◆紙屋ツイート
神谷貴行
福岡県の共産党の地区委員長会議報告を読みました。
情勢報告5400字のうち、消費税減税に触れているのは300字程度。5%です。
大半は安保・外交で物価対策にほとんど関心がありませんね。
高市政権への評価で物価対策(ボーガス注:を評価する人間は)は33%で極端に低く多くの国民が不満を持っているのに…。
その理屈なら「安保外交問題ばかり論じ、物価対策など全く論じない松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba」も紙屋は批判すべきでしょうに「類友の松竹は批判しない」のだから、「反党分子・紙屋のデタラメさ」には心底呆れます。
〈動画〉台湾有事論② | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
第二次大戦後に国家が分断されたのは朝鮮半島、ドイツ、中国。その中で前2者は現実に即して両方が国家と認められ、国連にも双方が加盟した。
なぜ中国だけがそうならなかったかと言えば、アメリカの戦後戦略が間違っていたからだ。「反共」という点では世界共通だったが、中国に限ってはイデオロギーだけで政治を判断した結果、「中国は一つ」という現実離れの主張に傾斜した。
いろんな意味で「お前(松竹)はアホか?(横山ホットブラザーズ)」ですね。
第一に朝鮮半島、ドイツだって当初は「西側(米国や英仏独伊などの西欧等)は西ドイツ、韓国だけ」を「東側(ソ連、東欧等、共産国)は東ドイツ、北朝鮮だけ」を正統国家として認めてきました。途中から「相互国家承認」に立場が変わったに過ぎません。
ドイツについて言えば1969年に西ドイツ(ブラント*1政権)が、いわゆるハルシュタイン原則 - Wikipediaを放棄して「東ドイツを事実上国家承認する(1972年に東西ドイツ基本条約を結び正式に国家承認し、1973年には国連同時加盟に至る)」までの「建国(1949年)からの20年間」は今の中台関係同様にお互いを「国扱い」してはいません。ブラントはこうした「東ドイツやソ連、東欧諸国との緊張緩和(いわゆる東方外交)」が評価されて、1971年にノーベル平和賞を受賞します。
朝鮮半島について言えば「南北朝鮮」が国連同時加盟したのは「1991年(建国(1949年)から42年後)」です。
「西側」G7諸国(日米英仏独伊カナダ)で北朝鮮と国交を樹立したのは「2000年のイタリア」が最初でそれまでは、G7諸国で北朝鮮と国交がある国はなかった。未だにG7諸国では日米仏は国交がありません*2(一方、G7諸国では英独伊カナダは国交がある)。
一方で「東側」中国、ソ連の方も韓国と国交を樹立したのは「1990年代になってから(ソ連が1990年、中国が1992年)」です。
また未だに南北両国はお互いを国扱いせず、正式な国交はないし、38度線も建前では「国境ではなく停戦ライン」にすぎません。
なお、「方針変更(相互承認路線に転換)」した南北朝鮮、東西ドイツと「一つの中国」を続ける中国(中華人民共和国)の違いは「力関係の違い(中国の方が台湾より経済力などがある)」でしかないでしょう。
「一つの朝鮮(韓国)」「一つのドイツ」を国際社会に押しつけるだけの力を持たなかった「東西ドイツ」「南北朝鮮」と違い「大国・中国」には「一つの中国」を国際社会に押しつけるだけの力があったに過ぎない。
中国、台湾がどちらも「一つの中国」を国際社会に押しつけるだけの力がなければ、「二つの中国」あるいは「一つの中国、一つの台湾」になったでしょう。
一方で「一つの朝鮮」「一つのドイツ」を国際社会に押しつけるだけの力を「東西ドイツ」「南北朝鮮」の「どちらか一方」が持っていれば、ドイツや朝鮮半島においても「一つのドイツ」「一つの朝鮮(韓国)」が「国際社会のルール」となっていたでしょう。
なお、松竹は「分断国家(南北朝鮮、東西ドイツ)は、台湾を国と認めない中国以外はお互いを認めてる」という「事実に反する印象操作」をしたいためか、なぜか「第二次大戦後の分断国家」として「南北朝鮮、東西ドイツ、中国(中華人民共和国と中華民国(台湾))」しかあげませんが他にも勿論
◆由比忠之進(1894~1967年)が抗議の焼身自殺をしたことで知られるベトナム戦争
なお、由比の自死以前にアリス・ハーズ(1882~1965年)が抗議の焼身自殺をしている。
