なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(6) - 高世仁のジャーナルな日々
拙記事珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/1日分)(副題:『即時一括全員帰国路線が二人を見捨てた』という高世の救う会、家族会批判に驚く) - bogus-simotukareのブログで批判した高世記事なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(5) - 高世仁のジャーナルな日々の続きです。
私たちが取材した元北朝鮮工作員、安明進の「横田めぐみさん目撃」証言を、真っ赤なウソだと非難する著名人(例えば和田春樹*1東大名誉教授ら)もいた。
いや俺の認識では「他の人間はともかく」和田氏はそこまでは言ってないと思いますが。
【1】亡命直後はマスコミ取材に対して「横田めぐみ拉致」については何も言っていなかった安が今頃そう言いだした理由が不明、【2】実はめぐみさん拉致は安の直接体験ではなく「知人の工作員からそう聞いた」という伝聞証言であり、どこまで信用できるか?(酷い場合は安や「安に話をした工作員」が嘘をついている、そこまで酷くなくても安の誤解や記憶違いがありはしないか?)、という疑念表明に過ぎなかったと思いますが。高世が「いや真っ赤な嘘だと言った」というのなら「いつ(when)、どこ(where:和田氏の著書、和田氏の講演会、高世の和田取材など)で、和田氏がそういった」のか証拠を出して欲しいもんです。
いずれにせよ未だに『高世のバカ』は和田氏を敵視してるんでしょうか?。今や和田氏同様に「北朝鮮打倒否定」「バーター取引容認」「段階的帰国容認」に立場を変えたのに。少しは「早い段階で段階的帰国、バーター取引を主張した和田氏の方が正しかった。私の方が間違っていた」といったらどうなのか。
なお、ご存じの方もいるでしょうが刑事裁判では原則として「Aから聞いた(Bの証言:この場合のBは実は警官や検事がAから事情聴取したという場合も含まれます)」という「伝聞証言」は証拠として使えません。また、民事裁判では「刑事裁判と違い伝聞証言も証拠として使えます」が「証言としての価値は劣る」と一般に評価されます。
(こうした「伝聞証言が刑事裁判では原則、証拠として使えない」という事実については「法律素人なので細部では誤解があるかもしれないが」と断った上で、和田氏も安証言を疑問視する理由として指摘しています)。
なぜなら「Aが架空の人物(普通の場合はそんなことはありませんが、安の場合は、この可能性すら否定できません)」「Aはそんなこと言ってない(Bが嘘をついてる、またはディスコミュニケーションによるBの誤解(いわゆる伝言ゲーム問題))」の可能性があるからです。また「伝聞証言」は「法廷で弁護側が、Aに反対尋問で突っ込めない」という問題もある。
この辺り詳しく知りたい方は「俺も法学部卒のくせに不勉強でうまく説明できない」ので専門書でも読んでください。
原則として「Aの証言」は「Aが法廷で証言する場合」のみ使える。「話が脱線しますが」、実はロッキード裁判で問題となった「いわゆるコーチャン証言(これについては例えば立花隆『ロッキード裁判批判を斬る』(朝日文庫) が論じている)」も「伝聞証言の問題」の一つです。
ただし「諸事情でAの証言が得られない場合(Aが既に病死してるなど)」などは例外的に伝聞証言でも使えます。「話が脱線しますが」、コーチャンの場合も「日本の法廷に行ったら逮捕、起訴される恐れがある」として、彼が法廷出廷を拒否しているという特殊事情があったわけです(最高検は「(法廷証言を得るために)刑事訴追しない方針」と公言していたのですが)。
