「政局のみ興味があるらしいバカ」kojitakenに悪口する(2024年4/29日分)(追記:田中絹代は映画監督だった)

2024年4月28日衆院3補選、立憲民主党全勝。負けたのは自民・公明・維新・国民民主・極右・連合・泉健太・野田佳彦。 - 村野瀬玲奈の秘書課広報室
衆院3補選、立民3候補がすべて当確 - kojitakenの日記
 しかもいずれも「東京(約4万9千票、2位の須藤が約3万票)」「島根(約8万3千票、自民の対立候補は約5万8千票)」「長崎(約5万3千票、維新の対立候補は約2万5千票)」と、「大差をつけてのゼロ打ちでの勝利」であり、「自民(島根)」「維新(東京、長崎)」「都民ファ(東京)」「国民民主(東京で都民ファと相乗り)」の打撃は大きいでしょう。
 特に維新が「序盤選挙報道」では「2位につけてる」とされた東京で「須藤元気(2位、約3万票:れいわ代表の山本が応援演説していた*1が、自民支持層のかなりの部分が何故か投票したとみられる)」を下回る3位(約2万8千票)で惨敗したことは痛いでしょう。「最悪でも2位」が維新の見込みだったはずです。
 また乙武都民ファ、国民民主)は「5位(約2万票)」と言う大惨敗に終わりました。「野党共闘に加わるか、自主投票にした方が良かった」として乙武支持に動いた玉木国民民主党代表の代表辞任も不可避でないか。
 また「いずれの選挙区でも共産が降りたこと→その結果、立民系候補が勝利」で「共産と手を組むな」を連呼し、東京では「国民民主の支援に動いた」とされる「連合」の打撃も大きいでしょう。
 野党共闘支持、共産支持の俺にとっては「日本保守党の意外な得票(約2万4千票で4位)」「低い投票率」を除けば良い結果でした(これでも予想通り立民党執行部が共産との共闘に後ろ向きなことは「予想の範囲内」とはいえげんなりしますが)。保守党の得票は、自民層のかなりの部分が保守党に投票した(安倍自民以降、自民党支持層が極右化してる?)と言うことでしょうか?
 投票率が低いのが残念です。これは今後の分析が必要ですが思いつきを書けば
1)自民支持層の棄権
→自民が候補を立てなかった東京、長崎で自民支持層の多くが棄権、また、島根においても「裏金問題への批判」から棄権(残念ながら野党共闘には投票せず)。また、多くの自民国会議員は「世襲議員」「地元県議や首長」等の形で、地元とつながりがあるところ、今回の島根は落下傘候補だったことも自民支持層の棄権を助長
2)候補者乱立(東京)
→誰に投票すべきか(島根のように一騎打ちの構図にない)、誰が勝つ見込みか(序盤報道では1位野党共闘、2位維新ではありましたが)がわからないことが「一騎打ちのようなわかりやすい候補に投票したい」「勝ち馬に投票したい」有権者の投票意欲をそいだ。特に「乙武に当選の見込み無し」とする序盤報道が「都民ファ支持層の投票意欲」をそいだ
というところでしょうか?


低投票率ゆえの酒井菜摘候補勝利だった - kojitakenの日記

下記は堀新氏のX。

 低投票率で酒井氏が勝ったでしょ?
 東京はサイレントマジョリティが投票に来ない方が野党は有利。
 善し悪しは別にして組織や固定客に頼るノイジーマイノリティなんだから。
 投票率が低いほど、投票意欲の高いマイノリティが政治を握れるわけだ。

 これは本当にそうで、私はブログ記事には書かなかったけど、投票率なんか上がらない方が良いと思っていた。その方が酒井候補に有利なことは明らかだからだ。好ましくないことかもしれないが事実だから仕方がない。投票率が低いほど酒井氏が有利だったことなど、ものがわかっている人*2には自明だったんじゃないかな。

