今日のしんぶん赤旗ニュース(2023年1/18~20日分)

大阪カジノ反対署名提出/たつみ知事予定候補参加/夢洲土壌汚染 再度調査を
必ずカジノ誘致中止/たつみ大阪府知事予定候補が決意/党議員団が激励
 「共産は安保政策を右にシフトしろ」として「維新との共闘を主張するアホ」松竹はこうしたカジノ批判にどう回答するのか?
 「憲法問題」だけでも共闘できる話ではないですが、「カジノ(維新は推進、共産は反対)」「歴史認識河野談話否定の維新)」「福祉切り捨て」などいくつもある「維新との違い」を松竹はどう理解しているのか?


校閲の目/ジェンダーガイドライン ポイント(3)/男女間に優劣や上下関係があるかのような扱いをしない

 日本国語大辞典などをみると「夫人」の「夫」は「扶」のことで「夫を助ける」という意味だとされます。「夫人」とは「夫を助ける人」のことで、平等な関係ではありません。そのため、たとえば「昭恵夫人」ではなく「妻の安倍昭恵氏(さん)」と書くようにします。

 一応メモしておきます。
【参考:赤旗での「夫人」表記】

NHK「森友」報道 少なさ際立つ/“昭恵夫人隠し”徹底■“政局報道”に終始/山下議員への“内部告発”もとに検証2018.4.30
 明確になったのが、NHKの徹底した“昭恵夫人隠し”です。

森友問題の“真実”語る/大阪・豊中 近財元職員ら対談2019.2.4
 元職員は、(中略)資金のめどもないのに、豊中市の国有地の森友学園への売却、8億円の値引きが動きだしたのは、学園理事長だった籠池泰典氏と妻、安倍昭恵首相夫人のスリーショット写真を見せられてからだとし、職員の間では「昭恵事案」と言われていたと証言。

【参考:赤旗での「妻」表記】

こんなにある「森友」&昭恵氏 深い関係/名前出るたび要望通り進む2018.3.16
 財務省が改ざんしていた学校法人「森友学園」(大阪市)との交渉経緯を公表したことで、安倍晋三首相の、昭恵氏の関与があらためて注目されています。

まつり会場に不破夫妻来場2018.10.29
 会場には、不破哲三前議長(社会科学研究所所長)もの上田七加子さんと訪れ、各ブースを巡って楽しみ、参加者との写真撮影やサインに応じました。

「2人 調査される側」/森友改ざん 首相・麻生氏に抗議/自殺した赤木さんの妻 自筆文2020.3.24
 学校法人「森友学園」への国有地売却に関する公文書改ざん問題で、自殺した近畿財務局職員の赤木俊夫さん=当時(54)=のが23日、安倍晋三首相や麻生太郎財務相が政府として再調査しない考えを示したことに抗議する自筆のコメントを出しました。

“森友文書改ざん再調査を”/赤木さん妻に賛同26万人2020.4.2
 「森友学園」問題で文書改ざんを強要され自殺した財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さんのが呼びかけた再調査への賛同者が26万3千人余となりました。

今日もkojitakenに悪口する(2023年1月18日記載)(副題:松竹伸幸の泉礼賛、維新容認を批判しない「自称アンチ泉、維新」id:kojitakenのデタラメさに心底呆れる)

「×××ローテーション」は熾烈な組内権力抗争の産物だった(呆) - kojitakenの日記
 勿論問題はそういうことではない。仮に事実だとしても、*1そういうことは「れいわ内部の話」なので、仮に事実だとしても「党員、支持者はともかく」部外者にとって「ある意味どうでもいいこと」であって「ローテーション」などという行為が「正当な行為」として容認できるのかという話でしょう。

