今日もkojitakenに悪口する(2022年11月20日記載)

防衛費増額「財源は増税」が主流に 政府・与党 GDP比2%なら毎年5兆円必要…家計や賃金に影響も(東京新聞, 11/15) - kojitakenの日記
 今回は「いつもと違い」kojitakenと概ね同意見です。
 それにしても北朝鮮の核、ミサイル開発を「国民生活を犠牲にしてる」と悪口するウヨ連中が「日本の軍事費拡大」を支持するのは何の冗談かと心底呆れます。「北朝鮮の軍拡は汚い軍拡、日本の軍拡はきれいな軍拡」とでも言うのか。
 むしろ「アフガン侵攻でのタリバン政権転覆」「イラク侵攻でのフセイン政権転覆」などの政権転覆の前科がある「米国」の「軍事侵攻の危険」が否定できない北朝鮮の「核・ミサイル開発」には「一定の同情の余地がある」のに対し、日本の軍拡にはそんな「同情の余地は何もない」でしょう。どこの国が日本に侵攻するというのか。


「個人崇拝」や自己承認欲求の手段を政治・社会運動に求めるのは民主主義に反すると思います。思想が欠落している (by 渡辺照子練馬区議) - kojitakenの日記

 某元零細新選組公認衆院選候補で、現在は立民に属する東京都練馬区議会議員である渡辺照子氏が下記ツイートを発信した。

渡辺てる子練馬区議会議員
 「個人崇拝」や自己承認欲求の手段を政治・社会運動に求めるのは民主主義に反する*1と思います。思想が欠落していると思います。
 その2つが活動の動機である限り、活動する者に容易に揺らぎは起こります。根っこのない樹木、体幹のない格闘技家やダンサーのようなものだと思います。

 そうだよなあ。
 やっぱりまともな人はカリスマ独裁の「組」から離れていくものだなんだなと改めて思う。
 立民も問題だらけだが、いかに党首が過激な新自由主義政党にすり寄ろうとも、カリスマ独裁者による新自由主義的党内統治がない分だけまだマシだろう。

