目が覚めた礼吉、山路と一緒に道子の下宿先を訪ねきついことをいったことを詫びることに。
 かたや洋と一緒にいた道子、礼吉にお祝いしてもらえないことで「自分は許してもらっていない」とへこんで泣いちゃうところに、かつての「同業者」たちにまで出くわし汚れた自身の身の上を嘆き車道に飛び出してしまいます。
 道子の帰りを待っていた山路と礼吉の前に警官が現れ、道子が事故に遭ったことを伝えます。タクシーに乗り、道子の運ばれた病院へ向かう途上、やはり道子が大切な存在であると再認識した礼吉はひたすらに道子の無事を祈り続けるのでした。
 物語はまぁ、こんな感じで。
 おそらくは礼吉と道子はハッピーエンドを迎えることができるんだろうなぁ、という感じの結末になってます。

https://sentence.exblog.jp/4562551/
■恋文
 以前、「日本映画専門チャンネル」で昭和の純愛映画という特集をやったおりに、たまたまその1本として、この田中絹代の監督第1作「恋文」を放映していたので、久しぶりにゆっくり見ることができました。
 以前この作品を僕が見たときには、(中略)この作品が出来るについての周辺事情みたいなものも予備知識として仕込んでいて、そんなことで、はたして、そのような自分がこの作品を純粋に鑑賞できたのかどうか、自信がなかったというのが本当のところでした。
 実をいうと、僕の中には、この作品がマーヴィン・ルロイ*23(ボーガス注:監督)の「哀愁」のコピーだという根強い先入観(偏見)もあったので、「その感」をなおさら強くしたのかもしれませんね。
 また、随所に散見されるあまりに美しい場面(たとえば、森雅之が思い続けた人(久我美子)と再会をはたす公園のシーン)や、ラストの衝撃的な場面(生きる道を塞がれ、死に向って走り出すしかないまでに追い詰められた久我美子の苦悶と絶望の神々しい表情)に気を取られてしまって、肝心の物語をしっかりと受け止めていなかったことも、今回の鑑賞で知りました。
 この作品の大きなポイントとなる、森雅之が、「食うために」アメリカ兵に身を任せた久我美子をなじる重要な場面など、もっとよく考えてみる必要があったかもしれません。
 米兵相手の日本の娼婦たちが、本国に帰ってしまった「恋人」に送金をねだる「ラブレター」の代筆を引き受けるという、これは戦後の混乱期の渋谷で実際にあった商売の話だそうです。
 戦後すぐの混迷した世相が、一挙に見渡せてしまうような(中略)またとないエピソードだったと思います。
 この作品の「恋文」とは、例えていえば、ちょうどデ・シーカ*24の「自転車泥棒」で描かれる自転車に匹敵するかもしれないほどの、現実の世相を輪切りにして見せてしまうような重要な意味をもつキイワードだったといってもいいでしょうか。
 「恋文」の代筆をする男・森雅之は当初、自分と娼婦たちとの境遇に明確な距離を確信していたから、一層そういった女たちに対して冷静な同情心をも持つことができたのだと思います。
 しかし、物語は進み、男が探し求めていた最愛の人(久我美子)もまた、本国に帰った兵士に送金を乞う手紙を依頼するという行為の現場に遭遇することによって事態は一変します。
 男は、それまでの「寛容」などすっかり忘れ、進駐軍の兵士に身を任せた彼女をどうしても許すことができずに激しく罵ります。
 5年ものあいだ探し続けてきた久我美子とやっと再会できた公園で、森雅之は彼女にこんなことを言っています。
「目の青い子供を抱いているあなたを見て世間がなんて言うか、あなたは考えたことがなかったのか。過去を清算するためには、むしろ子供が死んで良かったんだ」と。
 普通の神経の人間なら、かつてどんな関係にあろうと相手からこんな言い方で罵られ、自尊心を傷つけられたら、キレて逆上してもなんの不思議もありません。
 しかも奇妙なことに、その男に、米兵の「現地妻」であったことを散々に罵しられる久我美子もまた、逆上するどころか、ただ「すみません」と謝るばかりなのです。
 これをただ、いまはすっかり失われた「日本人の美しい心情」とでも強引に納得すればいのでしょうか。
 それとも単に監督・田中絹代の演出力不足と片付けてしまえば、それでいいのでしょうか。
 もし仮に演出意図というものがあったとしたら、それがどのあたりにあるのか、この理不尽なシーンが僕の気持ちを強く捉えて離そうとしません。