 志位和夫泉健太に盲従するばかりの共産や立民の「信者」たち

 「はあ?」ですね。具体的に誰のことを言ってるのか。名前を出せと言いたい。「野党共闘をぶち壊しにする」泉に批判的な立民支持層はいくらでもいるでしょう(特にしがらみの少ない党外の支持者には)。なお支持者の多く、特に党員や後援会員*2は恐らくリアルの活動をしており、である以上いろいろとしがらみがあるのであって「リアルな活動は何もしてない口舌の徒」kojitakenがしがらみを気にせず*3悪口雑言できるのとは訳が違う。批判とは公然と悪口雑言することでは「必ずしも」ない(まあ、とはいえ、今の泉の無茶苦茶な行為「野党共闘破壊」に目立った批判が党内からないのはやはりおかしいでしょうが)。
 「野党共闘ぶち壊しの泉」に比べたら「ずっと良識派*4」志位氏に対する党内批判派は「泉に対する批判派」に比べたら少ないかもしれませんが、「いない」とkojitakenが決めつける根拠は何なのか。
 なお、「アホのkojitaken」は俺を「信者と決めつける」のかもしれませんが、俺は「俺にとって今のところ志位氏に強い不満がないから」批判しないに過ぎません。「kojitakenを持ち上げることしかしないid:suterakuso」が「俺はkojitaken氏の幇間ではない」と未だに強弁するように大抵の支持者は「少なくとも主観的には」そうではないか。
 それを「信者」とkojitakenが決めつけるのは「奴の立場では志位氏が批判に値するから」という手前勝手な理由に過ぎません。
 そもそも「信者」というなら「kojitakenを褒めたたえ、奴と一緒になって俺の悪口を言う取り巻き連中(例えばid:suterakuso)」こそ「kojitaken信者」といっていいでしょう。信者と一緒になって、俺に対する悪口を散々ブログに書き連ねる*5くせに「俺の反論は拒否する」気持ち悪い「信者集団*6」kojitaken集団が良くもふざけたことが言えたもんです。
 偉そうなことを言うなら俺の批判にまともに反論したらどうなのか。
 「荒らし」扱いして俺の投稿を拒否する「狭量な独裁体質野郎id:kojitaken」が良くもふざけたことが言えたもんです。kojitakenの自己申告に寄れば「60代のおっさん」のようですが60年間もこんな下劣な生き方をしてきたのかと心底呆れます。

 水道橋博士氏の議員辞職に伴って大島九州男*7が繰り上げ当選することが気に食わない人たち*8が組内(党内)にいて、彼らが仕掛けた「大島降ろし」に組長の山本太郎が加担したということらしい。

 是非はともかくそれが事実なら、山本は「独裁者」どころか「れいわ幹部連のご機嫌伺いをする必要がある普通の政党党首」にすぎないでしょうが、何故か「山本独裁」というkojitakenです。いつもながらid:kojitakenはバカとしか言いようがない。
 考え無しに「独裁」と言って「批判した気になるバカ=id:kojitaken」ということでしょう。

 最近共産党が同じようなことを(ボーガス注:松竹伸幸に)指摘されていた。警告処分を常任幹部会の権限にしたことについてだ。国政選挙での連戦連敗の責任*9を取らない志位和夫が逆噴射して独裁権力を強めたものではないかともみられている。

 「反党分子・松竹の根拠レスの放言」を鵜呑みにする「反共分子」kojitakenには心底呆れます。まあkojitakenの場合「志位執行部に悪口できれば松竹の主張が信用できるかどうか」はどうでもいいのでしょうが。
 そもそも「警告処分」を常幹権限にしたところでそれがどう「志位氏の独裁権力の強化」に役立つのか。主張の是非以前に、id:kojitakenの主張が意味不明です。
 そもそも「反党分子」松竹ですら「志位氏の独裁権限強化」などとは一言も言っておらず、「中央委員会」よりも「少人数の常幹」の権限にすることで、警告処分を出しやすくし、(小池氏のパワハラのような党役員の問題行為について、党役員更迭、除名などの)警告処分を超える厳罰を回避し、寛大な処分にしたいのではないかとしか言ってないのですが。そうした松竹の主張の是非*10はともかくそれは「独裁権力の強化」という話ではない。「頭の悪いバカ」kojitakenはどう見ても松竹の主張をまともに理解していません。
 なお、常幹権限にしたところで松竹の言うような「中央委員会権限にした場合」との差異が生まれるとは俺は思いません。
 「常幹権限にして警告処分を出しやすくしたところ」で中央委員会が「警告では甘い」としてダメ出しすれば意味は無いのでは無いか。
 それにしても「維新へのすり寄り」を理由に泉を糞味噌に罵倒するkojitakenが、松竹が
立憲の泉さんは野党共闘深化に不可欠 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba2021.11.30
などと泉にエールを送ることや

批判?いえ、共産党が必要だという叫びです | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba*112023.1.18
 共産党野党共闘の仲間*12に入れない*13のは、安保・自衛隊問題をめぐる基本政策*14の違いにある