 吹き出しました。
 「立民」の方が「れいわ」よりも「支持率が高い」「財政基盤がしっかりしている」のだから、そりゃ、渡辺氏に限らず、立民に所属できれば大抵の人間は立民に動くでしょう。多くの人間が「中小企業より待遇のいい大企業に就職したがる」のと大して話は変わらない。
 勿論「衆院選候補」から「区議」では格落ちですが、「当選する可能性が低いれいわの衆院選候補」より「今後も当選し続けるであろう立民の区議ポスト」の方がむしろ「おいしい」でしょう。
 とはいえ、「社会正義の実現」を建前とする政治家として、まさか「立民の方が待遇がいいから移籍しました」とも言いづらいので、このようにれいわに悪口してるだけではないのか?
 こんなことは「渡辺氏がまともであること」の根拠には全くなりません。
 かつ、このkojitakenの理屈だと「辻元清美氏が社民党から立民党に移籍したこと」などあらゆる「政治家の政党移籍劇」が「移籍した後の党より、移籍する前の党」が「執行部独裁などの問題を抱えていたから」ということになりかねません(実際には損得勘定での移籍がほとんどでしょうが)。
 なお、念のためにお断りしておきますが、上記は「れいわがまともな党」と擁護してるのではなく「kojitakenの理屈はおかしい」と批判してるだけです。
 それはともかく、「個人崇拝はダメだ」というのはよく分かるのですが、「自己承認欲求がダメだ」というのは意味不明ですね。
 まあ、「俺の考える自己承認欲求」と「id:kojitakenや渡辺区議の考える自己承認欲求」と違うのでしょうが。
 基本的に「政治運動に限らず」何かやる場合に「自己承認欲求が全くない人間」というのは一人もいないでしょう。
 たとえ「匿名での寄付」「自分がやっていると誰にも告げずにやってる行為」であったとしても「匿名者のホニャララさんの寄付のおかげで多くの人が助かった」「誰がやってるか知らないがホニャララしてもらって本当にありがたい」というのは十分「自己承認欲求」でしょう。ましてや名前を出してやってる行為なら誰しも「評価して欲しい」という自己承認欲求はあるはずです。
 多分、「kojitakenや渡辺区議の考える自己承認欲求」というのは「善行をやって社会のためになりたい、そして社会に評価して欲しい」と言う「純粋な話」ではなく「俺が正しいと思ってるんだから正しいはずだ、評価しない社会が悪い」という独善的な独りよがりな物、あるいは逆に「とにかく社会に評価されればいい。多数派に受ければ、支持されればいい。俺にはそれ以外に判断基準はない」と言う付和雷同的な物なのでしょうが、そのように自己承認欲求を定義する方が俺に言わせればおかしい。
 「善行をやって社会のためになりたい、そして社会に評価して欲しい」と真摯に考えてる、「まともな自己承認欲求」の人間なら社会に評価されない場合は「評価されないのは何故なのだろうか」と真摯に悩むでしょう。
 そして「認められるためにはこうしたらどうか、ああしたらどうか」と真摯に試行錯誤するでしょう。勿論、その場合、真摯な人間なら「評価されればいい、受ければいい」ではなく「自分にとっての善悪、是非の基準」があって、それを固定した上で「試行錯誤する」でしょう(選挙結果を理由に「消費税減税公約を辞めます」という枝野のような不誠実な態度は取らないと言うことです)。
 その結果、当然ながら自己の能力が向上することもあり得る。
 そういう自己承認欲求なら何の問題もない。というか何の自己承認欲求もない人間は真面目な話、どこにもいないでしょう。
 「自分はダメな人間だ」と思ってたら、精神的につらすぎてとても生きていけないのではないか。
 例えば何故、kojitakenは自ブログを社会に公開するのか。自己承認欲求がkojitakenにあるからでしょう。
 自己承認欲求がkojitakenにないなら、ブログを公開しないで一人で日記帳にでも記事を書いて、自分一人で読んでればいい。
 何故kojitakenは「俺の悪口雑言」を「無視できずに俺に対し悪口雑言で返す」のか。それも自己承認欲求がkojitakenにあるからでしょう。自己承認欲求がkojitakenにないなら俺が何を言おうと無視できるはずです。
 勿論、俺だって自己承認欲求があるから、ブログを公開している。そして自己承認欲求があるからkojitakenの俺への悪口を無視できず、奴に悪口で返すわけです。
 そして繰り返しますが「自己承認欲求」それ自体は何ら問題ない。「自己承認欲求」それ自体は「人間として当たり前の感情」であって、善でも悪でもない。問題は「自己承認欲求」が「とにかく受ければいい、承認してもらえばいい」という付和雷同に行ったり、逆に「俺が正しいと思うのだから認めない社会が悪い」と不当に社会を憎悪したりして「その人間の行動が歪む場合」です。
 「自己承認欲求」が「認めてもらえないのは何故だろう」と真摯に悩み、解決策を探す良い方向に行くなら何の問題もない。


少なからぬ共産党の地方議員(だけではないが)が、規約手続きを使ったり、SNSを通じたりして、意見・声をあげて、このツイートが出たという、あまり見ないケース。(小池晃のツイートに対する紙屋高雪氏のブコメ) - kojitakenの日記

 呟きの主は共産党員の紙屋高雪氏。はてな界隈でも超有名人に属する。かの権威主義*2にして無能*3きわまりない共産趣味*4で、「反動の塊*5」としか論評しようがない軽蔑すべき*6はてブコメントで崇め奉っている人だ。

 紙屋氏の主張に賛同したことはありますが、

松竹伸幸のあほさに呆れる(副題:松竹に共産離党と自民入党をおすすめしたい) - bogus-simotukareのブログ2021.11.20
珍右翼・黒坂真に突っ込む(2021年11月28日分)(副題:松竹伸幸のバカさに呆れる) - bogus-simotukareのブログ2021.11.28
岸田の所信表明演説を読んで雑感(副題:改めて松竹伸幸に悪口する) - bogus-simotukareのブログ2021.12.7
松竹伸幸に突っ込む(2022年4月23日記載)(副題:紙屋研究所にも突っ込む) - bogus-simotukareのブログ
珍右翼・黒坂真に突っ込む、ほか(2022年6月9日分)(副題:リベラル21と阿部治平と松竹伸幸に悪口する&中北本を読む気が完全に失せた)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ

