今日の朝鮮・韓国ニュース(2021年6月19日分)(追記あり)

慰安婦支援団体前トップを除名 不動産疑惑で韓国与党:時事ドットコム
 「元幹部」とはいえ「慰安婦支援団体の幹部」にこうした問題が表面化するのは非常に残念です。いずれにせよこれは「個人の不正」であり、慰安婦が「戦争犯罪である」という事実に影響を与えるものではありません。巣くう会のウヨ共(西岡・巣くう会会長、島田・巣くう会副会長、荒木・特定失踪者問題調査会代表)がゲスであろうとも「北朝鮮拉致(もちろん特定失踪者という捏造は除く)は事実」であるのと同じ事です。


<独自>全国初、東京都足立区で拉致問題啓発の条例制定へ - 産経ニュース
 馬鹿馬鹿しくて話になりません。そんな事が拉致解決と何の関係があるのか。足立区議会とはアホウヨの巣窟なのか。


やせた金正恩氏、気力に衰え? 減る「現地指導」、気になる「第一書記」ポスト:朝日新聞GLOBE+
 「朝日の牧野*1らしいアホ記事」でげんなりです。
 まず第一に確かに「金正恩君は痩せてはいる」のでしょう(映像からそのように判断できるとのこと)。しかし、それが「ダイエットの成功」という「健康的な痩せ方」なのか、「糖尿の深刻化」のような「不健全な痩せ方」なのかは今のところ判断材料がありません。

 昨年4月、正恩氏の動静が一時的に途絶えたことがあった。5月には活動を再開したが、当時、朝鮮労働党内で最高指導者のサインが必要な「1号議定書」の決裁が下りない事態が発生していた。複数の情報関係筋は「正恩氏の健康に何らかの異常が発生した可能性が高い」と語っていた。

という主張にも何の根拠もありません。今のところ金正恩の健康不安を疑うまともな根拠は何もない。

 最近になり、党大会での党規約の改正により、「党総書記の代理人である」と明記した第1書記のポストを新設した事実が明らかになった。金正恩氏の身に何かあったときのための緊急避難的な措置を講じたとの見方もできる。

と言う主張にも何の根拠もない。仮に「健康に配慮した措置」だとしても、それは「健康不安がある」と言う話とは違う。ついでにいえば「第一書記新設」は韓国政府から出てきた話であり、現時点では北朝鮮が公式に発表した話ではありません(例えば北朝鮮党総会閉会 「第1書記」言及なし - 産経ニュース参照)。
 なお、北朝鮮の「発表なし」が
1)第一書記が新設され、具体的人物も着任したが、何らかの理由で発表せず
2)第一書記が新設されたが、空席なので発表せず
3)そもそも第一書記の新設はなかった(この場合、そもそもそんな事実は最初からなかった場合と、韓国側の発表に反発して内定していた新設を取り消した場合があり得る)
のかは不明です。
 また第一書記が仮に設置されたとして、それはむしろ「重要職務だけを総書記の担当として総書記の権威アップ」「第一書記を作っても総書記の権威は揺るがないとの自信の表れ」など、牧野とは別方向(金正恩体制の地盤に揺るぎがないことの証明)に理解も可能でしょう。もちろんどちらの理解が正しいかは分かりません。判断材料がありませんので。

 正恩氏の気力の衰えとも受け取れる現象が起きている。
 党機関紙、労働新聞が伝えた今年の正恩氏の公開活動のうち、会議や公演への出席を除いた現地指導は3回しかない。

 「コロナ感染を警戒して現地指導を減らした」などいくらでも理解は可能でしょう。「気力が落ちてる」扱いにまともな根拠はありません。結局の所、根拠レスで、牧野が想像をたくましくしてるだけのアホ記事にすぎません。
【追記】
 以上の牧野批判記事と同趣旨のコメントを「金王朝の変質」論を事実に即して検討すると、そもそも金「王朝」ではないということになる: 白頭の革命精神な日記に投稿しました。
 また、この牧野記事については、やはり「キム王朝」は実際には「王朝」とは言い難い: 白頭の革命精神な日記が俺と同様の牧野批判をしています。


「金王朝の変質」論を事実に即して検討すると、そもそも金「王朝」ではないということになる: 白頭の革命精神な日記
 「朝日の牧野」に対する批判記事であり、俺も概ね同感です。
 「絶対的な権力を握ってない金正恩」とする牧野に対し「そもそも祖父や父だってそこまでの権力があったか疑問(特に政権初期は)」として牧野の「金正恩低評価」を批判します。
 そもそも「江戸時代の日本」においても「いわゆる幼君」はいるし、その場合、後見人が強いパワーを持つことはありますが、だからといってそれは「その藩の体制が揺らいでる」つう話とは違う。北朝鮮も話は同じでしょう。

*1:元朝日新聞ソウル支局長。著書『北朝鮮秘録:軍・経済・世襲権力の内幕』(2013年、文春新書)、『金正恩の核が北朝鮮を滅ぼす日』(2017年、講談社+α新書)、『ルポ・絶望の韓国』(2017年、文春新書)、『北朝鮮核危機全内幕』(2018年、朝日新書)、『ルポ「断絶」の日韓:なぜここまで分かり合えないのか』(2019年、朝日新書)、『ルポ・金正恩とトランプ』(2019年、朝日新聞出版)、『韓国を支配する「空気」の研究』(2020年、文春新書)、『金正恩と金与正』(2021年、文春新書)

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年6/19分:天を回せの巻)

加藤健の「天を回せ! ロビー活動で挑む」 : 岸田政権は北との激突覚悟で拉致被害者救出を!

 拉致被害者救出は、今のやり方では全然ダメという結論が出ています。もうずっと何の進展もないのです。このまま「待ち」の姿勢でいても、拉致被害者は永久に帰国できません。これまで成果ゼロだったやり方で、とつぜん数百人を取り返せるはずがないのです。
 ビジネスでいうなら、何年間も売上ゼロの無能営業マンが、ある日突然何百人もの顧客を獲得できるはずありません*1

 ここまでなら全くその通りですが

 制裁が不十分なことは明白です。

と「制裁強化」を主張するのだから常識外れです。一体これ以上、どう「制裁強化」するのか(もちろん、加藤らウヨが放言する『朝鮮総連朝鮮学校への締め付け』はこれらが北朝鮮と別団体である以上、何ら『北朝鮮への制裁』ではありません)。そもそも何故「制裁強化」すると拉致が解決するのか。そして「バーター取引」したからこそ「小泉訪朝」で拉致被害者は帰国したのではないのか。今こそ「有能な営業マン」田中均氏の力を借りるべきではないのか。
 加藤の主張「さらなる制裁強化→拉致解決」は

◆『カネをつぎ込まないから成功しない』といってギャンブルにのめり込むギャンブル中毒者
◆『信仰が足りないから幸せになれない』と強弁して信者から金を巻き上げようとするインチキ宗教

などと何も変わらない無茶苦茶な屁理屈です。
 そもそも「中露が北朝鮮を経済支援」している以上、「日本の制裁」など効果がないことは分かりきった話です。
 「中露が経済支援しても日本の制裁は効果がある」なんてそんなバカな話はない。
 従って「日本の経済制裁を成功させる」には「北朝鮮」に「いわゆる緩衝国としての価値」を認める中露の「北朝鮮支援を辞めさせる」必要がある(ひとまず「辞めさせること」の是非は論じません)。
 しかし、相手は欧米の批判を無視して

◆クリミア併合を強行したロシア
◆香港国家安全維持法を制定し、香港民主派への締め付けを強める中国

です。日本の要請に従って「経済支援を辞めること」は現実的に考えられない。
 中露は「統一韓国に在韓米軍が駐留し続ければ、我々は緩衝国なしで米軍と対峙することになる。そんなことは受け入れられない。しかし米国が統一韓国で、在韓米軍を撤退させる保証がない。だから我々は北朝鮮支援を可能な限り、今後も続ける」というでしょう。
 だからこそ加藤のようなウヨは「日本の北朝鮮制裁」を論じるに当たって「中露の北朝鮮支援」を故意に無視します。加藤も呆れたバカです。


加藤健の「天を回せ! ロビー活動で挑む」 : 朝鮮総連破産が国会で議論された!
 ネトウヨ加藤健の馬鹿さには呆れて二の句が継げませんね。
 まず第一に加藤官房長官の答弁は「朝鮮総連が多額の負債を抱えていて、債権者との間で債務返還交渉がうまく行かなければ、債権者の申請で破産することもあり得る」「場合によってはその債権者が政府系金融機関と言うこともあり得る」つう可能性の指摘でしか有りません。
 朝鮮総連について破産の現実的可能性があるわけでも何でもない。
 第二に朝鮮総連が破産したとして何がどうなるのか。そんなことは拉致被害者帰国とも核ミサイル問題とも何の関係もない。朝鮮総連に対するただのくだらない嫌がらせでしかない。