として「志位執行部に維新との共闘を要求すること」を完全に無視することには心底呆れます。「松竹を使った志位執行部攻撃」をするのに都合が悪いからでしょうが、kojitakenは泉批判するのなら「泉にすり寄る松竹」「共産に対し、維新にすり寄れと要求する松竹」も批判したらどうなのか。
 松竹の主張は、要約すれば「志位執行部は泉立民に安保政策をあわせるべき」「泉立民とともに維新と共闘すべき」なのに「志位執行部叩きに松竹が使えるから」と言う理由で松竹の「泉礼賛」「維新容認」を黙認するkojitakenのデタラメさにはいつもながら心底呆れます。どこまでkojitakenもクズでバカなのか。

 山本太郎が共同代表を2人置いた理由がわかるような気がする。やはり山本は足抜けのタイミングを計っているのではなかろうか。

 吹き出しました。根拠もなく妄想を放言するのも大概にしたらどうなのか。是非はともかく「共同代表」の政治団体、政党は珍しくない。そしてこれは「共同代表が二人いるのだから山本は独裁者ではない」アピール(山本は独裁者ではないかどうかはひとまず置きます)とみる方がよほど自然でしょう。


統一地方選は維新が伸びる可能性はなお高い。新選組と参政党も伸びるのはほぼ確実で、そのぶん自民、公明、共産は防戦になる(三春充希氏) - kojitakenの日記
 維新やれいわ(特に維新)はともかく参政党にそれほど脅威があるかは疑問です。
 またkojitakenの予想を裏切り、「三大右翼ポピュリズム政党」とやらがぱっとせず、共産党議席増加することを祈念していますがそれはさておき。

 共産は新選組に、立民は維新*15になんかそれぞれすり寄ってる場合じゃないんだよ。

 何度も書きますが、「共産、社民、れいわを含む野党共闘」をおざなりにし「リベラル支持層」を切り捨てる泉は「維新にすりよってる」と言っていいでしょうが、志位氏は別に「れいわにすり寄ってる」わけではない。
 「野党共闘のメンバー」としてれいわと付き合いがあるだけです。それが「れいわにすり寄ってるように見える」としたら1)泉が共産を含む野党共闘をおざなりにしてるから、2)社民党がれいわを下回る議席数、支持率になって存在感がまるでないからにすぎません。そもそも泉について言えば「支持層に維新批判派が多数いるのに、泉がかなり強引に維新にすり寄ってる」と言っていいでしょうが、志位氏の場合とてもそうは言えないでしょう。共産支持層自身も「立民の維新すり寄り」「社民の党勢衰退」から「共闘相手は現時点ではれいわしかない」と認識してるのではないか。
 あえて言えば「支持層を争うライバルとは言え、いたずらに敵視できない存在」と言う意味では今のれいわは「共産より元気だった頃の社会党土井たか子時代など)」に似ていると言ってもいいのではないか。あのときも「社会党に対して複雑な感情」はありながらも、共産党はいたずらに社会党を敵視したりはしなかったのではないか。別記事でも書きましたが「山本太郎の個人商店であること」「ローテーションというふざけた主張」など個別の面ではれいわを批判することは当然あり得ても現状において、れいわは「自民、公明、維新、国民民主、参政党、NHK党(いずれも非常識ウヨ政党)」のように敵視すべき存在ではないでしょう。
 むしろ「自称」社民党支持者・kojitakenの方こそ社民党の惨状を考えたら「立民や共産、れいわに悪口してる場合じゃないんだよ」「社民復調の方策を考えろ」でしょう。それともid:kojitakenはもはや社民党を「早晩消滅するオワコン政党」として見捨てたのか?。まあそうではなく、社民党については「都合が悪いから触れないこと」にしたのでしょうが。今の惨状ではとても社民党を褒められないものの「支持者」として批判する気にもならないのでしょう。その結果として「社民党よりは元気で、野党支持層の一定の支持を得ている立民、共産、れいわへの憎悪が募り悪口する」と。まあ俺も「維新にすり寄る立民」や「ローテーションれいわ」がまともとは思わないので、批判しますが少なくとも共産はkojitakenに悪口されるほどの落ち度はないでしょう。

 志位和夫泉健太も権力の座に居座って*16二人とも逆噴射までしてやがる。どうしようもない。

 「逆噴射*17て何?」ですね。
 id:kojitakenの文章を読んでうんざりしてくるのは「意味不明な言葉が頻出すること」です。
 わかりやすい文章を書こうという意識が全く見られない。
 「無名の凡人」のくせに「分かる奴だけ分かればいい」という思い上がった態度なのだから心底呆れます。