・映画「哀愁」については

■哀愁(ウィキペディア参照)
・1940年公開のアメリカ映画。監督はマーヴィン・ルロイ。
■あらすじ
 1939年9月3日、英独開戦の日。ロンドンの街で、ロイ・クローニン大佐(ロバート・テイラー)はウォータールー橋にたたずんでいた。回想にふける彼の手にあるのは、ビリケン人形、幸運のお守りだった。
 舞台は、第一次世界大戦中に遡る。ロイ・クローニン大尉とバレエの踊り子マイラ・レスター(ヴィヴィアン・リー*25)はウォータールー橋でめぐり会う。空襲警報で逃げ遅れたマイラとともに、2人は地下鉄の駅へ逃げ込み体を寄せ合うのだった。明日戦地へ向かうというロイに、マイラはビリケン人形を渡す。その夜、マイラの舞台を観たロイは、彼女を食事に誘う。
 その夜、2人はキャンドルライトクラブで、ロマンチックなひと時を過ごす。2人はダンスをしながら、ついに口づけを交わす。
 翌日、ロイの出征が2日延期されたことから、2人は結婚の約束をする。ロイの上官や親戚の許可もとれたが、結婚式だけは午後3時以降はできないという法律により翌朝に延期された。しかし、その夜ロイは突然の召集で戦場へと向かう。マイラは見送りに駆けつけるが、ほんの一目姿を見ただけに終わる。さらに、彼女はバレエ公演に遅刻し、解雇される。親友のキティ(ヴァージニア・フィールド)も兼ねてからの不満をマダム・キーロワ(マリア・オースペンスカヤ)にぶつけ、ともに辞める。
 2人は仕事が見つからず、生活は貧しかった。ある日、ロイの母マーガレット夫人(ルシル・ワトソン)がロンドンに上京しマイラに会いに来るという。マイラは、喫茶店で待ち合わせるが、たまたま目にした新聞にはロイの戦死の情報が載っていた。動揺したマイラは、ロイの母との会話も不調に終わる。以降体調を崩したマイラは、キティがレビューの踊り子ではなく娼婦として生計を立てていることに気付いてしまう。ウォータールー橋にたたずんでいたマイラは、声をかけてきた男に虚ろな瞳で応え、ついに娼婦に身を落とす。
 そしてある日、いつものように客を探しに駅で目にした光景は、何と戦死したはずのロイの姿だった。偶然の再会を喜ぶロイ。マイラは派手な化粧と胸の開いた服という、自分の身なりを恥じ、戸惑いと葛藤を隠せない。しかしロイの強い説得で、マイラはロイとの結婚を決意し、ロイの故郷スコットランドへと赴く。
 しかし、自分を善良な娘だと信じるロイの伯父やマーガレット夫人の言葉から、マイラはかえって自分はロイにふさわしくないと思うようになり、ついにマーガレット夫人に全てを打ち明ける。夫人の部屋から出たマイラはロイと会う。ロイは彼女に、これからは一心同体だという思いを込めてビリケン人形を返す。
 マイラは、翌朝置手紙を残してロンドンへ帰る。ロイも後を追い、キティと共にマイラを必死に探す。場末の酒場や、ダンスホール、そしてウォータールー駅。ロイはマイラの身に何が起きたか理解し、彼女がもう二度と自分の前に現れないことを悟る。その頃、思い詰めたマイラは、ウォータールー橋で軍用トラックに身を投げて自ら命を絶ってしまう。事故現場にはあのビリケン人形が落ちていた。
 再び1939年。
 「愛していたのはあなただけよ」
 マイラの言葉を胸に、ロイはウォータールー橋を立ち去っていく。
■エピソード
 1986年に宝塚歌劇団がミュージカル化。ロイ役に剣幸、マイラ役にこだま愛、キティ役に春風ひとみ

という記述を紹介しておきます。
・「それまでの寛容を忘れ激しく罵る」
 何だ、かみさんが暴漢に殺されたら「死刑廃止派から狂信的死刑賛同者に転向した」岡村勲のことか(皮肉のつもり)。
 なお、この田中絹代作品は「丹羽文雄原作(原案?)、木下恵介脚本」なので、丹羽原作、木下脚本がどうなのか、という問題がありますね。 
 まあ、「丹羽原作を木下が大幅改変」はともかく「木下の意図の読み違いならまだしも」、巨匠木下の脚本を好き勝手に改変するなんて「新人監督・田中」にできることではないので「映画は脚本には忠実」でしょうが。
 また、こうした「森演じる男」について原作者・丹羽、脚本・木下や監督・田中が「貧乏な生活から米兵に身を委ねた元恋人に対する同情の念もない身勝手な男だ(ただし後に『言い過ぎた』と反省し彼女を許す(?)ようですが)」とこのブログ筆者同様に思ってるかどうかによっても作品の評価は変わってきます。
 しかしこうした「恋文」の描写を見ると松本清張ゼロの焦点』、森村誠一人間の証明』での犯人の殺人動機もよくわかる気がします。あるいは以前、拙記事で取り上げた今井正『キクとイサム』の描いた混血児差別にはこうした背景があるわけです(やや松本作品、森村作品のネタばらしになっています)。
 なお、松本作品、森村作品を考えるに『森演じる男』のような認識は当時の日本において決して少数派ではないでしょう。
 その点で