では逆に「日本共産党の外交安保政策をもっと右にしろとはどういうことか!」と「左派(?)、ハト派の立場」から悪口していますし、彼の本

◆マンガ評論である『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』(2007年、築地書館)、『マンガの「超」リアリズム』(2018年、花伝社)
→これについては本を出しました 『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』(2007.10.22)、本を出します 『マンガの「超」リアリズム』 - 紙屋研究所(2018.5.1)を紹介しておきます。
◆町内会問題を取り上げた『どこまでやるか、町内会』(2017年、ポプラ新書)、『「町内会」は義務ですか?』(2014年、小学館新書)
→これについては本を出します 『“町内会”は義務ですか?』 - 紙屋研究所(2014.10.15)、新たな町内会本『どこまでやるか、町内会』を出します - 紙屋研究所(2017.2.11)を紹介しておきます。

などはいまだに1冊も読んだことはなく、「崇め奉ってはいません」ので念のため。というか、「彼の本を1冊も読んでないこと」でわかるように俺は彼にはそれほどの興味はありません。kojitakenが変な誤解、曲解をするのはいつものことですが全く大概にして欲しい。というか、コメント欄でもご指摘がありますが、そもそも紙屋氏ツイート紹介をする上で俺に悪口する必要はどこにもない。
 俺にも紙屋氏にも失礼です。
 なお、話が脱線しますが紙屋氏の「町内会本」と同様の問題意識に基づくのが最近の産経記事自治会非加入でゴミ捨て場「出禁」は違法か 最高裁に舞台が移った住民トラブル - 産経ニュース(2022.11.19)ですね。

自治会非加入でゴミ捨て場「出禁」は違法か 最高裁に舞台が移った住民トラブル - 産経ニュース
 東京都立大の玉野和志*7教授(地域社会学)は「ごみ収集は本来行政が担うべき仕事で、自治会は好意で協力しているにすぎない」とした上で「自治会ありきの仕組みは限界にきている。行政は根本的にごみ収集のあり方を見直す必要がある」と話している。

というのは全くその通りで「任意加入」と言う建前が実態(事実上、全員加入を前提として、ゴミ回収など行政事務が制度設計されており、同調圧力で事実上強制加入となってる)と乖離しているからこそ、こういうトラブルになるわけです。どう解決すべきかについては特に俺に名案もないので書きませんが。
 ちなみに紙屋氏はこの産経記事について

紙屋高雪
 URが自治会に所有権を移譲するのは珍しい。UR管理のままならUR責任なのにね

紙屋高雪
 地裁判決が「ごみ捨て場の管理は(誰もが利用できる)行政サービスの一環」としたのは重い。「市は収集やるけど、集積所の設置と管理は住民が勝手に決めること。行政は知らん」という自治体の虚構はもうやめるべきだ。そんなわけないだろ。じゃあ住民が自由に集積所を決めたら、行政は全部認めるのか?
 「今の集積所では自治会がゴミ出しさせてくれないので、別のところを住民である私が集積所指定するので収集せよ」ともし市に申請したら、行政は「協議」し拒否する。事実上行政の集積所管理だ。「ステーションの変更や増設につきましては、市が決めるものではなく」は虚構。

紙屋高雪
 はてブでは

(ボーガス注)
GROOVY
 お金だけ出す会員あるなら入らない夫妻が悪いんじゃないかなぁ。
ultimatebreak
 年一万程度で掃除もしなくていいルールだし、不当だとは思わない。管理手伝わないならせめて金出せというのはとてもよくわかる。
Junji_Suzuki_JBOYSOFT
 自分の自由勝手にしたいけどめんどうを引き受けるのはイヤが通用するかどうか。
YokoChan
 サービスを利用するなら割増料金を支払うべきだ。後の掃除とかあるしタダ乗りはダメ。
diveintounlimit
 これが肯定されてしまったら、みんな自治会費払わなくなって自治会の仕組みが破綻するでしょ。必要なカネを払わないタダ乗り側の主張が認められる状況がおかしい。
kitayama
 行政にやらせてると税金どんどん上がっちゃうから自治会にやらせてるから、フリーライダーはだめだろうと思うな。
などと

