今日の朝鮮・韓国ニュース(2020年11月15日分)

政府、バイデン米政権発足見据え先手 拉致解決へ「北との直接対話」繰り返し主張 - 産経ニュース
 「直接対話がしたい」というだけで直接対話が出来るなら誰も苦労しません。北朝鮮には「直接対話する義務はない」。
 直接対話したいなら「北朝鮮の対話意欲をどう引き出すか」でしょう。で、俺はそれは「経済制裁の解除」しかないと思いますが、この辺り何の方策も展望も菅政権にはないのでしょうね。

 米大統領選でバイデン前副大統領が当選を確実にしたことで、日本政府は北朝鮮による拉致問題の解決に向けた戦術見直しを迫られそうだ。

 「はあ?」ですね。見直すも何もそもそも「拉致問題の解決に向けた戦術」なんてどこにあったのか。

 加藤勝信官房長官拉致問題担当相は15日、新潟市内で開かれた「忘れるな拉致 県民集会」で「菅首相自身、条件を付けず金氏と向き合う決意を累次の機会に申し上げている」と説明。

 前も指摘しましたが「条件を付けずに」というなら「拉致被害者が一人も帰ってこなくてもあえて金正恩と会うのか」と言う話です。
 それについて「そうです、会います。無条件とはそういうことです」などと、まともに回答も出来ないのに何が「条件も付けずに」なのか。お断りしておきますが俺は「無条件で会え」とは言っていません。
 明らかにどう見ても「無条件で会う用意など無い」のに「無条件で会う用意がある」と嘘をつくのは辞めろという話です。


北朝鮮・金正恩氏が来夏に日本へ? 政府・与野党内に広がる臆測の背景は - 毎日新聞
 東京五輪を契機に本当に来日し、拉致問題その他で進展があるのなら大変いいことです。


◆和田春樹『安倍首相の退陣におもう』

http://www.wadaharuki.com/
 安倍三原則の第一原則は、「拉致問題はわが国の最重要課題である」というものであった。これは偽りであろう。拉致問題が重要課題だというならわからないわけではない。(ボーガス注:新型コロナ対策が最重要課題であることが明白な現在、)「最重要課題」であると言った瞬間にうそをついたことになるのである。
 安倍第二原則は、「拉致問題の解決なくして、国交正常化なし」である。これは小泉首相の日朝国交正常化政策を破棄するという宣言であった。小泉首相の方針は「国交正常化への前進なくして、拉致問題の解決なし」だった。その方針のもと、小泉首相田中均外務省局長は2002年金正日委員長とともに国交正常化のための日朝平壌宣言を出し、拉致問題を謝罪させ、13人拉致、8人死亡、5人生存という回答をえたのである。小泉首相は5人を帰国させ、さらに2004年の第二次首脳会談で5人の家族の渡日をもみとめさせた。小泉首相の方針は日朝国交正常化という国家的課題に実現に向かって前進することによって、拉致問題の解決において決定的な成果をあげることができたのである。小泉首相の方針をすてた安倍首相が拉致問題解決のいかなる進展もなしえかったのは当然のことである。
 安倍第三原則は、「拉致被害者は全員生きている、即時全員を帰国させよ」というものである。これが致命的な原則であった。この原則は、2002年の北朝鮮側の小泉首相に対する回答、横田めぐみさんをふくめ8人は死亡している、5人だけが生存しているという回答は、死亡の証拠を出せないのだから、嘘をついているのだと非難し、死亡したという人全員を即時帰国させよと要求することであった。北朝鮮との交渉を打ち切って、最後通牒的に屈服を要求する、わが方の要求にしたがわせようとする立場だと言っていい。北朝鮮側は「死んだ人を生き返らせて返せ」というのかと反発したと言われている。 こうして安倍三原則は、拉致問題を解決するためには、拉致犯罪をおこなった北朝鮮現体制に懲罰を与え、ついには北朝鮮の現政権を崩壊させることをめざすという方針なのである。安倍首相は2002年に拉致被害者救う会全国協議会の指導者佐藤勝己氏らにうながされて、彼らの考えを自分の方針としたのである。佐藤勝己氏は2002年末に著書に次のように書いている。「『救う会』は、今後も被拉致者全員の帰国を目指して活動を続けていく。・・・金正日政権が存在する限り、拉致の解決は困難であり、金正日政権の崩壊が絶対必要条件である。」(『拉致家族「金正日との戦い」全軌跡』小学館文庫)。
 安倍首相が佐藤路線にしたがって三原則の拉致政策をかかげたことにより、日朝平壌宣言は凍結され、日朝国交交渉は完全に中止され、日朝交渉すらも、ストックホルム合意が結ばれ、実行された一時期をのぞいて、まったくおこなわれないままとなった。安倍政権がやれたのは、北朝鮮との貿易、船の寄港、人の往来を完全に遮断すること、国連安保理の制裁を極限まで強化すること、国際的に拉致犯罪非難の大合唱を組織すること、対北朝鮮放送をつづけ、拉致問題解決を要求すること、日本の中高校生に(ボーガス注:アニメ映画「めぐみ」など)拉致問題に関する映画をみせて、北朝鮮を憎む心を植え付けること、在日朝鮮人とその団体に法の厳密適用というハラスメントをくわえ、幼稚園から大学まで在日朝鮮人の教育施設に差別的に一切の公費援助措置をあたえないことであった。 だが安倍政権は、ついに北朝鮮政権を崩壊させることはできなかった。金正日氏は病死したが、息子金正恩氏が後継して、いまや核兵器をもって、在日米軍基地にロケットの標準をあわせている。2017年の米朝戦争の危機のさい、安倍首相は「すべての選択肢がテーブルの上にある」というトランプ大統領の立場を100%支持すると繰り返し、河野克俊統合幕僚長に米軍が対北作戦をとるとき、「自衛隊がどう動くか」を検討準備させていた。いまイージス・アショア設置を断念するとして、あわてて敵基地攻撃能力をもつことを準備するとの自民党の党議をまとめた程度では、日朝間の現実の緊張に対してはとても間にあわないのである。これだけの近距離では発射されたミサイルを撃ち落とすのは難しい。ミサイルの発射に備えることは当然として、なによりもミサイルを撃たせないようにすることが第一である。そのためには唯一国交をもたない国、北朝鮮と国交を開き、関係を正常化し、協力することである。安倍氏の政策はそのことを全否定してきたのである。 そのようにみてくれば、2019年5月3日になって、安倍首相が突如「拉致問題の解決には、わが国が主体的に取り組むことが何よりも重要です」と言い、「日朝間の相互不信の殻を打ち破るため」、「条件をつけずに金委員長と会い、率直に、また虚心坦懐に話し合ってみたい」と言い出したのは、言葉だけのジェスチャーにすぎなかったことは明らかでろう。これは、いわゆる「やってる感」を出して、人を欺く行為にほかならない。北朝鮮からいかなる答もなかったのは当然である。安倍首相が欺いたのは拉致被害者家族であり、日本国民である。
 つまり、安倍氏拉致問題三原則、拉致政策は完全に破産しているのである。安倍氏の立場では、日朝関係の緊張緩和、日本の安全保障、日朝国交正常化、拉致問題の解決、北朝鮮の核ミサイル脅威の解消、日朝両国民の和解と協力には一歩も前進できない。安倍退陣後は新首相は、安倍政府の北朝鮮を憎む政策から離れ、小泉首相の日朝国交正常化政策にもどらなければならない。かって小泉首相は二度目の平壌訪問の行きと帰りに羽田空港で、「非正常な関係を正常な関係に、敵対関係を友好関係に、対立関係を協力関係に変えることが、両国の国益にかなう」と明言した。小泉首相のしたように、日朝国交正常化に向かってこそ拉致問題のさらなる解決は可能になるのである。
 小泉首相平壌宣言から18年が経過した。北朝鮮は12年前に最初の核実験を行い、3年前に米国と深刻な戦争の危機に入った。そして危機を回避して、2018年には南北首脳会談、米朝首脳会談をおこない、平和プロセスに入ったとみえた。しかし、いまは米朝関係もいかなる進展もなく、南北関係さえ開城の連絡委員会ビルの爆破にみられるように険悪化している。こういうときだからこそ、日朝交渉を開き、国交正常化への歩みを再開することは、日本の過去清算のために必要であるだけでなく、日本の安全保障と東北アジアの平和のために必要である。拉致問題の解決にも必要なのだ。 すでに田中均氏、石破茂*1平壌、あるいは、平壌と東京に連絡事務所を開くことを提案している。いまは思い切って、無条件で国交を樹立し、平壌と東京に大使館をひらき、その上で経済協力問題、拉致問題、核ミサイル問題を三つのテーブルで同時に交渉するのが現実的だと考えられる。その程度の実利を北朝鮮にあたえなければ、日朝間の交渉も難しいだろう。無条件国交樹立にはオバマ米大統領の対キューバ外交の先例がある。オバマ氏は2014年12月、無条件で、制裁を維持したまま、キューバと国交樹立すると発表し、翌年7月国交回復を実現した。いまでは、隣国と国交をもっていないのは主要国では日本だけとなっている。オバマ大統領の決断をみならうべきときである。日朝国交樹立が実現すれば、文化交流も人道支援もただちに実行できる。文化交流の一環で、(ボーガス注:北朝鮮国民に)山田洋次監督の「寅さん」作品や宮崎駿監督のアニメ映画もみてもらいたいし、(ボーガス注:北朝鮮での)広島長崎の原爆被害展開催も実現できると思う。

 概ね全く同感なので、紹介しておきます。

*1:小泉内閣防衛庁長官福田内閣防衛相、麻生内閣農水相自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相など歴任

今日の産経ニュース(2020年11月15日分)

コロナ感染最多に不安84% 内閣支持率63% 共同通信世論調査 - 産経ニュース
 未だに内閣支持率63%というのには菅批判派としてげんなりせざるをえませんが、「パンケーキ懇談会」によるマスコミの批判報道封じの側面が大きいのでしょう。
 なお、

・来年1月末までを実施期間としている観光支援事業「Go To トラベル」を延長する政府方針に対しては、反対が50・0%、賛成は43・4%だった*1
日本学術会議の任命見送りで菅首相の説明は「不十分だ*2」との回答が69・6%だった。「十分だ*3」は21・0%。

なので菅政権の支持が「強固な代物ではなく」、例えば「今後のコロナの感染状況(菅政権がgotoトラベルの中止に追い込まれるなど*4)」によっては大きく下落する可能性もあるかと思います。
 なお、質問事項に「菅政権の目玉政策」のはずの「デジタル庁」「不妊治療の適用拡大」がないらしいことが興味深い。未だに具体性皆無なので聞きようが無いと言うことでしょう。


下地氏の自民復党認めず 沖縄県連「あり得ない」 - 産経ニュース

 今年1月には、日本でのカジノを含む統合型リゾート施設(IR)事業をめぐる汚職事件で、中国企業からの現金受領を認め、維新から除名処分を受けた。

なんて人間は普通に考えてそうなるでしょう。「維新から除名されたから自民に戻りたい」と言う上に除名理由が「IR疑惑」なんて人間を受け入れることに利益もないでしょう。当たり前の話です。


栃木県知事選 福田氏、県政史上最多の5選確実に - 産経ニュース
 自民党王国・栃木では予想の範囲内ですが「5選」ねえ。自民党もよほどの人材難なのか、はたまた県知事が後継者になりそうな人間の出馬の可能性を潰して自らの政権の長期化を目指しているのか、と他人事ながら聞きたくなります。


「死刑制度廃止」弁護士会の強引手法に会員から反発も - 産経ニュース
 野党の反対を無視した「自民党強行採決」を平然と容認する産経が「弁護士会の強引な手法」呼ばわりとは全く呆れます。
 もちろん「どんなに弁護士会執行部が議論を尽くそうとも」「どんなに死刑賛成派弁護士が少数派だろうとも」、「死刑支持」産経は弁護士会が「死刑廃止」の方向で運動すれば「強引」と因縁を付ける。
 その逆に「どんなに弁護士会執行部が議論無視だろうとも」「どんなに死刑反対派弁護士が多数派だろうとも」、産経は弁護士会が「死刑賛成」の方向で運動すれば「よくやった」と絶賛するのでしょう。全くくだらない話です。


【書評】『死刑賛成弁護士』犯罪被害者支援弁護士フォーラム著 - 産経ニュース
 「死刑に賛成するしか能の無い連中」が「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」を名乗るのは辞めて欲しいですね。
 なぜなら「以前も別記事で書いたこと」ですが、「犯罪被害者のメンタルヘルスや経済支援」と言った問題は死刑反対派も主張していることで分かるように「犯罪被害者支援=死刑賛成」ではないからです。そもそも死刑をやたら叫ぶことは「犯罪被害者のメンタルヘルスや経済支援」と言った問題への無関心を助長しかねません。
 せめて「死刑賛成弁護士フォーラム」とでも名乗ったらどうなのか。なお、俺個人は死刑反対派です。しかし文春も本当にくだらない本を出したもんです。レベルの低いウヨ出版社が文春なので予想の範囲内ですが。


【書評】『OKI 囚われの国』杉山隆男著 「現代戦」描く警世の小説 - 産経ニュース評・安藤慶太(正論編集部)

 島根県隠岐の島に独裁国家から送られた武装集団が襲来、あっという間に実効支配され、国内は大混乱

 「アホか(呆)」としか言いようがない与太小説ですね。
 「尖閣」のような領有権争いがある島ならともかく、そうでない島に何を根拠に襲来するのか。そもそも離島なんか占拠して何の利益があるのか。
 そもそもその「独裁国家」とやらはどこの国なのか。
 中国か、北朝鮮か、ロシアか。どこの国でアレ説得力は皆無の与太話ですが。そして「九条改憲を正当化するため」とはいえ、そんな事態になっても何も出来ない無能が「自衛隊在日米軍」とはまあ、自衛隊在日米軍も、この小説において随分と馬鹿にされたもんです。こんな駄本を書くことによって杉山某は自らが「レベルの低いデマ右翼だ」ということを完全に露呈したわけでまあ滑稽ですね。まともな人間には到底出来ない愚行です。
 もともとは『メディアの興亡』(1998年、文春文庫)という自衛隊と関係ない著書で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した人物・杉山が、今や

◆『兵士を追え』、『兵士に聞け』、『兵士を見よ』(以上、2007年、小学館文庫)
◆『自衛隊が危ない』(2014年、小学館101新書)
◆『兵士は起つ:自衛隊史上最大の作戦』(2015年、新潮文庫
◆『3・11 兵士は起つ:自衛隊活動記録』 (2020年、扶桑社新書)

などを量産する『ただの自衛隊宣伝マン』と化した上に最終的には

 島根県隠岐の島に独裁国家から送られた武装集団が襲来、あっという間に実効支配され、国内は大混乱

などというデマ本『OKI 囚われの国』(2020年、扶桑社)を書く『デマ右翼』とは随分と劣化したもんです(呆)。福島香織同様『才能が無い(大宅賞受賞作はまぐれ当たりorお手盛り受賞)からカネのために自衛隊宣伝マンやデマ右翼に転落した』のか、はたまた『自衛隊宣伝マンやデマ右翼が本性だった』のかはさておき。

 2014年のロシアによるクリミア併合を見よ。ロシアはほぼ無血でクリミアを占領、併合した。

 やれやれですね。それを理由に「ロシアの北海道侵攻」「中国の尖閣侵攻」など口にしたら、「クリミアは当初はロシアの領土(したがって今もクリミアにはロシア人が多い)」「ウクライナの領土になった後もロシア黒海艦隊が駐留していた」という特殊事情があり、「ウクライナと日本は違う」ので正気を疑われるでしょうが、それを平気でやるのが産経新聞です(呆)。


「政治介入」の元祖? 「最も得してきた」共産党と学術会議の関係をひもとく - 産経ニュース
 「共産党ガー」と言ういつものデマです。立憲民主党社民党朝日新聞毎日新聞と言った共産党以外も批判してるのに良くもデマが飛ばせたもんです。


【日曜講座 少子高齢時代】2021年、75万人程度の可能性 コロナで出生数激減へ 客員論説委員・河合雅司 - 産経ニュース
 もちろん「妊娠後の妊婦や胎児へのコロナ感染(妊婦や胎児にどんな影響があるか分からない不安)を恐れて夫婦の性交渉を控える」「コロナ不況で生活不安から子どもを作る意欲がわかない」「コロナ禍で、感染予防を理由に男女の出会いの場である合コンやお見合いパーティーなども減った(あるいはなくなった)→結婚数の減少」とかそう言う影響はあるのでしょうが、でも「コロナ前から少子化」ですからねえ。「コロナの影響」はそんなに過大評価できないのではないか。


【産経抄】11月15日 - 産経ニュース

・時の権力者を匿名の文書で当てこする文化は、昔からあった。風刺の効いた狂歌などを詠み、道に落としておく。これを「落書(らくしょ)」と呼んだ。
・いまは、節度の被膜を破った毒が相手を傷つける時代になった。インターネット上で後を絶たぬ、現代版の落書である。

 なにも「落書=権力者批判」なら、「モリカケ批判」とか現在でもいくらでもあるでしょうにねえ。産経はそうした「落書」を認めたくないのでしょうが
 なお、江戸時代の落書だと

◆役人の子はにぎにぎをよく覚え

などがありますね。
 あるいは太平洋戦争当時だと

◆足らぬ足らぬは夫が足らぬ(元ネタは『足らぬ足らぬは工夫が足らぬ』)

なんてのもあります。

 今年はコロナ患者をたたく投稿があり、女子レスラーを自殺に追いやった中傷も記憶に新しい。

 週刊文春が報じた「フジテレビのやらせ疑惑」に何一つ触れない辺りはさすが産経です。


めぐみさんに「お帰りなさい」伝えたい 拉致から43年、同級生の誓い (1/2ページ) - 産経ニュース
 「ウンギョンさんの存在を認めながらめぐみさんは隠す」なんて常識的にありえないのでめぐみさんは死んでるとみるのが当たり前です(和田春樹氏などもそう言う見方です)。こんな与太を良く放言できるもんだと心底呆れます。 やはり「売名行為」でしょうか。それとも常軌を逸した『反北朝鮮極右』か。

・同級生の会の代表を務める新潟市の池田正樹さん(56)
・最近は、8歳になった自身の長男を連れて署名活動を行うこともある。

 8歳の子どもをそんなもんにつきあわせるとは「頭がおかしい」としかいいようがない。俺の知る限り左派は「護憲運動など」でそんな馬鹿なことはしないでしょう。
 これが「乳母車に乗った赤ちゃん」なら「面倒を見る人が居ないから仕方なく連れてる」という言い訳も可能かもしれませんが「8歳(小学二年生?)」ではそんな言い訳は不可能でしょう。産経も左派がこんなことをやれば「子どもの政治利用」と悪口でしょうに全くふざけています。
 しかし「56歳の父親で8歳の子ども」ですか。「余計なお世話のお節介ですが」、相当の晩婚なんですかね?

高齢の小学校時代の教諭、中林千代さん(92)が署名活動に立つ姿にも胸を打たれ、「自分もできることをやろう」と続けてきた。

 まあやりたければ勝手にやればいいと思いますが90歳超えた人間がこんなことしなくてもいいでしょうにねえ。もはや署名活動(それも抽象的な『拉致の早期解決要求』)なんて拉致解決と何一つ関係ないし。「日朝交渉」以外に解決の道はありませんが、その場合に大事なことは「日本外務省の外交技術」であって、それは署名運動でどうにかなることではない。

 同級生の会を中心に、22年からは毎年、新潟市内でチャリティーコンサートを開いてきたが、今年は新型コロナウイルス禍で開催を見送った。来年の6月5日、滋さんの命日に合わせて再開するべく、会場の確保など準備を進めている。
 「来年6月は、帰ってきた横田に『お帰りなさい』といえるコンサートにしたい。横田も席に座って、聴いてほしい」。再会の日を信じ、走り続ける。

 コンサートなんかしたところで拉致の解決には何一つ貢献しないのによくもまあ馬鹿なことが出来たもんです。まさか「コンサートに客がたくさん来れば成功(注:たくさん来ているのか知りませんが)」とでも思ってるのか?
 心底呆れます。


めぐみが夫に贈ったくし、こんなに古びて…拉致から43年、早紀江さん語る(1/2ページ) - 産経ニュース
 「1977年11月15日」が「横田めぐみ拉致の日」なんだそうです。
 なお、11月15日 - Wikipediaによれば他にも

◆1955年11月15日
 自由党日本民主党が合併し、自由民主党が誕生(保守合同
◆1975年11月15日
 第1回先進国首脳会議(サミット)開催

などが起こっています。
 タイトルから想像つくでしょうがニュースバリュー皆無のただのお涙頂戴です。馬鹿馬鹿しくて笑うほかありません。そしてこんなお涙頂戴を早紀江がやっても日本人の大多数はもはや拉致に興味関心などありません。

 局面の打開には「トップ同士の話し合いが一番大事」と、日朝首脳会談の早期実現を望む。

 日朝首脳会談小泉首相がやったら「たった5人の帰国か!」と悪口して小泉氏のやる気をなくさせたことは早紀江の脳内からは何故か消えてるようです。あんなことをやって誰が「日朝交渉しよう」と思うのか?。早紀江の馬鹿さにはいつもながら呆れます。早紀江の寝言が不愉快なので、「滋氏の後を追って早く病死して欲しい」とすら思う。
 そもそも早紀江は「どういう形で解決して欲しい」のか。
 「北朝鮮は日本の言い分を全て受け入れろ。しかし北朝鮮の要望は一切受け入れない」では外交にならないわけで、日本側も「一定の妥協」は不可避でしょう。
 しかし早紀江は「即時一括全員帰国」などと放言し、妥協を事実上否定しているのだから交渉が成立するわけもない。何で早紀江にはその程度の事も分からないのか?。

国民に対しては、「自分ごととして拉致を学び、思ってほしい」と呼びかける。

 「はあ?」ですね。「拉致被害者家族でない」俺にとって拉致問題なんて他人事ですよ。
 ならば早紀江は「生活保護受給者」「東日本大震災被災者」「水俣病患者」など「自分とは直接関係ない方々の苦しみに、日頃目を向けている」のか?
 「私たち拉致被害者を支援して下さい」という「自分のことしか口にしない連中」、しかもその場合の「支援」が「蓮池透家族会除名も含め、私たちの主張を全て容認して下さい。反対意見、異論は認めません」なんて思い上がった連中がふざけんな、て話です。
 そもそも「自分ごととして拉致を学び、思ってほしい」てそんなことで拉致が解決するのか。
 拉致の解決は現実的には「小泉訪朝による拉致被害者帰国」のような形しかあり得ず、そのために必要なのは「適切な日朝外交」です。そうした「適切な日朝外交」は外交技術の問題であり「自分ごととして拉致を学び、思ってほしい」なんてことは全く関係ない。
 結局、拉致解決は関係なくて、早紀江が拉致問題で「かわいそうですね、大変ですね」と国民にチヤホヤしてもらいたいだけじゃないのか。

「帰国がかなっても誰もいない、ということにならないよう、とにかく元気でいようと思います」

 そもそもめぐみさんはもはや生きてないとみるべきでしょうにねえ。「めぐみさんが生きてるのにその存在を隠し、しかし拉致の事実と、ウンギョンさんの存在は認める」なんて不自然なことが本気でありうると思ってるんでしょうか?。いずれにせよ早紀江には「お涙頂戴か、くだらねえ。お前が死のうと生きようと知ったことか」という感想しかないですね。


【主張】パラオへの支援 「太平洋」の対中傾斜阻め - 産経ニュース
 産経のアンチ中国はもはや「病気」といっていいでしょう。パラオが仮に親中国になろうとそれが日本の国益とどう関係するのか。

*1:コロナ蔓延を恐れる意見がある一方で「観光業界」や「旅行好き」の中にはgotoトラベルを望む人間もいるのでしょう。

*2:不十分と言うより「まともな説明が何一つ無い」のですが。

*3:本気で「充分」と思ってるのではなく「自民党のやることなら何でも容認する人間」がほとんどでしょう。

*4:既にgotoイートは予算の消化によって早晩終了の予定だそうです。

新刊紹介:「前衛」12月号

 「前衛」12月号について「興味のある内容」のうち「俺なりに何とか紹介できそうな内容」だけ簡単に触れます。「赤旗記事の紹介」でお茶を濁してる部分が多いです。
http://www.jcp.or.jp/web_book/cat458/cat/
◆今月のグラビア『日本文学風土記:高知』(小松健一
(内容紹介)
 『日本文学風土記:高知』というタイトルですが、吉井勇のみ取り上げられています。

◆高知の侠客鬼龍院政五郎(通称・鬼政)とその娘花子の生涯を描いた『鬼龍院花子の生涯』の著者・宮尾登美子高知市出身)

など高知関係の作家が幅広く取り上げられてるわけではありません。
 

参考

[no.961] 2016年10月12日 歌人・吉井勇の”百八の煩悩”を薄れさせた土佐の自然と人々の温もりある心・・・。この地で暮らした4年余りは、勇にとって「人生再生の日々」であった。そのゆかりの地を巡る・・・。 - 写真家小松健一のオフィシャルサイト
 僕のライフワークのひとつに「日本文学風土記」がある。このシリーズに取り組んでからすでに40年以上の歳月が流れている。全国47都道府県すべてを近現代の日本文学を切り口にして、日本の風土、文化、人々の暮らしなどを写真によって、記録・表現しようというアプローチである。
 高知も何度か取材をしているが、今まで歌人吉井勇については取材をしたことがなかった。勇は1931(昭和6)年5月に初めて土佐の地を踏んだ。46歳の時だ。その後、昭和8年8月に再び訪れ、のちに3年4か月余り暮らすことになる在所村猪野々集落(現香美市香北町猪野々)を訪れ、約1か月間滞在している。
 昭和12年10月、高知市築屋敷に居を移し、再婚してここで約1年間の生活を送った。勇、52歳のときである。僕は吉井勇が土佐で過ごした4年余りの日々は、自然のなかで己を見つめた「人生再生の日々」として勇のそれから生き方にとっても、文学活動にとっても大きな転機となった重要な時期だったと思っている。

吉井勇って?? | いなかみライフ
 香美市にまつわる有名人に必ず入ってくる「吉井勇」という人物。香北町猪野々に一時期暮らしていた方なのですが、どれだけすごい人なん?って方も多いかも…
 ちょっとご案内をさせていただきたいと思います。
 早稲田大学を中退後は本格的に文学の道に進み、交友関係には石川啄木平野万里北原白秋斎藤茂吉などなど、有名人がずらり。その中で続々と戯曲を発表して脚本家としても名をあげ、歌集『酒ほがひ』、戯曲集『午後三時』で耽美派歌人・劇作家としての地位を築いています。
 日本中に名がとどろいたのは、なんと言っても1915年(大正4年)発表「ゴンドラの歌」の作詞者であったこと。これは芸術座公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、大正時代の日本で大流行。この曲は平成の世になっても、たくさんの有名な歌手がリバイバル曲として発表し、YouTube(ユーチューブ)でもご覧いただけます。
 勇は1931年(昭和6年)初めて土佐に来られ、1933年(昭和8年)から3年間、香北町猪野々で生活をしています。実はここに来る前にある事件*1に巻き込まれ、人生消沈の時。勇は猪野々で過ごした日々について「私は一種の人間修業をすることができて、不遇時代のさすらいの身から再び起ち上がることができたのです」と振り返っています。
 たった3年間ですが、その後の勇は見事に復活し、京都で活躍することになります。

 「ゴンドラの歌」というとやはり俺的には黒澤映画「生きる」の志村喬ですね。


◆シリーズ座談会・党国会議員団の役割と値打ち③「国政私物化を許さず、日本の平和・安全守るため問題の根源を示し追及」
(内容紹介)
 新刊紹介:「前衛」11月号 - bogus-simotukareのブログで紹介したシリーズ座談会・党国会議員団の役割と値打ち②「安倍暴走政治と正面から対決し暮らしと経済を守る」の続きです(なお、①はコロナ問題)。
 「国政私物化」が「モリカケ疑惑」「桜を見る会疑惑」の追及を、「日本の平和・安全」が「オスプレイ配備反対運動」「イージスアショア配備反対運動(イージス配備挫折後は敵基地攻撃能力批判)」「原発汚染水の海洋廃棄反対運動」などを意味しています。

参考
解説/オスプレイ 道理ない木更津「暫定配備」/首都圏全域で訓練も
「桜を見る会」 出資“見返り”に招待/田村氏、マルチ被害拡大で追及
主張/「森友」改ざん訴訟/真相語るのが安倍政権の責任
陸上イージス配備断念/経緯 一刻も早く明らかに
福島第1汚染水海洋放出 断じて認められない/田村政策委員長が会見
主張/森友公文書改ざん/菅政権は全容を公開すべきだ
主張/福島原発汚染水/海洋放出の決定を強行するな
主張/「敵基地攻撃」検討/際限ない危険な軍拡許されぬ
森友「再検査予定ない」/会計検査院検査官候補聴取 塩川議員に答弁


特集『緊急インタビュー日本学術会議「任命拒否」を問う』
◆「任命拒否」はなぜ違憲・違法なのか(岡田正則*2
◆学問の自由と国民主権を踏みにじる(小沢隆*3
◆戦争の反省の上に立つことこそ学術会議の思想的基盤(松宮孝明*4
(内容紹介)
 インタビューされてる方々はいずれも「任命拒否された6人のウチの一人」です。ネット上の記事で内容紹介に代替します。

赤旗学術会議存立 脅かす/菅首相の人事介入/任命拒否された3氏が抗議/小澤・岡田・松宮氏 要請書2020年10月2日

学術会議会員の任命を拒否された岡田正則教授「イエスマンばかりでは役割を果たせない」:東京新聞 TOKYO Web2020年10月2日
 政策提言を行う国の特別機関「日本学術会議」が、新会員として推薦した法律・歴史学者ら6人の任命を菅義偉首相が拒否した問題で、拒否された1人、早稲田大大学院の岡田正則教授が、東京新聞の取材に応じた。岡田氏は「イエスマンばかりでは学術会議の役割を果たせなくなる」と語り、政府の対応に不信感を示した。

「理由を示さぬ決定は不当」 学術会議会員の任命を拒否された小沢隆一教授 :東京新聞 TOKYO Web2020年10月2日
 政策提言を行う国の特別機関「日本学術会議」が、新会員として推薦した法律・歴史学者ら6人の任命を菅義偉首相が拒否した問題。拒否された1人で、東京慈恵会医科大の小沢隆一教授(憲法学)は東京新聞の取材に、「内閣府は任命しない理由を明らかにしていない。理由を示せない決定は不当だ」と語った。

 まあ今回の任命拒否に限らず「一般的に言っても」、根拠を示さない決定は違法の疑いが濃厚です。

#排除する政治~学術会議問題を考える:学術会議除外の小沢隆一氏「独裁に向かう危惧」 安保法「違憲」指摘で排除か - 毎日新聞2020年10月3日
 菅義偉首相から任命されなかった「日本学術会議」の新会員候補6人のうち、小沢隆一・東京慈恵会医科大教授(憲法学)が毎日新聞の取材に応じた。小沢さんは、安倍晋三政権が進めた安全保障法制の成立前、公述人として呼ばれた国会で安保法の違憲性を指摘した過去があり、「それが今回の判断の根拠になっているとすれば、学問の自由に対するとてつもない侵害だ」と主張。

日本学術会議「推薦リスト見ずに任命は違法」岡田教授 | 日本学術会議 | NHKニュース2020年10月10日
 「日本学術会議」の会員人事をめぐり、菅総理大臣が9日、任命されなかった会員候補6人を含む105人の推薦者リストを「見ていない」と説明したことについて、任命されなかった1人で早稲田大学の岡田正則教授は「リストを『見ていない』ということは、学術会議からの推薦リストに基づかずに任命したということで、明らかに法律の規定に反する行為です」と述べました。
 そして「任命権を有する内閣総理大臣に推薦リストが到着する前に何者かが名前を105人から99人に削除したということであれば、総理大臣の任命権や学術会議の選考権に対する重大な侵害です」と述べ即座に是正するよう求めています。
(ボーガス注:「見てないのなら違法」という岡田氏らの批判に対し、後に菅は「リストは見た」と言いだし支離滅裂振りを露呈した)

官邸、「反政府先導」懸念し拒否 学術会議、過去の言動を問題視か|全国のニュース|京都新聞2020年11月7日
 首相官邸日本学術会議の会員任命拒否問題で、会員候補6人が安全保障政策などを巡る政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断をしていたことが7日、分かった。安全保障関連法や特定秘密保護法に対する過去の言動を問題視した可能性がある。複数の政府関係者が明らかにした。
 菅義偉首相は国会審議で6人の任命拒否に関し「個々の人事のプロセスについては答えを差し控える」と繰り返し答弁。拒否理由は今回の問題の核心部分となっていた。日本学術会議法は会議の独立性をうたっており、政治による恣意的な人事介入に当たるとして、政府への批判がさらに強まる可能性がある。
 任命を拒否されたのは松宮孝明立命館大教授や小沢隆一東京慈恵医大教授、加藤陽子東京大教授ら6人。官邸はこの6人が政府の重点政策に強い反対を打ち出し、国会を含む公の場で積極的に発言していたと判断。今後も同様の主張を続け、学術会議内でも反対運動を主導しかねないとして「公務員としては適任ではない」と考えたという。
 松宮氏は2017年に参院法務委員会に参考人として出席し、共謀罪の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法を「戦後最悪の治安立法となる」と非難した。小沢氏は15年、中央公聴会で安保法の廃案を主張していた。