 久我美子を罵り、そして拒絶するという森雅之の不自然なまでの頑なさは、それが当時の日本人の男たちの一般的な考え方だったとは、どうしても思えません。思いを寄せた初恋の人に、いつまでも清らかなままでいて欲しいと望むのは誰しも同じでしょうが、たとえ現実がそうでなかった場合でも、変節したその人を責めたり、罵倒するようなことが現実にあり得るかどうか、それは極めて想像しにくいことだと思います。

というブログ筆者の認識は端的に言って間違いだろうと思います。
 それはこのブログ筆者が「現在の目線で考えてるからそう思うだけなんだ」と思いますね。
 まあ「そんなんおかしいじゃないか」と思うブログ筆者のような認識が現在では多いのでしょう。それは幸いなことです。

 男が「理不尽に責めたてて」、そして、女は「卑屈なまでにただ詫び続ける」、僕たちを苛立たせずにはおかない、この非現実的な男女の異常な関係図を、もし田中絹代が意識的・作為的に演出したのだとしたら、その意図は一体なんだったのか、真っ先に念頭に思い浮かぶのは、やはり田中絹代溝口健二との関係、ということに帰するのでしょうか。

 深読みのしすぎのような気がしますが。もちろんこの深読みだと

久我美子田中絹代
森雅之溝口健二
・米兵→田中第一作品「恋文」に脚本を提供した木下恵介など、溝口と違い田中の映画監督に協力した人々
・米兵に身を委ねる→溝口が反対しても映画監督業に進出

となるのでしょう。ただし田中の場合は「それ以前の女優としての溝口とのつきあいはともかく」、少なくとも映画監督進出については「卑屈なまでにただ詫び続け」たりはしなかったわけですが。

https://www.nishinippon.co.jp/nlp/cinema_news/article/310318/
西日本新聞『映画監督としての田中絹代 6作品など足跡紹介 下関市』2017年02月24日
 山口県下関市出身の女優田中絹代(1909〜77)の映画監督としての足跡をたどる企画展「女優田中絹代と映画監督」が、同市田中町の田中絹代ぶんか館で開かれている。絹代は女優では日本で初めて映画監督を務めた人物。会場には写真や監督6作品の脚本など資料約40点を展示している。
 会場には、絹代の監督デビュー作「恋文」(1953年)をはじめ、「お吟さま*26」「流転の王妃」「月は上りぬ」などの脚本を、彼女の撮影現場写真とともに紹介。女優を続けながらメガホンを取った、彼女ならではの繊細な描写と映画作りの意気込みが伝わってくる。

https://www.jpf.go.jp/j/project/culture/media/oversea/2010/1001.html
国際交流基金『海外での上映会 2010年1月度』
■女性監督特集
・期間 2010年1月12日から3月16日
・開催地(国・都市):イタリア/ローマ
・会場:ローマ日本文化会館
・主催 ローマ日本文化会館
・上映作品
 『かたつもり』、『につつまれて』(河瀬直美*27監督)
 『乳房よ永遠なれ』、『恋文』(田中絹代監督)
 『かもめ食堂』、『めがね』(荻上直子*28監督)
 『薄墨の桜』(羽田澄子*29監督)
 『犬猫』(井口奈己*30監督)
 『ガラスのうさぎ*31』(四分一節子監督)を上映

https://www.jpf.go.jp/j/project/culture/media/oversea/2011/1102.html
国際交流基金『海外での上映会 2011年2月度』
東宝の歴史特集
・期間 2011年2月10日から3月26日
・開催地(国・都市):フランス/パリ
・会場:パリ日本文化会館
・主催 パリ日本文化会館
・上映予定作品
 『妻よ薔薇のように』、『はたらく一家』、『旅役者』、『秋立ちぬ』、『娘・妻・母』(成瀬巳喜男監督)
『人情紙風船』(山中貞雄監督)
『雪国』『駅前旅館』『小島の春』、『若い人』、『墨東綺譚』、『夫婦善哉』(豊田四郎*32監督)
血と砂』、『独立愚連隊』、『日本のいちばん長い日』(岡本喜八監督)
小早川家の秋』『宗方姉妹』(小津安二郎監督)
『花影』、『貸間あり』(川島雄三監督)
また逢う日まで』、『青い山脈』、『続・青い山脈』(今井正*33監督)
『三等重役*34』(春原政久監督)
『続三等重役』(鈴木英夫監督)
『上意討ち 拝領妻始末』、『怪談』、『日本の青春』(小林正樹*35監督)
『女ばかりの夜』(田中絹代監督)
『怪異談 生きてゐる小平次』(中川信夫監督)
『一番美しく』、『素晴らしき日曜日』(黒澤明監督)
『夜叉』(降旗康男監督)
家族ゲーム』(森田芳光*36監督)
『あこがれ』(恩地日出夫監督)
日本沈没』(森谷司郎監督)
『銀嶺の果て』(谷口千吉*37監督)
逆噴射家族』(石井聰亙監督)
火の鳥』(市川崑監督)
兄いもうと』(木村荘十二監督)を上映。

