新刊紹介:「歴史評論」6月号

・詳しくは歴史科学協議会のホームページをご覧ください。小生がなんとか紹介できるもののみ紹介していきます。正直、俺にとって内容が十分には理解できず、いい加減な紹介しか出来ない部分が多いですが。
第53回大会「変貌する国家と個人・地域」
 歴史科学協議会第53回大会(2019年11/30、12/1に明治大学駿河台キャンパスで開催)での報告について説明されている。

【第1日目:11/30】
◆問われる植民地支配認識(加藤圭木*1
(内容紹介)
 加藤氏の著書『だれが日韓「対立」をつくったのか:徴用工、「慰安婦」、そしてメディア』(共著、2019年、大月書店)や小生が
新刊紹介:「前衛」11月号(追記あり) - bogus-simotukareのブログで紹介した加藤論文『問われているのは日本の植民地支配への反省』などと同様の問題意識による報告であり、これらも参照して欲しいとしています。
 なお、加藤氏は、山本晴太ほか『徴用工裁判と日韓請求権協定:韓国大法院判決を読み解く』(2019年、現代人文社)を参考文献としてあげています。
 この山本晴太ほか『徴用工裁判*2と日韓請求権協定:韓国大法院判決を読み解く』(2019年、現代人文社)については興味深い本が出版された(買うことに決めた) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)も参照下さい。
 小生も『徴用工裁判』でググってみましたが、それでヒットした戸塚悦郎*3『「徴用工問題」とは何か:韓国大法院判決が問うもの』(2019年、明石書店)、『歴史認識と日韓の「和解」への道:徴用工問題と韓国大法院判決を理解するために』(2019年、日本評論社)、竹内康人*4『韓国徴用工裁判とは何か』(2020年、岩波ブックレット)なども参考になるかと思います。
 安倍の「ホワイト国除外」など嫌韓国政策への批判が決して高くない状況について、世間一般に「韓国通の研究者、ジャーナリスト」として扱われる人物に「植民地支配への無反省」があることが大きいと加藤氏は評価しています。
 具体的には

【順番は著者名順】
◆浅羽祐樹*5、木村幹*6ほか『徹底検証韓国論の通説・俗説:日韓対立の感情vs.論理』(2012年、中公新書ラクレ)、『(ボーガス注:韓国の反日主張に?)だまされないための「韓国」: あの国を理解する「困難」と「重み」』(2017年、講談社
◆浅羽祐樹、新城道彦*7ほか『知りたくなる韓国』(2019年、有斐閣
小倉紀蔵*8ほか『嫌韓問題の解き方*9』(2016年、朝日新聞出版)
◆鈴置高史*10『中国に立ち向かう日本、つき従う韓国』、『中国という蟻地獄に落ちた韓国』(以上、2013年、日経BP社)、『「踏み絵」迫る米国 「逆切れ」する韓国』、『日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う』(以上、2014年、日経BP社)、『「三面楚歌」にようやく気づいた韓国』、『「独り相撲」で転げ落ちた韓国』、『「中国の尻馬」にしがみつく韓国』(以上、2015年、日経BP社)、『米中抗争の「捨て駒」にされる韓国』、『孤立する韓国、「核武装」に走る』(以上、2016年、日経BP社)、『米韓同盟消滅』(2018年、新潮新書
◆牧野愛博*11『ルポ 絶望の韓国』(2017年、文春新書)、『ルポ「断絶」の日韓:なぜここまで分かり合えないのか』(2019年、朝日新書) *12
武藤正敏*13『韓国人に生まれなくてよかった』(2017年、悟空出版)、『文在寅という災厄』(2019年、悟空出版)

などが批判されています(これらについては、新刊紹介:「前衛」11月号(追記あり) - bogus-simotukareのブログで紹介した加藤論文『問われているのは日本の植民地支配への反省』でも批判されています)。具体的批判内容については歴史評論を参照頂ければと思います。また

新刊紹介:「前衛」11月号(追記あり) - bogus-simotukareのブログ
◆問われているのは日本の植民地支配への反省(加藤圭木)
(内容紹介)
Q&A形式(架空問答)で書いてみます。
Q(俺)
「日韓関係の悪化についてお考えをお聞かせ下さい」
A(加藤氏)
「私個人は日本社会に『日本が韓国を植民地支配した加害者である』にもかかわらず『被害者である韓国側の声に虚心に耳を傾け、日韓間の共通理解、合意、和解を目指す』という考えがあまりにもなさ過ぎる点に問題があると思います。」
「例えば徴用工判決については、安倍政権の『日韓協定違反だ』などという意見が一方的に垂れ流されています。しかしそれは「争いのない当然の話」などでは全くありません。
 それはたとえば
徴用工問題の公正な解決を求める――韓国の最高裁判決について/志位委員長が見解
「被害者個人の請求権は消滅せず」の一致点で解決に努力を/志位委員長の一問一答
という『韓国最高裁判決を日韓協定違反だとする安倍政権の主張は間違ってる』と批判する日本共産党・志位委員長の意見を見れば明白でしょう。ところがこうした志位氏のような意見はマスコミでは、特にテレビワイドショーではほとんど取り上げられません」
「なお、私としては『日韓協定違反』などという法的問題に話を矮小化することにも大変問題があると思います。仮に韓国最高裁判決が日韓協定違反なら日本の韓国植民地支配には何一つ問題はなかったのか(私個人は韓国最高裁判決を志位氏同様、むしろ評価していますが)。そういう話ではないでしょう。損害賠償という法的問題をどう考えるか、と言う前にまず『日本の植民地支配は道義的、政治的に問題があった』ということを認めるべきでしょう。」
「私が極めて問題だと思うのは世間的に、『韓国通』『韓国研究者』扱いされている人間に『日本が正しい、韓国が間違ってる』という主張をメディアで垂れ流してる人間が多数いることです。たとえば彼らの著書の一つ『だまされないための「韓国」*19』(2017年、講談社)などという著書は書名(どう見ても「韓国にだまされないための」としか理解しようがない)からし嫌韓国以外の何物でもないでしょう。
 マイナー極右出版社ならまだしも、こうした嫌韓国本が大手出版社・講談社から出版され、大手出版社・小学館週刊ポストには嫌韓国記事が平然と載る。日本の言論状況に改めてため息が出ます。
 彼ら「韓国通」の言動は『山野車輪立川志らくと何ら変わりない嫌韓国言動』と言っても過言でないと思います。私も韓国研究者の一人として「韓国通」として扱われる彼らのような意見にどう対決していくべきか真剣に考えざるを得ません。彼ら「韓国通」の存在が「韓国通も韓国批判している」として嫌韓国をあおってることは間違いないからです」

「いろいろとご意見ありがとうございます。加藤先生の言う『韓国通』『韓国研究者』扱いされている人間とは、具体的には浅羽祐樹*20・同志社大学教授、木村幹*21・神戸大学教授、武藤正敏*22・元駐韓大使などのことですね。彼らは「元外交官(駐韓大使館勤務)」「大学教授(韓国研究)」と言う肩書きを持つが故にその害悪は「素人扱いされてる」山野や志らくより大きいと言ってもいい気がします。
 浅羽や木村については
従軍慰安婦問題についての浅羽祐樹教授の見解がよくわからない - 法華狼の日記
浅羽祐樹『韓国化する日本、日本化する韓国』巻末の読書案内を読んで、池上彰氏と同じくらいの信頼性と感じた件 - 法華狼の日記
木村幹氏が吉方べき氏に剽窃されたと主張している件についてメモ - 法華狼の日記
木村幹氏は吉方べき氏より先に自分の記憶力を疑うべき - 法華狼の日記
SYNODSの鼎談記事で、談話順守の要求を浅羽祐樹氏が「極論」にふくめていた件 - 法華狼の日記
浅羽祐樹『韓国化する日本、日本化する韓国』において、「強制連行はなかった」等の事実誤認が「いちいちもっとも」と評されていた件について - 法華狼の日記
「韓国化する日本」という言葉について、タイトルにもちいた浅羽祐樹氏による説明と、実際の使用例の乖離 - 法華狼の日記
村山富市氏に対する木村幹氏の魔女狩り論理 - 法華狼の日記
と言った批判を参考に紹介しておきます」

も参照下さい(細部はともかく、大筋では今回の加藤報告及び、それへの俺の感想は新刊紹介:「前衛」11月号(追記あり) - bogus-simotukareのブログで書いたこととそう大きくは変わりません。違いがあるなら、新刊紹介:「前衛」11月号(追記あり) - bogus-simotukareのブログでは登場しなかった小倉紀蔵、牧野愛博が今回は批判されてることでしょうか)。浅羽と木村、新城(木村、新城は共に浅羽の共著者)は前回も批判されています。
 ただし、加藤氏が「内容はもちろんだが、多くの場合、

◆浅羽、木村他『(ボーガス注:韓国の反日主張に?)だまされないための「韓国」』
◆鈴置『中国という蟻地獄に落ちた韓国』、『「踏み絵」迫る米国 「逆切れ」する韓国』、『「独り相撲」で転げ落ちた韓国』、『「中国の尻馬」にしがみつく韓国』、『米中抗争の「捨て駒」にされる韓国』
◆牧野『絶望の韓国』
◆武藤『韓国人に生まれなくてよかった』