家族たちは、ごく普通の会社員であり、大工であり、主婦だったのだから、支援者たちに頼りきりになったのはごく自然な成り行きだった。
高世らしい言い訳ですが、全然自然ではありませんね。「支援者と当事者の関係」があそこまで主客転倒して「本末転倒」なのは「救う会と家族会」位ではないのか。
北朝鮮報道は視聴率がとれた。
それが救う会や家族会や高世を勘違いさせ、暴走させたわけですが、今や拉致など誰も興味を持ってない。
まあ、2002年小泉訪朝当時の「拉致ブーム」については「今のウクライナ戦争ブーム」みたいなもんだと言えば当時を知らない若者(20年前の2002年当時はまだ生まれてなかったり、幼児だったりした10~20代)にもわかりやすいでしょう。プーチンについて今、テレビが悪口するように北朝鮮が悪口されていたわけです。そして専門家として今、小泉悠などがテレビ出演するように救う会の西岡や荒木がテレビ出演していた。
それにしても「日本人拉致(北朝鮮)」「ウクライナ侵攻(プーチンロシア)」の非道を非難した上での話ですが、今日のしんぶん赤旗ニュース(2022年6/2日分:軍拡反対が共産党しかない惨状に絶句する、ほか) - bogus-simotukareのブログという状況には「岸田も拉致を利用して首相に成り上がった安倍のように、ウクライナ侵攻を不当に『軍拡』に政治利用するのか?」「それをマスコミはろくに非難もせず日本人も踊らされるのか?(勿論、今後そうした企みをあらゆる手段で阻止する必要があり、まずは参院選での奮闘でしょうが)」感を禁じ得ません。
そしてウクライナ侵攻についてロシア非難しかせず、「岸田の企み(軍拡など)」をろくに非難しない高世は「拉致とまた同じ過ちを現在やっている」と言っていいのではないか。
勿論「拉致の時→救う会に公然と加担」「今回→岸田の軍拡放言などを批判しない物の、応援もしない」という意味では「拉致の時」の方が高世の罪は「より重い」ですが。
私も(ボーガス注:視聴率目当て、金儲け目当てで?)「家族会」と「救う会」には最大限協力した。
その協力とやらに高世仁の幼稚なデマ自慢を平然と垂れ流すNHKの馬鹿さとクズぶりに本気であきれ返る - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が批判する「卑劣な政治工作」も含まれるのでしょう。そしてこの期に及んでも高世は「卑劣な政治工作」の事実を認める気はないようです。
取材で得た重要な情報を「救う会」幹部に提供したこともある。拙著『拉致』(講談社文庫、2002年)では「あとがき」を、拉致問題に関心を持った方は「救う会」に連絡を取っていただきたいと結んでいる。
おいおいですね。それはこれじゃあ「ジャーナリスト」でなくて「反北朝鮮活動家」だ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)という話です。
私は北朝鮮による拉致問題の存在を日本と世界に知らしめた*2点において、また北朝鮮という国家の本質を国民と政治家に啓蒙した点において、「救う会」の貢献は決定的だったと高く評価している。
おいおいですね。その後の救う会の「田中均氏や蓮池透氏への酷い個人攻撃」「特定失踪者デマの垂れ流し」などといった「トンデモ右翼」ぶりを考えればとてもそんな高い評価はできないでしょう。
かつて「救う会」の立ち上げ期に大きな貢献をした、先に挙げた小島晴則さんや兵本達吉さんなど、かつて「井戸を掘った人」たち*3ははるか以前に「排除*4」されている。
では地域の組織の代表者はと見ると、多くが政治活動家である*5。
目立つのは保守政治団体「日本会議」の各地の幹部(愛知、福岡、宮崎、佐賀、熊本、長崎)で、他に「頑張れ日本」役員、日本維新の会の政治家もいる。