https://www.jpf.go.jp/j/project/culture/media/oversea/2013/1311.html
国際交流基金『海外での上映会 2013年11月度』
■日本の監督36選(スペイン)
・期間 11月7日〜1月15日
・開催地(国/都市):スペイン/サラゴサバレンシアバルセロナ
・会場:サラゴサ・フィルムセンター、バレンシア・フィルムセンター、カタルーニャ・フィルムセンター(バルセロナ*38
・主催 国際交流基金
・上映予定作品
華岡青洲の妻』(増村保造監督)
『怪談』(小林正樹監督)
東海道四谷怪談』(中川信夫監督)
七人の侍』(黒澤明*39監督)
『乳房よ永遠なれ』(田中絹代監督)
大菩薩峠』(岡本喜八監督)など

 「日本の監督36選」で田中絹代をぶち込むのは何かが間違ってるような気がします。

https://www.jpf.go.jp/j/project/culture/media/oversea/2014/1402.html
国際交流基金『海外での上映会 2014年2月度』
溝口健二田中絹代特集(オーストリア
・期間 2月7日〜3月5日
・開催地(国/都市): オーストリア/ウィーン
・会場:オーストリア映画博物館
・主催 国際交流基金、在オーストリア日本大使館オーストリア映画博物館
・上映予定作品 『雨月物語』『近松物語』等、溝口健二*40監督作品18本、『乳房よ永遠なれ』『恋文』等田中絹代監督作品7本

 しかしこうなると国際交流基金の事業とは言え、「日本より海外の方がもしかしたら田中絹代監督作品が上映されてる」のかもしれません。


神保町シアター『没後40年 女優・田中絹代』(2017年1月4日(水)〜2月3日(金))
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/tanaka.html 
 上の方に

4.『愛染かつら(前後篇)』 昭和13・14年
6.『風の中の牝鷄』 昭和23年、監督:小津安二郎
7.『夜の女たち』、監督:溝口健二
9.『宗方姉妹』、監督:小津安二郎

があるのは予想の範囲内ですが、下の方に「しれっと」

18.『恋文』、監督:田中絹代
19.『乳房よ永遠なれ』、監督:田中絹代 

があるのにはびっくりです。

http://kinuyo-bunka.jp/mutter/post-8.html
下関市田中絹代ぶんか館名誉館長・古川薫*41のつぶや記・4『女優監督としての国際的評価』
 田中絹代の監督作品は、『恋文』『月は上りぬ』『乳房よ永遠なれ』『流転の王妃』『女ばかりの夜』『お吟様』の6本です。
 いずれも水準を超えるもので、女性ならでは描けない世界を見せたとして高い評価を得ました。最近,欧米で田中絹代への注目度が高まっていますが、特に監督としての彼女に対する関心が目立っています。
 女優の身で監督の仕事をこなした女性は、数えるほどしかいないことに、今さら気づいたということでしょうか。女性進出、女性の自立が、あらためてテーマとなったこんにちの社会現象が、その背景にあると思われます。
 ベルリン・オリンピック『民族の祭典』を作ったリーヘンシュタールは、著名な女優監督のひとりです。田中絹代はその人と肩をならべて、世界映画史に刻まれているのです。
 2002年にはドイツのケルン市で、絹代の全監督作品が上映されました。下関の映画祭でも、絹代の監督作品を積極的に上映したいものです。愛新覚羅家と関係の深い下関でこそ、『流転の王妃』の上映が望まれます。

http://kinuyo-bunka.jp/mutter/post-42.html
下関市田中絹代ぶんか館名誉館長・古川薫のつぶや記・12『男のすなる映画監督』
 レニ・リーフェンシュタール*42監督は世界最初の女優監督*43です。女優にして監督というのは1930年代では他に例がなかったのです。
 2002年、ドイツのケルンで田中絹代の監督作品が上映されたのは、リーフェンシュタール以後、記憶されるべき女性監督のひとりという評価のあらわれでしょう。

 田中記念館関係者としては田中を悪く言うわけにもいかないし、こういう発言になるのでしょう。
 さすがに

 ベルリン・オリンピック『民族の祭典』を作ったリーヘンシュタールは、著名な女優監督のひとりです。田中絹代はその人と肩をならべて、世界映画史に刻まれているのです。

つうのは「田中絹代の監督としての業績が」というなら、正直、「ひいきの引き倒し」「リップサービスで許されるレベルではない」と思いますが(もちろん「田中絹代の俳優としての業績」なら「肩を並べてる」といってもいいと思いますが)。
 「事前の覚悟(?)なし」にこの発言を俺が聞いたら、予想の斜め上過ぎて、さすがに吹き出してるか、目を白黒させると思います。
 まあ「産経の無茶苦茶な安倍礼賛(安倍様の外交が世界に支持されてると嘘八百)」と違って実害はないので、別に「これ以上」ああだこうだ言う気はあまりありません。
 ただし「作品評価はひとまず置いて」、「日本初の女優監督」「女性監督の先駆者」としては確かに記憶されるべきであるかとは思います。


