反党分子「広原盛明」に悪口する(2025年12/17日分)(副題:リベラル21とちきゅう座にも悪口する)

「2025年政変」を巡って考えること、達成できない「比例代表650万票、得票率10%以上」を掲げる選挙活動は、もう限界に来ている、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その82) - 広原盛明のつれづれ日記
 共産にそんなに不満があるのなら自分らで、同志とともに新党を作って自由に活動すればいいでしょうに、広原も変な人間です。
 広原の駄文を転載してる「レベルの低い反共サイト」リベラル21ちきゅう座にも心底呆れます。
 まあ、リベラル21やちきゅう座は「彼らが『高齢化』云々で、悪口する共産党」に比べても「寄稿者などが高齢者ばかり、無名人ばかり」で「社会的影響力皆無」なのに、「夜郎自大」なところが滑稽ですが。
 リベラル21の寄稿者は

【誕生年順(誕生年が同じ場合は名前順)】
◆岩垂弘*1(1935年生まれ)
◆横田喬*2(1935年生まれ。今年で90歳)
広原盛明(1938年生まれ。今年で87歳)
◆阿部治平*3(1939年生まれ*4。今年で86歳)
◆盛田常夫*5(1947年生まれ。今年で78歳)
◆小川洋*6(1948年生まれ。今年で77歳)

 リベラル21 高橋武智(たけとも)さんのこと(小原紘)によれば『私より七歳年長だが、親しみを込めて武智さん*7とお呼びする。』『私も来年84才になる。』という小原紘(個人新聞「韓国通信」発行人:つまり1942年生まれ*8の83歳?)

など「70歳以上の高齢者男性(一番若い小川洋でも1948年生まれの77歳、一番高齢の岩垂弘や横田喬は1935年生まれの90歳)」しかいない、狭い老人サークル」です。
 一方のちきゅう座も

ちきゅう座の顧問に五氏を迎える
鈴木顕介(ジャーナリスト、元共同通信記者)
 日米の争いの谷間に傷つく 忘れえぬ“玉砕”の影にいた人々 | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)(鈴木顕介)によれば1931年生まれ(今年で94歳)。
岩田昌征(千葉大学名誉教授)
 岩田昌征 - Wikipediaによれば1938年生まれ(今年で87歳)。
岡本磐男(東洋大学名誉教授)
 岡本磐男|プロフィール|HMV&BOOKS onlineによれば1930年生
まれ(今年で95歳)。
野沢敏治(千葉大学名誉教授)
 野沢敏治|プロフィール|HMV&BOOKS onlineによれば1944年生まれ(今年で81歳)。
内田弘(専修大学名誉教授)
 内田弘 - Wikipediaによれば1939年生まれ(今年で86歳)。

で寄稿者も

映画「プラハの春」~NHKの人たちに見てもらいたい!の内野光子
 内野光子 - Wikipediaによれば1940年生まれ(今年で85歳)。
11/29 第5回荒川流域防災住民ネットワークのご案内の中瀬勝義
 中瀬勝義|プロフィール|HMV&BOOKS onlineによれば1945年生まれ(今年で80歳)。
11月集会等のお知らせ(新潟県) + オンライン署名の桑原三恵
 桑原三恵|noteによれば1948年生まれ(今年で77歳)。

ということで、

つくろい通信 第38号の稲葉剛
 稲葉剛 - Wikipediaによれば1969年生まれ(今年で56歳)

以外は「70歳以上の面子」しかおらず、どうみても「若者皆無の老人サークル」です。
 リベラル21やちきゅう座に比べたら共産党の方がよほど若者と交流してるでしょう(共産が素晴らしいと言うより、リベラル21とちきゅう座が「若者皆無の高齢者サークル」で酷すぎるのですが)。
 なお、リベラル21はコメント欄がある(とはいえ批判コメントはほとんど掲載拒否ですが)のに対し、ちきゅう座には存在しないから呆れます。
 「自分らは言いたい放題言うが、批判はノーサンキュー」というふざけたサイトが「ちきゅう座」のようです。
 さて広原記事の批判に話を戻します。

 他党ではすでに実施されている党代表の公選制一つでさえ進まず

 「公選制すれば支持が増える」などという因果関係は何ら存在しません。
 また
1)社民党やれいわ、国民民主は、「毎回、福島瑞穂氏や山本太郎玉木雄一郎が党首に当選」し事実上公選制の役割を果たしていませんし、マスコミ世論調査での支持率も「国民民主」は共産を上回っているものの、「共産>れいわ>社民」です。いったんは「バブル的人気」で共産を上回ったれいわが近年、「国民民主、参政」に支持を食われ、支持率を急速に落とし、ついに「共産>れいわ」になり

「山本1強」曲がり角 れいわ伸び悩み、党内に不満:時事ドットコム
 11月の東京都葛飾区議選は定数40ながら議席ゼロ。

という明らかに「落ち目になってる事実」を広原はどう理解するのか(一方で広原が悪口する共産は勿論葛飾区議選で当選者を出しています)。
2)また、自民、立民、維新にしても「立候補には一定数以上の推薦人(多くの場合国会議員)が必要」「党員投票で過半数取れなければ議員の決選投票」で事実上、「派閥ボス」しか出馬できません。
 例えば「元代表」「元首相」と言う古株「野田氏」が代表として復権するような立民党代表選がそんなに評価できるのか?