 「候補者乱立ゆえの酒井候補勝利(2位以下に大差をつけてるとは言え、2位以下の合計票数は酒井氏を上回ってる)」「候補者乱立ゆえの低投票率(一騎打ちのようなわかりやすい構図の方が投票率は上がる)」とはいえるでしょうが「低投票率ゆえの酒井候補勝利」ではないでしょう。少なくともそう評価できる根拠を何一つkojitakenや堀は提出していません。
 そもそも堀は「山口二郎氏(法政大学教授)」等のような政治学者でも何でも無い「ただの政治素人」です。「そんな人間しか自説の根拠に持ってこれないのか」とkojitakenには呆れます。
 実際には東京でも「野党に投票する無党派層」もそれなりにいるでしょうし、与党支持層に組織票(自民党の建設業界票、公明党創価学会票など)がないわけでもない。
 無党派層の多くを「勝ち馬に乗りたがる無定見な人間の集まり」とkojitakenや堀が見なすまともな根拠は何もないでしょう。
 基礎票、組織票と呼ばれる票は多くの自治体(東京含む)で与党の方が大きい以上、野党としてはむしろ「投票率が高い方が多くの場合、勝利の可能性は高まる」でしょう。
 いずれにせよ「低投票率ゆえの酒井勝利」(まともな根拠はなく、そもそも事実に反すると思いますが)を指摘した上で「今回の勝利に必要以上に浮かれてはいけない」「支持層拡大に努めよう」ならともかく「投票率は低い方がいい(kojitaken)」と世論の批判を浴びた「無党派層には寝ていて欲しい(首相当時の森氏)」と同じ発言をよくもできたもんです(呆)。

 自民党にとことんうんざりした有権者が、単に野党第一党だから立民候補を投票の対象に選んでいるだけである。

 まあそうでしょうが、それ言ったら「社会党土井たか子ブーム(ちょうどリクルート疑惑とかぶった)」とか過去の最大野党躍進も同じ話ですからね。
 いずれにせよ「一時は立民を抜いて最大野党か」と危惧されていた維新が敗北したことは俺的に大変良かった。

 低投票率を責められてはたまらない。この区の立民の政党支持率の低さ*3を知ってますか?。今回の補選でも酒井候補があと伸びしたという情報には一つも接しなかった*4。典型的な先行逃げ切り型の戦いだった。野球でいえば、相手が二線級の先発投手(乙武洋匡*5)を出してくれたおかげで序盤に挙げた先制点を守り切った展開。

 よほど「井戸まさえ(過去に15区で立民から出馬、kojitakenの推しらしい)」が担がれなかったことが不愉快なのか、投票率の低さを「酒井候補に魅力が無いから(だから低投票率でも仕方が無い)」のように言い募るkojitakenには「酒井陣営と支持者に失礼やろ」ですね。

 立民がもっとどういう社会を目指すのかなどのビジョンをはっきり打ち出して人々から積極的に支持されるようになったら、00年代後半の民主党候補のように選挙戦中に立民候補があと伸びして勝つような勢いもつく*6かもしれないが、今の立民はそのような政党では全くない。

 「そういうお前はどういう社会を目指すのかなどのビジョンを打ち出してるのかよ?」「それ以前にお前は最近は補選の話しかしてねえだろ?。選挙の勝敗にしか興味のねえバカがほざくな!」ですね。
 国会で「民法改定案(共同親権)」「経済安保秘密保護法案」「食料・農業・農村基本法改定案」等の重要法案が審議され、ネット上にも
「共同親権」という言葉がそもそも適切なのかどうか、考える必要があるかもしれない。 #共同親権は離婚禁止法 #共同親権は危険 #共同親権は廃案に #れっつ炎上共同親権 #STOP共同親権 - 村野瀬玲奈の秘書課広報室
#経済安保版秘密保護法案 への警戒が足りない。野党第一党の立憲民主党からも、報道業者からも。 - 村野瀬玲奈の秘書課広報室
食料自給率向上政策を放棄する自民党の農業政策は日本を自ら危機に追い込む愚策・悪政。 (メモ) - 村野瀬玲奈の秘書課広報室
等の記事がある(例は勿論村野瀬氏でなくてもいいですが)ところ、「そうした政治問題には全く無関心」で「補選のことばかり記事にしてきた野郎」が良くも言ったもんです。どこまでkojitakenも「恥知らずのクズ」なのか?