原告をフリーライダー呼ばわり(ボーガス注:し非難)する意見が散見されるが、市が自治会に集積所管理の委託費を払って明確な委託契約(またはそれに類するもの)をして市民なら誰でも出せるようにしていないからこうなる。「行政が曖昧な慣行に依存し、行政が必要コストを払わない行政の甘えの時代」は終わった。

とツイートしています。


総務相・寺田稔の更迭も不可避。岸田内閣はもはや「風前の灯」 - kojitakenの日記

 昨日、過激なネオリベ*8河野太郎*9や極右の高市早苗*10にとって代わられるくらいなら岸田に続けてもらった方がまだマシだと書いたが、どうやらもう保ちそうにもない。岸田内閣はもはや風前の灯だ。

 kojitakenが昨日、書いたという駄記事泉健太も志位和夫も小池晃もひどいが、宏池会の岸田文雄や葉梨康弘のひどさは「底なし」だ - kojitakenの日記については拙記事今日もkojitakenに悪口する(2022年11月19日記載) - bogus-simotukareのブログで批判的にコメントしましたので紹介しておきます。
 かなり追い詰められてることは事実でしょうが、果たして「風前の灯」といえるかどうか。岸田が実際に辞めるまではここまで俺は楽観的にはなれませんね。

 せめて、前記の2人及び後菅こと菅義偉の返り咲きだけは阻止してもらいたい*11。この3人のいずれかが後継総理になるなら、日本はさらに悪くなる。

 阻止してもらいたいの主語は何なんですかね。
 「岸田の首相辞任」以後の総裁選で総裁を選ぶ自民党員や国会議員か、はたまた「野党やマスコミの批判」か。
 いずれにせよ「阻止したい」と能動的でない辺り「お任せ民主主義」というか「やる気がなさ過ぎる」というか。
 なお、「菅の首相返り咲き」はさすがにないでしょう。


再配分政策を求めるなら別に立憲でも良いが、護憲を求めるなら社民党って本当か? 「名は体を表す」のだから、立憲民主党は立憲主義を掲げる伝統的な保守思想の党で、社民党こそ社民主義を追求する政党のはずではないのか? - kojitakenの日記
 社民党はともかく、どう見ても「自民党補完勢力」「非立憲主義立憲主義否定:そもそも維新がすり寄る自民自体が非立憲主義ですが、その自民と比べても維新の非立憲主義は酷いでしょう)」維新にすり寄る「立憲民主党*12」は「名は体を表してない」でしょう。
 何せ「根拠法律も作らずに閣議決定だけで実施」ということで「立憲主義に反する」と言う批判があった「安倍国葬」に党最高顧問の野田元首相が出席したのが立憲民主党ですし。
 「名は体を表してる政党」は日本では

マルクス生誕200周年/志位委員長 講演で強調/理論家・革命家の両面に光が/新しい市民運動の発展と響きあう2018.4.23
志位さん、科学的社会主義を大いに語る(上)/学生オンラインゼミ 詳報2022.4.22

不破哲三氏の著書】
◆『古典への旅:マルクスエンゲルスレーニンを訪ねて』(1987年、新日本新書)
◆『史的唯物論研究』(1994年、新日本出版社
◆『マルクスエンゲルス百年』(1996年、新日本出版社
◆『科学的社会主義を学ぶ』(2001年、新日本出版社
◆『古典研究 マルクス未来社会論』(2004年、新日本出版社
◆『マルクスは生きている』(2009年、平凡社新書)
◆『マルクスとともに現代を考える』(2010年、新日本出版社
◆『「資本論」はどのようにして形成されたか』(2012年、新日本出版社
◆『科学的社会主義の理論の発展:マルクスの読み方を深めて』(2015年、学習の友社)
◆『マルクス資本論」発掘・追跡・探究』(2015年、新日本出版社
◆『「資本論」のなかの未来社会論』(2019年、新日本出版社
◆『「資本論」完成の道程を探る』、『マルクス 弁証法観の進化を探る』(2020年、新日本出版社

という日本共産党ぐらいではないか(共産党マルクス理解の是非はひとまず置きます)。
 なお、社民党を「社民主義的でない」と批判するkojitakenには「民社党社民連をどう評価する」のか、「名は体を表してる」と考えるのか、聞きたいところです。
 さすがに「第二自民党民社党は「社民主義」とは評価しないのでしょうが。

