高世仁に突っ込む(2021年4/8日分)(追記あり)

さわやかな映画「ブータン 山の教室」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 「若い教員ウゲンは、ある日教官に呼び出され、ブータンで最も僻地にあるルナナ村の学校に行くように伝えられる。」
 「「オーストラリアに行きミュージシャンになりたい」という夢を抱きながらも、渋々ルナナ村に行くことに。」
 「電気もトイレットペーパーもない土地での生活に不安を拭えなかったウゲンだが、村の人々と過ごすうちに自分の居場所を見つけていく。」(上映案内より)
 ウゲンは首都ティンプーに住むシティボーイで、(中略)電気もない標高4800mの村に着くなり、ここではやっていけないと村長に泣きつく始末。
 ブータンは「世界で一番幸福な国」を標榜するが、近年は外国との交流が増え、いわゆる「近代化」の波が押し寄せる。若者たちは農村を離れ都会へ、都会の若者は外国へとあこがれを募らせる。
 英語教育が徹底していて、英会話に堪能な若者が多いことも、海外移住熱を高めることになっているのだろう。
 ある日、ティンプーの友人から手紙が届き、申請していたオーストラリアのビザがOKになったとの知らせ。子どもたちと村人全員に見送られて村を離れたウゲンだったが・・・というエンディングだ。
 ウゲンが村を去ることを村長に伝えるシーン。
 いつまた戻って来てくれますかと尋ねる村長に、外国に行くからもう戻れないとウゲン。すると村長が深いまなざしでこう言う。
 「この国は世界で一番幸せな国だと言われているそうです。それなのに、先生のように国の未来を担う人々が幸せを求めて外国に行くんですね」。

 つまりは「幸せの国ブータン」なんてのは嘘だと言うことです。
 以前も「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2/22分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年3/27分:高世仁の巻)(追記あり) - bogus-simotukareのブログブータンを持ち上げる高世記事
幸福度ランキングでブータンは? - 高世仁の「諸悪莫作」日記幸せランキングで低迷するブータン - 高世仁の「諸悪莫作」日記を批判し、「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年3/27分:高世仁の巻)(追記あり) - bogus-simotukareのブログコメント欄ではid:Bill_McCrearyさんに「ボーガス氏の高世批判に同感する」と言う趣旨の「好意的コメント」を頂きましたが。
 まあ、都会に住む日本人や欧米人は「田舎(あるいは発展途上国)への憧れ(貧乏だが自然が豊かで、人々は純朴?)」を持つ人も居るのでしょうが、そんなもんは「非現実的な憧れ」でしかない。
 高世だってこんなこと言ったって「郷里の山形に帰らない」わけですからね。「東京23区では無く郊外」とは言え高世は東京に住んでるわけです。高世には「ブータン万歳、田舎万歳するのなら、とっとと山形に帰れよ!」と言いたい。
 この点、高畑勲の『おもひでぽろぽろ』なんかは

おもひでぽろぽろ - Wikipedia
 1982年の夏。27歳になるOL岡島タエ子(CV:今井美樹)は、勤務先で休暇を取得。姉・ナナ子(CV:山下容莉枝)の夫の親類宅に2度目の滞在をさせてもらうことになった。
 次第にタエ子は農家の人々の暮らしに強い魅力を感じるようになる。
 そんなタエ子の心境を見抜いたトシオの祖母は、トシオ(CV:柳葉敏郎)と結婚してこちらへの永住を思わせる発言をする。しかし、タエ子の気持ちは所詮「都会育ちの人が田舎暮らしに憧れている」だけに過ぎず、時として重労働にもなる農家の仕事に、遊び感覚で来ているだけの自分が到底務まるわけがないと悩み、思わず家を飛び出してしまった。そこへ畑から帰る途中、雨の中泣いているタエ子と偶然居合わせたトシオは、自分が農業を始めた経緯を話し、「祖母の言ったことなど気にする必要はないし、万が一そうなってもタエ子はタエ子のペースとやり方でやって行けばいいし、無理ならば素直に辞めたっていいんだ」と優しく励ましてくれた。トシオの言葉に勇気をもらったタエ子は、彼の明るくまっすぐなところに少しずつ惹かれ始めていた。