■9月1日 封印されたディズニー映画「南部の唄」(1946年)上映会のお知らせ(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4771
 まあディズニーとて慈善事業ではなく商売です。黒人団体から差別作品だと言われ、「いや差別でない」などとして上映していくだけのメリット(興行的利益)がなければそんなもん封印(?)するでしょう。
 つうか別に「差別作品」と突き上げを食らわなくても、興行的に利益が期待できないだけでもDVD化や再上映はされないでしょうね。
 なお、ウィキペディア「南部の唄」によれば、米国でDVD化がされ、それを受けて日本でもDVD化がされたが、今は米国でも日本でも入手できない(販売されてない)ようです。


■獄中改革を唱えた吉田松陰の志(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4769
 三浦の文章には非常に違和感を感じますね。
 違和感の理由ですが、まず第一に松陰の「老中暗殺を主張したテロリスト」「中国、朝鮮植民地支配を主張した侵略主義者」という「負(マイナス)の側面」「問題点」を無視してただただ松陰を美化するのは適切ではないでしょう。
 なお、松陰の場合「若くして刑死という悲劇的な死」の上、権力中枢にいなかったので「陰謀や汚職的なことに手を染めてない」ていう意味で美化はしやすいでしょうねえ。
 後に首相になった伊藤博文山県有朋といった松陰の弟子だと明らかに権力者として「陰謀や汚職的なこと」「汚れ仕事」もやってるわけです。
 第二に「獄中にいた松陰」が政治犯尊皇攘夷、倒幕の立場に立つ松陰の同志)ではない一般刑事犯に対しても「多くの犯罪者は、生活苦などそれなりの理由があって犯罪に走ったのであって生まれつきの犯罪者で、真人間になる気など全くない人間は少ない。多くの犯罪者は真人間になりたい、更生したいと思っている。我々、社会は犯罪者の更生を応援すべきだ。それが社会としてあるべき道だ」というような考えを持っていたことについて「松陰は素晴らしい」という三浦ですが、そういう三浦はそうした松陰的考え(犯罪者の社会復帰、更生支援)を現代に生かそうとは思わないのか。
 例えば、本気で三浦が松陰のそうした考えに共感するのなら、なんで先日のオウム死刑囚死刑執行の時に「主犯で教祖の麻原はともかく、麻原に洗脳されて犯罪に走り、今は後悔、反省している他の人間(麻原の元弟子)には社会復帰、更生の可能性があると思う。彼らを死刑にすることには反対だ」といって反対しなかったのかと言うことです。
 結局、三浦は「右翼として左派も評価しそうな松陰ネタを持ち出して松陰美化しているに過ぎない」わけです。「明治維新すげー、だから松陰はすげー」だと「確かに近代化はしたし、その点はもちろん評価するけど天皇主権(国民主権でない)とか韓国植民地支配とかの問題があるじゃん」「維新実行した奴ら(長州藩井上馨*44伊藤博文*45木戸孝允*46高杉晋作山県有朋*47など)には松陰の弟子が多くいるけど、松陰本人が維新実行したわけじゃないし、維新実行者には薩摩藩大久保利通*48西郷隆盛*49など松陰の弟子じゃない人間もいるから維新イコール松陰と単純には言えない」などと必ずしも「全面的には」松陰美化に賛同しない左派(?)もいますからね。
 むしろ松陰に対して三浦は大変失礼じゃないか。
 さて、三浦はこの松陰ネタを書くにおいて

「松陰と女囚と明治維新*50田中彰*51著 NHKブックス

を利用していますが思わず吹き出しました。なぜなら田中氏は「左派かどうかはともかく」、少なくとも「つくる会理事」三浦のような歴史修正主義極右ではないからです。
 結局、三浦も自分らウヨの世界にまともな歴史研究者がいないことを認めざるを得ないわけです。