*1:勿論、事実かどうか分かりませんが

*2:共産支持者の俺個人は口舌の徒に過ぎませんが

*3:というか単に「無能で恐らく人望もない」kojitakenが孤独で無力なだけですが、ご本人、それを「しがらみが俺にはない」と前向きに解釈できるのだから、まあ何ともおめでたい性格をしています。勿論褒めていません。心の底からid:kojitakenを軽蔑しバカにしています。

*4:というか「安倍や松井」など「泉より酷い人間もいることはいますが」泉ほど酷い人間もそうはいませんが。

*5:とはいえ最近は減ってきたかもしれない。

*6:とはいえ最近のkojitakenコメント欄を見ると明らかにコメントが減ってきた気がします。「アンチkojitaken」の俺としては「kojitakenの無茶苦茶な言動(不当な俺のコメント投稿拒否など)」で「ただでさえ多くないkojitaken記事へのコメント」が一層減ったと理解したいところです。

*7:参院議員(民主党

*8:「他にもいる」ようですが、大島とともに「議席ローテーション」する予定の「名簿掲載者4人(長谷川羽衣子(れいわ政治塾塾長)、辻恵(元衆院議員(民主党))、蓮池透、依田花蓮(元新宿区議))」のことと思われる。

*9:要するに「委員長辞任要求」ですが、俺個人は「志位氏がやめるべきだ」とは思っていませんし、彼がやめてどうにかなる話でもないでしょう。というかそんなことを言うなら「社民党支持者」id:kojitaken福島瑞穂氏に「党勢衰退の責任を取って引責辞任」を求めたらどうなのか?

*10:後述するように俺は是とは思っていません。

*11:なお、この駄記事で松竹がろくに売れてもない自著を、自画自賛しまくってることには「どこまで自己意識が肥大化してるのか」と心底呆れます(というよりは、松竹も世間に評価されてないことを自覚しての必死のマッチポンプでしょうが)。志位氏がこのバカ男にマジギレしたというのも分かる気がします。俺も松竹のクズさにはマジで切れています。「内田樹」もよく「松竹のようなクズ」の本に推薦文が書けたもんです。まあ内田が「松竹と同レベルのクズ」だったと言うことですが。

*12:前後の文脈で分かるようにこの「野党共闘」とは「立民・維新コンビ」のことであり「社民、れいわ+泉に批判的な立民リベラル派」ではない。改憲右翼政党・維新と「護憲政党共産」が共闘しろとは松竹は正気の沙汰ではない。「バカでくず」とは思っていましたが、松竹がここまでバカでくずだとは思ってもみませんでした。俺の松竹評価もまだ甘かった。勿論、維新の問題点は『改憲右翼』であることだけではなく『新自由主義による福祉切り捨て』『政治資金規正法違反等の不祥事常習』『歴史修正主義への加担(慰安婦像を理由にサンフランシスコ市との姉妹都市関係を廃棄)』など多々ありますが。俺に言わせれば自民の方が維新よりまだましです。大体、れいわや社民党との信頼関係を松竹は何だと思ってるのか。

*13:「入れない」のではなく「維新に批判的な共産支持層」の意見を反映して意図的に「入らない」のですが。「共産が自民、公明との連立政権に入れない」のではなく「入らない」のと同じ話です。それにしても「俺の力で、共産を維新、立民の仲間に入れたい。だから共産の委員長になりたい」とは1)非常識な極右・維新を共闘相手と見なしてることと言い、2)無能な松竹に志位氏にかわって委員長になる能力などないのに大言壮語することと言い、3)仮に松竹が委員長になれても、無能な松竹など馬場維新も泉立民も相手するわけもないのに大言壮語することと言い、どこまで松竹はバカなのか。松竹のバカさには心底呆れます。

*14:原発政策(推進の維新と反対の共産)」「新自由主義による福祉切り捨て(福祉切り捨ての維新とそれに反対の共産)」など「維新と共産」には安保政策以外にも山ほど「溝がある」ので松竹の主張は悪質なデマでしかない。というか、そんなに馬場維新や泉立民に共感するなら松竹はとっとと離党して馬場や泉の部下になればいいでしょうに。

*15:などと「泉の維新へのすり寄り」を批判しきながら、批判?いえ、共産党が必要だという叫びです | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Amebaで「志位は泉と一緒に維新にすり寄れ」と公言する松竹伸幸を批判するどころか、松竹の記事をネタに悪口雑言するid:kojitakenには心底呆れます。kojitakenの「自称アンチ維新」も何処まで信用できるのか疑わしい。

