今日の産経ニュースほか(2019年5月18日分)

体操の代表選考基準見直しも 村上救済で田中強化本部長 - 産経ニュース
村上、涙の棄権 体操NHK杯 - 産経ニュース
 小生は村上某さんを知らないし興味もありません。当然彼女のファンでもアンチでもないし、彼女が代表になるべきかどうかも分からない。
 ただ記事が事実なら理屈としておかしいですよね。
 「この大会が選考会だ、これで選ぶ」といっていた*1のが「村上さんが体調不良で大会を棄権(これを選考会にしたら村上さんが落選)」したら「イヤー、村上君は過去の実績があるから」「体調が元に戻れば問題ないと思う」「一回の棄権で彼女を切りたくない」「選考基準を見直したい」て「後出しじゃんけん」とは、他の選手からすれば、体操協会相手に口に出せないにせよ「ふざけるな!」「だったら最初から『村上は過去の実績があるので、よほどのことがない限り選ぶ』ていえよ」ですよね。「頑張れば村上さんじゃなくて私が選ばれるかも」と思っていたかもしれない他の選手の気持ちをなんだと思ってるのか。フェアネスの観点はどうなってるのか。
 まあ、彼女はおそらく「一時期の浅田真央」的存在なんでしょうけどね。


池袋暴走 警視庁、元院長の任意捜査を継続 - 産経ニュース
 実情はともかく、建前では法律上は「任意捜査が原則で逮捕が例外」ということを指摘しておきます。
 逮捕とは、容疑者を身柄拘束しないと「逃亡や自殺」「証拠隠滅」「被害者への報復」など弊害が生じる恐れが強いときに認められるに過ぎません。


「 昭和天皇が戦後占領下で発した詔勅の意味を汲みとることが令和時代の課題だ 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
 時代錯誤極まりないですね。

 『昭和天皇 二つの「独白録」』(東野真著、NHK出版)は1997年6月放送の「NHKスペシャル」を基にした作品だ。
昭和天皇独白録」といえば、90年12月号の「文藝春秋」のスクープを思い浮かべる。東野氏は他にも「独白録」が書かれていたことを明らかにし、その作成は東京裁判において天皇無罪を確定させるための対策だったとする。
 そうした動きの背景には、昭和天皇に対する厳しい米国世論があった。45年6月のギャラップ世論調査では「処刑せよ」が33%、「裁判にかけろ」が17%、「終身刑」が11%、「追放」が9%で、70%が強い敵愾心を抱いていた。東京裁判終了後も厳しい感情は消えず、50年3月の同世論調査では、「天皇を戦犯として裁くべし」が53%だった。

 まあそういうことですね。日本国内において「天皇崇拝感情」があり、それが政治利用できると米国が思わなければ、米国は「裕仁を厳罰にしろ」という米国世論に従ってほぼ確実に昭和天皇東京裁判に起訴し、処罰(東条英機元首相らのような死刑?)されていたでしょう。当然「弁明の文章」独白録は嘘だらけです。
 まあ昭和天皇に限らず「自分に都合の悪いことを言う人」は通常居ないので、当事者が書いた回顧録なんてもんは鵜呑みには出来ません。

 占領下で迎えた新年の詔勅昭和天皇は以下のように始められた。
「ここに新年を迎える。顧みれば明治天皇 明治の初国是として五箇条の御誓文を下し給えり」
その後に昭和天皇五箇条の御誓文全文を続けられた。後年、この件について、五箇条の御誓文を国民に伝えるのが詔勅の「一番の目的」だった、「民主主義を採用したのは、明治大帝の思し召しである」「民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあった」と語られている。

 つまりは「大日本帝国憲法のような天皇主権でも民主主義だ、それが欧米とは違う日本型民主主義だ」と強弁して昭和天皇は「主権者の地位を保持しよう」としたわけですが、彼の企みは新憲法制定で挫折しました。彼は主権者、国家元首から「政治権限のない象徴」にかわりました。
 昭和天皇を政治利用するため、東京裁判に訴追しなかった米国も「天皇国家元首のままにすること」はさすがに容認しませんでした。

 令和の時代の課題は、昭和天皇が発せられた占領下における詔勅の意味を真摯に汲みとることだろう。それが憲法改正だということはもはや説明の必要もないだろう。

 まあ「勝手に言ってろ」ですね。昭和天皇改憲を希望していたかどうかも疑問ですが、今時「昭和天皇の意思」云々で改憲に賛成する人も居ないでしょう。
 大体そのよしこの理屈なら「訪中した前天皇の意志に従い日中友好を推進すべきなのか」?(まあ俺は日中友好は推進すべきだと思いますが「天皇は政治に関わるべきでない」と思う俺にとって、日中友好の理由は少なくとも「前天皇の意思」ではありません)。
 「それは違う」というなら「よしこらウヨの従う天皇とは昭和天皇だけなのか」。


「山鹿素行の『中朝事実』― 民族意識の先駆 ―」 荒井桂 郷学研修所・安岡正篤記念館副理事長兼所長 « 最近の活動 « 公益財団法人 国家基本問題研究所
 この荒井氏*2、元埼玉県教育長だそうです。
 しかし定年退職後の今はそういう団体の副理事長兼所長ですか(ちなみに理事長が安岡正篤の息子である安岡正泰氏)。「安岡正篤記念館所長」てもろに右翼ヤン(苦笑、あとでウィキペディア安岡正篤」を紹介しますが安岡は右翼活動家です)。
 しかしこういう団体幹部を呼んで

 荒井所長は、まず『中朝事実』という書物がどのようなものかを説明した。すなわち、江戸初期の儒学者山鹿素行(1622~1685年)の著述で、吉田松陰をはじめ維新の志士にも影響を与え、乃木*3大将座右の書としても有名。学習院長を長く務めた乃木大将が殉死する二日前、後の昭和天皇となられる皇太子に、中朝事実を献上したというエピソードも紹介し、後世に伝えるべき価値のあることを強調した。
 所長によると、素行が活躍した当時、支那*4は世界の中心にある文化大国、すなわち「中華*5」と自称していた。日本でも、「中華思想」が蔓延し、支那崇拝、自国卑下の風潮にあった。しかし素行自身は、日本こそ文化的・政治的にも「中華*6」であると自負していた。そこで、言葉の混同を避けるため、日本を「中華」ではなく「中朝*7」と呼称し、日本書紀など古典を引用しながら論評を加え『中朝事実』という書物を著したという。
 『中朝事実』は全13章から構成され、最初の「天先章」では天孫降臨をはじめとする神話が皇室へと結びつく歴史が、第2章「中国章」では日本こそが中華であると強調し、第3章「皇統章」では天照大神から続く皇室の伝統を、その他、人材任用の在り方、治平外交の要は礼にあること、など多方面にわたり、日本の特質が説かれているとのこと。
 安岡教学に私淑する荒井所長は、激動する国際情勢の中で、国の在り方や国民の意識に思いを馳せる。

ねえ(苦笑)。さすが「日本を代表する右翼団体」国家基本問題研究所だけのことはあります。
 今時「山鹿素行ガー」「中朝事実ガー」「安岡正篤ガー」だそうです。

【参考:安岡正篤、四元義隆について】

安岡正篤(1898~1983年:ウィキペディア参照)
・1927年(昭和2年)、酒井忠正*8伯爵の支援で「金鶏学院」を設立し、1931年(昭和6年)には三井や住友などの財閥の出資により「日本農士学校」を創設し、教化運動に乗り出した。
・金鶏学院は軍部や官界・財界に支持者を広げて行き、1932年(昭和7年)には「日本主義に基づいた国政改革を目指す」として、酒井忠正や後藤文夫、近衛文麿*9らとともに「国維会」を設立。「国維会」から、斎藤實*10岡田啓介*11両内閣に、後藤文夫*12吉田茂*13廣田弘毅*14ら会員が入閣したことで、世間の注目も集まったが、一方で政界の黒幕的な見方も強まったため、2年後には解散に追い込まれる。
・「国維会」解散後も金鶏学院などを通じた教化活動は続けられ、「二・二六事件の首謀者西田税に影響を与えた一人」とも言われる。北一輝大川周明の結成した右翼結社・猶存社のメンバーでもあった。山本五十六*15中華民国総統蒋介石とも親交があり、第二次世界大戦中には1944年(昭和19年)より大東亜省顧問として外交政策などに関わった。
・1945年(昭和20年)、8月15日の終戦詔勅玉音放送)を推敲したと言われる。
終戦後1946年(昭和21年)に、かつて安岡が創設した「金鶏学院」や「日本農士学校」等の各団体や学校は連合国軍最高司令官総司令部GHQ・SCAP)により解散を命じられ財産は没収、安岡自身も大東亜省奉職を理由に公職追放される。1949年(昭和24年)に「師友会」(後の全国師友協会)を結成、機関紙『師友』(後の『師と友』)の発行による次代の指導者の育成や、全国各地を巡っての講演、更にはラジオによる講話などを通じた東洋古典思想の普及活動を行った。1950年(昭和25年)10月公職追放令第一次解除に該当し公職追放を解除される。
・戦後も政財界とのパイプは保ち続け、自民党政治家のアドバイザーとして帝王学を説き、彼らの「精神的指導者」「陰の御意見番」「首相指南役」の位置にあった。1954年(昭和29年)6月1日、師友会を「全国師友協会」と改め、ここでの活動を中心に陽明学を基礎とした東洋思想の普及に努める。1958年(昭和33年)には岸信介*16、安倍源基*17、木村篤太郎*18らとともに「新日本協議会」を結成、安保改定運動や改憲運動などに関わった。
・1983年(昭和58年)12月13日逝去。享年85。葬儀は1984年(昭和59年)1月25日に青山葬儀所で、葬儀委員長に岸信介元首相、副委員長に稲山嘉寛*19・大槻文平*20、委員に新井正明*21・江戸英雄*22平岩外四*23によって執行。政界からは当時の首相・中曽根康弘*24を始め、田中角栄福田赳夫鈴木善幸*25の各歴代首相が参列した。
■逸話
・戦前にあっては血盟団事件三井財閥総帥・団琢磨、前蔵相・井上準之助*26を暗殺)に四元義隆*27ら、「金鶏学院」の関係者が多く連座したため安岡も一時関与を疑われたが、安岡自身はこのことについて何も語っておらず、関与の有無は不明である。また、戦前の活動では他に海軍関係者との親交や大東亜省顧問としての活動が挙げられるが、具体的に何に何処まで関与したかはほとんど明らかにされていない。
・安岡を信奉し、師と仰いだ政治家には吉田茂*28池田勇人*29佐藤栄作*30福田赳夫*31大平正芳*32らがいるとされる。「岸信介以降の歴代首相*33田中角栄*34三木武夫*35を除く)」が施政方針演説の推敲を彼に依頼していたとも言われる。
・池田派に「宏池会」と命名したのは安岡だとされている。
・1990年(平成2年)に竹下登*36首相が記者会見で示唆したところによると、「平成」の元号の発案者と言われている。しかし、元号制定時に内閣内政審議室長だった的場順三*37は、これは事実に反しており、「平成を考案したのは山本達郎先生(東京大学名誉教授、東洋史)です。『平成』は安岡正篤先生の案だとまことしやかにいう人もいますが、事実ではありません。亡くなっている人の案を採用することは無いですから」と後に証言している。
■著書
・『人生と陽明学』、『日本の伝統精神:この国はいかに進むべきか』、『論語に学ぶ』(PHP文庫)など。

「戦後70年」特別鼎談 児玉誉士夫 笹川良一 瀬島龍三 四元義隆ほか「黒幕たちの戦後史」を語りつくす 保阪正康×佐高信×森功(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
■佐高
 黒幕というのは基本的に右翼出身の人が多い。典型的なのが、戦後の黒幕として最初に名が挙がる児玉誉士夫でしょう。
■保阪*38
 戦前から軍部や官僚と近しい関係だったという意味では、陽明学者・思想家の安岡正篤も(ボーガス注:海軍に依頼されて児玉機関を運営していた児玉誉士夫と)同じ系譜の黒幕ですね。
■佐高
 児玉が在野の右翼だとすれば、安岡は歴代首相の御意見番的な存在でした。安岡はそんなにカネはなかったけれども、漢籍をうまく噛みくだいた説教をして、官僚出身の政治家たちにありがたがられたタイプです。
■森*39
吉田茂池田勇人佐藤栄作福田赳夫などはみな安岡を師と仰いでいましたからね。そんなカリスマの源泉になっているのが、8月15日の玉音放送終戦詔書」の手直しをしたという話でしょう。
■保阪
天皇の文章を直したというのは最大の勲章になっています。ほかにも宏池会(現・自民党岸田派)という名前は彼が作ったという話もありますし、平成という元号も彼の発案だといわれています。
■佐高
 彼の本は、朝礼などで訓示を垂れるのが好きな社長のいいネタ本になっている。あの長嶋茂雄まで安岡の本を持ち歩いていたっていいます。長嶋は、清原が骨折したとき、ギプスに「失意泰然」という安岡の言葉を書いたという話もあります。
■森
 そんな大物も晩年は、細木数子との一件でスキャンダルになりました。当時銀座のホステスだった40歳も年下の細木と再婚の約束を交わしたんですが、親族が大反対してもめたという話です。その後すぐ、安岡は亡くなるんですが、遺言を巡る諍いに、暴力団まで出てきて……。
■佐高
天皇の文章を直したということで神格化されていた黒幕が、馬脚を現したというわけですね。
 自分の虚像をうまく作り上げるのも黒幕の条件の一つですね。その場、その場で演技をするというか、平気で嘘をつける能力です。
■森
 虚像という意味では、四元義隆の自宅を訪ねたとき、面白い経験をしました。四元は'32年の血盟団事件で逮捕された右翼で、戦後は政界の黒幕として、特に中曽根政権や細川政権では陰の指南役と言われるほど影響力をふるった人物です。私は、細川首相との関係を聞きに鎌倉の自宅を訪れたのですが、障子越しにしか話をしないんです。相当お年を召していたというのもあったと思いますが、面と向かっては話せないということでした。
■佐高
 そうやって、顔を見せないところも黒幕らしい演出かもしれない。

【衆院代表質問】自民・岸田文雄政調会長、「ポスト安倍」懸命にアピールも… 棒読み?離席の自民議員次々 - 産経ニュース
 岸田氏*40は、宏池会創設者の池田勇人元首相の師であった陽明学者、安岡正篤氏の言葉を引き合いに自らの政治姿勢に言及、「低姿勢、高姿勢いずれも間違いだ。自分の政治哲学を持っていれば、おのずから『正姿勢』(正しい姿勢)になる」と語った。

29年は「世代交代の波高まりそう」 安岡正篤記念館理事長、松山で講演 - 産経ニュース
 郷学研修所は昭和6年、正篤氏が日本農士学校として設立。東洋の古典、哲学を学び、国家社会に役立つ人間の形成を目指した。昭和21年には連合国総司令部の命令によって解散し、その後も復活と変遷を経て37年に教育活動を終了。しかし、卒業生らから惜しむ声が相次ぎ、昭和45年に財団法人郷学研修所が設立。平成24年に公益財団法人として認定を受けた。
 正泰氏は東京生まれで日本通運常務取締役中部支店長などを歴任、同社を退社後、父の思想を継承し普及する活動に取り組んでいる。