◆まことん
 私がこのご時世に、敢えて社民党に入り、何だかんだ党員を続けているのも、護憲を掲げる党を消してはならない、との思いが強くあるから何ですよね。再配分政策を求めるなら、別に立憲でも言い訳だけど。

 「はあ?」ですね。第一に「護憲を掲げる党」なら共産もあるんですけどね。この種の反共分子は何故か共産を毛嫌いするようですが。
 第二にkojitakenも批判するように「枝野前代表時代」ならまだしも「新自由主義政党・維新」にすり寄る「泉の立民」は明らかに「再配分政策軽視」でしょう。

 社民党は経済政策を決しておろそかにしてはならなかった。2010年代の怠慢のツケが現在に回ってきている。

 過去に書いた拙記事社会党が衰退したわけ(五十嵐仁「政党政治と労働組合運動」(御茶の水書房)から) - bogus-simotukareのブログの「二番煎じ」「焼き直し」で恐縮ですが、社民党の衰退理由はkojitakenが言うようなことではなく「社会党時代のダメージが回復できてないこと」でしょう。
 要するに「社会党、総評」でググる

◆坂本守*13社会党総評ブロック:その形成・発展と崩壊過程』(1981年、日本評論社
新川敏光*14『戦後日本政治と社会民主主義社会党総評ブロックの興亡』(1999年、法律文化社→後に『幻視のなかの社会民主主義』と増補改題して2007年、法律文化社
◆五十嵐仁*15編著『日本社会党総評の軌跡と内実:20人のオーラル・ヒストリー*16』(2019年、旬報社
【あいうえお順】
伊藤茂*17
◆上野建一氏*18
◆加藤宣幸氏*19
◆公文昭夫氏*20
◆曽我祐次氏*21
◆高見圭司氏*22
◆塚田義彦氏*23
◆富塚三夫氏*24
◆仲井富氏*25
船橋成幸氏*26
など合計20名の社会党、総評関係者へのインタビュー集のようです。20名が誰かについては3月11 日(月) 『日本社会党・総評の軌跡と内実―20人のオーラルヒストリー』の校正作業を終えた:五十嵐仁の転成仁語:SSブログ(2019.3.11)で確認できます。

という本がヒットすることでも分かるように「総評政治部=社会党*27」と「社会党、総評の批判派(共産党など)」から言われるほど、長い間(1950~1980年代)、「総評に政治活動を依存してきたこと」が「社会党社民党)の衰退理由」でしょう。
 この「労組依存」という問題点は「連合に政治活動を大きく依存する立民」にも該当しますがそれはさておき。
 「総評が解散し連合に参加」し、連合(民社党を支持していた旧同盟系(右派労組)が実権を握った*28。今の芳野会長もそうした右派労組幹部の一人)が社会党支持をやめ「民主党(その後の民進党や国民民主党、立民党を含む)支持」に切り替えたことで、社会党社民党)はその支持基盤を大きく失いました(連合批判派が結成した全労連は共産支持、全労協(総評元議長の太田薫、同元事務局長の岩井章など)は社民党支持ではありましたが)。
 そして社会党は「失った基盤(労組票)」の代わりになる支持基盤をついに現在まで生み出すことができなかった。その結果、「辻元清美氏(元社民党政策審議会長)」など党所属議員の多くが離党し「民主党(その後の民進党や立民党を含む)」に移籍した。
 この点は労組以外に「民青(学生運動)」「新婦人(女性運動)」「民商(自営業者)」等といった支持基盤を形成した共産党との大きな違いです(社会党の総評、民社党の同盟に対して、共産党が1989年に「全労連」が誕生するまで、共産系のナショナルセンターがなかった*29から「嫌でも労組以外に共産は支持基盤を求めざるを得なかった」という面もありましたが)。
 勿論、共産党も「左うちわで万々歳」ではないので、過大評価は禁物ですが、「共産党のこうした労組以外の支持基盤形成」については五十嵐先生も指摘するように評価されてしかるべきでしょう。
 五十嵐先生の主張の完全な受け売りですが「最大野党(社会党時代)から没落し、今やれいわ新選組を下回る議席数、支持率で政党存続の危機にある社民党と、苦境にあるとは言え社民党ほどの惨状ではない共産党の違い」は「労組以外に支持基盤を形成できたかどうか」の違いでしょう。
 そしてこれは五十嵐主張ではなく俺の個人的見解ですが「社民連(kojitakenの支持政党)が消滅した」のも「共産のような幅広い支持基盤形成に失敗したから」でしょう。
 また社民党衰退の理由としては他に「自社さ連立(例:村山内閣の野坂*30建設相が、野党時代に反対していた長良川河口堰の運用を容認)」「民主党との連立(例:沖縄基地県外移設が挫折)」への失望から「社民党社会党)支持層のうちの左派が共産支持に変化したこと」もあるでしょう。
 恐らくそうした「社民党社民連に厳しく」「共産党に肯定的な」認識を「社民連社民党の支持者」で「反共分子」のkojitakenは絶対にしないのでしょうが。

