高世仁に突っ込む(2025年7/29日分)

なぜ?ウクライナで反政府デモ - 高世仁のジャーナルな日々

 政府がおかしなことをすれば、人々がきちんと意思表示するのがウクライナです。

 とはいえ

 ウクライナ国営通信などによると、法律は、政府高官の汚職に特化して捜査・訴追する「国家汚職対策局」(NABU)と「特別汚職対策検察」(SAPO)の2機関の権限を制限し、検察当局が捜査に介入できるようにするという内容だ。今回の法成立によって、2機関は大統領が任命する検事総長の監督下に事実上置かれることになり、独立性が大きく損なわれるとの見方が出ている。
 NABUとSAPOは6月、ゼレンスキー氏に近いとされるオレクシー・チェルニショウ*1副首相(当時)が、汚職事件の捜査対象となっていると公表。

という高世が紹介する記事からは「ゼレンスキーにかなり問題があること」が窺えます。
 「ロシアを利したくは無い」とは言え、彼が大統領のママで果たしていいのか(但し、高世に寄れば、批判派の多くはゼレンスキー政権打倒までは考えてないようですが)。
 なお高世は「ウクライナ贔屓、反ロシア」とはいえ、こうしたゼレンスキー批判をする点は「何一つゼレンスキー批判しないkojitaken」よりずっとましです。kojitakenは高世を見習って少しはゼレンスキー批判しろと言いたい。
 なお、戦時下なら「政府が何でも出来るか」といえばそれは違います。
 それについては拙記事
『銃後』とは『自由』な『自己実現』ができる時代だった(副題:NHKスペシャル「銃後の女性たち―戦争にのめりこんだ‟普通の人々”」) - bogus-simotukareのブログ(2021.8.26)や

新刊紹介:「歴史評論」2025年8月号 - bogus-simotukareのブログ(2025.7.19)
◆戦時日本の娯楽と文化(金子龍司*2
(内容紹介)
 小磯*3内閣の緒方竹虎*4情報局総裁による「言論暢達政策(言論統制緩和)」について論じられている。
 過大評価は出来ないが、戦時下においてずっと言論や文化の統制が行われていたわけではなく、「戦意高揚」「小磯以前の東条*5内閣からのイメージチェンジ」を狙って、小磯内閣が「一定の言論、文化統制の緩和」を行ったことが、菊田一夫*6『流れる水のごとく:芝居つくり四十年』(1967年、オリオン出版社→1999年、日本図書センター)、古川ロッパ*7古川ロッパ昭和日記・戦中篇(昭和16年~昭和20年)』(1987年、晶文社)等、「当時の芸能関係者の回想(菊田は菊田一夫演劇賞で知られる脚本家、ロッパは矢野誠一*8エノケン・ロッパの時代』(2001年、岩波新書) 等で分かるように、「エノケン榎本健一(1904~1970年)とともに戦前を代表する喜劇役者)」等を題材に論じられている。
 【1】「天皇主権」の戦前でも「政策がずっと一定したわけではないこと(東条内閣期は言論統制色が強かった*9が、小磯内閣は若干統制を弱めた)」、【2】文化統制についても「だらけることは許されない。厳しく締めた方が戦意高揚につながる(東条内閣)」「いやむしろ娯楽を認めた方が戦意高揚につながる(小磯内閣)」という意見の違いが見られるという指摘が興味深い。
(以下略)

を紹介しておきます。

*1:2019年10月28日、ゼレンスキー大統領よりキーウ州知事に任命された。2020年3月4日、コミュニティ・地域開発相に任命された。2022年11月4日、ウクライナ政府より石油・ガス会社「ナフトガス・ウクライナ」の会長に任命された。2024年12月3日、国家団結相兼副首相に任命された。2025年7月16日に副首相を辞任(オレクシー・チェルニショフ - Wikipedia参照)