【参考:中朝事実について】

【昭和天皇の87年】乃木希典の殉死 明治の精神は「天皇に始まつて天皇に終つた」(1/4ページ) - 産経ニュース
・皇太子に拝謁した乃木は、これまで以上に勉学に励まれること、身体を大切にすることを諭し、「中朝事実」など書物2冊を差し出した。
・江戸初期の儒学者山鹿素行が著した中朝事実は、儒教の思想は易姓革命(※1)を繰り返す中国ではなく、万世一系の皇室をいただく日本に根付いており、日本こそが「中朝」であるとして、中華思想に染まった当時の知識層に民族的な自覚を促した大書だ。
 明治維新以降、急速な西洋化とともに日本古来の行動規範が希薄化する中、乃木は皇太子に、原点をふまえて前に進むよう、教えたかったのではないか。


【産経抄】5月18日 - 産経ニュース

 世論調査を支持政党別にみると、女系天皇に「賛成」との回答は立憲民主党が71・1%で、自民党も62・3%とかなり高い。

 つまりは「日本会議など極右層を除けば」自民支持者だって「別に女帝容認でええやん」「女系とか男系とかどうでもええやん」「何でそないなことにこだわるの?」レベルの消極的支持でしょうが、ほとんど女帝支持の訳です。これで「女帝は日本の歴史で例外」「過去の女帝は皆独身で、女帝の結婚が前提となる今回の女帝容認論は過去とは話が違う」「女帝の結婚相手とその家族の扱いをどうするか(前例がない)。彼らにスキャンダルが出たらどうするのか」などと抜かして女帝反対を続ける産経らウヨには心底呆れます。

 旧宮家などの男系男子の皇籍復帰

 そんなもん女帝反対のウヨ以外誰が支持してるのか。
 元皇族の竹田JOC会長がスキャンダル(五輪招致買収疑惑)に見舞われたように「旧宮家復帰」で、その後、特大スキャンダルなんか炸裂した日には目も当てられません。


菅長官、日朝会談「対話のための対話はいけない」 - 産経ニュース
 こういう馬鹿なことを言って対話しようとしないからいつまで経っても拉致が解決しないわけです。まあ俺は当事者(拉致被害者家族)じゃないから正直どうでもいいですが。むしろ拉致被害者家族が「国民が皆私たちを支持してる」とか抜かして図に乗ってることが正直腹立たしい。
 「誰も手前らなんか支持してねえよ!。だからテレビでも最近拉致問題なんか放送されねえじゃねえか!。現実を直視しろよ、バカ!」といいたい。


【主張】トランプ氏の来日 拉致の解決に結びつけよ - 産経ニュース

 25日から国賓として来日するトランプ米大統領

 ばかばかしい。北朝鮮にほとんどパイプもないトランプとあって何の意味があるのか。
 どうせならG20(6月末、日本で開催)で来ると見られる「習近平・中国国家主席」「文在寅・韓国大統領」「プーチン・ロシア大統領」といった「北朝鮮とそれなりのパイプがあるメンツ」とG20開催期間中にあった方が「拉致解決につながる」でしょう。とはいえ、「会う予定らしい」習氏やプーチン氏はともかく、文氏については現時点で「首脳会談は困難」とかほざいてるのが安倍自民なんで心底呆れますが。

 拉致問題をめぐっては今月、国連人権理事会の作業部会が日本人を含む外国人被害者の即時帰還などの具体的行動を求める勧告を採択した。だが北朝鮮側は「解決済み」とする従来の立場に固執し、勧告の拒否を宣言している。

 国連勧告無視は「代用監獄廃止の勧告・無視(未だに代用監獄を継続)」など日本も同じ事をやってますのであまり偉そうなことは言えません。
 いやそれどころか「男女平等の観点から女帝を認めるべきという勧告を国連女性差別撤廃委員会が出すなんて許さない!(でなかった事情が何かはともかく結局出ませんでしたが*41)」「慰安婦問題でのクマラスワミ報告、マクドガル報告は言いがかり」「南京事件資料のユネスコ世界記憶遺産登録が許せない!」とか「国連敵視発言に事欠かないのが安倍自民&産経」なのでその点では北朝鮮批判する資格は彼らには全くありません。

*1:まあ村上さんなら楽々好成績でクリアだと思ってたのでしょう。

*2:著書『安岡教学の淵源』(2011年、致知出版社)、『山鹿素行「中朝事実」を読む』(2015年、致知出版社)など

*3:台湾総督、第3軍司令官(日露戦争)、学習院長など歴任

*4:今時「支那」とはさすが国基研です。

*5:今の日本で「中華」というと「中華そば」「中華丼」「中華料理」「冷やし中華」「横浜中華街」でわかるようにほぼ「中国」とイコールですが、元々はそういう意味です。

*6:イヤー「あえて言えば」客観的に見て、当時のアジアでは中国が中華でしょうよ。

*7:まあ今の日本で「中朝」といえばほぼ確実に「中国と朝鮮(北朝鮮ではない、李氏朝鮮なども含む)」「中国と北朝鮮」のことを意味しますが。

*8:戦前、阿部内閣で農林相。戦後も日本中央競馬会理事長、横綱審議委員会委員長、相撲博物館館長、大東文化学院総長などを歴任

*9:貴族院議長、首相を歴任。戦後、戦犯指定を苦にして自殺。

*10:第一次西園寺、第二次桂、第二次西園寺、第三次桂、第一次山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相、内大臣を歴任。226事件で暗殺される。

*11:田中義一、斎藤内閣海軍大臣、首相を歴任

*12:斎藤内閣農林相、岡田内閣内務相を歴任

*13:後の首相とは同姓同名の別人。岡田内閣書記官長、米内内閣厚生相、小磯内閣軍需相を歴任

*14:斎藤、岡田内閣外相、首相を歴任。戦後、戦犯として死刑判決。後に靖国に合祀。

*15:海軍次官連合艦隊司令長官など歴任。太平洋戦争中に戦死

*16:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相

*17:戦前、鈴木貫太郎内閣内務相。

*18:吉田内閣法相、防衛庁長官を歴任

*19:新日鉄社長、会長、経団連会長を歴任

*20:三菱鉱業セメント社長、日経連会長を歴任

*21:住友生命保険社長、会長、松下政経塾理事長を歴任

*22:三井不動産社長、会長を歴任

*23:東京電力社長、会長、経団連会長を歴任

*24:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官を経て首相

*25:池田内閣郵政相、官房長官、佐藤内閣厚生相、福田内閣農林相、自民党総務会長(大平総裁時代)などを経て首相

*26:日銀総裁、第2次山本、濱口、第2次若槻内閣蔵相を歴任

*27:1908~2004年。右翼活動家。血盟団事件(1932年)に連座して、1934年11月22日に殺人罪で懲役15年の実刑判決。1940年に他の団員と共に恩赦で出所。その後、近衛文麿鈴木貫太郎首相の秘書として活躍したとされる。1944年に翼賛壮年団理事。戦後は政界の黒幕的な存在として吉田茂池田勇人佐藤栄作福田赳夫大平正芳竹下登宮沢喜一などの歴代総理と親交があったと言われ、特に中曽根康弘細川護煕政権では「陰の指南役」と噂された(ウィキペディア「四元義隆」参照)。

*28:東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*29:吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相を経て首相

*30:吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*31:岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官を経て首相

*32:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相

*33:安岡は1983年に死去しているので中曽根首相までということでしょうか?

*34:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*35:片山内閣逓信相、鳩山内閣運輸相、岸内閣科学技術庁長官(経済企画庁長官兼務)、池田内閣科学技術庁長官、自民党政調会長、幹事長(池田総裁時代)、佐藤内閣通産相、外相、田中内閣副総理・環境庁長官などをを経て首相

*36:佐藤、田中内閣官房長官、三木内閣建設相、大平、中曽根内閣蔵相、自民党幹事長(中曽根総裁時代)を経て首相

*37:第一次安倍内閣官房副長官

*38:著書『死なう団事件:軍国主義下のカルト教団』、『眞説 光クラブ事件:戦後金融犯罪の真実と闇』(以上、角川文庫)、『60年安保闘争』(講談社現代新書)、『農村青年社事件:昭和アナキストの見た幻』(筑摩選書)、『五・一五事件』、『孫文辛亥革命を助けた日本人』、『東條英機天皇の時代』、『三島由紀夫楯の会事件』(以上、ちくま文庫)、『後藤田正晴』、『陸軍省軍務局と日米開戦』(以上、中公文庫)、『蒋介石』(文春新書)、『「きけわだつみのこえ」の戦後史』、『参謀の昭和史 瀬島龍三』(以上、文春文庫)、『松本清張と昭和史』(平凡社新書)など

*39:著書『血税空港:本日も遠く高く不便な空の便』、『紛争解決人 伊勢﨑賢治』(以上、幻冬舎新書)、『サラリーマン政商宮内義彦の光と影』(講談社)、『許永中:日本の闇を背負い続けた男』、『同和と銀行:三菱東京UFJ“汚れ役”の黒い回顧録』(以上、講談社プラスアルファ文庫)、『総理の影:菅義偉の正体』(小学館)、『日本の暗黒事件』(新潮新書)、『日本を壊す政商 パソナ南部靖之の政・官・芸能人脈』(文藝春秋)、『泥のカネ:裏金王・水谷功と権力者の饗宴』、『悪だくみ:「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』(以上、文春文庫)など

*40:第一次安倍、福田内閣沖縄・北方等担当相、第二次、第三次安倍内閣外相を経て自民党政調会長

*41:むしろ出してもらった方が「天皇制支持者ならば」ありがたいんですが。「天皇制継続」という意味では女帝否定していいことは何もないし。「男女平等の観点から夫婦別姓を認めよ」とか言う勧告ならまだしも、女帝容認に産経らウヨがマジギレする意味が分からない。

今日の産経ニュース(2019年5月17日分)(松本清張「駅路」「一年半待て」のネタばらしがあります)(追記あり)

自民、丸山議員への辞職勧告で対応苦慮(1/2ページ) - 産経ニュース
 自民議員じゃないので苦慮するのはおかしいのですが
1)「ナチス発言の麻生」など同類の暴言議員(自民所属)に辞職勧告が出たら困る
2)「安倍改憲」に好意的な維新と仲良くやっていきたい(そもそも維新がこんな奴を未だにかばうこと自体おかしいですが)
から賛成したくないが、ここまで酷い代物では、さすがに公然とかばえない、「頼むから自分からやめてほしい」という「自民党らしい酷い話」です。


習主席の初来日を調整 安倍首相と中国外交トップが面会、首脳の相互訪問定着目指す - 産経ニュース

「習氏*1の訪日を契機に、正常軌道に戻った日中関係をさらに発展させたい」
 安倍首相がこう述べると、楊氏*2も「これからも(日中関係が)健全かつ安定的に発展していくと確信している」と応じた。
 昨年は5月に中国の李克強*3首相が中国首相として8年ぶりに来日し、10月には安倍首相が日本の首相として7年ぶりに訪中した。
 日本側はこの流れを生かし、首脳間の頻繁な相互往来を定着させ、日中関係の発展の土台を安定させたい考えだ。
 また、日中韓3カ国の首脳による日中韓サミットは中国が次回会合で議長国を務める順番だ。年内に開催される場合、安倍首相が昨年に続いて訪中する形となる。政府は習氏を国賓待遇で日本に招くことを検討しており、国際会議の開催日程などを見極めながら、中国側と交渉を重ねている。

 ということでウヨ連中の言う「反中国路線」など安倍がとる気はないことが改めて明らかになりました。それでも安倍批判しないのだから、にもかかわらず、「 玉城沖縄県知事の中国おもねり外交 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイトなどと玉城知事に言いがかりをつけるのだから、櫻井よしこらウヨ連中も全くデタラメです。


台湾で同性婚容認法案が可決 アジア初、24日施行 - 産経ニュース
 人権面では既に台湾は日本を抜いてるんじゃないか、そんな気すらします。
 なお「台湾との友好」を叫ぶ日本ウヨもこの件では「台湾を見習って日本も同性婚を認めよう」とはならないのでしょう。


【主張】70歳雇用の推進 働く意欲を高める制度に - 産経ニュース
 もちろん「生涯現役」ということは悪いことではない。しかし問題はネット上で既に批判があるように「年金給付が厳しくなってきたこと」を理由に「事実上70歳定年を押しつける方向」という疑いが濃厚ということでしょう。
 「老人が働くこと」は義務であるべきではないでしょう。60歳定年ならともかく70歳定年が「国民のコモンセンス(共通理解)」があるとはとてもいえないでしょう。
 「話が脱線しますが」ちなみに大昔(?)は「55歳定年」でした。「年金問題(55歳定年だと年金財政がきつい)」「平均寿命の延び(55歳を老人扱いすることが適切でない)」などなどで「60歳にのびた」わけです(まあ織田信長の時代だと「人間50年」、孔子だと「五十にして天命を知る」ですしね)。
 ただ定年の延長も「55→60」はいいとして「60→65」だの「60→70(あるいは65→70)」だのは果たして適切なのか。
 まあ、それはともかく、「昔は55歳定年」がよくわかるのがNHKドラマ「松本清張シリーズ 最後の自画像」(1977年)(原作は松本清張『駅路』、脚本は向田邦子*4)です。これを俺はNHKアーカイブスの再放送で見ましたが、いいですね。一度見ることを是非お薦めしたい。「松本清張って本当にいいな」と感動しますね。
 「呼野刑事(内藤武敏)」
 「呼野の後輩・北尾刑事(目黒祐樹)」
 「定年後失踪*5するサラリーマン小塚(山内明)の妻(加藤治子*6
 「小塚の愛人*7いしだあゆみ)」
 「愛人のいとこ。小塚と愛人の間の伝令役を務めていたが、失踪時に小塚が持ち出したカネを奪うために、ヒモと一緒に小塚を殺害*8する女性(吉行和子)」が全ていい味を出している。

・「失踪した小塚の気持ちが分かる気がする」という「定年前の刑事」呼野(内藤武敏
・「小塚の気持ちが全然分からない」という若い北尾(目黒祐樹
・夫・小塚の裏切りを知らされて怒りをぶちまける妻(加藤治子*9
・「小塚の失踪に結局つきあわず、そのことに罪悪感を感じ、小塚の捜索に乗り出す」「いとこ(吉行和子)が小塚を金目当てにヒモと一緒に殺したんじゃないかと疑いながら、呼野に指摘されるまではその事実から目を背けていた」愛人(いしだあゆみ
・「生活のためには小塚を殺すしかなかった」とうそぶきながらも、小塚の愛人(いしだあゆみ)を口封じのために殺すことがどうしてもできなかったいとこ(吉行和子

が全ていい味を出しています。「1977年のドラマ」なので目黒祐樹(1947年生まれ)もいしだあゆみ(1948年生まれ)もまだ全然若いです。
 ググっても「最後の自画像」についてのいい記事が見つからないんですが、俺の記憶だと最後に内藤武敏演じる呼野刑事が以下のようなことをいうわけです。うろ覚えなんで正確じゃないですが。