◆発効する核兵器禁止条約をどう力にするか(川田忠明*5
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。核兵器禁止条約の発効を喜ぶと共に日本政府の批准を強く求めている。
核兵器禁止条約に参加する新しい政府を――「橋渡し」論は欺瞞/長崎で志位委員長が会見
核兵器禁止条約の発効の確定を心から歓迎する│核兵器│日本共産党の政策│日本共産党中央委員会


◆「自助・共助・公助」発言の冷酷と無責任(雨宮処凛*6
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

第532回:「自助・共助・公助」〜「共倒れするまで助け合え」という呪い(雨宮処凛) | マガジン9
 この連載で5年前、私は「利根川一家心中未遂事件」について書いている。
 2015年11月、40代の娘が両親とともに車で利根川に突っ込み、両親が命を落とした事件だ。娘は一命をとりとめたものの、殺人と自殺幇助の疑いで逮捕された。
 この事件を受け、私は現地取材を何度かして、また、一家が暮らしていた深谷市の職員にも話を聞いている。そんな市の職員との面談で、印象に残っていることがある。こちら側が一家に対し、「もう少し踏み込んだ対応をすべきだったのでは」と言った時、市の職員は「それよりも、地域の見守りとか、地域の人に頑張ってもらわないと」ということを言ったのだ。
 「地域社会での見守り」。
 それを、地域の人たちが率先して言うのならまだいい。が、役所の職員が介護心中事件を受けてそんなことを言うのは大問題だと私は思う。
 なぜなら、それは「役所は何もしない」という宣言だからだ。税金から給料が支払われている役所の職員が何もせず、一円ももらっていない、ただそこに住むだけの、その道のプロでもなんでもない人が義務を負うなんて、絶対におかしいのだ。というか、これはただ「行政はちゃんと仕事をしろ」というだけの話なのだ。そして私たちは、そんな「公助」のために税金を払っているのだ。だからこそ「地域社会」なんて、あるかどうかもわからないものに丸投げするなと言っているのだ。
 丸投げされるのは「地域」だけではない。時に民間のボランティアにも責任が押し付けられる。
 自民党議員の中には子ども食堂の応援などと言う人もいるが、するべきは「子ども食堂が必要なくなるような貧困対策」に他ならない。
 民間のボランティアにはバックアップ体制などない。誰かがコロナで倒れれば支援ストップ、という危うさの中でやっているのだ。こういう状態が危険だから、民間のボランティアに任せるのではなく、国が一刻も早い公的な支援制度を、「公助」をちゃんと機能させてくれとずーっと要求し、政府交渉も重ねている。が、一向に進んでいないのはご存知の通りだ。
 というか、そもそもこの国の「公助」がマトモに機能していれば、コロナで失業し、ホームレス化に晒される人々からのSOSが民間の支援団体にひっきりなしに届くはずなどないのだ。
 本来であれば公助がフル稼働すべき時に自助ばかりが強調され、共助に対してなんの支援もなく「勝手に頑張れ」と放置されている。そのような状況を知るからこそ、私にとっての共助は「一家心中するまで助け合え」「共倒れするまで助け合え」に思えてしまうのだ。
 何度も書くが、私たちは税金を払っている。だから行政にちゃんと仕事をしてほしい、というだけのことなのだ。そして政治家にも、その自覚を常に持っていてほしい。


◆AI(人工知能)による「個別最適化された学び」は可能か:中教審「中間まとめ」に至る学び論の迷走(梅原利夫*7
(内容紹介)
 中教審「中間まとめ」の「AI(人工知能)による「個別最適化された学び」」なる概念、構想について具体性が乏しいことを指摘。是非以前にそのようなことが果たして可能なのかと批判している。


◆「難民鎖国」、恣意的拘禁の打破こそ:収容・送還専門部会提言及び改正入管法の問題点(児玉晃一)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。
入管長期収容者 解放早く 緊急集会
国外退去拒む外国人に罰則/政府専門部会提言に批判
入管提言問題で懇談/支援団体と藤野・山添氏 共同し「対案」を
管理でなく共生こそ/入管法考える 藤野氏招き集い/東京・墨田
入管人権侵害改めよ/共産党が法務省に要請/山添・大内氏同席


◆シリーズ「沖縄新基地をめぐる25年をふり返る⑤:証言編」『基地被害の深刻さがつくりだした「オール沖縄」』(伊波洋一*8
(内容紹介)
 伊波氏が自らの沖縄県議、宜野湾市長、参院議員としての基地問題との取り組みについて述べていますが詳細な紹介は省略します。


特集「子ども虐待にどう向き合うか」
◆生活基盤の脆弱な家族をどう支えるかが重要(松本伊智朗*9
(内容紹介)
 児童虐待の一因として「生活困難による親のストレス」が指摘され「児童虐待を減らす」ためにも「シングルマザーなど」貧困家庭への経済支援の重要性が訴えられている。
 もちろん1)「貧困家庭であっても虐待がない(あるいは逆に貧困家庭でなくても虐待がある)」ケースもあり、貧困と虐待は「貧困家庭に虐待が多い傾向があるという相関関係」はあっても「貧困家庭ならば当然に虐待が発生するという因果関係はないこと」、2)虐待の有無と関係なく「子どもの貧困」が問題であることも一方では指摘されている。


◆虐待と家族を取材して(杉山春*10
(内容紹介)
 ネット上の記事(杉山氏執筆の記事など)紹介で代替。前衛論文もそうですが杉山氏のスタンスは「虐待親について彼らが刑事処罰を受けるのは当然だが、彼らだけを叩いても何も解決しない」「彼らが暴力に走った背景やそれに周囲が気づいて止められなかった原因を分析し問題解決につなげない限り意味が無い」という「社会問題としての視点」でしょう。
 なお、杉山氏が小学館ノンフィクション大賞を受賞した際の選考委員は小学館ノンフィクション大賞受賞作・候補作一覧1-26回|文学賞の世界によれば

井沢元彦猪瀬直樹櫻井よしこ、野田正彰、船戸与一

だそうで「絶句」ですね。「井沢、猪瀬、櫻井」て選考委員の半分がトンデモ右翼て。さすが週刊ポストSAPIO小学館と言うべきか。
 まあ、杉山氏自体はまともなライターだと思いますが。

我が子を虐待する親の「悲しい真実」~「バカな親がバカなことを…」で済ませてはいけない!(杉山 春) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)2016.01.19
・わが子をネグレクト死させるような親は、「不真面目」で、どうしようもない人間である。そんな考え方が一般的ではないだろうか。
 私自身、虐待が起きるメカニズムを知る前は、そう思っていた。だが、虐待事件を取材、執筆する中で、親たちには共通して、過剰な「生真面目さ」があることに気づくようになった。
・2010年7月に大阪市西区で、3歳と1歳の姉弟が、近くの風俗店で風俗嬢として働く母親に50日間放置されて変わり果てた姿で発見された事件を取材した*11。この母親も、「生真面目さ」が際立つ。
 親が20歳、21歳の専業主婦として過ごした町を歩くと、「子育ては、若いのにしっかりしていた」という声が聞こえてきた。裁判に出廷した元夫も元姑も、家事育児はよくやっていたと評価した。
 ただこの時期、すでに消費者金融などに借金をしていた。裁判でなぜ、生活費が足りないと夫に相談しなかったかと尋ねられて「よい奥さんだと思われなくなるから」と答えている。この母親が良い奥さんだと思われるために、日常を組み立てていたことがわかる。
 さらに二人目の子どもが生まれて、唐突に母親の浮気が始まった。困った夫が招集した家族会議の席で、1日で離婚が決まる。
 この席上、母親は誓約書を書いた。
・子どもは責任をもって育てます。
・借金はしっかり返していきます。
・自分のことは我慢してでも子どもに不自由な思いはさせません。
・家族には甘えません。
・しっかり働きます。
・夜の仕事はしません。
 22歳のシングルマザーが働きながら2歳と生後7ヵ月の子どもを育てるには、無理がある内容だ。
 裁判で誓約書を書くことになった経緯を問われて、自分の意思で書いたものではなく、「そこにいた皆から言われた気がした」と証言している。
 この誓約書の内容が母親を縛ったのではないだろうか。(ボーガス注:生活苦から夜の仕事(性風俗嬢)を始め)約束を守れない母親は、子育てがうまくいかなくなったとき、自分の困難を元夫側や父親側に詳しく伝えて、助けを求めることができなかった。
 この母親は、小学校時代までは、父親の自慢の「娘」だったが、中学時代に非行化した。中学時代、家出を繰り返し、友達や先生とも安定した関係が作れなかった。激しい性的な行動があり、輪姦体験もある。
 こうした環境下で、解離性障害の傾向があった。厚生労働省のホームページには「解離性障害とは自分が自分であるという感覚が失われる状態」「つらい体験を自分から切り離そうとするために起きる防衛反応」とある。幼い子どもが、命にかかわる危機に直面し、それを体験しているのは自分ではない、別の誰かだとすることで、生き延びていく身の処し方の癖ともいえる。
 そうした癖を身につけると、思春期になっても、自分の向き合うべき課題と直面できなくなる。厚生労働省のホームページには「治療では、安心できる環境にすること、家族や周囲の人の理解」が必要だとあるが、この母親の生育歴はそのような環境ではなかった。
 この母親は、離婚後、名古屋のキャバクラで働きながら子育てをしたが、子どもは思いがけず熱を出す。思うように稼げなかった。自分自身が新型インフルエンザにかかったと思った時、元夫や自分の父親に助けを求めたが、急に子どもは預かれないと断わられた。息子の1歳の誕生日には、誰からも連絡がなかった。
 その一週間後に恋人を作り、子どもだけ家に置いて恋人と過ごすようになる。元家族には頼れないと自覚した時、男性に頼ることで生き延びようとした。この時期よりも少し後、公的機関に子どもを預けたいと1度だけ連絡をしているが、支援にはつながらなかった。
 さらに、大阪の風俗店に移り、働き始める。子どもたちは託児施設に預けず、部屋に置いたままだった。10代で性暴力を体験していた母親は、客から(ボーガス注:いわゆる)本番(ボーガス注:と言われる性行為)を求められると受け入れた。もちろん、本来は拒否できる。だが、彼女は、性的な場面で、拒否をすればさらに強い暴力にさらされるという経験をしている。性的アプローチを受け入れてやり過ごすことが彼女の身の処し方だった。
 その間、ホスト遊びに手を出し、金が返せなくなる。SNSの中ではおしゃれで楽しげな生活を表現する一方で、風俗店の寮に子どもたちを隠すように置いて、男性の元を転々とし、借金の取り立てから逃げた。ネット上で楽しげな姿を示すのは、仲間たちから落ちこぼれたくないという彼女の強い思いの表れだ。彼女は周囲にSOSを出して、子育てがうまくいかない母親である自分自身を人に見せることができなかった。
 完璧に子育てをする自分でなければ、隠す以外にない。50日間、放置されて子どもは亡くなった。
 2014年5月に神奈川県厚木市のアパートで、7年前に5歳で亡くなった男児の白骨遺体が発見された。シングルファーザーで子育てをしていた父親はトラック運転手だった。月に50~60時間の残業をこなし、職場での評価は、上位20%が当てはまるAランクだった。職場にも実家にも、一人で子育てをしていることを伝えていなかった。
 妻が出て行ったのは、子どもが3歳のとき。その後、昼夜雨戸を閉め切った真っ暗闇で子育てをした。外から見られたくなかったという。子どもが部屋を出て行かないように、扉に粘着テープを張って閉じ込めた。自分の惨めさを誰にも悟られたくないかのようだ。
 この父親には知的なハンディがあったことが裁判で明らかにされた。さらに、小学生のころに、実母が統合失調症を病んでいた。精神を病む親に育てられた子どもたちもまた、独特のハンディを持つことが知られている。何重にも重なるハンディを抱えて、それでも、自己流ではあるが、与えられた場で精一杯、仕事と子育てを両立さようとした。それは「生真面目」さ以外の何物でもない。
 親たちに共通するのは、社会の規範に過剰なまでに身を沿わそうとして、力尽きてしまう痛ましい姿だ。本来なら到底実現できようもない目標を自ら設定し、達成しようとする。
 親たちの背景をみれば、全員が子ども時代、ネグレクトや暴力的な環境で過ごしている。
 子ども時代に十分に周囲の大人たちに自分の気持ちや意見を聞いてもらえないまま育った。育ちの過程で強い社会への不信を抱える。社会への不信は、自分への不信でもある。人に尊重されることを知らない。自分が周囲に物を言っていいということを知らない。環境を変える力があることを知らない。
 その上でもっとも力が及ぼしやすい我が子を思い通りにしようとする。虐待を受けて育った人たちの3割が連鎖すると言われている。

不倫、離婚、出産…それでも母であることはやめない。「社会規範」から降り、「所有」しない家族のカタチ(杉山 春) | 現代ビジネス | 講談社(5/5)2016.01.21
 あらためて、最初に紹介した、我が子をネグレクト死させた親たちの姿を見てみたい。
 状況が悪化し、困難に行き当たった時、まず、一番思い通りになるわが子のコントロールを始めている。彼らは孤立していて、周囲の人や環境を動かすよりも、自分の力の及ぶ範囲にいる幼な子を動かす方が簡単だからだ。
 彼らは、社会の規範を動かしてもいいという認識は持てなかった。つまり、規範を守らない人たちなのではなく、既存の規範から抜け出せないだけなのだ。
 自分たちを大事にすることを誰からも教わらなかった。
 格差社会の中で、労働と子育ての両立を家族単位で求められてきた。当初は夫婦の役割分担として。その後、一人ひとりの自助努力として。
 生きる力がある人たちは、そんなことは無理だといい、知恵を絞る。周囲の力を借り、経済力を使い、公的支援を使い、自分の願いを実現する。だが、力の乏しい人たちは、周囲を動かすことができず、唯一思い通りになるわが子を痛めつけ、自滅する。

「死にたい」はどのような現象なのか 児童虐待を追ったルポライター杉山春さんが自死を取材する理由(小川たまか) - 個人 - Yahoo!ニュース2018.02.27
◆インタビュアー
 まえがきでは、杉山さん自身、数年前に若い友人を自死で亡くしたとあります。これまで虐待について取材されてきた杉山さんが、自死をテーマに選ばれた理由を教えてください。
◆杉山:
 雑誌「世界」編集部から依頼があったのです。「杉山さんだったらできると思うんです」と言われて。私も友人の自死があって、もやもやしたものを抱えていて、考えたいと思っていた。そこで声がかかったというタイミングでした。
◆インタビュアー
 なぜ杉山さんだったのでしょう。
◆杉山:
 私はこれまで虐待について、虐待をしてしまう親が悪いという視点よりも、親がそこに至る経緯を考えなければ防げないという主張をしてきています。そういう意味で、自死の問題も似ていると思ったのではないでしょうか。ただ、取材を始めて半年以上は、自死という現象をどう考えていいかわからなかったですね。
(中略)
 私なりの理解ですが、自死する人は「死にたい」わけではない。自死は、状況の悪化に追い詰められて起きる。死にたいという気持ちを肯定するというよりも、どのように状況が悪化しているかに気付く必要がある。死にたいから死ぬわけではなくて、それ以外の選択肢がないっていうことを理解しないといけない。(虐待の問題の場合)子どもを殺したいわけではなくて、殺すところまで追い詰められているっていう考え方が、虐待する側への支援と結びついていくわけですよね。『家族幻想』(2016年/ちくま新書)という本を書いたときにわかったのは、ひきこもりにしてもひきこもりたいからひきこもるわけではなく、今の自分を自分で肯定できないから出ていけないという人が苦しんでいる。
 (支援の現場では)自死はやってはいけないっていう風には言ってはいけないと言われています。あなたのやることは悪いことだからやめましょうとか、社会の迷惑だからやめましょうというのではなく、違う選択肢もあると知ってほしいということですよね。私も、「死んではいけません」という本を書いたつもりはなくて。
 選択肢はたくさんあるよっていうことを伝えて理解してもらう。死なないことも選べると知ってもらう、それが自死予防なんだろうなと思います。

親と子、孤立させない 団地に居場所を 相模原でシンポ | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞2019.03.10
 児童虐待や引きこもりなどの取材を重ねてきたルポライターの杉山春さん(60)=川崎市麻生区=が、相模原市にある県営団地で親と子どもの居場所づくりに取り組んでいる。
 杉山さんはこれまで多くの虐待事件を取材し、誰にも相談できず追い詰められていく親の姿を見てきた。
 「家庭に全ての責任を背負わせてしまう時代。困ったときにSOSが出せるように、保護者の気持ちも聞ける場にしたかった」。
 家族への生活支援や関係機関との橋渡しにも力を入れる。

目黒区・結愛ちゃん虐待死、なぜ行政は救えなかったのか | 子どもの命を守る | 特集 | 週刊東洋経済プラス2019年9月21日号
目黒区虐待死事件、「もうおねがいゆるして」反省文は母娘共作だった(杉山 春) | マネー現代 | 講談社(1/5)2020.02.08
目黒区「結愛ちゃん」虐待死事件、母・優里が書いた「獄中手記」の中身(杉山 春) | マネー現代 | 講談社(1/8)2020.02.12
子どもへの体罰禁止が法制化、小4女児虐待事件の真相 | なぜ父は実子を追い詰めたのか | スペシャルリポート | 週刊東洋経済プラス2020年4月18日号


◆あいつぐ洪水被害、治水事業に何が求められているか(石﨑勝義)
(内容紹介)
 石崎氏の主張紹介についてはネット上の記事紹介で代替。
「鬼怒川の堤防決壊はなぜ起きたのか」(石崎勝義氏による緊急報告) | 八ッ場(やんば)あしたの会
建設省OB、東京新聞に投書「倉敷の堤防決壊は人災」 | 八ッ場(やんば)あしたの会
ダム建設より安価な堤防強化 旧建設省研究所元次長・石崎さん「決壊防ぐ工法、再開を」:東京新聞 TOKYO Web


ジェンダー覚書―The personal is political『性風俗業者への持続化給付金不給付問題』(飯田洋子*12
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介などで代替。
 「風俗業は不支給」撤回を/休業補償 従事者の生存権守れ/厚労相に支援団体要望において「性風俗労働者の休業補償」について不支給を「差別ではないか」「性風俗労働に従事するほか生計の道が無い貧困女性を経済的に追い詰める」などと厳しく批判した共産党ですが「性風俗経営者(行政訴訟を起こした業者がいるらしいデリバリーヘルスなど)への持続化給付金」については「性風俗産業」は「本来、警察が営業許可を与えてる」以上、潜りの違法業者ならともかく、許可業者に給付しないことは「違法の疑いが否定できない」としながらも「現実に許可を得たはずの性風俗業者が売春防止法違反などで摘発される事実がある」ため、「きちんと実態を把握した上で、違法行為の事実が認定され給付が不適当と判断した場合は不支給もやむを得ない(もちろん不支給とした場合は多くの場合、営業許可を取り消し犯罪行為として摘発することになるだろう)」「しかし違法行為が認定されない限り、許可業者に不支給とすることは現行法上は正当化できず、むしろ給付せざるをえない」とする「ケースバイケース」の対応を主張しています。
 なお、「性風俗産業をどう考えるか(欧米など一部の国での売買春合法化を参考にした売買春合法化論や、逆に現状の性風俗産業も今後、違法行為として厳しく取り締まる売買春の徹底的な違法化論など)」はひとまず「今回の給付の是非とは別物と考えるべきだ(現状において合法な行為として許可した業者について『違法行為が認定できない』のに、不支給とすることは違法の疑いが濃厚なため)」としています。
 まあ、で「誤解を恐れず書きますが」、この「風俗営業を合法的な物として許可している以上持続化給付金を与えないとおかしいのでは?」というのは「朝鮮学校各種学校認可している以上、無償化除外はおかしいのでは?」という話にもつながるかと思います。
 こう書くと「ならば各種学校認可を取り消すべきだ」と更なる暴論を吐きかねないのがウヨ連中ではありますが。なお、誤解が無いようにお断りしておきますが俺は勿論「認可や許可している以上差別待遇はおかしい」と言う意味では「性風俗業への持続化給付金不支給」と「朝鮮学校の無償化除外」には共通点があると思いますが、もちろん「性風俗産業」と「朝鮮学校」を同一視しているわけではありません。

参考

コロナ給付金の「性風俗除外」どう思う?|【西日本新聞ニュース】
 新型コロナウイルス対策で、国は中小企業などに持続化給付金や、家賃支援給付金を支給しています。持続化給付金は中小企業に最大200万円、個人事業主に最大100万円。しかし性風俗店は対象外です。ただし店で働くスタッフは、店と業務委託契約を結ぶ個人事業主と見なされ(ボーガス注:持続化給付金の?)支給対象となります。
 性風俗店を対象外とした理由について、梶山弘志経済産業相は「社会通念上、公的支援による支援対象とすることに国民の理解が得られにくい」(5月の参院予算委員会)と説明しています。
 これに対し、関西でデリバリーヘルスを営む事業者は9月、国などを提訴しました。「法を守り、納税や確定申告もしているのに、性風俗業者だからといって一律に排除されるのは許されない」「国が性風俗業で働く人の尊厳を無視している」と訴えています。みなさんはどう考えますか?


◆論点『二〇二〇年産米価暴落を阻止し、水田農業経営を守る政策を』(湯川喜朗)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。
米価下落 対策ぜひ/農水省に農民連 豪雨被害支援も
コメ コロナ禍在庫増大 暴落の危機/農村で不安広がる/農民連・共産党 備蓄米買い入れ要求
米価暴落阻止急げ/農民連中央行動 自国の食料は自国で
米価の安定求める/宮城 紙・ふなやま氏とJA懇談
主張/21年米 作付け削減/需給と米価安定は政府の責任


◆暮らしの焦点『問われるコンビニ本部 公取委が大規模調査し改善要請』(植田忠義*13
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。
コンビニ24時間強制/独禁法違反の恐れ 公取委 本部に改善要請/オーナーに調査 業務時間「辛い」63% 時短希望67%
主張/コンビニ公取調査/オーナー苦しめる構造ただせ
コンビニ営業 改善急げ/8社にオーナー要望 公取委見解受け
「オーナーに過重負担」/コンビニ訴訟 支援する会結成


メディア時評
◆新聞:任命拒否問題にみる菅政権とメディア(千谷四郎)
(内容紹介)
 菅政権の御用新聞と化している産経や「前川バー通い報道」読売を批判する一方で、菅政権を批判する朝日、毎日、東京が評価されている。


◆テレビ:学術会議任命除外とメディアの姿勢(沢木啓三)
(内容紹介)
 フジテレビの平井文夫が「学術会議議員に選ばれると自動的に学士院委員になり年250万の年金が終身もらえる(学士院会員が年250万円の年金を終身もらうことは事実だが、学術会議議員が自動的に学士院会員になる事実など無い。学術会議議員でも学士院会員にならない人間も、学士院会員だが学術会議議員でない人間もいずれも存在する)」などのデマを飛ばしたことを批判。
 また、平井に限らず、『TBSワイドショーの司会・立川志らく(悪名高いウヨ芸人)』など、一部の「自民党御用マスコミ人」が学術会議を誹謗するデマを飛ばしていることを厳しく批判。一方でTBSテレビ『ニュース23』『報道特集(前川元文科次官インタビューなど)』『サンデーモーニング』、TBSラジオ『セッション(荻上チキ司会)』などを高く評価している。
 ウヨはこれらのTBS番組を共産党シンパだの何だの悪口するのでしょうが、他の番組が「菅批判しない」と言う意味で酷すぎるだけの話です。

参考

関口宏 学術会議の見直し・改革「いやいや待ってください。問題片付けてからにして」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース2020年10月11日
 関口宏が11日、司会を務めるTBS「サンデーモーニング」で、菅義偉首相が日本学術会議から推薦を受けた新会員候補者6人の任命を拒否した件で、政府や自民党から学術会議のあり方を見直す方針が示されたことが伝えられると、「その前にこの問題を片付けてからにしてくださいと思う」とコメントした。
 番組では、菅首相をはじめ政府の姿勢を「依然、具体的な理由は明らかにせず、ここにきて自民党や政府からは学術会議のあり方を見直す方針が示されました」として、河野太郎行革相が行革の点検対象とするとした発言や、下村博文政調会長がプロジェクトチーム新設を打ち出したことを挙げた。野党が論点のすり替えだと批判しているとも伝えた。
 これを受けて関口は「早くも学術会議の改革論なんてのが出てきちゃうんだけど、いやいやその前に、ちょっと待ってください。この問題片付けてからにしてくださいと思うんですけど」と述べ(中略)た。

 後でも触れますが、TBSテレビにはこうした「まともな番組がある」一方で、悪質極まりない政府御用番組『志らくのグッとラック』ですからねえ。
 しかし関口も元々は俳優ですがもう完全に『司会者&芸能プロ経営者』ですね。そして、過去においては関口の発言は「何ら珍しい物ではなかった」でしょうが、『志らくのグッとラック』など他番組があまりにも酷いが故に、関口発言が光ってしまうわけです。
 ジャーナリストではない関口の発言が「経歴上はジャーナリストのはずの平井文夫」などよりまともというのも皮肉な話です。
 そして菅らは「可能ならばサンデーモーニングと関口を潰したい」と恨みを募らせてることでしょう。
 それにしてもスポーツ紙・デイリースポーツがこうした報道というのも何とも奇妙な話です。

『サンモニ』青木氏、日本学術会議任命拒否に「説明して」 村西とおる監督は「偏向報道を続ける論拠は何か」と反論|ニフティニュース
 11日放送の『サンデーモーニング』(TBS系)で、ジャーナリストの青木理*14日本学術会議の任命拒否問題について持論を展開。
 番組は一連の日本学術会議任命問題を取り上げ、例によって(ボーガス注:コメンテーターである)元衆議院議員田中秀征*15毎日新聞論説委員の元村有希子氏*16が、菅義偉総理大臣を激しく批判する。そして司会の関口宏が、青木氏に意見を求めた。
 すると、青木氏は「6人の方をなんで排除したのかを、せめて説明してもらわないと。巷では、政権の意向に反することを言ったからじゃないか、という風に思われちゃってるわけですよね」と持論を展開する。
 さらに、「いろんなネットなんかもそうだし、政権も言ってるですけど、国費を投入してるから税金を投入してるから当たり前だみたいなこと言うんだけれど。別に、税金って時の政権のものじゃなくて、納税者全員のものですよね」とコメント。
 そして、「基本的には多数決でそれを運営していくんだけれども、一方でやっぱり少数者、時の政権に対して疑問を呈する人とか、批判をする人っていうことの意見も大切にして運営していかないと。差別とかヘイトは論外なんだけれども。その多様性とか社会の進歩ってことを担保するわけですよ」と批判に耳を傾けるべきだと怒りを見せる。
 続けて、「6人がなぜ排除されたのか、最低限説明して先に行かないと。学術会議のあり方を見直すとかなんとかっていうのは別の話ですよね」と批判した。

 この記事『サンモニ』青木氏、日本学術会議任命拒否に「説明して」 村西とおる監督は「偏向報道を続ける論拠は何か」と反論|ニフティニュース自体は自民党万歳のネトウヨサンデーモーニングや青木氏に悪口するというアホ記事ですが、「その点を無視すれば」サンデーモーニングが菅に批判的だと言うことが理解できる記事ではあります。

https://twitter.com/kazu10233147/status/1317444287051816961
◆あらかわ
10月17日
 報道特集金平茂紀さんが前川喜平さんを取材
 菅と面談した日本学術会議の梶田会長に対し「なさけない。総理に会うなら6人の任命拒否の理由を問いただすべき。むしろ、ちゃんとした返事があるまで帰らないくらいの気持ちで行かないとおかしい。それを、ほとんど話題にしなかったのは信じられない。」

前川喜平氏 杉田官房副長官から差し替え求められた…「政府方針に批判的人物は…」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース2020年10月17日
 前川喜平元文部科学事務次官が17日、TBS系「報道特集」に出演し、自身も学術会議と同様のことがあったと振り返った。
 2016年8月。文化功労者選考分科会の委員を選任する際に、前川氏は文科大臣の了解を得た候補者名簿を杉田和博官房副長官に提出した。すると1週間後に杉田氏から官邸に呼び出されたという。
 前川氏は「この人とこの人は、はずしなさいと具体的な名前を言われた」と杉田氏から候補者2人の差し替えを求められたと述べた。
 前川氏は、杉田氏の言葉として「これまで政府の方針に批判的なことを言ってる人物じゃないか。こういう人物をいれてはいかん」と言われたという。また、「こういう人が入らないように初めからチェックして持ってこいと、お叱りを受けた」とも語った。

 杉田は今回の『学術会議委員任命拒否』でも「疑惑の官僚」として名前が出ている人物。「官邸のアイヒマン」の悪名を持つと言われる北村滋・国家安全保障局長と同様に、警察官僚上がりで菅政権の独裁体質を象徴する御仁とされます。
 文化功労者については 文化功労者の一覧 - Wikipediaを紹介しておきます。
 なお、過去においてはリベラル保守ないし左派の野上弥生子(1965年選出、作家)、杉村春子(1974年選出、俳優)、田中二郎(1980年選出、東大名誉教授(行政法学)、元最高裁判事)、宇沢弘文(1983年選出、東大名誉教授(経済学))、土屋文明1984年選出、歌人)、大隅健一郎(1985年選出、京都大名誉教授(商法学)、元最高裁判事)、団藤重光(1985年選出、東大名誉教授(刑法、刑訴法学)、元最高裁判事)、川島武宜(1991年選出、東大名誉教授(民法学、法社会学))、芦部信喜(1993年選出、東大名誉教授(憲法学))、伊藤正己(1994年選出、東大名誉教授(憲法学)、元最高裁判事)、山田洋次(2004年選出、映画監督)、仲代達矢(2007年選出、俳優)、吉永小百合(2010年選出、俳優)、宮﨑駿(2012年選出、アニメ監督)、池辺晋一郎(2018年選出、作曲家)、大林宣彦(2019年選出、映画監督)なども選出されており、数の大小はともかく自民党シンパのみが文化功労者に選ばれてるわけではありません(2010年、2012年は民主党政権なのでその辺りは微妙ですが)。まあ、安倍政権以降にその当たりが極端に悪化したのかもしれません。
 こういう話を聞くと「なるほどねえー、(文化功労者ではないが)だから長谷川町子国民栄誉賞もらえたのに手塚治虫は(以下略)」と思わずには居られませんね。まあ手塚の偉大さは賞をもらってる、もらってないで変わるような話でもないですが。

菅首相「日本学術会議」任命拒否問題でフジ平井文夫がデマ! 志らく、橋下徹、八代英輝もスリカエの政権擁護と学術会議攻撃|LITERA/リテラ
 ついに公共の電波を使って、信じられないようなデマまで流された。デマを喧伝したのは、平井文夫・フジテレビ上席解説委員だ。
 それは5日に放送された『バイキング』(フジテレビ)でのこと。そこで平井氏はこんなことを言い出したのだ。
「だってこの人たち6年ここで働いたら、そのあと学士院というところに行って、年間250万円*17年金がもらえるんですよ。死ぬまで。みなさんの税金から。大体。そういうルールになっている」
 この発言を受けて、番組MCの坂上忍*18らスタジオの出演者からは「えー!」という驚きの声が口々にあがったのだが、これは紛れもないデマ、フェイクニュース日本学術会議と学士院は管轄も違えば役割も異なる組織だが、そもそも日本学術会議の会員数は210人(任期6年)で、対する学士院の定員は法律で150人と定められ、しかもそれは終身会員だ。平井氏は日本学術会議の会員は任期が終われば自動的に学士院に行けるかのように語ったが、定員150人の組織に入ることなど不可能なのだ。
 この平井氏の発言は、ネトウヨまとめサイトの「アノニマスポスト」や「Share News Japan」などによってすぐさま拡散された一方、間違いを指摘する声も数多く上がった。その結果、平井氏は昨日6日放送の『とくダネ!』(フジテレビ)に出演すると、「学術会議の会員全員が学士院会員になれるとの誤解を一部に与えてしまった」などと釈明。同日の『バイキング!』でも、エンディング前に伊藤利尋アナウンサーが「昨日の放送について補足と訂正があります」と言い、平井氏の発言を訂正した。
 「誤解」でもなんでもなく明確な「デマ」を流したというのに、上席解説委員という立場にある人間が問題発言をおこなった自社の番組に出てこず、アナウンサーに訂正させるとは……。その無責任ぶりに呆れるほかないが、さらに平井氏は釈明をおこなった『とくダネ!』でも「学術会議の会員は学士院の会員に推薦されますが、ならない人もいますし、学術会議以外の人も学士院会員になる道はあります」などと発言。まるで日本学術会議の会員が全員学士院の会員に推薦されるかのように語ったが、そのような決まりはどこにもなく、性懲りもなく“年金デマ”を助長するかのような発言をおこなったのである。
 だが、平井氏の“暴言”はそれだけではない。デマを流した平井氏はその反省もなく、日本学術会議に約10億円の予算が国から出ていることに対し、『とくダネ!』でこう主張しはじめたのだ。
「やっぱり口出してほしくないなら自分でやればいいじゃないですか。なんで『口は出すな、税金はくれ』って言うの」
 しかし、これは平井氏だけの主張ではない。実際、5日放送の『グッとラック!』(TBS)では、立川志らくも「10億円の予算を国からもらってやるからいけないんであって、別にこんなのなくていいんじゃないですか?」「学問の侵害、弾圧につながるって言うんだけども、だけど別に研究はできるわけで、学者の意見を聞きたいのならば、それだけの組織をつくればいいんですよ」「私がそのメンバーだったら『いいよ、別に。自分たちでやるから』って」と発言。同番組のコメンテーターとなった橋下徹氏も「税金が入っているというところで、国民からすれば『金はくれよ、でも口出すな』って、それは学者さんのみなさん、ちょっと違うんじゃないのと思っちゃう」などと大合唱を繰り広げたのだ。
 同じように、『ひるおび!』(TBS)でも八代英輝弁護士はこう発言していた。
「私、ちょっと疑問なのは、この日本学術会議というものに国費、国民の税金を投じているわけですよ。で、やはり政府に対して厳しい意見を言うんだったら任意団体でいいわけじゃないですか。これを国費を投じておこなうという以上は、ある程度、民主的なコントロールというものも必要」
 絶句したのは、橋下氏の発言だ。橋下氏は『グッとラック!』で、日本学術会議の次に取り上げられた、芸能人の相次ぐ自殺にかんする報道の話題のときにも、“10億円を「いのちの電話」に使えばいい”などという主張をおこなったのである。
 国民の関心が高まっている自殺の問題と関係がまるでない日本学術会議の予算話をリンクさせて、「こっちに予算を回せばいい」「こっちのほうが有益だ」と主張する。そうすることで、日本学術会議に対して国から出ている10億円は“無駄金”であり、“税金泥棒”だと強調してみせたのだ。