山梨の代表は、「第2の森友事件」と言われる財務省の不当な国有地売却疑惑で揺れる学校法人の理事長ではないか。
何から何まで森友そっくり! 国有地疑惑の「日本航空学園」極右教育と安倍政権との関係|LITERA/リテラ2018.1.18*6
「小島らの排除で救う会が右翼団体に変質した」かのようなこうした「高世の物言い」は
【1】小島や兵本も「打倒北朝鮮」の極右である
【2】小島や兵本が在籍した頃(2004年に除名されるまで小島らは救う会に在籍)から救う会は田中均氏などへの個人攻撃をしていた、田中氏がテロの対象となった建国義勇軍事件(刀剣友の会事件)が発生したのも、小島らが排除される2004年より前の2002~2003年である
のだから「高世が自分の救う会万歳を正当化するため」の完全なデマです。
大体、兵本など、
兵本達吉 - Wikipedia参照
1998年、「共産党職員の定年退職後の再就職先斡旋を公安警察の関係者に依頼した」として、日本共産党から「党員にあるまじき行為」として除名処分
ということで1998年に共産党を除名されたあげく、『日本共産党の戦後秘史』(2008年、新潮文庫)という反共本*7を書くような反共右翼なのに何を高世はバカなことを言ってるのか。
兵本については
◆兵本元秘書らの「告発」/日本共産党広報部がコメント2002.4.6
◆「拉致調査妨害」など事実無根/前参議院議員 橋本敦2002.11.17から一部引用
『文藝春秋』十二月号は、「不破共産党議長を査問せよ」と題する兵本達吉氏の一文を掲載しました。これにたいし、日本共産党はただちに反論の掲載を要求し、橋本敦前参議院議員が執筆した反論を、同誌編集部に届けましたが、同誌はその掲載を拒否しました。橋本氏の原稿全文を本紙に掲載します。
【橋本敦】
『文藝春秋』二〇〇二年十二月号に「不破共産党議長を査問せよ」などという一文が掲載された。「日本共産党こそ拉致調査を妨害した元凶である」と言うのが、その内容のすべてであり、ウソと中傷に満ちたものである。その筆者が、私の参議院議員時代の秘書だったものであるだけに、彼をよく知るものの一人として、また日本共産党国会議員団のなかにあって、拉致問題究明にいささか力を尽くしてきたものの一人として、真実を明らかにすることは、私の責任でもあるだろう。
(中略)
以上の事実と経過にてらせば、本誌(『文藝春秋』)十二月号で私の元秘書兵本君が「日本共産党こそ拉致調査を妨害した元凶である」などと断じていることのでたらめさは、あまりにも明白であろう。
兵本君は、彼の除名そのものが、拉致問題調査への妨害だったといいたいらしい。とんでもない話だ。大体、彼は、九八年三月で定年を迎えていた。彼の活動をやめさせたければ、そこで退職させればよかったはずだが、実際には、私も、国会議員団事務局も、彼の半年間の定年延長を党本部に要請し、党本部もそれを了承した。拉致問題は除名とはまったく無関係なのである。
問題は、この定年延長の間の九八年五月、『文藝春秋』の彼の一文でも引用しているとおり、彼が、赤坂の料理屋で警視庁警備公安警察官と会食し、彼の退職後の就職の斡旋について面接を受け、自分の採用を事実上依頼する対応をしたことだったのである。
警備公安警察は、日本共産党対策を中心任務とする秘密政治警察の核心であり、日本共産党は公安調査庁とともにその廃止を要求している。こういう警察官の「面接」を受け就職斡旋を依頼するなどということが、党員として許されないのは、当たり前ではないか。こうして兵本君は、定年延長期限が切れる八月末の直前に除名処分となり、秘書を罷免となっている。兵本君がその後、秘密政治警察など党破壊勢力の手先の役割を、手を変え品を変えて忠実に果たすに至っていることは、周知の事実だ。