 呼野
「俺もこの年になると、定年になったら、小塚さんのように家族を捨てて放浪の旅にでも出たくなるよ」
(内藤は1926年生まれです(2012年に死去)。ドラマ放送時の1977年には51歳なので「定年前の刑事」という設定と実年齢でも近い年齢です)
 北尾
「呼野さんみたいな、まじめな人でもそう思うんですか?」
(北尾を演じる目黒は1947年生まれなのでこのドラマ放送時の1977年では30歳です)
 呼野
「独身の君にはまだ分からないだろうが、妻や子どもは勝手なことを言うし、家庭なんてもんは楽しいことばかりじゃないからね。ゴーギャンは55歳で家族を捨ててタヒチに移住し、まもなく死んだ。ゴーギャンには家族の代わりに絵とタヒチがあった。ゴーギャンと同い年の55歳で定年退職した小塚さんは愛人とカメラの趣味があった。でも平凡な俺には愛人もタヒチも趣味らしい趣味も何もないんだな。まあ、定年になっても家族と一緒に平凡な人生を歩んでいくんだろうな。まあ、それも人生だよ」

 で、俺がこれを見たときに一番印象に残ったのは、「そうか、1977年(今から約42年前)ってまだ55歳定年だったんだ」「ゴーギャンって55歳で死んだんだ」と。話の本筋じゃない、どうでもいいことが記憶に残ったりします。
 正直、この件に限らず昔のミステリ小説、ドラマってのは最近の若者が見ると俺みたいな「え、そうなんだ?」が多いでしょうね。
 例えば昔は殺人の時効は15年のわけです。
 で「ミステリドラマ、小説で良くあるパターン」が「時効成立前に絶対に逮捕する!」つう設定です。十津川警部シリーズでも確かそういう設定がありましたが、これ今では成り立たない。殺人は時効がないですから。
 あるいは「顔のない殺人トリック」も成立しないですよね。DNA鑑定で誰だか簡単にわかりますから。

【追記その1】
 上で「いい記事が見つからない」と書いたのですが改めてググったらいくつか見つかりました。

生誕100年 ~ 清張再読
 銀行を定年退職した小塚貞一は、都内の自宅を出たまま失踪する。行く先も告げずに一人でカメラを抱えて出かけることは常なので、妻は気にもとめなかったが、戻る気配はない。家出人捜索願で動いた呼野刑事は、小塚の旅行先が(ボーガス注:福井県東尋坊、(ボーガス注:岐阜県下呂温泉、(ボーガス注:長野県)木曽福島、京都、奈良、(ボーガス注:愛知県)蒲郡、(ボーガス注:和歌山県)串本と、小塚の前々任地広島との中間に位置することから、前任地名古屋を素通りして広島に向かう。そこで、過去の出勤簿の休暇の記録から、愛人福村慶子の存在を突き止めるが、彼女は小塚の失踪の一月前に病死していた。そして、両人の連絡役だった従姉の福村よし子が情夫と共謀し、慶子の死を小塚に知らせず、従妹の財産を横領したうえ、慶子との待ち合わせ場所に着いた小塚を殺害という犯罪が露見する。
 この短編ではゴーギャンの絵が重要なモチーフになっている。小塚宅の玄関に飾られた複製画、呼野刑事はゴーギャンの人生に捜査のヒントを得るとともに、小塚や自身の人生を重ね合わせる。事件が解決したとき、相棒の若手刑事への述懐がこれ。
 「ゴーギャンが言ったじゃないか。人間は絶えず子供の犠牲になる。それを繰り返してゆく、とね。それでどこに新しい芸術が出来、どこに創造があるかと彼は云うのだが、芸術の世界は別として、普通の人間にも平凡な永い人生を歩き、或る駅路に到着したとき、今まで堪え忍んだ人生を、ここらで解放してもらいたい、気儘な旅に出直したいということにならないかね。まあ、いちがいには云えないが、家庭というものは、男にとって忍耐のしどおしの場所だからね。小塚氏の気持ちはぼくなんかにはよく分かるよ*10
 これは、男の見方である。では、女なら…。向田邦子の脚本は小説のディテールは忠実に活かしながら、アッという翻案が加わっている。いかにも、彼女らしい。
 福村慶子の名前は皮肉、恋人との再出発を前に病死するという薄幸さ、清張版では目立たない脇の人物の扱いに近いが、向田版では彼女を中心に据えた趣きすらある。もちろん病死もせず生き残る。小塚と約束した待ち合わせ場所に姿を見せなかったのは、いよいよ違う人生に踏み出すときになっての逡巡、それが幸か不幸か、彼女は従姉と情夫による殺害から免れることになる。「あんたは、運が強いよ」と、逮捕された従姉がつぶやくのだから。小塚の失踪も知らず、約束をすっぽかしたものの焦燥やみがたく上京、小塚夫人に近づき動静を探るという行動力は清張版の慶子には全く見られないものだ。か弱いどころか、もはや自立した女、脚本家自身の投影があるような気もする。時代の違いか。脚本の時代設定は原作より20年ほど進めている。
 そんな違いがあるので、テレビドラマには女同士の会話の場面が多く出てくる。小説には全くない。松本清張は女の心の襞に分け入る文章の書ける人だが、さすが、女性が書くとこうなるのかというのは向田邦子の面目躍如というところ。
 阿刀田高*11が巻末の「編者エッセイ」で書いているように、「駅路」は「この長さで書いてはいけないアイデアじゃないでしょうか」と。
 私も思う。きっと依頼の枚数に収めるために、(書けたはずなのに)刈り込まれたディテールが惜しい。まあ、それだからこそ、向田脚本(この人の唯一の松本清張作品)の存在価値もあるのだけど…

駅路/最後の自画像: お山のおねえさん
 「駅路」は昭和三十五年に書かれた45枚程度の短編で、何度もテレビドラマ化されている。確か昨年の松本清張生誕100年で各局で名作がドラマ化された時にもフジテレビで石坂浩二深津絵里役所広司のキャスティングで最新の「駅路」が描かれた。
 まじめに停年まで勤め上げた銀行員が停年した翌日に蒸発し、その行方を探ると銀行員の知られざる素顔に辿り着くというストーリー。ベテラン刑事と若い刑事が残された旅行の記録やアルバムを手がかりに、銀行員が地方の支店で知り合った女性行員と密かに愛を育んできたことをつきとめる。会社や家族への奉仕を終えた55歳の男が、停年後、これまた男の噂ひとつもない地味なハイミスと新たなスタートを切るはずだった。ところが5年あまりの交際期間中、ずっと二人の連絡係だったいとこ夫婦に最後にハメられ、二人は遂に夢を果たすことなく命を絶たれるという切ない物語である。
 今の時代にあてはめても少しも古くささも感じられないテーマである。話に奥行きを持たせるのがゴーギャンの絵。ゴーギャン自身も人生半ばで妻子を捨て、自由を求めて楽園タヒチへ移り住んだ画家である。
 私は原作を読んだ後、しばらく考えてみた。自分だったらどんな脚本にするだろうか、と。しかし読み進めていくと、自分のお粗末な創造力を思い知らされてしまう。向田邦子は原作を脚色することを嫌う脚本家だったそうだが、この「駅路」に関しては例外だ。原作では銀行員と愛人両方が殺される*12のだが、愛人だけを生き残らせるという大胆な発想。タイトルも「駅路→最後の自画像」と変えてしまうし、銀行員の奥さんと愛人が対峙するというハラハラドキドキする場面までも作ってしまうのだ。
 私が印象的だったのは、原作では銀行員も愛人も、二人の付き合いの痕跡をまるで残さないのだが、向田邦子の脚本では女の方にこれを残す。カメラと旅行が趣味だった銀行員の家には旅先の風景だけを映したアルバムがある一方、愛人宅にはセミヌードのような大胆なカットも含めて、その女性を撮った写真がたくさん残されている。それらの写真は二人の生々しい関係を映し出すとともに、向田邦子自身の恋を蘇らせた。
 若かりし頃の彼女の写真は、女優でもないのにどう見てもプロが撮ったとしか思えないようなものが随分残されている。そして被写体の彼女はとても美しく艶っぽい。向田邦子自身の妻子あるカメラマン男性との悲恋は今ではよく知られているが、その彼が撮影したものだろうと思われる。写真からはそういう色気が漂っている。
 原作では淡い大人の恋愛という感触しか残らないが、脚本ではこれがある種の熱を持って伝わってくる。松本清張作品を読んでいる限り、おそらくご自身がそうそう恋愛や男女の機微にたけていた人とは思えないが、向田邦子の手にかかってそういう男女の機微や女の心の裡がプラスされて、鮮明に男と女の感触を残すリアルな物語になっている。
 この本の帯には「清張がニヤリと笑った、自作「駅路」の大胆な脚色。人生の岐路に立っていた向田自身のドラマ」とある。岐路に立ったというのは、この脚本を書く前に向田邦子乳がんの手術をし、輸血がもとで肝炎になったりと、若い頃から疾走してきた人生で初めて死に直面し、自らの人生を振り返ることをしたという。そういう時期だっただけに、蒸発する銀行員、寸前で駆け落ちを留まる愛人、夫の裏切りを知る夫人、事件を追うべてらん刑事などなど、登場人物のそれぞれに彼女の魂が注がれているような気がする。
 ある意味、名コンビではないかと思われるこの二人。もっともっと競演を見たかったものだが、残念なことにお二人とももうこの世にはいない。
 松本清張はたくさんの作品を残してくれたのでまだしも、20歳も上の清張より早く逝った向田邦子の死はやはり悔やまれてならない。今はただ残された作品を何度も何度も辿るしかない。それでも何度読んでも飽きない、感嘆させられる向田作品。生きていたら今頃、一体どんな作品が読めたのだろうか。あ〜、悔しい。

駅路/最後の自画像(松本清張・向田邦子) - 若 駒太郎のブログ
 「駅路」についてのあらすじは、
「平凡な永い人生を歩き、終点に近い駅路に到着した時、耐え忍んだ人生からこの辺で解放してもらいたいと願い、停年後の人生を愛人と過ごそうとして失踪した男の悲しい結末を描く」
 というものです。
 これを向田邦子はどのように脚色していったのか。
 ひとつは、題名を「最後の自画像」としたように、失踪する主人公が憧れていた画家、ゴーギャンの絵を随所に見せ、それを使って場面場面での登場人物の心理を暗示しているということです。原作では3枚しか絵を使っていません。
 ゴーギャンは第二の人生を求めてタヒチに移り住んだ画家ですが、そのことと主人公の失踪とを重ね合わせてもいます。
 失踪した主人公を捜索している刑事に「人間誰しも(ボーガス注:人生の)終点に近い駅路に来た時初めて自分だけの自由を取り戻したくなるんじゃないか」と、語らせたように、物語の核心のようなものを絵をとおして描いています。
 しかも「人間は絶えず子どもの犠牲になる、それを繰り返してゆく。それでどこに新しい芸術が出来、どこに創造性があるか」というゴーギャンの言葉をヒントに、ゴーギャンは絵画をで新しい創造を試み、男は恋人との生活でそれを満たしている、という男の持っている悩みの芯をそのままドラマの主題として真ん中に据えています。そう考えると「最後の自画像」という題名は、腑に落ちます。
 ふたつめは、原作では亡くなっている主人公の恋人を生き返らせて、妻のところに訪問させながら、女同士が火花を散らすシーンを作っていることです。
 松本清張が 脚本全体について、「これは深いところを突いているね」と呟いた、というエピソードからもわかるように、向田邦子は非凡な才能の持ち主でした。つくづく(ボーガス注:飛行機墜落事故での)早い死が悔やまれます。

読書75「駅路/最後の自画像」(松本清張・向田邦子)新潮社 - おやじのつぶやき
 見逃してしまったドラマ「駅路」。フジテレビで、昨年放映された作品です。もともと、昭和50年にNHKの土曜ドラマシリーズ、向田邦子の脚本・「最後の自画像」として放映され、そのリメーク版だったそうです。
 この書は、その松本清張の原作「駅路」と向田さんの脚本「最後の自画像」を掲載したもので、先に清張の原作・小説を読み、次の向田の脚本を読み解くという形式になっています。原作は、400字詰め原稿用紙で45枚ほどの短編、それを放映時間70分のドラマにする。400字詰めで約80枚ほどになりますか。
 原作のテーマをいかに深化させていくか、さらに脚本として自立した作品としてしたてあげていくか、など素人には分からない創作者(この場合は、向田さんの)実像に迫った解説が加えられています。
 特に大きな違いは、不倫相手の女性を死なせず、男性の妻のもとを訪問し、対話させたこと。(原作では病死したことを隠し、関係者が主人公の男性を殺害し金を奪う)また、原作では(ボーガス注:呼野刑事の説明でしか)ほとんど登場しない女性陣を多く登場させたこと、など。

向田邦子 × 松本清張(2)・『最後の自画像』『駅路』 - 私の中の見えない炎(旧館) - Yahoo!ブログ
 刑事の前に、ひとりの女性(いしだあゆみ)が姿を現す。原作小説ではこの女性キャラは死んでいるのだが、『最後の自画像』ではラストまで生きのびる。そして、不倫していた彼女の孤独な人物像がより深化している。
「女に生まれたのなら、子どもを産んで抱いてみたい。夫と子どもと三人で、遊園地で遊びたい。(ボーガス注:55歳の退職したじいさんとの生活で)お雛さまやPTAや誕生日や親戚づきあいや、そういうものを全部あきらめて生きていけるのか。
 5年前に不安でなかったことが、いまは違うんです…」(ボーガス注:呼野(内藤武敏)の「なぜ小塚(山内明)を裏切って失踪に同行しなかったのか」という質問への愛人(いしだあゆみ)の返答です)
 その他にも銀行マンの妻(加藤治子)、事件の鍵を握る女性(吉行和子)が、事件をめぐって怒りと嫉妬の炎を燃やしていた。
 清張の原作で描かれた初老男性の哀感に加えて、『最後の自画像』では女の敵は女とでも言わんばかりに、女性たちのどろりとした感情や怨念も描き込まれている。その重厚な群像劇を見ていると、これはほとんど向田邦子のオリジナルではないかという気さえするのだった。
 事件を象徴するアイテムとして登場する、ゴーギャンの不気味な絵画『死者は見ている』。裸婦の後ろで黒い死神が見守っている構図だが、物語にこれほどあてはまる絵画も、原作には影も形もないのである。
 荒涼とした後味は、向田作品の『阿修羅のごとく』(1979)などにも通じる。
 さて今回の(ボーガス注:フジテレビの)リメイク版『駅路』(2009)だが、出演者に(ボーガス注:内藤武敏の演じた呼野刑事役に)役所広司や(ボーガス注:いしだあゆみの演じた愛人役に)深津絵里など*13の芸達者を配し、時代背景を1980年代に変えてお色直ししているけれど、力不足は否めない(原作者の松本清張がわずかに出演するシーンは、リメイク版では唐十郎が演じていた。オリジナル版を知らない人は、何だ?と思っただろう)。
 『最後の自画像』の力作ぶりを見るにつけ、どうしても点は辛くなってしまう。昭和天皇死去やら何やらの付け足されたシーンがことごとく蛇足にしか見えないことや、オリジナル版の過酷な味わいがなく妙にしみじみとしてしまっているのも残念であった*14
 生前の向田は、自作のシナリオに無粋な改変が施されるのにかなり敏感だったらしいが、もし彼女がこの『駅路』を目にしたらどう思っただろうか。