 次に松原先生は、令和元年に提出した「朝鮮総連による対日有害活動等に関する質問主意書」で引き出した「朝鮮総連破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」の答弁について尋ねました。
 公安調査庁から間違いない旨の答弁がありました。朝鮮総連は法律にもとづく政府の監視対象なのです。

 もはや火焔瓶闘争など過去のこと、合法行為しかしてない日本共産党すら「破防法に基づく監視団体」とアホなことを抜かす、あるいは「もはやテロの危険性などないオウム残党」に監視の必要があるとデマ飛ばす三流官庁、オワコン官庁「公安調査庁」の寝言になど何の価値があるのか。
 ちなみに話が脱線しますが、寺脇研氏には『文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔』(2013年、中公新書ラクレ)という著書がありますがたぶん公安調査庁職員は自虐ギャグですら「ウチは三流官庁」「公安検察、警察があるからうちは必要ない」「検察や法務局、入管などに比べたら法務省の窓際族、落ちこぼれのカス集団が公安庁」とはいえないのではないか。
 本当にコンプレクスを抱えていたら「仲間しかいない場所」ならともかく部外者もいるところで「俺たちは落伍者、三流、ゴミカス」なんて恥ずかしくて言えたもんではありません。裏返せば「三流官庁」と自虐ギャグが言える寺脇氏には「それなりの誇りや自負がある」ということですが。
 しかし松原仁も本当にどうしようもないアホですね。こんなんが所属議員なんですから俺は立民なんぞかけらも評価しませんし、「ユー、立民との野党共闘なんか解消しちまえよ(ジャニー喜多川風に)」と志位執行部には言いたい。

*1:というなら「無能な営業マン」である加藤ら「救う会のウヨ連中」は拉致問題から手を引くべきでしょう。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年6/19日:島田洋一の巻)

◆島田のツイート

島田洋一
 塩崎恭久氏は第一次安倍政権の官房長官にして初代拉致担当大臣。大いに期待したが、結局何もせず、最近は存在感ゼロ。むしろ引退は遅すぎた。明確な保守的理念と突破力を持った後任が出てほしい。

 随分と島田も酷いことをいうもんですが確かに「下村(第一次安倍内閣官房副長官、第二次安倍内閣文科相自民党選対委員長(第二次安倍総裁時代))」「稲田(第二次安倍内閣行革相、第三次安倍内閣防衛相、自民党政調会長(第二次安倍総裁時代))」等に比べ、塩崎氏(第一次安倍内閣官房長官、第二次安倍内閣厚労相)が目立った極右的言動がなかったことは「安倍側近」としては奇妙に見えます。
 なお、拉致担当相について言えば何も塩崎氏に限らず「中山恭子福田内閣)」「古屋圭司(第二次安倍内閣)」「山谷えり子(第三次安倍内閣)」など「島田好みのウヨ連中」だって成果など何もありません。そもそも「日朝交渉は外相」「捜査は法相か国家公安委員長」で「拉致担当相の任務はほとんど拉致の啓発活動」なのだから「拉致解決のため」に拉致担当相ができることなど最初から何もありはしないのですが。
 それにしても、第三次安倍内閣では「加藤一億総活躍等担当相の兼務」、第四次安倍内閣では「加藤厚労相との兼務」としてそれ以前は「官房長官との兼務」「法相または国家公安委員長との兼務」だったところ「どう見ても拉致と関係ない大臣との兼務」でも何も安倍批判を言わないのだから、島田ら巣くう会も全くデタラメです。おそらく民主党政権でこんなことをやれば悪口雑言でしょうに。

島田洋一
 慰安婦強制連行、集団レイプというあらぬ汚名*1を先人に着せ、国益を毀損*2し続けている河野談話
 河野太郎*3が周りに促され、父洋平氏*4に、この談話を自ら修正してくれないかと話したという。しかし断られ、そのまま帰って来た*5らしい。首相の資格*6などなし。

 島田のツイートなので真偽不明ですが事実ならば、太郎も全く馬鹿息子です。父洋平氏も「息子である以上罵倒するわけにも行かなかった」でしょうが「呆れてため息が出た」のではないか。
 むしろ「息子として談話を出した父を誇りに思う」と言うべきでしょうに。せめて何も言わずに黙ってたらどうなのか。
 なお、河野氏の談話は「彼個人の私的、個人的談話」ではなく「宮沢*7内閣官房長官としての公的談話」です。しかもその後も歴代内閣(細川*8、羽田*9、村山*10、橋本*11、小渕*12、森*13、小泉*14、安倍*15、福田*16、麻生*17、鳩山*18菅直人*19、野田*20菅義偉*21)が談話を踏襲*22してるし、村山内閣ではアジア女性基金から慰安婦への支援金も出してるのだから、彼個人が談話撤回したからどうかなる話では全くない(河野談話に限らず政治家、特に官房長官など政府、与党の要職に就いてる政治家の談話の多くはそうですが)。
 一方で彼が談話を撤回しなかろうと、政府として談話継承を辞めればそれが「政府見解」になります(勿論俺は政府として継承すべきと言う立場ですが)。
 それにしてもウヨの島田が太郎を批判しそうなネタとしては他に

◆外相時代に日露交渉、拉致問題で何の進展もなかったこと
◆防衛相時代に地上イージス設置を地元の反対運動で断念したこと

も考えられますがどうもそちらは島田にとってはどうでも良いようです。
 それにしても韓国に対して「ゴールポスト」云々言う輩・島田ら日本ウヨが明らかな「ゴールポスト移動行為=談話撤回」を放言できる神経には呆れます。

*1:もちろん「あらぬ汚名」ではなく「残念ながら」事実です。

*2:むしろ河野談話がなかったら「無反省」として「日本はもっと批判されていた」でしょう。そして、国連クマラスワミ報告、マクドガル報告、米国下院決議、『吉見義明氏や林博史氏の研究』などでわかるように河野談話がなかろうと「世界の常識」は「慰安婦戦争犯罪、人権侵害」です。

*3:第三次安倍内閣国家公安委員長、第四次安倍内閣外相、防衛相などを経て菅内閣行革相

*4:新自由クラブ代表、中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官自民党総裁、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長など歴任

*5:そんな要望自体が馬鹿げていますが、島田は太郎に何をどうしろというのか。洋平氏が断ったらその場で「泣き落としてでも」あるいは「殺すぞと脅してでも」撤回させろと言うのか。

*6:むしろ太郎に資格がない(首相どころか政治家の資格がない)のは「次の質問どうぞ」に代表される「批判を嫌う狭量な性格」でしょう。

*7:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣蔵相

*8:熊本県知事、日本新党代表を経て首相

*9:中曽根、竹下内閣農水相、宮沢内閣蔵相、新生党党首、細川内閣副総理・外相などを経て首相。首相退任後も太陽党、民政党で党首

*10:社会党国対委員長、委員長を経て首相

*11:大平内閣厚生相、中曽根内閣運輸相、自民党幹事長(宇野総裁時代)、海部内閣蔵相、自民党政調会長(河野総裁時代)、村山内閣副総理・通産相などを経て首相。首相退任後も森内閣で行革相

*12:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相などを経て首相

*13:中曽根内閣文相、自民党政調会長(宮沢総裁時代)、宮沢内閣通産相、村山内閣建設相、自民党総務会長(橋本総裁時代)、幹事長(小渕総裁時代)などを経て首相

*14:宇野内閣厚生相、宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相などを経て首相

*15:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官などを経て首相

*16:森、小泉内閣官房長官などを経て首相

*17:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、外相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)、首相、第二~四次安倍内閣副総理・財務相などを経て菅内閣副総理・財務相

*18:細川内閣官房副長官新党さきがけ代表幹事、民主党幹事長などを経て首相

*19:社民連副代表、新党さきがけ政調会長、橋本内閣厚生相、鳩山内閣副総理・財務相、首相などを経て立憲民主党最高顧問

*20:鳩山内閣財務副大臣菅内閣財務相、首相、民進党幹事長(蓮舫代表時代)などを経て立憲民主党最高顧問

*21:第一次安倍内閣総務相、第二~四次安倍内閣官房長官などを経て首相

*22:とはいえ『他の自民政権』や民主党政権はともかく、教科書検定や『慰安婦銅像』などでの安倍、菅政権の態度はとても「踏襲してる」と言えた代物ではないですが。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年6/19分:荒木和博の巻)

◆荒木のツイート

https://twitter.com/ARAKI_Kazuhiro/status/1406292261604761601
 令和3年6月20日日曜日のショートメッセージ(Vol.443)。映画と鉄道のまったく独断と偏見に基づく話です。