 「笑っていいとも」の後番組「バイキング」がこれですからねえ。まあ『いいとも』も小泉や安倍を出演させるろくでもない番組ではありましたが、「まだバイキングよりはマシだった」と思いますね。しかし平井(今回だけでなく毎度のようにデマを拡散)と言い「裁判所お墨付きのデマ屋」阿比留といい、フジサンケイの悪質さは酷いですね。まともな会社なら確実に阿比留も平井も懲戒処分でしょうが「自民党政権の敵(辻元氏や学術会議)はデマで誹謗して構わない」が社是らしいので処分されないわけです。
 そしてTBSテレビ『報道特集』『サンデーモーニング*19』、TBSラジオ『セッション(荻上チキ司会)』などはまともな番組(従って沢木氏も指摘していますが、TBSテレビ『報道特集』『サンデーモーニング』、TBSラジオ『セッション(荻上チキ司会)』は菅を厳しく批判しました)なのに何でTBSのワイドショーはここまで悪質な政府御用番組なのか。『前衛今月号(12月号)の沢木コラム』やリテラ記事が批判するようにフジ『バイキング』、TBS『グッとラック』『ひるおび』などが菅を擁護していることが、「国民の間での菅批判の広がりを阻害してること」は否定できないでしょう。もちろん、こうした菅擁護の背景には『前衛今月号(12月号)の沢木コラム』が指摘するように『例のパンケーキ懇談会』があることも間違いないでしょう(なお、朝日、東京、京都新聞のように出席を拒否したメディアもあることも指摘しておきます)。
 それにしてもTBSは例の「オウム事件」で「ワイドショーは二度とやりません」と約束したくせに「視聴率がとれない」&「ほとぼりが冷める」とみるやワイドショーを復活させたあげくこれですからね。怒りを禁じ得ません。


文化の話題
◆映画:法廷での反戦と人権の闘争:映画「シカゴ7裁判」(伴毅)
(内容紹介)
 映画「シカゴ7裁判」の紹介。警察の無法な暴力がきっかけで起こったBLM運動と映画公開(但し劇場ではなくNetflix)が皮肉にも「見事にぶつかったこと」で「シカゴ7裁判」が「過去の出来事ではないことが明らかになった」とはいえるかと思います。

参考
シカゴ7裁判 | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト

シカゴ7裁判 - Wikipedia
 1968年のシカゴ民主党大会で暴動を企てた容疑で起訴された7人の被告人、アビー・ホフマン(サシャ・バロン・コーエン)、ジェリー・ルービン(ジェレミー・ストロング)、トム・ヘイドン(エディ・レッドメイン*20)、レニー・デイビス(アレックス・シャープ)、デビット・デリンジャージョン・キャロル・リンチ)、ジョン・フロイネス(ダニエル・フラハティ)、リー・ウェイナー(ノア・ロビンス)のいわゆる「シカゴ・セブン」を描いた劇映画。アメリカでは新型コロナウィルスの流行により配給のパラマウントは劇場公開を断念し、Netflixに権利を売却した。


◆写真:福島を撮り続ける:写真集『藤田篤男写真集:望郷―FUKUSHIMA 2011‐2020』(関次男)
(内容紹介)
 写真集『藤田篤男写真集:望郷―FUKUSHIMA 2011‐2020』の紹介。


◆美術:東京の原美術館で最後の展覧会(武居利史)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

原美術館 - Wikipedia
 原美術館は2020年12月をもって閉館の予定であることが、2018年11月に発表された。閉館の理由としては、もと個人の邸宅であった美術館の建物が老朽化し、バリアフリー化が困難なことなどが挙げられている。東京の原美術館の閉館後は、群馬県渋川市伊香保にある姉妹館のハラミュージアムアークを「原美術館ARC」と改称し、そちらに活動拠点を集約することとされている。

原美術館、2020年に閉館へ。40年の歴史に幕|美術手帖2018.11.22
いま、原美術館を見つめ直す。これまでの歩みと閉館の理由、そして美術館のこれから|美術手帖2018.12.29
原美術館の閉館を来年1月まで延期、最後の展覧会「光―呼吸 時をすくう5人」が9月開幕2020年07月18日
今を見つめる5作家を紹介 「光―呼吸 時をすくう5人」開幕(東京・原美術館) – 美術展ナビ2020.09.23
5人の美術家が共演、品川の原美術館最後の展覧会。|特集|Culture|madameFIGARO.jp(フィガロジャポン)2020.10.26


◆スポーツ最前線『新型コロナ禍のプロボクシング』(小林秀一*21
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

コロナ禍 地域スポーツの苦悩/ボクシングジム プロもアマも厳しい
 ボクシング界は、ほとんどのジムが4月から5月半ばまで営業を休止していました。プロライセンスを扱うジムで構成される日本プロボクシング協会(JPBA)は、緊急事態宣言が出された地域のジムに、解除までの一般会員(プロ以外の利用者)へのジム営業自粛を要請。プロの練習にも制限を設けています。
 ジムは会員の会費で運営しており、休業すればその月の収入がほぼなくなります。持続化給付金(個人100万円まで、法人200万円まで)と合わせてJPBAは4月、独自にすべての加盟ジムに10万円の補助金を給付。5月に30万円を追加給付しました。しかし、新型コロナウイルスによる休業、営業縮小の影響で収入が減ったジムは、家賃、人件費などをまかないきれないといいます。
 JPBAの新田渉世(にった・しょうせい)事務局長(川崎新田ジム会長)は1日に行ったオンライン会見で、自粛期間の収入減によりかなりの数のジムが運営の危機に直面していると指摘しました。「そろそろ限界に達している」「国や自治体の補助金、融資だけでは追いつかない現状。実際に立ちゆかないのであれば、要請に従わないで営業せざるを得ないんじゃないか」と、窮状を訴えました。

ファイトマネー10倍 コロナ下、ボクシング興行に知恵 :日本経済新聞2020/9/4
 7月から再開されたボクシングは、新型コロナウイルス感染防止で厳しい客入れ制限が続く。興行収入の大半を占めるチケットの販売減は死活問題だが、手をこまぬいてばかりもいられない。コロナ下でもファイトマネーを大幅に増やした興行もある。従来の手法にとらわれない、新たなモデルの中身とは。
 8月31日、東京・新宿の小さなイベントホールでボクシング興行が開催された。全6試合でタイトルマッチはなし。もちろん、テレビ放送もない。「密」を避けるためチケットも一般販売されず、入場したのは招待された数十人だけだった。そんなひっそりと行われた小興行で、一人の前座ボクサーが「過去最高の10倍」ものファイトマネーを手にした。
 2回KOで敗れた山口拓也(ワールド日立)が得たのは手取りで約80万円。通算4勝12敗2分けの無名選手に日本王者クラスに匹敵する報酬*22が渡った理由は、インターネット上で行われた「投げ銭」、そして動画投稿サイト「ユーチューブ」を駆使したプロモーションだ。
 1口500円の投げ銭に火がついたのは、8月1日に山口の紹介動画がユーチューブで公開されてから。茨城の田舎町の小さなアパートで一人暮らし。コンビニのアルバイトで生計を立て、いまだ従来型携帯電話「ガラケー」を使う35歳、中年男のしがない生活を追った動画は、最後にその切り詰めた生活の理由が認知症を患う母の介護費用のため、という告白で終わる。
 どことなくユーモラスでほっこりさせる動画が公開された後、山口への投げ銭が殺到。結局、試合当日までに77万円超が集まった。もともとの山口のファイトマネーは手取りで8万円*23。これに投げ銭の手数料を引いた約90%が加わる。これには山口本人も「自分は何もしていないのに」と驚いた。
 出場した全12選手に集まった投げ銭の総額は約150万円。メキシコ帰りの実力派としてメインイベントを務めた坂井祥紀(横浜光)にも40万円近く集まった。ボクサーは通常、ファイトマネーに加え、自ら後援者や友人に売るチケット代、トランクスに付けるスポンサーロゴなどが収入源。現状では客入れ制限で売るチケットがほとんどないだけに、「本当にありがたい」(坂井)と選手も喜んだ。
 「無観客でどうやって興行を成り立たせるか、それが全ての出発点。チケット以外に『売れるもの』を考えた」。
 こう語るのは今回の仕掛け人、横浜光ジムの石井一太郎会長(38)だ。興行は八王子中屋ジムの中屋一生会長(41)との共催で、中屋会長が主に協賛スポンサーを集める一方、石井会長が目をつけたのがインターネットやSNS(交流サイト)によるマネタイズだった。
 投げ銭以外にもフェイスブックで期間限定の有料オンラインサロン(最低額2980円の任意課金)を開設し、様々な選手の情報や独自コンテンツを発信。そして、試合当日はユーチューブで3時間半にわたって無料ライブ配信した。3000~5000人のライブ試聴があり、翌日には総視聴回数が5万を超えた。
 石井会長は興行タイトル「A-SIGN.BOXING」を冠したユーチューブチャンネルを運営している。業界の仕組みや過去の名選手、注目試合の見どころをわかりやすく語る内容が支持され、現在3万2000人の登録者がいる。山口を追いかけた動画もここで公開して投げ銭につながった。オンラインサロンの参加者が興行スポンサーになってくれるなどしたという。
 動画の再生が増えればユーチューブからの収益も増える。
 「オンラインサロン、投げ銭、ユーチューブの3つをどうひも付けるかがカギだった」。
 それぞれの発信が相乗効果となって拡散し、通常のチケット主体の興行とは桁違いのファンにリーチできたと考えている。
「今回は一つの実験」と語る石井会長の頭の中には、既に次の企画がある。8月31日の興行では、世界ボクシング機構WBOスーパーフェザー級前王者の 伊藤雅雪(横浜光)が11月5日に東洋太平洋王者、三代大訓(ワタナベ)と対戦すると発表した。普通ならテレビ放送される好カードだが、ユーチューブでライブ配信する。
 「テレビに負けない演出を考えている」(石井会長)。
 世界王者経験者がユーチューブで試合をするのも異例だが、伊藤は「テレビじゃないと、というこだわりはない。石井会長の企画力を間近で見てきて、僕もやってみたいと思った」と語る。
 コロナ禍でいつ観客をフルに入れられる日に戻れるか見通せない。テレビ局の制作予算も削られるなか、放送権料もじり貧だ。今回の挑戦は小さな一歩かもしれないが、こうした新しい発想がボクシングのような古い世界にこそ必要なのだろう。

渡部あきのり、王座返上&現役引退 コロナ禍で「モチベーションやパフォーマンスを維持できない」― スポニチ Sponichi Annex 格闘技2020年10月14日
 プロボクシング東洋太平洋スーパーウェルター級王者・渡部あきのり(35=角海老宝石)が10月14日付で王座を返上し、現役を引退した。日本ボクシングコミッションJBC)の公式サイトで公示された。ジムによると「コロナ情勢、選手不足によって試合が決まりにくい状況や、今後もモチベーションやパフォーマンスを維持できないと判断」が引退理由という。

ワタナベジム会長に罰金、感染拡大予防違反繰り返す - ボクシング : 日刊スポーツ2020年10月15日
 東日本ボクシング協会は14日に理事会を開き、新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドラインに違反したとして、ワタナベジム渡辺均会長(70)に罰金50万円の処分を下した。
 協会主催する9月6、24、25日の東京・後楽園ホールでの東日本新人王予選で、入場券を所持せずに座席に着いたり、立ち見観戦した。協会役員らが注意したが、違反を繰り返したことで処分となった。

ボクシングジム会長を処分 試合控え室でラウンドガールが飲酒 | ボクシング | NHKニュース2020年10月19日
 プロボクシングを統括するJBC日本ボクシングコミッション)は、都内のジムの会長が先月主催した試合会場の控え室で、ラウンドの数を紹介する「ラウンドガール」と呼ばれる女性が、酒を飲むなど新型コロナウイルスの感染拡大予防のガイドラインに違反したとして、会長に対し制裁金50万円などの処分を決めました。
 JBCによりますと東京都北区にある「フラッシュ赤羽ジム」が主催し先月8日に東京後楽園ホールを会場に行われた試合で、リング上でラウンドの数を紹介する「ラウンドガール」と呼ばれる数人の女性が控え室で酒を飲み、一部が泥酔したということです。
 JBCの倫理委員会は、19日までにジムの川島勝会長に運営上の責任があるなどとして、制裁金50万円、プロモーターライセンスを試合が行われた先月8日から6か月間停止とする処分を決めました。
 プロボクシングでは、感染拡大予防のガイドラインで、原則として会場内での水以外の飲食が禁止されていて、JBCの安河内剛本部事務局長は「会場での飲酒は責任が重い。世の中がどういう状況にあるのか、責任者には改めて認識してほしい」と話しています。

来月のボクシング全日本選手権は中止に 新型コロナの影響 | ボクシング | NHKニュース2020年10月26日
 日本ボクシング連盟は、来月都内で開催を予定していた「全日本選手権」について、新型コロナウイルスの影響で中止することを決めました。
 ボクシングの全日本選手権は、アマチュアの日本一を決める大会です。

減量も禁止を迫られたボクシングで今できること(1/2ページ) - 産経ニュース2020.10.29
 10月中旬、関西学院大兵庫県西宮市)の学生会館内にあるリング上では、ボクシング部員が黙々と拳を繰り出していた。濃厚接触を避けるためスパーリングはまだ禁じられており、目の前に相手はいない。
 同大は関西学生ボクシングリーグの1部に所属する強豪。20人の部員を抱えるが、一度に練習できるのは大学のガイドラインで定められた3人まで。閑散とした練習場で、ひたすらシャドーボクシングに打ち込んだ中井隆人選手は「パンチの感覚を忘れそうです」と苦笑した。
 部員を鼓舞する掛け声は禁止。マスクを着用してのミット打ちやサンドバッグの連打でも、雄たけびを上げるのはNGだ。
感染症に対する抵抗力を低下させる恐れがあるため、負担の大きい無理な減量は行わない》
 日本ボクシング連盟が8月に出したガイドラインにはこんな記載がある。
 通常なら試合の数週間前から始める減量をやめ、何カ月も前から食生活を変えることで、徐々に体重を減らしていく。関学大の別の部員は「コロナ以降、食事の誘いを断り続けています」と明かす。コロナで変容した競技のあり方に対応するために、選手のプライベートもまた変化を余儀なくされている。

コロナ下のボクシング世界戦 入場者絞り「大声控えて」「マスクを」 後楽園厳戒 - 毎日新聞2020年11月6日
世界ボクシング機構WBO)フライ級王座決定戦(6日、後楽園ホール
 新型コロナウイルス感染拡大後、海外選手を招き、観客を動員して実施された国内初のボクシング世界戦。来夏の東京オリンピックパラリンピックに向け「海外選手を招く興行の失敗」は許されないとあって、会場は厳戒態勢が敷かれた。
 「いよいよ戦えるということに感謝したい」。
 初の世界戦を翌日に控えた5日、WBOフライ級3位の中谷潤人(22)=M・T=は前日計量をパスして新型コロナのPCR検査でも陰性となり、オンライン取材で安心した表情を見せた。
 開催が2度延期となった今回の世界戦は、異例の配慮がなされた。開催発表は2週間前の10月23日。中谷と対戦する同級1位のジーメル・マグラモ(26)=フィリピン=が検査を経て、無事来日するのを待ったからだ。マグラモは来日後2週間、ホテルで隔離生活を送り、取材対応はなし。中谷もスパーリングを公開せず、予備検診や調印式は公開されなかった。海外からの来日を最低限にとどめたため、試合役員を中立国から呼ぶこともできず、全員が日本ボクシングコミッションJBC)役員となった。
 後楽園ホールの収容人数は約2000人だが、チケットは一般販売されず、招待客やジム関係者ら約400人の入場に絞った。観客は間隔を空けて座り、場内ではスタッフが「会話や大声での応援はお控えください」「ご観戦中もマスクを着用してください」と記されたカードを掲げ、注意を呼びかけた。関係者らはリングサイドを慌ただしく動き回り、「緊張する」と言葉少なに話した。
 3日の世界ボクシング協会WBAライトフライ級タイトルマッチは、スーパー王者・京口紘人(26)=ワタナベ=の新型コロナ感染で中止になったばかり。JBCの安河内剛事務局長は「コロナと共存する難しさは実感している」と話した。

*1:不良華族事件 - Wikipediaのこと

*2:早稲田大教授(行政法)。著書『国の不法行為責任と公権力の概念史:国家賠償制度史研究教授』(2013年、弘文堂)

*3:東京慈恵会医科大教授(憲法学)。著書『予算議決権の研究:フランス第三共和制における議会と財政』(1995年、弘文堂)、『ほんとうに憲法「改正」していいのか?』(2002年、学習の友社)、『憲法を学び、活かし、守る:強まる危機に立ち向かう』(2013年、学習の友ブックレット)

*4:立命館大教授(刑法学)。著書『刑事立法と犯罪体系』(2003年、成文堂)、『過失犯論の現代的課題』(2004年、成文堂)、『刑事過失論の研究』(2005年、成文堂)、『「共謀罪」を問う:法の解釈・運用をめぐる問題点』(2017年、法律文化社

*5:日本平和委員会常任理事、原水爆禁止日本協議会原水協)全国担当常任理事など歴任。日本共産党平和運動局長。著書『それぞれの「戦争論」:そこにいた人たち(1937・南京〜2004・イラク)』(2004年、唯学書房)、『名作の戦争論』(2008年、新日本出版社)、『社会を変える23章 そして自分も変わる』(2015年、新日本出版社

*6:反貧困ネットワーク世話人、『週刊金曜日編集委員。著書『悪の枢軸を訪ねて』(2004年、幻冬舎文庫)、『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』(2007年、祥伝社新書)、『生き地獄天国:雨宮処凛自伝』(2007年、ちくま文庫)、『プレカリアートデジタル日雇い世代の不安な生き方』(2007年、洋泉社新書y)、『ともだち刑』(2008年、講談社文庫)、『排除の空気に唾を吐け』(2009年、講談社現代新書)、『ロスジェネはこう生きてきた』(2009年、平凡社新書)、『生きさせろ!難民化する若者たち』(2010年、ちくま文庫)、『右翼と左翼はどうちがう?』(2014年、河出文庫)、『非正規・単身・アラフォー女性:「失われた世代」の絶望と希望』(2018年、光文社新書)など(雨宮処凛 - Wikipedia参照)

*7:和光大学名誉教授。著書『学力と人間らしさをはぐくむ』(2008年、新日本出版社)、『新学習指導要領を主体的につかむ』(2018年、新日本出版社

*8:沖縄県議、宜野湾市長を経て現在、参院議員

*9:北海道大学教授。著書『子ども虐待と家族』(編著、2013年、明石書店)など

*10:2004年に『伊織ちゃんはなぜ死んだか』(後に『ネグレクト(育児放棄):真奈ちゃんはなぜ死んだか』と改題し、2004年、小学館→後に、2007年、小学館文庫)で第11回小学館ノンフィクション大賞受賞。著書『満州女塾』(1996年、新潮社)、『移民環流:南米から帰ってくる日系人たち』(2008年、新潮社)、『ルポ虐待:大阪二児置き去り死事件』(2013年、ちくま新書)、『家族幻想:「ひきこもり」から問う』(2016年、ちくま新書)、『児童虐待から考える:社会は家族に何を強いてきたか』(2017年、朝日新書)、『自死は向き合える:遺族を支える、社会で防ぐ』(2017年、岩波ブックレット

*11:後に杉山『ルポ虐待:大阪二児置き去り死事件』(2013年、ちくま新書)として刊行

*12:日本共産党ジェンダー平等委員会事務局次長

*13:著書『「激変の時代」のコンビニ・フランチャイズ』(2010年、花伝社)、『フランチャイズは地域を元気にできるか』(2011年、新日本出版社

*14:著書『日本の公安警察』(2000年、講談社現代新書)、『北朝鮮に潜入せよ』(2006年、講談社現代新書)、『ルポ拉致と人々:救う会公安警察朝鮮総連』(2011年、岩波書店)、『絞首刑』(2012年、講談社文庫)、『増補版・国策捜査:暴走する特捜検察と餌食にされた人たち』(2013年、角川文庫)、『トラオ:徳田虎雄・不随の病院王』(2013年、小学館文庫)、『抵抗の拠点から:朝日新聞慰安婦報道」の核心』(2014年、講談社)、『青木理の抵抗の視線』(2014年、トランスビュー)、『ルポ国家権力』(2015年、トランスビュー)、『誘蛾灯:二つの連続不審死事件』(2016年、講談社+α文庫)、『日本会議の正体』(2016年、平凡社新書)、『情報隠蔽国家』(2018年、河出書房新社)、『安倍三代』(2019年、朝日文庫)、『暗黒のスキャンダル国家』(2019年、河出書房新社)、『時代の抵抗者たち』(2020年、河出書房新社)など

*15:新党さきがけ代表代行、橋本内閣経済企画庁長官など歴任

*16:毎日新聞社論説委員、科学環境部長。著書『理系白書』(2003年、講談社文庫)、『理系思考』(2007年、毎日新聞社)、『気になる科学』(2012年、毎日新聞社)、『カガク力を強くする!』(2019年、岩波ジュニア新書)など

*17:月額20数万程度であり、俺的には全然高いカネではないですね。年間250万円だけで生活できるかと言ったらもちろん出来ないわけです。むしろ本来は一般国民もその程度の年金を終身もらい、『学士院会員』にはもっと優遇措置が執られても当然かと思います。

*18:志らく同様のウヨ芸人。

*19:まあサンデーモーニングなどはコメンテーターからして『菅批判派の青木理氏』などを呼んでますからね。橋下なんぞ呼ぶ『グッとラック』などとは比較になりません。

*20:2015年に、物理学者のスティーブン・ホーキングを演じた『博士と彼女のセオリー』でアカデミー主演男優賞、ゴールデングローブ賞主演男優賞、英国アカデミー賞主演男優賞を受賞(エディ・レッドメイン - Wikipedia参照)

*21:元日本ウエルター級チャンピオン。現在はボクサーを引退し、家業の豆腐屋を継承している。全国商工団体連合会(全商連)青年部協議会副議長。著書『「とうふ大好き!」レシピ110:元気の素を手軽においしく』(共著、2007年、新日本出版社)(小林秀一 (ボクサー) - Wikipedia参照)

*22:ボクシングに詳しくないので「日本王者クラスでそんなもんなの?、安過ぎね?」とびっくりですね。どう見てもプロスポーツとして「野球やサッカー、ゴルフなどに比べて」ボクシングは「割がいい」とはいえそうにない。

*23:いくら無名とは言え「殴り合いしてたった8万円」とは割が合わないにもほどがあると思います。

新刊紹介:「歴史評論」12月号(ボーガス注:池波正太郎『烈女切腹』『力婦伝』、歌舞伎『伽羅先代萩』、『鏡山旧錦絵』、森鴎外『堺事件』、大岡昇平『堺港攘夷始末』の紹介があります)

 詳しくは歴史科学協議会のホームページをご覧ください。小生がなんとか紹介できるもののみ紹介していきます。正直、俺にとって内容が十分には理解できず、いい加減な紹介しか出来ない部分が多いですが。
特集「19世紀日本の人物顕彰」
 「19世紀」とは「1800~1900年(明治33年)」で「11代将軍徳川家斉の時代から第四次伊藤内閣まで」だからかなり幅があります。
 なお、興味深いことに「ただの偶然でしょうが」今回掲載論文のウチ

◆ゆかりの地における明治維新関係者の人物像:水戸天狗党の行軍地域を例に(岩立将史)
◆地方伝承としての「烈女伝」:「烈女ふじ」と飯田の郷土史(神林尚子)

は水戸天狗党、山口ふじという「犯罪者(人殺し)」が「地域の英雄(天狗党の場合は出身地の茨城と、終焉の地である福井。飯田藩の人間であるふじの場合は長野)」として後世に美化されるという点で「共通点」があります。

◆「表彰」からみた19世紀の日本社会:鳥取を事例として(岸本覚*1
(内容紹介)

鳥取大学地域学部の教員によるミニ講義『民衆は褒めて統治せよ! ~江戸時代の民衆の心をつかむ技~』岸本覚
◆藩政の求心力は祖先の権威だった
 薩摩藩長州藩は、幕末に大きな力を持ち、幕末・明治維新をリードしていきました。藩政改革の成功と多くの人材に恵まれていた両藩ですが、こうした大藩が指導的な地位を築いたのも、それにふさわしい意識を創り出していたからではないかと考えられます。それを「祖先の力」とみて、彼らのエネルギーの源を探ってみると、薩摩藩源頼朝にゆかりのある人物島津忠久を祖先として崇敬していました。長州藩も、中国地方を制覇した毛利元就やその子孫を崇敬することで、藩を一致団結させようとしていました。このようなそれぞれの家の祖先を顕彰する動きが「王政復古」への流れをつくっていくのです。
◆「褒めること」は君主の仕事
 江戸時代の君主は中国の政治理念を踏襲し、褒めるべき人は褒め、罰する人は罰するという「信賞必罰」を実践していました。特に名君と呼ばれる藩主は、帝王学を幼少の頃から学び実践していたのです。徳川将軍は、全国の善行者を記録するという大事業を行い、諸藩も領内の善行者を表彰し記録してきました。「親孝行をした人」「農業に尽力した人」「地域のために尽くした人」などを褒めることで、民衆から統治を正式なものとして認められていたのです。
 「褒賞」制度は、寛政の改革の時には幕府が大々的に行いましたが、各藩に独自の褒賞方法もあります。例えば、鳥取藩では毎年宗門改の時に善行者を褒め、悪事をする可能性がある者を地域の人々の目の前で罰するという独自の方法をとっていました。
◆褒賞制度から見える、時代の価値観
 褒賞という制度は近代に入ってから整備され、現在私たちは「春の叙勲」「秋の叙勲」として毎年見ています。天皇が国民を褒める「勲章」「褒章」制度がつくられてからも、江戸時代以来の「親孝行な人」なども褒賞されていました。こうした「親孝行」「老齢者」への尊敬が薄れていくようになったのは、戦後からです。このように近世や近代、そして現代と「褒めること」から当時の人々の価値観をうかがい知ることができるのです。

 上記の通り、岸本氏は「江戸時代鳥取藩の表彰(褒賞)制度」について述べていますが、歴史評論論文でも同様に「江戸時代鳥取藩の表彰(褒賞)制度」について述べられています。
 その上で、そうした鳥取藩の表彰制度が明治維新後の鳥取県でも引き継がれていくことが述べられています。
 ただし「鳥取藩と鳥取県の表彰制度」には色々な違いがありました。詳しくは岸本論文を読んで頂ければと思いますが例えば以下のようなことです。
1)表彰制度の目的
 もちろん表彰することで「表彰された者のような生き方をするよう奨励する」とともに、「表彰した者(権力側)への忠誠心を育成すること」が「今も昔も」表彰制度の目的です。ただし江戸時代は忠誠の対象は「鳥取藩」と言う鳥取限定の権力者だったのに対し、明治以降は「鳥取県」のバックには天皇制国家という「全国規模の権力者」が存在したわけです。
 明治以降の「天皇制国家による表彰」を象徴することとしては例えば「紀元節(2/11)」「即位礼の日」など「皇室関係の日」に表彰式が行われたことが上げられます。現在も「即位と恩赦」などが結びつけられることがあるので不思議なことではないでしょう。
2)表彰制度の対象
 江戸時代と明治以降では社会体制や価値観が変化し、その結果、表彰の対象も変化します。
 その一番わかりやすい例が金鵄勲章など「軍功の表彰」です。江戸時代初期と幕末を除いて戦争のほとんど無かった江戸時代と違い、明治以降は日本政府は日清、日露戦争など植民地獲得の戦争を積極的に進めていきます。

【参考】

【概要・目次】鳥取県史ブックレット褒められた人びと『』/鳥取県公式サイト
【書名】
鳥取県史ブックレット第11巻『褒められた人びと―表彰・栄典からみた鳥取―』
【概要】
 江戸時代、親孝行なこども達は人びとに大きな感動を与えました。当時の「孝」の精神とは?また、明治・大正時代には、「善行者」が褒められます。国をあげての「善行者」さがしとは?さらに戦争と表彰の関係、旧藩主・池田家が果たした役割などを通して近世~近代の鳥取県の表彰制度のあり方を捉えます。
【目次】
はじめに
第一部 江戸時代の表彰
 第一章 祖先の戦功が生きている時代
  (1)武士と戦功
  (2)池田長吉の感状
 第二章 帝王学としての表彰
  (1)江戸時代における表彰政策
    岡山藩の表彰政策/「孝義録」の編さん
  (2)池田慶徳の登場ー「名君」の教科書と施政
   徳川斉昭の息子慶徳/父・斉昭の教え/施政の教科書
  (3)孝行人の表彰-岡嶋正義の勧善祭
 第三章 江戸時代鳥取の「孝」
  (1)感動の連鎖反応
    露姫の衝撃/露姫追悼の要因
 (2)因伯の孝行人
  「孝義録」のなかの因伯/平吉の行状/「孝義録」に載る善事
第二部 近代栄典制度と鳥取県
 第一章 明治初期の褒賞
  (1)『鳥取県史料』にみる賞罰
    近代栄典制度の成立前夜/『鳥取県史料』の表彰者/士族への褒賞と刑罰
  (2)『明治孝節録』
   『明治孝節録』と『鳥取県史料』
 第二章 鳥取県における栄典と表彰
  (1)勲章
   栄典制度と勲章の成立/鳥取県出身の高位受勲者/近代日本における勲章の価値
  (2)褒章
   褒賞制度の成立/鳥取県における褒章受賞者
  (3)鳥取県の表彰制度
   鳥取県における表彰の特徴
  (4)高額寄付者への褒章
   紺綬褒章候補の選定/褒章をめぐる問題点
  (5)褒章の基準-国家と県の狭間で
   褒章候補選定の難しさ/斎木善三郎の場合/山枡専蔵の場合
  (6)紀元節表彰の確立
   紀元節表彰/昭和一〇年の伝達と表彰式/表彰された人びと/昭和一〇年表彰の時代背景/北谷村処女会の場合
 第三章 「善行者」の行方
  (1)善行者選定の仕組み
   「善行」を支えたもの/善行者の選定基準/表彰者の調査/追跡調査される表彰者
  (2)「善行者」を探す-メディアの役割
    新聞社と行政/「生きた感化」-善行表彰者の感化力
 第四章 日清・日露戦争と勲章・表彰
  (1)日清・日露戦争と勲章―金鵄勲章の時代
   金鵄勲章の誕生/鳥取県における受章者/「武功」の基準/八頭郡の事例
  (2)戦争を支えた人びとへの表彰
   行政への調査と表彰/西伯郡内各町村における調査/戦争を支えた教育現場
 第五章 褒める世界の集大成-大礼のなかの鳥取
  (1)大礼-地方賜饌と養老典
   昭和の大礼/鳥取県での祝典/鳥取における地方賜饌/鳥取における養老賑恤
  (2)全国的褒賞と歴史的功労者への追贈
   相次ぐ国家的規模の表彰/歴史的功労者への追贈
 第六章 褒められるひと、褒めるひと-旧藩主家(池田家)の役割
  池田仲博の活動/池田仲博への視線/褒める人となった旧藩主
 おわりに ―源左からみた褒賞


◆19世紀における近世明君像と「仁政」・「富国」論(小関悠一郎*2
(内容紹介)