■翁長知事、ニライカナイ*52の地へ。沖縄知事選を、世代交代、意識交代の場に(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4767
 本文も酷いですがあえて突っ込みません。タイトルだけでも十分酷い。
 翁長氏に対するまともな追悼の言葉もなく「この機会に世代交代、意識交代」だそうです。まともな人間にはまず言えない言葉です。「まともでない」安倍ですらこんなことは世間に公言しないでしょう。人間性が確実に疑われるし、「いかに政治的に対立していたとはいえ、翁長氏の死を喜ぶような、あんなげすな連中を勝たせていいのか」ということで選挙にも悪影響だからです。
 大体、「小渕恵三*53でも大平正芳*54でも中川昭一*55でも(以上、早死にした自民党政治家の病死)」でも「遠藤浩一*56でも坂本多加雄*57でも(以上、早死にした右翼文筆家の病死)でも」誰でもいいですが、某保守政治家なり某右翼文筆家なりが何らかの理由で死んだとして「この機会に世代交代、意識交代を」なんて書いたら激怒してるのが三浦らウヨではないのか。
 あるいは先日の「劇団四季創設者・浅利慶太の死去時」に誰かが「この機会に浅利の劇団というイメージから脱皮し、世代交代、意識交代を」なんて書いたら激怒してるのが三浦らウヨではないのか。
  まあ、一応指摘しておけば「浅利死去前から」、四季はそれなりに「世代交代、意識変革」は考えていたでしょうけどね。
 まあ意識交代は百歩譲って大目に見るとしましょう(「翁長氏の政治姿勢は間違ってる」としか理解できない言葉を死去直後投げつけるというのは、いかに政治的に対立する立場であっても、そして仮に翁長氏の政治姿勢を「間違ってる」と仮定したところでまともな行為とは俺は思いませんが)。
 「世代交代」とは何が根拠なのか。沖縄の若者がもっぱら自民支持などという事実はどこにもないでしょう。
 しかし、id:noharraも「翁長知事を誹謗中傷、侮辱して恥じない三浦小太郎」と交際しながら「自分は翁長支持者だ」などというのだからそのデマ屋ぶり、恥知らずぶりは相当のもんです。本当に彼が翁長支持なら三浦のようなゲスとは絶対に交遊しないでしょうにねえ。

*1:もちろんとはいえ「多様性容認」には限度があります。さすがに「エセ医療(例:ホメオパシー)でも認めろ」「温暖化CO2否定論(以下略)」「ホロコースト否定論(以下略)」つうわけにはいかない。そこには「真実に合致している」「人権侵害や犯罪などの弊害を生まない」ということが最低限必要でしょう。

*2:なお、KaSuehiroが「アサド政権という多様性」を「アサドを倒せばシリア国民が幸せになれる」という理解で認めないことは明白です。

*3:沖縄県副知事、沖縄電力会長などを経て県知事

*4:著書『戦争責任』、『太平洋戦争』(以上、2002年、岩波現代文庫)、『一歴史学者の歩み』(2003年、岩波現代文庫)など

*5:日本語翻訳ですと『現代中国知識人批判』(1992年、徳間書店)、『天安門事件から「08憲章」へ』(2009年、藤原書店)、『「私には敵はいない」の思想』(2011年、藤原書店)、『最後の審判を生き延びて』(2011年、岩波書店)など

*6:著書『草の根のファシズム』(1987年、東京大学出版会)、『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)、『毒ガス戦と日本軍』(2004年、岩波書店)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(2010年、岩波ブックレット)、『焼跡からのデモクラシー(上)(下):草の根の占領期体験』(2014年、岩波現代全書)など

*7:ただしルーマニアだけは内戦が勃発しチャウシェスク大統領夫妻が反体制派によって処刑されました。また民主化自体は平和的だったと言えるのでしょうが、その後、ユーゴスラビアでは民族対立による内戦が起こっています。

*8:「人権」と「経済的豊かさ」を別に書くこの奇妙な表現からはid:noharra先生にとって「経済的豊かさはなぜか人権には当たらないこと」がわかります。「政治的権利」だけが彼にとっての人権なんでしょう。

*9:著書『夢声の動物記』、『問答有用:徳川夢声対談集』(ちくま文庫)、『話術』(新潮文庫)など

*10:著書『ラジオの時代』(2002年、世界思想社)、『史料が語る太平洋戦争下の放送』(2005年、世界思想社)、『太平洋戦争下 その時ラジオは』(2013年、朝日新聞出版)、『戦争と放送』(2017年、吉川弘文館

*11:著書『最新宮沢賢治講義』(1996年、朝日選書)、『「ゆらぎ」の日本文学』(1998年、NHKブックス)、『心脳コントロール社会』(2006年、ちくま新書)、『村上春樹論:『海辺のカフカ』を精読する』(2006年、平凡社新書)、『大人のための国語教科書』(2009年、角川oneテーマ21)、『漱石を読みなおす』(2016年、岩波現代文庫)、『子規と漱石』(2016年、集英社新書

*12:著書『渋沢栄一経世済民思想』(2002年、日本経済評論社)、『ラジオの戦争責任』(2008年、PHP新書)、『戦前のラジオ放送と松下幸之助』(2011年、PHP研究所