 5分45秒程度の動画です。荒木は土日には「肩の凝らない話題を」と言いだして拉致と全く関係ない「荒木の鉄道趣味」の話をしますが、今回もそれです。

◆鉄道を舞台にした映画では、私は高倉健ファンなので、高倉主演の「駅」(1981年)、「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)が個人的には一番好きだ。
◆「駅」では過去に「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)、「遙かなる山の呼び声」(1980年)で高倉と共演した倍賞千恵子が名演。
◆「鉄道員(ぽっぽや)」には当時の人気若手女優で早稲田に入学し、話題になった物の、結局、当初危惧された通り、芸能活動の多忙を理由に中退した人(荒木:すみません。ど忘れして名前が出てきません)が出てきて彼女も名演だった。
◆イタリア映画『鉄道員』(1956年)も好きだ

て、そんなことより拉致についてまともな話をしたらどうなのか。
 なお、『高倉健と鉄道映画』と言えば、もちろん、高倉主演『新幹線大爆破』(1975年)がありますがそれについての言及はありません。荒木は『好きじゃない』のでしょう。
 「駅」(1981年)、「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)が好きということは「別れと出会いの場としての駅」という描写が好きだと言うことか。
 さて、「鉄道員(ぽっぽや)」を見た人はすぐに分かったでしょうし、見てない人でも「早稲田中退」でわかるでしょうが、荒木の言う「若手女優」とは、広末涼子のことです。広末は1980年生まれなので映画が公開された1999年当時は19歳(ちなみに早稲田入学が1998年、中退が2003年)。1999年には広末は映画『秘密』(東野圭吾原作)に主演もしておりまさに「アイドルとして人気絶頂」でした(広末涼子 - Wikipedia参照)。
 小泉訪朝の2002年には22歳。そんな広末ももう40歳(1980年7月生まれなので現時点では)のベテラン女優です。
 なお、広末(1980年7月生まれ)と同じ1980年生まれの人間としては

1980年の日本 - Wikipedia参照
田中麗奈(1980年5月生まれ:41歳)(田中麗奈 - Wikipedia参照)
 1998年に放送されたサントリーのジュース「なっちゃん」のCMの初代キャラクターや、主演した映画『がんばっていきまっしょい』(1998年)で広末同様、1990年代後半には人気アイドルとして活躍
小池栄子(1980年11月生まれ:40歳)(小池栄子 - Wikipedia参照)
 イエローキャブ社長の野田義治にスカウトされ、女優を目指して、1997年に芸能界入り。しかし、当初は女優としての活動よりもグラビアアイドルとしての仕事が舞い込む。「スカウト時に水着はやらない条件(自分のスタイルに自信が無かった)で芸能界入りしたのに」と思いつつ渋々グラビアを始めたという(この頃について後年「事務所に騙された」とコメントしている)。もともと女優志望だったこともあり、野田社長解任後のイエローキャブ分裂(2004年)を機にグラビアからは事実上引退し、女優活動に比重を移している。

なんかがいます。
 小泉訪朝(2002年)の頃は「若手アイドルだった広末や田中」「若手グラビアアイドルだった小池」が今やベテラン女優です。小池栄子については最近の若者は「グラビアアイドルだった」と言っても、実感はないでしょう。
 まあ、「グラビアアイドルとは言えない」にしても、「今やベテラン女優となった宮崎美子」などもデビュー当時はグラビア活動をしており、昔から「グラビア→女優」というルートは不思議ではありませんが。
 それはともかく、拉致敗戦を改めて実感します。


ご家族の意向(R3.6.19): 荒木和博BLOG
 6分20秒程度の動画です。以下、「見る価値のない(もちろん拉致解決には何一つ役立たない)」荒木の「与太動画」とは関係なく「ご家族の意向」など、「当事者の意向」についての俺の考えを適当に書きます。ということで以下、荒木動画の説明は何一つしません。
 拉致被害者家族でも「荒木ら巣くう会言いなりの家族会」と「荒木ら巣くう会に批判的な蓮池透氏」でわかるように多くの場合、どんな問題でも「複数の当事者が居る場合」、その当事者の意見が「一枚岩」なんてことはまずありません(もちろん一枚岩の場合でも「その主張が客観的に見て正しい」とは限らないので「当事者の意見だから無条件で支持すべき」では必ずしもありませんがそれはひとまずおきます)。
 例えば、犯罪被害者遺族だって「やたら厳罰論」の人間(例えば、名古屋闇サイト殺人事件被害者の母親)もいれば、「罪を憎んで人を憎まず」的な方(例えば、松本サリン被害者の河野義行氏)もいるわけです(例は何でも良いですが)。
 あるいは運動団体でも

◆部落解放問題
 解放同盟(社会党寄り)、全解連(現在の人権連:共産党寄り)、同和会(自民・旧民社党寄り)
核兵器廃絶
 原水禁社会党寄り)、原水協共産党寄り)、核禁会議(自民、旧民社寄り)
◆在日朝鮮・韓国人団体
 朝鮮総連北朝鮮寄り)、民団(反北朝鮮右派)

などといった違いがある。
 つまり結局の所「当事者の意見を重視」といったところで「そもそも当事者の意見が一枚岩じゃないんだから」限界がある。もちろんだからといって「当事者の意見」を踏みにじって良いと言うことではありませんが、結局「自分の信じる道を行く」しかないでしょうね。だって「多くの場合」当事者の意見が一枚岩じゃないわけですから。
 いずれにせよ、もちろん「蓮池透氏家族会除名」を画策した荒木ら巣くう会が「家族の意向」に従ってなどいないこと(そもそも従う気など無いこと)は言うまでもありません。
 荒木ら巣くう会にとって都合のいい意見(例:横田早紀江増元照明北朝鮮非難)だけ利用して、都合の悪い「蓮池氏の意向(『経済支援を利用したバーター取引主張』や『特定失踪者の信憑性のなさへの批判』)」は平気で踏みにじるわけですから。

参考
名古屋闇サイト事件における被害者の母親の主張を批判する(1) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
名古屋闇サイト事件における被害者の母親の主張を批判する(2) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

今日の中国ニュース(2021年6月19日分)(副題:楊海英の馬鹿さに心底呆れる)

◆楊のツイート

楊海英
 日本人のみなさん、モンゴルに「スーホの白い馬」はいませんでした。あれは、日本共産党中国共産党プロパガンダ合作で、モンゴル人を歪曲した作品。教科書から消えて欲しいです。

 「日本共産党に対するデマも大概にしろ、楊、手前ふざけんな」で終わる話です。

スーホの白い馬 - Wikipedia
 モンゴルの民族楽器であるモリンホール(馬頭琴)の由来にまつわる物語。
 日本での初発行は福音館書店が発行する月刊誌「こどものとも」1961年10月号の『スーホのしろいうま』(大塚勇三・やく、赤羽末吉・え)である。1967年、大型絵本『スーホの白い馬』(大塚勇三*1・訳、赤羽末吉*2・画)が出版された。その翌年から光村図書出版の小学校国語教科書「二年・下」に収録された。
 第41回日本児童文学学会奨励賞を受賞した『「スーホの白い馬」の真実:モンゴル・中国・日本それぞれの姿』(ミンガド・ボラグ著、風響社、2016年)によれば、「スーホの白い馬」は、1950年代に中国人作家の塞野が紹介した「馬頭琴」という話の翻訳である。また、この話は、モンゴル伝統社会の中で口承により伝承されてきた民話ではなく、中国建国後に新たに創作された中国共産党に都合の良い「新民話」であるという(「スーホの白い馬」実は…: 日本経済新聞など参照)。
◆あらすじ
 ある日、遊牧民の少年スーホは白い子馬を拾い、その子馬を大切に育てる。それから数年後、殿様が自分の娘の結婚相手を探すため競馬大会を開く。スーホは立派に成長した白い馬に乗り、見事競馬大会で優勝する。しかし、殿様は貧しいスーホを娘とは結婚させず、スーホに銀貨を3枚渡し、さらには白い馬を自分に渡すよう命令する。スーホはその命令を拒否し、殿様の家来たちに暴行され白い馬を奪われる。命からがら家へ辿り着いたものの、白い馬を奪われた悲しみは消えなかった。
 その頃、白い馬は殿様が宴会をしている隙を突いて逃げ出したが、逃げ出した際に殿様の家来たちが放った矢で体中を射られていたため、スーホの元に戻った時には瀕死の状態であった。看病むなしく白い馬は次の日に死んでしまう。スーホは悲しみのあまり幾晩も眠れずにいたが、ある晩ようやく眠りにつき、夢の中で白馬をみる。白馬は自分の死体を使って楽器を作るようにスーホに言い残した。そうして出来たのがモリンホールである。