秋田藩研究ノート No.4 金森正也*3
◆佐竹義和=「明君」論を考える
 佐竹義和(よしまさ)が、近世中期以降の藩政改革を実施した「明君」であることは、現行の高校日本史教科書ではたいていふれられている。だいたい、米沢藩上杉治憲(はるのり)(鷹山)と、熊本藩細川重賢(しげかた)といっしょにまとめられることが多い。しかし、最近、この二人と佐竹義和では、同一の藩中としてくくれないのではないかという指摘がなされている。千葉大学准教授である小関悠一郎氏が発表された『〈明君〉の近世』(吉川弘文館)という著作がそのことにふれている。
 どういうことかというと、簡単に言えば、上杉治憲と細川重賢は、江戸時代から、地元をこえて「明君」と認識されていたが、佐竹義和の「明君」像は、近代に入って創り出されたものだというのである。この著書の中で、小関氏は、天野真志氏(当時、東北大学大学院後期課程在籍)によるご教示だとことわって、次のような事実を紹介されている。明治の元勲伊藤博文は、当初、徳川頼宣(よりのぶ)・池田光政・上杉治憲・細川重賢の4人を「四名君」と唱えていたが、秋田市長・大久保鉄作が「天樹公政績一班」などを伊藤に献呈し、それが「聖帝に献上」されて後は、これに義和を加えて「五名君」と称した、というのである。ここから、小関氏は、義和を「明君」とする評価は、近代に入って定着・浸透したもの、と推論している。なお、この伊藤博文の認識にかんすることは、無明舎出版から刊行された、後藤ふゆ氏の『筐底拾遺:平元謹斎と後藤毅・秋田県士族四代の記録』でふれられているという。恥ずかしいことに、私は小関氏のこの著作にふれるまで、この事実を知らなかった。
 なお、小関氏の著作は、上杉治憲の政策とその背景にある政治認識がどのように形成され、また変化していったのかということを、周辺の家臣団の認識とともに考察し、同時に、江戸時代に「明君」像が形成されていく過程とその意義を、豊富な史料を駆使して論証された好著である。とくに、江戸時代に形成された「明君」像が、「明君録」という形をとって世間一般に流布することで、地域をこえて広く浸透していき、そのイメージは、武士だけではなく民衆にも受容されていったことを論証した部分は、歴史研究の醍醐味を感じさせてくれる。いわゆる研究書なのでけっして読みやすい本ではないが、郷土史に興味をお持ちの方には一読をおすすめしたい(県立図書館にあると思います)。
 さて、それでは、義和=「明君」論は、どう評価されるべきかということが、あらためて問い直される。歴史を学ぶ視点からは、所詮江戸時代の大名などというものは封建領主であり、ある殿様が名君かどうかなどということは、本質的な問題ではないし関心もない、という人もおられるだろう。先の小関氏の著作も、誤解をさけるためにあえて記しておけば、上杉治憲や細川重賢が立派な殿様でしたということを述べようとしたものではなく、「明君」という概念が形成され、受容されていく社会的背景を明らかにし、その影響を考察するところに力点がある。しかし、反面、市民講座などに参加し、地域の歴史を学びたいという人たちのなかには、それでは義和は名君ではないのか、といった、反論に近い疑問をもたれる方も少なくないだろう。これはこれで大切である。そこでこの問題について考えてみたい。
 結論からいえば、義和が、歴代の藩主のなかではすぐれた為政者であったということはできるだろう。「明君」と評したとしても、それはそれで大きく的をはずしてはいないと思う。ただし、ここで肝に銘じておかなければならないのは、彼らは封建領主だということである。名君であれば、何をするか?。困窮した財政を立て直す、政治の仕組みをかえる(藩政改革の実施)、国産品を奨励して国を富ます(殖産興業)、優秀な人材を抜擢する、領民をいたわる政治を実践する、など。しかし、これらは、あくまでも藩体制を維持する、または立て直すことを目的として行われるのだということを忘れてはならない。民をいたわるにしても、それは藩体制を立て直す限りにおいてである。額に汗しない我々武士が、民を苦しめているのだから、我々の存在が否定されるべきだ、とはならない。むしろ、江戸時代後期に「明君」とされる人たちは、動揺する藩体制を立て直そうと努力した人たちなのであるから、本質的には反動的な側面をもつ。しかし、反動的だ、で終わってしまうと、これは一時代も二時代も逆行した研究で終わってしまう。そうならないためには、本質的には反動的であっても、そのなかに、改革を断行している為政者も気づかない、あたらしい時代へのほころびのようなもの、あるいは萌芽のようなものはないかを探る必要がある。自民党をぶっ潰す」といったあの方も、自民党政治を立て直すための改革を推進したはずであるが、その後政治は混迷し、自民党は野に下った。まさかそこまで見通して党の総裁選に出たわけではなかったろう。
 閑話休題。義和の政策で、真に改革的なものとして評価されるのは、人材の登用と、農政の刷新であると私は思う。殖産策にはそれほどみるべきものがない。人材の登用には、藩校および郷校の設置が不可分に結びついている。学問奨励や歴史書の編さんなどの文化政策は、為政者がまずとびつきやすい分野である。それ自体否定されるべき要素が直接的には見えないからである(現在であればスポーツ振興がそれにあたる)。しかし、江戸時代は、ことはそう単純ではない。なぜならば、はじめて国入りする藩主にとって、自分の領国は《異国》であり、自分は《異邦人》なのである。藩主は、初めての国入りまで江戸で成長する。身についた文化は中央の文化であり、国元についての知識は伝聞の域を出ない。それが、10代の若さで一国を預けられるのである。国元に人がいないわけではない。有能で包容力のある家老でもいればよい。一門や譜代重臣からみれば、新藩主は、無能であっては困るが、必要以上に有能でこれまでの政治の仕組みを一新するような人物でも困るのである。彼らは、まず既得権益を守るにかかる。そのような存在は、新藩主からみれば、姑・小姑のような存在に等しい。自分の手足になって動いてくれる、忠実で、しかも有能な家臣の存在、それがもっとも必要となる。今いる有力者が既得権益を守るのに傾くのであれば、忠実な家臣団をつくりあげるしかない。それを目的としたものが、藩校の設置であり、人材の登用であると私は考える。
 実際、義和が藩校を設置し、士官にさいして素読吟味(中国の古典などを音読する試験)を義務付けると、引渡(ひきわたし)や回座(まわりざ)とよばれる上級家臣からは、藩校への参会自体を拒否する者があいついだ。一門の一人である北家当主などは、学問奨励の通達に対して、「自分は非才であり、これまで藩の経済難に対処することばかりに専念してきたので、これからは隠居し、先祖の霊を弔って余生をおくりたい」などと、嫌味たっぷりな返答をしている。一方、諸士とよばれる下級家臣団の参加は、藩校の隆盛を出現させた。彼らの優秀なものは、下級ではあるが重要な役割をはたす役職にあいついで赴任していった。これは義和の思惑にそった展開であったともいえる。
 義和がいかに藩校に集う諸士たちを大切にしたかを物語るエピソードがある。ある日、義和は、藩校の職員を登城させて、霊泉台という眺望のよい場所から市中を眺めて詩作させ発表させるという趣向の会を設けた。その後簡単な酒肴や菓子で彼らをもてなしたのち、藩が所蔵する書画の名品を鑑賞させ、それらを自ら臨書して、藩校の職員たちに好みのものを選ばせて各自に与えたのである。これは、後に藩校の祭酒(最高責任者)となる、野上国佐(のがみ・くにすけ)の「御学館勤番日記」という役職上の日記に出てくるエピソードである。義和は、藩校を造っただけでなく、その職員に親密な態度を示すことによって、周囲に対して、藩校の重要性を認識させつつ、職員の自覚を促すことを忘れなかったのである。
 私は、『御亀鑑』の秋府編に出てくる人事異動の記事をすべて抜きだし、誰が何年にどのような役職に転進しているかを整理してみたことがある(『秋田県公文書館研究紀要』8号)。その結果、多くは100石前後からそれ以下の下級藩士が、民政上重要な役職に赴任していることを確認できた。そのなかで藩校と何らかの関係をもっていた人物を選別して示しているが、『御亀鑑』には、異動時に藩校との関係を記しているわけではないので、確認できた人数は最低限のものといえる。もし藩校の在籍名簿のようなものが残っていれば、おそらくはほぼ全員近くが藩校の経験をもっているはずである。こうして、義和の政策理念やその思惑を、具体的な政策として実現していく集団が形成されるのである。もし義和が「明君」であることの事例をあげろといわれれば、第一がこの人材の登用であると、私は思っている。

 まず、第一に

明治の元勲伊藤博文は、当初、徳川頼宣(よりのぶ)・池田光政・上杉治憲・細川重賢の4人を「四名君」と唱えていたが、秋田市長・大久保鉄作が「天樹公政績一班」などを伊藤に献呈し、それが「聖帝に献上」されて後は、これに義和を加えて「五名君」と称した、というのである。ここから、小関氏は、義和を「明君」とする評価は、近代に入って定着・浸透したもの、と推論している。

ということで、「明治以降に名君イメージが創出された」という秋田藩主・佐竹義和がわかりやすい例ですが、「名君」とは「優れた政治家だから名君扱いされる」と言う単純なものではなく、「後世の人間の思惑が大きい」と言う話です。明治時代の「名君創出」は明らかに「明治新政府の富国強兵の正当化」と言う思惑がありました(明治維新の殖産興業と上杉鷹山ら名君の「殖産興業」には勿論違いがありますがそれはあえて無視されました)。また、秋田藩主・佐竹義和、米沢藩主・上杉治憲の「明治以降の名君イメージ」についていえば「戊辰戦争で賊軍扱いされて傷ついた秋田藩米沢藩」の「名誉回復」と言う思惑もあったでしょう。
 他だとわかりやすい例は「中国の鄧小平顕彰」ですよね(まあ、例は何でもいいですが)。「改革開放の父」鄧小平は「言うまでも無く偉大な政治家」です。 
 鄧小平は中国において、今後も「今の経済大国・中国の基礎を築いた偉人」として、「千代に八千代にさざれ石が巌となりて苔のむすまで」称えられても何らおかしくない。
 しかし、中国においての鄧小平顕彰は「鄧小平同志が偉大だから顕彰しています」と言うナイーブなもんではない事は「これまた」言うまでも無いでしょう。習近平主席ら党指導部が鄧小平をダシにして「後継者としての自分たちを正当化する」と言う思惑は大なり小なりあるでしょう。
 先日、中曽根をやたら「名宰相扱いする葬儀をやった自民党」なんかももちろん政治的思惑で中曽根を美化してるわけです。
 次にそもそも何を持って名君扱いするのかと言うことですね。

 江戸時代後期に「明君」とされる人たちは、動揺する藩体制を立て直そうと努力した人たちなのであるから、本質的には反動的な側面をもつ。しかし、反動的だ、で終わってしまうと、これは一時代も二時代も逆行した研究で終わってしまう。そうならないためには、本質的には反動的であっても、そのなかに、改革を断行している為政者も気づかない、あたらしい時代へのほころびのようなもの、あるいは萌芽のようなものはないかを探る必要がある。

ですが、そう言う意味では「大久保利通」「朴正熙」「鄧小平」など(例は何でもいいですが)も「富国強兵、近代化を実現した名君(?)」ではあるでしょうが、それは「江戸時代の藩主同様に上からの改革(近代化)」であり、「民主主義や人権の観点」では手放しでは評価できないわけです。
 しつこく繰り返しますが

大久保利通」「朴正熙」「鄧小平」など(例は何でもいいですが)も「富国強兵、近代化を実現した名君(?)」ではあるでしょうが、それは「江戸時代の藩主同様に上からの改革(近代化)」であり、「民主主義や人権の観点」では手放しでは評価できないわけです。

つう話です。
 「近代化、富国強兵」にスポットを当てれば大久保や朴や鄧は評価できる。しかし「反政府派(士族反乱や新政反対一揆)弾圧」「金大中拉致」「天安門事件」にスポットを当てた上で、それらを「野蛮」「人権侵害」と評価すれば彼らは必ずしも「名君ではない」。
 あるいは習近平主席も同じです。「AIIB」「一帯一路」という「富国」「近代化」にスポットを当て「国民の生活を豊かにした」と高評価するか、「少数民族問題」にスポットを当てて「独裁者」「人権侵害」などと否定的に評価するかで評価は大きく変わるでしょう。

【参考:「名君」としての上杉鷹山

上杉治憲 - Wikipedia
◆鷹山の名声
・明治以降、鷹山は修身の教科書で数多く取り上げられた。また、内村鑑三が海外向けの日本人論として英語で著した『代表的日本人』でも、鷹山の生涯が紹介された。
・第35代米国大統領ジョン・F・ケネディが1961年に日本の記者団に「日本でいちばん尊敬する人物」を聞かれたときに鷹山の名前を挙げたという逸話がある。この逸話については、1975年に歴史小説家の綱淵謙錠*4と歴史家(元立命館大学教授)の奈良本辰也を迎えて放送されたNHKの歴史番組『日本史探訪』が紹介している。それによると、ケネディは『代表的日本人』により鷹山を知り、政治家の理想像を見たとしている。ただし、この逸話の真偽は不明である。
・2007年に『讀賣新聞』が日本の自治体首長に対して行ったアンケートでは、理想のリーダーとして上杉鷹山が1位に挙げられている。
ジョン・F・ケネディの長女で駐日米国大使をつとめていたキャロライン・ケネディは、山形県米沢市の要請に応じて2014年9月に米沢市を訪れ、父親のケネディが鷹山を称賛していたことに触れるスピーチをした。

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&lsmp=1&rnk=1&mcmd=25&st=ref_cnt_all&asc=desc&fi=2_0+6_1&id=1000127966
◆質問
 J.F.ケネディ大統領が就任間もなく、日本人記者とのインタビューで尊敬する人物として、上杉鷹山の名前をあげた。この時の記事を探している。
◆回答(市川市中央図書館)
 朝日新聞記事データベースにて、ケネディ大統領就任中の 1961~1963年までの記事を検索するが、ヒットしなかった。
 この話自体は『名指導者上杉鷹山に学ぶ』(鈴村進/著 三笠書房 1992)、『日本史探訪』(角川書店/編 角川書店 1984)等、さまざまな著書に引用されており、ケネディ内村鑑三の『代表的日本人』を読んで上杉鷹山の名前を挙げられたとされていたため、『代表的日本人』(内村鑑三/著,鈴木俊郎/訳 岩波書店 1979)や、インターネットでも確認してみたが、ケネディのインタビュー等については言及がなかった。
 インターネット検索でヒットした個人ブログで、来日時の日本人記者団との会談での発言とする記述もあったため、来日の記録を調べたが、戦後のアメリカ大統領初来日は、1974年11月のフォード*5大統領であり、ケネディ大統領は来日していないことが確認できた。
 上杉鷹山を祭神の一人とする山形県米沢市にある「松岬神社」をインターネットで検索すると、境内に「上杉鷹山公像」があり、平成6年の日付が入った米沢松岬ライオンズクラブ作成の案内板に「米国三十五代大統領ジョン・F・ケネディは政治家で最も尊敬する人は、上杉鷹山公であると述懐したことはあまりにも有名である」という記述があることが確認できた。しかし、いつどこでの発言であったのか、という具体的な記述は見つからなかった。
 また、この話は「都市伝説」だとする個人ホームページの記述も多く、真偽のほどは不明。

さよならケネディ大使「いつかまた日本に」 人柄で魅了:朝日新聞デジタル2017.1.17
 「海外の要人とあって、厳重な警護。それでも市民とのふれ合いを優先する本当に気さくな方でした」。
 2014年9月、大使が山形県米沢市を訪れた日のことを、歓迎委員会委員長を務めた米沢商工会議所会頭の吉野徹さん(67)は、そう振り返る。
 米沢といえば、大倹約令を出して破綻(はたん)寸前の藩政を改革した米沢藩9代藩主・上杉鷹山(ようざん)。大使はその鷹山の手ぬぐいを首からかけた姿で秋祭り会場に現れ、警備を制し、集まった市民約3千人に握手などで応じた。
 米沢市ケネディ家との関係は、父親の元大統領までさかのぼる。ケネディ元大統領は現役のとき、日本人記者から「最も尊敬する日本人は」と問われ、鷹山の名前を挙げたという。以来、「ケネディ家は米沢にとってキーマン」と吉野さんは言う。
 30年ほど前にもケネディ家を招待しようと、吉野さんらが訪米したものの頓挫。念願の訪問になった。
 大使は市民を前にしたスピーチで「父は『一人でも世の中を変えられる』とよく言っていた。鷹山ほど端的にそれを言い表した人はいない」と語り、鷹山の名言「なせばなる」と日本語で締めくくった。

【産経抄】ケネディ元大統領が尊敬した日本人・上杉鷹山…トランプ大統領が参考にしてくれたら、幸い 1月26日(1/2ページ) - 産経ニュース2017.1.26
 先頃、駐日米大使の務めを終えたキャロライン・ケネディ氏は、平成26年9月に、山形県米沢市を訪れている。江戸時代の名君として知られる米沢藩主、上杉鷹山(ようざん)ゆかりの地である。
▼かつてケネディ氏の父、ケネディ元大統領は、日本人記者から「もっとも尊敬する日本人は?」と聞かれ、鷹山の名前を挙げた。ケネディ氏はそのエピソードを踏まえて、スピーチを日本語で締めくくった。「為(な)せば成る」。鷹山の名言である。
 時代小説作家、藤沢周平さんが69歳で亡くなって、今日で20年になる。江戸庶民の哀感をしみじみと、あるいは下級武士の青春をさわやかに描ききって、今も人気は一向に衰えない。その藤沢さんにとって最後の作品となったのが、鷹山の生涯を描いた『漆(うるし)の実のみのる国』だった。

 「明確な根拠がない」ということは、どうも「ケネディ話」はガセ臭いですね。キャロラインの対応は「もめ事を恐れて適当に調子を合わせただけ」でしょう。何せ「依頼されれば田植えすらする人間=キャロライン」ですから(これについては駐日米国大使がここまでするのはちょっと痛い気がする、あと自民党はたがが外れている(いまさらの話) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)。ただキャロラインがこんなことをしたことで「ケネディ・鷹山伝説」の信憑性が「伝説の信者」において更に強化されたことは事実でしょう。
 まあ、この話をでっち上げた人間が「ケネディと鷹山に共通点がある」と思いたいらしいことは分かります。
 それはともかく、ということで「明治新政府時代」に「富国強兵路線を正当化したい新政府」の思惑で「富国強兵の先駆者」としてイメージがつくられた「上杉鷹山(上杉治憲)」のイメージは「藤沢小説、キャロラインの米沢訪問などの影響もあって」今も健在の訳です。


◆ゆかりの地における明治維新関係者の人物像:水戸天狗党の行軍地域を例に(岩立将史)
(内容紹介)
 大雑把に要約すれば
1)幕府時代:
 幕府に敵対する犯罪者として非難の対象
2)明治維新以降終戦前まで:
 天狗党同様に「尊皇攘夷&倒幕」の立場に立つ薩長の政治的勝利により、顕彰の対象となり180度、評価が変更
3)戦後:
 2)の評価(顕彰)も「神社本庁」など右翼方面を中心に継続されるが、もはや「皇国史観」の制約はなくなり、多様な見方が出てくる。また、2)の見方は2)時代に比べれば当然、社会的影響力が弱くなる
と言う話です。

幕末に挙兵、敦賀で処刑…水戸天狗党の資料展示 - 産経ニュース2018.10.8
 幕末に尊皇攘夷(そんのうじょうい)を掲げて挙兵し、敦賀で処刑された水戸天狗(てんぐ)党に関する資料を集めた特別展「水戸天狗党敦賀に散る」が、敦賀市相生町の市立博物館で開かれている。21日まで。
 13日午後1時半から、徳川記念財団の岩立将史学芸員が「『水戸烈士』の呼称と松原神社例祭」と題して講演する。

https://twitter.com/ton_hakuyama/status/1050538624645619712
敦賀市立博物館&山車会館(公式)@ton_hakuyama
2018年10月12日
 敦博(敦賀市立博物館)特別展「水戸天狗党敦賀に散る」記念講演第二弾を明日13日(土曜)に開催します。演題は「「水戸烈士」の呼称と松原神社例祭」です。元治の乱(天狗党の乱)以降、水戸天狗党はどのように顕彰されてきたのでしょう。ぜひご参加下さい。

敦賀・松原神社で水戸天狗党しのび例大祭 子孫ら参列 - 産経ニュース2018.10.12
 幕末に尊皇攘夷(そんのうじょうい)を掲げて挙兵し、敦賀で処刑された「水戸天狗(てんぐ)党」をしのぶ例大祭が10日、(ボーガス注:福井県敦賀市松原町の松原神社で営まれた。
 水戸藩士が結成した天狗党は元治元(1864)年に挙兵したが、敦賀で幕府側に降伏し約350人が処刑された。例大祭は、敦賀水戸烈士遺徳顕彰会が毎年開いている。
 処刑された水戸藩士の子孫、出身地の茨城県常陸太田市潮来市の関係者、高橋靖*6水戸市長らが参列。渕上隆信*7敦賀市長が「自らの信念を貫いた烈士たちは多くの人たちの心をとらえている」と祭文を読み上げ、参列者が玉串をささげた。この後、参列者は近くにある天狗党の首領、武田耕雲斎の墓に参った。
 耕雲斎の五代目の子孫になる武田滋子さん(75)=東京都世田谷区=は「毎年参列しているが、敦賀の人たちには本当に感謝している」と話した。

 「繰り返しになりますが」もちろん江戸時代において幕府に敵対する天狗党は犯罪者でしかありませんが、明治維新において薩長が勝利したことによって「天狗党」評価が大きく変わる訳です(これは天狗党だけではなく「桜田門外の変」の水戸浪士もそうですが)。とはいえ、天狗党って結局「幕府相手に挙兵したテロリスト集団」ですからねえ。いくら何でも市長が美化していいのか疑問に思いますね(しかも例大祭の場所が神社なので政教分離原則の問題も発生する)。
 一方で、韓国側の「安重根美化」を菅官房長官(現首相)や産経などが恥知らずにも「伊藤博文元首相暗殺のテロリストを美化するのか」と侮辱。もう「なんと言っていいのやら」ですね。
 しかし「水戸藩のあった」茨城県水戸市の市長が天狗党を称えるのは「不思議ではない(注:支持するではない)」ですが「武田耕雲斎の処刑された土地」であり「耕雲斎を祭神として祀る松原神社がある」とはいえ「福井県敦賀市」の市長まで天狗党を美化しますか。茨城)福井県が「天狗党ツアー」企画 交流会なども:朝日新聞デジタルのような「観光的思惑」もおそらくあるのでしょうが、びっくりです。
 しかし「福井県立大教授・島田洋一」「福井選出・稲田朋美」とセットで考えると「福井って右翼的な風土なのかしら?」と言う疑問を感じます。

朝日新聞デジタル:「水戸天狗党」終焉の地 福井・敦賀市 - 福井 - 地域
福井県敦賀市気比の松原の近くに、国史跡「武田耕雲斎等墓(たけだこううんさいとうのはか)」がある。幕末に水戸藩茨城県)から約1千キロに及ぶ強行軍の末、敦賀で処刑された水戸天狗(てんぐ)党の墓碑だ。
・投降した天狗党敦賀の三つの寺に収容された。加賀藩からは食事など丁寧な扱いを受けたが、幕府側に引き渡されると一転、罪人扱いになった。北前船で運ばれてくる肥料のニシンを入れる「鯡倉(にしんぐら)」に幽閉され、栄養不足や寒さなど劣悪な環境で死者も出た。そして、耕雲斎ら353人が5回に分けて斬首された。
 明治になると墓碑の近くに松原神社が造営され、戦死者や病死者も合わせた411人が神として祭られた。1914(大正3)年には住民らによる松原神社奉賛会が発足した。
 1957(昭和32)年に水戸烈士遺徳顕彰会となり、毎年例大祭を開催。2005年には「敦賀水戸烈士遺徳顕彰会」に改称された。

松原神社例大祭のいま | あさあけ
1.松原神社の創始
 武田耕雲斎らを敦賀において祭祀しようと発案したのは、水戸藩家老で本圀寺党だった大場一真斎でした。慶応3(1867)年3月15日、敦賀の僧侶だった行寿院峻山が、御霊大明神の神号と耕雲斎らの神名帳を下付され敦賀の自坊の一部屋に奉祀したことが、松原神社の創始とされています。社殿もなく始まりました。
 明治になると峻山は斎藤弥寿正と改名して東京に出て、公然祭祀を神祇官水戸藩に申請。明治2(1869)年9月7日に水戸藩より正式に政府に願い出、次いで同3(1870)年11月に小浜藩に請願しましたがうまくいかず、水戸にて協議を重ねます。結果、武田耕雲斎の親族代表の河井房治郎と同志代表の根本弥七郎と連署して、同6(1873)年12月に社殿創立の地所払い下げを敦賀県に願い出、改めて茨城県やそれを通しての教部省への申請を行い、教部省の認可を得られたのは同8(1875)年1月23日のことでした。その後の敦賀県への申請により、神社の敷地2,033坪のうち墓地の256坪を除いた1,777坪を払下げられました。
 初めて松原神社の社地で祭典が行われたのは明治12(1879)年10月10日でしたが、まだ社殿はなく、神籬(ひもろぎ)を立てて行われました。
 社殿の建築資金を募集すると、前田侯爵家や德川公爵家、他にも有志からの寄付があり、明治26(1893)年から鳥居、社殿と建立、鎮座式は同31(1898)年10月9日に行われました。

茨城)福井県が「天狗党ツアー」企画 交流会なども:朝日新聞デジタル
 幕末に挙兵して京を目指した「水戸天狗(てんぐ)党」。その活動の中でも多くの足跡を残した越前の地をたどるツアーを福井県が企画した。
 ツアーは、隊士が幽閉されたニシン蔵、天狗党をまつった松原神社、隊に加わった少年たちを引き取った永厳寺(いずれも敦賀市)などの建物や博物館をめぐるほか、普段は旧家が秘蔵している品も見学できる。


◆地方伝承としての「烈女伝」:「烈女ふじ」と飯田の郷土史(神林尚子*8
(内容紹介)
 「烈女ふじ」の「犯行動機」についてはよく分からない点が多いが「民間伝承」としては「悪人から飯田藩を救った英雄」という話が語り継がれてきたという話です。

【参考1:「烈女」の例】

【ソウルからヨボセヨ】ほこらの「烈女碑」、観光スポットの「少女像」、そしてあの… - 産経ニュース黒田勝弘
 韓国の田舎に行くと、川の土手や道ばた、畑などによくほこらがあって「烈女碑」が納まっている。歴史的に親孝行や自己犠牲で有名になった地元の女性を「烈女」としてたたえているのだ。
 韓国で全国的に有名な歴史上の女性となると、五万ウォン(約5千円)札に肖像画が出ている李朝時代の賢母で知られる「申師任堂」や、同じく韓国侵攻の秀吉軍の酒宴の際、日本武将とともに川に身を投じて殺害した“自殺テロ”の妓生(キーセン)「論介」、日本統治時代の3・1抗日独立運動に際し日本官憲に逮捕され10代で獄死した「柳寛順」がビッグスリーか。

畠山勇子 - Wikipedia
 1891年の大津事件で日露関係が緊張した際、被害者のロシア皇太子ニコライに謝罪の遺書を残して自殺した女性である。
 その壮絶な死は「烈女・勇子」とメディアが喧伝して世間に広まり、盛大な追悼式が行われた。

中村七之助 八月納涼歌舞伎 女形の難役「政岡」に挑む - 産経ニュース
・今回、七之助は第1部の「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」で、女形の最難役の一つとされる「乳人政岡(めのと・まさおか)」を初役で勤める。
・政岡は若君、鶴千代の乳母であり、千松の実母でもある。若君の毒殺を恐れ、茶道具を使ってご飯を炊き(飯炊(ままた)き)、わが子に毒味をさせる忠義心の強い女性。目の前でわが子が殺されても感情を押し殺す烈女の姿、そしてわが子の亡きがらを抱き、抑えていた感情を吐露する場面が見どころだ。

『伽羅先代萩』政岡 第36号(H14-4-15) | 祐天寺歴史文化館
・家臣仁木弾正は管領山名宗全と結んでお家乗っ取りをたくらみ、幼い鶴千代を暗殺しようと計画します。鶴千代の乳母政岡は、鶴千代と同い年のわが子千松を育てながら、鶴千代を悪者どもの魔の手から守るのに必死です。
・毒殺を警戒し、調理場でこしらえた料理は食べさせず、政岡が手づから茶の湯の道具で焚いたご飯を握り飯にして御膳にあげています。しかし育ち盛りの子どものこと、ともすれば空腹を我慢できなくなりかける幼君を励ますために、わが子千松にも同じ粗末な食事を与えてお相伴させています。
 ところがあるとき、山名宗全の奥方・栄御前が病気見舞いと称して見事な菓子を持ってやってきます。幼い鶴千代は思わず菓子に手を出しますが、そのとき飛び出して菓子を蹴散らかしたのが、言い含められていた千松でした。
 仁木弾正の妹八汐は御殿勤めをしておりましたが、無礼を働いたとして、菓子を食べた途端に苦しみだした千松の喉に無惨にも懐剣を突き立てました。喉を抉られ、なぶり殺しにされる千松。わが子の死を目前に見ながら涙1つ浮かべず、若君を引き寄せて守る政岡の態度に、栄御前はすっかり、政岡の本当の子は鶴千代で、幼いときにすり替えて育てていたのだと信じ込み、一味のしるしにと、悪計の連判状を渡して去っていきます。政岡は子を殺された悔しさと悲しみのうちにも、悪者を滅ぼす手掛かりを得たと喜び、千松の遺骸に向かい、そなたの死は、お家を安泰にする礎じゃと呼び掛けます。
 これが、烈女と讃えられ、忠義の鑑とされた政岡の『伽羅先代萩』の中での姿です。
◆幼君毒殺未遂事件
 (ボーガス注:いわゆる伊達騒動を元ネタとした)歌舞伎『伽羅先代萩』の1つのやま場が前述した鶴千代毒殺未遂の場ですが、(ボーガス注:伊達騒動において)毒殺未遂事件は実際にあったという説があります。
 『伊達四代記』には、伊達兵部が以前より恩を与えておいた医師河野道圓を招き、密かに亀千代(ボーガス注:後の伊達綱村)毒殺を頼んだところ、道圓が驚いて辞退したので、兵部は「汝の忠心を試した戯れ言だ」とその場をごまかし、出した茶に毒を入れて道圓を殺害した、という話になっているそうです。
 事件の真相はわかりませんが、そのような風聞を『先代萩』の芝居に取り入れていることは間違いないでしょう。

5分でわかる浜田 » 記事 » 浜田で活躍した人 烈女 お初 | はまナビ 浜田市観光協会公式サイト
 1724年4月に江戸の浜田藩邸で起こった、世に知られる『鏡山事件』の主人公です。
 当時、浜田六代城主「松平周防守康豊」の奥方は津和野藩主亀井家から迎えられたが、その時名のある家系の侍の娘・落合沢野がお付け女中として遣わされた。そして奥の中老として岡本道女(みち)が召抱えられ、その道女の召使いとして武芸が出来、女丈夫である“お初” こと松田察(さつ)がいました。主人である道女によく仕え、姉妹のような関係でした。道女は才色兼備でしたが、その父は大和郡山の元藩士で、今は浪人中、また察(お初)の親は長府毛利家の足軽頭でした。
 ある時、藩主が急用で道女を呼び出し、急いで駆けつけようとしたとき、間違えて沢野の草履をはいてしまったのです。沢野はひどく怒り、道女をひどく罵りました。家柄まで侮辱された道女はとうとう自害してしまい、それを知った察(お初)は、主人の仇を討つため、道女の短刀で沢野を刺し殺しました。その後、「主人の仇」と罪を免れ、浜田の地で晩年暮らし、71歳の命を遂げました。
 浄瑠璃加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』や、歌舞伎『鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』として描かれ、全国で有名なお話となっています。

 ということで「烈女」とは何も「烈女ふじ」に限定されませんが、「烈女=女性の烈士」ですね。
 「烈士」とは

烈士 - Wikipedia
・節義の堅い、名誉のために殉じる人物のこと(『史記』李斯列伝、伯夷列伝)。
桜田門外の変に加わった水戸藩薩摩藩の浪士を桜田烈士と呼ぶことがある。
・韓国では柳寛順安重根など独立運動に参加して犠牲になった英雄を独立烈士または愛国烈士と呼ぶ。
・また革命によって建国を果たした中華民国中華人民共和国北朝鮮ベトナムでは革命烈士の称号が制度化されている。

と言う話です。まあ、ただ今の日本では「烈士」「烈女」はほぼ「死語」ではないか。
 「烈士」でググっても日本だと「桜田烈士(桜田門外の変の水戸浪士)」のような「明治維新関係」しかまずヒットしません。外国だと中国、韓国関係(抗日運動など)が多くヒットします。
 「烈女」でググってもほとんどヒットするのは歌舞伎『伽羅先代萩』の政岡か、歌舞伎『鏡山旧錦絵』のお初です。
 中国共産党により「蒋介石によって処刑された楊虎城」が烈士扱いされてることなどを考えれば、日本共産党が「小林多喜二烈士(特高によって虐殺)」「野呂栄太郎烈士(獄中で結核を悪化させ病死)」「山本宣治烈士(右翼テロで暗殺)」などと呼んでも「おかしくはない」でしょうが、あまりそうは言わない気がします。
 まあ烈士、烈女認定されるにおいて「(権力の弾圧や報復などで)死ぬ必要はどこにも無い」のですが「死ぬと烈士、烈女扱いされる傾向はある」のでしょう。
 最近だと新型コロナ関係で李文亮氏が中国政府に「烈士」認定されています。
 なお、

「鏡山事件」て何かで見聞きした覚えがあるなあ?