*2:宮崎公立大学講師。著書『昭和戦時期の娯楽と検閲』(2021年、吉川弘文館

*3:1880~1950年。陸軍省軍務局長、陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官、平沼、米内内閣拓務大臣、朝鮮総督、首相等を歴任。戦後、終身刑で服役中に病死。後に靖国に合祀

*4:1888~1956年。戦前、朝日新聞政治部長、編集局長、常務、専務、副社長、小磯内閣情報局総裁を、戦後、東久邇宮内閣書記官長、吉田内閣官房長官、副総理、自由党総裁を歴任

*5:1884~1948年。関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*6:1908~1973年。1933年、古川ロッパらにより旗揚げされた劇団「笑の王国」に座付き作家として参加。1935年(昭和10年)ロッパが「笑の王国」を退団して東宝に所属すると、翌1936年に菊田も東宝に移籍して東宝文芸部の嘱託となる。1955年、東宝社長・小林一三(1873~1957年)に迎えられ、東宝取締役(演劇担当役員)に就任。東宝演劇部の総帥として、東宝が経営する帝国劇場、宝塚歌劇の舞台の原作・脚本・演出を行った。1975年、菊田の功績を記念し、東宝により菊田一夫演劇賞が創設された(菊田一夫 - Wikipedia参照)

*7:1903~1961年。1933年に劇団「笑の王国」を旗揚げ(但し、ロッパは1935年に退団し、劇団も1943年に解散)。1954年には社団法人日本喜劇人協会設立に際し、柳家金語楼(1901~1972年)とともに副会長に就任(会長は榎本健一(1904~1970年))し、喜劇人重鎮としての存在感を示した。しかし晩年のロッパは50代にもかかわらず持病の糖尿病のほか、再発した結核にも蝕まれて、1960年代になると舞台や映画も端役が多くなる。体力が落ちて覇気のない演技を批判されたり、「古川ロッパ一座」の元座員で、弟子にあたる森繁久彌(1913~2009年)から引退勧告されるなど、すっかり過去の人間と成り果ててしまった。1961年1月16日に肺炎により死去(享年57歳)。ロッパ死去を報じる新聞記事の扱いは小さく、往年の人気を知る者には寂しい最期だった。(古川ロッパ - Wikipedia参照)

*8:1935年生まれ。1962年、8代目桂文楽、6代目三遊亭圓生、5代目柳家小さんなど、戦後屈指の名人落語家を一堂に集めた「精選落語会」(イイノホール)をプロデュース(~1968年)。1967年5月2日、桂米朝の東京初の独演会「桂米朝 上方落語の会」を紀伊國屋ホールで開催、この会を契機として桂米朝の名が東京でも知られるようになる。落語を中心として芸能評論活動を行っている。著書『志ん生のいる風景』(1987年、文春文庫→2019年、河出文庫)、『さらば、愛しき藝人たち』(1989年、文春文庫)、『女興行師吉本せい』(1992年、中公文庫→2017年、ちくま文庫)、『落語歳時記』(1995年、文春文庫)、『三遊亭圓朝の明治』(1999年、文春新書→2012年、朝日文庫)、『落語家の居場所:わが愛する藝人たち』(2000年、文春文庫)、『藝人という生き方:渥美清のことなど』(2001年、文春文庫)、『落語長屋の四季の味』(2002年、文春文庫)、『落語長屋の商売往来』(2003年、文春文庫)、『林家正蔵の告白:酒場の藝人たち』(2006年、文春文庫)、『志ん生の右手:落語は物語を捨てられるか』(2007年、河出文庫)、『落語とはなにか』(2008年、河出文庫)、『戸板康二の歳月』(2008年、ちくま文庫)、『昭和の藝人・千夜一夜』(2011年、文春新書)、『にっぽん藝人伝』(2013年、河出文庫)等(矢野誠一 - Wikipedia参照)

*9:後述するが「大量のフィルムカットが行われ、映画が台無しになった」とされ、映画関係者には悪名高い映画「ハナ子さん」「無法松の一生」のフィルムカットが行われた1943年は東条内閣