「スーホの白い馬」実は…: 日本経済新聞
 「スーホの白い馬」を初めて読んだとき、「何かが違う」という思いが胸の中に湧いたのだった。生まれ育った中国・内モンゴル自治区から日本にやってくるまで、私はこの話のことを知らなかった。
 「スーホ」という名前は中国語の発音だ(モンゴル語では「スフ」が一般的)。
 1961年にこの物語を日本に初めて紹介したのは児童文学者の大塚勇三さんだ。大塚さんに直接尋ねたところ、「中国民間故事選」(58年刊行)に収録された「馬頭琴」が原作らしいことがわかった。中国人作家、塞野の作である。
 ではこの作品は民話そのものなのか。私は内モンゴル馬頭琴の発祥伝説の調査をした。すると「盗まれた白馬が数年後に傷だらけになって帰ってきた」という話が人口に膾炙(かいしゃ)していることがわかった。塞野はこうした民間伝承を元に創作したのである。
 「中国民間故事選」に次のような序文がある。
「中国の民間説話には、各民族の歴史における労働、闘争及び理想が深く反映されている。中国のプロレタリアートの百折不撓(ふとう)の意志や気迫が溢(あふ)れている」
◆色濃い政治思想
 塞野の創作には当時の政治思想が色濃く反映している。純朴なスーホと、彼をいじめる殿様という構図は、無産階級と搾取階級の対立の図式になっている。物語の根底には階級闘争の思想が流れているのだ。
 調査をもとに「『スーホの白い馬』の真実」(風響社)という本を書いた。政治的な背景があるとしても、私はこの物語を否定的にはとらえていない。むしろ(ボーガス注:モンゴル人力士の活躍があるまでは、身近でなかったモンゴルへの親近感を日本人に持たせていることについては)「スーホの白い馬」には深く感謝しているのだ。

 まあ、ミンガド・ボラグの指摘を信じるならば、もしかしたら「スーホ」は本多勝一氏がエッセイで批判した、ドーデ『最後の授業 - Wikipedia』のような問題点(ドーデの問題点については最後の授業 - Wikipediaにもある程度書いてあります)が「あるのかもしれない*3」(本多エッセイについては腐土記 ドーデ「最後の授業」の読み方・読まれ方等を参照。なお、最後の授業 - Wikipediaによればそうした指摘の存在から現在では『最後の授業』は教科書に掲載されなくなっている)。
 しかし、ドーデ作品が少なくとも日本において『フランス万歳』の政治的道具として受容されてはいなかったのと同様に『スーホ』もそのような受容はされてなかったのであり、楊の物言いは言いがかりにも程があるでしょう。ましてや日本共産党がこの童話とどう関係があるのか。仮に赤羽や大塚が党員、支持者だとしても彼らの行為は別に日本共産党の指示による物ではないでしょう(なお、日本共産党云々は楊の主張であり、ミンガド・ボラグの主張がどうかは不明です。「スーホの白い馬」実は…: 日本経済新聞での物言いを見る限り、楊のような認識ではなさそうですが)。
 「フランス、ドイツ」の現状が実体に沿って描かれていたドーデ作品と違い、仮に「スーホ」に封建体制打倒(中国共産党の政治方針支持)の隠喩があったとしても、もちろん話の中に中国共産党が出てくるわけでもなく、それこそ、そんなことは日本において認識されていなかった話です(おそらく大塚や赤羽においてもそうした認識など無いでしょう)。
 なお「スーホ」ですが

産経児童出版文化賞 - Wikipedia
◆1968年(第15回)
スーホの白い馬 モンゴル民話」(大塚勇三、画・赤羽末吉:福音館書店

ということで産経の賞を受賞しています。つまりは産経は楊のような認識を恐らくしてなかったわけですが、この辺り、楊はどう説明するのか。

楊海英
 自民党の数多い不祥事も中国に原因がある。

 吹き出しました。例えば「対中国ODAがらみの汚職」「中国企業の贈賄であるIR汚職」など「中国がらみの問題」ならそうもいえるでしょう。
 しかし、

汚職(贈収賄など)】
◆池田*4首相(役職は全て当時)の九頭竜川ダム疑惑(映画『金環蝕』のモデルとなった事件)
田中角栄*5前首相、橋本登美三郎*6元運輸相らのロッキード事件
岸信介*7元首相らのダグラス・グラマン事件
◆中曽根*8前首相、竹下*9首相、宮沢*10蔵相、安倍晋太郎*11自民党幹事長、渡辺ミッチー*12自民党政調会長等のリクルート事件
◆橋本*13元首相、野中*14官房長官、青木*15官房長官らの日歯連疑惑
安倍晋三*16前首相のモリカケ、桜疑惑
◆甘利*17経済財政担当相(現・自民党税制調査会長)のUR疑惑
◆河井夫婦や菅原元経産相公選法違反
【失言】
◆中曽根の「単一民族発言」
◆渡辺ミッチーの「アッケラカのカー発言」
【女性スキャンダル】
◆宇野*18首相(首相を辞任)
◆中川*19官房長官官房長官を辞任) 

などがどう中国と関係するのか。当たり前ですが、「権力の近くには利権が生じる」ので日本のように「自民党長期政権」だと、政治の腐敗が起こりやすいのは分かりきった話です。そして自民党政治家に贈賄するのは何も中国だけではない。
 例えばロッキードリクルート中国企業ではない。

*1:1921~2018年。アストリッド・リンドグレーンの「長くつ下のピッピ」シリーズ、「やかまし村の子どもたち」シリーズ、アルフ・プリョイセンの「スプーンおばさん」シリーズ、ルーネル・ヨンソンの「小さなバイキング」などの翻訳で知られる。1968年、「スーホの白い馬」で赤羽末吉とともにサンケイ児童出版文化賞を受賞(大塚勇三 - Wikipedia参照)

*2:1910~1990年。1962年に、『日本の神話と伝説』(あかね書房)で小学館児童出版文化賞佳作賞を、1965年に『ももたろう』(福音館書店)と『白いりゅう黒いりゅう:中国のたのしいお話』(岩波書店)で、サンケイ児童出版文化賞を、1968年に『スーホの白い馬』でサンケイ児童出版文化賞を、1973年に『源平絵巻物語 衣川のやかた』(偕成社)で講談社出版文化賞受賞。1980年には斯界において最も権威のある賞とされる「国際アンデルセン賞・画家賞」を受賞。著書『絵本よもやま話』(偕成社)、『私の絵本ろん:中・高校生のための絵本入門』(平凡社ライブラリー)など(赤羽末吉 - Wikipedia参照)

*3:現時点では「ある」とは断言しません。

*4:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相などを経て首相

*5:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*6:池田内閣建設相、佐藤内閣建設相、官房長官、運輸相、自民党総務会長(佐藤総裁時代)、幹事長(田中総裁時代)等歴任

*7:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相

*8:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*9:佐藤、田中内閣官房長官、三木内閣建設相、大平、中曽根内閣蔵相、自民党幹事長(中曽根総裁時代)などを経て首相

*10:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*11:三木内閣農林相、福田内閣官房長官自民党政調会長(大平総裁時代)、鈴木内閣通産相、中曽根内閣外相、自民党幹事長(竹下総裁時代)など歴任

*12:福田内閣厚生相、大平内閣農水相、鈴木内閣蔵相、中曽根内閣通産相自民党政調会長(竹下総裁時代)、宮沢内閣副総理・外相など歴任

*13:大平内閣厚生相、中曽根内閣運輸相、自民党幹事長(宇野総裁時代)、海部内閣蔵相、自民党政調会長(河野総裁時代)、村山内閣副総理・通産相などを経て首相。首相退任後も森内閣で行革等担当相

*14:村山内閣自治相・国家公安委員長小渕内閣官房長官自民党幹事長(森総裁時代)など歴任

*15:小渕、森内閣官房長官自民党参院幹事長、参院会長など歴任

*16:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官等を経て首相

*17:小渕内閣労働相、第一次安倍、福田内閣経産相麻生内閣行革等担当相、第二次、第三次安倍内閣経済財政担当相、自民党政調会長、選対委員長(第二次安倍総裁時代)などを経て、現在、自民党税制調査会

*18:田中内閣防衛庁長官自民党国対委員長(三木総裁時代)、福田内閣科学技術庁長官、大平内閣行政管理庁長官、中曽根内閣通産相、竹下内閣外相などを経て首相

*19:橋本内閣科学技術庁長官、森内閣官房長官自民党政調会長(小泉総裁時代)、幹事長(第一次安倍総裁時代)など歴任

今日の産経ニュース(2021年6月19日分)

沖縄返還協定締結から50年 「出撃拠点」から「防衛最前線」に - 産経ニュース
 今も沖縄は「米軍の海外(イラク、アフガンなど)出撃の拠点」であり「(中国の脅威に対する)防衛の最前線」などとはデマも甚だしい。単に「沖縄の米軍」を正当化するためにモロバレのデマを放言してるだけです。