と思ったのですが、たぶん

第一回「花篭語り部金曜会~池波正太郎を読む~」を開催しました | 歌舞伎座2019.10.18
・10月11日(金)歌舞伎座3階「花篭ホール」にて、「花篭語り部金曜会~池波正太郎を読む~」が開催されました。
・出演は、元フジテレビアナウンス室長で「3時のあなた」「スター千一夜」でお馴染みの野間脩平さん、NHK杯全国中学校放送コンテスト東京大会の審査員を務めながら様々な朗読会を主催している斎藤由織さん。
・最初の朗読は野間脩平さん。作品は、お待ちかね「鬼平犯科帳」。
 続いて斎藤由織さんの登場。作品は「力婦伝」。
 武芸に秀でた女性による“仇討ち”を描き、歌舞伎の名作『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』の元となった作品です。
 力強いヒロインの活躍に、客席も大盛り上がり!

池波正太郎 『おせん』 - To Read, or Not To Read, That Is The Question
 この作品は、女性が主人公の短編集となっております。
 「烈女切腹」は、阿部対馬守の江戸屋敷、吉村嘉六の娘(りつ)の話。りつは、藩の側用人、渡辺茂太夫の家を訪ねるといきなり茂太夫と息子を切り殺します。
 茂太夫は殿さま(お気に入り)の家臣で、それをいいことに汚職にまみれ自分に抵抗する家臣をことごとく閑職に追いやりとやりたい放題で、りつには婚約者がいたのですが、その婚約者は茂太夫一派の養子に入ってしまいます。
 この一件で茂太夫の対立派は勢いついて殿にりつの助命をお願いしますが、殿は「ならぬ!切腹だ!」の一点張りで・・・
 「力婦伝」は、とある武家のひとり娘(さつ)の話。
 さつは体格も良く力持ちで武芸も達者で、となると嫁のもらい手がいないので困っていた両親のもとにさる大名家の奉公の話が来ます。
 奥御殿の(道女)の専属奉公となったさつですが、殿さま(お手付き)の道女には、奥方付き年寄の(沢野)をはじめとして数多くの嫉妬や意地悪が
ありましたが、大女のさつが来てから嫌がらせは減り、道女とさつの仲も良くなります。
 しかし、ある日、沢野の陰謀で道女は恥をかかされ、なんと道女は自害。怒ったさつは沢野を殺しますが、殿はさつに「あっぱれ」と・・・
 どの話も、ここでは(ボーガス注:ネタバレしないために)途中までしか書いてませんので、なんだか「不幸な女性のオンパレード」みたいになっていますが、それなりにハッピーエンドになっています。

池波正太郎の「おせん」を読んだ感想とあらすじ | 時代小説県歴史小説村
 「烈女切腹」での言葉。
 「法には道義がふくまれてのうてはなりませぬ。人の道義があればこそ、人は法を、信じるのでございます。」
 現代を上手く批判している言葉だと思う。
 「力婦伝」の主人公・松田さつ女の敵討ちは芝居となり、「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」の外題のもとに江戸・堺町の外記座で初演されたそうだ。事件後五十八年のことである。
【内容/あらすじ/ネタバレ】
◆烈女切腹
 りつは側用人の渡辺茂太夫をたずね、茂太夫脇差しで刺し殺した。殿はこれを聞き激怒し、りつに切腹を命じた。
 渡辺茂太夫は家中で評判はよくない。そのため、りつに切腹の命が出ると助命運動が広がった。だが、切腹は撤回されなかった。
 そして、切腹前夜、りつは(ボーガス注:茂太夫一派の養子となった元婚約者である)大須賀五郎兵衛に会うことを得るが・・・。
◆力婦伝
 さつは武芸に優れた女だった。このさつが武家奉公をすることになった。仕えるのは岡本道女である。さつは道女に好感を抱いた。そして、道女への冷たい仕打ちをさつは身を挺して守ったのである。
 その道女が自害をした。奥方づきの年寄で沢野という老女の嫌がらせの果てであった。(ボーガス注:さつは報復で沢野を刺殺するが・・・)

ということで池波正太郎小説『力婦伝』を読んだんだろうと思います。ただし池波小説(鬼平犯科帳剣客商売仕掛人・藤枝梅安など)は「リイド社の漫画雑誌」で多数コミカライズされてますので「池波小説そのもの」ではなくコミカライズを読んだのかもしれません。『力婦伝』、『烈女切腹』も記憶が大分薄れてるので改めて読んでみようかと思います。ええ、小生は池波正太郎はわりと好きです。
 なお、小生は歌舞伎には興味が無いので全然見ません。


【参考2:「烈女ふじ」】

矢高諏訪神社周辺の桜|南信州飯田市鼎(かなえ)の桜と矢高諏訪神社周辺桜マップ
 時の飯田藩主堀親寚は、知恵と勇気の殿として、家来を励まし、民にやさしく、学問武術に秀で、江戸城内で老中(今でいう大臣クラス)まで登りつめました。
 親寚のもと飯田の一番栄えた時代と言われ、出世殿として知られています。
 しかし、月日が経つにつれ、飯田の民の事も忘れがちになって側室の若山を寵愛し、その暮らしぶりは目に余るものになっていきました。
 一方、当時江戸屋敷に仕えていた山口不二は、若山の浪費とおごりの姿を見聞きする度に、堀家安泰のため、領民救済の為と鉄のごとき決心を固め、機をうかがい懐剣をしのばせ若山の背中へ一突き!
 罪人となったお不二は、生まれふるさとの飯田に送り帰され、22歳の若さで処刑されました。のちに「烈女」「女性の鏡」と言われ「お不二様」として、女性に慕われ飯田市箕瀬の長源寺にあるお墓で今も眠っています。

横山八十一さん(高24回)から 校歌について @ 長野県飯田高等学校同窓会
 3番は私も歌った記憶がありません。
(中略)
>侫諛(ねいゆ)の俗(ぞく)を退(しりぞ)けて 血ある女(おみな)と謳(うた)はれし


 山口阿藤(おふじ)は飯田藩士山口弾治の娘。飯田藩江戸屋敷に仕えていました。藩主・堀親寚(ほり・ちかしげ)の愛妾・若山が私利私欲から藩政に口出ししていると知り、思い余ってこれを刺殺!。自身はその場で捕り押さえられ、飯田に送られ谷川の牢舎で斬首されました(一般の罪人は野底の処刑場)。時に22歳。辞世の句を見ると、才女でもあったと思われます。
 侫諛(ねいゆ)は聞きなれない言葉ですね。媚びへつらうとか「おべっか」の事です。上に忖度する事なく藩のために己の手を汚した烈女、と称えられたんですね。
 色々読んでみると中には・・・阿藤の行いは 私的な恨みつらみが積み重なっての事だったが、若山は藩士の間でも不評で快く思っていない人が多く良くぞやってくれた!となった・・・という説もありました。
 父親はどうなったのか?。 事件後、江戸詰めから国詰めになり減俸されましたが、藩主が堀親義に代わると元に戻されたそうです。
 明治になってから箕瀬の長源寺にお墓が建てられました。入り口の所に石碑と説明板があります。お墓は一般の墓地ではなく本堂近くの境内にあります。
 今でも花を添える人が居るんですね~。
 あまり馴染みのない3番ですが、少しはご理解いただけたでしょうか?。歌う歌わないはまた別問題かと思いますが^^;
 さて、作詞者・作曲者についても調べてみましょう。
 作詞は福澤悦三郎とあります。
 福澤先生は、伊那出身の国漢の先生で、飯田中学在任は明治39年5月~44年3月まで。赴任した年に「南信健児の歌」を作詞しました。
 作曲は井出茂太とあります。
 井出先生は、上野音楽学校卒業後、明治36月年4月に飯田中学に初赴任。西洋音楽教育への情熱をもって、当時の島地校長にピアノの購入を決断させた人。福澤先生の詞「南信健児の歌」を見て感銘を受け曲作り。それを知った島地校長が「これは素晴らしい。我が飯田中学の校歌にしよう」と決断!
 元々は校歌ではなく「南信健児の歌」だったんですね~。そう知ると3番の歌詞も不自然ではなく思えます。とは言え校歌としては??? 。(ボーガス注:3番の歌詞が)歌い継がれて来なかった原因も、私同様に不自然さを感じた方が多かったのでしょうか^^;
 定かな説ではありませんが・・・山口阿藤は人を殺めたテロリスト。それを校歌で称えるのは不適切・・・と考える方もいた様です。

 まあ、戦前はともかくさすがに戦後は、「人殺し」を「悪人に鉄槌を下した英雄」として「美化した歌詞」を校歌で歌うのはまずすぎでしょう。

井深雄二さん(高22回)より山口阿藤について @ 長野県飯田高等学校同窓会
 前略、本校同窓会「ふるさと便り」2019年10月31日に、横山八十一さん(高24回)からの投稿「校歌について」があり、その解説文が掲載されています。
 しかし、その中で(ボーガス注:長野県立飯田高校)校歌の中で「血ある女と謳われし」と詠み込まれている山口阿藤について、「色々読んでみると、実際には私的な恨みつらみが積み重なっての事だった様です。」と書かれているのはどうしたことでしょう。
 色々の中に、例えば神林尚子氏(鶴見大学助教授)の「『烈女ふじ』像の生成:幕末・明治期の文芸にみる流布と成長」(東京大学国語国文学会『国語と国文学』第96巻第1号、2019年1月)は含まれているのでしょうか。山口ふじについてはいろいろ語られてきてはいますが、彼女の事跡を学問の対象として初めて究明したのは神林さんです。そして、現在の時点では、山口ふじが若山を刺殺した動機は不明と結論づけています。
 私的恨みつらみ説は、恐らく本校の校歌の源の一つ安井息軒の「阿藤伝」で彼女が称揚されていることを批判した三田村鳶魚*9の「お大名の話」が淵源*10で、最近本校の卒業生でもある大平栄一郎氏の『激動の飯田藩と烈女不二』(南信州新聞、2009年)でも三田村説が採られています。
 しかし、柴田錬三郎『梅一枝』(集英社文庫、2008年)では、小説とは言え、烈女として描かれています。
 阿藤の墓のある長源寺の住職(本校の卒業生)は、鳶魚説による大平氏の小説をフィクションにフィクションを重ねたものと惜しまれています。阿藤の事跡の評価は、作詞者の福澤悦三郎先生や本校の名誉に関わるもので、軽々しく論ずべきものではないはずです。 
◆22回生 井深雄二*11奈良教育大学教授)
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との投稿をいただきました、ご指摘ありがとう御座います。
 烈女と称えられている山口阿藤ですが、調べてみると私的恨みつらみ説もありました。こちらはあまり知られていないので「・・・の様です」と紹介したのですが、あたかもそれが事実の様に受け取られかねない不適切な書き方でしたね。
 その部分は「色々読んでみると中には・・・という説もありました」と修正致しました。

飯田の烈女「お不二」 - お知らせ【地域再生診療所】
 落語中興の祖と言われる初代三遊亭圓朝(1839-1900)の演目に「烈女お不二」がある。
 実際に飯田藩で起きた騒動を脚色したものだ。
 水野忠邦の片腕と言われた飯田藩主十代・堀親寚は、天保14年に老中となり「堀の八方にらみ」と恐れられた人物だった。
 しかし江戸藩邸奥向きの老女若江が秘書役から次第に権力を握り、跡目まで口を出した。国家老は親寚に若江の放逐を迫り放逐をするも数年後には豊浦と名前を変えて召し抱えた。
 美人ではなかったそうだが、堀家随一の名君とされ老中まで勤めていた藩主がこれほどまで執着したのは、相当の才女であったのであろう。
 豊浦が表裏の実権を掌握する中に、飯田藩士・山口弾二の娘ふじが奥入り、次期藩主の手が付いた。ところが正室水野忠邦の妹であり側室などは許されない。上屋敷にも上がれなくなったふじは豊浦への怨みを募らせるなかで、その豊浦は若山と改名し御年寄に昇進し、ますます表向きのことに公然と口を出すようになる。
 天保10年9月、怨みが募ったふじは若山を刺し、飯田で処刑されることになった。網籠で飯田に下ると、飯田の獄舎にはふじへの差し入れが山のように届いたという。
 理由は恨みなのに国元では、若山の専横をつぶした英雄となっていたのだ。
 助命嘆願が江戸表へ出され、藩主も若山の専横があったことを認め、ご赦免を命ずる。
 この当たりは相当の脚色がされたのだろう。初代圓朝の語りは聞いたことがないので分からないけど、最後のこの場面は凄かったんだろうな。

 不二の赦免を伝える早馬が国元へ走る。「その処刑~~!待て~!」
 しかし早馬は間に合わず、使者が刑場へ到着したときは打ち首にされた後であった。

円朝遺稿 『烈婦お不二』 | 深沢秋男雑録
〔あらすじ〕
 信州飯田の城主堀家で奥向きを勤める山口団次の娘不二は、十三歳の春、堀家当主親茂の奥方のおそば仕えにあがる。親茂と奥方の間には子がなく、やがて親茂は市中で見初めたお豊という娘を側室として奉公にあげる。お豊改め若山は、親茂の寵愛を受け権勢を振るうようになり、親茂の家臣塚原主水と通じて奥方の毒殺をもくろむ。この企みは失敗に終わるが、不二は奥方を案じ、若山暗殺を決心。歌の質問と偽り、若山に近づき斬りつける。この傷がもとで若山は落命、不二は罪人として飯田へ送られる。忠臣・富安主税により、若山の企みが露見、江戸から不二赦免の早馬が飛ぶが間に合わず、不二は刑場の露と消える。
円朝の遺稿『烈婦お不二』は、このような話である。天保10年(1839)に、飯田藩・2万石、藩主堀親寚の屋敷で、側室の若山が、奥女中の不二に切りつけられ、死亡するという事件があった。この事件の記録・風聞などをもとにして、円朝が文芸作品として創作したものである。

 まあ、実際どうだったのかは分からないようですね。
 しかし「忠臣蔵」「樅の木は残った伊達騒動原田甲斐)」のように「美談化されたケース」の一つではあるのでしょう。

山口阿藤(やまぐちおふじ)さんを思う: tomato君
 私の父は認知症で、何を聞いても「知らん」としか言わなくなってしまってしまってからずいぶん久しい。
 ところが、「お藤さん、て知っている?」と聞いたら、「知っている」というので、驚いた。
 母も、お藤さんを知っているというのだ。
 母が子どものころ、長源寺で毎月16日とかに、お藤さんの縁日があったのだとか、それで、その縁日に行って何かをいただいて、それを、自分の病んでいる部分に当てるとそれが治るとか言われていたとか。

 神林論文も指摘していますが当初は「飯田藩の危機を救った英雄」という「ふじ」も次第に「御利益がある神様」という「現世利益的な方向」へと変化していったようです。


【参考1の参考:「烈士」の例】
【中国・台湾】

中国、肺炎警告の医師を「烈士」に 批判かわす狙いか - 産経ニュース
 中国の湖北省当局は、新型コロナウイルスへの警鐘を早期に鳴らしたことが問題視されて処分を受け、自らも感染して死亡した同省武漢市の眼科医、李文亮氏ら14人を「烈士」に認定した。国営新華社通信が2日伝えた。李氏がデマを流したとして訓戒処分した公安当局は世論の反発で処分撤回に追い込まれており、烈士認定は当局への批判をそらす狙いがありそうだ。
 烈士は殉職した軍人や治安要員、消防隊員らが認定対象となることが多く、遺族には補償がある。今回認定された14人のうち12人が院内感染後に死亡した医療従事者で、李氏については「感染するリスクを顧みず、第一線の職場を堅守した」と説明している。

広州起義烈士陵園 - Wikipedia
 中国広東省広州市にある記念公園。
 1927年(民国16年)12月、中国共産党員が「広州コミューン」を組織し蜂起、まもなく国民政府により鎮圧される事件が発生した(広州起義)。1954年に広州起義を記念した公園建設計画が提出され、事件より30周年を記念して1957年に完成した。記念碑には周恩来首相によって「廣州起義烈士陵園」と揮毫されている。陵園内には、広州歴史博物館などが設置されている。
 広州地下鉄1号線の烈士陵園駅の名称は、この公園に由来する。

航空烈士公墓 - Wikipedia
 中国南京市の紫金山の北麓に位置する、日中戦争時に戦死した航空兵たちの墓である。中国だけでなく旧ソ連アメリカなど外国の兵士も祀られている。

国民革命忠烈祠 - Wikipedia
 台湾(中華民国台北市にある、辛亥革命を始めとする中華民国建国および革命、中国大陸での日中戦争などにおいて戦没した英霊を祀る祠で、中華民国国防部の管轄下にある。

【韓国】

韓国大統領が「親日清算」を強調 三・一運動記念日控え - 産経ニュース
 文氏は三・一運動を主導した代表的な女性とされる柳寛順(ユ・グァンスン)に言及。「柳寛順烈士には(国家有功者の)1等級勲章の資格があると思う」と三・一運動の象徴をたたえた。

日本憲兵に腕を切られても抵抗した“朝鮮の血女”尹亨淑 : 政治•社会 : hankyoreh japan
・日本憲兵は、太極旗を持ちデモ隊の先頭に立っていた尹烈士の左腕を軍刀で切り落とした。尹烈士は血を流しながらも立ち上がり、太極旗を拾い上げ大韓独立万歳を叫んだ。
・“南道の柳寛順(ユ・グァンスン)”と呼ばれる尹亨淑烈士(1900~1950)の闘争と生涯にスポットを当てる学術大会が初めて開かれる。
・政府は2004年、尹烈士に建国褒章を追叙した。

朴鍾哲 - Wikipedia(パク・ジョンチョル、1965年4月1日~1987年1月14日)
 韓国釜山市出身の学生運動家。公安警察の取り調べ中に拷問により死亡した。その死は6月民主抗争に強い影響を与え、「朴鍾哲烈士」と呼ばれ、韓国の民主化闘争の象徴となった。

【特派員オンライン】韓国の歴史と死生観|【西日本新聞ニュース】2020/9/30
 俳優の竹内結子さんの(ボーガス注:自殺による)急死を受けて、主演映画「いま、会いにゆきます」がヒットした韓国では主要紙が28日、ファンの悼む声を添えて詳しく報じた。偶然、私も同日付の本紙に、新型コロナウイルスの流行が続く韓国で若年女性の自殺が増えたという記事を書いたばかり。複雑な思いで悲報に接した。
 韓国の自殺率は経済協力開発機構OECD)加盟国で最悪だ。要因は多様だが、自ら命を絶つ行為が他者に強く抗議する手段とされてきた独特の歴史の陰もある。韓国では1945年までの日本統治に抵抗して殉死した独立運動家は「烈士」と呼ばれ、尊敬される。解放後は、(ボーガス注:朴正熙全斗煥など軍事独裁)権力の横暴に抗議して自らに火を放つ若い民主化運動家が相次ぎ、やはり烈士*12と英雄視された。そんな行動は国民感情を動かし、87年に軍事政権から民主化を勝ち取る原動力になった。一方、命を賭す行為を美化する死生観をもたらした(ボーガス注:とも言われる)。

 ということで「是非はともかく」として韓国軍事独裁下における民主活動家の一部も「焼身自殺」しており、何も「チベット自治区チベット人だけが焼身自殺してるわけでは無い」のですが、そういうことを知らないのか、故意に無視してるのかはともかく「チベット焼身自殺」を「他に例が無いかのように美化する一部の自称チベット支援者(例:早稲田大学のI濱Y子教授)」て「本当に馬鹿でくずだなあ(呆)」「で、チベット焼身自殺を美化するあんたらは韓国の焼身自殺も美化するの?(たぶんしないのだろうが)」とは思います。すみません、話が「歴史評論の記事」から完全に脱線してますが、俺はそう思います。なお、俺はこういうことを書くからか、一部の「自称チベット支援者(例:I濱Y子、Mukkeなど)」には嫌われてるようです。
 なお「数の大小はともかく」、コロナ自殺(特に女性、それも若い女性の自殺)が増えてるのは韓国だけでは無く日本でも増えてる(その一例が勿論、竹内結子ですが)とされ

〈独自〉女性の自殺急増 コロナ影響か 同様の韓国に異例の連絡 - 産経ニュース2020.9.20
 国内の女性の自殺者が増加し、8月は前年より4割増えたことが20日、分かった。韓国も同様の傾向がみられたため日本の自殺対策機関は韓国の自殺対策機関に連絡、情報を共有し分析に役立てる。
 関係者によると、自殺対策などを行う厚生労働大臣指定法人「いのち支える自殺対策推進センター」が8月中旬、韓国保健福祉省が設置する機関「中央自殺予防センター」の白宗祐(パク・ジョンウ)センター長へ連絡。日韓で女性の自殺者が急増している事態について、背景などを尋ね意見交換した。
 両国の自殺者の増加は新型コロナの感染が増加した時期と重なるため、新型コロナの影響による可能性も考えられる。
 韓国の現地報道は、新型コロナの影響で、非正規雇用など不安定な雇用の職業に就く女性の経済的困難が高まったほか、育児などの負担が増大したことなどが背景にあると指摘。日本でも同様の原因があるか、詳細な分析が進められる。

30代以下の女性の自殺 去年比74%増加 新型コロナの影響も | 新型コロナウイルス | NHKニュース2020年10月2日
 いま、女性の自殺が増えています。特に30代以下の女性の自殺は去年に比べて74%増加し、専門家は「新型コロナウイルスのさまざまな影響もあると考えられるが、女性は子育てや家事などでストレスがあっても周りに相談しにくいことが多いのではないか」と指摘しています。
 警察庁によりますと、ことし8月の1か月間に自殺した人は全国で1854人で去年の同じ時期に比べて251人、16%増加しました。
 男女別では男性は去年より6%増ですが女性は40%も増えています。
 特に30代以下の比較的若い世代の女性の自殺は去年より74%増加し、1か月間に193人が亡くなっています。
 自殺の問題に詳しい中央大学人文科学研究所の高橋聡美客員研究員は(中略)特に30代以下の女性の自殺者が増えていることについては、「女性は病気などに不安を感じやすいことに加え子育てや家事などでストレスがあっても自宅にいることが多く、相談しにくい環境にあることも要因の1つではないか。また、友人と会えなかったり(ボーガス注:三浦春馬竹内結子など)著名人の自殺に影響を受けたりするなど心理的な負担が増しているおそれもある」と分析しています。
 そして、「国は相談体制の充実を図るとともに心理的な負担がどれほどかかっているのかを分析し対策を講じる必要がある」と指摘しています。

9月の自殺者 全国で1805人 女性が大幅に増加 警察庁 | NHKニュース2020年10月12日
 先月、自殺した人は全国で合わせて1805人で、去年の同じ時期より143人増えたことが分かりました。ことし7月以降、3か月連続で去年の同じ時期よりも増えていて、国は新型コロナウイルスの感染拡大などの影響について分析を進めています。
 男女別では、男性が去年よりも0.4%増えて1166人、女性が27.5%増えて639人となっていて、特に女性の自殺者が大幅に増えています。
 厚生労働省は、自殺する人が増えたことについて「詳しい原因は分からないが、重く受け止めている」としたうえで、「新型コロナウイルスの影響で生活に不安を感じている人が多いと思うので、ひとりで悩みを抱え込まずに身近な人や支援機関、自治体の窓口に相談してほしい。また、周りにいつもと様子が違う人がいたら声をかけてほしい」と呼びかけています。

などの報道が既にされてます。「韓国での若年女性の自殺増加」はしたがって日本にとって「対岸の火事などでは全然無い」わけです。

ベトナム

殉職したひったくり取り締まり隊員2人を烈士に認定 [社会] - VIETJOベトナムニュース
 ベトナム政府はこのほど、2年前の職務中に強盗犯に殺害されたホーチミン市のひったくり取り締まり隊員のグエン・ホアン・ナムさん(当時29歳)とグエン・バン・トイさん(当時42歳)を烈士に認定した。
 事件は2018年5月13日の夜に発生した。3区カックマンタンタム通りのファッションショップの店先に停めてあった高級スクーター「SH」を盗もうとしていた窃盗グループを取り締まり隊が包囲。逃走しようと刃物を取り出した窃盗犯に、ナムさんとトイさんが刺されて死亡。他の隊員3人も負傷した。
 2人を殺害した犯人のグエン・タン・タイ(25歳)はその後捕まって裁判にかけられ、殺人罪で死刑を言い渡された。
 ゴーバップ区労働傷病兵社会局は28日、家族立会いのもと、グエン・ホアン・ナムさんの烈士認定式を開催。グエン・バン・トイさんの烈士認定式は後日、故郷の南中部沿岸地方ビンディン省で行われるという。
 認定式に出席したナムさんの父グエン・タイン・ホアンさんは、「街の治安維持のために戦って犠牲になった勇敢な息子の死は無駄ではなかったと信じている」と語った。
 烈士認定を受けたことで、遺族1人当たりにつき毎月162万4000VND(約7500円)の遺族年金が給付されるほか、弔慰金として3340万VND(約15万5000円)が支払われることになった。また、殉職から現在までの遺族年金も遡って給付される。

【日本】

「桜田門外の変」水戸浪士しのぶ 茨城県護国神社に十八烈士の銘板 - 産経ニュース
 桜田門外の変に携わった水戸浪士ら18人をしのび、顕彰するために制作された「桜田十八烈士銘板」の除幕、清祓式が25日、県護国神社水戸市見川)で行われた。
 櫻門之會の鈴木泉会長は「桜田門外の変明治維新の先駆けとも言える。目につきやすい場所に銘板を設置したので、学校の遠足などの学習にも活用してもらい、若い世代に水戸の歴史を語り継いでもらいたい」と活用を促す。銘板を設置することに対し、同神社の佐藤昭典宮司は「櫻門之會の熱意に応じた。銘板を置くことに誇りを感じる」と話した。

 「護国神社なら予想の範囲内ですが」、「桜田門外の変」って結局「大老暗殺というテロ犯罪」ですからねえ。こう堂々と美化していいのか疑問に思いますね。
 そして「繰り返しになりますが」、一方で韓国側の「安重根美化」を菅官房長官(現首相)や産経などが恥知らずにも「伊藤博文元首相暗殺のテロリストを美化するのか」と侮辱。もう「なんと言っていいのやら」ですね。

東光寺 (萩市) - Wikipedia
◆元治甲子殉難烈士墓所
 元治元年(1864年)、「禁門の変蛤御門の変)」に敗れ、岩国で自刃した福原元僴(ふくばら・もとたけ)、徳山で自刃した益田親施(ますだ・ちかのぶ)、国司親相(くにし・ちかすけ)の3家老の墓である。

大黒寺 (京都市伏見区) - Wikipedia
◆伏見寺田屋殉難九烈士之墓
 文久2年(1862年)、寺田屋事件で犠牲となった薩摩藩勤王党・有馬新七等9人の墓である。墓石の横にある碑文は、西郷隆盛筆。

土佐十一烈士墓
 土佐十一烈士墓は慶応4年(1868年)に起った堺事件で切腹した土佐藩士11人の墓で、宝珠院(ほうじゅいん)境内にあります。
 堺事件とは、慶応4年2月15日堺港に上陸してきたフランス軍艦の兵に対し、鳥羽伏見の戦以後に堺の警固にあたっていた土佐藩士がこれを阻止しようとしてフランス人11人を殺傷した事件です。フランス公使は憤激し、2月19日に明治新政府に対し土佐藩士の斬刑や謝罪を含む五ケ条の要求を提出し抗議しました。結果、2月23日土佐藩士隊長・箕浦猪之吉(みのうら・いのきち)ら20人の切腹妙國寺本堂庭前でフランス人士官等の立ち合いのもと行われました。しかし、11人が切腹した時点で、フランス人達は切腹の悲惨さにすっかり青ざめ切腹の中止を命じ、残りの9人は罪人として土佐に返されることになりました。
 箕浦達11人の亡骸(なきがら)は妙國寺北隣の宝珠院境内に葬られ、墓碑は土佐藩主・山内豊範(やまのうち・とよのり)により建てられ、後に修復されました。
 開国期の外交関係の歴史を語り伝える遺跡として重要であり、昭和13年(1938年)に国の史跡に指定されています。また、この事件の詳細については、旧『堺市史』等に紹介され、小説としては森鴎外の「堺事件」や大岡昇平の「堺港攘夷(じょうい)始末」などがあります。

「堺港攘夷始末」 大岡昇平著 中公文庫 - 史跡訪問の日々2010-04-25
 最近になって「幻の限定復刊」と称して中公文庫が往年の名作を次々と発行している。中公文庫には、本作をはじめ長谷川伸の「相楽総三とその同志*13」など、歴史に残る名著が多く収蔵されているが、その多くは絶版となっているので、このような企画は大変喜ばしい。
 大岡昇平が平成元年(1989)に著した「堺港攘夷始末」は、森鴎外の「堺事件」とその種本である佐々木甲象の「泉州堺烈挙始末」(以下、「始末」と略す)に対する反証として書かれたものである。
 そもそも「始末」は、明治二十六年(1893)に箕浦清四郎、土居盛義ら、土佐隊の生き残りもしくはその親族らが、事件の顕彰を目的として書き残したもので、自ずと意図をもって粉飾されている。
 当時、新政府は堺を外国人遊歩地域として認定していたが、そのことが堺の守備を預かる土佐藩に正確に伝わっていなかった。堺町奉行所は既に廃され、大阪奉行所支配下にあったが、堺に出張していた与力、同心らは大阪城焼失とともに逃げてしまい、土佐藩側に引き継ぎがされなかった手違いと思われるが、土佐藩の資料ではこのことに沈黙している。この行き違いが事件の発端になったことは間違いない。
 また、「堺事件」などでは、仏人が乱暴をはたらいた上に発砲、果ては土佐隊の軍旗を持ちだして逃げ出そうとしたため、土佐隊がやむなく発砲したという筋立てになっているが、土佐藩以外の記録ではそのような記録はない。また有名な十一士の切腹についても、あまりの凄惨さにフランス人の立会人が恐れを成して退散し、そのため十一人で中断されてしまったと伝えられているが、これも実態とは大いに異なっている。一人目の箕浦猪之吉は十文字に腹を掻き斬り、攘夷の歌をうたい(これは立ち会ったプチ・トアールの談話)、臓腑をつかみだしながら首を討たれた。この部分は日本側の記録ともフランス側の証言とも一致しておりほぼ間違いのないところであるが、それ以降の切腹は案外形式的に淡々と進んだのではないかと大岡氏は指摘する。結果的に八番隊側から唯一人の切腹者となった大石甚吉の切腹について「始末」ではかなり詳細に、また勇壮に描写している。七太刀を受けても大石の姿勢は崩れなかったと書きたてているが、「始末」は主に八番隊の生き残りが執筆したもので、誇張があると考えられる。十一番目に切腹したのは柳瀬常七である。「始末」あるいは寺石正路明治元年土佐藩泉州堺烈挙」でも柳瀬の切腹では臓腑があふれだし、これを見たフランス人立会人が怖気づいて中止を申し入れたとしているが、実はほかに柳瀬の切腹の様子を伝えるものはない。これも事件を美化しようという意図から生み出された粉飾である可能性が高い。大岡氏はフランス側の記録を紹介しながら、最初からフランス側の犠牲者と同じ十一人で処刑を終わらせる考えであったことを立証する。

本圀寺五烈士について: 鳥取歴史振興会&映画「維新の魁」制作委員会
 本圀寺五烈士とは、文久3年8月17日に起きた鳥取藩最大の刃傷事件、「因幡二十二士本圀寺事件」といい、側用人の黒部権之介、早川卓之丞、高澤省己、加藤十次郎らが、藩主池田慶徳の側にいるため、藩主が尊王攘夷の本懐を遂げることが出来ないと、河田左久馬をリーダーとした尊王攘夷派22人により、京都の本圀寺で暗殺された事件の被害者側5人のこと。
 側用人4人の他に早川の家来の藤井金蔵が真っ先に切られたため、全部で5人ということ。
 この事件で、討った側と討たれた側とが鳥取ご城下で隣近所、親戚・友人であったために、この事件の話をすることさえ長らくタブーとなっていた。
 水戸では、天狗党*14諸生党*15との対立があると聞くが、水戸ほどではないにしろ、尊王攘夷派と佐幕派との確執が鳥取ご城下に長らく続いており、この確執が、鳥取に本当の明治維新をもたらさなかったと確信し、2012年9月30日に五烈士の150回忌大法要を行った際、五烈士側から和解したいとの御意志を表明され、法要に参列されていた二十二士のご子孫と150年ごしの和解に至りました。

因藩二十二士・本圀寺事件五烈士供養法要、「偲ぶ会」150周年記念碑除幕式の開催/報道提供資料/とりネット/鳥取県公式ホームページ2013年09月18日
◆内容
 因藩二十二士が一躍脚光を浴びた「本圀寺事件」から今年で150年を迎えることから、本事件によって一時、二十二士が幽閉された泉龍寺(日野町黒坂)において、下記のとおり供養法要及び記念碑除幕式が開催されます。
(中略)
◆参考(因藩二十二士・本圀寺事件について)
○幕末の動乱期の日本を二分した尊皇攘夷論と佐幕論の対立は、鳥取藩内でもその例外ではなかった。文久3年(1863年)8月17日、京都本圀寺において、藩内攘夷派の河田佐久馬(後の鳥取県権令(初代鳥取県知事))以下二十二名は、佐幕派重臣等を襲撃し惨殺。二十二名のうち一名は自害、一人は行方不明となったため因藩二十士と言われることもあるが、今回は二名を含め「因藩二十二士」という。
○二十名はその後、京都及び日野町黒坂、鳥取での幽閉を経て倒幕の中心であった長州藩を目指して脱走。途中の島根県松江市手結(たい)の浦において、志士のうち4名ほかが重臣遺族の仇討ちにより壮烈な死を遂げるが、残りの志士は長州軍に身を投じ、やがて戊辰戦争明治維新後の新政府において活躍することになる。