兵本君は、「〔日本共産党が〕拉致問題を棚上げすることによって、日本国政府より先に北朝鮮と関係正常化を図る。いち早く良好な関係を築けば、利権の確保も狙える。こういった目論見があれば、拉致被害者の存在など日本共産党にとって邪魔者でしかない。拉致問題への数々の妨害行為も納得がいくというものだ」と述べている。日本共産党の「数々の妨害行為」「拉致問題棚上げ」などというありもしないものをウソを交えてでっち上げた結果、そのつじつま合わせに、日本共産党は北朝鮮との良好な関係を築いて「利権をねらっているのだ」という、荒唐無稽なでっち上げを積み重ねるところまで、兵本君は落ちている。もはや言うべき言葉もない。
◆視聴者を欺く「ノンフィクションドラマ」の虚構2003.9.14から一部引用
兵本氏の除名についても真相はこうです。橋本質問から十年後の一九九八年三月に定年を迎えた兵本氏が、半年の定年延長中の退職間際の五月に、東京・赤坂の料理屋で警察庁の警備公安警察官と会食し、国会議員秘書を退職した後の「就職」あっせんを依頼していたことがわかり、日本共産党から除名されたのです。日本共産党などにたいし、違法な情報収集や謀略活動をおこなっている警備公安警察の関係者とひそかに会い、「就職」あっせんを依頼することは、日本共産党員と両立しないからです。拉致事件とは関係ありません。
◆フジテレビ12日夜放映「完全再現!北朝鮮拉致“25年目の真実”」/「ノンフィクションドラマ」をうたった番組は/日本共産党にかんする事実をどう偽ったか2003.9.17から一部引用
「拉致問題」は除名とはまったく無関係です。
問題は、この定年延長の間の九八年五月十八日、兵本氏が、赤坂の料理屋で警察庁警備公安警察官と会食し、彼の退職後の就職の斡旋について面接を受け、自分の採用を事実上依頼する対応をしたことです。
このことは、党が一方的にいいだしたことではなく、もともと兵本氏が、当時国会の同僚秘書に「退職後の身の上相談」としてもちかけた内容が「離党」と警備公安警察官との仕事の相談という重大なものだったので、国会議員団事務局のメンバーが兵本氏に直接事情を聞いたところ、警備公安警察官との就職斡旋の面接の事実が明らかになったのです。
警備公安警察は、日本共産党対策を中心任務とする秘密政治警察の核心であり、日本共産党は公安調査庁とともにその廃止を要求しています。こういう警察官の「面接」を受け、就職斡旋を依頼するなどということは、党員と両立することではありません。しかも、兵本氏は、党からの指摘を受けながら、自己の行為を正当化し反省することをしませんでした。
一九九八年八月二十日、日本共産党中央委員会統制委員会は、党規約にもとづき、重大な規律違反行為として、除名処分を決定し、兵本氏に通知しました。
兵本氏は、除名された当初、警察庁警備公安警察官のことについては「政府関係者」とごまかしていました。しかし、『文芸春秋』昨年十二月号の日本共産党攻撃の一文では、除名のさいの「通知書」を引用して「これはいかにも作為に満ちた文書だ。第一に私が会ったのは警察官だけではない。その場には内閣官房や外務省の官僚もいた」と言い出しました。語るに落ちるとはこのことで、警察庁の警備公安警察官と会食し、警備公安警察がかかわる機構への参加を求められたことまで告白しているのです。
兵本氏が警備公安警察官に就職斡旋を依頼したがゆえに除名されたことは、本人もくりかえし認めた動かしがたい事実であり、「拉致問題」で除名されたかのように描く「再現ドラマ」はまったくの虚構です。
◆兵本元秘書らの告発/東京地検が再度不起訴2003.12.6
も紹介しておきます。2002年時点で「日本共産党が拉致調査を妨害している」とデマで共産党を誹謗するような兵本の何が評価できるのか?(呆)