イラン大統領選でライシ師圧勝 反米保守が政権奪還 - 産経ニュース
 圧勝と言っても

穏健派や改革派の有力者が事前審査で失格となるなどして有権者の関心は低く、投票率は史上最低になる可能性がある。

ですからねえ。「圧倒的な支持で当選」というわけでもない。バイデン政権の出方*1にも寄るでしょうが、「俺の願望込み」ですが、これでイランが「反米強硬路線に突き進む」かといったら違うのではないか。


<独自>政府、マレーシアに防空レーダー輸出へ 来月から入札参加 - 産経ニュース
 安倍政権以降のこの種の武器輸出の積極方針には怒りを禁じ得ません。


法事でも…日本一パン好き岡山の事情 - 産経ニュース

 岡山市の2人以上世帯のパン購入量は全国ナンバーワンの年56・6キロ。全国平均が45・4キロなので岡山は年11・2キロも多くパンを食べていることになる。
 同じ統計で購入金額では神戸市が3万8435円で1位。岡山市は3万6950円で2位。3位は、京都市で3万6316円だ。
 食文化論に詳しい美作大学短期大学部岡山県津山市)の藤井わか子教授に聞くと「岡山での消費量が多いことについて明確な理由は不明だ」というが、興味深いことを教えてくれた。「岡山や鳥取、島根には、お葬式や法事にあんぱんなど菓子パンを持ち寄り、参列者にふるまう風習がある」というのだ。
 大正8(1919)年創業の老舗、(ボーガス注:島根県松江市末次町のパン店「パンタグラフ」では予約限定で「法事パンセット」を販売しているという。
 「昭和の時代、法事などでのお茶うけの和菓子代わりに当時高級だったあんぱんで参列者をもてなし、習慣として定着していったのでは」と推測する。

 面白い記事と思うので紹介しておきます。
【参考:岡山のパン消費量】

「主食」より「菓子」派…岡山のパン : 経済 : ニュース : 読売新聞オンライン
 岡山市は「食パン」の支出額は10位台後半から20位台と、実はそれほど多くない。これに対し、「他のパン」では13年以降、毎年3位以内と上位の常連だ。どうやら、岡山では菓子パンなどが好まれる傾向があるようだ。
 では、菓子パンなどが好まれる文化が根付いた理由は何か。そこには、県民なら誰もが知る、あの黄色い看板のパン店の存在があった。

岡山木村屋 県民の味 : New門@岡山 : 企画・連載 : 岡山 : 地域 : 読売新聞オンライン
 街中で目を引く黄色の看板。パンといえば、「岡山木村屋」(本部・倉敷市)を思い浮かべる県民は多いだろう。そして、多くの業界関係者が「岡山のパン好きのルーツがここにある」と指摘する店でもある。
 創業は1919年(大正8年)。あんパンでおなじみの「銀座木村屋」で修業した梶谷忠二氏が地元に戻り、現在の岡山市北区表町に店をオープンしたのが始まりだ。
 岡山市民の<菓子パン好き>も、このあたりに由来しそうだ。看板商品の「バナナクリームロール」は55年に販売が始まった。
 このほか、卵やマーガリンをたっぷり使った「スネーキ」や、銀座時代の手法を改良した「桜あんぱん」など、ロングセラーも多い。

【参考終わり】


ムーミンに漂う「自由」と「孤独」 生みの親トーベ・ヤンソン没後20年で脚光 - 産経ニュース
 ムーミンと言えば我々日本人にとってはフジテレビのアニメ(1969年及び1972年に放送、主演・岸田今日子)、テレ東のアニメ(1990~1992年に放送、主演・高山みなみ)であり、最近は埼玉県飯能市ムーミンを町おこしに利用)にトーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園|飯能市-Hanno city-や、テーマパーク【公式】ムーミンバレーパーク・メッツァビレッジ|metsa(メッツァ)もオープンしたわけですがそれはさておき。

 恋愛対象は男女問わなかったトーベの人生

 あまりにも淡々とした書き方なので意味がわかりづらいですが、
1)彼女は「LGBTのB(バイセクシュアル、両性愛)」に該当するが
2)「アンチLGBTのウヨ」を読者層とする産経なので曖昧な表現にとどめた
つうことなんでしょう。

【参考:トーベ・ヤンソン*2両性愛

https://twitter.com/FinEmbTokyo/status/894861438199545856
駐日フィンランド大使館
 1971年まで同性愛が「犯罪」とみなされていたフィンランド。そんな時代にムーミンの原作者トーベ・ヤンソンは同性のパートナーをもち、その愛を貫いた。クーリエのトーベ特集。ぜひ読んでね
「ムーミン」担当編集者が秘話を初公開!|愛に生きた作家トーベ・ヤンソン | クーリエ・ジャポン
 1971年まで同性愛が「犯罪」とみなされていたフィンランド。そんな時代にトーベ・ヤンソンは同性のパートナーをもち、その愛を貫いた。
 そんなトーベの生き方から来日秘話までを紹介する、講談社ムーミンの担当編集者を務めてきた横川浩子さんの書き下ろし。

「私は女性と激しい恋に落ちてしまった」 トーベ・ヤンソンの人生と仕事における同性愛 Part1 - ムーミン公式サイト
 彼女の恋愛へのアプローチは、トーベについてのドキュメンタリーシリーズの中で、彼女の本の出版社で友人だったヘレン・スヴェンソンがトーベの言葉として紹介した以下のフレーズによく表れています。
「私はいつも誰かに恋していた。それは男性のこともあったし、女性のこともあった。でも、大切なことは、私がその人と恋に落ちたということ」
「ある女性と、激しい恋に落ちてしまった」
 トーベは女性のパートナーと45年間を共に暮らしましたが、その前にもいくつか同性との関係がありました。 彼女は同性愛が当時、社会的に認められていなかったにもかかわらず、自分のセクシャル・アイデンティティを隠そうとはしませんでした。トーベが初めて女性と恋に落ちたとき、フィンランドでは同性愛は犯罪、病気と見なされていて、1971年までは違法でした。

「トフスラン(Tofslan)」と「ビフスラン(Vifslan)」の名前に隠された秘密のメッセージ トーベ・ヤンソンの人生と仕事における同性愛 Part2 - ムーミン公式サイト
 このシリーズの第1回で述べた、トーベのヴィヴィカ・バンドレルへの愛は、2人組のキャラクター、トフスランとビフスランとしてムーミンの小説にも描かれました(『たのしいムーミン一家』1948年より。邦訳は山室静*3訳、講談社刊)。
 「トフスラン(Tofslan)」と「ビフスラン(Vifslan)」ですが、この名前には、トーベとヴィヴィカの名前が隠されています。実はこれは、トーベがヴィヴィカとの手紙で使った二人のニックネームでした。
 現実世界では、トーベとヴィヴィカは激しく燃え上がった数週間が終わったのちは恋愛関係を続けることはできませんでした。ヴィヴィカは夫と別れるつもりがなく、後には他にたくさんの女性の恋人がいたことも判明しました。トーベはひどく傷つきましたが、やがて二人は生涯にわたって深い信頼で結ばれた友人となります。そしてムーミンの舞台では共に仕事をし、大きな成果を残したのでした。

トーベとトゥーティ 世紀の愛の物語 トーベ・ヤンソンの人生と作品における同性愛Part3 - ムーミン公式サイト
 今回は、トーベ・ヤンソンの人生と作品における同性愛というテーマの最終回です。トーベの愛と人生の中で美しい関係を結んだ生涯のパートナー、トゥーリッキ・ピエティラについて見ていきましょう。
 1955年、トーベはクリスマスのパーティーで、グラフィック・デザイナーでアーティストでもあるトゥーリッキ・ピエティラと出会い、すぐに生涯の愛を見つけたと気づくのです。
 「トゥーティ」のニックネームを持つトゥーリッキは、ムーミンの6冊目の本『ムーミン谷の冬』(1958)に登場するキャラクター、トゥーティッキのインスピレーションの源となりました。
 トーべは、1989年以降の作品の1つである『フェアプレイ』(Rent Spel、ボーガス注:邦訳は筑摩書房)で、自身とトゥーリッキに似たカップルについて描いています。それは、2人の70歳の女性、ヨンナとマリの物語です。
 『フェアプレイ』では、生涯にわたるレズビアン同士のパートナーシップ、同性愛者たちの毎日が肯定的に描かれています。
 この本は「SETA」、フィンランドのLGBTI人権協会によって賞が与えられました。
 『フェアプレイ』における同性愛関係の描写は、トーベがこれより10年前に手掛けた短編集『自然の中の芸術』に見られるものよりもはるかにポジティヴです。
 トーベの後期の作品における「同性愛」というテーマで論文を書いたバーブロ・K・グスタフションは、トーベの後期の散文作品における同性愛関係のより肯定的な描写と、社会における同性愛に対する態度が長年にわたって変化したこととの間に、相関関係を見出しています。