これから立憲民主党や野党がやらねばならないことは、非常に逆説的だけど「投票率が上がっても勝てるように、支持を高めること」だよ。(堀新氏のX) - kojitakenの日記
 低投票率ゆえの酒井菜摘候補勝利だった - kojitakenの日記と大同小異の内容なので上に書いた批判と内容がかぶりますが。
 まず第一に「投票率が低いことが今回の補選で野党に有利に働いて勝利した」とか、あるいは「泉体制における過去の選挙での野党の敗戦原因は投票率の高さも一因」とか見なせる根拠は何もないでしょう。kojitakenが持ち出す堀新(kojitakenの類友?)も「政治学者でも何でも無いただの政治素人」です。
 第二に「お前は、政局(選挙や政党支持率など)しか興味ねえのかよ」「政策には興味がねえのか(呆)」ですね。
 この駄文において、kojitakenは一切政策の話をしません。
 kojitakenとは「政策に興味が無い」「選挙の勝ち負け、政党や内閣の支持率、政党役員(幹事長、政調会長など)や政務三役の人事など政局しか興味が無い」のでしょう。但しそうした政策無視、軽視では「選挙の勝利自体が難しい」し、勝利したところで「短命に終わった過去の民主党政権(鳩山、菅、野田政権)の二の舞」にしかならないでしょうが。
 kojitakenが泉を批判する場合もそれは「立民の支持率が下がった」「立民が選挙に負けた」と政局の話ばかりで、政策の話は皆無です。
 過去の民主党政権の下野にしても、kojitakenの認識は「西松疑惑で民主党幹事長(鳩山首相時代)を辞任し、政権中枢から外された小沢一郎が主流派(菅首相野田首相など)に政争をしかけたから(俺の要約)」という「政局重視、政策完全無視」の「非常に不適切な代物」です。
 id:kojitakenは「沖縄基地県外移設(県内移設に変更)」「消費税増税しない(増税に変更)」「八ッ場ダム建設中止(建設続行)」等、数々の公約違反、あるいは公約違反とまでは言えないにしても「死刑廃止議連のメンバーだった千葉法相が在任中に死刑執行」など、「野党時代の主張と全く違うことを実行したこと」によって「民主党の連中は嘘つきだ、公約違反ばかりしている」「自民の方がまだましではないか?」というイメージを国内に広く流布させ、そのことが、民主党政権を短命に終わらせただけでなく、今も「自民よりも大きく下回る政党支持率」として立民の足を引っ張ってること(例えば立民党の岡田幹事長は鳩山、菅内閣外相、野田内閣副総理・行革相、長妻政調会長は鳩山、菅内閣厚労相で『民主党政権での公約違反等の問題行為の戦犯』の一人)には全く触れません。
 俺なんか自民支持者から「政権交代選挙で、八ッ場ダム中止とか、沖縄基地県外移設とか出来もしないことを放言して、閣僚(鳩山、菅内閣外相、野田内閣副総理・財務相)になったら反故にして、謝罪もしない男(岡田)が、幹事長の立民なんか支持できるか」と言う悪罵は良く聞くのですがね。


野党が勝つときは投票率が低いということについては、前に聞いた「選挙を答え合わせだと思ってる層がとても多い」という話が納得感があった。 勝つであろう候補に投票して、勝ったことに喜ぶという行動をするがために、勝ちが分からないときは参加しないという(トモノ氏のX) - kojitakenの日記
 「投票率の低さと野党の勝利と関係ないだろ」と言う俺の批判をよほど気にしてるのか?
 しかし、ここでkojitakenが言ってる「答え合わせ」云々とは「最近の投票者は勝ち馬に乗りたがる傾向が高い」「投票率が高いときは勝ち馬(選挙序盤報道で優勢な候補)がいるとき」「最近は野党候補は勝ち馬ではない」と言うだけの話です。
 これが正しいかどうか自体「オール相乗りVS共産の一騎打ち(共産が負けることが多いし、正直、共産もオール相乗り批判を重視し勝敗は度外視してると思う)」など「勝ち馬が明確なとき」に「投票しなくても優勢候補が勝てる」ということで投票率が下がることもあることで「本当か疑問」ですが、仮に正しいとして、それは「投票率が高いと野党が負ける」と言う話とは違うでしょう。