お気に入りその1695~駅路/最後の自画像 - 鬼平や竹鶴~私のお気に入り~
松本清張向田邦子著「駅路/最後の自画像*15」を読みました。
 AMAZONの内容紹介を引用します。
=====
 なに不自由のない男が家庭を捨て、失踪した。
 追う者と残された女たち…。
 昭和52年、NHKで放送され、平成21年、フジテレビでリメーク*16された名作ドラマ。
 不世出の二人の才気と真髄が刻まれた、空前絶後の共著。
=====
 本書は、前回ブログで書いた「夜中の薔薇」を読んでいる最中に、偶然見つけて購入したものです。
 上気の内容紹介では判りにくいですが、清張の「駅路」をTVドラマ化するにあたり向田が題名を「最後の自画像」に変えて脚本を書きました。
 本書はふたつの作品を一冊にまとめた上、番組制作の経緯について番組プロデューサーの証言を加えたものです。
・向田の脚本「最後の自画像」。
 いくら松本清張から「自由にやりなさい」とお墨付きをもらったにしても、この脚本は自由過ぎ。
 題名を変える、主要人物の生死を変える、松本清張にボケ老人の役をやらせるなど。
 なかなかそこまでできないでしょうに、彼女は実に堂々とやってのけます。
 さすがは向田邦子
・そして特別出演・松本清張
 清張は、自分の小説がドラマ化されるときには作品に出演したがったことを初めて知りました。
 まるでヒッチコックみたいです*17
 ちなみに清張は原作にない登場人物・いしだあゆみの下宿の大家役で出演しています。
 それも妻に恍惚の人呼ばわりされながらも、刑事に事件解明の鍵になる情報を与える、という重要かつ難しい役です。
 巻末の解説によると、ドラマを観た人があまりの名演に清張だと気づかなかったそうです。
 本人もさぞ、やりがいがあったことでしょう。
・脚本の前半は原作に忠実に展開しますが、後半は一転して男の妻と愛人、そして男と愛人の仲介をしていた女という3人の女の心情が中心になり、向田ワールド全開です。
 特に物語における愛人の役割が原作とは天と地ほどに大きく違います。
 散々ネタバレをしましたが、これ以上詳しくは書きません。
 ぜひ清張と向田という大御所の作品を愛人を中心に読み比べていただき、読書の楽しみを堪能していただければと思います。

NHKアーカイブス(番組)|これまでの放送
松本清張ドラマシリーズ》
 “戦後日本の黒い霧”に迫る一方、日常の生活に潜む人間の業や社会問題を一貫して描き続けた作家・松本清張*18
 その松本さんが亡くなって10年を迎えるのを機に、1976年から1978年にかけて放送された「土曜ドラマ」の松本清張シリーズ13本の中から和田勉演出の「天城越え」、「火の記憶」、「最後の自画像」の3本をお送りします。
 松本清張さんを心の師と慕う推理作家の森村誠一さん*19松本清張さんについて様々な角度から熱く語ります。
【一口メモ】
土曜ドラマ松本清張シリーズには毎回、劇中に松本清張さん自身が必ず出演していました。
土曜ドラマ 松本清張シリーズ「天城越え
 85分/1978年(昭和53年)
 大正時代、天城峠でおきた殺人事件。ベテラン刑事と若い刑事の二人が捜査をするが、事件は迷宮入り。
 時は現代、事件当時若かった刑事の回想シーンでドラマは始まる。
 家出をした少年(鶴見辰吾)が天城峠で出会ったのはやさしい娼婦(大谷直子)と自分の過去を閉ざした土工(佐藤慶)。3人で旅をするうちに、やがて少年の一途で純粋な心が…。
 ドラマは、現代と当時を振り返りながら真相を明らかにしていく。
 1978年(昭和53年)芸術祭大賞受賞。
土曜ドラマ 松本清張シリーズ「火の記憶」
 70分/1978年(昭和53年)
 自分の過去を閉ざす一人の青年(高岡健二)。母(秋吉久美子)の17回忌で見つけた1通の手紙から、恋人(秋吉久美子)とともに母の故郷へ、自分と母の過去を捜す旅に出る。ドラマでは、幼い頃見た炎の記憶をたどり、母の意外な事実を知り、過去と葛藤しながら青年の心が開かれていく様が描かれていく。原作も同名、森村誠一さんおすすめの1本。
土曜ドラマ 松本清張シリーズ「最後の自画像」
 70分/1977年(昭和52年)
 ある一人の銀行マン(山内明)が、定年退職した翌日に蒸発*20した。ドラマは、会社人間だった男が、「会社」という居場所を離れるところからはじまる。男はなぜ姿を消したのか…、男の足取りを追ううち、会社一筋で生きながら、ゴーギャンの絵を愛した男の<自画像>が浮かび上がってくる。そして、ドラマは意外な展開をみせる。

 天城越えはむしろ映画(娼婦役が田中裕子)の方が有名ですけどね。
 ちなみにウィキペディアに寄れば土曜ドラマ・清張シリーズは

【1975年】
 「遠い接近」
 「中央流沙」
 「愛の断層」(原作のタイトルは「寒流」)
 「事故」
【1977年】
 「棲息分布」
 「最後の自画像」(原作のタイトルは「駅路」)
 「依頼人
 「たずね人」
【1978年】
 「天城越え
 「虚飾の花園」(原作のタイトルは「獄衣のない女囚」)
 「一年半待て」
 「火の記憶」
【1980年】
 「天才画の女」
【1982年】
 「けものみち
【1983年】
 「波の塔」

でその後も「土曜ドラマ枠」で

【1995年】
 「ゼロの焦点

だそうです。なお、ネタバレになりますが「一年半待て」の元ネタは明らかにアガサ・クリスティ検察側の証人」ですね。いわゆる一事不再理がネタになっています。


【追記その2:向田邦子について】

向田邦子はすごかった: 日本共産党 福島かずえ オフィシャルブログ
 今年(引用者注:2009年)はさまざまな節目の年です。一つが1981年に航空機事故で亡くなった脚本家・向田邦子さんの生誕80年。人柄がしのばれる記事を昔の「赤旗」で見つけました
▼さて、連載記事の最終回。“闘士”であった向田さんは、自分が長い「赤旗」読者だと明かします。「自民党のために書いているわけではない」「せめて『赤旗』にはほめていただきたい」。お会いしたかった人です。
 「しんぶん赤旗」2009年10月6日「潮流」

向田邦子と赤旗 - 福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!
 向田邦子赤旗に書いていた、となにかで読んだことはあったが、その文章をはじめて読んだ。
 昭和51年4月11日から9月19日まで、「赤旗日曜版」に7回エッセイを書いている。これで全てかどうかは知らない。
 題は、「灰皿評論家」「テレビの利用法」「イチスジ」「七不思議」「放送作家」「忘れ得ぬ顔」「あいさつ」。

*1:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席を経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席

*2:駐米大使、外相、国務委員(外交担当)などを経て中国共産党中央外事工領導弁公室主任(中国共産党の外交部門トップ)

*3:共産主義青年団中央書記処第一書記、河南省長・党委員会書記、遼寧省党委員会書記、第一副首相を経て首相(党中央政治局常務委員兼務)

*4:代表作としてNHKドラマ「阿修羅のごとく」、「蛇蝎のごとく」、日本テレビドラマ「パパと呼ばないで」、TBSドラマ「時間ですよ」、「七人の孫」、「寺内貫太郎一家」、NET(現在のテレビ朝日)ドラマ「だいこんの花」など。著書『向田邦子シナリオ集』全6巻(2009年、岩波現代文庫)など

*5:失踪は愛人(いしだあゆみ)との同棲を目的にしていたことが後に分かります。

*6:山内は1921年生まれ、加藤は1922年生まれですので実年齢でもドラマの設定「55歳」と大体同年齢です。

*7:清張原作では愛人は小塚の失踪以前から病死してる(ただし愛人のいとこにだまされて小塚はそれを知らない設定)のですが、ドラマでは「生きている」という設定に改変したことは良かったと思います(当然、いしだの台詞は全てドラマオリジナルです)。「砂の器」も「犯人の父親」は原作では犯行当時既に病死してるのですが、映画では「存命とした」のは良かったと思います(当然、父親・加藤嘉と刑事・丹波哲郎の応答は全て映画オリジナルです)。こうしてみると清張という人は「内容が良くなりさえすれば」原作改変もかまわない人なのだと分かります。

*8:ドラマにおいて「いしだあゆみ吉行和子の存在」が出てきた時点で「小塚失踪後、吉行がヒモと一緒にバーを開店した」という描写も出てくるので、見ているこちらは「吉行が金目当てにヒモと一緒に小塚を殺したのだろう(バーの開店資金は小塚から奪った金)」ということがすぐ想像がつきます。このドラマでは「真面目な堅物人間と思われてた小塚に愛人がいた」というのが最大のサプライズで小塚殺しの犯人捜しはある意味どうでもいい話です。その点は「犯人捜しがある意味どうでも良くなってる」映画「砂の器」と似ています。

*9:加藤はこのNHKドラマ以前からTBS「七人の孫」、「寺内貫太郎一家」、NET(現在のテレビ朝日)「だいこんの花」といった向田ドラマの常連です。

*10:上で俺が書いたうろ覚えの台詞とは大分違いますが、上の記述はそのまんま残しておきます。

*11:著書『松本清張を推理する』(朝日新書)、『短編小説を読もう』(岩波ジュニア新書)、『ことば遊びの楽しみ』(岩波新書)、『消えた男』、『黒い自画像』、『恋する「小倉百人一首」』、『楽しい古事記』、『日本語を書く作法・読む作法』、『やさしいダンテ<神曲>』(以上、角川文庫)、『妖しいクレヨン箱』、『奇妙な昼さがり』、『霧のレクイエム』、『コーヒー党奇談』、『獅子王アレクサンドロス』、『新トロイア物語』、『食べられた男』、『時のカフェテラス』、『ナポレオン狂』、『猫を数えて』、『猫の事件』、『マッチ箱の人生』、『迷い道』、『真夜中の料理人』(以上、講談社文庫)、『松本清張あらかると』(光文社知恵の森文庫)、『愛の墓標』、『いびつな贈り物』(以上、光文社文庫)、『海外短編のテクニック』(集英社新書)、『魚の小骨』、『私のギリシャ神話』(以上、集英社文庫)、『あなたの知らないガリバー旅行記』、『あやかしの声』、『アラビアンナイトを楽しむために』、『イソップを知っていますか』、『おとこ坂おんな坂』、『旧約聖書を知っていますか』、『恐怖同盟』、『ギリシア神話を知っていますか』、『黒い箱』、『源氏物語を知っていますか』、『コーランを知っていますか』、『シェイクスピアを楽しむために』、『新約聖書を知っていますか』、『日曜日の読書』、『花あらし』、『早過ぎた預言者』、『左巻きの時計』、『ホメロスを楽しむために』、『街のアラベスク』(以上、新潮文庫)、『東京ホテル物語』、『不安な録音器』、『夢の宴:私の蕗谷虹児伝』(中公文庫)、『海の挽歌』、『過去を運ぶ足』、『ことばの博物館』、『知らない劇場』、『街の観覧車』、『夜の旅人』(以上、文春文庫)など

*12:これはこのブログ筆者の勘違いで、原作では愛人は病死です。

*13:ちなみに「山内明が演じた小塚=石坂浩二」、「加藤治子が演じた小塚の妻=十朱幸代」、「吉行和子が演じた愛人のいとこ=木村多江」です。

*14:俺もこの感想にほぼ同感ですね。つうか「リメイクがオリジナルを超えること」は滅多にありません。

*15:2009年、新潮社

*16:フジのリメイクは放送時に一寸だけ見ましたがすぐにチャンネルを変えました。呼野を演じた「内藤武敏のイメージ」はいかにも「定年前のオヤジ」なんですが「二枚目イメージの役所広司」じゃねえ(苦笑、演じたときの年齢的には内藤も役所も同じくらいの年齢ですが)。もう少し「おっさんイメージの役者」にしてほしかった。

*17:ヒッチコックカメオ出演は、もともと初期の頃、予算不足のためエキストラを満足に雇えず、やむなく出演していたという単純な理由だった。しかし、ファンが探すようになってしまい、いつの間にか恒例になったものだという。しかし後年はこの「お遊び」があまりに有名になってしまったため、観客が映画に集中できるよう、ヒッチコックはなるべく映画の冒頭に近いところで顔を見せるように心がけていたという(ウィキペディアアルフレッド・ヒッチコック」参照)。

*18:著書『天保図録』(朝日文芸文庫)、『数の風景』、『聞かなかった場所』、『軍師の境遇』、『死の発送』、『小説帝銀事件』、『真贋の森』、『信玄戦旗』、『潜在光景』、『地の指』、『落差』、『乱灯 江戸影絵』(以上、角川文庫)、『熱い絹』、『ガラスの城』、『黄色い風土』、『草の陰刻』、『黒い樹海』(以上、講談社文庫)、『青のある断層』、『生けるパスカル』、『鴎外の婢』、『溺れ谷』、『影の車』、『花実(かじつ)のない森』、『風の視線』、『鬼畜』、『告訴せず』、『混声の森』、『殺人行おくのほそ道』、『雑草群落』、『青春の彷徨』、『象の白い脚』、『分離の時間』、『弱気の蟲』(以上、光文社文庫)、『蒼い描点』、『蒼ざめた礼服』、『隠花の飾り』、『岸田劉生晩景』、『共犯者』、『巨人の磯』、『黒革の手帖』、『状況曲線』、『砂の器』、『憎悪の依頼』、『Dの複合』、『名札のない荷物』、『半生の記』、『迷走地図』、『眼の壁』、『夜光の階段』、『わるいやつら』(以上、新潮文庫)、『砂の審廷:小説東京裁判』(ちくま文庫)、『五十四万石の嘘』、『古代史疑』、『中央流沙』、『ミステリーの系譜』、『野盗伝奇』(以上、中公文庫)、『彩り河』、『かげろう絵図』、『神々の乱心』、『危険な斜面』、『球形の荒野』、『虚線の下絵』、『霧の会議』、『暗い血の旋舞』、『黒の回廊』、『絢爛たる流離』、『昭和史発掘』、『聖獣配列』、『棲息分布』、『高台の家』、『波の塔』、『日本の黒い霧』、『火と汐』、『不安な演奏』、『無宿人別帳』(以上、文春文庫)など

*19:著書『悪魔の飽食』、『悪夢の設計者』、『偽造の太陽』、『青春の証明』、『捜査線上のアリア』、『超高層ホテル殺人事件』、『人間の証明』、『腐蝕の構造』、『むごく静かに殺せ』、『野性の証明』、『歪んだ空白』、『夢の虐殺』(以上、角川文庫)、『ガラスの密室』、『魔少年』(以上、講談社文庫)、『日本アルプス殺人事件』(光文社文庫)、『腐蝕花壇』(新潮文庫)、『殺人の債権』(中公文庫)など

*20:最近は失踪のことをあまり「蒸発」といわない気がします。

今日の中国ニュース(2019年5月17日分)