 最近行われた「れいわ新選組」の代表選挙では高校生が立候補して話題になった

 そんなに話題になりましたかねえ。むしろ「アーバンベア(都市部に出没するクマ)」「米の価格高騰」「高市の台湾有事発言」などの方がよほど話題だったと思いますが。
 いずれにせよ「当選可能性は皆無」「山本が再選されるに決まってる」「くだらないパフォーマンス(立候補した高校生本人もどれほど当選する気があるやら?)」が世間の見方だったでしょうし、実際山本の再選でした。というか現行法では「高校生が立候補して、当選して、仮にれいわ代表になっても、年齢制限(衆院は25歳以上、参院は30歳以上)で国会議員選挙には出られない」んですが、その辺りは広原はどうでもいいのか?
 そしてれいわが高校生の代表選立候補をネタに「18歳なら、高校生には選挙権があるのだから、国会議員選挙への被選挙権があってもいいはずだ」とアピールするならともかく、そんなこともなかったですしねえ。

 清新溌溂とした若いリーダーが求められているにもかかわらず、高齢化した党指導部のトップが四半世紀余り*9にわたって君臨

 不破氏(1930年生まれ)なら名誉役員になりましたし、志位氏なら「議長ポスト」は「どうでもいい役職ではない」とはいえ、最高ポストではありません(最高ポストは田村氏の委員長)。
 若いリーダーなら将来の幹部候補として「辰巳衆院議員(1976年生まれ)」「吉良参院議員(1982年生まれ)」「山添政策委員長(1984年生まれ)」などがいるでしょうに。
 そもそも志位氏(1954年生まれ)を高齢化というなら、つい最近まで安倍(1954年生まれ)、菅(1948年生まれ)、岸田、石破(いずれも1957年生まれ)がトップだった自民党はどうなるのか?。野田(1957年生まれ)が代表の立民党はどうなるのか?。福島氏(1955年生まれ)が党首の社民党はどうなるのか?
 岸田、石破、野田、福島氏は志位氏より「若干若い」とはいえそれほどの年齢差ではないでしょう。安倍は同い年だし、菅に至っては志位氏より年上です。
 あるいは麻生派ボス「麻生太郎」(1949年生まれ)が「2008年の首相就任以来*10」、その後も「第二~四次安倍、菅内閣副総理・財務相」「自民党副総裁(岸田、高市総裁時代)」など約17年間にわたって「党中枢に君臨する自民党」はどうなのか?
 大体「若ければいい」というものではないでしょうに。
 志位氏より若いからといって、例えば俺は「国民民主の玉木(1969年生まれ)」「れいわの山本太郎(1974年生まれ)」「参政党の神谷(1977年生まれ)」など支持する気はないですが。
 そもそもこんなことを抜かす広原自身が「1938年生まれの爺(高齢者男性)」で若者と交流があるわけでもないから「大笑い」です。

 党組織の若返りを図るための〝抜本的な党内改革〟を断行

 「抜本的な党改革って何?」ですね。広原の主張に具体性がまるでないので「大笑い」です。そもそも「共産より支持率が上の政党」は立民を除いて「自民、維新、国民民主、参政」など右翼政党ばかりであること、「スパイ防止法」「国旗損壊罪」など右翼的言説の多い高市政権が未だ支持率が高いことを考えれば「共産の党内体質が問題」というよりは、残念ながら「日本が右傾化してる」「左派的言説が支持されなくなってる」と見るべきでしょうに「共産だけに悪口」とはどれほど政治センスがないのか?
 現状は「共産だけのせいではない」、「広原を含む左派、リベラル派すべてに責任がある」と考えるべきでしょうに「すべて共産が悪い。俺(広原)は悪くない」とでも言いたいのか。どれほど当事者意識がないのか。

 拙ブログに対しては、毎回のように「老害」「田舎大学*11の三流学者」「場違いの戯言(たわごと)」といった鋭い批判が寄せられていますが、その一方で共感と激励の言葉も時折*12届きます。

 多分「俺以外もいる」としても「俺のこと」でしょうが、「鋭い批判」だそうです。
 そんなことは何一つ思っておらず「不当な悪口」として逆ギレしてるでしょうにねえ。
 というか本気で「鋭い批判」と思うのなら「俺の投稿コメント」を掲載したらどうなのか。
 賛同コメントしか掲載しない狭量な野郎(広原)が何を抜かしてるのか?
 それにしても、三流呼ばわりされたくなかったら、広原のどんな学問業績が世間に評価されたのか教えてほしいもんです。