 人と同じことをやって何が楽しいんだと思うタイプの人間だ。人がやらないことをやりたいといつも思っている。

 「えー、どこが?」ですね。
 俺の共産支持に悪口雑言する「明らかに立民リベラル派(枝野)シンパ」のどこがそんな人間なのか?
 枝野シンパて「野党支持層(特に維新や国民民主に批判的なリベラル層)ではかなり多いグループ」だと思いますが。
 俺を「ロシアシンパ*7」「北朝鮮シンパ*8」「中国シンパ*9」と決めつけるこの男のどこがそんな人間なのか?
 俺の土師守の主張に全く賛同できない - bogus-simotukareのブログに「被害者である土師氏に失礼だ」と抜かしたこの男のどこがそんな人間なのか?。なお、俺は被害者であろうと「間違った加害者批判」はありうるし、そうしたものは批判して一向に構わないと思っています。
 小澤征爾死去時にマスコミが小沢追悼報道を大々的に行ったときに、小澤征爾死去。私には音楽よりも彼の言葉の方が面白かった - kojitakenの日記なんて記事を書いた男のどこがそんな人間なのか?
 なお、へそ曲がりな俺は「小沢ではない人間の追悼記事を書くぞ!」と思って書いたのが小沢(2024年2/6死去)と同時期に死去した「均等法の母」赤松良子(2024年2/7死去)、「死刑廃止の父」バダンテール(2024年2/8死去)を取り上げた「死刑廃止の父」バダンテール(1928年生まれ)、「均等法の母」赤松良子(1929年生まれ)死去(追記あり) - bogus-simotukareのブログです。
 正直
1)「均等法の母(労働官僚として法成立に尽力)」赤松が「女性の社会進出」と言う意味で日本社会に与えた影響
2)「死刑廃止の父(法相として死刑廃止に尽力)」バダンテールが「死刑廃止」と言う意味で国際社会に与えた影響
は「たかが指揮棒振り(指揮者)にすぎない小沢よりよほど大きい」でしょうに、彼らの死が小沢に比べて騒がれないことには、「日本人って本当に政治問題、社会問題に無関心だよな」と「予想の範囲内」とはいえ、げんなりしましたが(まあ、バダンテールの場合、外人という要素もありますが)。
 まあ、「首相レベル」だとまた話も別ですが、赤松やバダンテールに限らず、政治関係、社会運動関係で活躍した人間より「文化人(最近だと漫画家の鳥山明(2024年3/1死去))」の死去の方が日本では騒がれる気がしますね。
 「お前、むしろ多数派だろ」ですね。「多数派でありながら、それを自覚せず、俺は少数派だと言って悦に入るバカ」がkojitakenと言っていいのではないか(まあ、「戦前日本の対米戦争反対派」など「少数派だが正しい」「主張することに勇気が必要」な場合でも無い限り、少数派であることそれ自体に価値はないのですが)。
 むしろ、小生の方が

 人と同じことをやって何が楽しいんだと思うタイプの人間だ。人がやらないことをやりたいといつも思っている。

がある気がしますね(とはいえ「無理に逆張り」などしませんが)。
 小生は「そういう人間」なので「ロシア批判」「北朝鮮批判」「中国批判」「加害者批判」をあまりやる気が無い。「みんなやってることをやって何が面白いのか」と思う。
 逆に
ウクライナはいい加減停戦した方がいいのでは」
ウクライナクラスター爆弾を使用してることが許せない(勿論ロシアによるクラスター爆弾使用も当然許せません)」
プーチンシンパとはいえ、ウクライナによる一民間人の暗殺は許せない」
「中国の台湾侵攻、北朝鮮の韓国侵攻なんてあり得ない」
北朝鮮がミサイル発射実験していいとは言わないが、あんなものは脅威でも何でも無い」
北朝鮮が核保有していいとは言わないが、インドやパキスタンが公然と核保有しても制裁しないで容認してる米国が、北朝鮮は制裁してるのはご都合主義でおかしい」
「中朝露の独裁的体制を擁護しないが、軍事独裁のエジプト、王制独裁のサウジ(皇太子の命令で反体制派のジャーナリストを暗殺した疑惑もある)に米軍基地を置き、事実上、それらの独裁的体制を黙認してる米国に、中朝露を非難する資格などない」
「特定失踪者なんて明らかなデマやろ、国内で何人も発見されてる」
拉致被害者の即時一括全員帰国などと言う無理な目標は辞めて、段階的帰国でも制裁解除すべき」
「拉致が解決しなくても国交正常化すべき」 
等と書くので「kojitakenのようなバカ」には「ロシア、中国、北朝鮮擁護」等に見えるのでしょう。
 なお、俺が前衛、月刊経済、歴史評論の紹介記事を書いてる理由の一つは人がやらないことをやりたいです(少なくとも俺の観測範囲ではそういう記事は見当たらない)。
 また
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2020年12月11日版:2021年12月20日に追記あり) - bogus-simotukareのブログ
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/20版) - bogus-simotukareのブログ
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/24版)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実ほか(2021年12/25版) - bogus-simotukareのブログ
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/28版)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2022年3/2版) - bogus-simotukareのブログ
映画監督「田中絹代」について記事紹介(2023年4月12日)(副題:映画産業の斜陽化(1960年代)と田中の映画監督断念) - bogus-simotukareのブログ
映画「サンセット大通り」から田中絹代を連想した(2023年6月12日記載)(副題:脱線して「死語」についていろいろ)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ
という「映画監督・田中絹代」記事も人がやらないことをやりたいです(少なくとも俺の観測範囲ではそういう記事は見当たらない)。