映画『TOVE/トーベ』“ムーミン”の原作者 トーベ・ヤンソンの半生を描く&作品誕生秘話も - ファッションプレス
 「ムーミン」の原作者 トーベ・ヤンソンの半生を描いた映画『TOVE/トーベ』が、2021年10月1日(金)に公開される。
(中略)
 彼女に訪れる、女性舞台演出家 ヴィヴィカ・バンドレルとの運命的な出会い。当時ジェンダーへの理解が欠落していた時代背景の中で、やがてふたりは激しい恋へと落ちていく…。

特別寄稿 だれひとりの性も取り残さない社会づくり | ぎょうせい教育ライブラリ遠藤まめた*4
 『ムーミン』の作者として知られるトーベ・ヤンソンも、同性のパートナーがいたことを隠さずに生きた一人だ。
(中略)
 国を代表するアーティストとして様々な公式行事に呼ばれると、トーベは同性パートナーと一緒に参加し、二人は仲良く晩年まで過ごした。
 彼女の作品に「猫を好きになる犬」の話がある。犬なのに猫を好きになるなんておかしいと思い悩んだ犬が、ムーミンママと出会って解放されていく話だ。

【参考終わり】


【産経抄】6月19日 - 産経ニュース

 国会閉会翌日の17日に耳にした(ボーガス注:公明党・北側副代表と、立民党・枝野代表の)2つの発言には、目が点になった。
「(公明党が)決議を止めたという話は全くない。自民党がまず党内で一致しないといけない」。
 公明党北側一雄*5副代表は記者会見で、中国による(ボーガス注:ウイグルチベットと言った)少数民族の人権侵害を非難する国会決議案採択が見送られた責任を、自民党内の手続きの遅れに転嫁した。誰が納得しようか。

 まあ「公明党が決議に消極的だった」のは明らかに事実ですし、その意味で「北側発言は、自民への責任転嫁」「素直に『日中友好の観点から公明党は決議に反対だ』と言えば良い」という産経の主張は「その限りでは」事実です。
 ところが、「自民党応援団」産経は産経で「自民党も決議には消極的だったこと」「だから『党として決議案賛成』が会期末の15日になったこと」を無視し、「公明党ガー」で自民を免罪しようというのだからこれもこれで酷い詭弁です。

「理念に違う部分があり、(共産党との)連立政権は考えていない」。
 最大の支持団体で、共産党と対立する連合の会合での表明である。ただし、政策面での部分的連携や次期衆院選での候補者一本化には努めるという。
▼連合のメンツを立てつつ、共産党との選挙協力は進める。これが立憲民主党の掲げる「まっとうな政治」なのか。
▼ただでさえ長引くコロナ禍にあって、感染症の専門家の意見もあてにならないという不信感が社会に蔓延(まんえん)している。こんな時だからこそ政治家に、もっと率直で誠実な言葉を望むのは無理なのか。

 産経の場合単に「『枝野は連合や共産党に対して不誠実だ(まるでイソップ童話のコウモリだ)』と罵倒し、野党共闘をぶち壊したい」「例の決議について公明党に全て責任転嫁し自民を免罪したい」という党利党略にすぎません。
 また「不誠実でデタラメ」というなら

モリカケ虚偽答弁の安倍(例えば安倍政権が「事実と異なる国会答弁」森友問題で139回:朝日新聞デジタル参照)
官房長官時代の「その指摘は当たらない」「全く問題ない」などの「木で鼻をくくった発言」しかしない、いわゆる菅語(例えば「菅語」を考える | 毎日新聞参照)
◆五輪中止論に対して『五輪を開催するのはIOCで日本政府じゃない』の一点張りの菅(例えば《IOCはGHQか?》菅首相「五輪中止」の責任放棄に批判の声 | 女性自身参照)
◆河井夫婦への1億5千万円について『甘利選対委員長(当時)に全て任せていたからよく知らない(二階幹事長)』『私の方こそよく知らない(甘利)』と責任のなすりつけあい(例えば河井案里氏側に1億5000万円 “関与せず” 自民 二階幹事長 | 選挙 | NHKニュース参照)

等「自民の方」が余程酷いですが、枝野の側も「共産党選挙協力に使いたいが、共産党入閣どころか、政策合意すらしたくない」つう党利党略ですからね(それが非常にわかりやすいのが選挙前どころか、衆院任期満了後になっても出版されずお蔵入りじゃないかと噂される例の対談本出版『延期』)。「どこがまっとうな政治だ、枝野はふざけんな」つうのは全く同感です。
 しかも、別記事でも触れましたが、「解散なし、任期満了」でも今年中に衆院選挙があるのに、最近は、立民・本多議員「心からおわび」 性交同意発言、与野党から批判:東京新聞 TOKYO Web【独自】立憲・石垣のりこ議員に新たな問題が!「国会事務所」違法な“私的利用”疑惑 | 週刊女性PRIMEなどという問題が発生する枝野立民一派のていたらくです。こんなていたらくで本気で枝野はまっとうな政治とか、政権交代とか抜かしてるのか。枝野には心底呆れます。


【主張】河井元法相に実刑 党の無責任体質も猛省を - 産経ニュース
 あの産経ですらこのタイトルを付けざるを得ないわけですが、公選法違反当時の党幹部が

◆首相、自民党総裁
 安倍晋三(前首相、前総裁)
官房長官
 菅義偉(現・首相)
自民党幹事長
 二階俊博(現在も幹事長、二階派ボス)
自民党選対委員長
 甘利明(現・自民党税制調査会長)

であるがゆえに「自民党(特に安倍、菅)の応援団」産経の批判は所詮腰砕けです。
 「説明を求める」といっても、抽象的なことしか言えず、安倍、二階らの国会参考人招致、証人喚問も求めないし、安倍、二階らにマスコミ記者会見を求めるわけでもない。
 野党を利してはまずいどころか「今の執行部が崩壊して岸田前政調会長や石破元幹事長が首相、自民党総裁では嫌だ」ですから話にならない。

*1:残念ながら「イスラエルパレスチナ攻撃への甘い態度」「中国への敵対的な態度」が「イラン問題にシフトされない(イランを敵視したあげくイスラエルべったり→イランとの関係が緊張)」とは言いきれません。

*2:1914~2001年。著書『小さなトロールと大きな洪水』、『ムーミン谷の彗星』、『たのしいムーミン一家』、『ムーミンパパの思い出』、『ムーミン谷の夏まつり』、『ムーミン谷の冬』、『ムーミン谷の仲間たち』、『ムーミンパパ海へいく』、『ムーミン谷の十一月』 (以上、講談社文庫:ムーミンシリーズ)、『少女ソフィアの夏』、『彫刻家の娘』(以上、講談社:非ムーミン作品)、『島暮らしの記録』、『旅のスケッチ:トーベ・ヤンソン初期短篇集』、トーベ・ヤンソン・コレクション1『軽い手荷物の旅』、2『誠実な詐欺師』、3『クララからの手紙』、4『石の原野』、5『人形の家』、6『太陽の街』、7『フェアプレイ』、8『聴く女』(以上、筑摩書房:非ムーミン作品)、『誠実な詐欺師』、『トーベ・ヤンソン短篇集:黒と白』(以上、ちくま文庫:非ムーミン作品)、『メッセージ:トーベ・ヤンソン自選短篇集』(フィルムアート社:非ムーミン作品)(トーベ・ヤンソン - Wikipedia参照)

*3:1906~2000年。アンデルセン(『おやゆび姫』、『絵のない絵本』、『雪の女王』など)、アストリッド・リンドグレーン(『ロッタちゃんのひっこし』、『ロッタちゃんとじてんしゃ』、『ロッタちゃんとクリスマスツリー』、『ちいさいロッタちゃん』)、トーベ・ヤンソン(『ムーミン谷の冬』、『たのしいムーミン一家』、『ムーミン谷の仲間たち』、『ムーミン谷のクリスマス』)、ラーゲルレーヴ(『ニルスのふしぎなたび』)など北欧の児童文学作家の翻訳で知られる。著書『アンデルセンの生涯』(1975年、新潮選書)、『聖書物語』(1977年、偕成社文庫)、『童話とその周辺』(1980年、朝日選書)、『サガとエッダの世界:アイスランドの歴史と文化』(1992年、社会思想社現代教養文庫)、『評伝森鴎外』(1999年、講談社文芸文庫)、『北欧の神話』(2017年、ちくま学芸文庫)など(山室静 - Wikipedia参照)

*4:著書『先生と親のための LGBTガイド』(2016年、合同出版)、『オレは絶対にワタシじゃない』(2018年、はるか書房)、『ひとりひとりの「性」を大切にする社会へ』(2020年、新日本出版社)、『みんな自分らしくいるためのはじめてのLGBT』(2021年、ちくまプリマー新書

*5:小泉内閣国交相公明党政調会長、幹事長などを経て副代表

珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年6/18日分)