ということで「ある種の誠実さ」を感じますね。娯楽映画である以上、高畑も「曖昧な形でごまかしてしまった」気もしますが、彼は「都会で傷ついた主人公が田舎でいやされる」という形で話を始めながらも、「単純な田舎美化」オンリーで話を進めることには恐らく抵抗があったのでしょう。一方で高世が紹介するこのブータン映画には「単純な田舎美化」を感じますね。

この国は世界で一番幸せな国だと言われているそうです。それなのに、先生のように国の未来を担う人々が幸せを求めて外国に行くんですね」。

というのはおそらく、高世の口ぶりから考えて「その言葉に心動かされたウゲンが村に残る」などという「お涙頂戴の結末」でしょう。おそらく

「国民が海外移住したがるなんてどこが『幸せの国』だ!。『幸せの国』なんてデマ宣伝するブータン政府が私は憎い。許せない。そして、村長でありながら、そんな状況をどうにもできない自分の無力さが恥ずかしい」

と言う意味合いの村長発言では無いでしょう。
 俺に言わせれば「マジで馬鹿馬鹿しい」。本当に残って欲しいなら、村長もこんなけんか腰の物言いはしないでしょう。「先生にも色々ご事情はあるだろうが、村のために是非残って欲しい。我々に出来ることなら何でもします」などというでしょう。こんなけんか腰の物言いをすれば「俺はブータンが世界で一番幸せだなんて思ってない!。豪州の方が余程幸せだと思ってる」「どこに住もうと俺の勝手だ!」「あんた、何様だ!」という反発をされかねません。でも、まあこういう映画を見て感動する人も居るんでしょうね(例:高世)。俺は「馬鹿馬鹿しくて呆れる」と思いますが。

 ストーリーはしごく単純だ。それがかえって、「幸せって何ですか」というテーマを観るものにストレートに訴えてくる

 どうせ「貧乏でもブータンは自然が豊かで、人間は純朴。本当の幸せとは物質的豊かさとは違う」という寝言でしょう。
 もちろん「物質的に豊か」でも「家族が不仲」だったりすれば不幸ではある。そう言う意味で「精神的な豊かさ」も大事ですが、それは「物質的豊かさはどうでもいい」と言う話ではないし、ましてや「ブータンの田舎生活を美化する」なんて論外でしょう。
 そんなんは「本当の貧乏」を知らない人間の寝言では無いか。いや俺も幸いにして「今まで深刻な貧乏を経験してない」のですがそう思います。
 そんなにブータンが素晴らしいと思うのなら、高世は移住しろ、二度と日本に帰ってくるな、ブータンの土になれという話です。

 政府が国会に提出している出入国管理法(入管法)の改正案は「改悪」だとして、弁護士などの有志が4月7日、東京・霞が関で記者会見を開いて、政府案の廃案をもとめるアピールをおこなった。

として外国人の人権を重視する人権派ぶる高世ですが「弁護士の方々などはともかく」、高世については「朝鮮学校無償化除外という外国人差別を正当化したクズがふざけるな!。とっとと山形に帰れ!」と言いたい。

【追記】
 まあ、コメ欄で指摘があるように「僻地を舞台にした感動もの」というのはあります。

◆小豆島を舞台にした映画『二十四の瞳』(1954年)
灯台守の生活を描いた映画『喜びも悲しみも幾歳月』(1956年)
◆先日、亡くなった「田中邦衛」が出演していたフジテレビ「北の国から」(連続ドラマとしては1981~1982年。その後、2時間程度のスペシャルドラマとして1983~2002年まで8本放送)
◆「北の国から」の米国版と言って良いフジテレビ『オレゴンから愛』(連続ドラマとしては1984年。その後、2時間程度のスペシャルドラマも放送)
◆沖縄の離島で僻地医療に携わる医師(吉岡秀隆主演)が主人公のフジテレビ『Dr.コトー診療所』(2003年)

なんかがそうです。で、「高世記事に悪口した」俺も実はそういう「お涙頂戴が割と好き」ですがただし所詮「お涙頂戴は都合のいいフィクション」でしかない。

「幸せって何ですか」というテーマを観るものにストレートに訴えてくる

なんて、高世が言うようなご大層な話では全くない。