【追記】
 久しぶりに「田中絹代映画監督についての記事」がないかググって、ヒットした記事を紹介しておきます。

田中絹代の第一回監督作品「恋文」。松竹の名監督たちが団結して応援した力作である。|ゆうもあ倶楽部(ゆうもあくらぶ)2022.5.30
 田中絹代の第一回監督作品「恋文」は絹代を愛する映画人たちが総力を結集した作品である。
 シナリオは木下恵介が二回書き直し、それに成瀬巳喜男が手を入れ、最後に小津安二郎が厳しくチェックした。
 助監督からキャメラ、照明のスタッフも木下と成瀬が厳選し、最強のスタッフを集めた。
 ただひとり溝口健二だけが「田中絹代の頭では監督はムリだ」と冷ややかだった。
 完成した作品は、シナリオがよかったおかげもあって「そこそこの評価」を得られ、興行的にも田中絹代の監督作品ということで「そこそこ」成功した。
 溝口健二も「まあ、無難でよかったです。恥をかかなくて良かった」という彼らしい褒め方をした。
 ところで、この映画、木下恵介監督が「チョイ役*10」で出演しているそうだが、どこだかわからなかった。なんとしても突き止めよう。
 ちなみにこの映画のDVD。(ボーガス注:田中絹代再評価で)アマゾンで「¥17,600」と高騰している。十年ほど前に私が買ったときは2000円ぐらいだった。

大久明子監督「しびれますね」 昭和の大女優・田中絹代作品「乳房よ永遠なれ」に感涙/芸能/デイリースポーツ online2022.11.4
 日活創立110周年を記念して、過去10年間に世界50カ国以上で上映され、高く評価されている名作8本のデジタル復元版を上映する「Nikkatsu World Selection」が3日、東京・シネスイッチ銀座で始まり、昭和の大女優・田中絹代さんが監督した「乳房よ永遠なれ」(1955年)の上映後に映画監督の大九明子氏(54)と国立映画アーカイブ主任研究員の冨田美香氏がトークショーを行った。

【日本映画】「月は上りぬ」|TOMOKI(2023.7.8)から一部引用
 1955(昭和30)年の日本映画「月は上りぬ」。Amazonプライムにて。
 監督は女優の田中絹代。脚本に小津安二郎。彼女監督6作品のうちの2作目。
 監督自身も、主人公の家に使える下女という脇役で出演している。
 カメラアングルや風景描写など、溝口・小津らの良いとこ取りみたいな感じもするけど、人のことだとズバズバ言えるけど、自分のことになるとなかなか言い出せないという、恋愛成就のホノボノとしたドラマだった。
 田中絹代の女性の描き方は古い。あくまで女は弱くて、男がリードして…という描き方だ。時代もあるけど、溝口・小津らは、そういう日常に埋没しながらも、自分の意思で人生を切り開いて行く女が多かったけど。昭和の価値観で育った俺はまだ微笑ましいが。ラストの、女に向けての子供をあやすような男の台詞も今だったらoutだろう。
 ブルジョワ旧家の浅井家の三姉妹。
 末の節子(北原三枝*11)が上の姉・綾子(杉葉子)を、出張して来た電気技師の雨宮(三島耕)とくっつけようと苦心、結局、成就するが、節子は恋人の安井昌二安井昌二*12)と就職のことで意見が合わずにケンカ別れの危機。
 昌二は、東京で英語の先生の口を世話されることになって、親しい大学教授の計らいで、節子は昌二と2人で会うことになって、2人はお互いを許して仲直り、節子は昌二と共に上京する…といった流れ。
 また、父親役の笠智衆が溝口・小津の映画と同様、良い味を出してる。
 月明かりの幻想的なシーンは溝口監督みたいに美しい。