海峡両岸論 第102号 2019.05.15発行 - 米社会で進行する「チャイナ狩り」 孔子学院が閉鎖、留学生を監視 - | ちきゅう座

 トランプ米政権が、中国政府の中国語教育普及を目指した「孔子学院」を「スパイ活動の拠点」とみなし排除している。この一年半の間に、米政府の資金提供を受けられなくなった全米15大学が、孔子学院を閉鎖した。
 ここ数年、同学院は「中国政府の意向が働き、学問の自由が保障されていない」などの批判が議会やメディアでくすぶっていた。
 そんな「疑惑」に追い打ちをかけたのが、米連邦捜査局(FBI)のレイ*1長官の18年2月の議会証言。孔子学院の一部が親中派の育成やスパイ活動に利用されている疑いがあるとして「捜査対象になった」と発言。それ以来パージの動きが次々に表面化してきた。
 FBI長官証言を受け、ルビオ上院議員共和党)ら対中強硬派の3議員は18年3月、「孔子学院」を「外国代理人登録法」によって登録を義務付け、監視強化する法案を提出した。
 米ウォールストリート・ジャーナルによると、米司法省は18年9月、中国国営新華社通信と中国環球電視網(CGTN)に対し、同法への登録を義務付けると通知した。孔子学院はまだ対象外である。
 「外国代理人登録法」とは何か。1938年ナチス・ドイツの利益を代表するロビイスト活動を封じ込めるために制定された。かつてはナチスを、今回は中国が標的になったと聞けば、今の米国社会で、中国に対する警戒感がいかに高いか想像できるだろう。中国以外では、大統領選への介入疑惑に関連し、ロシアの複数メディアにも登録が義務付けられている。
 米政府主導の排除を鮮明にしたのが、2019年会計年度の国防権限法(18年8月)。国防総省に対し、孔子学院を設立する大学への資金支援の停止を求める条項を盛り込んでいる。
 「ニューズウィーク」(写真中国は想像以上に危険と警告するギングリッチ氏」5月10日号)は、「米国防総省が、孔子学院設置の米大学への語学資金支援を停止へ」と題する記事で(電子版4月30日)注1 は、インディアナ大学ミネソタ大学など、少なくとも全米15大学が孔子学院を一年半の間に閉鎖したと伝えた。
 15大学のひとつ、オレゴン大学の閉鎖声明は、16,17教育年度に国防総省から計380万㌦(約4億1800万円)の中国語教育支援資金を提供されたが、新たに申請した交換留学生資金を含む「340万㌦の支援申請が全て拒否されたため」と説明している。
 同誌は、国防総省報道官のコメントとして「資金提供は国益にならないと判断した」「(孔子学院を設立している大学は)今後、語学支援資金を米国政府から受け取るか、それとも中国から受け取るかの判断を迫られる」と書く。近く新たに3校が閉鎖するという。
 朱建栄*2東洋学園大教授は「孔子学院排除はこれまでは、メディアなど民間での話でした。米政府はむしろ抑えてきたが、ここにきて政府主導に変わったのが特徴。中国側も貿易摩擦だけでなく当面、チャイナ・バッシングが続くとみており、長期戦の構えです」と話す。

 トランプやルビオら共和党連中の反中国は異常としか言い様がないですね。それにしても安倍がどう動くかが気になるところです。岡田氏は「トランプに言われるがままに安倍が私立大への補助金カットの脅しで孔子学院潰しに出てくる可能性はゼロではない」「安倍の支持基盤である反中国右翼が孔子学院を敵視し、『米国を見習って孔子学院を潰せ』と産経などウヨメディアで放言してることも無視できない」と見ていますが、果たしてどうなるか。
 さすがにそこまで無茶苦茶なことは出来ないか。
 まあ、ペマ・ギャルポはもちろん例のI濱女史なんざ、それで「早稲田の孔子学院」が閉鎖されれば大喜びなんでしょう。
 I濱にとっては「反中国>学問の自由」でしょう。
 下手したら「反中国」Mukkeや阿部治平もそうかもしれません。

 孔子学院に警告を発する日本の研究者もいる。佐橋亮*3東京大学東洋文化研究所准教授は次のように書く。
 「リベラルな価値や民主主義にロシア、中国はひそかな挑戦を強めている。~中略~中国も他国の政治家への資金提供やメディア買収、投資、孔子学院設置などを通じて民主主義社会に入り込みつつあり、その振る舞いに国際社会の懸念が強まっている」(共同通信18年6月11日配信「普遍的価値で連携急務」)。

 もちろんこの佐橋某氏、反中国ウヨでしょう。岡田氏も批判していますが、孔子学院をここまで敵視するとは正気じゃないですね。岡田氏は「こうした親トランプ、反中国の学者や評論家などが安倍政権に影響を与える危険性が否定できない」としています。しかし、共同通信もよくもまあこんなあほな文章を掲載するもんです。

・「アメリカ人は危険な外敵に直面していると気づいた時には団結する。そしてみよ!(外敵が)現れた。中国だ。米国と世界秩序にとって経済的、技術的、知的に中国が重大な脅威であることがますます鮮明になってきた」。
 こう書くのは、ニューヨークタイムズのコラムニスト、デイビッド・ブルックス。(「The Newyork Times」電子版19年2月15日)
 米国は伝統的に「敵」がないと生きられないメンタリティを持つ国家・社会である。古くは西部劇における「インディアン」(先住民)。旧ソ連初の人工衛星スプートニク1号」成功で受けたショック後の反ソ・キャンペーン。1980年代の日本バッシング(叩き)に「9-11」後のイスラム過激派。
 「敵」を挙げればきりはない。そして今は中国を「敵」とみなす空気が、米社会の隅々に浸透している。
・「チャイナ狩り」一色に染まっているように見えるアメリカだが、すべて「右へ倣え」ではない。「権力監視」と「自己再生」を政権に促す役割を維持しているメディア、識者は健在だ。先に紹介したNYタイムズブルックスは、含蓄のある提言でコラムを括っている。「もし中国がわれわれに対して『他者』だとするなら、その『われわれ』とは何者なのか? 中国がリベラルな国際秩序に対する脅威であるなら、われわれが自分たちのシステムを改善して、挑戦に立ち向かう能力はあるだろうか」
 異質と思われる他者と向き合うときは、「自分の足元の秩序の正当性」を問い返すべきだと言っているのだ。至極まっとうな主張だと思う。米中対立が激しさを増し「米国か中国か」の二択論にはまりがちなメディアが多いが、自分のポジションを相対的に見つめるメディアと識者がきちんと発言するところに、米社会の健全さがある。

 岡田氏の言うように、良識派の批判によって、マッカーシー赤狩り終結したように「良識派の批判で、現在の米国での異常な反中国が終わる日が来る」、そう思いたいところです。


リベラル21 競馬から社会変化に至るまで、近未来予測は当たらない

 私はまもなく80歳になるが、今までの人生をふりかえって、もっとも強烈なショックを受けたのは、1989年の東欧の動揺から91年のソ連崩壊までの社会主義世界体制の消滅である。これは全く思いもよらないできごとであった。

 「思いも寄らぬ」つうのが一体いつの時点のことなのかが気になるところです。まあゴルバチョフ登場前だったら「思いも寄らぬ」でしょうが、彼の登場後なら「予想の範囲内」ではないか。

 社会主義諸国の一般大衆と痛みを共にするという観点で、一連の分析を行ったのは『短い20世紀の総括—「討論」回転した世界史を読む』(教育史料出版会1992年)であった(以下『討論』という)。私はこれに敬意を表した。
 『討論』に参加したのは、田口富久治(1931~)・山川暁夫(1927~2000・2)・加藤哲郎(1947~)・稲子恒夫(1927~ 2011・8)の4氏で、まとめ役は有田芳生*4(1952~)であった。いずれも政治学*5・ジャーナリズム*6歴史学*7・法学*8マルクス主義理論家で、そこでは参加者がおのおのの理論を引っさげて、1917年10月革命から91年夏のソ連崩壊に至るまでの「短い20世紀」を厳密に分析し、社会主義体制崩壊の必然性を解明しようとしていた。
 ところが、体制崩壊後の「新しい世界の枠組み」、つまりソ連圏なき世界の近未来はどんなものになるかを論じる段になると、『討論』からは理論家の印象は消え、競馬や株価の予想屋とあまり違わないレベルになった。
『討論』の「21世紀がどうなるか」という項をみると、社会主義体制崩壊後の世界の近未来に関して、参加者の一人が当時世上に現れた以下四つの想定を紹介している。
1、アメリカの一人勝ち=パックス・アメリカーナが継続する。
2、米・日・EC(現在のEU)の三極体制、あるいは軍事的にはアメリカ一極で、経済的には三極となる。
3、日米を基軸としたジャパメリカ体制。
4、ECの強化拡大を基軸とした体制。
 おわかりのように、この4項目はどれもほぼ「はずれ」である。以下の議論は「あと知恵だ」といわれそうだが、あえて言う。
さきの予測からは、いずれも中国の存在と日本のバブル経済崩壊がすっぽり抜け落ちている。これが検討されなかったのは、『討論』の時期から見て無理からぬことのように思われるが、そうではない。

 阿部が名前を挙げてるメンツは

■田口富久治(1931~)
 名古屋大学名誉教授(政治学)。
 著書『解放と自己実現政治学』(1995年、近代文芸社)、『戦後日本政治学史』(2001年、東京大学出版会)、『丸山眞男マルクスのはざまで』(2005年、日本経済評論社)など。
■山川暁夫(1927~2000・2)
 政治評論家(別名義として「川端治」)。いわゆる新日和見主義事件で日本共産党を離党。 1975年に、月2回の雑誌「インサイダー」を創刊し、編集長に就任するが、1980年2月には、編集長の地位は、高野孟*9が引き継ぐこととなる。
 著書『国権と民権』(2001年、緑風出版)など。
加藤哲郎(1947~)
 一橋大学名誉教授(政治学)。
 著書『国境を越えるユートピア国民国家のエルゴロジー』(2002年、平凡社ライブラリー)、『象徴天皇制の起源:アメリカの心理戦「日本計画」』(2005年、平凡社新書)、『情報戦と現代史』、『情報戦の時代』(以上、2007年、花伝社)、『ワイマール期ベルリンの日本人』(2008年、岩波書店)、『日本の社会主義:原爆反対・原発推進の論理』(2013年、岩波現代全書)、『ゾルゲ事件』(2014年、平凡社新書)、『「飽食した悪魔」の戦後:七三一部隊と二木秀雄『政界ジープ』』(2017年、花伝社)、『731部隊と戦後日本』(2018年、花伝社)など。
■稲子恒夫(1927~ 2011・8)
 名古屋大学名誉教授(法学)。元名古屋大学法学部長。
 著書『ソビエト法入門』(共著、1965年、法律文化社)、『ロシア革命』(1981年、教育社歴史新書)、『ロシアの20世紀』(編著、2007年、東洋書店)など。

です(ウィキペディア参照)。
 なぜ、阿部が「外れ」というかといえば、阿部も指摘していますが「中国が世界の大国として登場した」からです。しかし1992年時点でそれを予測したらそれこそ「神か超能力者の世界」でしょう。中国の大国化が検討されなかったのは「無理からぬことではない(当時においても検討すべきだった)」どころか「無理からぬこと」です(まあ対談のメンツに経済学者や中国専門家がいないというのも大きいのでしょうが)。
 「1980年代から改革開放をトウ小平はすすめ、1990年代に一定の成果があった。2000年代以降の大国化を1992年時点で認識すべき(阿部)」て言いがかりも甚だしいでしょう。

 中国が1990年代から2010年まで急成長を遂げ、その間に経済力では日本を追い越し、人工頭脳などの分野で世界に抜きんでることなど想像もつかなかった

 「お前が想像つかないのに有田芳生氏らには『なぜ中国について論じない』て因縁つけるのかよ!。お前、本当に馬鹿でくずだな!。お前の駄文を喜んで掲載するリベラル21も本当にバカで(以下略)」ですね。
 それにしても「人工頭脳などの分野で世界に抜きんでる中国」て阿部は現在基本的に、理数系の学問振興と政治体制・民主主義の程度は関係ないと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)という立場なのか。どうもこのあたり「中国の科学技術力をどう評価するか」阿部も言ってることが混乱してる気がします。年をとってもうろくしてるのか、阿部の「反中国」が発言を支離滅裂にするのか。

 理論家やジャーナリストは過去をいかようにでも解釈する。だが、われわれ同様、先のことなどわからない、なるようにしかならない存在である。

 「はあ?」ですね。こんなぼやきが「私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民のメディア、リベラル21を創った」と何の関係があるのか。
 阿部が自ブログに書くなら分かりますがこんな駄文を恭しく掲載するリベラル21の脳みそが理解できません。

*1:ブッシュ父政権司法次官補などを経て現在FBI長官

*2:著書『江沢民の中国』(1994年、中公新書)、『朱鎔基の中国改革』(1998年、PHP新書)、『毛沢東ベトナム戦争』(2001年、東京大学出版会)、『毛沢東朝鮮戦争』(2004年、岩波現代文庫)、『胡錦濤 日本戦略の本音』(2005年、角川学芸出版)、『中国外交:苦難と超克の100年』(2012年、PHP研究所)など

*3:著書『共存の模索:アメリカと「二つの中国」の冷戦史』(2015年、勁草書房)など

*4:現在、参院議員(立民党)。著書『歌屋 都はるみ』(1997年、文春文庫)、『テレサ・テン十年目の真実:私の家は山の向こう』(2007年、文春文庫)、『何が来たって驚かねえ!:大震災の現場を歩く』(2012年、駿河台出版社)、『ヘイトスピーチとたたかう!:日本版排外主義批判』(2013年、岩波書店)、『50分でわかる!立憲民主』(編著、2019年、弓立社新書)など

*5:おそらく田口氏のこと

*6:おそらく山川氏のこと

*7:おそらく加藤氏のことでしょうが、彼は「歴史研究」にウェイトがかかってるとは言え、田口氏と同じ「政治学」でしょう。

*8:おそらく稲子氏のこと。

*9:著書『最新・世界地図の読み方』(1999年、講談社現代新書)、『滅びゆくアメリカ帝国』(2006年、にんげん出版)、『原発ゼロ社会への道程』(2012年、書肆パンセ)、『沖縄に海兵隊はいらない!』(2012年、モナド新書)など

野原燐、黒井文太郎に突っ込む(2019年5月17日分)

■野原のツイートに突っ込む

野原燐
(ボーガス注:例の維新議員の暴言に対し「批判した元島民の方こそ北方領土を本気で取り返す気があるのか」「島民の本気が見えない」と悪口した某ネトウヨのツイートに対し)島民が本気になれば奪還はできるというのか?。その方法を詳細に提示せよ!。無責任な発言は許さない。

 野原には呆れて二の句が継げません。
 「日本が10万人脱北者を受け入れれば、北朝鮮は崩壊する」と過去に放言した野原がよくもこんなことがいえたもんです。
 俺が

・日本のどこに10万人脱北者を受け入れるのか?。その方法を詳細に提示せよ!。無責任な発言は許さない。

と野原に突っ込んだら「どこに受け入れるのかまともに説明が出来ず」、「すっとぼけて無視した」くせに良くもこんなことが言えたもんです。野原は恥知らずでクズにもほどがある。
 なお、これは「例の維新議員」を擁護してるわけではもちろんありません。
 朝鮮日報に寄れば「他人がやれば不倫、自分がやればラブロマンス(自分のデタラメ発言は詭弁で居直るが、他人のデタラメ発言は恥知らずにも非難することのたとえ)」という言葉が韓国にはあるそうですが、まさに野原の日頃の言動こそがそれに該当すると言えるでしょう。
 「俺の『脱北者10万人受け入れ発言』は無責任ではないが、維新議員の『島奪還の戦争発言』は無責任(野原)」て、野原のようなバカでなければ恥ずかしくて言えない珍論です。

黒井文太郎*1
‏ 日本では1人だけかもしれない僕の意見。イラク戦争は米国の大失敗だったが、暴政の独裁者サダムの排除自体は正しい。
 「外国は手を引け」と大合唱するより、「もっと上手くやれ」という方向に議論が行けばよかったのに、と思う。今、僕らの世界は、暴政独裁者*2の虐殺を、みんなが傍観している