因藩二十二士・本圀寺事件五烈士供養法要/とりネット/鳥取県公式サイト2013年10月7日
 今年は京都で起きた本圀寺事件から150年の節目の年。
 本圀寺事件とは、京都で護衛していた鳥取藩の内部で、尊皇攘夷派が佐幕派重臣を襲った事件です。
 その尊皇攘夷派が二十二名だったことから「因藩二十二士」と呼ばれています。
 その後、自害、行方不明となった2名を除いた20名が、日野郡日野町黒坂に幽閉されました。
 この節目の年に、幽閉先となった泉龍寺の三島道秀住職が因藩二十二士のほか、関係者1人、本圀寺事件で殺害された重臣ら五烈士を含め28名の御霊を供養することを計画し、事件のあった旧暦8月17日にあたる9月21日に法要と供養碑の除幕式が行われました。
 会場には、因藩二十二士や五烈士の遺族、鳥取藩池田家から現在の当主池田百合子さん、平井*16鳥取県知事など関係者が集いました。

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2011/09/03/6086018
 大津市*17の岡山墓地の入り口には「膳城烈士墳墓所」という石碑があります。これは、幕末の膳所(ぜぜ)事件で切腹を命じられた藩士の墓碑があるという意味です。
 膳所事件とは、1865年、第一次長州戦争にともなっておきた事件です。その顛末は、こうです。禁門の変をひきおこした長州に幕府軍が討伐に向かいます。その途上、将軍家茂が宿泊を予定(5月21日に)した膳所城で、暗殺を計画したとされる尊王攘夷派の藩士11名が捕らわれ、長州と通じていたとして、10月21日に処刑された事件です。

都城六烈士 150年ぶり帰郷 地元の悲願、慰霊碑除幕 幕末、京都で無念の自害 /宮崎(毎日新聞・2017/12/31) : 【偉人録】郷土の偉人
・幕末期に身の潔白を示すために切腹した「都城六烈士」の霊を京都の墓所から迎える祭事が命日の26日、都城市都島町の旭丘(ひのお)神社・祖霊社であった。
市民グループ都城島津を温(たず)ねる会」が、「明治維新で近代国家を築く礎となった若者たちが都城にもいた。不遇にも亡くなった六烈士のことを後世に伝えたい」と数年前から準備してきた。
 会などによると、六烈士は、京都・伏見の警備に派遣された私領一番隊(121人)に所属し、戊辰(ぼしん)戦争前年の1867年12月、伏見で江戸幕府軍の動きを偵察し、警備に当たっていた。
 6人は市中で行軍する幕府軍を発見、本隊へ報告したが、逃げ帰ったと誤解された。任務は戦わずに報告することと釈明したが、京都・東寺で全員自害したという。
 当時、薩摩藩から軍律違反とされて遺骸は都城に戻されず、6人の墓碑は京都市の狐塚墓地にある。
 後年、名誉が回復され、都城での慰霊碑建立は同会の悲願だった。
 慰霊碑は、高さ約1・4メートル、幅約1・9メートルの石に金文字で「六烈士殉難慰霊碑」と刻まれた。
 平井泉会長(63)は「御霊(みたま)が帰郷できて本当に良かった。六烈士のことを多くの人に知ってほしい」と話した。

護国寺 墓地探訪 1 - 万遊歩撮
・東京都文京区大塚5丁目の真言宗豊山派(中略)護国寺へ都電で向かいます。
・報国六烈士碑は、日露戦争の六烈士の顕彰碑。

 「日露戦争の報国六烈士」とは沖禎介田村一三中山直熊松崎保一横川省三脇光三の6人です。
 しかしこうしてみると日本でも烈士という言葉が使われたのはせいぜい「明治時代まで」のような気がします。
 いわゆる「爆弾三勇士」のことは「爆弾三烈士」とは言いませんしね。

http://www.ne.jp/asahi/risorgimento/pasta/misawarentai.htm
◆烈士脇光三
・脇光三は拓殖大学の1期生である。もちろん当時は拓殖大学ではなく、台湾協会学校であった。
・日露開戦後、ロシア軍背後の交通・通信線を破壊する使命を帯びた特別任務班が編成され、当然の事のように脇は参加した。
・明治41年(西暦1908年)、東京の護国寺に「報国六烈士碑」が建立されたのを始め、大正10年(西暦1921年)にはハルピンに「志士之碑」など国の内外に、彼らを顕彰する碑が建てられた。昭和6年(西暦1931年)には拓殖大学内に「烈士脇光三碑」が建立された。この碑は文京キャンパスにあったが、現在は八王子キャンパスに移転された。
・平成16年4月23日、拓殖招魂社春季例祭に合わせ、「烈士脇光三碑」前において、八王子子安神社の神職の奉仕により、脇光三先輩百年祭が厳粛に執り行われた。大学からは役員・教員・職員、学生、卒業生ら多数が参列した。

 改めて「拓殖大学の極右性」に吹き出しました。さすが荒木和博を教授にして恥じない大学はすさまじいですね。


◆近代天皇制国家と「偉人」:金原明善*18の「偉人」化とその歴史的意味(伴野文亮*19
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

【参考1:伴野文亮氏の「金原明善」研究】

コラム:一橋大学附属図書館所蔵「金原家文書」の紹介 | 上廣歴史資料学研究部門(伴野文亮 東北大学大学院文学研究科)
 一橋大学附属図書館に、金原家文書という史料群があります。これは、天竜川の治水などに尽力した金原明善(きんぱら・めいぜん、1832-1923)とその子孫に関する史料の一群です。もとは、静岡県浜松市にある金原明善翁生家の裏にある石蔵と、生家と道を挟んで反対側にあった金原明善記念館に保管されていたのですが、2016年にご子孫の意向で一橋大学附属図書館に寄贈されました。寄贈後は、当時一橋大学に在学中であった筆者が中心となって学内外の有志で「金原家文書研究会」を立ち上げて整理を進め、2019年度までに仮目録を完成させました。現在は、状態の悪いものを除いた全ての史料について、原則公開しています。なお、この仮目録は、一橋大学附属図書館と浜松市立図書館中央図書館で閲覧することが出来ます。
 史料整理によって、金原家文書には様々な史料が存在することが分かりました。例えば、金原が1896年(明治29)に北海道瀬棚郡に開設した金原農場に関する史料が挙げられます。具体的には、「金原農場土地所有権登記書類」(1896年作成)や「促成栽培並ニ苗床日誌」(1911年作成)などです。これらの史料は、日本近現代史における「開発」の問題を考える際の重要な手がかりです。その他にも、1968年(昭和43)に金原治山治水財団が編集し刊行した『金原明善資料』(上下巻)にも収録されていない歴史資料(例えば写真など)も数多く発見され、様々な角度から金原明善を研究することが出来るようになりました。
 地域の史料が、地元ではなく東京の大学図書館にある。
 一見、不思議なことのように思われるかもしれません。しかし、重要な点は、貴重な歴史資料が廃棄も「死蔵」もされずに保存され、研究資源として活用される道が残されたことです。私は、絶えず史料保存活動の意義を考えながら、遺された史料と向き合いつつ金原明善の研究を進めていきたいと考えています。

近代天皇制国家における「偉人」顕彰の歴史的意味の研究―金原明善の「偉人」化と天皇制イデオロギーの関連をめぐって―(伴野文亮)
 本論文は、近代日本社会のなかで様々なメディアを通して(生前から)「偉人」として顕彰された金原明善(1832〜1923)に着目し、彼が「偉人」として顕彰されたことの歴史的意味を考察する。その考察を通じて、金原が生きた近代天皇制国家の内実と、支配イデオロギーたる天皇イデオロギーの実像を明らかにしようとするものである。
 全体は、二部構成で、第一部「金原明善の思想と行動」では、三つの章を設けて、金原明善が生涯をかけて取り組んだ治水事業(第一章)と林業(第二章)、それぞれの経営実態を明らかにするとともに、金原明善のそうした活動の背景に「天皇意識」があったことを論証した(第三章)。
 第一部が、金原明善の意識・思想形成のプロセスを解明しようとした論考であったのに対し、第二部「金原明善の「偉人」化とその展開」は、金原明善が「偉人」として顕彰されていくプロセスを跡づけていく。まず第四章で、明治中期からアジア・太平洋戦争までの、各時期での金原明善「顕彰」の歴史的位置と背景を考察する。そして、具体的には、第五章では、安城農林学校校長の山崎延吉、第六章では、金原明善に師事し浜松で林業に関わった鈴木信一、それぞれの金原明善顕彰を取り上げる。最後の第七章では、植民地下朝鮮の『京城日報』に連載された金原明善を扱った小説を手がかりに、植民地において「偉人」金原明善像が流通することの歴史的意味について考察する。

金原明善: 静岡県近代史研究会情報
 伴野文亮氏「金原明善の『偉人』化と近代社会-顕彰の背景とその受容-」(『書物・出版と社会変容』第16号・2014年)の存在を知りました。
 金原明善といえば、浜松では歴代『のびゆく浜松*20』に、天竜川の治水に関して、絶大なる尽力をした、浜松の救い主のような記載されています。浜松人たるもの、そんなイメージを、金原明善に対して、持っていることでしょう。
 伴野さんは「顕彰の対象となる人物が顕彰され始める時点ではまだ存命しており、しかも、明治30年代中ごろまでは別のイデオロギー装置として機能していた「偉人」が、地方改良運動を画期として天皇制国家の政治支配を支えるイデオロギーとして読み替えられ機能した事例」として、金原明善を描いています。
 これは、「明治20~30年代は、実業家になったことそのものが「偉人」であるとされているのに対し、立身出世の機会が減少し、「高等遊民」や「煩悶青年」が発生するようになると、そういった「青年」たちの思想を゛善導゛しようという試みがみられるようになる」。
 こうした潮流に乗って、「明善は「実業家」となったこと(結果)よりも、実業家と成り得た内面性を評価されるようになったのである。」ということです。
 実証はゆたかで、読みやすい論文です。明善を教材に使う場合は、ぜひ一読したい論文です。
 拝読して、なぜ金原明善は、浜松では21世紀の現在まで顕彰され続けているのか、と思いました。治水・治山をした人は数有り、起業家も数有り、でも、金原明善は別格なのです。天皇とのからみでも、他にも人物はおります。
 今のルーツとなる起業家たちでは、記載が特定企業に偏るからでしょうか?
 ダムがたくさんできて、暴れることがなくなった天竜川からすると、治水に挑んだ明善は、もはや過去の人で、歴史の授業で学ぶのにふさわしい人物として、判断されているからなのでしょうか?
 それにしても、伴野さん、浜松の超メジャー人物を再検討とは、すごいなあと思います。

 赤字強調は俺がしました。歴史評論論文でも伴野氏は「生前から金原が『偉人』扱いされていたこと」を重視しています。 
 まあ、話が少し脱線しますが「生前から偉人扱い」つうのは、そうは多くはないかと思います。
 例えば、「柔道金メダルの内柴」「ミャンマーアウンサンスーチーノーベル平和賞受賞)」なんかわかりやすい例ですが

◆内柴の場合
 準強姦で有罪判決
◆スーチーの場合
 「ロヒンギャ問題での欧米からの批判」に「言いがかりだ」と完全に居直ったこと

で今やその評判は「かなり下落した」といえるでしょう。「スーチーからノーベル賞を剥奪すべきだ」という主張が一部からは出ています(ただしノーベル賞の歴史においてそうした剥奪は前例がなく、今のところスーチーから剥奪などされていませんが)。
【参考:スーチーに対する欧米の失望】

人権の女神スーチーは、悪魔になり果てたのか | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト2018年6月12日
 ミャンマービルマ)の国家顧問で事実上の国家元首であり、かつては「ザ・レディ」と呼ばれて親しまれ、敬われたアウンサンスーチーのこのところの人気凋落ぶりはすさまじい。
 非暴力で軍事政権に立ち向かい、長年の自宅軟禁にもめげず、1991年にはノーベル平和賞を贈られ、耐えに耐えて民主化を勝ち取った彼女だが、今はイスラム少数民族ロヒンギャに対する非道な迫害に見て見ぬふりをしていると非難され、袋だたきに遭っている。ノーベル賞を剥奪しろという声まで上がった。
 25年前、欧米のリベラル派はアウンサンスーチーを普遍的な人権の守護者に祭り上げた。しかし現実の彼女は違っていた。

スーチーはハーグでロヒンギャ虐殺を否定し、ノーベル平和賞を裏切った | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト2019年12月12日
ノーベル平和賞は、受賞後の行いを保証しない。
ノルウェー・ノーベル委員会に平和への貢献を認められ、栄誉を与えられたからといって、政治指導者が強権支配に走らないとは限らない。それを見事に示したのは、1991年にこの賞を受けたミャンマーの事実上の指導者アウンサンスーチーの行動だ。
ミャンマー民主化運動の旗手で、長年自宅軟禁されていたスーチーは、1990年代には人権と民主主義のシンボルとして国際社会に高く評価されていた。だが近年の行動は彼女を支持し尊敬していた人たちを驚かせている。イスラム教徒の少数民族ロヒンギャを1万人以上殺害し、数十万人を国外逃亡に追いやったジェノサイドは、ミャンマー軍指導部が主導した組織的犯罪であることを示す圧倒的な証拠がある。それにもかかわらずスーチーは、かつて自身の敵だった軍指導部と手を組むようになっているからだ。
 スーチーは12月10日、ハーグの法廷で、ジェノサイドの目撃者が集団レイプや子供たちの虐殺、一家全員を生きたまま焼き殺すなどの残虐行為について証言を行う間、表情ひとつ変えずに聞いていた。そして翌11日証言に立ち、ジェノサイドという非難は「誤解を招く」ものだと主張した。ミャンマー西部のラカイン州で行われた軍事作戦は、ロヒンギャ武装集団が警察を襲撃したために始まった過激派掃討作戦だ、というのだ。
「国際社会は今こそ目覚めなければならない。(ミャンマーの)政府と軍は協力関係にある」と、ロンドンに本拠を置く英国ビルマロヒンギャ協会のトゥン・キン会長は言う。
 ロヒンギャもまたスーチーの変節にショックを受けていると、トゥン・キンは話した。
「私たちは長年、(民主化の)シンボルとして彼女を支持してきた。民主化が実現すれば、ロヒンギャも含め、国民全員に諸権利が保障されると信じていた。スーチーが軟禁状態から解放されるよう、私は長年運動してきた。残念ながら彼女は宗旨替えし、完全に軍部に取り込まれてしまった。信じがたい裏切りだ」
 ハーグの法廷で彼女が示したのは、ノーベル平和賞を受賞した人権活動家だからといって、人類史上最悪級の犯罪に加担しないとは限らない、という事実だ。

【参考終わり】
 生きている人間というのは「不祥事を起こす危険性」というのがどうしてもある。
 従って、「独裁国家の個人崇拝(ナチドイツのヒトラー旧ソ連スターリン文革期中国の毛沢東など)」ならまだしも、たいていの場合「死んだことによって評価の変動が起こりづらくなってから」偉人化はスタートします(また「暗殺された山本宣治」などは、わかりやすい例ですが「不幸な死に方をすること」によって偉人化は助長されます)。
 その意味では「生前から偉人扱い」で「死後も幸いにも偉人扱い」の金原は「ある意味幸せな人」といえるかもしれません。
 生前からの金原の偉人扱い(特に、生前における勲章の授与など政府のバックアップがすごい)には伴野氏の理解では次のような意味合いがあります。
1)金原の善行が「彼の企業経営」と直結していない
 「優れた財界人だから偉人」ではそれは「金原の商売の宣伝」になってしまい、偉人扱いはしづらい。そうではなく「天竜川治水事業」「印旛沼開鑿事業」「更生保護施設の設立」など商売と直結しない点が重要なわけです。
 この点は「商売と直結しない」

・倉紡中央病院(現・倉敷中央病院
大原美術館
・大原奨農会農業研究所(現・岡山大学資源生物科学研究所
・倉敷労働科学研究所(現・大原記念労働科学研究所
大原社会問題研究所(現・法政大学大原社会問題研究所
・私立倉敷商業補習学校(現・岡山県立倉敷商業高等学校

を創設した大原孫三郎クラボウ創業者)を連想します(大原孫三郎については後でネット上の記事をいくつか紹介します)。
2)金原に「政治性が乏しい(特に『政府批判色に乏しい』)」
 金原が「特定の政党支持者」だったり、あるいは「政府批判派」だったりしたら、政府としても顕彰はしにくいでしょう。
 例えば、政府批判派ではないにせよ、大原孫三郎は大原社会問題研究所設立に辺り、「有能な人間なら思想は問わない」として、中道左派高野岩三郎(戦後、社会党顧問)を所長に据え、所員の選任については高野に全権を委任。高野の招きによって、「大内兵衛、櫛田民蔵、森戸辰男」などのマルクス主義の立場に立つ研究者が所員に就任しました。
 このうち、森戸は「いわゆる森戸事件」で東大助教授を辞職に追い込まれてからの所員就任ですから大原も「異色の財界人」といっていいでしょう。
 こういうことをされると政府としても「生前から偉人扱い」はしづらい。
 あるいは星新一の父親である「星製薬創業者」星一後藤新平との親交)のように「特定の政治家との親交」があると「生前から偉人扱い」はしづらい。
 つまり金原とは「政治色(特に政府批判色)に乏しい誰もが担げる公平無私の存在(つまりは既存権力が自己正当化に使えるうってつけの存在)」として機能したのであり、その点では伴野氏の金原評価は

澤藤統一郎の憲法日記 » 「国民に寄り添う」などと言う評判のよい王こそが、最も危険な王なのだ。
 評判最悪の王なればこそ、王室批判の運動に火を付け、その火に油を注いでいる。客観的には、評判の良い国王は民主化のブレーキとなり、評判最悪の現王が民主化のアクセルとなった。
 客観的には、「悪王こそが、民主化推進のよい働きをする王」である。これを裏から見れば、「評判の良い王こそが、民主化推進に障碍として立ちはだかる悪王」なのだ。どこかの国の、誰かのことを思い浮かべれば、良くわかる。

という澤藤氏の「上皇明仁氏&天皇徳仁氏(評判の良い王)評価」に近いものがあります。
 もちろんそれは「金原の偉業の否定」ではない。
 金原には「政府批判色に乏しい」という特徴(限界?)があったし、であるがゆえに「政府の推進した金原顕彰」の問題点を注意する必要があるという話です。まあ、金原がそう言う「政府批判色に乏しい」人間であるからこそ安倍も平成30年1月22日 第百九十六回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説 | 平成30年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページとして演説に利用できるわけです。

2月例会 2月15日(土)14時~ 鎌倉文庫 – 静岡県近代史研究会
 本報告では、近代日本において様々なメディアを通して「偉人」として顕彰された金原明善(1832-1923)の思想と行動について、印旛沼開鑿事業への関与を事例として検討する。
 金原明善をめぐっては、明善が生存中から「偉人」として顕彰されていたこともあって、戦前から多数の研究成果が積み重ねられてきた。しかしながら、それらの多くは、明善の名を一挙に高めた天竜川の治水やその後継事業として実施された天竜川上流部(瀬尻)の植林などに焦点を当てた、明善の「偉人」としての精神性を称揚したものがほとんどであった。換言すれば、明善の思想と行動を歴史学的視点から総合的に捉えた研究は、今もって存在していないのが現状といえる。このために、本報告で扱う印旛沼開鑿事業における明善の関与など、明善の思想を歴史的に検討するうえで重要な素材が今日まで分析されずにきたのであった。戦後、金原家の土蔵に所蔵されていた膨大な一次史料を素材として編まれ、初めて明善を「客観的・科学的」に分析したと自負する成果である『金原明善』(金原治山治水財団編集・刊行、1968年)においても、明善の印旛沼開鑿事業への取り組みについてはごく僅かにしか言及していないし、明善の印旛沼開鑿事業に対しての取り組みを歴史的に位置付けた成果も管見では把握していない。
 かかる研究史的状況に鑑み、本報告では、1880年代=明治10年代後半から20年代前半の明善がいかなる思想的背景のもと印旛沼開鑿事業に取り組んでいたのか、その歴史化を試みる。
 本報告は、以下3つの章から構成される。第1章では、印旛沼開鑿事業に関与し始めた1880年代における明善の動静について概観する。明治10年代後半は、天竜川の改修が内務省の直轄事業となり、明善が治河協力社を「解社退身」して東京に進出していく時期である。その時期にあって、明善がどの様な人的交流をもち、「実業家」としていかなる活動をしていたのか。第1章では、次章以降で印旛沼開鑿事業における明善の関与の具体像を明らかにするための前提として、とりわけ彼の人的ネットワークに着目しながら、当該期の明善の「姿」を概観する。第2章では、印旛沼開鑿事業と明善の関係性について検討する。具体的には、1884年(明治17)に作成された「参田会規則」や「内洋経緯費鐻集ノ大旨」、または織田完之が著した『印旛沼経緯記』(1893年刊)を史料として、明善の印旛沼開鑿事業における関与の具体的位相がうかがえる参田会の基礎的考察を行う。この考察をとおして、明善が印旛沼開鑿事業において具体的にいかなる行動をとっていたのか、その実態を明らかにする。そして第3章では、印旛沼開鑿事業に関わった明善の思想的背景について検討を加える。具体的には、「皇居御建築相成度並献納金之儀ニ付懇願書」などの史料や、教派神道神道大成教」を率いていた平山省斎との関わりからうかがえる明善の天皇観ないし「国学」的思惟を明らかにするとともに、治水・水利事業の実施によって国家に「報効」せんとした明善の「国益」思想について検討を試みる。
 以上の考察を経て、明善がなぜ「地元」浜松から遠く離れた印旛沼の開鑿事業に関与したのか、その思想的背景を明らかにするとともに、そこにおける明善の「個性」を明らかにする。本報告を通して、明善研究における新たな論点の提示を試みたい。

 「財界人」「地元民は知ってるが地元以外は無名」てあたり、「金原明善」は「我が埼玉の渋沢栄一」を連想させる御仁ですね。まあ渋澤も「1万円札の肖像画に採用&来年の大河ドラマ主役決定」で大分全国的な知名度が上がってきましたが。


【参考2:ネット上の「金原明善」顕彰】

平成30年1月22日 第百九十六回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説 | 平成30年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページから一部引用
 「五十年、八十年先の国土を富ます。」
 百五十年前。天竜川はたびたび氾濫し、村人たちは苦しめられてきました。子々孫々、洪水から村を守るため、金原明善(きんぱら・めいぜん)は、植林により治水を行いました。
 六百ヘクタールに及ぶ荒れ地に、三百万本もの木を植える壮大な計画。それでも、多くの人たちが明善の呼び掛けに賛同し、植林のため、共に、山に移り住みます。
 力ある者は、山を耕し、苗木を植える。木登りが得意な者は、枝を切り落とす。女性や子どもは蔦や雑草を取り除く。それぞれが、自身の持ち味を活かしました。
 多くの人たちの力を結集することによって築き上げられた森林は、百年たった今でも、肥沃な遠州平野の守り神となっています。
 多くの人の力を結集し、次の時代を切り拓く。あらゆる人にチャンスあふれる日本を、与野党の枠を超えて、皆さん、共に、作ろうではありませんか。

天竜川流域を豊かな農地に金原明善:農林水産省
 金原明善は、江戸時代後期の1832年天保3年)に遠江国長上郡安間村(現在の浜松市)の名主の子として生まれました。明善は天竜川の洪水で苦しんでいる人たちのために、自分の財産を投げ出し堤防を築いたり、川の上流に植林をするなど治山治水に大きな功績を残し、天竜川の利水にも大きく貢献しました。
 明善は、1872年(明治5年)に天竜川分水計画を作りました。これは田畑に水を供給したり、木材を運搬するために、天竜川の水を浜名湖へ流すという計画です。また、1899年(明治32年)には天竜川から三方原に水を流し、田畑に水を供給する計画を立てましたが、両方の計画とも経済的、技術的な理由で県の許可が下りませんでした。そこで、明善は1904年(明治37年)に事業を行うため「金原疏水財団」(のち金原治山治水財団)を設立し、自分の財産を提供しました。しかし、工事の着工には至らないまま、明善は1923年(大正12年)に91歳でこの世を去りました。
 明善の計画が実行されたのは、それから15年後の1938年(昭和13年)に着工した浜名用排水幹線改良事業によってです。このときの地元工事負担金は、「金原治山治水財団」が全額寄付をしました。その後、三方原農業水利事業が1968年(昭和38年)に、天竜下流水利事業が1979年(昭和54年)に完成し、明善の計画は1世紀余の歳月をかけて実現しました。
 現在、浜松市を中心とする県西部地域は、国内有数の農業地帯となっています。

国土交通省木曽川下流河川事務所『木曽三川治水偉人伝・金原明善(きんばらめいぜん)
 彼が生まれた安間村一帯には「暴れ川」と呼ばれた天竜川が流れており、嘉永3年(1850)から明治元年にいたる19年間にたびたび氾濫して大きな被害をもたらしました。この洪水の恐ろしさを身をもって体験した明善は、明治元年(1868)、36歳の折り、長年の計画を実行すべく、私財5万6000円をなげうち、新しい明治政府の許可を得、天竜川に約7キロの堤防工事を行ないました。明治7年(1874)、オランダ人技師と天竜川上流の森林調査を行なった明善は、荒れ果てた山々を見て、川の氾濫を治めるためには、森林の保全にあることを実感しました。彼が天竜川の植林作業のために官有林に寄付した苗木は、スギ250万本、ヒノキ50万本。まさに全財産を投じての治山治水活動でした。この植林作業は天竜川上流はもちろんのこと、伊豆・天城山、富士山の麓、岐阜県の森林に至るまで、広範囲に及びました。
 明善の偉業は、同じ洪水で苦しむ他地域の人々にとっても大きな支えとなりました。
 大垣輪中(大垣市)で幼少のころから、洪水の恐ろしさを体験した金森吉治郎は、彼の影響を受け治水事業に生涯を捧げるようになりました。明治24(1889)年の濃尾大震災の際には、明善と吉治郎がともに根尾谷の山腹崩壊の実情を撮影して天覧に供し、その結果生まれた森林法が実施され、岐阜県下に5万2000ヘクタ-ルの植林が行なわれました。
 治水に全生涯を捧げた金原明善は92歳で天寿をまっとうしますが、植林された木はそのまま生長を続け、その一部は記念林として、また学術参考林として、現在も瑞々しい緑に包まれています。

歩み|会社情報|株式会社 丸運
 岡山県倉敷市の美観地区には大原美術館という観光名所があります。この大原美術館を設立した明治・大正時代の富豪、大原孫三郎は倉敷日曜講演という講演会を主催していました。これは全国の学者、知識人を招聘して講演をしてもらうというもので、1902年から20年近くも続きました。この第19回に当社の創業者金原明善が「経歴と希望」という題目で講演を行いました。金原明善は明治・大正時代に静岡県が生んだ偉人であり、行う事業はあくまでも公益優先を考える稀有の人でした。
 彼は私財をなげうってまで天竜川の治山治水に取り組み、地域そして国家に貢献しました。
 かつて、天竜川流域は杉・檜などの天然資源に恵まれ、その良材は天竜川を利用した水上運輸で各地へ運ばれていました。しかし、ひとたび豪雨が降ると大きな被害に見舞われていたことから、金原明善は、安全確実な輸送手段として鉄道による木材輸送事業を興しました。この事業が当社の源流です。

金原明善に会いに行こう|株式会社 丸運
 明善は数々の事業を興し、近代日本の発展に貢献しています。
 生涯をかけて取り組んだ「天竜川の治水」「植林事業」は特に有名です。

金原明善とは | 金原明善 │ 一般財団法人金原治山治水財団
 堤防改修の為に水利学校と治河協力社を創設。また洪水の抜本的原因となる上流の山に対して大規模な植林事業を開始。事業としての持続可能性を高めるため、山から間伐される木材を高付加価値化する製材事業 新式機械製材(後の天竜木材株式会社設立)、それらの輸送を円滑にするための天竜運輸(後のJR天竜川駅誘致)、作業効率を上げるための新式機械製材(天竜製鋸株式会社が設立)の治山関連事業を興し、 瀬尻官林、金原林の植林で培った治山のノウハウを天城御料林の経営や、広島、岡山、岐阜、富士山麗など全国各地で実地指導を行った。
 治山、治水に加え、浜名湖三方原へ分水することで田畑への水の供給、木材の運搬を実現するための利水(疎水)事業も設立。
 東京では金原銀行(昭和15年三菱銀行に合併)、井筒屋(小売)、北海道の開拓(金原農場、金原小学校)も展開。出獄人保護事業(後に静岡勧善会)の源流となる事業も興した。

【森田実の政治評論】政府に問われる防災政策の大転換と治山治水の推進|森田実の政治評論|コラム|JAcom 農業協同組合新聞
 自然災害を起きた時、条件反射的に思い出す人物が二人います。一人は明治期の治山家、治水家、実業家の金原明善です。明善は「あばれ天竜」と言われた天竜川の水害を防ぐため、私財を投じ、天竜川の堤防整備につとめました。つぎに明善は天竜川流域の山林を整備するため大規模な植林事業を行ないました。明善は治山と治水に生涯をかけたのです。天竜川流域は繁栄する地域に変貌しました。明治政府はこの明善の事業に協力しました。
 明善のような傑出した偉人は稀ですが、江戸時代、明治時代には大小の差はあれ、篤志家は少なくありませんでした。しかし現在は金原明善的偉人はほとんどいなくなりました。社会全般に「自分さえよければ思想」が蔓延してしまっているからです。
 多くの大企業は、自分の企業を守るために巨額の資金を貯め込んでいます。その額は4百数十兆円に達しています。巨額の資金を抱えている大企業が一社でも二社でも、この資金を防災減災とくに治山治水のために自己犠牲的に活用することになれば「自分さえよければ思想」に一撃を加えることができます。

社会福祉法人風土記<5>信濃福祉施設協会 上 源流は更生保護事業 - 福祉新聞
 ある男性が刑期を終え、村へ帰った。妻は再婚したらしく、子どもも生まれ、幸福のようだ。それを乱すことはせず、村の親戚へ一夜の宿を頼んだものの、「お前のようなものは」と追い返された。金もない。警察も助けてくれなかった。出所の際、「二度と悪事に手を染めない」との約束を思い返し、池へ身を投げ、この世に別れを告げた。
 出所者を温かく迎えた家族を歌う「幸せの黄色いリボン*21」は、どこにもなかったというわけだ。その話を聞いた静岡県の実業家、金原明善=1832(天保3)年~1923(大正12)年=が日本で最初といわれる更生保護施設「出獄人保護会社」を静岡県安倍郡安東村(現静岡市)に作ったのは1888(明治21)年のことである。宿を提供し、手に職をつけ、再犯を予防していく。民間の篤志家の寄付や仏教団体、僧侶たち、一部のキリスト者らの活動がそれを支えた。いまの保護観察制度の走りと言って良いだろう。


【参考1の参考:大原孫三郎】

第6回「資本主義の父」 | 歴史に学ぶ 父と呼ばれた日本人―近代日本を創った801人|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
 社会・労働問題の解決を一貫して提唱した近代経済学福田徳三は、労働問題に関する経営者の姿勢を批判していますが、大原だけは例外として評価しています。また、福田とは対極的な立場のマルクス経済学者の大内兵衛(ひょうえ)も、「金を儲けることにおいて大原よりも偉大な財界人はたくさんいたが、金を散ずることにおいて高く自己の目標をかかげてそれに成功した人物として日本の財界人でこのくらい成功した人はなかった」と評しました。大原は、当時の専門家から「近代経営の父」ともいうべき高い評価を得ているのです。
 実業家としては、倉敷紡績をはじめ現中国銀行、現中国電力などの社長を務め、大原財閥を築き上げ、社会事業としては、大原美術館のほかにも研究所、大病院、社会福祉施設などを現在に残し、社会や地域に多大な貢献をした大原は「企業メセナの父」とも呼ばれます。「企業メセナ」とは、企業が資金を提供して文化、芸術活動を支援することですが、この点につき(ボーガス注:大原を主人公とした小説『わしの眼は十年先が見える:大原孫三郎の生涯』(新潮文庫)を書いた)作家の城山三郎は、「バブルにつれて生まれ、バブルとともに消えたメセナなどというやわなものとは、まるでちがう。(大原孫三郎の残した社会貢献は)正真正銘の力強い〝企業文化〟であった」と述べています。