【古典邦画】「乳房よ永遠なれ」|TOMOKI(2023.11.13)から一部引用
 女優である田中絹代が監督の映画。1955(昭和30)年公開の「乳房よ永遠なれ」。Amazonプライムにて。
 乳がんにより31歳で没した歌人中城ふみ子を描いたもので、女性の田中監督が、女性の心と身体をテーマに撮ったとして評価が高い。
 ダメな夫と決別したふみ子は、二児を抱えて実家に戻る。
 ふみ子は、たまたま新聞社主催の短歌の集いに参加、夫との生活を歌に詠んだら、賞賛されることに。
 それから短歌を詠むことを楽しみに暮らすことになるが、夫との離婚調停で、長男だけは夫に渡さなければならないことになる。
 短歌の集いに参加していた、女学生時代のふみ子の初恋の相手に、いろいろと励まされるが、その彼は急病で死んでしまう。
 夫の元から長男を連れ戻したふみ子は、上京して職を探そうとするが、胸の痛みを訴えて入院することに。
 検査で乳がんを宣告されて、ふみ子は手術で乳房を取ってしまう。
 しかし、ふみ子の詠んだ短歌は、雑誌で入選し、東京では話題の新人作家となる。
 乳房除去手術後、ふみ子は回復してるように見えたが、肺にも転移が見つかり、たまたま目にした新聞で、「新人作家は残念なことに、余命いくばくもない」と書かれた記事を見て、大きなショックを受ける。
 ふみ子を演じたのは月丘夢路。日常に則した評価の高い短歌を残すものの、かわいそうにトコトン不幸である。
 ショックを受けた記事を書いた若い記者(葉山良二)が、東京からふみ子の病室に面会に来るが、最初、彼女は絶対に会わないと拒否する。記者の熱意に負けて面会すると、記者は、最期まで歌を詠むように促す。そして、彼は、ふみ子の病室に寝泊まりして看病に当たる。
 死期を悟ったふみ子がある夜、ベッド脇で横になってる記者の布団に入って、「もう死んでもかまわない。最期に女として抱いて」と懇願する。このシーンが映画の肝だ。それまで、ふみ子はマジメな一歩引くような古いタイプの女性だったが、自分から積極的に若い男に身を任せる。乳房は取られてないけど、ふみ子の女の表情がとてもエロチックだ。記者はためらいつつもふみ子を抱くことになるのだ。
 翌日、記者は東京に帰るが、数日後、ふみ子の遺体が病室から運ばれていく。
 ふみ子は満足して逝ったであろうか。田中絹代監督は、今観れば古いかもしれないけど、男視点の描き方が多勢を占める中で、女性が、不幸であれ、男によって左右されるのではなく、女性自らが選択して生きることを表現したかったのだと思う。
 ゆえに、ロマンチックにキレイに描くのではなく、乳がんに苦しむ女性を、あくまで現実的に、積極的に性欲も持って男を求める姿に描いているのだ。

田中絹代の監督作や出演作を特集上映 軌跡をたどる/台湾 - フォーカス台湾2024.1.3
 俳優で映画監督の田中絹代の作品を特集上映するイベントが北部・新北市の国家映画・視聴文化センター(国家電影及視聴文化中心)で1月6日から始まる。
 上映されるのは「恋文」「月は上りぬ」「乳房よ永遠なれ」「流転の王妃」「女ばかりの夜」「お吟さま」の監督作6作品全てと、田中の俳優としての代表作である小津安二郎監督の「非常線の女」、溝口健二監督の「西鶴一代女」、成瀬巳喜男監督の「おかあさん」、田中がベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞)を受賞した熊井啓監督の「サンダカン八番娼館・望郷」。この他、田中の半生を映画化した市川崑監督の「映画女優」と、田中の映画監督としての顔に焦点を当てたフランスのパスカルアレックス・バンサン監督によるドキュメンタリー映画「KEIKO KISHI, UNE FEMME LIBRE」も併せてラインナップされた。
 28日まで。6、7日には映画研究者の斉藤綾子明治学院大学教授を迎えた上映後の座談会や講座も開かれる。
 特集上映は同センターと日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会台北事務所国際交流基金の共催。

