【最初に追記】
筒美京平氏の死を知って、昔読んだ本を思い出した(追記あり) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でこの拙記事をご紹介頂きました。いつもありがとうございます。
【追記終わり】
筒美京平氏の死を知って、昔読んだ本を思い出した(追記あり) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)を見ていて書くことを思いついた記事です。
とはいえほとんど宇多丸 筒美京平を追悼する | miyearnZZ Laboの紹介ですが。宇多丸 筒美京平を追悼する | miyearnZZ Laboが紹介する番組については偶然小生もカーラジオで聞いていたので(もちろん筒美京平氏の死を知って、昔読んだ本を思い出した(追記あり) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が指摘するパクリ問題などはさすがにこういう場では出てきません。とはいえ後で紹介する筒美京平さん死去 Jポップの基礎作ったヒットメーカー - 日本経済新聞はそれに触れていますが)。
(宇多丸)
作曲家の筒美京平さん。皆さんもいろいろ報道なんかで御存じかと思いますが、お亡くなりになったという。10月7日にお亡くなりになっていることが分かったという。
誤嚥性肺炎により亡くなられていたと。とにかく筒美京平さん。私が今さら説明するまでもないですが、本当に1970年代からこっちまで、本当に結構最近までまあすごい曲の数々をいっぱい生み出してきて。というあたりで、先ほども『Session』で南部広美さんの選曲で近藤真彦さんの『情熱☆熱風☽せれなーで』。こちらをかけていたということなんですけども。
リスナーの方からも本当にたくさんメールいただいておりまして。どれにしようかな?。ラジオネーム「モルト」さん。
「筒美京平先生の訃報に接し、改めて周りにある筒美サウンドの多さを感じます。歌謡曲からアニメソングまで、当然のように存在してる筒美サウンド。今どき、80歳という年齢はまだまだイケてる歳ですよね。日本の音楽界に残した功績は大きなものでした。これからも聞き続けます」。
で、まさにそういうところこそ、筒美京平先生が目指された部分。これね、実は早めに言っておきますけども。来週の月曜日。NONA REEVESの西寺郷太さんによるモータウン特集の後編を予定してましたけど、郷太くんは筒美京平先生と直接、お仕事をされているんですよね。『LOVE TOGETHER』。そして『DJ! DJ! ~とどかぬ想い~』という、この2000年の曲ですけども。筒美さん、プロデュースという形で一緒に楽曲を制作していて。
そこで非常にいろんなことを学ばれたということはいろんなところで(中略)言ってますし、僕も直接いろんな話を聞いていて。郷太くんがなにしろ筒美京平先生のことを語るというのが一番いいであろうということで。来週は急遽、予定を変更しまして、モータウン特集の後編……これはいつでもできるといえばできるということで、西寺郷太くんによる筒美京平先生特集を来週、お送りすることになりました。
なので詳しくはそちらを聞いてください。でもとにかく、先ほど僕が言おうとしたのはその「ポップ」っていうね。「ポップミュージック」って言いますけど、つまり「ポップ」っていうのは言ってみれば公共財っていうのかな? 公共財としてのポップっていうか。みんなのものだと。そのアーティストエゴとか、「俺のことを知って」とか、「俺のこの気持ちが……」とかじゃなくて、みんなの生活の中に入る、みんなに愛されるためにあるもの。それがポップで。
もう本当にね、じゃあ筒美京平さんの追悼というか。その感じで曲を選びましょうっていう時、もうとにかく100人100色というか。1000人1000色というか。
(熊崎風斗(TBSアナウンサー))
時代も問わずに……調べたらもう、どの時代にもみんなが知っているような名曲があって。
(宇多丸)
そうなんですよ。だからもうみんな、腕まくりしちゃう。「じゃあ、筒美先生ならこれだ!」「いや、これだろう?」「あれだろう?」って。皆さん、それぞれにおありだと思うんですが。
まずは2曲、かけようかなと思います。お聞きいただくのは1986年。作曲は筒美京平さん。作詞は松本隆さん。