など著書名からし

◆浅羽、木村他『だまされない』
◆鈴置『蟻地獄に落ちた』、『「逆切れ」する』、『「独り相撲」で転げ落ちた』、『「中国の尻馬」にしがみつく』、『米中抗争の「捨て駒」にされる』
◆牧野『絶望』
◆武藤『韓国人に生まれなくてよかった』

などと露骨に嫌韓国(挑発的、侮辱的)でひどい」とあきれ果てていることは指摘しておきます。小生も日本人として恥ずかしく腹立たしい限りです。
 まあここまで著書名が酷いと読まなくても内容が分かるという利点がありますが(皮肉のつもり)。
 加藤氏が問題にしているのは牧野らは「国家基本問題研究所の櫻井よしこ」等ほどには「わかりやすい嫌韓国」ではなく「正当な韓国通のコメント」と見なされる危険性が高いと言うことですね*14。例えば牧野が所属する朝日は一般にはリベラルメディアと評価されています。武藤も「恐れ入ることに」元駐韓大使です(本来なら、武藤の立場なら嫌韓国本を批判すべきでしょうにあきれ果てた、見下げ果てた男です)。
 また、浅羽(同志社大学)、小倉(京都大学)、木村(神戸大学)、新城(フェリス女学院大学)は「大学教授」の肩書きを持っており、また彼らの所属大学も「国士舘」「國學院」「拓殖」などの右翼大学ではない。これらの本の版元も牧野『ルポ 絶望の韓国』(2017年、文春新書)の版元「文春」の様なウヨ出版社もありますが、浅羽祐樹、新城道彦ほか『知りたくなる韓国』(2019年、有斐閣)の「有斐閣」などはウヨ出版社とは言えないでしょう。
 特に、小倉にいたっては訪朝し、『新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮』(編著、2012年、KADOKAWA)を出版したことで
小倉紀蔵氏までもが事実上北朝鮮擁護とは 
と極右団体に非難されたり、あるいは逆に朝鮮総連機関紙『朝鮮新報』に
〈本の紹介〉新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮/小倉紀蔵 編
〈本の紹介〉東北アジアの「矛盾」を解く主体的な試み/小倉紀蔵著『北朝鮮とは何か―思想的考察』
などと好意的に言及されたりしています。加藤氏が「ある意味一番危惧している」のは牧野『北朝鮮核危機 全内幕』(2018年、朝日新書)などで露骨に北朝鮮への敵意を表明する『極右』牧野などではなく『新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮』(小倉編著、2012年、KADOKAWA)などで太陽政策支持を表明する小倉であると言っていいでしょう。
 小倉の場合、「見ろ、朝鮮新報でも好意的に取り上げられたことのある小倉ガー」になりかねません(むしろ、そう言う意味では、韓国マスコミや朝鮮総連などは絶対に褒めない牧野などの方が『ある意味害悪は小さい』)。
 加藤氏は「専門家面して嫌感言説を垂れ流す連中への強い危機感」を表明しています。
1)安倍の長期政権を下支えしているのはこうした嫌韓国言説でもある
2)日本人はついに久保田妄言、高杉妄言などの嫌韓国の負の歴史を清算できないまま今日に至った(『冬ソナ』ブームや日韓共催ワールドカップ、少女時代などの韓流ポップスの流行は悪いことではないが残念ながら嫌韓国を是正するには至らなかった)との認識を表明しています。
 久保田妄言、高杉妄言については以下の記事を紹介しておきます。

いま振りかえる 植民地支配 歴史と実態(3)/戦後、日本政府がとった態度は
◆日韓交渉:妄言連発し異例の長期化
 こうした認識は、今日なお日本政府が持ち出す日韓基本条約と請求権協定(1965年)の交渉にも引き継がれました。この交渉は、14年もの異例の長期間にわたりましたが、その要因の一つが日本政府代表団による「妄言」でした。
 1953年には、交渉の日本側代表だった久保田貫一郎*15が「朝鮮36年間の統治は、いい部面もあった」「はげ山が緑の山に変わった。鉄道が敷かれた。港が築かれた。米田が非常にふえた」「カイロ宣言は、戦争中の興奮状態において連合国が書いたもの」などと妄言を連発。交渉は長期にわたって中断しました。
 1965年1月には、首席代表・高杉晋一が就任当日、「日本は朝鮮を支配したというけれども、わが国はいいことをしようとしたのだ」「敗戦でダメになったが、もう20年朝鮮をもっていたら、こんなこと(はげ山)にはならなかった」「創氏改名もよかった」などと(ボーガス注:日本マスコミ相手の記者会見で)発言。「久保田発言」に匹敵する妄言でした。
 このときは、交渉への影響を恐れた外務省がオフレコ扱いを(ボーガス注:日本マスコミ各社に)要請。「アカハタ」(現「しんぶん赤旗」)と韓国の東亜日報が暴露したものの、一般紙は沈黙し、その後政府が「事実無根」と否定したことのみを報じたのでした。当時の新聞は、暴言を吐く日本政府を批判するどころか、韓国に対して「弱腰」だと非難さえしていたのです。

いま振りかえる 植民地支配 歴史と実態 番外編/日本メディアはどう伝えてきたか
 1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾し、植民地朝鮮を解放しました。しかし、日本政府はその直後から、過去の非を認めず、朝鮮支配は正しかった、日本はいいこともしたという態度を打ち出しました。戦後一貫した日本政府の基本的立場です。これが端的に表れたのが、1950~60年代にかけての日韓国交正常化交渉における、いわゆる「久保田発言」「高杉発言」でした。
 「日本は朝鮮に鉄道、港湾、農地を造った」「多い年で二〇〇〇万円も持ち出していた」。
 1953年10月、日韓会談が長期にわたり中断する原因となった第三次会談の日本側首席代表、久保田貫一郎の発言です。韓国側の激しい反発にあい、会談決裂、中断したのは当然です。ところが、日本のメディアは久保田発言を批判するどころか、「ささたる言辞」「韓国の不条理な威嚇には屈しない」「朝鮮統治には功罪両面がある」などと発言を擁護しました。当時の新聞論調について研究者は「全新聞が韓国に非があるという認識であった」と分析しています。
 「日本は朝鮮を支配したというけれども、わが国はいいことをしようとした」「それは搾取とか圧迫とかいったものではない」。
 交渉最終盤の1965年1月、第七次会談首席代表の高杉晋一による妄言は、交渉決着への影響を懸念した日韓両政府によってオフレコ扱いとされ、日本の商業メディアは取材しながら黙殺しました。

“メディアは事実を伝えるのが仕事だ”と主張する人に伝えておきたい政府・メディア共同で犯した隠蔽事件 - 誰かの妄想・はてなブログ版
(前略)
 上記は1965年1月7日、第七次日韓会談の記者会見で日本側首席代表・高杉晋一*16が(ボーガス注:日本マスコミ相手に)述べた内容をアカハタ(ボーガス注:当時。現在の「しんぶん赤旗」)が報じたものです。
 植民地支配を否定し恩恵だと主張する内容で、これが植民地支配を受けた側を如何に侮辱する発言であるか、容易に理解できると思いますが(いや、今の日本人には無理かな)、驚くべきは、これが15年目に突入した日韓国交正常化交渉の大詰めで出た発言だということです。
 この翌月には日韓基本条約案が仮調印されるわけで、ほとんど調整が終わっている状況で、相手側を著しく侮辱する発言を交渉の最高責任者がやったわけですから、この夜郎自大な感覚もさることながら、何よりも外交センスの無さに呆れ果てます。
 むしろここで現実的だったのは韓国側代表です。このような侮辱発言が公になったら、せっかくまとまりかけていた交渉が少なくとも数年は遅れる(ボーガス注:そして経済支援金が受け取れず、韓国の経済発展が遅れる)と正しく認識した金東祚*17首席代表の方から牛場信彦*18副代表に、この問題発言をオフレコにするように助言し、日本側もそれを受け入れ、オフレコにするように記者らに要請することになりました。
 それをアカハタがすっぱ抜いたわけです*19。(1月10日報道)
 そして、東亜日報でも報道され(1月17日)、懸念された通り、この高杉発言は日韓で大問題となりました。これに対して、韓国外務部は「(ボーガス注:日本)共産党のでっち上げ」だとして高杉代表を擁護し、高杉側も会見で発言の事実を否定し、事実を隠蔽しました。
 1965年2月15日には(ボーガス注:岸信介*20の側近で韓国ロビー、台湾ロビーの大物として知られる)椎名*21外相も、事実を否定する国会発言を行いましたが、他のメディアは沈黙したままでした。もちろん、記者会見の場にいた他のメディアの記者らは、アカハタ報道が事実であることも、日韓両政府が嘘をついて事実を隠蔽していることも知っていましたが、それを報道しなかったわけです。
 「エコノミスト」1965年2月9日号には高杉代表が「あれは共産系の作為的報道としか思えません」と虚言を述べています。
 アカハタ報道が事実であったことは1993年に発表された金東祚の『韓日の和解−日韓交渉14年の記録*22』で確認されました。
 しかし当時、他のメディアはそれを黙殺しました。日韓両政府と日本メディアが連携して事実を隠蔽したわけです。
 “メディアは事実を伝えるのが仕事だ”と主張する人は、このときのアカハタ報道を無条件で歓迎・賞賛すべきでしょうね。