映画監督 田中絹代|ぺしゃんこ。(2024.3.20)から一部引用
 田中絹代といえば誰もが認める大女優ですが、日本映画界において二人目*13の女性映画監督でもあり、近年ではその監督作品が再評価され、注目を集めています。
 監督処女作は『恋文』(1953)。
 田中絹代主演映画を多く手掛けた木下恵介監督が脚本を提供しています。
 彼女の監督デビューに際しては小津安二郎*14成瀬巳喜男木下恵介といった巨匠たちの手厚いサポートがありました。
 みな自分たちの大切な女優である田中絹代のキャリアに傷をつけたくなかったのでしょう。
ただ溝口健二は小津などと理由は同じだったのでしょうが、逆に絹代が監督になることに猛然と反対しています。
(中略)
 女優としての名声があまりに大きかったこと、時代的に女性監督と言う存在に猜疑の目(溝口のように)があったことなど、いろいろな理由はあるでしょうが、これまでほとんど無視されてきた「映画監督田中絹代」への再評価の流れが更に大きくなることはまちがいないことでしょう。

*1:一方、れいわの櫛渕政審会長代理は酒井候補を応援していました。

*2:自分のことを「ものがわかっている人」と自称するとはどこまで権威主義なのか(呆)

*3:東京15区については知らないので「マスコミの全国世論調査の数字」で話をしますが、確かに自民(約20%)に比べたら、低いとは言えそれでも「自民に次いで2位(約7%)」なんですけどね。というか「政党支持無し(約40%)が多いから投票率が低くても仕方が無い」というのは誰が考えても暴論でしょう。ついでに言えば、投票率が今回「格段に低かった」のは事実ですが、昨今は「kojitakenが持ち上げる政権交代選挙(2009年)や枝野代表時代の選挙」も含めて「昔に比べて」投票率は低い傾向にあります。

*4:「後伸びしなかった」と断言できない当たりがkojitakenも腰が引けています。

*5:結果的には惨敗し「二線級」と言われても仕方がない選挙結果でしたが、乙武は「ファーストの会副代表」なのですがね(ファーストの会は都民ファ(地方政党)を母体にした、国政進出を目指す政党。代表は都議で都民ファ代表の森村隆行)。「乙武という玉が悪かった」と言うよりは「都民ファに国政進出を望む都民が少ない」と見るべきではないか。

*6:政権交代選挙(2009年)にしても正直「事務所費疑惑(第一次安倍内閣)」等「自民党の腐敗」に国民がうんざりした結果にすぎず、俺はkojitakenが言うほど「当時の民主党どういう社会を目指すのかなどのビジョンを打ち出していた」とは思いません。

*7:多分「ウクライナは停戦した方が良いのでは?」「ロシアの侵攻が無法なことは当然の前提として、ウクライナにも色々と問題がある(例えば、1)砲弾不足や『ロシアがウクライナ軍に対して既に使用してること』を理由にウクライナ軍がクラスター爆弾を使用したこと、2)プーチンシンパとはいえ一民間人にすぎない人物(例:ダリア・ドゥギナ)の暗殺)と思う、ウクライナを正義の味方のように描くのはどうか?」などとウクライナ批判したことが理由

*8:多分「拉致被害者の即時一括全員帰国などと言う無理な目標は辞めて、段階的帰国でも制裁解除すべき」「拉致が解決しなくても国交正常化すべき」「朝鮮学校無償化除外には反対」などと救う会、家族会等を批判したことが理由

*9:多分、「ダライ・ラマが日本ウヨと野合してることが許せない」などとチベット批判したことが理由

*10:いわゆるカメオ出演

*11:石原裕次郎と結婚し芸能界を引退。現在は石原まき子

*12:本名は四方正雄。長谷川一夫主宰の劇団・新演伎座、俳優座養成所(3期)を経て、日活の専属俳優となり『月は上りぬ』(1955年、田中絹代監督)で映画デビューを果たす。これを機に芸名を四方正夫から、役名の「安井昌二」へと改名

*13:一人目は坂根田鶴子 - Wikipedia

*14:第2作『月は上りぬ』に脚本を提供するだけでなく、田中映画の助監督として今村昌平、齋藤武市(いずれも当時、小津の助監督で後に独立して監督)を送り込んだ。