*16:泉はともかく別に志位氏は居座ってはいないでしょうに

*17:とはいえ、何となく言いたいことは分かりますが。「党勢を衰退させることが明白な非常識行為」とでも言いたいのでしょうが「維新にすり寄る」泉はともかくいつ志位氏がそんなことをしたのか。むしろ、それに該当するのは批判?いえ、共産党が必要だという叫びです | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Amebaにおいて「共産は立民とともに維新の軍門に下れ」と無茶苦茶をいう松竹の方でしょうに、松竹を「逆噴射野郎・松竹」「維新にすり寄る松竹」と批判するどころか「志位執行部に批判を行う良識派」と描き出すのだから「アンチ維新を自称するid:kojitaken」のデタラメさには心底呆れます。まあ、この点は松竹を以前持ち上げた連中(朝日論座内田樹など)も同じですが。とはいえ、さすがに共産支持層の大多数は維新に否定的でしょうから松竹の寝言は相手にされないでしょうが。むしろ「辰巳氏が維新現職を批判し、府知事選に立候補したのに、維新と野合しろとは松竹は足を引っ張る気か!」という松竹への批判が噴出するのではないか。しかしどうすれば共産党本部職員までやった男がここまで右傾化するのか。しかし、ここまで俺に批判されてもkojitakenは恐らく松竹を絶対に批判しないのでしょう。それどころか今後も躊躇無く「松竹を使った志位攻撃」を恥知らずにもkojitakenはやるのではないか。

今日のロシアニュース(2023年1月18日分)(副題:シンガポール陥落に歓喜した当時の日本人多数派、ほか)

ウクライナでヘリ墜落 内相ら15人死亡: 日本経済新聞
 「機体の故障や運転ミスによる事故」か「テロやロシア軍の攻撃か」で話は違ってくるので続報を期待したい(追記:報道を見る限りでは真相解明に時間がかかりそうです。ということは「事故の可能性が高い」のではないか)。


【産経抄】1月18日 - 産経ニュース

 ロシアが厳しい情報統制下にあるとはいえ、民間人に対する蛮行の事実はなんらかの経路で伝わっているのではないか。 

 拙記事新刊紹介:「歴史評論」2023年2月号(副題:真珠湾攻撃勝利に歓喜した当時の日本人多数派、ほか) - bogus-simotukareのブログで紹介したNHK記事

新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(後編)」 - NHKスペシャル - NHK
 太平洋戦争開戦。
(中略)
 アメリカを真珠湾で撃破し、今度は、イギリスの軍事拠点に迫った日本軍。熱狂が続いていた。
シンガポール敵前上陸!すばらしいことをやったものだ。なんという私たちは幸せな国に生まれたのだろう』(主婦・金原まさ子*1 日記より)
 アメリカ、そしてイギリスに対し、緒戦の勝利を収めた日本。シンガポール陥落の3日後、全国で一斉に戦勝の祝賀式が開かれた。
今日の感激を一生忘れないだろう。一斉に日本バンザイを叫ぶ。陥落後の将兵、ただ眠るばかりの由。涙なしにはいられず』(主婦・金原まさ子 日記より)
 日本で祝賀式が行われたその日、憲兵分隊長として(ボーガス注:シンガポールの)治安維持にあたった大西覚は、「日本軍の作戦を妨害する者、治安と秩序を乱す者、また乱す可能性のある者」などを選別し、処刑するよう命令を受けたという。
 戦後、イギリス軍による裁判でこの虐殺*2に関わった大西ら5人は終身刑、2人*3の死刑が確定した。処刑された司令官は、5千人を粛正したと日記に記しており、裁判の証拠とされた。しかし、シンガポールでは、虐殺は数万人規模にのぼるとみる専門家もおり、研究が続いている。

でわかるように「シンガポール陥落」を脳天気に喜んでいた「本土の日本人」の多くは戦後になるまで「シンガポールでの華僑虐殺」を知りませんでした。
 従ってロシア人が「仮にロシア軍の蛮行を知らない」としても何ら不思議ではないでしょう。
 それにしても南京事件バターン死の行進などの日本軍の戦争犯罪を未だに詭弁で否定しようとする産経が良くもロシア批判できたもんです。恥を知れと言いたい。

 ロシア国民は自らの頭上にミサイルが降ってこない限り、沈黙を続けるのだろうか。

 日本人だって、東京大空襲*4、大阪大空襲*5などで「自分の頭の上」に爆弾が降ってこない限り「脳天気」だったので、人のことは言えません。それにしても、「戦争当時」どころか、未だにあの戦争を美化する産経が良くも言ったもんです(呆)。