由比については、比嘉康文*3『我が身は炎となりて:佐藤首相に焼身抗議した由比忠之進とその時代』(2011年、新星出版)の著書がある。
◆在日米軍基地から米兵がベトナムに出撃したベトナム戦争
◆本多勝一*4(朝日新聞)などの日本人記者も現地取材したベトナム戦争
◆日本で市民団体『ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)』が誕生したベトナム戦争
ベ平連については阿奈井文彦*5『ベ平連と脱走米兵』(2000年、文春新書)、平井一臣*6『ベ平連とその時代』(2020年、有志舎)、平井一臣編『可能性としてのベ平連』(2025年、ミネルヴァ書房)等の著書がある。
◆オリバー・ストーン監督がアカデミー監督賞(1987年、1990年)を受賞した『プラトーン』(1986年公開)、『7月4日に生まれて』(1989年公開)等の映画で知られるベトナム戦争
の「ベトナム」(お互いを国と認めず、反政府勢力扱いで戦争を実施)がありますね(分断国家の例として、ベトナムを挙げないことは明らかに不自然ですが)。
「1975年のサイゴン(当時の南ベトナムの首都。現在はホーチミン市)陥落」によって南ベトナムが北ベトナムに吸収され「ベトナム統一」が実現しますが。
第二に「米国の対中国交樹立(1979年、カーター政権)」は西側諸国では一番遅い。
ニクソン訪中(1972年2月)は「田中訪中(1972年9月)の前」ですが、正式な米中国交樹立は「日本の対中国交樹立(1972年9月)」と比べても遅い。なお、西側で一番最初に中国と国交樹立したのが「中国との間に香港問題を抱えていた英国」(1950年)、次がフランス(1964年:当時はドゴール大統領)です。今は違うでしょうが、フランスはドゴール時代はNATOの軍事機構から脱退する(政治部門には残留:ドゴール退陣後に軍事部門にも復帰)など独自外交を取っていました(こうしたドゴールの独自外交はドゴール主義(ゴーリズム)と呼ばれた)。
勿論英国やフランスは中国と国交樹立するに当たり「台湾と断交」し「一つの中国」の立場を取りました。
アメリカの戦後戦略が間違っていたとして、「米国の外交方針が『一つの中国』を誕生させた」かのような松竹の物言いですが、実際には「米国の中国との国交樹立(1979年)以前に、中国と国交を樹立した英国(1950年)、フランス(1964年)などが作り上げた『一つの中国』を米国も受け入れた」にすぎません。米国は最後まで『一つの中国』を受け入れることを否定しようとした(その結果、米中国交樹立が遅れた)ところ、否定できなかったというのが正しい認識です。
なお、「実効支配していても国と認められてない」のは台湾に限りません。例えばパレスチナ自治区も「国家承認してる国」もありますが、日本、米国等は「親イスラエル(イスラエルはパレスチナ自治区を国家承認してない)」の立場から国家承認してないし、その結果、国連加盟もしてないわけです(パレスチナ以外にもそうした『国』はあると思いますが、俺も無知なのでパレスチナ以外はよく知りません)。
*1:西ベルリン市長、キージンガー内閣副首相兼外相等を経て首相
*2:とはいえ、フランスは『パリに本部がある国連教育科学文化機関(ユネスコ)に北朝鮮が代表部を派遣しており、代表部が状況に応じてフランス政府との外交業務を担当している』(仏政府 パリ駐在北朝鮮外交官の資産凍結=外貨稼ぎ摘発か | 聯合ニュース(2025.6.30)参照)。また米国は「北朝鮮にあるスウェーデン大使館」を北朝鮮との外交パイプとして利用しており、そうしたものが何もない日本に比べれば、米仏は北朝鮮と「正式な国交はないものの、外交的な関係を樹立している」といえます。
*3:著書『「沖縄独立」の系譜:琉球国を夢見た6人』(2004年、琉球新報社)
*4:本多のベトナム戦争関係の著書として『戦場の村』(1981年、朝日文庫)
*5:1938~2015年。著書『アホウドリの朝鮮料理入門』(1987年、新潮文庫)、『名画座時代:消えた映画館を探して』(2006年、岩波書店)等(阿奈井文彦 - Wikipedia参照)
*6:鹿児島大学名誉教授。著書『「地域ファシズム」の歴史像:国家改造運動と地域政治社会』(2000年、法律文化社)、『首長の暴走:あくね問題の政治学』(2011年、法律文化社)