 でこの黒井ツイート「我々は米国の軍事行為を世界の警察官として応援すべきだったんや*3。そうすればワシが大嫌いなアサド政権は今頃なくなってた」に対する野原のリツイート。黒井のツイートもひどいですが俺的には「野原も酷いなあ」ですね。

野原
 サダムの排除自体は正しい。と黒井氏は言うのだが、そんなことは(ボーガス注:ない?)だろう。サダム・フセイン金正恩よりは1ランクマシではないか。

 うーん、これは「金正恩ならイラク戦争のような形で打倒してオッケー」つうことかしら。もしそうなら野原君も物騒な親父やね。
 俺そういう物騒な立場じゃない*4から、野原君が俺のことを「北朝鮮シンパ扱いする」のも分かる気がするわ。
 それにしても「サダム・フセイン金正恩よりは1ランクマシ」の根拠は何なのかしら?
 しかし「北方領土を取り消すために戦争すべきなんて維新議員の暴言は許せない、そんなことはできるわけがない」つう野原君が「北朝鮮は軍事攻撃して政権転覆していい」。もう野原君のいうてることがマジで分からんわ。どういう理屈や。

野原燐がリツイート
・Kazuto Suzuki
‏ イランによるフーシ派への武器輸出が安保理決議違反であり、アメリカのサウジへの武器輸出が安保理決議違反ではないというのは、物事の一側面でしかないと思います。アメリカがイランによるフーシ派支援を非難するなら、同等にアメリカのサウジへの支援が批判されるべきだと考えています。

 その理屈なら「北朝鮮の核開発、ミサイル開発が安保理決議違反」であり「米国の核開発、ミサイル開発が安保理決議違反でない」「インドやパキスタンの核開発が安保理決議違反でない」つうのも「物事の一側面でしかない」のと違うの?。「北朝鮮の核開発、ミサイル開発を非難する」なら「米国の核開発、ミサイル開発&インド、パキスタンの核開発も非難すべき」と違うの?
 「何でワシばっか核開発やミサイル開発が非難されるんや、ダブスタやないか」つう北朝鮮の主張は一理あるのと違うの?
 でもそんなことを「アンチ北朝鮮のウヨ」野原君が言うてた記憶ないんやけど。何つうか野原君っていうてる事デタラメやし、アンチ北朝鮮が異常なレベルやね。

*1:著書『イスラムのテロリスト』(2001年、講談社プラスアルファ新書)、『北朝鮮に備える軍事学』(2006年、講談社プラスアルファ新書)、『ビンラディン抹殺指令』(2011年、洋泉社新書y)、『イスラム国の正体』(2014年、ベスト新書)、『イスラム国「世界同時テロ」』(2016年、ベスト新書)など

*2:おそらく、黒井が悪口雑言するシリアのアサド政権のこと

*3:黒井が「俺の意見って少数派なんやろう」と自覚してることが笑えます。とはいえ、ウヨ方面には「黒井ほど堂々と公言せずとも」内心こう思ってる野郎は結構いそうな気がしますが。そもそも本気で少数派と黒井が思ってるなら世間の反発が怖くて名出しでこんな公言できないでしょうし、例の維新の馬鹿議員の発言も「あいつがバカだから」「飲酒でバカに拍車がかかった」とはいえ、黒井的な考えの持ち主が結構いることの傍証でしょう。

*4:つうか中国やロシアがそんなもん支持しないでしょうよ。中国やロシアの非難を無視して米国が軍事攻撃できるとかすべきとか野原は思ってるのか。

今日の産経ニュース&中国ニュース(2019年5月16日分)

「 玉城沖縄県知事の中国おもねり外交 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト

 沖縄県知事玉城デニー氏が4月18日、沖縄県を「一帯一路」の中で「活用してほしい」と、中国副首相の胡春華*1に要請したそうだ。

 おいおいですね。よしこは「山梨県知事、岐阜県知事、高知県知事」が二階*2訪中団の一員として、訪中し「一帯一路ウエルカム」といったことや「山梨県知事(元自民党代議士)、高知県知事(現在、安倍政権の審議会「教育再生実行会議」委員)が自民党系であること」を知らないのか。
 山梨、岐阜、高知県知事が「一帯一路ウエルカム」なら容認して、沖縄県知事が「一帯一路ウエルカム」なら誹謗とはデタラメにもほどがあります。
 というか二階訪中で分かるように安倍政権自体が「一帯一路ウエルカムの方向」なのによしこは何を馬鹿なことを言ってるのか。
 安倍が李克強*3首相の北海道訪問に「異例の同行」をしたことをいつまで無視し続ければ気が済むのか。

 安倍首相は日本も一帯一路に協力していこうと言ったが、前提として各プロジェクトについて透明性、開放性、経済性、対象国の財政健全性が担保されなければならないとした。右の4条件が満たされるなら、日本企業がプロジェクトに参入してはならない理由はなくなる。だが、現実には中国がこれらの条件を満たすのは至難の業であろう。玉城氏の中国副首相への要請は、日本政府が国家戦略として厳しい条件をつけて一帯一路を警戒しているときに、直接外国政府に働きかけることで自国政府の外交方針に逆行するものだ。

 よしこらしい詭弁です。
 「安倍総理は参加に当たって透明性、開放性、経済性、対象国の財政健全性の4条件を提示しました」「4条件は実現困難な高いハードルです」「だから安倍総理は一帯一路には事実上参加してないのです」。
 なるほど「安倍信心(安倍総理のやることは常に正しい)」と「一帯一路に日本は参加すべきでない」を両立させるためにはそういう詭弁を吐かざるを得ないのでしょう。おそらくよしこですら本心では全くこんなことは信じておらず「安倍の裏切り」に怒り心頭でしょうが。

 中国の巨額融資を受けて借金返済が滞り、港や土地を奪われるリスクについて記者が問うたのに対して玉城氏は、「『情報収集しながら、どう関わっていけるか模索していく』と積極姿勢を示」した(「琉球新報」)。

 玉城発言は「ご指摘のようなリスクはもしかしたらあるかもしれないがだからといって一帯一路から完全に距離を置くのはデメリットしかない」という当たり前の発言でしかありません。

 台湾への軍事力行使を習近平氏は否定しない。

 ただしそれは「台湾が独立宣言すれば」という条件付きです。一方で習氏は「香港やマカオのような一国二制度で平和的に台湾を統一するのが最善」ともいっています。

 台湾が中国の手に落ちれば、次に危ないのは沖縄である。

 デマも大概にしてほしい。中国が領土扱いしてる台湾と「そうでない沖縄」とでは全然違います。

 驚くのは中国がジブチに建設したアフリカ最大規模の自由貿易区と物流センターだ。建設費は35億ドル(約3850億円)、ジブチにとって如何に深刻な債務であるかはジブチのGDPが20億ドル(約2200億円)だと知れば十分であろう。

 余計なお世話ですね。ジブチが「それでもメリットがある」と判断しただけの話です。

【参考:沖縄県知事の訪中】

「一帯一路、沖縄活用を」 知事、訪中時に提案 中国副首相も賛同 定例会見で明言 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
 玉城デニー知事は26日の定例記者会見で、河野洋平*4元外相が会長を務める日本国際貿易促進協会の訪中団の一員として16~19日に訪中した際、面談した胡春華副首相に対し「中国政府の提唱する広域経済圏構想『一帯一路』に関する日本の出入り口として沖縄を活用してほしい」と提案したことを明らかにした。胡副首相は「沖縄を活用することに賛同する」と述べたという。


【参考:山梨、岐阜、高知県知事の訪中】

三日月知事が二階氏らと訪中へ 自民系とフォーラムに出席:滋賀:中日新聞(CHUNICHI Web)
 三日月大造*5知事は二十四日から二十八日までの日程で、中国・北京市を訪問する。自民党二階俊博幹事長が団長を務める訪中団の団員として、中国政府主催の「第二回一帯一路国際協力サミットフォーラム」に出席する。県は近く、知事の現地での行程を発表する。
 関係者によると、二階幹事長からの誘いで、滋賀、山梨、高知の三県の知事らが参加する。三日月知事は二十五日のフォーラムの貿易分科会と、二十六日の全体会議に出席する。二十七日には、清華大で同大学長と三県の知事で、地域間交流の推進をテーマに意見交換する。その後、日本大使館での日本産品の発信イベントに参加し、地酒や近江米のおにぎりなどを振る舞って滋賀の魅力をPRする。

山梨知事、あすから訪中 県産品や観光などPR - 産経ニュース
 長崎幸太郎知事は23日、25日から4日間の日程で北京を訪れると定例記者会見で発表した。現地の国際会議に出席するとともに、日本大使館で県内観光地や県産品のPRなどを行う。
 県国際観光交流課などによると、知事は自民党二階俊博幹事長が団長の訪中団の一員として訪問。25日に調理ロボットを使う市内の先進企業を視察。26日に第2回「一帯一路」国際協力ハイレベルフォーラムに全国自治体の代表として高知県尾崎正直知事らと出席する。
 27日は、清華大を訪問した後、大使公邸で開かれるイベントに県のブースを出し、中国のメディア、飲食事業らに県産ワインや観光地をアピールする。
 長崎知事は会見で「中国訪問を通じて県産品の輸出やインバウンドの拡大を図りたい」と述べた。

山梨県知事、再び訪中へ「日中関係は完全な正常軌道」 - 産経ニュース
 山梨県長崎幸太郎知事は15日の記者会見で、25~26日の日程で中国・大連を訪問し、文化や観光面での交流を行うと発表した。
 かつて自民党二階派衆院議員だった長崎知事は、4月に二階俊博幹事長が団長の訪中団の一員として中国を訪れ、「一帯一路」国際協力ハイレベルフォーラムに出席するなどしたばかり。
 長崎知事は「日中関係は完全な正常軌道に戻ったというのが、安倍首相をはじめとする日本政府も含めて日本国共通のパースペクティブ(遠近感)だ」との認識を示した。
 さらに「(中国は)さまざまな商売の機会を提供してくれる地域でもあるので、関係は大切にしていきたい。政治家の使命はいかに国際関係を安定化させ、わが国や住民の利益を高めるかだ」と述べ、交流を深める考えを表明した。

外遊は、遊びではない | NHKニュース
自民党二階俊博幹事長は4月24日から6日間の日程で中国を訪問した。
・今回は、高知、滋賀、山梨の県知事も同行。それぞれ地元の特産品などをPRするイベントを開催。
・以前ロシアを訪れた際、マグロの解体ショーを企画した二階氏は、今回、高知県のカツオを生かした。
 束にしたわらに火をつけて表面をあぶる「かつおのたたき」を披露され、激しく燃え上がる炎とかつおの味は現地の人たちの心をつかんだようだ。

「一帯一路」サミット出席の高知・滋賀・山梨県知事、協力に期待_中国国際放送局
 第2回「一帯一路」国際協力サミットフォーラムが閉幕した27日、日本の首相特使としてサミットに参加した二階俊博自民党幹事長と共に北京を訪れていた高知、滋賀、山梨三県の知事がCRIのインタビューに応えました。県知事たちは、「一帯一路」イニシアティブがもたらす中国と日本、および「一帯一路」沿線諸国との交流のチャンスに期待を寄せました。
 高知県尾崎正直知事は「『一帯一路』は世界各国がウィンウィンの関係を築く、素晴らしい考え方だ。このプラットフォームでは、バイラテラルな関係だけでなく、世界各国とのマルチな交流もできる」とした上で、習近平*6国家主席が開幕式で行った基調演説については、「債務の持続可能性、さらにグリーン投資の着実な推進、国際ルールの遵守にも言及しており、この構想への協力を考える国は増えるだろうと感じた」と話しました。また、高知県安徽省が友好交流を始めて今年で25周年であることに触れ、「これにあわせて様々な連携をし、地方の大学との連携も深めたい」と、中国との地方交流への意欲を示しました。
 滋賀県三日月大造知事は、(中略)「滋賀県も国連が提唱する『持続可能な開発目標(SDGs)』を追求している。この開発目標も、近江商人の心得である『三方良し』(「売り手良し」「買い手良し 」「世間良し」の意)も、『一帯一路』の精神ととても合うと思っている。習主席は基調演説で、グリーン投資と持続可能性を訴え、未来を見据えると同時に、アジアや世界とのつながりを重視する姿勢を見せている。世界の平和や繁栄のために『一帯一路』で貢献していこうという壮大な構想を直接聞かせてもらい、滋賀県としてもこれから直接かかわっていきたいと考えている」と感想を述べました。
 滋賀県は、35年前から湖南省との友好提携を結んでいます。三日月知事は中国との地方交流について、「未来に向けた種撒きとしての青少年交流など、湖南省をはじめとする中国の地方との交流を深めていきたい」との意気込みを語りました。
 山梨県長崎幸太郎知事は、在中国日本大使館で行われた観光PRイベントにおいて、ブドウがシルクロードを通って山梨に伝来したという例を挙げ、「山梨は中国からやって来たものの終着点」として、「中国の皆さんには、『一帯一路』の始まりから、一番東の果ての山梨県に、ぜひ来てほしい」と呼びかけました。その上で、「観光だけでなく、人的交流も進め、そして山梨のワインをはじめとする様々な製品で中国の皆さんのクオリティオブライフを向上させていく。『一帯一路』沿線の皆さんにも届けたい」と語りました。
 さらに、「一帯一路」イニシアティブについて、「中国が開かれて、多くの国と共存共栄を図るプラットフォームを提供するということであれば、日本としても、山梨県としてもありがたい話だ。習主席の提示する方針に基づいて、多くの国が協力をしていけば、世界はもっと平和になると確信している」と示しました。


【参考:富山県、愛知県知事の訪中】

日中関係好転で「ウィンウィン」へ=富山県知事_中国国際放送局
 北京で行われている第2回「一帯一路」国際協力サミットフォーラムで25日、「地方協力」に関する分科会が行われました。パネラーを務めた富山県石井隆一*7知事は「富山県と中国との経済・文化・観光交流」と題したスピーチを行い、「一帯一路」イニシアティブを踏まえた上、中国とのウィンウィン関係の構築を訴えました。
 石井知事は、これに先立ってCRIの取材に応じ、習近平主席が提唱した「一帯一路」について「自らの発展を、世界の発展に結び付けていきたいという中国の考え方で、大変大きな構想で素晴らしいと思う」と述べました。その上で「日中関係はここ1、2年で非常によくなってきているので、この勢いをうまく『一帯一路』の考え方につなげて、中国と日本、中国と富山県が一緒に発展していくウィンウィンの関係にしていきたい」と展望しました。
 また、石井知事の来訪に合わせて、北京市内の「798アートエリア」で「とやま伝統工芸PR展示会」が開催されました。7つの産地から計21社、およそ120点の富山県の伝統工芸品が展示されたほか、高岡市の銅器や漆器の職人、螺鈿細工も駆けつけ、ワークショックを行いました。
 富山県は、中日国交正常化に尽力した松村謙三氏の故郷で、1984年に遼寧省と友好関係を結んでいます。現在は大連や上海とを結ぶへの直行便があり、石井知事は地域交流を更に活性化するために便数の拡大を求めて両国に働きかけているということです。