*1:1911~2017年。俳人。著書に俳句集『カルナヴァル』(2013年、草思社)、エッセイ集『あら、もう102歳:俳人金原まさ子の、ふしぎでゆかいな生き方』(2013年、草思社)(金原まさ子 - Wikipedia参照)

*2:この事件については中島正人『謀殺の航跡:シンガポール華僑虐殺事件』(1985年、講談社)、林博史シンガポール華僑粛清』(2007年、高文研)等の著書がある。

*3:昭南警備司令官だった河村参郎(1896~1947年)と第2野戦憲兵隊長だった大石正幸のこと(河村参郎 - Wikipedia大石正幸 - Wikipedia参照)

*4:東京は、1944年(昭和19年)11月24日から1945年(昭和20年)8月15日まで、106回の空襲を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日、25日~26日の5回は大規模だった。その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲(下町空襲)を指す(東京大空襲 - Wikipedia参照)。

*5:1945年3月13日に最初の大阪空襲が行なわれ、その後、6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日に空襲が行われた。これらの空襲で1万人以上の一般市民が死亡したと言われている(大阪大空襲 - Wikipedia参照)。

今日の産経ニュース(2023年1/18日分)

立民と維新、協調を正式合意 増税反対や「身を切る改革」 - 産経ニュース
 「事実上の野党共闘破壊行為」にいそしむ泉立民です。しかし共産、社民、れいわとの過去の共闘に比べて成果があるとも思えません。リベラル層は立民から離れ、右派層は維新から奪えず、どんどん衰退するという「泉が代表就任から続く自滅の道」が今後も続くだけでしょう。参院選での敗北(どう見ても泉路線*1に対する国民のノー)が泉をやめさせるチャンスだったのにそれができず、泉の暴走を容認する立民には心底呆れます。それにしてもこんな自滅の道に「共産も付き合え」と批判?いえ、共産党が必要だという叫びです | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Amebaでほざく松竹のバカさには心底呆れます。「改憲右翼」「新自由主義による福祉切り捨て」「歴史修正主義慰安婦銅像でのサンフランシスコ市との姉妹都市廃棄など)」「コロナ無策による医療崩壊」「カジノ計画」「不祥事常習」等と「共産と共通点がまるでない」「まだ河野洋平福田康夫などの方がまし」な維新と何で共闘できるとか、すべきとか思うのか。
 「党本部職員もまともに務まらなかった無能の分際」で大言壮語する松竹がバカなのはどうでもいいですが、党を「無理心中の道連れ」にしようとするのはやめてほしい。そんなに志位執行部が気に入らないなら松竹は離党したらどうなのか。
 それにしても維新も当初は立民に散々悪口していた物の、「安倍死後、自民は敵対はしないものの、維新から一定の距離を置き」、維新単独では参院選で思ったほど伸びない中「立民にすり寄ること」にしたようですが、「俺の願望込み」ですが、これは「右からも左からも野合扱い」で、立民だけでなく「維新の自滅も招く」のではないか。


給食カレーに漂白剤混入 女性教諭起訴 埼玉 - 産経ニュース
下半身露出の自衛官停職 青森・三沢基地 - 産経ニュース
 勿論こうした行為は許されませんが、「何故こうなったのか」は考えるべきでしょう。「超過勤務で精神を病んでいた」など勤務状況に問題があった可能性もあるでしょうから。個人責任にしていいのかどうか。


【チャンネル正論】安倍元首相暗殺犯擁護 危険な風潮 - 産経ニュース
 安倍や自民党統一協会を批判し、山上に対して可能な限りの寛刑を希望すること何が問題なのかと怒りを禁じ得ません。
 それは例えば「老老介護での介護疲れ殺人」について日本の貧弱な医療制度を批判し、被告に寛刑を望むのと何が違うのか。
 

世界遺産・姫路城は売られていたかもしれない 学芸員が紐解いた歴史の真実 - 産経ニュース
 日本の城が、明治時代初期に酷い扱いを受けていたことについては以前、拙記事で以下のように書きましたので改めて紹介しておきます。姫路城に関する記述部分を今回赤字にしておきます。

新刊紹介:「歴史評論」2022年4月号(追記あり) - bogus-simotukareのブログ
◆近世城郭の保存と華族宮内省研究(篠崎佑太*2
【参考:廃城令】