 今も昔も日本マスコミの権力批判精神のなさには絶句しますがそれはさておき。
 さて、高杉妄言を「日本からの経済支援金ほしさに見て見ぬ振りし、赤旗のデマ報道とまで居直った朴チョンヒ政権」と違い、「文在寅反日だ」と放言する日本ウヨですが、「根本的に認識がおかしい」というべきでしょう。朴も「当時の韓国は貧乏でカネが欲しいから」「当時の韓国は北朝鮮と大して経済力に差がないから」日本にへいこらしたにすぎません。「韓国が豊かになり、北朝鮮を大幅に上回る経済力を付ければ」日本にへいこらしなくなるのは当たり前の話です。
 なお、新城については以前
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(3/11分:荒木和博の巻)(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ
今日の産経ニュース(4/12分)(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ
で取り上げました。
 鈴置についてはたとえば以前

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(10/16分:荒木和博の巻)&萩原遼死去&北朝鮮・韓国ニュースほか(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ
2018年「北の核」は軍事攻撃か体制崩壊で決着:日経ビジネス電子版
 「いつもの鈴置クオリティか(呆&笑)」で終わる話です。
 軍事攻撃というのはもちろん「米国の」ですがそんな物騒なことはさすがにトランプもできないでしょう。まあ、やらせるべきでもないですが。
 「体制崩壊」つうのは「制裁による経済崩壊による体制崩壊旧東ドイツなどを想定?)」とでもいう意味でしょうがここからして「はあ?」ですね。
 「経済制裁体制崩壊」するのなら軍事攻撃する必要も無い。「体制打倒のため」に軍事攻撃の必要があるなら「経済制裁体制崩壊」はありえない。鈴置主張は論理的に矛盾しています。
 単に彼が「2018年内に金正恩体制は終わる」といいたいだけでしょう。しかしここまで言い切ってしまっていいんですかね?。「2018年内に体制崩壊」なんて可能性低いと思いますけど。
 まあ今や彼をまともな人間は相手にせず、彼を相手にするのはウヨばかり、ウヨは「予想が当たったかどうかなど気にしない」つうことなんでしょうけど。「ボーン・上田賞受賞者」鈴置氏もずいぶんと落ちぶれたもんです。それとも上田賞受賞の時に既にこうだったのか。

と批判しています(もちろん2020年の今も北朝鮮金正恩体制は続いていますし『2018年中に崩壊の可能性がある』などと『2018年当時で既に可能性が低いと誰でも分かる無茶苦茶な放言をしたこと』について鈴置は謝罪なんかしません。人間として鈴置のような劣化はしたくないもんです。まあ一番酷いのはデマ屋・鈴置よりも、彼の与太を記事掲載した日経ビジネスですが)。
 牧野については以前、
今日の中国&朝鮮・韓国ニュース(2019年6月27日分) - bogus-simotukareのブログ
「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(2019年4/17分:三浦小太郎の巻) - bogus-simotukareのブログ
で批判的に言及し、アンドリュー・バルトフェルドさんから「牧野は私も酷いと思います」「最近の朝日はどうしようもないと思います」という趣旨の賛同コメントを頂いています。
 まあ、ウヨなんかは朝日をサヨ扱いしますが、今や牧野が編集委員ですからね。小生からすれば今の朝日は「産経や読売よりはマシ」とはいえ、嘆かわしいばかりです。また、アンドリュー・バルトフェルドさんから何かコメント頂ければ、特に「歴史評論の加藤論文」や加藤『だれが日韓「対立」をつくったのか:徴用工、「慰安婦」、そしてメディア』(共著、2019年、大月書店)を実際にお読み頂ければ幸いです(俺は歴史評論論文は読みましたが、加藤著書は現時点では未読です)。 
 なお、加藤氏は「日本での嫌韓国言説の蔓延」という嘆かわしい状況について「即効薬はない」が「地道に嫌韓国批判&韓国市民運動との交流を続けるほかはないのではないか」としています。また、加藤氏は「今回の報告では嫌韓国以上に酷い、アンチ北朝鮮言説に触れることが出来なかったがそれについては他日報告したい」としています。


◆国家・階級・グローバル化:プーランザスと現代西欧左派の政治観(柏崎正憲*23
(内容紹介)
 エルネスト・ラクラウシャンタル・ムフ『民主主義の革命:ヘゲモニーとポスト・マルクス主義』(2011年、ちくま学芸文庫)、シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(2019年、明石書店)などの近年の左派政治理論の影に埋もれて『忘れられた政治思想家』、有名な『マルクスヘーゲル評価』風に言えば『死んだ犬』と化しているニコス・プーランザス(プーランツァス)*24の再評価が主張されています
 なお、プーランザス(プーランツァス)についてはニコス・プーランツァス『資本主義国家の構造 1:政治権力と社会階級』(田口富久治ほか翻訳、1977年、未来社)、『資本主義国家の構造2:政治権力と社会階級』(田口富久治ほか翻訳、1981年、未来社)、ボブ・ジェソップ*25『プーランザスを読む:マルクス主義理論と政治戦略』(田口富久治ほか翻訳、1987年、合同出版)があり、日本でのプーランザス(プーランツァス)紹介者としては田口富久治*26名古屋大学名誉教授(政治学)が知られています。
 なお、田口氏の翻訳以外ではプーランツァス『資本の国家:現代資本主義国家の諸問題』(1983年、ユニテ)、『国家・権力・社会主義』(1984年、ユニテ)が翻訳出版されています。
 ただし小生の無能のため、残念ながら柏崎報告の詳しい紹介は出来ません。直接、歴史評論の柏崎報告をお読み頂ければと思います。


【第2日目:12/1】
◆日本古代国家論の研究潮流(関根淳)
(内容紹介)
 日本古代国家論の研究潮流が次の様に説明されています。
1)石母田正*27の『日本の古代国家』(1971年、岩波書店→後に岩波文庫
 石母田著書が日本古代国家論の古典としてまず紹介されます。もはや石母田学説はそのままの形では支持できない過去の学説だが、日本古代国家論は基本的に石母田の理論をどう評価し、応答していくかと言うことで始まったとみるのが筆者の見解です。
2)多種多様な見解の時代
 現在の見解として、都出比呂志*28の『初期国家論』、鈴木靖民*29の『首長制社会論』、大津透*30の『後期律令国家論』、吉川真司*31の『初期権門体制論』、広瀬和雄*32の『前方後円墳国家論』などが紹介されていますが、小生の無能のため、残念ながら関根報告の詳しい紹介は出来ません。直接、歴史評論の関根報告をお読み頂ければと思います。

参考
◆初期国家論

都出比呂志『古代国家はいつ成立したか』読んだ。 - ~戯語感覚~
◆いつ古代国家が成立したか?
 8世紀冒頭に律令国家が成立するが、そのような国家は勿論、一夜のうちにできあがるものではなく弥生・古墳時代を経て徐々に完成されてきたとみるべきで、その過程に著者がいう「初期国家」段階が存在する。「初期国家」がいつ成立するかは専門家の間でも諸説あり、主に(ボーガス注:邪馬台国の)3世紀・(ボーガス注:いわゆる『倭の五王』の)5世紀・(ボーガス注:推古天皇の)7世紀という説があるそうで「七五三論争」と言われているのだとか。著者はその中でも3世紀説を採っている。つまり邪馬台国は初期国家だという事である。その理由は、身分制がある、法が存在する、租税がある、地方官もいる、魏に使者を送っている(外交)、これらの点で既に初期国家の条件を満たしていると見做している。

前方後円墳国家論

日本古代史つれづれブログ 古墳は語る(18)~「前方後円墳体制は」なかった!?
 これまで「前方後円墳が、大和王権の全国支配の象徴である」という表現を使ってきましたが、難しい表現をすると、「前方後円墳体制」と呼ばれます。 この言葉は、都出比呂志氏(大阪大学名誉教授)が提唱しました。
奈良県桜井市箸墓古墳をはじめとする定型化した前方後円墳の造営をもって古墳時代の始まりとし、古墳時代は、その当初からすでに国家段階に達していたとして、葬制の定型化にみられるような一元化された政治秩序を前方後円墳体制と呼ぶべきだ”としました。
 その後多くの方が使っており、たとえば広瀬和雄氏(国立歴史民俗 博物館考古研究系教授)は、
”日本列島各地に展開した前方後円墳の特質として「見せる王権」としての可視性、形状における斉一性、そして、墳丘規模に顕現する階層性の3点を掲げ、前方後円墳を、大和政権を中心とした首長層ネットワークすなわち「前方後円墳国家」と呼ぶべき国家の表象である”
としてます。(以上Wikipediaより)
 小難しい表現ですが、いずれにしろ「大和王権による全国支配」が前提であり、その「象徴的存在である」点は、同じとみていいでしょう。
 もう少しかみくだいていうと、たとえば
大和王権が、地方豪族に対して築造を命じて、支配の象徴とした。
あるいは
・地方の豪族が、大和王権に服属の証として、自らの意志で築造した。
といったところでしょうか。
 最後に、「前方後円墳体制」はなかったとする説を提唱する専門家の一人、藤田憲司氏*33(前『大阪府立近つ飛鳥博物館』館長)の論文からです。
”巨大前方後円墳の築造が続いた約350年間の当初から「全土的」に一体的な体制が成立したという想定は、多くの問題点を抱えており、同意できない。「古墳時代」中期までは各地に大きな前方後円墳を築く権力構造が成立しており、「近畿中央部の首長と地方の首長との間にあったのはせいぜい同盟的な関係であったろう」(白石2002*34)という指摘は一つの指標になると思う。”(「日本前方後円墳時代研究課題」より)