弾圧と発展-中国の二つの顔 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 先週末から奈良を旅してきた。
 特別展「聖徳太子と法隆寺」を奈良国立博物館で6月20日までやっていると聞き、これは必見!と前売り券を購入した。
 今年は太子が亡くなって1400年にあたる。これを記念して、太子と太子が建立したとされる法隆寺ゆかりの至宝(国宝36件!重文75件!をふくむ)を公開するという豪華企画だ。
 日本の国柄を理解するには古代における仏教のあり方を知らなくては、と勉強を続けていて、その主要な対象の一つが聖徳太子だ。私にとっては「不要不急」のお出かけではない。
 ただ、あとでポスターをよく見たら、わざわざ奈良まで行かなくても、7月には東京の国立博物館でもやることになっていた。でも、チケットも買ったことだし、この機会に法隆寺などを実地に観るのもいいなとでかけた。

 仕事でもない「趣味の旅行」を「俺の生きがいだから、不要不急じゃない」と強弁する高世に吹き出しました。しかも「7月に東京国立博物館でも同じ展示をやる」のなら「あえて言えば」無理して、奈良に行く必要はどこにも無い。
 そんなこじつけをしないで素直に「不要不急だがどうしても奈良旅行に行きたかった。マスク着用など感染予防措置はきちんとした」でいいでしょうに(苦笑)。
 しかし高世もブログ記事内容が「サイクリング」「家庭菜園」「奈良観光旅行」とは完全に「ジャーナリスト廃業」ですね(苦笑)。
 なお、高世の言う

 日本の国柄を理解するには古代における仏教のあり方を知らなくては、と勉強を続けていて

について「素人の適当な思いつき」ではありますが、俺の考えをメモしておきます。
 まず第一に、高世の言う「日本の国柄」とやらが「今の日本」を意味するなら古代仏教などよりも

明治維新以降の欧米(英米仏独伊など)文化導入
明治維新以降、1945年の敗戦までの「日本型国家主義」の成立
 国家神道の誕生、教育勅語軍人勅諭の公布など
明治維新から今に至るまでの各種新興宗教の誕生
 天理教、PL教、創価学会などなど
◆戦後のGHQ改革
 天皇象徴化、不敬罪の廃止、国家神道の廃止(政教分離)、治安維持法の廃止(共産党の合法化)など

等の「最近の出来事の影響」の方が大きいでしょう。
 第二に仏教について言えば、やはり「鎌倉新仏教(親鸞浄土真宗日蓮日蓮宗など)誕生」「廃仏毀釈」などの影響が大きく、今の仏教を考えるにおいて古代仏教がどれほど重要なことやら。
 第三に「古代の精神文化」というなら、仏教以外にも「神道」「道教」「儒教」の影響も忘れてはいけないでしょう。
 第四に聖徳太子について言えば彼の業績については「後世の創作の疑い」が指摘されており、少数説とはいえ

【大山誠一*1(中部大学名誉教授)のいわゆる聖徳太子否定説、虚構説】
◆『「聖徳太子」の誕生』(1999年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)
◆『聖徳太子と日本人:天皇制とともに生まれた<聖徳太子>像』(2005年、角川文庫ソフィア)
◆『日本書紀の謎と聖徳太子』(編著、2011年、平凡社
◆『聖徳太子の真実』(編著、2014年、平凡社ライブラリー)
【大山説へのウヨの反発】
田中英道*2聖徳太子虚構説を排す』(2004年、PHP研究所

と言うことで『聖徳太子の業績を全て後世の創作とみなす説(いわゆる『聖徳太子否定説、虚構説』)』もあります。
 なお、「全て後世の創作」とする大山説は極端とは言え、聖徳太子の業績の「一部」について「後世の創作」を疑う学説は戦前からあり、津田左右吉が『十七条憲法・虚構説(後世の創作説)』を主張し、ウヨから「不敬と攻撃されたこと」は有名な話です(なお、津田自身は皇室崇拝の保守派であり、左派ではありません)。
 一時、文科省が、教科書検定で「聖徳太子」について「厩戸王」呼称で統一するという話が出てある種の騒動になった理由(ただしウヨの反発で結局撤回)はそこにあります。
 同時代人は彼のことを「聖徳太子」とは呼んでなかったし、「聖徳太子」の業績について「全否定」は少数派とは言え、「日本書紀の記述」がどこまで信用できるかについては争いがあります(俺もこの辺りは全く無知ですが)。

【参考:聖徳太子

聖徳太子 - Wikipedia参照
 十七条憲法を太子作ではないとする説は江戸後期の考証学者狩谷鍵斎らに始まり、津田左右吉*3も十七条憲法を太子作ではないと主張した。戦後、井上光貞*4坂本太郎*5や関晃*6らは津田説に反論している。一方、森博達*7は十七条憲法を『日本書紀』編纂時の創作としている。
◆大山誠一による聖徳太子虚構説
 1999年、大山誠一『「聖徳太子」の誕生』が発表された。大山は「厩戸王聖徳太子)の事蹟と言われるもののうち冠位十二階と遣隋使の2つ以外は全くの虚構」と主張。さらにこれら2つにしても、『隋書』に記載されてはいるが、その『隋書』には厩戸王は登場せず、(推古天皇の事績とは言えても)彼の事績と言えるか疑問と大山は考えた。
 聖徳太子についての史料を『日本書紀』の「十七条憲法」と法隆寺の「法隆寺薬師像光背銘文、法隆寺釈迦三尊像光背銘文、天寿国繡帳、三経義疏」の二系統に分類し、すべて厩戸皇子よりかなり後の時代に作成されたとする。
 大山は、飛鳥時代斑鳩宮に住み斑鳩寺も建てたであろう有力王族、厩戸王の存在は否定しない。しかし、『推古天皇の皇太子』として、数々の業績を上げた聖徳太子は、『日本書紀』編纂当時の実力者であった、藤原不比等らの創作であり、架空の存在であるとする。
 『日本書紀』などの聖徳太子像には何らかの誇張が含まれるという点では、多くの研究者の意見は一致しているが、聖徳太子像に潤色・脚色があるということから「非実在」を主張する大山説には批判的な意見が数多くある。大山の聖徳太子虚構説に対する反論としては、直木孝次郎*8厩戸王の政治的地位について」、上田正昭*9「歴史からみた太子像の虚実」(いずれも上田編『聖徳太子の実像と幻像』(2001年、大和書房)所収)、森田悌*10『推古朝と聖徳太子』(2005年、岩田書院)などがある。
◆教育における扱い
 歴史教科書においては長く「聖徳太子厩戸皇子)」とされてきた。しかし上記のように存命中の呼称ではないという理由により、たとえば山川出版社『詳説日本史』では2002年(平成14年)度検定版から「厩戸王聖徳太子)」に変更されたが、この方針に対して右翼が反発し批判している。2013年(平成25年)3月27日付朝日新聞によれば清水書院の高校日本史教科書では2014年(平成26年)度版から、大山誠一等が主張する聖徳太子虚構説(従来聖徳太子として語られてきた人物像はあくまで虚構、つまりフィクションである、とする説)をとりあげた。このように「聖徳太子」の「業績」については学問的には疑問視されるようになっているので、中学や高校の教科書では「厩戸皇子聖徳太子)」についてそもそも一切記述しないものが優勢になっている(わずかに記述される場合でも、記述は「厩戸王聖徳太子)」として「聖徳太子」という呼称はカッコの中でしか記述されないことが多い)

「 なぜ日本史から聖徳太子を消すのだ 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト週刊新潮2017.3.9号
 聖徳太子は、その名を知らない日本人など、およそいないと言ってよいほどの日本国の偉人である。だが、文部科学省が2月14日に突然発表した新学習指導要領案によれば、その名が子供たちの教科書から消されることになりそうだ(ボーガス注:こうしたウヨの反発から結局、『厩戸王』で統一する方針は撤回(例えば次期指導要領で「聖徳太子」復活へ 文科省改定案、「厩戸王」表記で生徒が混乱 「鎖国」も復活(1/3ページ) - 産経ニュース(2017.3.20)参照)。
 聖徳太子は新たに「厩戸王(うまやどのおう)」として教えられるというが、(中略)皆が親しんできた名前を消して、(中略)変えるとは、一体どういうことか。
 左派陣営に蹂躙されてきたこの反日教育が幾世代も続いた末に、安倍晋三氏が首相に、下村博文*11が文科大臣になって以後、ようやく改善されてきたと思っていた。だが、いままた、日本を貶める意図しか見えてこないような学習指導要領が、突如、提案されている。文科省は伏魔殿か。根っからの反日組織か。