そして編曲は船山基紀さん。もうゴールデントライアングルですね。水谷麻里さんっていうアイドルの方が歌っていらっしゃって。後に時東ぁみさんがつんくプロデュースでカバーなんかしていて。では、お聞きいただこうと思います。水谷麻里さんで『21世紀まで愛して』。
筒美京平先生、なにがすごいって、御年80歳。今のあれとしてはまだまだお若いって言いますけど。筒美さんの場合、そのお若さの意味っていうのは要するに、もう全然2000年代とか2010年代とかになってもまだまだ活動されていて。全然最近もバリバリにいい仕事されてるっていうところなんですよ。
(熊崎風斗)
いい曲を送り出しているという。
(宇多丸)
そうなんですよ。「かつては……」とか、そういうことじゃないっていうところ。だからやっぱり、そのひとつには筒美先生は「とにかくずっとポップ職人として仕事をし続けるということが大事だ」ということを郷太くんに教えとして言っていたみたいで。「とにかくいっぱい作り続ける。活動を続ける。曲を作り続けることが大事なんだ」っていう。このあたり、郷太くんが来週の特集でしてくれると思いますが。それを証明するかのような曲をお送りしたいと思います。
いろいろあるんですけど。皆さん、いろんな曲をおかけになると思いますが、(中略)筒美京平さん作曲。そして作詞はまたまた松本隆さん。ちなみに松本隆さん作詞のコンビ、シングルとしてはこれが最後ということになるらしいですね。2008年の楽曲。そして編曲は本間昭光さん。というところで、2008年に生まれ筒美京平(ボーガス注:作曲)、またまたクラシックを産んでしまった。中川翔子さんで『綺麗ア・ラ・モード』。
(熊崎風斗)
だからもう、ずーっとですもんね。
(宇多丸)
そうなんです。ここでまたこのレベルの曲を……というか、もう最高傑作ぐらいのものを出しちゃっているみたいなね。まあ、しょこたんも本当にいい曲をもらったね。これね。彼女も大事に絶対に歌い継いでいくと思いますし。
ということで来週月曜日はNONA REEVES西寺郷太さんによるモータウン特集を急遽変更いたしましての筒美京平さん特集になります。そして筒美京平さん。改めてご冥福をお祈りいたします。
名曲の数々、私どもがあえて言うまでもなく、もう生き残ってしまうというかね。それがポップってことですかね。ということで2曲、かけさせていただきました。
ということで比較的最近も筒美が「現役作曲家」として活躍していたことに触れるTBSラジオ『アフター6ジャンクション』です。
まあ全盛期と言えばおそらく
・1968年12月に発売された筒美作曲のいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」が、オリコン週間1位を獲得。作曲家としての地位を不動のものとする。
・1971年、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」と、1979年、ジュディ・オングの「魅せられて」で日本レコード大賞を受賞(筒美京平 - Wikipedia参照)
した頃になるのでしょうが
https://news.yahoo.co.jp/articles/fb43daae94ddf70d9e410e4992b2e9b50a1149c7
タレントの中川翔子(35)が12日、自身のツイッターを更新。誤嚥(ごえん)性肺炎のため7日に死去した作曲家の筒美京平さん(享年80)を悼んだ。
「綺麗ア・ラ・モードを作曲していただけたことは生涯の宝物です」と自身も曲を提供してもらったことに感謝し、「信じたくないです」と結んだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b04323c5b72deb5d0c851a2896cf5a48e33ca025
アイドルグループ「℃-ute!*1」や「Buono!*2」の元メンバー鈴木愛理(26)が、数々の名曲を作曲し世に送り出した作曲家の筒美京平さんを悼んだ。
鈴木は12日、ツイッターを更新。「筒美京平さんの訃報を聞き、大変悲しい思いです」とつづり、「『星の羊たち』『紅茶の美味しい店』Buono!に素敵な楽曲を頂きました。儚くて美しいメロディ。どちらも新しい世界に飛び込ませてくださった大好きな曲」と、筒美さんから提供された楽曲についてつづった。