◆近世日本の国家・社会と「障害者」(高野信治*35
(内容紹介)
 資料が少ないという制約があることを断った上で、和歌山藩田辺領(紀伊田辺藩)を題材に近世日本での障害者の扱いを
1)家族による自助が基本
2)1)でカバーできない場合は村落共同体の共助
3)2)でもカバーできない場合に藩が支援を行うという体制が構築されていた、とみなす。

参考

紀伊田辺藩(ウィキペディア参照)
 紀州徳川家の御付家老だった安藤家が治めた藩。代々紀州藩主を補佐し、紀伊国に3万8千石の所領を与えられたが、紀州徳川家の家臣であることから陪臣とみなされ、独立した藩としては扱われなかった。
 ただし、慶応4年(1868年)1月24日、「維新立藩」で独立の大名となった。明治2年(1869年)6月20日、藩主・安藤直裕が田辺藩知事に就任した。
 明治17年1884年)7月8日には特旨をもって、当主・安藤直行(安藤直裕の四男)が男爵に叙された。


◆近現代中国における国家と個人・地域(田中比呂志*36
(内容紹介)
 清朝末期を、清朝が改革による近代化に失敗したあげく、アヘン戦争敗北や日清戦争敗北を契機に「欧米列強や日本の侵略による中央政府の弱体化」「その弱体化に乗じての軍閥*37の群雄割拠状態(『日本の戦国時代』や『北斗の拳*38(まあアレはマンガですが)』のようなアナーキーな状況であり、中国の国家分裂の危機*39)」という状況にあったと認識している。
 こうした状況の下、孫文辛亥革命に成功し、中華民国が誕生しますが、しかし「欧米列強や日本の侵略による中央政府の弱体化」「その弱体化に乗じての軍閥の群雄割拠状態」と言う難問はそのままであった。
 こうした中、国家統一維持と近代化(富国強兵)を進めるためには「上からの改革」が強力に実施され、民主主義的要素が軽視される傾向があるのは「ある意味当然」といえる。
 蒋介石国民党や毛沢東共産党が、「上からの改革」傾向であったのはもちろん「蒋介石毛沢東の個性」「国民党や共産党イデオロギー」と言う要素もあるだろうがそもそも「欧米列強の侵略による中央政府の弱体化」「その弱体化に乗じての軍閥の群雄割拠状態(こういう状況で到底民主主義などは出来ない話です、軍閥にそんな話が通じるわけもないでしょう)」の中で「国家統一維持と近代化(富国強兵)、そして列強の侵略排除」を進めるためにはそうした「上からの改革路線になりやすい」という近現代中国の特殊要素もあった。もし清朝が改革による近代化に成功し、「列強の侵略」「軍閥の群雄割拠」がなければ中国の歴史も大きく違っていただろう。
 なお、お断りしておきますが、田中氏は「そうした事実を指摘しているだけ」であり蒋介石毛沢東の政治に見られる「ある種の非民主性(独裁性)」を「軍閥が群雄割拠してるし,列強は侵略するし、その状況で近代化しないといけないんだから仕方がねえだろ!。蒋介石毛沢東の独裁には何の問題もない」と擁護しているわけではありません。
 さて「清朝末期&中華民国時代は軍閥の群雄割拠状態(『日本の戦国時代』や『北斗の拳』のようなアナーキーな状況であり、中国の国家分裂の危機)」という田中氏の指摘を頭に入れて

中国に関する私の見方:疑問・批判へのお返事|コラム|21世紀の日本と国際社会 浅井基文のページ
 私の30年以上の親交のある中国人夫妻(両者とも党員であり、かつて大学教員でした)が最近話してくれたことを参考までに紹介します。特に文化大革命でつらい日々を過ごした夫人の方は、かつて中国共産党による支配そのものに厳しい批判を持っていました。しかし、最近、私が「習近平*40を特別扱いすることは、個人崇拝に直結するし、行きすぎではないか」という疑問を口にしたとき、その夫人が、「浅井の言うことは分かるし、個人的には確かに疑問もある。しかし、中国人の性格(魯迅*41「一億の砂」)を考えるとき、中国社会がまとまりを保つことは絶対に必要であり、中国共産党による統治のもとでのみ中国社会の今日に至る発展と人民生活の向上が可能となったし、今後数十年もその状況は変わらない」と述べたのです。改革開放のもとで40年を過ごした彼女の認識の大きな変化を実感したのでした。

という浅井氏の文章を改めて読むと「なるほど」感があります。
 「軍閥の群雄割拠状態(事実上、内戦状態?)」というアナーキー状態は「国共内戦共産党勝利」を経て「共産党支配」の中、「軍閥が牙を抜かれること」で解消しました(その中にで軍閥撲滅どころか、反右派闘争や文革のような無茶苦茶な反政府批判派への弾圧があったことはひとまず置きます。いや『置きます』つうと『何故置く!』『ボーガスは中国シンパだ!』つう輩がいるであろう事(例:Mukke)は分かりますが)。
 要するに『清朝が弱体化したら、軍閥が群雄割拠するアナーキー状況になった。魯迅も『中国人は一億の砂だ』というように中国人は歴史的に個人主義が強くて団結心が弱い*42し、下手に中国共産党批判して、中央政府が弱体化してあんなアナーキー状況が再現したらかなわん*43がな。中国は欧米や日本とはまた国の性格が違うと思う。欧米や日本ではそういうことはないやろうから中央政府批判ガンガンやった方がええかもわからんけどな』『表現の自由、政治的活動の自由かて、昔(典型的には文革期)に比べれば大分マシになった。経済的豊かさや福祉の面も勿論大分良くなった。一帯一路とかAIIBとか、この間のコロナ封じ込めとか習近平も結構有能やないか』と思えば『まあ、何というか中国共産党支配の元での漸進的改革が当面は一番ええんと違うか、現実的と違うか』つう話にもなるでしょう(ここで浅井先生が紹介する中国人女性の発言は平たく言えばそう言う話だろうと思います)。 
 てこういうことを書くと、一部の人間(例:Mukke)は『ボーガスは中国シンパだ!(あるいは、中国に甘い)』というであろうことは大いに予測がつきますが、まあ、俺はそう言う価値観です。そう言う価値観なんであまり「打倒プーチン*44」「打倒北朝鮮」とか思わない。
 さすがに中国、ロシア、北朝鮮のああした独裁的政治を擁護はしませんし、ああした国に住みたいと思いませんし、批判派の気持ちも分からんでもないですが、まあそれでも俺は基本的には漸進的改革の立場です。内戦などのアナーキー状態になられても困る。id:noharraのように「脱北者を10万人引き受ければ北朝鮮崩壊」とかそういうことは全く思わない。
 一方、日本でそう言うアナーキー状態はあり得ない、つうか安倍のやってる「モリカケ」などの無法の方がよほどアナーキーなんで俺は「そう言う意味では」躊躇なく安倍を批判します)。
 なお、以上の感想は浅井記事や田中論文にヒントを得た、あくまでも俺の個人的感想であり、田中論文や浅井記事とは直接の関係はないことをお断りしておきます。
 さて以下、話が脱線しますが、色々書いてみます。
1)よく中国人の特徴として「日本人に比べてたくましい」「自己主張が強い」「家族など身内は信用しても、身内以外は信用しない」「政府を信用しない」「金にこだわる」とか言われます。まあ俺も中国人の知人がいるわけではないので実際どうか知りませんが、何せ、「最近でこそ平穏無事になってきました」が「満州事変以降の日本との戦争(1931~1945年)」「国共内戦(1945~1949年)」「文革(1966~1976年)」など「死の危険性もある」アナーキーな状態が暫く前までずっと続いてきたわけです。そりゃ良く言われる「中国人の特徴」は当たり前すぎるほど当たり前の特徴でしょう。
2)日本史でも「いわゆる西原借款軍閥・段祺瑞に対して行われた借款。段の失脚で結果的に無駄になった)」、「軍閥張作霖暗殺への対応のまずさから昭和天皇の不信を買い、田中義一*45内閣総辞職」などで軍閥が出てきますので何も中国史だけではなく、日本史理解においても軍閥は重要な要素です。
3)「好き勝手やってる軍閥」を押さえ込むことを目的として実施され、実際に押さえ込んだのが蒋介石が実行したいわゆる「北伐(1926~1928年)」です。で北伐は成功しますが、まあ、当時の日本政府(特に陸軍)の蒋介石評価、中国評価は大して良くありません。
 「北伐が成功したといっても一時的なもんだ。あんなもん、すぐに崩壊する」。
 当然ながらそんな蒋介石相手には「譲歩や妥協の必要なんかない。日本軍でボコボコにぶったたけば、すぐに蒋介石は降伏する。奴が降伏しなくても軍閥蒋介石を引きずり下ろすはずだ。今は日本が中国で利権を増やす絶好のチャンスだ。満州国建国(1932年)止まりで終わりに出来るか」。
 西安事件(1936年)が起こると「見ろ、やっぱり俺たちの予想通りだ。」「蒋介石は多分殺されるに違いない。今まで戦争を続けてきて良かった。蒋が死ねば俺たちにとって事態が良くなる」。
 「ギャンブルにのめり込む依存症患者」「結婚詐欺師にかもられる男性」みたいなもんです。自分に都合良い方向にしか物が見れない。
 まあ「日本政府・軍の名誉」の為に断っておけば「北伐成功以前」は蒋介石のような「軍閥を押さえ込む動き」は全て失敗してきたのでどうしても「また失敗する」つう方向で物を見てしまう。
 しかし、今更言うまでもないですが、蒋介石は日本軍に屈服しなかったし、政権崩壊もしなかった。あげく「蒋介石を支援する米国」から「対日石油禁輸」をやられて日本の方が経済的に追い込まれたあげく「太平洋戦争で敗戦」です。「見通しを誤るととんでもないことになる」つう話ですね。
 「日本軍の思惑に反し、日本に勝利した蒋介石」ですが、とはいえ、蒋介石の軍が「軍閥の寄せ集めだ」と言う性格は結局、完全には解消できませんでした。その結果、国共内戦で「蒋介石側が負けそう(毛沢東が勝ちそう)」となると蒋介石の部下のうち、もともと彼に対してそれほどの忠誠心のない「軍閥出身の部下」、たとえば