全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方 - Wikipedia
 いわゆる「廃城令」の正式名称。
 それまで全国の城郭の土地建物については、陸軍省所管財産であったが、今後陸軍が軍用財産として残す部分については存城処分、すなわち引き続き陸軍省所管の行政財産とするも、それ以外については廃城処分、すなわち大蔵省所管の普通財産に所管換えし、大蔵省において処分すべきものとした。
 この場合の「存城処分」とは旧城郭を「文化財」として保存しようとするものではない。その後、陸軍の兵営地とする目的で城郭建造物がすべて取り壊された若松城の例がある一方、一部の建造物が取り壊され、陸軍施設が設置されたが、天守等の主要な建造物やほとんどの遺構が現存し、国宝、特別史跡になっている姫路城の例がある。例外的に、存城処分として陸軍用地となった城郭であっても、彦根城のように、明治政府の特例政策として城郭の土地と建造物が保存され、国宝、特別史跡となっているものもある。
 また、廃城処分とは大蔵省の普通財産に所管換えし、学校敷地等として売却するための用地となったものである。全国のほとんどの城郭陣屋の建造物が取り壊され、土地は払下げられた。ただし、犬山城松本城のように、建造物が売却、取壊しの対象になったが、結果的に現存し、国宝、史跡になっているものもある。
 後に、1890年(明治23年)になって、陸軍省用地としたものの不用になった城郭が、元藩主や地方団体に限り、公売によらず相当対価をもって払い下げられることもあった。「旧城主は祖先以来数百年間伝来の縁故により、これを払い渡し旧形を保存し、後世に伝えるなら歴史上の沿革を示す一端となり好都合である」ことを理由とした。「史跡としての文化財保護」のさきがけといえるが、史跡の法的な保護制度は、1919年(大正8年)制定の史蹟名勝天然紀念物保存法を待たなければならない。

【超入門!お城セミナー】現存天守はなぜ12城しか残っていないの?
 明治時代まで残った城たちにとって運命の分かれ道となったのが、明治6年(1873)の「廃城令」です。廃藩置県を機に、一旦城はすべて陸軍省の財産となりましたが、すべてが軍用地として必要なわけでもなく、管理も大変で手に余ります。そこで、要塞として必要な城は「存城」、不要な城は「廃城」が通達され、廃城となった城は大蔵省の普通財産になりました。
 この時40城余りが存城となったとはいえ、文化財として保存されるわけではありません。軍用地確保のために建物を壊したり、逆に主要な建物は残して石垣や堀を壊したりといった扱いでした。一方、廃城処分となった約150城の中には、学校用地となったものも多かったようです。確かに、城跡に建っている学校をよく見かけますよね。また建造物のうち、小ぶりな門や櫓・玄関や式台などは、近くの寺や神社に移築・再利用された例もたくさんあります。
 では、天守はどうでしょう? 天守は、巨大なため取り壊し・移築・再利用のどの道を選んでも莫大な費用がかかります。そのため無用の長物と判断され、超低価格で払い下げられてしまいます。存城処置となっても、その後結局払い下げられた天守も多く、現在国宝の松江城島根県天守は180円、世界遺産でもある姫路城(兵庫県天守はなんと、23円50銭の値しかつかなかったといいます。当時は米1俵が3円弱。姫路城天守はたった米10俵の価値だったということになります。
 (ボーガス注:取り壊された城郭の材木によって)薪の値段が暴落するほど全国の城が一斉に取り壊される中、城を守ろう!と動いた人たちもいました。陸軍大佐の中村重遠は、日本の城が建築的・美術的に価値あるものだと考えた一人。陸軍トップの山県有朋に建白書を提出し、これが認められて永久保存決定・修理されたのが、姫路城と名古屋城(愛知県)です。彦根城滋賀県)も、立ち寄った明治天皇大隈重信が保存を奏上したことにより、勅命で保存が決定しました。また、松本城(長野県)は、『信飛新聞』発刊者の民権運動家・市川量造が、有志から資金を集めて落札主から天守を借り受け、さらに県の協力も取り付けて天守で博覧会を開催。その収益で天守を買い戻し、取り壊しを回避したのです。