救う会は創設当初からウヨの集まりだったし、その目的は創設当初から「打倒北朝鮮」でした。その事実を未だに認めようとしない「デマ屋」高世には心底呆れます。よくkojitakenのバカも
中公新書から中北浩爾『日本共産党』、黒木登志夫『変異ウイルスとの闘い』が発売された - kojitakenの日記
最後に蛇足だが、本記事からリンクを張った高世仁氏は、某人によって「珍右翼」なるレッテルを貼られて以前から攻撃され続けている。某は最近では弊ブログの攻撃にも熱心だが、私の見るところ「珍右翼」とのレッテルは某自身にこそふさわしい。なぜなら某は極端なまでの権威主義者であって、下手なネトウヨなんかよりもよっぽど右翼的と思われるからだ。私はこの人士を稀に見る醜悪な心性の持ち主であるとして心底から軽蔑している。このことは以前にも書いたが、高世氏のブログにリンクを張ったことをきっかけとして改めて申し述べておく。
などとほざいて高世を擁護できるもんです。つうか、そもそもkojitakenは「敵(ボーガス)の敵は味方」レベルで高世を擁護したに過ぎず、俺の高世批判についてその内容を恐らくまともに理解してないでしょうが。
id:kojitakenの馬鹿には「薄らバカは黙ってろ」「見識のないクズがブログ記事なんか書くな」といいたい。俺はkojitakenの高世並みの「不誠実さ」「下劣さ」にはマジで怒っています。
まあ、それはともかく、仮に「小島や兵本の排除」で救う会が変質したのだとしても彼らの「排除」は大分昔です。
例えば小島と兵本の「救う会排除」は兵本達吉 - Wikipediaによれば、今から「18年も昔の2004年」です。
従って、仮に「小島や兵本の排除」で救う会が変質したのだとしても高世が最近まで救う会批判から逃げていたことを何ら正当化しません。
大体何故、小島と兵本が「救う会から排除された」のかと言えば
兵本達吉 - Wikipedia参照
◆2004年6月23日、救う会の佐藤勝巳会長(当時。後に会長を辞任)、西岡力副会長(現会長)が救う会への寄付金1,000万円を着服した疑いがあるとして、佐藤と西岡を、小島晴則救う会幹事(当時)とともに兵本(当時、救う会理事)は業務上横領で刑事告発した
◆兵本は『週刊新潮』2004年7月29日号記事「灰色決着した救う会『1000万円』使途問題」で佐藤を非難。これに対して2004年12月、『会の方針に反して、週刊誌(「週刊新潮」)の取材に対し憶測に基づく言動を行なった』として全会一致の賛成で「救う会」理事を解任された
という事情です。
この告発が虚偽なら兵本、小島の行為は「虚偽告訴や名誉毀損に該当する犯罪行為」です。
一方で事実なら、悪いのは「業務上横領の犯罪者」佐藤や西岡の方ですが、勿論「佐藤や西岡のようなゴロツキ」が自分の非を認めるわけもない。
どっちにしろこれで完全に「佐藤、西岡という当時の救う会主流*8」を敵に回した小島と兵本は「排除されるわけですが」それはさておき。
問題は
かつて「救う会」の立ち上げ期に大きな貢献をした、先に挙げた小島晴則さんや兵本達吉さんなど、かつて「井戸を掘った人」たちははるか以前に「排除」されている。
とまるで彼らの排除が「(西岡会長や島田副会長ら救う会の現執行部による)不当な粛清」でそれによって「救う会が間違った方向に変質した」かのように書く*9高世は「兵本や小島の佐藤、西岡への非難(業務上横領呼ばわり)」をどう評価するのかと聞けば恐らく「しどろもどろ」でしょう。
まさか
かつて「救う会」の立ち上げ期に大きな貢献をした、先に挙げた小島晴則さんや兵本達吉さんなど、かつて「井戸を掘った人」たちははるか以前に「排除」されている。
と書きながら「兵本や小島による『佐藤や西岡に対する非難』は誹謗だ、虚偽告訴や名誉毀損に当たる。佐藤も西岡も横領などしてないし、横領したと疑われるような落ち度もない」とはいえないでしょう。「横領主張が虚偽なら、排除されて当然じゃん!」と高世はいわれてしまう。