*13:終戦時の玉音放送の際の内閣情報局総裁として知られる。

*14:ウィキペディア水戸光子」曰く『昭和28年の『雨月物語』で輪姦される場面があった。輪姦そのものの場面は描かず、ことが終わって湖畔にボロきれのように打ち捨てられた水戸の姿を映すのだが、溝口がどうしても水戸の演技が気に入らない。何度も撮り直すうちに、溝口は「もっと感じを出して下さい、君には一体、(輪姦された)経験がないんですか!」と怒鳴ったという。』

*15:1935年、『鶴八鶴次郎』で第1回直木賞を受賞。代表作の『愛染かつら』(1937〜1938)は、1938年に映画化され、田中絹代上原謙の主演で人気を博した(ウィキペディア川口松太郎」参照)。

*16:『ミニヴァー夫人』(1943年)、『我等の生涯の最良の年』(1946年)、『ベン・ハー』(1959年)でアカデミー監督賞を受賞

*17:入江降板後、京マチ子楊貴妃を演じています。なお、ウィキペディア楊貴妃」によれば玄宗皇帝が森雅之楊貴妃の親族で国政を牛耳る楊国忠小沢栄太郎、乱を起こし楊貴妃楊国忠を死に追いやる安禄山山村聡です。

*18:1976年、岩波新書

*19:小津映画の脚本を多く手がけたことで知られる脚本家

*20:さすがに「田中絹代オンリーで選考」ではなく「成瀬巳喜男木下恵介」といった関係者も選考委員に入れて、という意味でしょうが。

*21:石井はこの時点では助監督ですが。

*22:俳優・仲代達矢の妻。仲代との結婚後は女優から脚本家、演出家に転身。1975年に仲代とともに俳優を育成する無名塾を主宰(ウィキペディア宮崎恭子」参照)。

*23:1955年には出演したヘンリー・フォンダとの確執で途中降板したジョン・フォード監督に代わって『ミスタア・ロバーツ』(ジャック・レモンがアカデミー助演男優賞を受賞)の監督を担当。途中まで撮影していたフォードのタッチに合わせてそつなく仕上げ、どの部分がルロイが撮影したシーンなのか、観客や批評家はわからなかったというエピソードがある(ウィキペディア「マーヴィン・ルロイ」参照)。

*24:靴みがき』(1946年)、『自転車泥棒』(1948年)、『昨日・今日・明日』(1963年)でアカデミー外国語映画賞を、『ミラノの奇蹟』(1951年)でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを、『悲しみの青春』(1971年)でアカデミー外国語映画賞ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞(ウィキペディアヴィットリオ・デ・シーカ」参照)

*25:1939年の映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役と、1951年の映画『欲望という名の電車』のブランチ・デュボワ役でアカデミー主演女優賞を受賞(ウィキペディアヴィヴィアン・リー」参照)。

*26:千利休の娘・吟の悲恋を描く、直木賞を受賞した今東光の同名小説の映画化(1962年)。1978年に熊井啓監督も映画化している(■旧・かぶとむし日記『熊井啓監督『お吟さま』(1978年)』(http://d.hatena.ne.jp/beatle001/20070817/1187358213)参照。

*27:『につつまれて』(1992年)で山形国際ドキュメンタリー映画祭国際批評家連盟賞を、『かたつもり』(1994年)で山形国際ドキュメンタリー映画祭奨励賞を受賞。1997年、映画『萌の朱雀』で、カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少(27歳)で受賞。2007年、映画『殯の森』でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞。また、これを受けて、奈良県民栄誉賞を受賞。2009年、カンヌ国際映画祭で、映画祭に貢献した監督に贈られる「金の馬車賞」を、女性、アジア人として初めて受賞。2015年、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ章を受章。また、同年、映画『あん』がカンヌ国際映画祭「ある視点」部門のオープニング作品に決まる(ウィキペディア河瀬直美」参照)

*28:2003年、『バーバー吉野』でベルリン国際映画祭・児童映画部門特別賞を受賞(ウィキペディア荻上直子」参照)

*29:岩波映画製作所で数々のドキュメンタリー映画を制作。1980年の岩波映画製作所定年退職後も映画『痴呆性老人の世界』(1986年)、『安心して老いるために』(1990年)、『歌舞伎役者 片岡仁左衛門 若鮎の巻・人と芸の巻・孫右衛門の巻』(1991年)、『歌舞伎役者 片岡仁左衛門 登仙の巻』(1994年)、『平塚らいてうの生涯:元始、女性は太陽であった』(2001年)、『嗚呼 満蒙開拓団』(2008年)、『遙かなるふるさと:旅順・大連』(2011年)を制作。著書『私の記録映画人生』(2014年、岩波現代文庫)(ウィキペディア羽田澄子」参照)

*30:『犬猫』(2004年)でトリノ国際映画祭審査員特別賞、国際批評家連盟賞、最優秀脚本賞を受賞(ウィキペディア井口奈己」参照)

*31:東京大空襲をテーマとした高木敏子の児童小説のアニメ映画化(ウィキペディアガラスのうさぎ」参照)