また、同じくBuono!のメンバーだったBerryz工房*3の夏焼雅もツイッターで筒美さんから提供された同楽曲に触れ、「とても素敵な曲をありがとうございました。これからもずっと大切にしていきます。ご冥福をお祈りいたします…」とつづった。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201012/k10012659581000.html(筒美京平氏の死を知って、昔読んだ本を思い出した(追記あり) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)も紹介している記事ですが)
1970年代以降はアイドル歌謡も多く手がけ、南沙織さんの「17才」、近藤真彦さんの「スニーカーぶる~す」や「ギンギラギンにさりげなく」、松本伊代さんの「センチメンタル・ジャーニー」、小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」など、黄金期を彩る数々の曲を生みました。
さらに、のちの「JーPOP」にも大きな影響を与え、1990年代には小沢健二さんの「強い気持ち・強い愛」などを、2000年代にはTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」など世代を超えた人気楽曲を手がけ、これまでに作曲した作品数は3000曲近くにのぼっています。
筒美京平 - Wikipedia
2013年には声優・竹達彩奈のシングル「時空ツアーズ」、2015年には野口五郎のシングル「再会タイムマシン」、2016年には声優・飯田里穂のシングル「青い炎シンドローム」を手がける*4など、作曲活動は晩年も盛んだった。
https://twitter.com/Ayana_take/status/1315537123047469056?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Etweet
竹達彩奈
筒美京平先生には時空ツアーズ、齧りかけの林檎、ちょこっとHONEYCOMBの3曲を書いて頂きました。どれも宝物のように大切な曲です。お亡くなりになったと聞いてとても残念です。またご一緒できたらと思っていました。ご冥福をお祈りします。
https://twitter.com/rippialoha?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
飯田里穂
ソロでの初めてのアニメタイアップを筒美京平先生に作曲していただけた事が自分にとってすごく心の支えでした。
これからも「青い炎シンドローム」大切に歌い続けていきます。永遠に宝物です。心よりご冥福をお祈りいたします。
ということで勿論「単なる名義貸し」の可能性もありますが、「素直に考えれば」2010年代という最晩年まで活躍していたと言うことになります。また「単なる名義貸し」と考えても「晩年まで筒美の権勢はそれなりにスゴイものだった(完全に『過去の人』になったわけではない)」とはいえます。
さて他にも色々と筒美追悼記事を見てみましょう。
まずは筒美京平さん死去 Jポップの基礎作ったヒットメーカー - 日本経済新聞。
筒美京平氏の死を知って、昔読んだ本を思い出した(追記あり) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)での
>彼のパクリ方は、職業作曲家としては、もう信じられないくらいストイックな姿勢に裏打ちされたものだ。彼のパクリの基本となっているものはまず”日本でもそこそこのヒットになった洋楽”を扱っている、ということなのだ。で、そのメロディーがある程度浸透したであろう時期(約半年後)に作品を発表するわけ。なぜか? 売れる曲にするためである。すごい計算に裏打ちされたパクリなんだ。
これを最初に読んだときは「はあそんなもんかいな」という印象だったのですが、ある程度人生経験を積んだ現在では「なるほどねえ」と思いますね。前なんかの本(たぶんこちらの本)を読んでいたら、宮川泰氏が筒美氏のことを「天才作曲家」と書いていた記憶がありますが、おそらくですが宮川氏の言う「天才作曲家」というのは、上のようなパクリの才能、既存の曲から売れる曲を作る才能といった部分を(も)評していたのかもしれません。最初は、「(も)」は入れず、また最後も「いたのでしょう」という表現だったのですが、やはり差しさわりがあるので、このような表現にしておきます。