とはいえ、「兵本や小島の『佐藤や西岡に対する非難』は正しい。佐藤や西岡には横領の疑いがある」といえば「2004年時点で業務上横領の疑いが出てきた人間(佐藤や西岡)が幹部の組織なんかお前は今まで何一つ批判しないで、ずっと支持してたのか、高世!」つう突っ込みを確実に受ける。
結局、高世は「救う会を支持した、昔の私は完全に間違っていました」と降参するしかないのですが、恐らく「プライドの高さから」今に至ってすら降参したくないからこそ
かつて「救う会」の立ち上げ期に大きな貢献をした、先に挙げた小島晴則さんや兵本達吉さんなど、かつて「井戸を掘った人」たちははるか以前に「排除」されている。
と書き「小島らの排除で救う会が変質した」かのようにデマを飛ばしながら小島らの排除理由となった「佐藤や西岡の業務上横領疑惑(小島や兵本の主張による)」に触れずに逃げるわけです。どこまで高世は「愚劣な卑怯者」なのか。
勿論この「業務上横領騒動→兵本と小島の排除」もおそらくは蓮池透氏の「救う会に対する疑念」を深めたでしょう。
【参考:「井戸を掘った人」たち】
飲水思源 | 奈良トヨタ|おかげさまで創立80周年
「水を飲む者は、その源に思いを致せ」という中国の故事成句の一つ。”物事の基本を忘れずに大切にするべき”または、”他人から受けた恩を忘れてはいけない”という戒めの言葉です。
高碕達之助 - Wikipedia参照
1885~1964年。1917年、東洋製罐を創立。1942年、満州重工業開発総裁に、1952年、電源開発総裁に就任。その後、政界に進出し、鳩山内閣経済企画庁長官、岸内閣通産相など歴任。1962年にいわゆるLT貿易覚書を締結。1964年2月24日に死去(享年79歳)。死去に際して、親交の深かった周恩来首相(1898~1976年)は「このような人物は二度と現れまい」と哀悼の言葉を述べた。
【参考文献】
◆牧村健一郎*10『日中をひらいた男・高碕達之助』(2013年、朝日選書)
大阪府立茨木高校,三島野高校,旧制茨木中学校同窓会「久敬会」WEBサイト » 活躍している卒業生 » 「偉大な先輩 高碕達之助氏の生き様を知ろう!」2014年07月22日(火)
昨年(2013年)12月に発売された「日中をひらいた男・高碕達之助」(朝日選書、牧村健一郎著)を読まれた久敬会員より、是非、多くの茨高関係者(卒業生を含む)に推薦図書として紹介して欲しいとの強いご要望を頂きました。実際、読みましたが、ご指摘の通りでしたのでホ-ムページで紹介させて頂きます。
まず、本書の要約をしておきます。
《『高碕さん、私はあなたを存じ上げてますよ』。
周恩来はにこやかに切り出し、戦後初となる日中会談を始めた。1955年バンドン会議開催直前に行われたこの会談は、7年後の日中LT貿易、17年後の日中国交正常化への道を切り開く。
対する高碕達之助*11は、外交官ではなく、国内では外交手腕は未知数といわれ、バンドン会議への出席もいわばピンチヒッターだったが、戦前から中国やアメリカをよく知る経済人だった。米フーバー*12大統領、ソ連フルシチョフ首相、エジプト大統領ナセル、インド首相ネルーなど世界のトップリーダーと懐を開いて交わり、敗戦国日本を再浮上させた桁外れな男の生涯を描き出す。》
こんな偉大な先輩が卒業した学校で自分が学んでいたことを誇りに思い、茨高*13に対する思いがさらに強くなりました。
この本の帯には「高碕なくして日中貿易はなかった。日中関係者必読の書」と書かれていますが、私は、敢えて「茨高関係者必読の書」と思い、紹介させていただいた次第です。
岡崎嘉平太 - Wikipedia参照