*32:1937年、石坂洋次郎のベストセラー小説を映画化した『若い人』が興行的に大成功、キネマ旬報ベストテン第6位にランクインされて認められるようになった。1940年にハンセン病(らい病)患者を献身的に治療する女医の姿を描いた『小島の春』を発表。キネマ旬報ベストテン1位にランクインされたが、ハンセン病の誤った知識や対処法を原作(小川正子)どおりに描いたため、現在では批判も多い(ウィキペディア豊田四郎」参照)。

*33:1950年、『また逢う日まで』でブルーリボン賞監督賞、キネマ旬報ベストテン第1位を受賞(ウィキペディア今井正」参照)

*34:源氏鶏太のサラリーマン小説の映画化。森繁久弥出世作としても知られる(ウィキペディア「三等重役」参照)。

*35:『怪談』(1965年)でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を、『上意討ち 拝領妻始末』(1967年)でヴェネツィア国際映画祭国際映画批評家連盟賞、キネマ旬報ベストテン第1位を受賞(ウィキペディア小林正樹」参照)

*36:家族ゲーム』(1983年)でキネマ旬報ベストテン第1位、ブルーリボン賞監督賞を受賞(ウィキペディア森田芳光」参照)

*37:1947年、『銀嶺の果て』で監督デビュー。これは三船敏郎の俳優デビュー作でもあり、キネマ旬報ベスト・テン7位を受賞(ウィキペディア谷口千吉」参照)

*38:カタルーニャ州の州都

*39:七人の侍』(1954年)でヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞(ウィキペディア黒澤明」参照)

*40:雨月物語』(1953年)でヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を、『近松物語』(1954年)でブルーリボン賞監督賞を受賞(ウィキペディア溝口健二」参照)

*41:著書『吉田松陰の恋』(1986年、文春文庫)、『失楽園の武者:小説・大内義隆』(1990年、講談社文庫)、『幕末長州藩の暗闘:椋梨藤太覚え書』(1991年、徳間文庫)、『高杉晋作』(1995年、文春文庫)、『毛利元就とその時代』(1996年、文春文庫)、『幕末長州藩の攘夷戦争』(1996年、中公新書)、『山河ありき:明治の武人宰相・桂太郎の人生』(2002年、文春文庫)、『花も嵐も:女優・田中絹代の生涯』(2004年、文春文庫)、『天辺の椅子:日露戦争児玉源太郎』(2010年、ちくま文庫)、『斜陽に立つ:乃木希典児玉源太郎』(2011年、文春文庫)、『新装版・花冠の志士:小説久坂玄瑞』(2014年、文春文庫)、『松下村塾』(2014年、講談社学術文庫)など

*42:ベルリン五輪の記録映画で知られてる例の人です。「ナチ美化の問題はともかく」映画監督としては評価されてると思いますが、「女優としては」そうでもないと思います。

*43:この指摘が事実かどうかはググった限りではよくわかりません。

*44:第1次伊藤内閣外相、黒田内閣農商務相、第2次伊藤内閣内務相、第3次伊藤内閣蔵相など歴任。元老の一人

*45:首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など歴任。元老の一人。

*46:参議、文部卿、内務卿を歴任

*47:陸軍卿、内務卿、第1次伊藤、黒田内閣内務相、第2次伊藤内閣司法相、首相、枢密院議長、参謀総長など歴任

*48:参議、大蔵卿、内務卿を歴任

*49:参議、陸軍大将、近衛都督を歴任

*50:1991年刊行

*51:著書『高杉晋作奇兵隊』(1985年、岩波新書)、『小国主義:日本の近代を読みなおす』(1999年、岩波新書)、『明治維新』(2000年、岩波ジュニア新書)、『吉田松陰』(2001年、中公新書)、『明治維新と西洋文明:岩倉使節団は何を見たか』(2003年、岩波新書)など

*52:沖縄の郷土信仰における「天国」「極楽浄土」のようなものらしい。

*53:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相などを経て首相

*54:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*55:小渕内閣農水相、小泉経産相麻生内閣財務相など歴任

*56:拓殖大学教授。新しい教科書をつくる会理事、国家基本問題研究所理事など歴任。2009年の正論大賞新風賞受賞者。著書『小澤征爾』(2004年、PHP新書)、『政権交代まぼろし』(2010年、産経新聞出版)、『福田恆存三島由紀夫 1945〜1970(上・下)』(2010年、麗澤大学出版会)など

*57:学習院大学教授。新しい歴史教科書をつくる会理事。著書『近代日本精神史論』(1996年、講談社学術文庫)、『新しい福沢諭吉』(1997年、講談社現代新書)、『歴史教育を考える:日本人は歴史を取り戻せるか』(1998年、PHP新書)、『国家学のすすめ』(2001年、ちくま新書)、『スクリーンの中の戦争』(2005年、文春新書)、『市場・道徳・秩序』(2007年、ちくま学芸文庫)など