という指摘に当たるのが
筒美京平さん死去 Jポップの基礎作ったヒットメーカー - 日本経済新聞(編集委員 吉田俊宏)
大学時代はジャズに打ち込み、就職したレコード会社で洋楽担当のディレクターを務めるなど、もともと洋楽好きだった。作曲家に転じてからは、関係者が「とてつもない勉強家だった」と口をそろえる通り、古今東西のレコードを聴いて勉強し作曲の幅を広げていった。
まだ輸入レコードが手に入りにくかった60~70年代当時、新譜が入荷すると、いち早くまとめ買いして聴きあさった。ディレクターやプロデューサーが「夏のビーチのムードの曲をお願いします」と依頼すると「夏」や「海辺」などとテーマごとに仕分けした棚から何枚ものレコードを取り出して、それらを参考にしながら、全く新しい洋楽風の楽曲を生み出したと関係者から聞いたことがある。
洋楽の最新ヒット曲のエッセンスを巧みに取り入れ、斬新な日本の歌謡曲として成立させる手腕は傑出していた。外国の文化を取り入れるのがうまいという意味では、(ボーガス注:あんパン、カツ丼など『外国文化を日本化することが得意な』日本人らしい?)極めて日本的な作家だったともいえるだろう。
例えば、南沙織が歌った「17才」の曲想は、米国のリン・アンダーソンの世界的なヒット曲「ローズ・ガーデン」をほうふつさせたが、本土復帰直前の沖縄から来た17歳の女性が歌うにふさわしい快活な和製ポップスになっていた。
岩崎宏美の「ロマンス」「ファンタジー」といった一連の初期のヒット曲も、世界的なブームになっていたディスコサウンドを日本の青春歌謡と融合させたものだった。
の指摘ですね。明らかに「差し障りがないようにそれなりに気を遣った書きぶり」とは思いますが追悼記事で良くこれを書いたな、という気はします。
そもそも日経って経済新聞であって一般新聞でもスポーツ新聞でもないんですけどね(苦笑)。
筒美京平さん死去 Jポップの基礎作ったヒットメーカー - 日本経済新聞が触れる南沙織「17歳」については
17才 (南沙織の曲) - Wikipedia
アイドル歌手・南沙織の歌手デビュー曲である。デビューへ向けたプロジェクトの中で南と作曲者の筒美京平が初めて顔を合わせた際、筒美から「何が歌えるの?」と聞かれた南が、リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」が歌える、と答え、これが元になって筒美は「17才」を書いたという。
追悼・筒美京平さん 南沙織「17才」誕生秘話…シンガーの声に魅せられて 数多くの名曲生み出す (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト
長く仕事をともにした音楽プロデューサー、酒井政利さん(84)は、南沙織(66)のデビュー時を振り返る。
酒井さんが2人を引き合わせたとき、南はレッスン室で筒美さんのピアノに合わせて、米国の女性シンガー、リン・アンダーソンのヒット曲『ローズ・ガーデン』を流暢(りゅうちょう)な英語で歌い上げた。
「筒美さんは特に南の声が気に入っていたんです。アイドルという新しい歌手像を打ち出そうということになり、南の声に合わせて、『ローズ・ガーデン』風の明るいポップスに、繊細な少女の気持ちを描いた有馬三恵子さんの詞を乗せて『17才』は生まれました」
と言う指摘もあります。
他にも筒美の「パクリの才能(?)」や「最晩年までの活動」についてはググったら
筒美京平死去。日本のポップ・ミュージックの礎を作った伝説の作曲家|THE MAINSTREAM(沢田太陽)|note
・サザエさんのオープニングテーマが「実はモータウン・サウンド」と言う指摘があり、「本当だ!」と気づいた時にクレジット見たら「筒美京平」でそれを見て「あっ!」となった
・さらにいうと、(ボーガス注:サザエさんの)エンディングは60sのインストで流行ったハーブ・アルパートのA&Mサウンドで。オールナイト・ニッポンのテーマみたいなやつですけど、これも筒美さんが作ってて、「侮れないな」と思ってですね。