南京事件研究の第一人者・笠原十九司氏(都留文科大学名誉教授)
 『南京事件』(1997年、岩波新書→新版、2025年、岩波新書)、『南京事件三光作戦』(1999年、大月書店)、『南京事件と日本人』(2002年、柏書房)、『南京難民区の百日:虐殺を見た外国人』(2005年、岩波現代文庫)、『南京事件論争史』(2007年、平凡社新書→増補版、2018年、平凡社ライブラリー)、『「百人斬り競争」と南京事件』(2008年、大月書店)等
沖縄戦研究の第一人者・林博史氏(関東学院大学名誉教授
 『沖縄戦と民衆』(2001年、大月書店)、『沖縄戦・強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)、『沖縄戦・なぜ20万人が犠牲になったのか』(2025年、集英社新書)等。個人サイトWelcome to Hayashi Hirofumi'
慰安婦研究の第一人者・吉見義明氏(中央大学名誉教授)
 『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(2010年、岩波ブックレット)、『買春する帝国: 日本軍「慰安婦」問題の基底』(2019年、岩波書店)、『日本軍慰安婦』(2025年、岩波新書:『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)の新版)等

のような立派な研究成果が広原にあるとはとても思えません。
 広原には

『震災・神戸都市計画の検証』(1996年、自治体研究社)、『開発主義神戸の思想と経営』(2001年、日本経済評論社)、『日本型コミュニティ政策:東京・横浜・武蔵野の経験』(2011年、晃洋書房)、『観光立国政策と観光都市京都』(2020年、文理閣)、『評伝・西山夘三』(2023年、京都大学学術出版会)

等の著書があるとは言え、 「まともな学問業績がない(世間に高い評価などされてない)」からこそ「大学退職後」は「世間に相手にされない鬱憤」を「共産への悪口」で晴らしてるのではないかと疑います。
 そもそも共産にそんなに不満があるのなら、同志とともに自分らで新党を作って自由に活動すればいいでしょうに、広原も変な人間です。
 広原の「共産に悪口するだけの駄文」に「共感と激励」とは変な人間も世の中にはいるもんです。

*1:元朝日新聞記者。著書『ジャーナリストの現場』(2011年、同時代社)、『戦争・核に抗った忘れえぬ人たち』(2018年、同時代社)等

*2:元朝日新聞記者。著書『反骨のDNA』(2020年、同時代社)、『夜郎自大の30年』(2021年、同時代社)、『社会部記者の本棚』(2024年、同時代社)

*3:著書『黄色い大地悠久の村』(1993年、青木書店)、『もうひとつのチベット現代史:プンツォク=ワンギェルの夢と革命の生涯』(2006年、明石書店)、『チベット高原の片隅で』(2012年、連合出版

*4:1939年生まれの著名人としては、BS-TBS噂の!東京マガジン』、TBSラジオ森本毅郎・スタンバイ!』のMC森本毅郎氏(存命)がいますが、全盛期に比べれば出演が減ったとは言え、未だメディア出演する森本氏と違い、リベラル21の面子には全く社会的影響力はないでしょう。

*5:著書『ハンガリー改革史』(1990年、日本評論社)、『体制転換の経済学』(1995年、新世社)、『ポスト社会主義の政治経済学:体制転換20年のハンガリー』(2010年、日本評論社)、『体制転換の政治経済社会学:中・東欧30年の社会変動を解明する』(2020年、日本評論社

*6:著書『なぜ公立高校はダメになったのか』(2000年、亜紀書房)、『消えゆく「限界大学」』(2016年、白水社)、『地方大学再生』(2019年、朝日新書

*7:高橋武智氏(元『日本戦没学生記念会わだつみ会)』理事長)は高橋武智 - Wikipediaによれば「1935年生まれで2020年に死去」「ベトナム戦争の時期、ベ平連ベトナムに平和を!市民連合)の別組織であるジャテックに所属し活動」「著書に『私たちは、脱走アメリカ兵を越境させた:ベ平連/ジャテック、最後の密出国作戦の回想』(2007年、作品社)、『日本思想におけるユートピア』(2014年、くろしお出版)、『ベ平連市民運動の現在:吉川勇一が遺したもの』(共著、2016年、花伝社)」。

*8:1942年生まれの著名人としては、小泉純一郎元首相、市田忠義日本共産党副委員長がいる。

*9:2000年に委員長に就任し、2024年に退任した志位氏のことか?

*10:まあそれ以前から、橋本内閣経企庁長官、森内閣経済財政担当相、自民党政調会長(小泉総裁時代)、小泉内閣総務相、外相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)を歴任し、政府、党の中枢にいますが

*11:ちなみに京都府立大学

*12:「鋭い批判」は毎回で、「共感と激励」は時折に過ぎない(毎回より少ない)そうです。謙遜の言葉かもしれませんが、実際に「時折に過ぎない」のならば、「その言説が支持されてない(あるいは読まれてない)」ということで全く哀れな広原です。