傅作義 - Wikipedia
 1947年12月には、華北剿匪総司令に任じられ、北平(今の北京)に拠点を置いている。しかし、戦況は好転しなかった。年末からは各方面の和平工作もあり、ついに1949年1月、傅作義は北平を無血開城している。
 中華人民共和国成立後は、中央人民政府委員会委員、軍事委員会委員、水利部長、全国人民代表大会代表、国防委員会副主席、中国人民政治協商会議全国委員会常務委員、同副主席などを歴任。

などがどんどん降伏して、戦況がどんどん悪化していくわけです。

参考

◆人民中国『一九四九年一月三十一日
 1949年の1月は、北京の歴史にとって特筆されるべき月であった。中国共産党中国国民党の間の戦いで、北京が平和解放されたのである。
 国民党軍の北京地区の司令官だった傅作義将軍に面と向かって、中国共産党の北京平和解放の提案を受けるよう求めた人がいた。傅作義氏の娘の傅冬菊だ。新聞記者だった傅冬菊のもう一つの顔は、父にも秘密の中国共産党の地下党員だった。
 傅作義将軍の心は、大いに揺れ動いた。長い沈黙のあと、「よく考えてみよう」と静かに言った。
 こうしたなかで、中国共産党は傅作義将軍と根気強く、頻繁に交渉を続けた。一月ほどの話しあいを通じて傅作義将軍は、国民党軍の市内からの撤退という条件を受け入れ、1949年1月20日の命令の中で「北京を完全な形で共産党側に引き渡すべきである。さもなければ、われわれは歴史の罪人となるだろう」と述べている。


◆リレー連載:「明治150年」の総括4『被災地熊本で見た「明治150年」と私たちの課題』(三澤純*46
(内容紹介)
 筆者は『熊本では明治150年イベントは低調だった』とまず指摘します。
 筆者に寄れば、やはり明治150年イベントが活発だったのはやはり大久保利通*47西郷隆盛*48黒田清隆*49松方正義*50らの薩摩(鹿児島)、木戸孝允*51伊藤博文*52山縣有朋*53井上馨*54らの長州(山口)、坂本龍馬板垣退助*55後藤象二郎*56らの土佐(高知)、江藤新平*57大隈重信*58副島種臣*59らの肥前(佐賀)だったようです。
 なお、実は大隈重信らの肥前藩佐賀藩鍋島藩)は倒幕で活躍しましたが、唐津藩

唐津藩ウィキペディア参照)
 唐津藩最後の藩主となった小笠原長行は幕末期に老中・外国事務総裁を兼任して幕政を担った。しかも1868年の戊辰戦争では旧幕府軍に与して箱館まで転戦するなど、最後まで幕府に忠義を尽くした人物である。

ということで「佐賀全体」としては必ずしも倒幕ではなかったのですが、三澤氏に寄れば
1)肥前藩を前面に出し、唐津藩を後景に追いやると共に
2)小笠原長行が参加した箱館戦争の『最高司令官・榎本武揚*60』は敗戦後、その才能を認められて明治新政府に登用された。榎本を『西郷、大久保などとは立場は違うが愛国者だった。だから明治新政府も登用した』というなら小笠原長行も同様に評価されていいはずだ
3)明治維新以降は唐津からも辰野金吾など優秀な人材が輩出された
ということで明治150年イベントにおいては『唐津藩』の処理がされたようです。
 さて、『熊本では明治150年イベントが低調だった』とする三澤氏ですが、『三澤氏の認識(熊本では明治150年イベントが低調)が正しい』と前提して、では『熊本(熊本藩肥後藩、細川藩)と明治維新と関係がないのか』といえば実はそうでもありません。
 明治維新と関係がある熊本出身の人間としては

熊本藩出身の人物:順番はあいうえお順】
井上毅
 伊藤博文の側近として大日本帝国憲法皇室典範教育勅語軍人勅諭などの起草に参加した。法制局長官、枢密顧問官、第2次伊藤内閣文部大臣を歴任。
河上彦斎
 薩摩藩田中新兵衛中村半次郎桐野利秋)、土佐藩岡田以蔵と共に「幕末の四大人斬り」と呼ばれる人物。佐久間象山暗殺の実行犯の一人として知られる。
宮部鼎蔵
 熊本藩出身の尊皇倒幕派池田屋事件において新選組によって殺害される。明治24年(1891年)に従四位を贈られている。また宮部は、池田屋事件で殺害された杉山松助吉田稔麿長州藩)、石川潤次郎、北添佶摩土佐藩)、大高又次郎(林田藩)、松田重助(熊本藩)とともに俗に『池田屋事件・殉難七士』と呼ばれる。
元田永孚
 儒学者教育勅語の起草に参加。宮中顧問官、枢密顧問官を歴任。
横井小楠
 ただし、熊本藩ではその才能が認められなかった。一方、福井藩主・松平春嶽からその才能を認められて、春嶽の政治顧問として採用されたため、三澤氏に寄れば熊本よりもむしろ福井で明治150年記念イベントがされたとのこと。

がいますし、士族反乱の一つ『神風連の乱』は熊本で発生している。また西南戦争で西郷軍と政府軍が激突したのは熊本城だからです(以上はウィキペディア
Category:幕末熊本藩の人物 - Wikipediaなどを参照。なお、熊本には熊本藩とは別に人吉藩もありますが小生がググった限りではあまり有名な人間はいないようです)。
 三澤氏は『明治維新万歳の安倍自民の立場では教育勅語の起草に関わった井上毅元田永孚を大々的に顕彰するイベントが熊本でされてもおかしくないのにそうならなかったのは興味深い事実』『彼らを顕彰することによって国内外から批判が起こることを恐れたのか、はたまた単に『井上や元田に興味がないだけ』なのか?』『そもそも熊本県民において彼らの知名度が低いことも興味深い事実』と指摘しています(まあ、話を安倍に限定すれば、『教育勅語万歳ウヨ』とはいえ、あの『頭の悪い男』が井上毅元田永孚を知っているとはとても思えませんが)。
 ちなみにググったら

【維新伝心150年】近代教育(下)2人の熊本人 慎重期した教育勅語 - 産経ニュース
 明治政府は西欧流の教育制度を導入した。国力の源である科学技術分野で、先進国に追い付くことが最重要課題だったからだ。しかし急速な欧化によって、わが国の価値観・道徳観が大きく揺らいだ。深まる混迷を払おうと、2人の元熊本藩*61が「教育勅語」を作り上げた。

【士魂を育む 今村裕の一筆両断】教育勅語に込められた日本人の「こころ」 - 産経ニュース
 西洋化の中で日本の良き伝統や文化が失われていく。明治天皇はそう心配し、井上毅(こわし)と元田永孚(もとだながざね)に倫理道徳観の基本を作成するよう命じました。それが『教育勅語』(明治23年10月発布)です。

として産経が「教育勅語の起草者」として「井上毅」「元田永孚」を「一応」好意的に紹介していますね。
 勿論産経が

【士魂を育む 今村裕の一筆両断】教育勅語に込められた日本人の「こころ」 - 産経ニュース
 昨年10月、内閣改造がありました。大臣の記者会見では、それぞれ定番の質問が出ます。(ボーガス注:極右・安倍政権下での)文部科学大臣の場合は、教育勅語についての考えです。肯定的な発言をしようものなら、よってたかって叩かれます。踏み絵を迫るかのような記者会見の様子を見るたびに、質問者は教育勅語の成立当時の日本の苦悩、そこに書かれた徳目などをどれほど理解しているのだろうか*62、と疑問に思います。