*1:個人崇拝は勿論民主主義に反するでしょうが、自己承認欲求が民主主義に反するというのは意味が分かりません。

*2:どの辺りが権威主義者なんですかね?。まあ狭量なkojitakenではろくな根拠もなしに『敵視する俺』に思いつく限りの罵倒をしているだけでしょうが

*3:別に自分が有能だとも思ってないので、「不愉快」ではあるものの、俺がそれに該当するとは全く思わない「権威主義者」「反動」呼ばわりほどには腹は立ちません。まあ狭量なkojitakenではろくな根拠もなしに『敵視する俺』に思いつく限りの罵倒をしているだけでしょう。それにしても、こんなことを言うkojitakenは「自分をよほど有能だと思い上がってる」のでしょう(苦笑)。

*4:「俺のような非党員が共産支持を表明する」と、それだけで共産趣味者扱いなんですかね?。それとも「共産趣味者認定」には何らかの条件があるのか?。いずれにせよ、これもkojitakenの罵倒なんでしょうね。

*5:どの辺りが反動なんですかね?。まあ狭量なkojitakenではろくな根拠もなしに『敵視する俺』に思いつく限りの罵倒をしているだけでしょうが

*6:俺の方こそ『紙屋氏の主張を紹介するにおいて俺に悪口する必然性はどこにもない』のに『そういう行為をして恥じない』kojitakenの『人格の低劣さ』を心底軽蔑しています。)某暴犬((こういう「犬呼ばわり」をすると「カス(あるいはクズ、クソ、ゲス)駄犬」と自分も悪口されても文句は言えないとは思わないらしいところがid:kojitakenらしいバカさです。

*7:著書『東京のローカル・コミュニティ』(2005年、東京大学出版会)、『創価学会の研究』(2008年、講談社現代新書)、『実践社会調査入門』(2008年、社会思想社)など

*8:今日もkojitakenに悪口する(2022年11月19日記載) - bogus-simotukareのブログでも書きましたが河野の問題点はそこではなく「不誠実な人間性」でしょう。河野太郎、平井卓也、西村康稔、茂木敏充の“自民党パワハラ四天王”はどこへ向かうのか | 文春オンラインによれば、河野については「部下に対するパワハラ」の噂もあるようですが、「真偽はともかく」分かる気がします。ああいう「下劣な人間」は平気で部下にパワハラをしても何らおかしくないでしょう。父親(河野洋平自民党総裁)はあそこまで下劣とは思えないのでまさに『不肖のバカ息子』です。

*9:第三次安倍内閣国家公安委員長、第四次安倍内閣外相、防衛相、菅内閣行革相などを経て、現在、岸田内閣デジタル相

*10:第一次安倍内閣沖縄・北方等担当相、第三次安倍内閣総務相自民党政調会長(第二次安倍、岸田総裁時代)などを経て岸田内閣経済安保相

*11:こういうことを書くとは、kojitakenにとって例えば「この3人ではなく、茂木幹事長や林外相がポスト岸田ならまだマシ」なんですかね。それと高市の名前を挙げながら「萩生田政調会長」「下村元政調会長」の名前が出てこないのが謎です。安倍派が下村や萩生田を担ぐ可能性はないとみているのか?