二村一夫「大原社会問題研究所を創った人びと」『二村一夫著作集』
大原社会問題研究所を創った人びとのなかで、まずあげなければならないのは、いうまでもなく自分のポケットマネーで研究所を創立し、今なお研究所の名にその名を残している大原孫三郎さんです。大原さんがこの研究所に出してくださったお金は総額で約185万円、今のお金なら総額で100億円から200億円というところでしょう。これは21年間に出された総額ですから、年平均で8万8千円余です。土地建物にかけた25万円を除いた経常経費は総額160万円、年平均8万円前後、今の金で約5~8億円というところでしょうか。
 なぜ、瀬戸内の小さな町の金持ちが、こんな大金を出して研究所をつくったのでしょうか。それも、社会問題研究所だけでなく労働科学研究所や農業研究所を設立し、また有名な大原美術館や、さらには駒場日本民芸館などまでつくったのか、考えてみれば不思議な話です。また、そういう人物が東京や大阪でなく、なぜ倉敷という瀬戸内の小さな町から生まれたのでしょうか。
 そこで、前から、少しずつ大原孫三郎について調べてきました。ところが、調べれば調べるほど、どうも一筋縄ではいかない人物だと思うようになってきました。言っていることとしていることの間に完全な整合性があるわけではない。かなり矛盾に満ちた人物のようです。実に立派な側面を持っているかと思えば、とても褒められたものではないところもある。差し引きすればプラスの方がはるかに大きい人物だとは思いますが、マイナスに目をつぶったままではプラスの側面が分からない。さらに、なぜこうした矛盾に満ちた人物が生まれたのかなどと考えてくると、疑問はつぎつぎにわいてきます。
・孫三郎の父・大原孝四郎は岡山池田藩の儒者藤田家から与平の孫娘の婿養子として大原家に入りました。当時としてはたいへん合理的な考えの持ち主で、孫の総一郎さんによれば、孝四郎は機械精米の普及で不要になった石臼を安く買って庭の踏み石にしたといいます。「米すりに使ったものを踏み石にするなど罰があたる」と言われたのですが、「廃物を利用するのがなぜ悪い」と少しも動じなかったといいます。また壁土に安い山土を入れた赤い壁を塗らせたそうで、これも周りは壁土までケチケチしなくてもと噂したようですが、孝四郎は「この方が明るくていい」と意に介さなかったといいます。
 こうした古い慣行や価値観にとらわれず、自己の判断に重きをおく気風は、あきらかに孫三郎にも受け継がれています。孫三郎は大原の家に家憲・家訓のないことを誇り、「古い者の言いつけを後生大事に守っているような人間では仕様がないのだ。子孫というものは祖先を訂正するためにあるのだ」といい、総一郎に「祖先の欠点をよく見て、それを批判し、訂正するのがお前の義務だ」と語ったそうです。欠点の多い人間であることを自覚していたことがこうした発言をさせたのでしょうが、同時に「どうだ俺を乗り越えられるか」と息子に挑戦しているようにも聞こえます。
・孫三郎が生まれた翌年、18歳上の長兄が死亡したため、孫三郎は生まれて間もなく大原家の〈跡取り〉となりました。父が50歳近くになってからの子供で、兄二人が若死にし、文字どおり他にかけがえのない跡取り息子だった孫三郎は、病弱だったこともあって大事大事に育てられました。祖父母、両親からすっかり甘やかされて育った孫三郎は、手の付けられない我侭な〈若様〉になってしまいました。16歳の時上京して早稲田大学の前身である東京専門学校に入学しました。しかし、ここでも学校にはほとんど行かず、芝居や寄席、吉原通いにうつつを抜かしたと言います。仕送りでは到底足りるわけもなく、とどのつまりは高利貸から借金をしての〈遊蕩生〉〈吉原特待生〉になりました。岡野なにがしという高利貸が、金を返せと倉敷まで乗り込んできたそうですが、孫三郎の父は「他国の若者に、大原という家を信用してよくそれだけの大金を貸して下された」と礼をいってご馳走したといいます。たいへんな道楽息子だったわけです。
 この高利貸からの借金は、なんと利子も含め1万5000円にも達したといいます。当時、小学校教員や巡査の初任給が(ボーガス注:月給)10円前後、倉敷紡績所で最高給の技術者が30円、大卒の銀行員が35円前後でした。
・ただ私は、こういう男だったからこそ、彼は大原社会問題研究所を創りえたのではないか、と考えるのです。17歳やそこらで、これほどの大金を使う大胆さがあったから、研究所に185万円も投ずることが出来たに違いない。もちろん使う金がなければダメですから、単なる度胸や気っぷの良さだけでなく、大原家の豊かさ、孫三郎の経営者としての天性の資質もある。しかし金持ちなら他にも何人もいたのに、孫三郎だけがこんな金の使い方をしたのは、彼が幼い時から、のびのびと、底なしに甘やかされてきたことと無関係ではあるまい、と思うのです。もし仮に、孫三郎が幼年時代から無駄遣いなどしないよう厳しく躾けられていたら、海のものとも山のものとも分からない研究所に金を出すことなど、考えもしなかったでしょう。
 さらにいえば、彼が事業家として才能を発揮したのも、このように育てられ、いつでも自分の思いどおりに行動してきたことと関係がある。倉紡が成長したのは孫三郎が社長になってからですが、周囲の懸念を押し切って強引に飯場制度改革を実施し、急速な規模拡大を図るなど、強力なリーダーシップを発揮しています。たまたま第一次大戦による急激な経済成長にも恵まれたこともあって、倉紡はいっきに成長しました。ここには孫三郎の経営者としての優れた感覚がみられますが、同時に彼の天性の大胆さが、その育ちによって磨きをかけられた側面があると思われます。
・今日は大原孫三郎についてかなりの時間をかけてお話ししましたが、それでも実際はそのひとつの側面を語ったに過ぎません。確かに孫三郎は生涯を通じさまざまな社会事業や、文化活動に力を注ぎましたが、これだけが彼の活動分野ではありません。むしろ彼本来の場は企業にあり、そこでその才能は遺憾なく発揮されました。今回は、事業経営者としての孫三郎についてはほとんど触れえませんでした。彼は1901(明治34)年に倉敷紡績に入社し、1906(明治39)年に社長に就任しましたが、倉紡が急成長をとげたのは、その後のことでした。また、倉敷レイヨンの前身である倉敷絹織も創設しています。さらに、紡績業だけでなく、電力や金融の分野でも、あいつぐ合併により、岡山県下の企業を統一し発展させることに手腕を発揮しました。こうした孫三郎の別の側面についてもお話ししたいのですが、それでは時間がいくらあっても足りませんので、また別の機会にしたいと思います。ただ、孫三郎が先見性をもち、決断力に富んでいたことが彼の成功を保証したことは確かで、彼自身、その先見性を誇り、息子の総一郎につぎのように語ったといいます。
 「わしの目は十年先が見える。十年たったら世人にわしのやったことが分かる」。
 「仕事を始めるときには、十人のうち二、三人が賛成するときに始めなければいけない。一人も賛成者がないというのでは早すぎるが、十人のうち五人も賛成するような時には、着手してもすでに手遅れだ」。

*1:鳥取大学教授。著書『褒められた人びと:表彰・栄典からみた鳥取』(2013年)

*2:千葉大学准教授。著書『「明君」の近世:学問・知識と藩政改革』(2012年、吉川弘文館

*3:著書『藩政改革と地域社会:秋田藩の「寛政」と「天保」』(2011年、清文堂出版)、『秋田藩の政治と社会』、『近世秋田の町人社会』(以上、2016年、無明舎出版)、『「秋田藩」研究ノート』(2017年、無明舎出版

*4:1924~1996年。中央公論社に入社し、「谷崎潤一郎全集」、「エリオット全集」などの文芸書を手掛け、1971年(昭和46年)退社。翌年、小説「斬(「人斬り浅右衛門」こと山田浅右衛門を描いた)」を執筆、井上ひさし(『手鎖心中』)とともに直木賞を受賞(綱淵謙錠 - Wikipedia参照)

*5:1974年にはニクソンの大統領辞任を受けて副大統領から大統領に昇格。現職として戦った1976年の大統領選挙ではカーターに敗れているので、2020年現在、大統領選挙に勝利して選出されたことのない唯一のアメリカ大統領である(ジェラルド・R・フォード - Wikipedia参照)。

*6:水戸市議、茨城県議を経て、水戸市長(高橋靖 - Wikipedia参照)

*7:敦賀市議を経て敦賀市長(渕上隆信 - Wikipedia参照)

*8:鶴見大学准教授。

*9:1870~1952年。著書『赤穂義士忠臣蔵の真相』、『徳川の家督争い』(以上、河出文庫)、『侠客と角力』(ちくま学芸文庫)、『江戸生活のうらおもて』、『江戸の女』、『江戸の旧跡 江戸の災害』、『江戸の豪侠 人さまざま』、『江戸の白浪』、『江戸の花街』、『御家騒動』、『お大名の話・武家の婚姻』、『加賀騒動』、『敵討の話 幕府のスパイ政治』、『花柳風俗』、『公方様の話』、『御殿女中』、『娯楽の江戸 江戸の食生活』、『芝居風俗』、『芝居の裏おもて』、『芝・上野と銀座』、『相撲の話』、『大名生活の内秘』、『近松の心中物・女の流行』、『捕物の話』、『泥坊の話・お医者様の話』、『人形芝居と能』、『はやり唄・吾妻錦絵』、『武家の生活』、『札差』、『目明しと囚人・浪人と侠客の話』(以上、中公文庫)など

*10:神林論文に寄れば鳶魚は「殺害された若山の子孫」と交際があり、彼の主張も「子孫による若山擁護の言説」を元にしているようなので鵜呑みにするのは危険でしょう。いずれにせよ「若山の子孫」にとっては「若山悪人説」は肯定できる話ではなかったわけです。

*11:著書『戦後日本の教育学:史的唯物論と教育科学』(2016年、勁草書房)、『現代日本教育費政策史:戦後における義務教育費国庫負担政策の展開』(2020年、勁草書房)など

*12:「権力弾圧による獄死」も「烈士」であるのに「烈士=自殺者」と誤読させかねないこの西日本記事はあまりにも問題があると思います。

*13:ググったところ現在は講談社学術文庫でも入手が可能。なお、相良(赤報隊隊長)については相楽総三 - Wikipedia参照

*14:天狗党の乱で知られる尊皇攘夷倒幕派

*15:天狗党を弾圧する立場にあった水戸藩主流派。薩長の勝利により、諸生党リーダーの市川弘美(市川三左衛門)は明治2年に処刑された。

*16:元総務官僚。鳥取県総務部長、副知事を経て知事(平井伸治 - Wikipedia参照)

*17:滋賀県の県庁所在地

*18:1832~1923年。天竜川の治水事業、北海道の開拓、植林事業などで知られる。(金原明善 - Wikipedia参照)。

*19:東北大学助教

*20:ググったところ小学生向けの副教材(浜松市編集)のようです。

*21:幸せの黄色いリボン - Wikipedia のこと。題名から想像つくでしょうが、「幸福の黄色いハンカチ」の元ネタとされます。

新刊紹介:「経済」12月号(追記あり)

【最初に追記】
 こういうデマ記事を書いて発表するような人間と共著を発表する大学教授というのも、最低限の常識を疑う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でこの拙記事が

◆菅政権のデジタル戦略と「超監視社会」(大門実紀史
◆「デジタル・ガバメント」による公共の破壊(内田聖子

の参考として

「監視社会=暗黒」の図式で中国を語る日本、重要な視点が抜け落ちている:朝日新聞GLOBE+
 2億台以上ものカメラが市民の生活を監視する中国。(中略)しかし、「幸福な監視国家・中国」(NHK出版新書)の著者である梶谷懐・神戸大教授によると、多くの中国人は現状にむしろ肯定的だという。なぜなのか。(構成・畑中徹)

を紹介した部分を「高口康太*1と梶谷懐・神戸大学教授を批判する」という文脈で紹介頂きました。
こういうデマ記事を書いて発表するような人間と共著を発表する大学教授というのも、最低限の常識を疑う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)については

◆こういうデマ記事*2を書いて発表するような人間=高口康太
◆共著=梶谷・高口著『幸福な監視国家・中国』(2019年、NHK出版新書)
◆大学教授=梶谷懐・神戸大学教授

ということです。いつもありがとうございます。しかしぐぐったら分かりましたが高口が「千葉大学客員准教授」ねえ。
こういうデマ記事を書いて発表するような人間と共著を発表する大学教授というのも、最低限の常識を疑う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)をもじれば

◆こういうデマ記事を書いて発表するような人間を客員准教授にする国立大学(千葉大学)というのも、最低限の常識を疑う

ですね。
【追記終わり】

「経済」12月号について、俺の説明できる範囲で簡単に紹介します。
 http://www.shinnihon-net.co.jp/magazine/keizai/
世界と日本
◆コロナ拡がるアメリカ(髙山一夫*3
(内容紹介)
1)「外出自粛などをする民主党系知事を経済を破壊しているなどと悪口雑言する(一方でトランプ自身や多くの共和党系知事はコロナを軽視し、特に対策しない)」などの無為無策によってコロナ感染を拡大するトランプ政権が批判的に取り上げられています。なお、この点はトランプの落選により一定の改善が期待できます。もちろんトランプが落選した大きな要因はコロナ失政への国民の反発でした。
2)コロナ感染、死亡者については明らかに「貧困格差(貧困者の死亡率、感染率が高い)」があり、そして貧困者の率は「黒人やヒスパニックが高く」、当然ながら「黒人やヒスパニック」の死亡率、感染率が高い。コロナ禍は米国の貧困格差や人種差別を改めて表面化したわけです。
3)コロナ禍を米国で深刻にさせた一要因として、筆者は米国に「国民皆保険制度がないこと(その結果、貧困層が安価で良質な医療を受けがたいこと)」をあげています。筆者の認識ではオバマケア(トランプら共和党は廃止を一時画策していましたが)がなければ状況はより悪化していたろうとされます。


◆インドのコロナ感染拡大(西海敏夫)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

急速に感染者増えるインド 新型コロナウイルス|NHK2020年9月25日
・インド政府では3月25日から「全土封鎖」を実施しました。生活必需品の買い物などを除いて外出を禁止する、世界でも最も厳しい感染対策の1つと評され、13億の人口を抱えることから「世界最大のロックダウン」と言われました。
・しかし、数日後には早くも“ほころび”が出始めました。一時は人がいなくなっていた路上に、失業した出稼ぎ労働者たちがあふれたのです。インドでは農村部から都市部にきた出稼ぎ労働者が多く、全国で1億人を超えると言われています。インド経済の発展を陰で支えてきた存在ですが、今回の「全土封鎖」によって多くが失業しました。
 こうした出来事に象徴されるように、全土封鎖によって経済に深刻な影響が出たため、2か月あまりがたったころ、政府は段階的な緩和にかじを切り始めました。そして感染に歯止めがかからないまま、経済活動や公共交通機関が次々と再開し、感染拡大に拍車をかける事態になったのです。当初は大都市が感染の中心だったものの、人の移動や接触が大幅に増えたことで、いまでは感染が全国に広がっています。「世界最大のロックダウン」は感染拡大と経済の落ち込みを招いた失敗だったという声も専門家からは上がっています。
 インド政府は広がり続けるウイルスにどう対応しようとしているのでしょうか?。13億の人口を抱えるインド。政府は、ある程度感染が広がるのはしかたない、それより外出制限を強めれば経済が破綻し、より多くの犠牲が出ると考えています。驚くかもしれませんが、これだけ感染が広がっていても、インド政府は「ある程度対策はうまくいっている」という認識を示しているんです。
 根拠としているのが人口100万あたりの感染者数や死者数、そして感染した人のうち亡くなった人の割合です。これらのデータはアメリカやヨーロッパの国々と比べて低く抑えられています。
 新たな感染者数が6万、7万、8万とどんどん増える中で、数字だけを追っていると、正直に言って感覚がマヒしてくることもあります。経済対策を優先する姿勢に危機感も感じます。一方で、インドの社会構造を考えると政府の方針もしかたがないと思うのも事実です。
 いま再び厳しい外出制限を行えば、(ボーガス注:失業者となり)生きることが難しくなる人が大勢います。インドではそもそも、数億人にのぼる貧困層の生活を守るだけのセーフティーネットが十分ではないのです。新型コロナの危機の中で、市民の生活を維持するだけの実効性のある政策も予算もないのが実態です。経済成長を続け、大国への道を突き進んでいたインドですが、図らずも今回のコロナ禍でさまざまな課題が浮き彫りになりました。

 まあインドを「親日国家」とべた褒めし、中韓を「反日国家」とけなしたがるウヨ連中ですが、少なくともコロナ対策については中韓が「封じ込めにほぼ成功した」のに対し、無為無策で状況を悪化させる「失敗国家」がインドのようです。
 西海論文はただでさえヒンズー原理主義色の強いウヨ政治家のモディがコロナ失政をごまかすために支持者受け狙いで「さらにヒンズー右翼化することが危惧される」としています。

 
◆韓国・減らぬ産業災害(洪相鉉)
(内容紹介)
 正義党(中道左派系野党)が議員立法として提出した重大災害企業処罰法案について論じられています。

参考

https://news.yahoo.co.jp/articles/a6cb853771f769cce69488095ce42f392565d42d2020.10.28
 今年4月、京畿道利川(イチョン)市の物流倉庫の工事現場で火災が発生し、労働者38人が死亡、10人が負傷した。火災の危険性の高いウレタンフォーム発泡作業と配管溶接作業を1つの空間で行い、火の粉が飛んだためだった。発注先の執拗な「工期短縮」要求により、施工会社と下請・孫請会社が一度に突貫工事に突入したのが直接的な事故原因になった。
 当時、警察は「元請と発注先にほかのどの事件よりも重い責任を問う」としていたが、起訴状は冴えなかった。起訴された事件の責任者9人のうち、発注先の所属は経営企画チーム長1人(業務上過失致死容疑)のみ。いくつもの安全保健措置に違反したことで発生した労災にもかかわらず、産業安全保健法(産安法)違反で起訴されたのは、末端の管理者である施工会社の現場所長と下請け会社の事業主の2人だけだった。責任ある者は避け、現場の管理者にだけ軽い処罰を下す現行の産安法の限界をそのまま示している。
 もしも重大災害企業処罰法があったとしたら、違っていただろうか。
「ずさんな安全管理の構造的原因を提供した元請けの事業主にも刑事責任を問うことができたはずで、元請け企業にも懲罰的損害賠償を請求することができたでしょう。もしかしたら重い処罰を避けるため、最初から元請けが規定を守って事故が起きなかったかも、ということもありえます」。
 「第21代国会、正義党第1号法案」として重大災害企業処罰法を代表発議した(ボーガス注:正義党の)カン・ウンミ議員は、こう説明する。
 重大災害企業処罰法は、2000年代初めから労働界が主張してきた「スローガン」だったが、第21代国会では「法律」として結実する可能性が高いとみられる。ここ数年、労災死亡事故と大型惨事が相次ぎ、「企業殺人」に対する国民の法感情が厳しくなったからだ。泰安(テアン)火力発電所で労災で死亡した非正規労働者キム・ヨンギュンさんの母、キム・ミスクさんが上げた「重大災害企業処罰法制定請願」が、10万人以上の同意を得て9月に法司委に送られたのも変化の証拠だ。
 (ボーガス注:最大与党)「共に民主党」が立場の変化を示していることも大きな進展だ。民主党のイ・ナギョン代表が重大災害企業処罰法の制定を約束しており、年内の立法の可能性もささやかれている。

 中道左派系のハンギョレなので「割り引く必要」がありますが是非成立してほしいもんです。なお、「正義党提出法案」で「与党提出法案」でないことでわかるように、「共に民主党」はこの法案の制定に必ずしも積極的ではありません。そうした「共に民主党」は日本や欧米の価値観ではとても左派政党とは言えないでしょう。どう見ても、せいぜい「中道左派」でしかありません。


日本学術会議新会員6名の任命拒否を巡って(柴垣和夫*4
(内容紹介)
 もちろん柴垣氏は菅の任命拒否を「学問への不当介入」と批判していますが、一方でそれにとどまらず、元経済理論学会代表幹事(経済理論学会は日本のマルクス主義経済学者の学会(公式サイト。詳しくは経済理論学会 - Wikipediaも参照)。柴垣氏もマルクス経済学の立場)という立場からの興味深い発言がされています。 
 柴垣氏は「第19期学術会議会員」には「経済理論学会会員」の柴垣氏が選ばれたが「第20期、第21期会員」では経済理論学会が推薦をしたものの、会員が選ばれず、「恐らく今の学術会議会員にはマルクス主義経済学者がいないこと」を指摘し、フジ産経など右翼連中の学術会議に対する「左翼の巣窟」呼ばわりに「我々、経済理論学会が推薦しても、マルクス経済学者がメンバーに選出されない団体のどこが左傾なのか」と批判しています。
 と同時に柴垣氏の立場としては当然ですが「マルクス主義経済学者を選出しない現状はおかしいのではないか?。是正すべきではないか?(とはいえうかつなことをいうと菅と同じ、学問への不当介入になりかねないので柴垣氏としても具体的な改善案は特に出さずに、現状への疑問提出にとどまっていますが)」と主張されています。
 なお、柴垣氏に寄れば経済理論学会

◆『経済学分野の教育「参照基準」策定についての要望書』(2013年10月5日)
◆『経済学分野の教育「参照基準」の是正を求める全国教員署名[呼びかけ文]』(2013年10月28日)
◆『経済学分野の教育「参照基準」第二次修正案についての意見書』(2014年3月17日)

という、日本学術会議が発表した『経済学分野の教育「参照基準」』をいわゆる「近代経済学(非マルクス、ないし反マルクスの立場)寄り」で「マルクス経済学に目配りしていない」と批判する声明*5も過去に出しており、それ一つとっても「学術会議=左傾」は完全なデマです。


特集「『デジタル社会』実像と課題」
◆菅政権のデジタル戦略と「超監視社会」(大門実紀史*6
◆「デジタル・ガバメント」による公共の破壊(内田聖子
(内容紹介)
 詳細な紹介は小生の無能のため、省略しますが、大門論文、内田論文共に、菅政権が「個人情報やプライバシーの保護」に消極的であり、菅のすすめるデジタル化は「監視社会化」などの弊害をうむ恐れがあると警戒の念を表明しています。

参考

先端技術で監視強化/スーパーシティ法案 大門議員が追及
 日本共産党大門実紀史議員は15日、参院地方創生・消費者問題特別委員会で、人工知能(AI)やビッグデータなどの最先端技術で「まるごと未来都市」を実現すると政府が主張しているスーパーシティ法案(国家戦略特区法改定案)の問題点をただしました。
 大門氏は、先端技術をどう活用するかは住民全体で考えることで、一内閣にこれが未来社会だと示されるのには違和感があると指摘。中国などでは、監視カメラと顔認証、AI技術の組み合わせで事実上の監視社会が実現しているが、監視社会競争に加わるのかと追及しました。北村誠吾規制改革担当相は「個人の行動履歴を個人が特定可能な形で用いる場合は同意等を得ることが必要だ」などと答弁しました。
 大門氏は、現実はサービスの利用に個人情報提供の同意が前提となっている場合があり、生体認証への反発も世界中で広がっていると指摘。政府は新型コロナの経験があるからこそスーパーシティの実現が急がれるというが、いったん立ち止まって考えないと深刻な問題が起きると述べました。

スーパーシティ法が成立/個人の権利を侵害/大門議員反対討論
 人工知能(AI)やビッグデータなど最先端の技術を用いた事業を官邸主導の規制緩和で導入するスーパーシティ法(国家戦略特区法改定)が27日の参院本会議で、自民、公明、維新の各党の賛成多数で可決・成立しました。日本共産党と、立憲民主党や国民民主党などの共同会派は反対しました。
 共産党大門実紀史議員は反対討論で、「個人のプライバシーと権利を侵害する重大な危険がある」と指摘。「スーパーシティ構想は、企業など実施主体が住民の個人情報を一元管理する代わりに、医療・交通・金融などのサービスを丸ごと提供するものだ。個人情報や行動軌跡は集積・分析され、個人の特性や人格の推定まで可能となる」と警告しました。

スーパーシティ法案/大門議員の反対討論(要旨)/参院本会議
・反対の最大の理由は、日本を中国のような「監視社会」に導き、個人のプライバシーと権利を侵害する重大な危険性があるからです。
・監視社会のトップランナーは中国です。政府・大企業が膨大なデータを分析し、国民への監視や統治に活用して、ウイグル族弾圧や民主化を求める活動家の拘束にも監視カメラや顔認証技術が用いられてきました。政府がスーパーシティ構想のお手本としてきた杭州市は、街全体のIT化が世界で一番進んでいますが、裏を返せば、街中に監視カメラが数千台もあるなど監視社会の最先端です。
 一方、スペインのバルセロナでは、個人情報を守りながら、住民の合意に基づき、交通整理や駐車場管理、ごみ集めシステムなど住民に喜ばれるスマートシティづくりを進めています。このような街づくりこそ見習うべきですが、本法案には住民合意を担保するしくみが欠落しています。
 いま重要なことは、個人情報を保護しつつ、先端技術を住民福祉の向上にどう生かすのかという落ち着いた国民的議論と、プライバシー保護という時代の流れを視野に入れた中長期的な企業戦略です。哲学もビジョンも深い考えもなく、目先の利益だけを追う一部の企業家などの拙速な要求だけで、社会のあり方を変えようとする本法案は言語道断であり、撤回すべきです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/deeb88760a98c503e8ba700735b8c29577d2c69b?page=4
 国会審議では、中国の杭州の現状をどう見るかも議論された。自民党片山さつき氏は、杭州*7をスマートシティの成功例として指摘した。村上敬亮審議官は、杭州について「既に二千台以上のサーバーと四千台以上のカメラという膨大な端末をしっかりと渋滞管理や救急車両通行の円滑化などにきっちりと使えて運行実績があると。これだけの膨大なシステムを都市管理できちっと動かしているというところの技術的な先進性というんでしょうか、実績性というんでしょうか、その現場を見たいという思いで私自身も調査団の一員として杭州に行かせて参りました。」と答弁している。まさに、杭州市を絶賛しているのである。しかし、本当に中国・杭州はスマートシティの成功例と言い切れるだろうか。中国では民族的な少数者や政治的反対派は、この監視社会システムによって抑え込まれていることは動かせぬ事実である。
 片山さつき前(ボーガス注:地方創生担当)大臣と中国の国家発展改革委員会のトップとの間で、地方創生に関する日中両国の協力を強化しようと、地方創生の分野で協力するための覚書が交わされている。片山さつき前大臣は昨年8月に、中国に赴き現地調査を行った。共産党大門実紀史議員の質問に対して、政府は中国政府幹部と二国間で対話をしていた際に、先方の幹部との間で協定締結の話があり、その後、協議を経て2019年8月30日に「地方創生の協力の推進に関する覚書」を締結したと答弁している。今後は内閣府地方創生推進事務局と中国国家発展改革委員会の担当部局の間で定期的に協議をするとされていたが、現在は中断している。その片山元大臣が自民党を代表して、この法案賛成の立場でこの法案の質疑を担当した。
 大門議員は、この法案の下で、杭州のアリババ、トロントのグーグルなど巨大IT企業の情報支配による究極的な監視社会が日本でも現実のものになるのではないかという危惧を表明した。

 ということで「今月号の大門論文」と「大まかな内容が一致する」大門氏関係の記事(大門氏のスーパーシティ法案(国家戦略特区法改定案)関係の国会質問に触れた記事)をいくつか紹介しました。
 大門氏のように「監視社会化で手放しで評価は出来ない」と「批判的に見るか」、片山のように「スーパーシティ、スマートシティの成功例」と「手放しで礼賛するか」はともかく「杭州市が非常に近代化していること」は明らかであり、「ついに中国もそこまで発展したか」という感慨を感じます。

主張/スーパーシティ/「未来都市」の幻想振りまくな

“自己責任の新自由主義か、おおもとからの転換か”これが政治の対決点/BSフジ番組 小池書記局長が討論
 小池氏は、菅政権が掲げる「デジタル化」をめぐり、「行政の“デジタル化”をすすめるのは必要だ」としながら、運転免許証への「ひも付け」などマイナンバーカードの普及推進に対し、「普及しないのは、個人情報の漏えいなど行政に対する国民の不信だ。強権的に普及を拡大させて日本をいっそうの監視社会にすることは反対だ」と主張しました。

 大門氏が先端技術で監視強化/スーパーシティ法案 大門議員が追及スーパーシティ法案/大門議員の反対討論(要旨)/参院本会議で簡単に触れた中国の監視社会化問題については「監視社会=暗黒」の図式で中国を語る日本、重要な視点が抜け落ちている:朝日新聞GLOBE+も紹介しておきます(なお、先端技術で監視強化/スーパーシティ法案 大門議員が追及スーパーシティ法案/大門議員の反対討論(要旨)/参院本会議でもわかるように、阿部治平、産経など一部の反日共産党分子の誤解や曲解とは異なり、日本共産党は別に中国共産党に好意的なわけでもありません。つうか文革の時に中国共産党に酷い目に遭わされてるのが日本共産党の訳ですが)。
 個人的には「大門は中国に悪口雑言しすぎじゃね?」つう気がしないでもありません。

「監視社会=暗黒」の図式で中国を語る日本、重要な視点が抜け落ちている:朝日新聞GLOBE+
 2億台以上ものカメラが市民の生活を監視する中国。企業は人びとのネット通販やスマホ決済の利用履歴を収集し、膨大な個人データをもとに国民一人ひとりを格付け*8する「監視社会」だ。しかし、「幸福な監視国家・中国*9」(NHK出版新書)の著者である梶谷懐*10・神戸大教授によると、多くの中国人は現状にむしろ肯定的だという。なぜなのか。(構成・畑中徹)
◆畑中
 2019年に出版された著書「幸福な監視国家・中国」では、監視社会化を肯定的に受けとめる中国人に言及されました。これは日本人にとっては驚きの事実ともいえますが、多くの中国人はなぜこうした流れをポジティブに受けとめているのでしょうか。
◆梶谷
 「監視社会化」は、人びとのプライバシーが政府や企業に筒抜けになるという負の側面があるとともに、多くの人びとにとっては行政や金融、医療などのサービスがより便利で効率的に受けられる便益も伴っています。この二つを比べて、便益の方が圧倒的に大きいと感じている人が多いので、監視社会化が支持されているのでしょう。
 日本でも、まさに新型コロナウイルスなどのパンデミック(世界的大流行)への対策という点で(ボーガス注:コロナ患者の把握を口実に)監視社会化が一気に進んでいく可能性はあります。
 パンデミックへの対応を含めて、監視社会化は世界的な動きではありますが、その進行や監視技術の受容は、国や地域、社会や民族の固有の文脈によって異なる経緯をたどると私は考えます。ですので、やや迂遠に思われるかもしれませんが、中国も含め、個人情報の管理やその統合がどのようにして可能になっているのか、各国の歴史を踏まえた理解を深めることが、建設的な議論のために必要になるかと思います。

 「これは日本人にとっては驚きの事実ともいえますが」という朝日・畑中記者の認識は正直言って「間違ってる」と小生は思います。「中国人に対する偏見ではないか」とすら思います。一方、梶谷氏は小生同様「日本人(あるいは欧米人)と中国人の間にそれほど大きな価値観の違いは無く、日本や欧米でも『コロナやイスラムテロの脅威』などを口実に監視社会化は充分起こりうる」と考えてるようです。

日本の防犯カメラ、500万台に迫る:日経ビジネス電子版
 三菱電機ビルテクノサービスが実施した意識調査では、「様々な場面で防犯カメラがついていると安心するか」という問いに、8割が「安心する」と回答した。防犯カメラによって見守られ、犯罪が抑止される安心感があるようだ。

監視社会と日本人の奇妙な関係
 2018年夏以降、首都圏を走るJR在来線・新幹線のすべての車両に防犯カメラが導入されつつある。
 近年、電車内や駅構内でのトラブルはあとを絶たない。痴漢事件は頻発し、さらに新幹線車両内で殺人事件まで発生した。こうした動静をふまえれば、互いに見ず知らずの人々が集い、何が起こるか分からない物騒な電車内に防犯カメラを導入することは、鉄道会社が果たすべき当然必要な措置だと受け止められることだろう。

などが指摘するように、日本人だって「犯罪防止を理由に監視カメラ設置を求める人間は多数いる」わけでいわゆる監視社会問題についての「中国人の価値観が日本人とは大きく違う」とは小生は全く思いません。いずれにせよ「監視社会化」は梶谷氏が指摘するように単に「上からの圧力」と考えるのは適切ではありません。「メリットがあるから支持する」「反対するのは後ろ暗いところがある奴だけだ」という認識が「社会の多数派」にあれば「民主主義国家」だろうといくらでも「監視社会化」は成立しうるでしょう。


◆「デジタル・トランスフォーメーション」とは何か(高野嘉史)
(内容紹介)
 「デジタル・トランスフォーメーション=社会や経済のデジタル化」であり、日本政府の目指そうとする「デジタル・トランスフォーメーション」について筆者の認識が述べられていますが、小生の無能のため、詳細な説明は省略します。


◆米国の対中経済覇権に与する5G新法(薄木正治
(内容紹介)
  赤旗の記事紹介で代替。ただしタイトルで想像がつくように薄田論文においては「米国の対中経済覇権に与する」という点を中心に批判がされている。
通信4社 内部留保増/笠井氏 5G法案批判
5G支援は不要不急/衆院委 笠井議員が反対討論/促進法案が可決
法人税減税をやめよ/笠井氏、5G促進法案追及
米政権にくみする/岩渕氏 5G促進法案で指摘


◆菅政権のデジタル化政策とD・X(デジタル・トランスフォーメーション)法、D・P(デジタル・プラットフォーマー)法(中平智之
(内容紹介)
  赤旗の記事紹介で代替。なお、菅政権のデジタル化政策は「デジタル庁の発足」以外には具体的な物がまだほとんど無く、その「デジタル庁」もまだ法案が提出されるほどには具体化されてないため、「菅政権のデジタル化政策の前提」になるD・X(デジタル・トランスフォーメーション)法、D・P(デジタル・プラットフォーマー)法(いずれも安倍政権下で制定)について批判的に触れる内容となっている。