教育勅語を絶賛し、批判派に対して「教育勅語を絶賛して何が悪い」と居直るのはいつものお約束です。
【参考:教育勅語と安倍政権】

主張 教育勅語美化発言 「まっとう」という見識を疑う」│歴史教科書、「日の丸」・「君が代」│日本共産党の政策│日本共産党中央委員会
 下村博文*63文部科学相が、戦前の軍国主義教育を 推進する主柱だった教育勅語について「中身はまっとうなことが書かれている」と発言したのも見過ごせません。安倍政権の「教育再生」を担当する下村氏の発言は、教育の面から「戦争する国」づくりを推進する危険を示しています。

主張/教育勅語称賛発言/取り戻したいのは戦前なのか
 国有地の「格安」売却疑惑の渦中にある「森友学園」の幼稚園で園児に教育勅語を暗唱させていることが問題になっている中、稲田朋美*64防衛相が国会で「教育勅語の精神を取り戻すべきだ」などと称賛する答弁をしたことに批判が上がっています。教育勅語は戦前、子どもたちに「天皇のために命をささげる」ことを教え込んだ軍国主義教育の主柱です。その精神を「取り戻す」と公言してはばからない稲田氏の防衛相としての資質がきびしく問われます。

主張/教育勅語も「教材」/歴史反省しない政治は許せぬ
 安倍晋三政権が、戦前の「教育勅語」を学校教育の教材にすることを認める見解をまとめ、菅義偉官房長官松野博一文部科学相が道徳の教材にすることも「否定しない」と発言して反発を呼んでいます。異常な「天皇中心主義」で国民を戦争に駆り立てた「教育勅語」を、道徳の教材にするなど許されません。菅長官は「憲法教育基本法に反しなければ」としていますが、戦後の憲法教育基本法制定に伴って国会でも排除・失効が決まった「教育勅語」が、憲法などと両立するわけはありません。安倍政権の態度は歴史を反省しない政治そのものです。

主張/教育勅語復活発言/形変えても本質は変わらない
 安倍晋三首相による内閣改造文部科学相として初入閣した柴山昌彦氏が就任会見で、教育勅語について「アレンジした形で今の道徳に使うことができる分野は十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分が見て取れる」「現代的にアレンジして教えていこうという動きがある。検討に値する」などと発言しました。戦前、軍国主義教育を進める主柱となっていた教育勅語を、形を変えて復活させようというもので、国の文部行政の責任者が就任早々このような発言をするのは異常です。

【参考:明治150年と唐津

明治維新150年記念事業/唐津市
 幕末維新期の唐津は、徳川幕府譜代大名という位置づけのもと、最後まで徳川家に忠誠を尽くし明治新政府に抵抗しましたが、ついに降伏しました。賊軍としてのレッテルを貼られ明治維新を迎えた唐津藩は、これまでの思想や方針を180度変更し、英学校としての「耐恒寮(たいこうりょう)」に代表されるように、明治という国家や近代化に適合できる人材育成と人材の輩出を目指しました。この動きに応えるように辰野金吾*65(たつのきんご)、曽禰達蔵(そねたつぞう)、天野為之*66(あまのためゆき)、長谷川芳之助(はせがわよしのすけ)、大島小太郎(おおしまこたろう)など、近代的な建築学や経済学、法学などを学び、明治期の日本や唐津の最前線で活躍できる人材が多数輩出されました。
 また、唐津の近代化を語る上で重要なのが石炭です。幕末から維新期にかけての唐津の石炭の出炭量は、全国の約3分の1にまで及び、新政府軍として戦った薩摩藩熊本藩久留米藩佐賀藩唐津で石炭採掘を行っていました。特に明治維新の立役者の薩摩藩などは、唐津の石炭がなかったら、軍艦(蒸気船)を動かすこともできなかったでしょう。このように、幕末維新期のエネルギー源を、唐津が大きく支えていたといっても過言ではありません。これらの石炭は、明治以降、唐津の鉄道施設や国際港としての港湾整備、さらには電気の普及などのインフラ整備の要因にもつながり、唐津の近代化を推進し、経済を潤す大きな原動力にもなりました。

唐津藩の危機、石炭が救う 明治新政府へ献上、軍艦燃料に 幕府支える譜代の立場転換|【西日本新聞ニュース】
 幕末から明治維新にかけ唐津地方の石炭は国内採掘量の約3分の1を占めていた。唐津藩は、明治新政府に対し軍艦や輸送船として使われた蒸気船の燃料の石炭を供給し、戊辰戦争ではエネルギー面で重要な役割を果たした。「唐津の石炭がなかったら明治維新は遅れていたかもしれない」。こんな見方を示す唐津市明治維新150年事業推進室係長の黒田裕一さん(51)に、維新に不可欠だった石炭を通し激動の時代を読み解いてもらった。
 当時の唐津藩は、藩主の小笠原長国(ながくに)の養嗣子、長行(ながみち)が江戸幕府最後の老中を務め、佐幕派と見られがちだ。しかし、実は石炭供給は、新政府の敵とみなされていた藩が攻め滅ぼされないよう長国が講じた起死回生策だった。
 新政府軍が旧幕府勢力を破った鳥羽伏見の戦い(1868年)を皮切りに戊辰戦争が始まると、唐津藩は存亡の危機に陥る。新政府側の薩摩藩兵が現在の伊万里市まで迫ってきて駐留し、幕府を支えてきた譜代大名の長国に対し降伏開城を突きつけたのである。さらに京都の新政府中枢部は、第2次長州征討(1866年)で指揮を執り討幕派の長州藩に敗れた長行について、切腹唐津で謹慎させるよう長国に求めてきた。
 長国は、長行との養子関係を断つ苦渋の決断をする。京都に上るため、呼子に寄港していた佐賀藩前藩主の鍋島直正に「新政府に奉仕したい」との思いを伝え、ともに上洛(じょうらく)するのである。「臨機応変に立ち回る才覚がある人だった。幕府側に立つ譜代大名の宿命から脱却し、藩を存続させることを優先させた」と黒田さん。
 長国は、新政府に従順さを猛烈にアピールしなければならなかった。そこで思いついたのが唐津に豊富にある石炭の献上だった。「新政府は戊辰戦争を続けるための資金力が不足していた。当時、関東などで戦うためにも、人員、物資を運ぶのに必要な蒸気船の燃料の石炭を非常に欲しており、長国は石炭の献上によって立場の好転を画策した」と黒田さんは指摘する。
 新政府から石炭買い取りの要請があると、長国は3千トンの献上を申し出る。新政府側も大きな石炭供給地を領する長国の懐柔を図ることにし、それまでの小笠原家の地位より格上の官職を与えた。長国はその後も新政府に石炭の供出を続け、唐津藩は朝敵となる危機から脱した。


◆科学運動通信『「陵墓限定公開」四〇周年記念シンポジウム「文化財としての「陵墓」と世界遺産」参加記』(阿部大誠、森田喜久男*67
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

文化財としての「陵墓」 大阪歴博でシンポジウム - 毎日新聞
 宮内庁が歴代天皇らの墓として管理する「陵墓」を考えるシンポジウム「文化財としての『陵墓』と世界遺産」が22日午前10時半から、大阪歴史博物館大阪市中央区)講堂で開かれる。陵墓は原則的に立ち入りが制限されるが、考古・歴史学の研究者らは宮内庁に公開と文化遺産としての評価を求めてきた。

陵墓の公開めぐり、研究者ら討論:朝日新聞デジタル
 歴代天皇・皇后や皇族の墓として宮内庁が管理し自由な立ち入りを禁じている「陵墓(りょうぼ)」の公開を求めてきた歴史・考古学系16学・協会の研究者によるシンポジウム「文化財としての『陵墓』と世界遺産」が12月下旬、大阪市大阪歴史博物館であった。陵墓の限定公開が40周年を迎えたことを記念して開催。

「陵墓」テーマ、大阪歴博でシンポ 学術・信仰・観光、分別が課題 - 毎日新聞
 宮内庁が歴代天皇の墓などとして管理する「陵墓」を考えるシンポジウムが2019年12月22日、大阪歴史博物館大阪市中央区)であった。19年に世界文化遺産登録された「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)の構成資産49基のうち29基が陵墓。原則非公開、学術的根拠がないまま「仁徳天皇陵古墳」(大山古墳、堺市)のように被葬者が確定したかのような登録名称など、課題も多い。考古学、歴史研究者があるべき姿について意見を交わした。
 1979年に清寧天皇陵とされる白髪山古墳(大阪府羽曳野市)が限定公開されて40年を記念し開かれた。当時を知る文化財保存全国協議会の宮川徏(すすむ)*68さんが「最初は墳丘に入れず撮影も止められるような『公開』だった。その後、墳丘裾までの立ち入り観察も許されるようになったが、さらに自由な見学にしていく必要がある」と訴えた。

  一応簡単にコメントしておけば、まず第一に宮内庁が陵墓の発掘に消極的なために、陵墓の考古学的研究は進んでおらず、学者がこのように「学問調査の実施」を宮内庁に要求しています。
 第二に、陵墓指定は「明治時代の指定がそのまま」なので「清寧天皇陵とされる白髪山古墳」「仁徳天皇陵とされる大仙古墳(大山古墳)」などは本当に天皇陵か分かりません。