日中間の交流の活性化に貢献したい~富山県の石井隆一知事に聞く_中国国際放送局
 今回は先週、出張で北京にお見えの富山県石井隆一知事にお話を伺います。
 知事就任後、今回で12回目の訪中となる石井知事。訪問の目的は第2回「一帯一路」国際協力サミットフォーラムの公式行事として開かれる「地方協力」分科会の出席に、北京で富山の伝統工芸をPRするイベントの開催です。
 訪中に寄せた期待や、富山ご当地の魅力をめぐりお話を伺いました。
■記者
 石井知事にとって、今回は何回目の中国訪問ですか。
■知事
 知事就任以来、今回で通算12回目になります。
■記者
 今回の北京訪問を決めた理由は?
■知事
 今回は、中国人民対外友好協会、そして中日友好協会から招待状をいただき、4月25日から始まる“第2回「一帯一路」国際協力サミットフォーラム・地方協力分科会”に参加させていただくことになりまして、北京へまいりました。
 分科会では、私は「富山県と中国との経済・文化・観光交流」について発表を行います。また、「一帯一路」に関連する各国の重要都市や省の幹部などもいらっしゃると伺っておりますので、今後の交流の拡大等について、意見交換をさせていただきたいと考えております。
■記者
 今回は、石井知事の来訪に合わせて、「とやま伝統工芸PR展示会in北京」も開催されているようですね。
■知事
 展示会は4月21~25日、北京の798芸術区にある上座家具798店において、7つの産地21社約120点の富山県を代表する、能作、モメンタムファクトリーオリイ、四津川製作所、天野漆器さんなどの伝統工芸品を展示しているほか、富山県の新進気鋭の若手の職人にもご参加いただき、高岡銅器職人の折井氏による銅器の着色や高岡漆器職人の武蔵川氏の螺鈿細工の実演、ワークショップも開催していただきました。
■記者
 石井知事は富山生まれの富山育ちのようですが、故郷の誇れるものについて、ご紹介お願いいたします。
■知事
 立山黒部アルペンルート世界遺産五箇山合掌造りは「ミシュラングリーンガイド」でも高く評価されており、ぜひ、中国の方々にお越しいただきたいと思っています。
■記者
 富山産米は最近、中国でも食べられるようになったと聞きましたが。
■知事
 農産物では、2017年から中国へ富山県コシヒカリが輸出され始めたほか、パックご飯も輸出されており、中国でも美味しい富山米を食べていただけるようになりました。
 また、富山には、名水の湧き水や北アルプスからのきれいな水を仕込みに使用した美味しい日本酒の地酒もありますので、中国の皆さんに是非味わってほしいと思っています。
■記者
 富山は古くから工芸の栄える県として知られていますが、ものづくりの伝統が今もしっかり生かされているようですね。
■知事
 現在、富山県から中国へ298事業所110社の企業が進出をしており、活発なビジネス交流が行われています。YKKや不二越コマツNTCなどが進出しています。
 また、本県の優れたものづくり技術や製品を国内外に発信し、県内企業の販路開拓を図るため、2年に1回、「富山県ものづくり総合見本市」という地方都市では最大規模の国際見本市を開催しています。前回は、2017年10月26日から3日間、富山産業展示館(テクノホール)新展示場のオープニングイベントとして開催し、中国国内からは103社・団体に出展いただきました。
 次回の見本市は2019年10月31日(木)~11月2日(土)に開催することとしており、中国から多くの企業に、参加いただきたいと考えております。
■記者
 最後に、富山県と中国との地方交流に寄せる期待をお聞かせください。
■知事
 富山県は、日中友好にその生涯を捧げられた故松村謙三*8先生のふるさとであり、遼寧省雲南省上海市など中国との交流を早くから積み重ねております。特に遼寧省とは、今年度で、友好交流協定書締結35周年を迎えることとなりました。富山県は私が知事になりましてからも、遼寧省とは地道に経済、文化、観光、環境協力など幅広い分野での交流・協力を展開してまいりました。
 これからも、今までの中国との交流の実績を財産としながら、各分野での交流を継続、発展し、日中間の交流の活性化につながるよう貢献してまいりたいと考えております。

愛知県知事、12日から中国訪問 新都市視察など :日本経済新聞
 愛知県の大村秀章知事は12日から6日間、中国を訪問する。国家主導で開発が進む北京郊外の新都市「雄安新区」を視察するほか、大学、航空会社などを訪問。今後の経済連携策を検討するほか、中国からの航空便誘致などを目指す。
 雄安新区は中国のIT(情報技術)関連の企業や研究機関が集積し、自動運転技術などの研究が進んでいる。大村知事は7日の記者会見で「世界最先端の実証実験を視察し、地域活性化策を幅広く検討する」と述べた。

広東省と友好提携、39年ぶり3地域目 愛知県 :日本経済新聞
 愛知県は13日、中国の広東省と友好提携を結ぶことで合意したと発表した。2013年11月に友好交流と協力関係に関する覚書を結んでいたが、友好提携を結ぶことで関係をさらに強化する。愛知県が友好提携を新たに結ぶのはオーストラリアのビクトリア州、中国の江蘇省に続いて3地域目で、39年ぶりとなる。
 16日に締結式を開く。経済貿易、先端製造、科学技術イノベーション、文化観光、教育などの分野で交流と協力を推進する。大村秀章知事は「交流をさらに深化させ、関係強化、相互発展を図っていく」とのコメントを発表した。


【参考:青森県と中国】

<奥凱航空>青森−天津 冬期は週4便に増便 中国からの客足好調 | 河北新報オンラインニュース
・奥凱(オーケー)航空(中国)は24日、青森-中国・天津の定期便を28日から3月30日まで、現在の週2便から週4便に増便すると発表した。
・増便は、青森県が力を入れる冬季の訪日外国人の誘客に弾みがつきそうだ。
青森県三村申吾知事は「中国人観光客の増加による一層の経済効果を期待する」とのコメントを出した。

<あおもり点検 三村県政16年>(3)観光/訪日客 地域振興のてこ | 河北新報オンラインニュース
・今や行政による観光政策、地域振興の成否を握るとも言えるインバウンドの分野で、青森県は勝ち組だ。
・三村知事は海路、空路でも訪れやすくする「立体観光」を掲げ、中国、台湾、香港、韓国を毎年訪問。トップセールスで青森-中国・天津線の開設、青森-ソウル線の増便に結び付けた。
・青森では中国・天津の直行便誘致でインバウンドが飛躍的に増加した。


【産経抄】5月16日 - 産経ニュース

「トラ大臣」と呼ばれた泉山三六は、若い頃から酒癖が悪かった。三井銀行の若手行員時代、職務質問に腹を立てて警察官を殴り飛ばし、留置場で夜を明かしたこともある。
▼昭和22年4月の総選挙で初当選すると、翌年吉田内閣で大蔵大臣に抜擢(ばってき)*9された。それからわずか2カ月後、「世界の議会史上曾(かつ)て聞かざる珍事」(時事新報)を引き起こす。国会内で、泥酔した泉山は女性議員に抱きついてキスを迫り、抵抗されるとあごにかみついた。醜態の後眠りこけた泉山は、蔵相の要職とともに、議員の職も失った。

 この泉山の事件は次のようなもんです。ちなみに泉山の後任大臣が池田勇人*10です。

■国会キス事件(ウィキペディア参照)
・1948年12月13日に泉山三六・吉田内閣大蔵大臣が泥酔により、他党の女性議員の手を握ったり抱きついたりしたため蔵相と衆院議員を辞職した事件。
・泉山蔵相は、参議院食堂に大蔵委員を招いて会食、酒を飲み過ぎ議場脇のソファに酔いつぶれた。そのため法案説明に塚田十一郎*11大蔵政務次官が代わって立ったが、この泥酔を目撃した野党側は抗議し、一斉に議場から退席。さらに泉山蔵相が食堂で民主党*12の山下春江*13議員に抱きついたり、廊下で日本社会党の松尾トシ子*14議員の手を握ったことが分かり、野党は懲罰動議を出した。
 慌てた政府と与党・民主自由党*15は泉山蔵相をたたき起こし深夜の永田町をドライブして酔いを醒まそうとし、さらに国会の医務室で酔い覚ましの注射を打ってベッドに寝かせつけた。
 その間に、野党婦人議員は院内粛清を決議、民主自由党役員会でも泉山除名論が出た。
 明けて12月14日4時、政府は院内で緊急閣議を開き泉山蔵相の辞任を決定、泉山蔵相は吉田茂首相を訪ね進退伺を出した。
 衆院懲罰委員会で山下議員は「口にすることも出来ないような行動に出た。逃げようともがいて左アゴに噛み付かれた」、また松尾議員は「30秒ぐらい握って離さないので、振り放して逃げた」と証言した。泉山蔵相は午後には衆議院議員辞職届を提出した。
 この事件を受けて日本社会党の戸叶里子*16議員らが議場内粛正に関する決議を衆議院本決議に提出し、12月22日に全会一致で可決された。
 しかし、この一件で「大トラ大臣」として知名度が上がった事が功を奏してか、かえって一般人気は高まったと見え、1950年の第2回参議院議員通常選挙では全国区から立候補し、当選。以後、参議院議員を2期12年務めた(ボーガス注:とはいえ二度と閣僚にはなれないわけですが)。

 しかし「蔵相(財務相)の飲酒トラブル」といえば、思い出すのは「麻生*17内閣財務相だった中川昭一*18の飲酒酩酊記者会見(中川は財務相引責辞任し、後に選挙も落選。失意のウチに病死)」ですね。産経にとっては思い出したくもない事件でしょうが。
 しかし泉山や中川レベルだともはや「酒癖が悪い」というより「アルコール依存症」の疑いすらあるでしょう。

【参考:中川の酒癖の悪さ】

中川昭一ウィキペディア参照)
■飲酒にまつわる逸話
第42回衆議院議員総選挙(2000年)での当選時、選挙事務所で酒に酔い、ふらふらとしながら万歳三唱している姿が放映された。また、だるまに目を入れる際には、墨の塗り過ぎから黒い涙のようにしてしまい、周囲を慌てさせた。
・2004年(平成16年)の内閣改造時、経済産業大臣からの離任会見後に外部で飲酒していたが、同職に再任されたことを知って慌てて官邸に戻った中川は、酔ったまま初閣議に臨んだ。
・2005年(平成17年)夏、十勝管内本別町で行われた後援会パーティーに、中川は酩酊状態で登場した。呂律が回らないため、10分間を予定されていた挨拶は数分間で終了し、中川は同席していた地元の首長からたしなめられた。
・2008年(平成20年)11月、スペインのフアン・カルロス1世夫妻を迎えて開催された、天皇・皇后主催の宮中晩餐会における悪酔い騒動は、中川本人もそれを認めて反省しているエピソードである。同席していた妻の制止を聞かずに多量飲酒した中川は、東宮大夫野村一成*19に、「水問題について皇太子殿下もお詳しいと聞いたので是非お話しさせていただく機会がほしい」と絡み、素っ気なく「無理です」と返されたことに激怒、「分かった、帰る!」と大声を出したという。また、「宮内庁のばかやろう」と怒鳴って途中退席したとの報道もあった。
・2009年(平成21年)2月14日、G7の財務大臣中央銀行総裁会議が、イタリア・ローマで開催された。同会議終了後、記者会見に臨んだ中川だったが、その発言は呂律が回っておらず、あくびをし、表情は目が虚ろという状態であった。さらに中川は、言い間違いをする、質問した記者が見つけられずに「どこだ!」と叫ぶ、「共同宣言みたいなものが出ました」などと不明瞭な発言をするなどの異状を呈したことから、飲酒酩酊が疑われることになった。批判に対し、中川は緊急記者会見を開き、予算案及び関連法案の衆議院通過を待って大臣職を辞するとしたが、野党は中川に対する問責決議案を提出、また、与党である自由民主党内や公明党からも速やかな辞任要求が出された。さらに、野党側が予算審議拒否の姿勢を示すに及んだことから、結局中川は2月17日に大臣を辞任した。
・G7における「朦朧会見」の直後、中川はバチカン美術館を約2時間観光したが、その際にも中川は美術品に触れる、柵を越えて警報を鳴らす、彫像・ラオコーン像の台座に座るなどの不適切な行動をとっていたと報じられた(ただし中川側はそうした事実を否定)。

*1:共産主義青年団中央書記処第一書記、河北省長、内モンゴル自治区党委員会書記、広東省党委員会書記などを経て副首相

*2:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)を経て幹事長

*3:共産主義青年団中央書記処第一書記、河南省長・党委員会書記、遼寧省党委員会書記、第一副首相などを経て首相(党中央政治局常務委員兼務)

*4:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長など歴任

*5:鳩山内閣国交大臣政務官菅内閣国交副大臣を歴任

*6:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*7:消防庁長官

*8:東久邇宮内閣厚生相(文相兼務)、幣原内閣農林相、鳩山一郎内閣文相など歴任

*9:この人事については三井財閥重役で、泉山の元上司だった池田成彬(第1次近衛内閣で蔵相)が推薦したとする説がある(ウィキペディア「泉山三六」「池田成彬」参照)。

*10:吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相などを経て首相

*11:吉田内閣郵政相、新潟県知事など歴任。

*12:片山内閣副総理・外相、首相を歴任した芦田均が総裁。自民党の前身の一つ。

*13:鳩山一郎内閣厚生政務次官、佐藤内閣経済企画政務次官を歴任

*14:当時、社会党右派。後に民社党を経て自民党に移籍。自民党神奈川県連相談役を務めた(ウィキペディア「松尾トシ子」参照)。

*15:幣原内閣外相、首相を歴任した吉田茂が総裁。自民党の前身の一つ。

*16:売春防止法制定に尽力する一方、1960年の安保国会では飛鳥田一雄(後に委員長)、石橋政嗣(後に委員長)、岡田春夫らとともに「社会党・安保7人衆」の一人として政府追及の先頭に立った。長く衆院外務委員を務め、「社会党内閣が発足したら外務大臣」の呼び声も高かった(ウィキペディア「戸叶里子」参照)。

*17:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相。現在、第二~四次安倍内閣副総理・財務相

*18:小渕内閣農水相小泉内閣経産相麻生内閣財務相を歴任

*19:駐マレーシア大使、駐ドイツ大使、駐トルクメニスタンアルメニア大使、駐ロシア大使、東宮大夫など歴任

「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(2019年5/16分:黒坂真の巻)

黒坂真
‏ はい。最近の日本共産党は何かにつけて護憲*1を主張します。憲法9条を完全に実施、すなわち日米安保廃棄、自衛隊解散を実現したら日本は地上の楽園になるかのように思い込んでいる。中国共産党(ボーガス注:の南シナ海での態度は)は覇権主義だと言いますが、日本侵攻の可能性は皆無と盲信している。

 デマと言いがかりも甚だしいですね。
 まず第一に「日米安保廃棄、自衛隊解散」つうのは共産党においては「(日米安保廃棄、自衛隊解散の立場に立たない他野党との)野党共闘を重視する最近」は特にそうですが「1970年代に社会党公明党民社党などとの連立政権構想を唱えたときから」当面の目標ではありません。
 当面の目標は「米軍基地被害の是正」「自衛隊軍縮」「海外派兵、集団的自衛権行使反対」「九条明文改憲反対」といったところです。
 「日米安保廃棄、自衛隊解散」とは「当面の目標を達成した、その後の話」です。
 第二に「中国による日本侵攻の可能性は皆無」つうのは盲信ではなく事実であり「安倍自民もそういう立場」です。そんな可能性があると考えてるなら、安倍自民が一帯一路参加を表明したりしない。安倍が李克強首相の北海道訪問に「異例の同行」したりしない。
 黒坂も本気で「中国の日本侵攻の危険性がある」と思うなら共産に因縁つけるより安倍自民を「一帯一路に参加するな」と批判すべきでしょう。