*12:戦前は「立憲改進党大隈重信)」「立憲政友会(歴代総裁のうち、伊藤博文西園寺公望原敬高橋是清田中義一犬養毅が首相に就任)」「立憲民政党(歴代総裁のうち、浜口雄幸若槻礼次郎が首相に就任)」と立憲党名は多数ありましたが戦後は有力政党としては「立憲民主党」が恐らく最初でしょう。

*13:著書『昭和史の中の労働運動』(1982年、日本労働研究機構)、『獅子奮迅:松前重義物語』(1983年、西日本新聞社)、『されど節を屈せず:岩井章物語』(1984年、労働大学新書)

*14:京都大学名誉教授。法政大学教授。著書『日本型福祉の政治経済学』(1993年、三一書房)、『日本型福祉レジームの発展と変容』(2005年、ミネルヴァ書房)、『福祉国家変革の理路』(2014年、ミネルヴァ書房)、『田中角栄』(2018年、ミネルヴァ書房日本評伝選)、『政治学:概念・理論・歴史』(2022年、ミネルヴァ書房)など。新川氏の専門(日本型福祉)を考えるに彼の田中評伝はおそらく「福祉元年」(「福祉元年」については、例えば服部龍二『田中角栄』を読む 〜 では誰が「福祉元年」をやるべきだったのか - kojitakenの日記参照)的な面を主として論じてるのでしょう(その結果として他の面への言及が弱いかもしれませんが)。田中といった場合一般に注目されるのは「福祉元年」ではなく「金脈やロッキード疑惑」「日中国交正常化」「日本列島改造論」ですが。

*15:法政大学名誉教授。全国革新懇代表世話人。著書『一目でわかる小選挙区比例代表並立制』(1993年、労働旬報社)、『保守政治リストラ戦略』(1995年、新日本出版社)、『徹底検証・政治改革神話』(1997年、労働旬報社)、『政党政治労働組合運動』(1998年、御茶の水書房)、『戦後政治の実像』(2003年、小学館)、『この目で見てきた世界のレイバー・アーカイヴス』(2004年、法律文化社)、『活憲』(2005年、山吹書店)、『労働政策』(2008年、日本経済評論社)、『労働再規制』(2008年、ちくま新書)、『対決・安倍政権:暴走阻止のために』(2015年、学習の友社)、『活路は共闘にあり』(2017年、学習の友社)、『打倒安倍政権:9条改憲阻止のために』(2018年、学習の友社)、『日本を変える:「新しい政治」への展望』(2021年、学習の友社)など。個人ブログ五十嵐仁の転成仁語:SSブログ。民青系の全学連に所属していたが故に、極左に襲撃されて片目を失明(例えば7月22日(水) 残された左目を殴られたのは1972年2月28日のことだった:五十嵐仁の転成仁語:SSブログ(2015.7.22)参照)し、また、志位委員長、小池書記局長が代表世話人を務める全国革新懇の代表世話人を務める五十嵐氏は勿論「自他共に認める共産支持者」です(彼が党員や後援会員かどうかまでは知りませんが)。

*16:1)共同研究であり五十嵐氏の個人研究ではない、2)五十嵐氏は共産支持者だが他の共同研究者は必ずしもそうではないことを断っておきますが「社会党・総評関係者への聞き取り調査」をする「共産支持者」五十嵐氏の方が「自称社民党支持者」id:kojitakenよりも何倍も社民党の役に立ってるのではないか?(勿論、五十嵐氏がプロの学者なのに対し、id:kojitakenは素人だという点は割り引く必要がありますが)

*17:1928~2016年。社会党政策審議会長(土井委員長時代)、副委員長(田辺委員長時代)、細川内閣運輸相、社民党政策審議会長(村山党首時代)など歴任(伊藤茂 - Wikipedia4月9日(火) 社会党・総評史研究会で旧社会党の伊藤茂元運輸相からの聞き取りを行った:五十嵐仁の転成仁語:SSブログ(2013.4.9)参照)

*18:1931年生まれ。千葉県議、衆院議員など歴任。1996年に社会党を離党し新社会党の結党に参加。新社会党選対委員長、書記長などを経て現在、顧問(上野建一 - Wikipedia参照)