◆書評:水野剛也著『有刺鉄線内の市民的自由:日系人戦時集合所と言論』(2019年、法政大学出版会)(評者・秋山かおり)
(内容紹介)
 「日系人戦時集合所」とはあまり聞き慣れない言葉ですがもっとわかりやすく言えば「太平洋戦争での日系人強制収容所」のことです。

全米日系人博物館:強制収容所データ
◆「集合センター」の所在地と運営期間
 米国陸軍によって管理された16ヶ所のセンターは、強制立ち退きを命じた日系アメリカ人たちを、(ボーガス注:本格的な)強制収容所へ送るまでのあいだ、拘留するために設けられた。センターは野外催事場や競馬場の馬小屋などを急ごしらえで転用したもので、その施設は人間が住むようなものではなかった。

ということで「一時的な仮設収容所=日系人戦時集合所」ですね。
 なお、「一時的な仮設収容所=日系人戦時集合所」は軍の管理ですが

全米日系人博物館:強制収容所データ
強制収容所の所在地と運営期間
 戦時転住局に管理された10ヶ所の強制収容所は、有刺鉄線に囲まれ、武装した警備兵に監視されていた。

ということで本格的な強制収容所については新たに「戦時転住局」という機関が「内務省」の下部組織として軍とは別に設置されます。
 水野著書についてはアマゾンの内容紹介を紹介しておきます。

【内容】
 第二次世界大戦下、アメリカ西海岸地域に住む約十二万人の日系人は敵性外国人として居住地を追われ収容施設に隔離された。最初期の日系人仮設収容所である「集合所」で行われた印刷物の検閲や日本語使用の規制など多領域にわたる市民的自由の侵害を実証的に解明。戦時民主主義の限界と矛盾を問う。
【著者について】
 1970年、東京都生まれ。アメリカ・ミズーリ州立大学スクール・オブ・ジャーナリズム博士課程修了。現在、東洋大学社会学部教授。著書に『日系アメリカ人強制収容とジャーナリズム:リベラル派雑誌と日本語新聞の第二次世界大戦』(春風社、2005年)、『「敵国語」ジャーナリズム:日米開戦とアメリカの日本語新聞』(春風社、2011年)、『「自由の国」の報道統制:大戦下の日系ジャーナリズム』(吉川弘文館、2014年)、共訳書にM. エメリー、E. エメリー、N. L. ロバーツ『アメリカ報道史:ジャーナリストの視点から観た米国史』(松柏社、2016年)がある。

 ということで収容所内での新聞発行、集会開催などは事前検閲がされており、それについて取り上げた著書だそうです。


◆書評:ティヴァダル・ソロス『仮面のダンス:ジョージ・ソロスの一家はいかにしてナチ党支配下ハンガリーを生き延びたのか』(2017年、現代企画室)(評者・割田聖史*69
(内容紹介)
 ジョージ・ソロスとは著名な投資家でティヴァダル・ソロスとはジョージの父親です。
 ユダヤ人であるソロス一家が、ナチ支配下ハンガリーでどのように生き延びたかが書いてあるそうです。
 なお、割田氏も触れていますが、「ナチ支配下ハンガリーユダヤ人」といえば、戦場のピアニスト - Wikipedia(主演のエイドリアン・ブロディ*70はこの作品でアカデミー主演男優賞を受賞)という映画の主人公ウワディスワフ・シュピルマンも「ナチ支配下ハンガリーユダヤ人」です。

*1:一橋大学准教授。著書『植民地期朝鮮の地域変容:日本の大陸進出と咸鏡北道』(2017年、吉川弘文館)、『だれが日韓「対立」をつくったのか:徴用工、「慰安婦」、そしてメディア』(共著、2019年、大月書店)

*2:安倍が『新日鐵住金(現・日本製鉄)の敗訴判決』に逆ギレしてホワイト国除外などの暴挙に走ったことで知られる裁判。

*3:弁護士。龍谷大学安重根東洋平和研究センター客員研究員。著書『日本が知らない戦争責任:国連の人権活動と日本軍慰安婦問題』(1999年、現代人文社)、『図際人権法入門』(2003年、明石書店)、『ILOとジェンダ一:性差別のない社会へ』(2006年、日本評論社)、『国連人権理事会』(2009年、日本評論社)など

*4:著書『浜岡・反原発の民衆史』(2014年、社会評論社)、『静岡県水平社の歴史』(2016年、解放出版社)、『日本陸軍のアジア空襲:爆撃・毒ガス・ペスト』(2016年、社会評論社)、『明治日本の産業革命遺産・強制労働Q&A:八幡製鉄所、 長崎造船所、高島・端島炭鉱、三池炭鉱』(2018年、社会評論社)など

*5:同志社大学教授。著書『したたかな韓国:朴槿恵時代の戦略を探る』(2013年、NHK出版新書)、『韓国化する日本、日本化する韓国』(2015年、講談社

*6:神戸大学教授。著書『朝鮮半島をどう見るか』(2004年、集英社新書)、『高宗・閔妃』(2007年、ミネルヴァ日本評伝選)、『韓国現代史:大統領たちの栄光と蹉跌』(2008年、中公新書)など

*7:フェリス女学院大学教授。著書『天皇韓国併合』(2011年、法政大学出版会)、『朝鮮王公族:帝国日本の準皇族』(2015年、中公新書

*8:京都大学教授。著書『韓国語はじめの一歩』(2000年、ちくま新書)、『韓国人のしくみ』(2001年、講談社現代新書)、『歴史認識を乗り越える』(2005年、講談社現代新書)、『韓国は一個の哲学である:〈理〉と〈気〉の社会システム』(2011年、講談社学術文庫)、『心で知る、韓国』(2012年、岩波現代文庫)、『入門・朱子学陽明学』(2012年、ちくま新書)、『新しい論語』(2013年、ちくま新書)、『朝鮮思想全史』(2017年、ちくま新書)、『京都思想逍遥』(2019年、ちくま新書)など

*9:武藤などと違い『露骨な差別ではない』とはいえ、加藤報告が『嫌韓国本扱い』し、『朝日もここまで劣化したか』と嘆く小倉本が『ウヨの巣窟・アマゾンレビュー』では『韓国に媚びてる』などと評価されるのだから小泉純一郎の有名な居直り発言『人生いろいろ、会社もいろいろ』ではないですがまさに『人間いろいろ』です。

*10:日経新聞ソウル特派員、元日経編集委員(2018年に日経を定年退職)。2012年1月24日から2019年1月8日まで、『日経ビジネスオンライン』にコラム「早読み 深読み 朝鮮半島」を連載。現在、週刊新潮にコラム『半島を読む』を連載中( 鈴置高史 - Wikipedia参照)。

*11:朝日新聞編集委員朝鮮半島)。元朝日新聞ソウル支局長

*12:なお、加藤報告は2019年11/30に行われたので牧野『韓国を支配する「空気」の研究』(2020年、文春新書)は取り上げられていません。

*13:元駐韓大使

*14:そのため、加藤報告では櫻井よしこ『赤い韓国:危機を招く半島の真実』(共著、2017年、産経新聞出版)、『韓国壊乱:文在寅政権に何が起きているのか』(共著、2018年、PHP新書)、ケント・ギルバート儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(2017年、講談社+α新書)など世間的に韓国通扱いされてない人間の嫌韓国著書は取り上げられていません。

*15:外務官僚。駐メキシコ大使、駐南ベトナム大使など歴任

*16:三菱電機社長、会長を歴任

*17:駐日大使、韓国外相など歴任

*18:外務事務次官、駐米大使など歴任

*19:おそらくオフレコ扱いに義憤を感じたマスコミ記者の赤旗へのたれ込みでしょう。

*20:戦前は満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後は日本民主党幹事長、自民党幹事長、石橋内閣外相などを経て首相。佐藤栄作元首相の実兄。安倍晋太郎元外相の義父。安倍晋三現首相の祖父。

*21:戦前から「岸信介・東条内閣商工相』のもとで商工次官を務めた岸の側近。岸が政界入りした際に岸の誘いで政界入り。岸内閣官房長官、池田内閣通産相、外相、佐藤内閣外相、通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、総務会長(佐藤総裁時代)、副総裁(田中、三木総裁時代)など要職を歴任。佐藤内閣外相時代に日韓国交正常化を実現。一般には三木武夫を首相に指名した、いわゆる「椎名裁定」で知られる。

*22:サイマル出版会

*23:東京外国語大学助教。著書『ニコス・プーランザス 力の位相論』(2015年、吉田書店)

*24:1936~1979年。ギリシャアテネに生まれフランスで活躍した政治学者。ギリシャ共産党員。いわゆるユーロコミュニズムに影響を与えた理論家の一人とされる。1979年に43歳の若さで謎の自殺を遂げている(柏崎氏は1980年代のレーガン(米国)、サッチャー(英国)の台頭、コール(ドイツ)の長期政権など1980年代における欧米左派の困難を1979年時点で認識したプーランザスが絶望のために自殺したのではないかと評価していますが、まあこういうことは遺書でもない限り、軽々に語るべきことではないでしょうね)( ニコス・プーランツァス - Wikipedia参照)。