・ちょうど南沙織の1971年のヒット「17才」が89年に森高千里のカバーでヒットしてた時に、日本の洋楽ヒットでも知られているリン・アンダーソンの「ローズガーデン」にそっくりだよ、ということをいう人がいまして。それも筒美さんだったことを知り、さらに郷ひろみの1972年のデビュー・ヒット(ボーガス注:『男の子女の子』)が、洋楽バブルガム・ヒットの名曲エジソン・ライトハウスの「恋のほのお」にそっくりとか、という話を聞いて。「ああ、筒美さんとは、巧みな洋楽翻訳者だったんだな」ということがわかって行きました。
・また岩崎宏美に戻るんですけど、聞き馴染みのあったこの曲*5をちゃんとレコード音源で聞いてみて「あっ!!」と驚いたんですね。これ、Aメロのバックのドラムのリズムは、フィリー・ソウルの代表アーティスト、オージェイズの「Back Stabbers」、これに代表されるフィリー・ソウルのドラム・パターンを完全に踏襲したものであることに気がついたんですね。
・1997年にはこれまでの先生の偉大なるヒットの軌跡を収めたCD8枚組ボックスセット「Hitstory」も出まして、しっかりと研究対象になるほど、尊敬も集めました。そのあとも、大きな目立ったヒットこそなかったものの、近年まで活動を継続していました。
なんてのが見つかりました。
また、筒美自身も「影響を受けた」という物言いですが「こうしたパクリの指摘」については
「作家で聴く音楽」第二回 筒美京平
曲を依頼されるミーティングでディレクターから「次は、こんな感じで」という指示がありましたが、海外のいろんな音楽にも影響を受けましたね。
当時は、ダイアナ・ロスがシュープリームスをやっていた頃のモータウンやバート・バカラック、カーペンターズのA&M、CTIやVERVEのムードミュージック風のジャズなど、いろんな音楽がリアルタイムで出ていましたから。あと、ボサノヴァもはやっていたから60~70年代に音楽をやっていた連中はみんな影響を受けたんじゃないかな。
外国の曲を聴くうえでも、どうすれば日本で売れるかを模索していましたよ。例えば、初期の頃にはオックスなどグループ・サウンズの曲を書いていたんだけど、メロディは歌謡曲っぽい。その延長線上に「ブルー・ライト・ヨコハマ」なんかがある。あれも歌謡曲なんだけど、サウンド的にはバカラックっぽいでしょう。でも、バカラックそのものじゃ日本の歌謡曲としては難しくなってしまう。
当時はカーペンターズみたいに1つのジャンルとして成立しうる新しい音楽がリアルタイムで出てきた時代でしたからね。良い意味でのショックが大きくて、一ファンとして、一プロフェッショナルとしてとてもよく聴きました。
ダンスミュージックと日本の歌謡曲の関係は深いんですよ。例えばソウル・ミュージックの中でもオージェイズなんかのフィリー(フィラデルフィア)・ソウルが好きでしたが、ソウルといってもポップな音楽だし日本の歌謡曲に近いと思いますよ。
として事実上「事実であることを認めている」ところです。
次にhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/61387/。
作曲家筒美京平さんの訃報に接し、1969年の放送開始当初から筒美さん作曲の楽曲をオープニングで使用するフジテレビのアニメ「サザエさん」も12日、公式サイトで追悼メッセージを寄せた。
スタッフ一同からのメッセージはサイトのトップページに掲載され「今でも変わらず番組に彩りと元気を与えてくれる素晴らしい楽曲を生み出して下さったことに、改めて感謝の意を表します」などと記した。
次に【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】さようなら、「日本歌謡会社」の天才サラリーマン - 産経ニュース
《僕らみたいな職業作家は自分の好きな音楽を作ることが役割ではなく、ヒット商品を作るのが使命ですから》
《当時はよく冗談で言っていましたが、僕らは「日本歌謡会社」に勤めているサラリーマンなんですよ、って(笑)》
是非はともかく筒美が自らを「芸術家」というよりは「売れ線商品を作る職人」と位置づけていたことが分かります。
ということで「今後、追記するかもしれませんが」ひとまず記事を終わります。