黒坂真
‏ 吉岡正史さん。戦艦大和は沖縄を守るために出撃しました。沖縄を捨て石などにしていない。

 詭弁ですね。もちろん戦艦大和も捨て石だったわけです。ウィキペディアには

戦艦大和ウィキペディア参照)
・神重徳・連合艦隊参謀は草鹿龍之介・連合艦隊参謀長に大和へ説得に行くように要請し、草鹿は大和の第二艦隊司令部を訪れ、第二艦隊司令長官の伊藤整*2中将に作戦命令の伝達を行った。なかなか納得しない伊藤に「一億総特攻の魁となって頂きたい」と言うと、伊藤中将は「そうか、それならわかった」と納得したという。この特攻隊は連合艦隊指令長官・豊田副武*3大将によって「海上特攻隊」と命名された。

■菊水作戦(ウィキペディア参照)
 太平洋戦争末期、連合国軍の沖縄諸島方面への進攻(沖縄戦)を阻止する目的で実施された日本軍の特攻作戦である。作戦名の「菊水」は楠木正成の旗印に由来する。

という記述もあります。
 そして沖縄が捨て石であることが公然の秘密だからこそ

■島田叡(1901~1945年:ウィキペディア参照)
沖縄県最後の官選知事。
・1945年(昭和20年)1月10日、沖縄県知事の打診を受け、即受諾した。前任者の泉守紀には、香川県知事の辞令が出された。沖縄への米軍上陸は必至と見られていたため、後任者の人選は難航していた。沖縄に米軍が上陸すれば、知事の身にも危険が及ぶため、周囲の者はみな止めたが、島田は「誰かが、どうしても行かなならんとあれば、言われた俺が断るわけにはいかんやないか。俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん。」と言って、死を覚悟して沖縄へ飛んだ。
・陸軍守備隊の首里撤退に際して、島田は「南部には多くの住民が避難しており、住民が巻き添えになる。」と反対の意思を示していた。同年5月末の軍団長会議に同席した島田は、撤退の方針を知らされ、「軍が武器弾薬もあり装備も整った首里で玉砕せずに摩文仁に撤退し、住民を道連れにするのは愚策である。」と憤慨。そのとき牛島満・第32軍司令官は、「第32軍の使命は本土作戦を一日たりとも有利に導くことだ。」と説いて会議を締め括ったという。

FNSドキュメンタリー大賞
 1945年1月31日。
 アメリカ軍の上陸が間近に迫っていた沖縄に、県知事として赴任してきたひとりの男がいた。
 大阪で内政部長をしていた島田叡は、沖縄知事への就任を要請され、その任を受けた。第二次世界大戦末期の日本の置かれていた状況を考えれば「県知事として沖縄に行ってくれ」という命令は「沖縄で死んでくれ」と言われているのと同じようなものだった。
 家族の反対を彼はこう言って説得したという。
「自分が死にたくないからといって、誰かに『代わりに行って死んでくれ』とは言えない」

となるわけです。

黒坂真
‏ 金正恩は核ミサイル、生物化学兵器を廃棄しない。

 国連の制裁対象には入ってない、そして北朝鮮も現時点では「廃棄を明言してない」生物兵器化学兵器はともかく「米国の体制保証があれば廃棄する用意がある」とした核兵器は廃棄する意思はあるでしょうね。
 ただしその条件はあくまでも「体制保証が核廃棄に先行すること」であり今のところ米国は何一つ「体制保証」と見なせる行為をしていません。米朝国交正常化や終戦協定締結、在韓米軍の撤退どころか「最もハードルが低い終戦宣言」すらやってない。北朝鮮が核廃棄しないのは「ある意味当然」です。

黒坂真
‏ 湯川れい子さん*4 。日本が朝鮮戦争に参戦*5し、大韓民国を守るために米軍と共に中朝連合軍と戦っていたら日韓関係、日中関係は随分異なっていたでしょうね。

 「日本の自衛隊が(韓国が参戦したベトナム戦争、英国が参戦したイラクフセイン政権打倒戦争などの)戦争に、米国の同盟国として参戦して外国人を殺害するようなことがなくて良かった(俺の要約)」という「護憲派」湯川氏のツイートへのリツイートにいきなりこれです。挑発行為以外の何物でもない。まともな人間なら出来ない行為です。

*1:「安倍が改憲を主張するから」であってある意味当たり前の話です。大体「安倍流改憲への批判」なら他の野党もしています。

*2:海軍省人事局長、連合艦隊参謀長、軍令部次長、第二艦隊司令長官など歴任。 いわゆる菊水作戦における戦艦「大和」沈没の際に艦に残り戦死。

*3:海軍省軍務局長、連合艦隊司令長官軍令部総長など歴任

*4:音楽評論家。著書『熱狂の仕掛け人:ビートルズから浜崎あゆみまで、音楽業界を創ったスーパースター列伝』(2003年、小学館)、『湯川れい子のロック50年:見た!聞いた!会った!世界のスーパースター達』(2005年、シンコーミュージック)など

*5:なお、参戦はしてない物の、在日米軍基地から韓国へ向かって米軍が出撃していました(たとえば4月例会 - kyotorekkyo ページ!参照)。

今日の北朝鮮・韓国ニュース(2019年5月16日分)

金正男氏、殺害前に亡命政府首班の打診断る「静かに暮らしたい」 関係者が証言(1/2ページ) - 産経ニュース

・米当局は4月に襲撃メンバーの逮捕に踏み切る。米政府にはしごを外された格好で、組織発足早々危機に直面している。
・スペイン当局の国際手配に対し、米当局は元海兵隊員のクリストファー・アン容疑者を逮捕。ホン・チャン容疑者の自宅も家宅捜索されたと報じられた。

 米国の冷淡な態度を見るに「そもそも、はしごもパイプも何もなかったんじゃないか」感がありますね。
 「我々はアンチ北朝鮮だから米国は無条件で支持してくれるはずだ」という勘違いだったんじゃないか。


「自由朝鮮」、発足早々危機に直面 北朝鮮大使館襲撃でメンバー逮捕 - 産経ニュース

北朝鮮金正恩キム・ジョンウン朝鮮労働党委員長の異母兄で2017年にマレーシアで殺害された金正男キム・ジョンナム)氏が生前、正恩体制に替わる亡命政府の首班を打診され、「静かに暮らしたい」と断っていたことが15日分かった。打診したのは、正恩体制打倒を目指す組織「自由朝鮮」のリーダー格
・この人物は、大使館襲撃でスペイン当局が国際手配しているメキシコ国籍で韓国系のアドリアン・ホン・チャン容疑者(35)。北朝鮮民主化脱北者支援活動をともにした経験のある韓国の脱北者団体「北朝鮮人権団体総連合」の朴相学(パク・サンハク)常任代表が、ホン・チャン容疑者から直接経緯を聞いたとして産経新聞の取材に明らかにした。
・ホン・チャン容疑者は米国で北朝鮮の人権問題に取り組む市民団体代表として活動していた08年ごろ、北朝鮮から韓国に亡命した黄長●(=火へんに華)(ファン・ジャンヨプ元朝労働党書記に朴氏と3人で会った際、亡命政府の「主席に就くよう」要請したが、強く拒まれた。それから約6年後には、正男氏にも直接会って亡命政府の「首班になるよう」打診したが、「そんなことはやらない」と断られたと朴氏に説明した。

 「あの犯行が北朝鮮の行為」と仮定した上での話ですが、あの犯行の動機の一つではないかと思われる話(もちろん真偽は現段階では不明だが)ですね。


熱血!与良政談:「無条件で会談」の本気度=与良正男 - 毎日新聞

 説明なき方針転換*1がまた始まった。言うまでもなく安倍晋三首相が北朝鮮金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と条件を付けずに会談に臨みたいとの考えを示したことだ。
 首相は従来、「圧力を最大限にし、北朝鮮から対話を求めてくる状況をつくる」「(会談を)行う以上は拉致問題の解決に資する会談にしなければならない」等々と国会で答弁してきた。かつては「圧力をかけ続ければ、早晩、北朝鮮の体制は崩壊する」と繰り返していた時期もある。

 安倍*2という男のデタラメさにはいつもながら呆れます。良く支持者もこんなんを支持できるもんです。まあ俺が思うに「是非はともかく*3」、「自民党を支持するから安倍を支持する」「二階*4幹事長や岸田*5政調会長、麻生副総理・財務相*6など自民党幹部連が安倍を支えてるから支持する(つまり正直な話、総裁が石破*7元幹事長、石原*8元幹事長、岸田政調会長でもかまわない)」つう支持者がかなり多いかと思いますが。
 それはともかくこの毎日記事が安倍の本気度を疑うように北朝鮮だって疑ってるでしょう。そうした疑いを解消するには「制裁解除などのお土産を出すこと」と「事務方による入念な日朝水面下交渉」が必要でしょうが、それを安倍はやる意思があるのか。
 「条件なしであってもいい(でもそういっただけで水面下交渉などのアプローチは何もせず、ただ北朝鮮の返事待ち)」では全く意味がありません。


大嘗祭で使う米の生産地を「亀卜」で決定、宗教色に批判も-Chosun online 朝鮮日報

 今回の大嘗祭で使う米の産地に決まった栃木県と京都府はお祭り騒ぎだ。栃木県知事と京都府知事はテレビに出演して「光栄だ」と繰り返し語り、「儀式に使われる米の生産に万全を期す」と言った。1990年の明仁天皇即位時に行われた大嘗祭では秋田県大分県が米の産地に選ばれた。この時、警察は儀式に使われる米が生産される際に不純物*9などが入ることを懸念し、米を生産する水田にヘリコプターやボートを動員して警備に当たったが、今回も前例に従う可能性が高い。

 明らかに「時代錯誤」「戦前か!」というニュアンスが感じ取れます。全く同感ですが。

 日本は(ボーガス注:明治新政府の誕生以降)第二次世界大戦で敗戦するまで国教だった神道の影響で、天皇が(ボーガス注:神道色のある)儀式を行うことは日常化している。今の平和憲法が作られた後、神道は(ボーガス注:政教分離により)国教としての地位は失ったが、それでも「天皇制」のあちこちに神道の影響が強く残っている。21世紀になっても亀の甲羅を用いて占いをすることについても、宗教的色彩が濃いとの批判の声もある。
 一部の学者は「天皇憲法に基づく象徴的存在に過ぎないのに、なぜ亀の甲羅を使った儀式をはじめ、大嘗祭などの一連の(ボーガス注:神道色のある)儀式に国費を使わなければならないのか。(ボーガス注:政教分離原則違反ではないのか)」と問題提起している。皇位継承序列第1位になった新天皇の弟である皇嗣秋篠宮文仁親王も、昨年11月の記者会見で「国費ではなく、天皇家の私的生活費の『内廷費』を充てるべきだ」と発言して議論を呼んだ。

 「政教分離原則違反の疑い」は全くもって正論ですがこうした指摘が日本メディアでは、特にテレビ局ではまず見られず「亀使うなんて面白い」的な報道しかされないことにはいつもながら呆れます。まあこういうことを考えれば「天皇のリベラル性」なんてもんには大して期待なんか出来ません。
 なお、話が脱線しますが新刊紹介:「前衛」5月号 - bogus-simotukareのブログで紹介した
■「平成流」天皇制とは何だったのか:象徴天皇制のゆくえ(吉田裕*10
で吉田裕氏は「天皇、皇后の代替わりで、天皇、皇后の活動やそれをめぐる国民の評価にも大きな違いが生まれるのではないか」と見ています。
 なぜかというと、吉田氏もそう見なしていますし、俺もそう思いますが、前天皇、皇后は「戦地巡りをする」など昭和天皇夫婦とは異なる活動でその評価を形成しており、かなり「彼らの個人性」に世間的評価が影響されているからです。また「新皇后」については例の「うつ病」が今後の活動に影響することも考えられます(改善されたとはいえ完全に治癒したわけではないでしょう)。
 新刊紹介:「前衛」5月号 - bogus-simotukareのブログでは書き忘れましたが、前天皇明仁になって昭和天皇との大きな違いは「皇后への注目度が高まったこと」でしょう。昭和天皇の妻である香淳皇后は正直「美智子前皇后」ほどには「注目を集めてはいなかった」といっていいでしょう(ウィキペディアでも美智子前皇后についての記載の方が香淳皇后より多い)。まあ、「女性を自立した個人と見なす」時代の変化ですね。女帝制度導入論も「天皇家の危機」はもちろんですが、そうした「女性への視線の変化」も当然影響しているでしょう。


拉致解決求める署名1340万筆を初公開へ 家族や支援組織が収集し政府に提出 - 産経ニュース
 まず第一に「門外不出の美術品を初公開」ならともかく、こんなもん「初公開!」と自慢して何の意味があるんでしょうか?
 第二に勝手に公開していいのか。名前など個人情報の黒塗りぐらいはさすがに「している」と思いますが、いずれにせよこの種の署名は「政府など陳情先への提出」以外の利用法は署名者は想定してないでしょう。署名時に巣くう会や家族会が「こうした公開の可能性があります」と説明したとも思えない。
 そして1340万筆もあるもんに、署名後、「公開していいですか?」と確認した上での了解が取れたとも思えない。
 つまり道義的、政治的問題はもちろん「個人情報保護関係の法律に抵触する危険性」すらあると思います。そういう意味でこの種の署名を勝手に「公開する団体」なんて、今回の巣くう会、家族会ぐらいしかないと思いますが、まあそういう敏感さは巣くう会や家族会にはないのでしょうね。
 そして小生のような指摘には「これこれこういう意味でボーガスさんの危惧する問題はないと思います」や「確かにご指摘の問題があるかと思います。公開は中止します」ではなく「公開して何が悪い!」と逆ギレするのが家族会、巣くう会なんでしょう。もはや呆れるほかない連中です。

*1:日露外交(あれほど宣伝していた二島先行返還について今はだんまり)、日中外交(中国封じ込めがいつの間にか一帯一路参加)などのことでしょう。

*2:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*3:もちろん俺は「安倍支持」などどんな理由でアレ、非ですが

*4:自民党二階派総帥。小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)を経て幹事長

*5:自民党岸田派総帥。第一次安倍、福田内閣沖縄・北方等担当相、第二次、第三次安倍内閣外相を経て自民党政調会長

*6:自民党麻生派総帥。橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相。現在、第二~四次安倍内閣副総理・財務相

*7:自民党石破派総帥。小泉内閣防衛庁長官福田内閣防衛相、麻生内閣農水相自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相など歴任

*8:自民党石原派総帥。小泉内閣国交相自民党政調会長(第一次安倍総裁時代)、幹事長(谷垣総裁時代)、第二次安倍内閣環境相、第三次安倍内閣経済財政担当相など歴任

*9:不純物て(苦笑)。これが「アンチ天皇の一部過激派が、故意に毒物を水田に混入」とかならまだ分かりますが多分そうじゃないんだろうな。つうか「毒物混入」を恐れるにしてもヘリまで飛ばす必要があるのか?

*10:著書『昭和天皇終戦史』(1992年、岩波新書)、『日本人の戦争観:戦後史のなかの変容』(1995年、岩波現代文庫)、『日本の軍隊:兵士たちの近代史』(2002年、岩波新書)、『兵士たちの戦後史』(2011年、岩波書店)、『日本軍兵士:アジア・太平洋戦争の現実』(2017年、中公新書)など