1897~1989年。経営危機に陥っていた池貝鉄工(1949年)と丸善石油*14(1951年)の社長に就任し、再建にあたった。1952年には全日本空輸(全日空)の前身である日本ヘリコプター輸送副社長となり、1961年には社長に就任。
日中(中華人民共和国)間の経済交流推進に取り組み、1954年に日本国際貿易促進協会常任委員に就任。1962年には高碕達之助とともに訪中しLT貿易協定を結んだ。1968年以降は日中覚書貿易事務所代表として訪中を重ねながら、日中国交正常化に尽力する。周恩来首相とも親睦を深め「兄(1897年生まれの岡崎が、1898年生まれの周恩来より1歳年上)、弟」と呼び合うほどの信頼関係を築いたという。
日中国交正常化の際には、田中首相が中国を訪問する2日前、周恩来は岡崎をもてなすために、食事会を開いた。
「中国には『水を飲むときには、その井戸を掘ってくれた人を忘れない』という言葉があります」「まもなく田中総理は中国に来られ、国交は正常化します。しかしその井戸を掘ったのは岡崎さん、あなたです。」と言ったという。
井戸を掘った人を忘れない: 日本経済新聞2018年3月31日
中国人は恩義を忘れず、困ったときに受けた支援を後々までおぼえている*15という意味のことわざ。共産党政権成立後、このことわざに即した毛沢東の農民支援のエピソードが中国の小学生用の教科書に採用され、誰もが知る表現となった。
毛沢東ら中国共産党は1930年代前半、江西省瑞金を根拠地に国民党政権に対抗した。そのときに瑞金郊外の農民の水不足を救うため、毛沢東が紅軍(人民解放軍の前身)を率いて井戸を掘ったとされる。農民は毛沢東に感謝し、新中国成立後に「水を飲むとき井戸を掘った人を忘れない」と書いた石碑*16を建てたという。
1972年9月、日中国交回復の際に中国の周恩来首相(当時)は、丸善石油、全日本空輸などの社長を務めた財界人の岡崎嘉平太にこの言葉を贈った。国交回復前の60年代、日本は保守政界を中心に反共の空気が強かったが、岡崎は財界出身の政治家である高碕達之助とともに1962年に訪中し、「日中長期総合貿易に関する覚書」(通称LT協定)を結んだ。LT協定をきっかけに日中間の経済交流が活発となり、1972年の国交回復につながっていった。
周恩来は岡崎を高く評価していたといわれ、井戸を掘った人を忘れないという言葉で功績をたたえた。
高崎や岡崎のような「親中国の財界人」が国交正常化前からいる一方で、正常化後も死もまた社会貢献である(葛西敬之の死についての感想。あと三村会頭の発言になんとなく「ほめ殺し」の雰囲気を感じる) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が批判する葛西のような「反中国の右翼財界人」もいたわけです。しかし高崎や岡崎レベルの大物なら周恩来が追悼の言葉を述べるのも当然ですが、彼らも「歴史に名を残した」と言っていい。
*1:北朝鮮、韓国関係の著書として『金日成と満州抗日戦争』(1992年、平凡社)、『北朝鮮:遊撃隊国家の現在』(1998年、岩波書店)、『日朝国交交渉と緊張緩和』(編著、1999年、岩波ブックレット)、『朝鮮戦争全史』(2002年、岩波書店)、『朝鮮有事を望むのか:不審船・拉致疑惑・有事立法を考える』(2002年、彩流社)、『東北アジア共同の家:新地域主義宣言』(2003年、平凡社)、『同時代批評:日朝関係と拉致問題 2002年9月~2005年1月』(2005年、彩流社)、『これだけは知っておきたい日本と朝鮮の一〇〇年史』(2010年、平凡社新書)、『北朝鮮現代史』(2012年、岩波新書)、『慰安婦問題の解決のために』(2015年、平凡社新書)、『アジア女性基金と慰安婦問題:回想と検証』(2016年、明石書店)、『米朝戦争をふせぐ:平和国家日本の責任』(2017年、 青灯社)、『韓国併合110年後の真実:条約による併合という欺瞞』(2019年、岩波ブックレット)、『朝鮮戦争70年』(共著、2020年、かもがわ出版)、『慰安婦問題の解決に何が必要か』(2020年、青灯社)など