参考
実効性ある規制要求/笠井氏 DP法案に修正案
禁止行為明記が必要/DP法案 笠井氏「問題対応する整備を」


◆デジタル社会における働き方の現実:スマホと自転車(高田好章)
(内容紹介)
 「スマホと自転車」という副題は「スマホで注文して自転車(もちろん自動車やバイクでもいいですが)で配達するウーバーイーツなどの出前サービス」をさしています。つまりどんなに経済や社会をデジタル化しようとも「ロボットに完全に代替しない限り(そしてロボットに代替することの是非はともかくそれは当面どう見ても、やりたくても、技術的に無理でしょうが)」自転車での配送のような「デジタル化できない肉体労働的な部分は残る」し、そうした部分が「非常にわかりやすい*11」ですが、デジタル化しようとも労働問題は消滅しないという話です(ある意味当たり前ですが)。デジタル化しようとも「テレワークで自由な働き方が出来る」というバラ色の話ばかりではあり得ない。
 例えばウーバーイーツ労働者が配達中に交通事故に遭えば、それは労働問題にならざるを得ません。ただしウーバーは「配達員は社員ではなく個人事業主」として法的責任を逃れようとし、また現在、ウーバーへの法的規制が不十分な点に問題があるわけです。


◆岐路に立つNHKの経営戦略(須藤春夫*12
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

NHK経営計画案 視聴者の声を取り入れよ|論説|佐賀新聞LiVE
 NHKの最高意思決定機関である経営委員会は、信頼を損なう言動を重ねている。かんぽ不正の報道を巡り、総務省OBの日本郵政首脳らの抗議に過剰反応し、当時のNHK会長に厳重注意した。経営委員の番組干渉を禁じた放送法に抵触する疑いが強い。
 その経緯を記した経営委の議事録に関しても、NHKの第三者機関が情報公開すべきだと答申したのに、経営委は先月、一部しか開示しなかった。説明責任を果たそうとしない経営委が、視聴者目線の経営計画を作れるのか。委員一人一人が問われている。(共同通信・原真)

(社説)NHK経営計画 スリム化は結構だが…:朝日新聞デジタル
 計画案には「NHKらしさ」という言葉が何度も登場する。その基本は、人々の知る権利を充足し、健全な民主主義の発展に貢献することだという。
 そうであるならば、政権との距離感の欠如が指摘される報道や、番組への違法な介入が疑われながら説明責任を果たさない経営委員会のあり方も、早急に改革すべき対象だろう。

NHK経営計画 視聴者への配慮足りぬ:東京新聞 TOKYO Web
 権力との関係についても指摘したい。NHK経営委員会のメンバーは国会の同意の上で首相が任命するが、番組内容への介入は放送法が禁じている。
 だが、かんぽ生命の不正販売報道をめぐり、日本郵政から抗議があった後、経営委が当時の上田良一会長に対し番組内容について厳重注意した。今回の計画案とは別に、かんぽ報道をめぐる経緯についても一層の説明が必要だ。経営委と会長とのやりとりなどをより丁寧に説明しなければ「介入があったのでは」との疑念は払拭できないだろう。


◆コロナ禍と米中デジタル技術覇権戦争(夏目啓二*13
(内容紹介)
 米国トランプ政権のファーウェイなど中国デジタル企業への圧力が取り上げられています。ただしトランプの行為は違法の疑いが濃厚な上、米国IT企業は必ずしもトランプの路線に好意的ではなく、バイデンが当選したことにより状況の変化があるとみられます。欧州諸国や日本政府はトランプほど中国企業に敵対的ではなく、トランプ時代の「中国デジタル企業敵視」がバイデン政権によってどうなるかは様子見と言ったところでしょう。当然ながら「中国の人権問題批判」は必ずしもトランプ流の「中国デジタル企業敵視」を意味しません。


◆医療・福祉拡充、20人学級の雇用・経済効果(有働正治*14
(内容紹介)
 医療・福祉拡充、20人学級による雇用・経済効果*15を高評価し、そのような「医療、福祉、教育充実の施策」へ舵を切ること、一方で「無駄な公共事業」「野放図な軍拡」が批判されていますが、小生の無能のため、詳細な説明は省略します。

*1:中国問題を持ちネタとするフリーライター(現在は千葉大学客員准教授でもある)。梶谷氏との共著以外にも中国ネタでは『なぜ、習近平は激怒したのか:人気漫画家が亡命した理由』(2015年、祥伝社新書)、『現代中国経営者列伝』(2017年、星海社新書)、『中国S級B級論』(編著、2019年、さくら舎)、『プロトタイプシティ:深圳と世界的イノベーション』(編著、2020年、KADOKAWA)といった著書がある。

*2:デマ記事についてはこういうデマ記事を書いて発表するような人間と共著を発表する大学教授というのも、最低限の常識を疑う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で批判的に紹介されています。

*3:京都橘大学教授。著書『アメリカの医療政策と病院業』(2020年、法律文化社

*4:東京大学名誉教授。第19期日本学術会議会員(2003年7月~2005年9月)。元経済理論学会代表幹事。著書『日本金融資本分析』(1997年、東京大学出版会)、『マルクス=宇野経済学とともに』(2011年、日本経済評論社)など

*5:「俺には経済学の見識などありません」ので、こうした学術会議『経済学分野の教育「参照基準」』に対して批判的な経済理論学会声明についての評価はしません。ここで指摘したいことは、この声明で分かるように「学術会議は左傾などしてない」ということです。

*6:参院議員。日本共産党中央委員。著書『「属国ニッポン」経済版』(2003年、新日本出版社)、『新自由主義の犯罪:「属国ニッポン」経済版〈2〉』(2007年、新日本出版社)、『ルールある経済って、なに?:社会的公正(ソーシャル・ジャスティス)と日本国憲法』(2010年、新日本出版社)、『カジノミクス』(2018年、新日本出版社

*7:浙江省省都

*8:政府ならともかく企業が借金履歴や商品購入履歴などを元に、個人について「その企業にとって理想的な顧客かどうか(未返済の借金が多ければ非理想的、高額商品の購入が多ければ理想的など)」をランキングすることは果たして「監視社会」なんでしょうか?。いずれにせよ「政府の反体制派監視」などとは大分性格が違うし、日本や欧米でもあることだと思いますが。

*9:高口康太との共著、2019年刊行

*10:個人ホームページ梶谷懐のホームページ。著書『「壁と卵」の現代中国論』(2011年、人文書院)、『現代中国の財政金融システム』(2011年、名古屋大学出版会)、『日本と中国経済』(2016年、ちくま新書)、『中国経済講義』(2018年、中公新書)など

*11:そうした部分以外、例えば頭脳労働において労働問題が無いわけでは勿論ありません。

*12:法政大学名誉教授。著書『デジタル放送で何が起こるか』(編著、2001年、大月書店)など

*13:龍谷大学名誉教授。著書『アメリカIT多国籍企業の経営戦略』(1999年、ミネルヴァ書房)、『アメリカの企業社会:グローバリゼーションとIT革命の時代』(2004年、八千代出版)、『21世紀のICT多国籍企業』(2014年、同文館出版)など

*14:参院議員(日本共産党)。著書『史録革新都政』(1984年、新日本出版社)、『革新都政史論』(1989年、新日本文庫)、『まちで雇用をふやす:公共事業より巨大な社会保障・医療の経済効果』(2004年、自治体研究社)

*15:もちろん最大の評価ポイントは雇用・経済効果ではなく「医療、福祉効果」「教育効果」と言った本筋ですが。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2020年11/14日分:荒木和博の巻)

大森勝久氏の新しい論文です: 荒木和博BLOG

 道庁爆破事件自体については明らかに冤罪

1)日弁連アムネスティは明らかに「冤罪説」であること(「再審開始を求める」など、冤罪説の立場の声明を出しています)
2)未だに死刑が執行されないこと(帝銀事件名張毒葡萄酒事件(死刑は執行されず、いずれも被告人は獄中で病死)など冤罪の疑いが指摘される事件では政府が死刑執行したがらないことは言うまでも無いでしょう。大森氏もこのまま獄中死する可能性が勿論あります)
を考えれば確かに「冤罪」ではあるのでしょう。ただし冤罪だからといって日弁連アムネスティは勿論、大森氏の与太を荒木のようには宣伝したりはしません。「冤罪」云々と大森氏の主張がまともかどうかは全く関係が無い。


死に物狂いになって日本の現状を打破し変革していこう | 新・大森勝久評論集
 「学術会議会員の任命不当拒否」など「菅政権の無法批判」なら「死に物狂いになって日本の現状を打破し変革していこう」に何の異論も無いですが、大森氏はそうじゃないですからねえ。

・日本国民は現在の日本の国家安全保障が危機に瀕していることを認識できていない。
・日本は現状打破を早急に図らなければ、近い将来、独裁侵略大国の中国とロシアに侵略され共同して分割支配されるしかない。
・何百万人の日本人が殺され弾圧されることになる。
・政府は「米中対立」などと言っているが、中国・ロシアが侵略する国はアメリカではなく、日本や台湾など中国・ロシアの周辺部の国々である。
・中国・ロシアは共同して日本を侵略し分割支配しようとしている。

 「どこがだよ?」ですよねえ。中国もロシアもそんなことをする能力どころか意思すらないでしょう。日本の自衛隊在日米軍もそんなことを許すほど無能でもない。
 大体、「自国民の弾圧限定」ですら習近平政権もプーチン政権もそんなには殺してないでしょう(スターリン時代の粛清や毛沢東文革などをカウントすれば話は別でしょうが)。
 むしろ「形式的な意味ではいつ死刑を執行されてもおかしくない」大森氏の生命の方が「危機に瀕してる」と思いますが。
 再審請求していたオウム信者が死刑執行されたことで分かるように「再審や恩赦の請求が認められない限り」、現行法上、「再審や恩赦の請求それ自体」には法律上、死刑停止の効果はありません。
 「再審や恩赦の請求を無視して死刑執行した場合」、政治的に批判される恐れがあるという「事実上の抑制効果しか無い」。
 従って国が「今すぐ大森を処刑する」と決意さえすれば明日にでも大森氏は死刑執行です。まあ、そういうことはさすがにしないでしょうが。

 日本共産党立憲民主党などは常に安倍前首相や自民党政府を批判しているが、私はその正反対の地平から安倍氏自民党政府を批判しているのである。

 ええ、日本共産党などが「軍拡路線で周辺諸国中韓北朝鮮、ロシア)との緊張を高め、国家財政赤字を増加させ、福祉、教育予算を不当に縮減している」と安倍批判しているのに対し、大森氏が「もっと軍拡しろ」と無茶苦茶言ってることは良く存じています。

 日本国民(知識人)の異常さは、最高権力者である首相や政府の誤りを批判できないことだ。

 「数の大小」はともかくもちろん安倍批判する「国民」「知識人」はいくらでもいますが、大森氏にとっては「大森氏の主張と合致しない」ために「安倍批判は存在しないこと」にされます。

文明国家たる自由民主主義国家の原則が「法の支配」だ。日本には欠如している。

 ここで

モリカケ桜を見る会、アベノマスクなどの安倍の政治私物化
WTO違反の疑い濃厚な安倍のホワイト国除外
◆学術会議を政府御用機関化しようとする菅の無法

を「『法の支配』に反する」というなら異論はありません。しかし、「現行憲法でも改憲しなくても集団的自衛権が行使できる。そうした『正しい法解釈(芦田均*1が主張したいわゆる芦田修正論*2。ただし歴代政府は吉田茂*3内閣から今に至るまでそう言う立場ではない)』が『法の支配』だ」と言い出すのだからもう「絶句」ですね。当然ながら『安保関連法』で集団的自衛権を容認しても、「現行憲法でも改憲しなくても集団的自衛権が行使できる。自民党は今後芦田修正論を採用する」と安倍が主張しないが故に、大森氏は安倍批判します。
 もちろん「政治的に可能ならば」安倍もそうしたかったでしょう。しかしさすがにそこまで無茶なことは「モリカケの安倍」ですら出来なかっただけの話です。つうか「吉田茂内閣以来の政府公式見解(芦田修正論は採用しない)」を「九条改憲が難しい」からといって、安倍の一存で撤回し、「明日から芦田修正論です、そうすれば九条改憲しなくても集団的自衛権行使が出来ます」のほうがよほど「法の支配に反する」でしょう。
 さすがに「明日から芦田修正論です、そうすれば九条改憲しなくても集団的自衛権行使が出来ます」なんてことは産経や国基研ですら主張はしません。
 もしかしたら大森氏と交遊している荒木和博はそう言う立場なのかもしれませんが。

 菅首相は10月26日の所信表明演説で述べた。
「中国との安定した関係は、両国のみならず、地域及び国際社会のために極めて重要です。ハイレベルの機会を活用し、主張すべき点はしっかり主張しながら共通の諸課題について連携してまいります。北方領土問題を次の世代に先送りせず、終止符を打たねばなりません。ロシアとは、首脳間の率直な意見交換も通じ、平和条約締結を含む日露関係全体の発展を目指します」。

 そりゃ菅だって、大森氏のような「中国、ロシア敵視」なんか演説するわけがないでしょう。
 この発言で問題があるとするならば「ロシアとの間で平和条約締結や島の返還があり得ると本気で思ってるのか」と言うところでしょうね。

 「尖閣諸島は日本固有の領土だ」と言葉で主張したって、そんなものは何の力にもならない。尖閣諸島を守るには自衛隊部隊を常駐させ、領土を守れる軍事力を保有して配備しなければならない。しかし安倍氏や菅氏にはそもそも日本を守る意思がないのだ。

 大森氏のようなウヨは「故意に無視しますが」、尖閣の領有権は中国(中華人民共和国)だけでなく台湾(中華民国)も主張しています。
 尖閣自衛隊など駐留させたら中国は勿論台湾との関係も確実に悪化します。いかに蔡英文が「敵(中国)の敵は味方」で安倍や菅に現在へいこらしているとは言え、尖閣への自衛隊駐留など認める気は無いでしょう。もちろんそうした「日本と中国、台湾の関係悪化」は米国も日本財界も望む所ではありません。


予備役ブルーリボンの会の「レブラ君とあやしい仲間たち」7回目。予備自衛官補制度(特に技能公募)についてお話ししました。: 荒木和博BLOG
 7分30秒程度の動画です。やれやれですね。いくら荒木が「予備役ブルーリボンの会代表」だからといって、これは「予備役ブルーリボンの会」としての「拉致解決を建前にした動画」ではないのか。
 誰が「予備自衛官補制度」に興味なんかあるんだ(呆)と言う話です。


40年前の韓国での話(11月15日のショートメッセージ): 荒木和博BLOG
 8分30秒程度の動画です。「40年前の韓国と拉致問題の解決と何の関係があるのか(呆)」ですね。荒木のアホさにはいつもながら呆れます。
 それにしても

 40年と少し前、学生時代に韓国に行った頃の話です。ときは朴正煕政権の終わり頃でしたが皆明るく、経済も発展していて良い時代でした。

て(苦笑)。
 「経済の発展」「豊かさ」と言う意味でなら今の韓国の方が当然豊かでしょう。 
 そして当時は「軍事独裁」なのに「皆明るく、良い時代」て(苦笑)。さすが「反共&朴正煕万歳」で「金大中盧武鉉文在寅敵視」の極右・荒木だけのことはあります。
 「40年前は反日運動とか無かった。韓国に行ってもそういうことに出会ったことがなかった(要するに『親北朝鮮派のでっち上げた反日だ』とか言い出すわけですが)」。
 それ、単に朴正熙が力で反日運動を押さえ込んでいただけではないのか。あるいは「荒木が幸いにも戦前の植民地統治を美化するようなアホ発言をしなかった」とか「荒木が会うような連中は、荒木がそう言う戦前美化発言をしても何とも思わない親日派連中(反共、反北朝鮮のためなら荒木のような日本ウヨとも野合する連中)ばかり」とか。


陸軍中野学校について(11月14日のショートメッセージ): 荒木和博BLOG
 7分程度の動画です。「陸軍中野学校拉致問題の解決と何の関係があるのか(呆)」ですね。荒木のアホさにはいつもながら呆れます。
 それにしても

 私の勤務している拓殖大学からも中野学校の生徒は何人も出ています。所属している海外事情研究所の元所長・吉原政巳先生は元中野学校の国体学の教官でした。

て(苦笑)。
 拓殖が「異常な右翼大学だ」と言う話ですが、荒木はそうは思ってないんでしょうねえ。

*1:幣原内閣厚生相、日本自由党政調会長民主党幹事長、総裁、片山内閣副総理・外相、首相を歴任(芦田均 - Wikipedia参照)

*2:「芦田修正論」の詳しい説明は小生の無能のため省略します。ここでは1)従来の政府見解を撤回し、芦田修正論を採用すれば現行憲法でも改憲しなくても集団的自衛権が行使できるが、2)安倍ですらそんな無茶な手法は採用しなかったと言うことだけ理解して頂ければ結構です。

*3:戦前、天津総領事、奉天総領事、駐スウェーデン公使、外務次官、駐伊大使、駐英大使など歴任。戦後、東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相(参照)

今日の産経ニュースほか(2020年11月13、14日分)

[B! 社民党] 「遺産食いつぶした」 照屋氏が福島氏を面罵―社民:時事ドットコム
 ネトウヨのくだらない悪口ブクマは無視した上でコメント。

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 ずっと社民党に入れてるのでうろたえかけたが、大椿ゆうこさん*1Twitterを覗いたら、これからもそれぞれの地元で頑張る議員、党員さんがいるみたいなので支持しようと思った/どうなるんやろね、野党

 このように、未だに社民党に投票する人って「ある意味すごいなあ(注:馬鹿にしてるわけでもないが、かといって尊敬しているわけでもなく単に「スゴイ熱意だなあ」と言うだけの感想です)」と思いますね。俺だと「辻元氏みたいに民主に移籍するような人間が今後も出かねない党なんか、支持したくないなあ」「新党さきがけみんなの党みたいに既に無くなった党のようにいつなくなるか分からないしなあ」「なら社民党よりは党の基盤がしっかりしている共産を支持しよう(注:福山*2が幹事長である限り立憲民主を支持する気は無いですし、自民党の二軍も同然の国民民主と維新は論外)」とどうしても思ってしまいますのでねえ(れいわも支持基盤がしっかりしてないので支持する気は無いです)。
 なお、「これからもそれぞれの地元で頑張る議員、党員さんがいるみたい」て、何か地方政党扱いのような物言いですが、国政政党として社民党は「消滅したわけではない」。
 国会議員でもある福島党首は社民党に残留しますので。まあ、社民党が次回国政選挙で福島氏*3など候補を立てるのか、立てたとして当選させられるかは微妙ですが、「事実上、地方政党と化した新社会党」や「名実ともに地方政党である沖縄社会大衆党」と違い現時点において「国政からの撤退」が表明されたわけではない。
 なお、「どうなるんやろね、野党」つうのは「???」ですね。
 「どうなるんやろうね、社民党」「どうなるんやろうね、立憲民主党」ならわかる。「共産党」「れいわ」には基本的に関係ない話だと思いますが。


「新生社民党をつくるべく頑張る」福島党首ら記者会見詳報(1/7ページ) - 産経ニュース
 福島氏の熱い思いには感銘しますがそれでも俺は共産支持を変える気にはならないですね。

福島氏
社民党再生プランだが、やはり今、気候危機があるから、みどりの社民党を目指したい。地球環境を守り、環境と経済が両立できる地域循環型社会をつくりたい。それから働く人、とりわけ非正規雇用のための社民党をつくりたい。格差、貧困社会の解消のために全力を挙げると。今日会場からもこの点については何人かからも意見が出た。3点目はジェンダー平等を実現する。ジェンダー平等を実現し、一切の差別のない多様性のある社会を目指すことを考えている。まだまだ日本の社会にあまりないジェンダー平等の政党をつくるために頑張りたい。女性や若者が主役になれる社民党をつくりたいと思う。」

 という福島氏ですが「環境保護」「格差、貧困社会の解消」「ジェンダー平等」全て「ライバル政党」共産党も主張しているわけです。
 そして今、明らかに共産党の方が社民党より支持率も高いし、議席数も多い。
 今まで「辻元氏*4の離党」など、ずっと「社民党民主党(後継政党の民進党立憲民主党を含む)」という離党劇が続いてきた。今後も続いて結局社民党は消滅するかもしれない。そんな状況でこの程度の物言いではとても社民党を支持する気にはなりません。
 「それ全部共産が主張してるから、共産を支持する」で終わってしまう。
 もちろん深刻な状況をそう簡単に打破できれば誰も苦労しません。しかしそれでも「この程度の物言いではとても社民党を支持する気にはなりません」。もはや「社民党はどうにもならないのではないか」「新社会党のように早晩、地方政治のみでしか活動できないのではないか」とすら思います。

吉田氏*5
「本日第1号議案が、僅差だが可決されたことは本当によかったと思っている。」
「私は幹事長として臨時大会の後も一定の責任を負わなければならない。そのように考えている」

 この吉田氏の発言からは、彼個人は立民合流を目指してることが読み取れます。

吉田
「照屋さんの発言に関して、とりわけ女性たちなどから、会場から反論の声がたくさんあがったことは、私は正直心強かった」

 照屋のふざけた発言には俺のように「立民に合流しようとしてる奴が何様か!(追記:照屋氏が社民党残留へ「任期終わるまで」 後継・新垣氏の意思尊重か - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイトによれば照屋自身は残留するそうですが、『照屋氏の後継として今年7月に社民党公認が内定している北中城村長の新垣邦男氏が残留の意向を示しており、新垣氏の意向を尊重したとみられる。』というのだから照屋自身はおそらく立民に移籍したかったのでしょうね)」「文句があるなら手前が党首をやればいいだろうが!。党幹部の一人だった手前が他人事みたいに福島批判とはふざけるな!」という反発がやはり大きかったのでしょう。

記者
「議案に賛成の立場で討論したのは自治労が多かったのではないか。社民党は比例票で自治労に依拠していたと思うが、次の選挙への影響は」

 影響は避けられないでしょうね。

記者
『吉田幹事長は立民の枝野代表や福山幹事長の前で「日米安保反対」とか「国会議員だけでなく地方の代議員も議決や投票に参加できるように立民を変えませんか」と言えるか。仮に言ったとして、それが受け入れられると思うか』

 「言えるかどうか」はともかく「言っても受け入れないこと(特に日米安保廃止は)」は分かりきった話です。というか、共産党ならともかく、社民党は「自社さ連立」の日米安保容認になったと思いますが「また反対に変わった」んでしたっけ?


「先輩の遺産を食いつぶした」 社民・照屋氏が福島党首を公然批判 - 産経ニュース
 照屋氏の「福島氏に対する無礼な物言い」には「何様だ、手前!」と怒りを禁じ得ませんね。照屋氏も社民党幹部(国対委員長、副党首など歴任)であり「先輩の遺産」とやらを「食い潰した一人」ではないのか。
 自分を棚上げして福島氏に悪口とはどういう神経なのか。大体、土井たか子社民党党首時代から社民党は衰退傾向であり、福島氏の個人的責任を問うのは酷というものでしょう。土井氏ら「福島氏の先輩たち」の「負の遺産」を福島氏が何とか克服しようとしたが力及ばなかったという話であり、「福島氏の先輩たち」を照屋氏のようにただただ美化するのは事実に反しているでしょう。
 むしろ土井氏から社民党党首を引き継いだ福島氏に感謝すべきではないのか。

◆『結婚と家族』(1992年、岩波新書)

などの著書がある「市民派弁護士として著名な福島氏」まで社民党を去っていたら、とっくの昔に「福島氏に代わる看板が居ない」社民党は「もっと衰退していた」でしょう。
 だからこそ「社民党が選挙に敗退し、福島氏が党首を引責辞任しても」、代わりの党首が出てこず、福島氏が「党首を再登板」することになったわけです。
 従って「社民党を離党して民主党に移った辻元氏(元社民党国対委員長)」などに比べたら「現在まで社民党に残留した福島氏」に対しては俺だったら「感謝の念」しかないですけどね。
 そして俺が照屋氏の立場なら、福島氏に悪口する前に「こんな事態を回避できなかった社民党メンバーである自分の無力さ」に慚愧の念しかないですが。しかもこんなことを言う照屋氏が「立民への合流論」の支持者で、一方、福島氏は「合流否定、社民党立て直し論」だというのだから呆れて二の句が継げませんね。「寄らば大樹(最大野党・立民)の陰」という「自主性のない人間・照屋氏」が「社民党の自主性を守ろうとする人間・福島氏」に悪口雑言とは何の冗談か。
 まあ「照屋氏のようなアホ」が社民党を衰退させたと言っていいでしょう。こうした社民党の分裂劇には複雑な思いを禁じ得ませんが、もはや「ここに至っては残念ながらどうしようもない」のでしょう。
 やはり
1)労組(総評と同盟が合同して出来た連合)が「新党さきがけの一部(さきがけの鳩山由紀夫*6菅直人*7らが結党。代表の武村正義*8、代表代行の田中秀征*9らは鳩山等に民主党入党を拒否された)」と「社民党の一部(社民党党首の村山富市*10などは民主党入党を拒否された)」が結党した民主党支持に鞍替えし、そのダメージを克服できなかったこと
2)(1)とも関連しますが)辻元氏ら多数の「社民党議員の離党→民主党入党」を阻止できなかったことによるダメージ
3)自社さ連立政権で社会党社民党)の公約違反(例えば野党時代に反対していたはずの長良川河口堰稼働を、村山内閣の野坂浩賢*11建設相(社会党出身)が容認)で、社民党に失望した左派のかなりの部分が共産党支持に移行したことによるダメージ
が大きかったのでしょう。どれ一つとっても福島氏個人の責任ではない。例えば、1)についていえば、「日本社会党時代」から労組に代わる支持基盤を形成すべきでした。それをしようとしたのが「辻元清美」「福島瑞穂」「保坂展人」といった「非労組系の市民活動家」を登用した土井たか子ですが、成果はあまり上がらず、あげく、辻元氏は民主党議員、保坂氏は世田谷区長として、社民党を去ります。去った人間は「照屋氏のようなアホ」にうんざりしたのでしょう。一方、福島氏はそれでも「あえて社民党に残った」と。
 しかしその照屋氏自身は「自分のアホさを認める気は無い」ようで心底怒りを禁じ得ません。
 なお、個人的にはこの機会に福島氏が「自社さ連立での公約違反に反発して社民党を離党したグループ」による「新社会党」との和解(そして新社会党との合同)を出来ない物かと思います(なお、新社会党結党について、結党者たちを非難はしませんが、客観的な意味で言えば新社会党結党も当然、社会党の党勢を衰退させました。社会党から離反者が出たわけですから)。
 地方議員は出せても国会議員を出せない新社会党との合同はそれ自体は「社民党の党勢を大きく拡大するものではない」でしょうが、「自社さ連立での公約違反に反発して、社民党支持を辞めた層(かなりの部分が共産党支持?)」には一定のアピールになるでしょう。立憲民主とは合同しないというならそのくらいの思い切ったことをしないといけないのではないか。


N国が「ゴルフ党」に名称変更へ 立花氏「新たな看板追加」 - 産経ニュース
 NHK叩きを最大の看板にしていたはずの党がこれです。幸いにもN国党も「完全に終わった」のでしょう。


【主張】拉致と米新政権 北朝鮮に徹底的な圧力を - 産経ニュース
 いい加減「中露が支援してるので日本が制裁しても北朝鮮は我慢できる」「米国は当事者ではないので拉致問題に関心など無い」と言うことを認めたらどうなのか。

 かつてブッシュ政権北朝鮮を「テロ支援国家」に指定し、「悪の枢軸」と名指しした強力な圧力を背景に、小泉純一郎元首相が訪朝して5人の拉致被害者の帰国に結び付けた。

 実際には「当時の金大中政権が、小泉政権の依頼を受けて日朝交渉を北朝鮮に強く薦めた(たとえば米国のキューバへの対応から、日本の北朝鮮への対応を考えてみる - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)など)」などの「様々な要因」があるのであり、産経の描き方は明らかに事実に反します。北朝鮮が日朝交渉に応じたがらない理由の一つは「安倍、菅のホワイト国除外」でしょう。韓国相手にあんな無茶苦茶をやり「全て韓国が悪い」で居直る連中とどこの誰が交渉なんかしたがるのか。そしてあんなことをしたことによって「当時の金大中政権が、小泉政権の依頼を受けて日朝交渉を北朝鮮に強く薦めた」のような「韓国ルートの日朝交渉」は不可能になりました。
 ホワイト国除外で怒り心頭の文在寅政権が安倍や菅のためにそんな働きかけを北朝鮮にするわけもないし、仮にしたところで「あんたら韓国はホワイト国除外を撤回できないやないか、そんな安倍や菅にコケにされてる連中が、『日朝交渉した方がええ』言うても信用できんby北朝鮮」で終わりです。

 バイデン氏が副大統領を務めたオバマ政権は「戦略的忍耐」と称して北朝鮮問題を放置した。その愚を繰り返さぬためにも日米首脳間の緊密な意思の疎通が望まれる。

 やれやれですね。「北朝鮮相手に経済制裁を続けるがそれ以上は何もしない」というオバマ政権のいわゆる「戦略的忍耐」は「ブッシュ子政権からの継続」であってオバマが始めたわけではありません。そしてオバマ政権の「戦略的忍耐」と歴代日本政府がやってる「北朝鮮への経済制裁」と何が違うのか。何も違わないでしょう。結局「共和党万歳右翼」として産経は民主党に悪口したいからこういう筋の通らないことをするわけです。


【主張】香港の議員剥奪 民主主義否定する暴挙だ - 産経ニュース

 日本では加藤勝信官房長官が「重大な懸念を強め、状況を注視している」などと従来の発言を繰り返したのみだ。いかにも物足りない。もっと強く中国を非難すべきだ。

 興味深いのは産経が「習主席の国賓訪問を辞めろ」と書かないことですね。
 そんなことを言っても無視されると思ってるのか、コロナが終息しない限り「訪日は無いから言う必要が無い」と思ってるのかはともかく。


澤藤統一郎の憲法日記 » 「国民に寄り添う」などと言う評判のよい王こそが、最も危険な王なのだ。

 評判最悪の王なればこそ、王室批判の運動に火を付け、その火に油を注いでいる。客観的には、評判の良い国王は民主化のブレーキとなり、評判最悪の現王が民主化のアクセルとなった。
 客観的には、「悪王こそが、民主化推進のよい働きをする王」である。これを裏から見れば、「評判の良い王こそが、民主化推進に障碍として立ちはだかる悪王」なのだ。どこかの国の、誰かのことを思い浮かべれば、良くわかる。

 「民主化を阻害する『評判の良い王』って、英国やオランダ、デンマークノルウェーなど欧州先進国家の国王のことですか、わかりません」ですね。
 いやまあ、それは勿論皮肉であって、たぶん「日本の明仁氏(上皇)や徳仁氏(天皇)」への批判なのだろうと言うことは予想がつきますが。
 まあ、国王が政治的実権を握ってるタイ(つまり国王が民主化に反対している国)においては澤藤氏の指摘はその通りでしょう。
 「民主化に反対する、政治的実権を持つ国王」が「評判の良い王」だったとしてもそんなんは「インチキでしかない」。
 しかし今や、天皇にも上皇にも「政治的実権がない」。
 天皇上皇に好意を感じる人間全てが「自民党の今の政治のやり口を支持しているわけでもない」。
 まあ俺も「民主主義の観点から天皇制は廃止すべきだ」とは思いますが、少なくとも「モリカケ桜を見る会」などの「自民党の無法の多く」は天皇制と直接、関係しているわけではありません。
 現在の日本において「天皇への祝意強制」のような天皇制と直結した問題はともかくほとんどの政治問題は天皇とは関係がありません。
 したがって天皇制はそうした問題を助長しているわけでもないし、だから「天皇制を廃止しても」問題改善にはつながらない。
 澤藤氏のような言説は天皇制の過大評価にもほどがあるでしょう。 

*1:社民党全国連合常任幹事。社民党全国連合「労働・女性・多様性政策委員長」。社民党大阪府連副代表。元「大阪教育合同労働組合」委員長。公式サイト大椿ゆうこ Official Site

*2:鳩山内閣外務副大臣菅内閣官房副長官民主党政調会長(海江田代表時代)などを経て立憲民主党幹事長

*3:社民党幹事長、副党首、党首、鳩山内閣少子化等担当相など歴任

*4:社民党政策審議会長、国対委員長鳩山内閣国交副大臣菅内閣首相補佐官(災害ボランティア担当)、民主党政調副会長、民進党幹事長代行、立憲民主党政調会長国対委員長などを経て立憲民主党副代表

*5:社民党政策審議会長、党首、幹事長など歴任

*6:細川内閣官房副長官新党さきがけ代表幹事、民主党幹事長、首相など歴任

*7:社民連副代表、新党さきがけ政調会長、橋本内閣厚生相、鳩山内閣副総理・財務相、首相など歴任。現在、立憲民主党最高顧問

*8:八日市市長、滋賀県知事を経て衆院議員。新党さきがけ代表、細川内閣官房長官、村山内閣蔵相などを歴任

*9:橋本内閣で経済企画庁長官

*10:社会党国対委員長、委員長、首相、社民党党首など歴任

*11:日本社会党国対委員長、村山内閣建設相、官房長官社民党副党首など歴任(野坂浩賢 - Wikipedia参照)