次期指導要領で「聖徳太子」復活へ 文科省改定案、「厩戸王」表記で生徒が混乱 「鎖国」も復活(1/3ページ) - 産経ニュース2017.3.20
 文部科学省が2月に公表した中学校の次期学習指導要領改定案で、現行の「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」に変更したことについて、文科省が学校現場に混乱を招く恐れがあるなどとして、現行の表記に戻す方向で最終調整していることが19日、関係者への取材で分かった。
 「厩戸王(うまやどのおう)、かっこ、聖徳太子。これ、なんですか」
 今月8日の衆院文部科学委員会民進党笠浩史*12が声を張り上げた。「聖徳太子」の表記をめぐる議論は国会にも波及。笠氏は「聖徳太子は冠位十二階や十七条憲法などわが国の統治の基本を作り、歴史上最も重要な人物の一人。多くの国民が同じような思い」と見直しを求めた。
 翌日の参院文教科学委員会では、無所属クラブ(ボーガス注:当時。現在は維新)の松沢成文氏も「いろいろな学者の意見があるが、過度に影響されてはいけない。普遍的な価値を伝える歴史教育を考えなければいけない」と強調した。

【聖徳太子没後1400年 第1部(1)】不在説の波紋 比類なき生涯も実像は謎多く - 産経ニュース2021.4.6
 伝説も含め、広く世に知られるところだが、近年、学問の世界ではその実在性が揺らいでいる。教科書表記の聖徳太子厩戸王に変更しようという動きもあった。
 「もしそんな人物がいたら想像を絶する偉大な人だったでしょうが、実在したのは一人の王族としての厩戸王であって、聖徳太子は実在しない」というのは、中部大学名誉教授の大山誠一さんだ。平成8年に論文を、11年に著書「〈聖徳太子〉の誕生」(吉川弘文館)を刊行して議論の火付け役となった。
 聖徳太子は架空の人物で、没後約100年の後に書かれた日本書紀(720年)において創造された-と大山さんは考える。
 「そのころ日本は律令国家として歩み始めたばかりで、役人は礼儀に欠け規律も定まらなかった。仏教や儒教道教に通じ、中国の皇帝に比するような天皇像を示して、天皇制が国家秩序の頂点にあることを示す必要があった。そんな象徴となるような聖人を作り出さねばならなかったのです」(大山さん)
 主導したのは当時の権力者だった藤原不比等(ふひと)ら。その上で安定政権を確立し、天皇家と婚姻関係で結びつきながら、権力、そして日本の歴史も支配していったという。
 日本書紀の虚構性は認めた上で「仏教に対する理解と信仰を持ち合わせていた厩戸皇子、すなわち聖徳太子の存在まで否定的にとらえる必要はない」というのは、立命館大学の本郷真紹(まさつぐ)教授だ。

津田左右吉 - Wikipedia参照
 1939年(昭和14年)に津田が『日本書紀』に於ける聖徳太子関連記述についてその実在性を批判的に考察したことについて、蓑田胸喜(原理日本社主宰)、三井甲之らが津田に「日本精神東洋文化抹殺論に帰着する悪魔的虚無主義の無比凶悪思想家」として不敬罪にあたるとして攻撃した。政府は、1940年(昭和15年)2月10日に『古事記及び日本書紀の研究』『神代史の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及思想』の4冊を発売禁止の処分にした。同年1月に文部省の要求で早稲田大学教授も辞職させられた。津田と出版元・岩波書店岩波茂雄は同年3月に「皇室の尊厳を冒涜した」として出版法(第26条)違反で起訴され、1942年(昭和17年)5月に津田は禁錮3ヶ月、岩波は2ヶ月(ともに執行猶予2年)の判決を受けた。津田は控訴したが、1944年(昭和19年)に時効により免訴となった。津田事件という。

【参考終わり】

 ほとんど毎回観るテレビ番組にNHKの「国際報道」がある。
 進行を仕切るMCの酒井美帆さんがまたすばらしい。彼女はNHK職員ではない。オーディションで抜擢されたのだろうか、よくこんな逸材を見つけてきたものだ、などと酒井さんの出自にまで関心をもってしまう。

 酒井美帆 - Wikipediaによれば「国際報道」MCの前が、テレビ新潟『夕方ワイド新潟一番』キャスター(テレビ新潟の局アナ)で、現在はセント・フォース - Wikipediaという女子アナが多数所属する芸能事務所に在籍とのこと。「よくこんな逸材を見つけてきたものだ」と書く高世ですが「見つけてきた」のではなく、所属事務所セントフォースNHKに営業しただけの話じゃないか。

 きのうの「国際報道」は中国に関するニュースが二つ。
 一つは、17日朝、香港で政府に批判的な新聞『リンゴ日報』の編集・経営部門の幹部5人が逮捕されたニュース。
 民主化運動は冬の時代、さらに厳冬期に入ったような気配だ。
 もう一つの中国関連ニュース。
 17日、中国が有人宇宙船「神舟12号」を打ち上げ、独自に建設中の宇宙ステーションにドッキングを成功させた。
 中国の宇宙進出のスピードには驚かされる。技術的な進歩が著しい。
 以上二つのニュースは、中国の人権弾圧の強化と先端技術での躍進という二つの面を象徴するように思われた。

 昔の高世なら『リンゴ日報関係者逮捕』で、中国に悪口雑言でしょうが、そんな元気もないのか、実に淡々としています。

*1:著書『古代国家と大化改新』(1988年、吉川弘文館)、『長屋王家木簡と奈良朝政治史』(1992年、吉川弘文館)、『長屋王家木簡と金石文』(1998年、吉川弘文館)、『日本古代の外交と地方行政』(1999年、吉川弘文館)、『天孫降臨の夢:藤原不比等のプロジェクト』(2009年、NHKブックス)、『神話と天皇』(2017年、平凡社)など

*2:東北大学名誉教授。元「つくる会」会長。『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」:二段階革命理論と憲法』(2011年、展転社)、『戦後日本を狂わせた反日歴史認識を撃つ』(2016年、 展転社)、『日本人にリベラリズムは必要ない。:リベラル」という破壊思想』(2017年、ベストセラーズ)、『左翼グローバリズムとの対決』(2020年、扶桑社)、『京都はユダヤ秦氏がつくった』、『決定版 神武天皇の真実』、『日米戦争 最大の密約』(以上、2021年、扶桑社)等の著書があるトンデモ右翼。

*3:1873~1961年。著書『文学に現はれたる我が国民思想の研究』(岩波文庫)、『日本の皇室』(中公クラシックス)など(津田左右吉 - Wikipedia参照)

*4:1917~1983年。東京大学名誉教授。国立歴史民俗博物館初代館長。著書『天皇と古代王権』(2000年、岩波現代文庫)、『日本古代の国家と仏教』(2001年、岩波モダンクラシックス)など(井上光貞 - Wikipedia参照)

*5:1901~1987年。東京大学名誉教授。著書『日本の修史と史学:歴史書の歴史』(講談社学術文庫)など(坂本太郎 (歴史学者) - Wikipedia参照)

*6:1919~1996年。東北大学名誉教授。著書『帰化人』(講談社学術文庫)など(関晃 - Wikipedia参照)

*7:京都産業大学名誉教授。著書『日本書紀の謎を解く:述作者は誰か』(1999年、中公新書)など

*8:1919~2019年。大阪市立大学名誉教授。著書『持統天皇』(1985年、吉川弘文館人物叢書)、『古代遺跡見学:奈良・大阪・京都・滋賀』(1986年、岩波ジュニア新書)、『古代日本と朝鮮・中国』(1988年、講談社学術文庫)、『日本古代国家の成立』(1996年、講談社学術文庫)、『万葉集と古代史』(2000年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『額田王』(2007年、吉川弘文館人物叢書)、『直木孝次郎 歴史を語り継ぐ:わたしの戦前・戦中・戦後』(2013年、吉川弘文館)など(直木孝次郎 - Wikipedia参照)

*9:1927~2016年。京都大学名誉教授。著書『日本武尊』(1985年、吉川弘文館人物叢書)、『藤原不比等』(1986年、朝日選書)、『古代日本の女帝』(1996年、講談社学術文庫)、『古代日本のこころとかたち』(2006年、角川叢書)、『雨森芳洲』(2011年、ミネルヴァ日本評伝選)、『私の日本古代史(上)(下)』(2012年、新潮選書)、『渡来の古代史』(2013年、角川選書)、『日本古代史をいかに学ぶか』(2014年、新潮選書)、『古代の日本と東アジアの新研究』(2015年、藤原書店)など(上田正昭 - Wikipedia参照)

*10:群馬大学名誉教授。著書『王朝政治と在地社会』(2005年、吉川弘文館)、『天智天皇大化改新』(2009年、同成社)、『天武・持統天皇律令国家』(2010年、同成社)など。個人サイト森田悌の耋老徒然随想

*11:第一次安倍内閣官房副長官、第二次安倍内閣文科相自民党選対委員長(第二次安倍総裁時代)などを経て自民党政調会長(菅総裁時代)

*12:菅内閣文科大臣政務官、野田内閣文科副大臣民主党幹事長代理、民進党国対委員長代理、希望の党国対委員長等を歴任