*2:「日本に知らしめた」のはともかく「世界には知らしめてない」でしょう。「世界に知らしめた」のはむしろ「小泉訪朝」です。まあその世界にしたって「自らが当事者ではない」拉致問題には大して興味もないでしょうが。我々、日本人だって海外のことになど大して興味はないですし。
*3:中国が「日中友好の基盤を築いた人間(いわゆるLT貿易 - Wikipediaの高碕達之助 - Wikipedia氏、日中国交正常化の田中首相、大平外相など)」を評価するときによく使う言葉です。「井戸の水を飲むときは掘った人間のことを忘れない」という意味の中国の格言飲水思源 - Wikipediaが元ネタです。
*4:「排除」云々を問題にするのならむしろ「蓮池透氏の家族会からの排除(2010年)」の方がよほど重要な問題でしょう。
*5:というか小島や兵本が「排除される前」から救う会はそういう右翼団体ではないのか。だからこそ救う会地方幹部によって2002~2003年に「田中均氏や野中広務氏、社民党など(北朝鮮に甘いと建国義勇軍が認定した個人、団体)」を攻撃する建国義勇軍事件(刀剣友の会事件:2003年に主犯の村上一郎 (建国義勇軍) - Wikipedia が逮捕される)が起きたのではないのか。なお「2002~2003年」時点で救う会の問題点が「建国義勇軍事件」という形で表面化していたことを認めたくないからでしょうが、高世がこの記事で建国義勇軍事件について何一つ触れないことには心底呆れます。
*6:そもそもこの高世の強弁を認めたところで「この山梨の疑惑が報じられたのは2018年」でその頃は高世はまだ救う会万歳でした。「救う会は変質した(高世)」で言い逃れできる話ではない。
*7:但しググってもヒットする兵本の本はこれだけです。右翼活動家として、兵本はウヨ業界から無能扱いされたわけです。
*8:ただし「西岡が今も幹部(会長)」なのに対して、何故かその後、佐藤は会長を首にされ、副会長・西岡が会長に成り上がり、佐藤の腹心だった荒木和博も事務局長を首になった(その結果、荒木は特定失踪者調査会、予備役ブルーリボンの会を新たに設立し代表に就任)と言うことは佐藤や荒木には後ろ暗いところがあったんでしょうか?
*9:但しそれが事実だとしても、小島や兵本の排除に「排除時点で」抗議しなかった以上、高世は非難を免れません(俺はそうした高世の救う会評価は事実でないと思いますが)。いずれにせよ、どう高世が言い訳しようが高世の行為は「俺は悪くなかった」と居直れる行為ではない。
*10:1951年生まれ。朝日新聞校閲部、アエラ編集部、学芸部、be編集部などに在籍(アマゾンの著者紹介)。著書『新聞記者・夏目漱石』(2005年、平凡社新書)、『獅子文六の二つの昭和』(2009年、朝日選書→後に『評伝・獅子文六』と改題し、2019年、ちくま文庫)、『漱石と鉄道』(2020年、朝日選書)
*11:周との会談当時は鳩山内閣経済審議庁(後の経済企画庁)長官
*12:原文のまま。フルシチョフ、ナセル、ネルーが「戦後の政治家」なのに対しフーバーだけは「戦前の政治家(戦後も重鎮扱いされたものの、大統領だったのは戦前)」ですがこれは誤記なんでしょうか?。フルシチョフやナセル、ネルーが活躍した時代なら米国大統領は例えばアイゼンハワーやケネディですが。
*13:但し高崎の在籍当時は旧制・茨木中学
*15:そういう「事実認識の問題」ではなく「人間とはそうあるべきだ(恩義を忘れてはいけない)」という「価値観の問題」がこのことわざなのでミスリーディングな記事です。