*25:英国の政治学者。著書『資本主義国家:マルクス主義的諸理論と諸方法』(1983年、御茶の水書房)、『国家理論:資本主義国家を中心に』(1994年、御茶の水書房)、『資本主義国家の未来』(2005年、御茶の水書房)、『国家権力:戦略・関係アプローチ』(2009年、御茶の水書房

*26:著書『マルクス主義政治理論の基本問題』(1971年、青木書店)、『先進国革命と多元的社会主義』(1978年、大月書店)、『マルクス主義国家論の新展開』(1979年、青木書店)など。訳書としてラルフ・ミリバンド『現代資本主義国家論』(1970年、未來社)、『マルクス主義政治学入門』(1979年、青木書店)、『階級権力と国家権力』(1986年、未來社)など

*27:1912~1986年。著書『神話と文学』(岩波現代文庫)、『中世的世界の形成』(岩波文庫)、『歴史と民族の発見:歴史学の課題と方法』(平凡社ライブラリー)など

*28:大阪大学名誉教授。著書『王陵の考古学』(2000年、岩波新書)、『古代国家はいつ成立したか』(2011年、岩波新書)など

*29:國學院大學名誉教授。横浜市歴史博物館館長

*30:東京大学教授。著書『道長と宮廷社会』(2009年、講談社学術文庫)、『律令国家と隋唐文明』(2020年、岩波新書)など

*31:京都大学教授。著書『飛鳥の都』(2011年、岩波新書)など

*32:国立歴史民俗博物館教授。著書『古墳時代政治構造の研究』(2007年、塙書房)、『前方後円墳の世界』(2010年、岩波新書)、『カミ観念と古代国家』(2010年、角川叢書)、『前方後円墳国家』(2017年、中公文庫)、『前方後円墳とはなにか』(2019年、中公叢書)など

*33:著書『邪馬台国ヤマト王権』(2016年、えにし書房)

*34:白石太一郎編『日本の時代史 倭国誕生』(2002年、吉川弘文館)のことか?

*35:九州大学教授。著書『近世大名家臣団と領主制』(1997年、吉川弘文館)、『藩国と藩輔の構図』(2003年、名著出版)、『近世領主支配と地域社会』(2009年、校倉書房)、『武士の奉公 本音と建前:江戸時代の出世と処世術』(2014年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『近世政治社会への視座』(2017年、清文堂出版

*36:東京学芸大学教授。著書『近代中国の政治統合と地域社会:立憲・地方自治・地域エリート』(2010年、研文出版)、『袁世凱』(2015年、山川出版社世界史リブレット人)

*37:有名なのが例えば「関東軍が爆殺した張作霖」「張作霖の義理の息子で西安事件の首謀者として知られる張学良」「張学良と共に西安事件を実行し、後に蒋介石によって殺害された楊虎城」です。

*38:最近の若者は『北斗の拳』といっても何のことだかさっぱりわからないでしょうが。あのマンガも1980年代連載ですからね。パチスロ北斗の拳くらいでしか今はまず見ないんじゃないか。

*39:辛亥革命での混乱状態を利用し、外モンゴルは独立を宣言し、実際に独立を果たします(ただし内モンゴルは独立できず)。しかし、チベットは「独立を宣言した」ものの国際社会には相手にされず、ウイグルも後に「東トルキスタン共和国」を「建国」しますが、結局は崩壊します。内モンゴルウイグルチベット全て今も中国の領土です。なお、これはあくまでも「各地の少数民族が独立を目指し、それにすぐには対応できないほど、中央政府の力が弱体化していた(ただしそれでも実際に独立できたのは外モンゴルだけであった)」という「事実を説明している」だけで俺が「独立論を支持しているわけではないこと」をお断りしておきます。

*40:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*41:1881~1936年。著書『阿Q正伝狂人日記 他十二篇』、『故事新編』、『朝花夕拾』、『野草』(以上、岩波文庫)、『阿Q正伝』(角川文庫)、『阿Q正伝・藤野先生』(講談社文芸文庫)、『故郷/阿Q正伝』、『酒楼にて/非攻』(以上、光文社古典新訳文庫)、『中国小説史略 (上)(下)』(ちくま学芸文庫)、『吶喊』(中公文庫)など

*42:それはそれでメリットもあるわけですが。

*43:本当かどうか知りませんが、一部の日本ウヨは人民解放軍軍閥扱いし、「中国中央政府が弱体化すれば、中華民国時代のような軍閥割拠状態になる」と放言しています。たとえば【野口裕之の軍事情勢】反習近平派の拠点、中国人民解放軍「瀋陽軍区」が北と通じてクーデターを計画している!(1/5ページ) - 産経ニュース【野口裕之の軍事情勢】習近平氏が人民解放軍「瀋陽軍区」に怯えている! 核の原料・技術を平壌に流す?最精強集団(1/8ページ) - 産経ニュース新型肺炎“無策”で…習政権に人民解放軍が暴発寸前か 反習派の牙城「北部戦区」動く!? 識者「習氏の『個人崇拝』は崩れつつある」 (1/3ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイトはそうした放言の一例です。また、さすがに「現在の人民解放軍」を軍閥呼ばわりはしてないとは言え、「軍閥を押さえ込み取り込むことで人民解放軍は形成された」という指摘として人民解放軍の源流は「私兵」だった 中国の政治と軍の悩ましい関係史 澁谷由里・帝京大教授 (1/3ページ) - 産経ニュースを紹介しておきます。

*44:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相などを経て大統領

*45:参謀次長、原、第2次山本内閣陸軍大臣を経て首相

*46:熊本大学准教授

*47:参議、大蔵卿、内務卿など歴任。紀尾井坂の変で暗殺される

*48:参議、陸軍大将、近衛都督を歴任。後に西南戦争を起こし自決。

*49:第一次伊藤内閣農商務相、首相、第二次伊藤内閣逓信相、枢密院議長など歴任。元老の一人。

*50:大蔵卿、第1次伊藤、黒田、第1次山県、第2次伊藤、第2次山県内閣蔵相、首相、内大臣など歴任。元老の一人。

*51:参議、文部卿、内務卿を歴任

*52:首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など要職を歴任。元老の一人。安重根によって暗殺される。

*53:陸軍卿、内務卿、第一次伊藤内閣内務相、首相、第二次伊藤内閣司法相、枢密院議長、参謀総長など歴任。元老の一人。

*54:参議、外務卿、第1次伊藤内閣外相、黒田内閣農商務相、第2次伊藤内閣内務相、第3次伊藤内閣蔵相など歴任。元老の一人。

*55:参議、第二次伊藤、第二次松方、第一次大隈内閣内務相など歴任

*56:参議、工部大輔、黒田、第1次山県、第1次松方内閣逓信相、第2次伊藤内閣農商務相など歴任

*57:参議、司法卿を歴任。後に佐賀の乱を起こし死刑

*58:参議、大蔵卿、第一次伊藤、黒田内閣外相、首相など歴任

*59:参議、外務卿、第1次松方内閣内務相など歴任

*60:明治新政府で第1次伊藤、黒田内閣逓信相、黒田、第1次山県内閣文相、第1次松方内閣外相、第2次伊藤、第2次松方内閣農商務相など要職を歴任

*61:井上毅元田永孚のこと

*62:「当時としては教育勅語は意味があった」かどうかなんて話は誰もしていません(まあこれだって「当時においても教育勅語は有害無益だった」と否定的な人間はいるでしょうが)。「今の時代に教育勅語を評価し、活用する意味があるのか」という話をしているのであり、それに「イエス」と答えるのは産経や日本会議のような極右だけです。

*63:第一次安倍内閣官房副長官、第二次安倍内閣文科相などを経て現在、自民党選対委員長

*64:第二次安倍内閣行革相、自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣防衛相など歴任

*65:帝国大学工科大学学長(現在の東京大学工学部長に当たる)。日銀本店、東京駅の設計などで知られる。

*66:東洋経済新報社主幹、早稲田大学学長、早稲田実業学校校長を歴任

*67:淑徳大学教授。著書『日本古代の王権と山野河海』(2009年、吉川弘文館)、『古代王権と出雲』(2014年、同成社

*68:古墳の守り人 | 動画で見るニッポンみちしる~新日本風土記アーカイブス~在野で書き残す「破壊の嵐」 宮川徏さん「よみがえる百舌鳥古墳群」|好書好日古墳の丘を歩む人~「よみがえる百舌鳥古墳群」著者宮川徏さんに聞く~(1) | つーる・ど・堺【堺・南大阪の地域情報】によれば本業は歯科医で『よみがえる百舌鳥古墳群:失われた古墳群の実像に迫る』(2018年、新泉社)と言う著書があるそうです。

*69:青山学院大学教授。著書『プロイセンの国家・国民・地域:19世紀前半のポーゼン州・ドイツ・ポーランド』(2012年、有志舎)

*70:1973年生まれ。2002年公開の『戦場のピアニスト』でアカデミー主演男優賞を受賞。29歳での受賞記録は、現在でも史上最年少記録である( エイドリアン・ブロディ - Wikipedia参照)。