*19:1924~2018年。1951~1954年まで世田谷区議。江田三郎書記長の下で、1968年に構造改革論社会党の方針に採用されると、加藤は構造改革論の理論家として活躍した。しかし、社会党内では社会主義協会派との派閥抗争に敗れる形で、構造改革派(江田派)の勢いは次第に失われていった。1969年、社会党に見切りをつけて、党本部職員を退職し、新時代社を創設。出版業や旧ソ連(現・ロシア)との貿易に従事した。芦田内閣労働相を務めた加藤勘十は父(加藤宣幸 - Wikipedia5月21日(月) 加藤宣幸さんによって語られた驚きの証言:五十嵐仁の転成仁語:SSブログ(2012.5.21)参照)

*20:1931年生まれ。総評社会保障局長、年金実務センター代表、中央社会保障推進協議会副会長など歴任(経歴は公文著書の著者紹介による)。著書『年金のはなし』(共著、1990年、新日本新書)、『年金不安50問50答』(2003年、大月書店)、『許すな!!年金大改悪』(2004年、あけび書房)など

*21:1925~2019年。日本社会党東京都本部書記長、委員長、日本社会党組織局長、副書記長など歴任(曽我祐次 - Wikipedia参照)

*22:1932年生まれ。社青同日本社会主義青年同盟)書記長(社青同社会党系の青年団体)、日本社会党青年対策部長など歴任。1970年に社会党を除名。著書『NO! 9条改憲・人権破壊』(2007年、明石書店)(高見圭司 - Wikipedia参照)

*23:1926~2016年。合化労連(合成化学産業労働組合連合)書記長、副委員長、総評事務局長など歴任。著書『太田薫:太田ラッパ鳴りやまず』(共著、1999年、労働教育センター)(わたしの労働運動ものがたり〜塚田 義彦 “太田薫”を語る参照)

*24:1929~2016年。国鉄労組東京地方本部委員長、国鉄労組書記長、総評事務局長、社会党国際局長など歴任(富塚三夫 - Wikipedia11月4日(月) 冨塚三夫元国労書記長・総評事務局長からお話をうかがった:五十嵐仁の転成仁語:SSブログ(2013.11.4)参照)

*25:1933年生まれ。社会党青年部長、国民生活部長などを歴任(過去を語らず未来をめざす―― 江田三郎との五七年間 仲井 富参照)。ググったら『(ボーガス注:2022年7月の参院選は)立憲民主党の惨敗という結果になった。しかも敗北後の立憲民主党には、その責任を自覚して対処する姿勢はない。責任を取るどころか、旧民主党の岡田氏を幹事長に迎えて、対処するというやり方である(ボーガス注:俺も仲井氏の立民党批判には全く同感です)』という仲井氏の立民批判論文 参院選立憲民主党の惨敗と右翼“ガチウヨ”の健闘に見る希望 - 一人ひとりが声をあげて平和を創る メールマガジン「オルタ広場」(2022.9.20)がヒットしたので少なくとも「2022.9.20」にはご健在だったわけです。

*26:1925年生まれ。社会党組織局長、政策審議会事務局長、企画調査局長など歴任(経歴は船橋著書の著者紹介による)。著書『〈証言〉戦後半世紀の政治過程』(2001年、明石書店)、『革新政治の裏方が語る13章』(2015年、オルタ出版室)

*27:俺より年長のkojitakenはこの言葉を当然知ってるでしょうが、こんな言葉を知ってること自体「俺っておっさんだなあ」感がします。よほど日本政治史に関心がない限り「総評」と言っても最近の若者(例:2000年代生まれの20代)は「?」とちんぷんかんぷんでしょう。

*28:コメント欄で指摘があるように「今更言っても過去のことはどうにもならない」のですが、何とかならなかったかという思いはあります。そして今からでも「連合執行部の右翼性」を何とかできないのかと思います(連合内部には左派労組も勿論あるので)。

*29:戦後すぐに誕生した産別会議は共産系ですが、「当時の共産党」の「労組への上意下達的態度」への反発から、産別会議を脱退した労組が総評を1950年に結成。総評に主導権を奪われた産別会議は勢力が衰退し、1958年に解散(全日本産業別労働組合会議 - Wikipedia参照)

*30:1924~2004年。日本社会党国対委員長、村山内閣建設相、官房長官社民党副党首など歴任(野坂浩賢 - Wikipedia参照)