超入門!お城セミナー 第114回【歴史】明治時代にお城がたくさん破壊されてしまったって本当?「廃城令」って?
 今回のテーマは廃城令。なぜ、無数に築かれた城は激減してしまったのか。その大きな原因となった「廃城令」について解説します。
 まだ廃城令が出される前、明治維新の時点で日本に存在していた城は193、城持ちではない大名の本拠地・陣屋は127、これ以外の重要拠点である要害が20で、合計340城あったといいます。しかし、幕末維新の動乱による財政悪化で、多くの城が荒廃し始めていました。版籍奉還によって大名所有の土地と人民、そして城も明治政府のものとなりましたが、管理を委託されたのは旧藩主の知藩事。城は巨大建築であるがゆえに老朽化が激しく、屋根は波打って瓦がずれ落ち、壁の漆喰は剥落、板戸や窓枠は外れ、草がぼうぼうに生い茂るといった有り様。また、新政府への反抗運動の拠り所となるのを防ぐために取り壊された城もありました。そして、明治4年(1871)の「廃藩置県」で知藩事という職がなくなり、彼らが東京移住を命じられると、主がいなくなった城はさらに荒廃していきました。
 そして明治6年(1873)、廃城令が発せられます。簡単にいうと、「城の土地建物は陸軍省の財産だったが、今後陸軍が軍事に使用するものは存城処分。それ以外は廃城処分として大蔵省に引き渡し、売却用の普通財産とする」ということでした。存城処分となったのは、東京城江戸城/東京都)、仙台城宮城県)、名古屋城(愛知県)、大阪城大阪府)、広島城広島県)、熊本城(熊本県)などをはじめとする43城1要害のみ(諸説あり)。残りはほとんどが廃城処分となりました。
◆存城=保存ではない! 城郭保存へいたる長い道のり
 存城・廃城と運命が分かれた城たちですが、ここで大切なのは、「存城=保存」ではないということです。あくまでも軍用地としての存続なので、存城となっても、広い場所を確保するために堀を埋めたり、石垣を破壊したり、建造物を取り壊したりという例が少なくありませんでした。逆に、本丸や二の丸など主要部以外の広い曲輪を軍用地としたため、天守などの建造物は残されたという例も。会津若松城福島県)は前者の例で、存城となったものの、すべての城郭建造物が取り壊されました。姫路城(兵庫県)は、典型的な後者の例です。現在三の丸を囲む堀の外側に建つ市立美術館は、元は明治時代に建てられた軍の倉庫でした。存城となっても、遺構の残り方は一様ではなかったということですね。
 さて、明治10年前後には、存城処分となり軍用地として存続していても、老朽化によって取り壊しの危機を迎える城が続出しました。この時、軍内部や庶民に、初めて城を文化財として残そうと考えた人たちが現れ、これによって姫路城、名古屋城彦根城滋賀県)、松本城(長野県)、松江城島根県)などが取り壊しを免れています。

城の終焉「廃城令」と名城のその後 「青天を衝け」の城 (11) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
 1871(明治4)年の廃藩置県で、藩庁である城も役目を終えた。そして、1873(明治6)年1月14日に廃城令が公布されると、全国の城の多くが姿を消すこととなった。
 (ボーガス注:廃城令とは)明治維新により陸軍省所管財産となっていた城の土地や建物を、「存城処分」として陸軍省所管の行政財産とするか、「廃城処分」として大蔵省所管の普通財産にして売却処分するかに分けるもので、これにより43城(諸説あり)が存城処分、そのほかの城のほとんどは廃城とされた。
 存城処分といっても城を後世に残すことが目的ではなく、あくまで陸軍用地としての利用が目的だ。そのため、軍の施設建設のために広大な敷地を確保すべく、城内の石垣は壊され、堀は埋め立てられ、建物も次々に破却された。
 たとえば姫路城(兵庫県姫路市)には8棟の国宝天守群と74棟の国指定重要文化財という計82棟の現存建造物があるが、御殿はひとつも残っていない。
 廃城令から数年経ち、城への文化的な価値に目が向けられはじめたことで、城の建物は貴重な文化財として後世に残ることになる。破却が進んでいた姫路城では、中村重遠陸軍大佐が陸軍卿の山縣有朋に姫路城の価値を述べた建白書を提出。天守群ほか多くの櫓や土塀などが取り壊しを免れた。
 彦根城天守も、運よく破却を免れた国宝天守だ。陸軍省が管轄していたものの、老朽化のため売却、破却されることになったが、1878(明治11)年、明治天皇行幸した折に随行していた大隈重信の働きかけで天守や櫓が保存されることが決定。皇室付属地彦根御料所となった後、最後の彦根藩主・井伊直憲に下賜されて保存がかなった。
 藩の象徴であっただけに、旧藩士などの奔走によって守られた城も多い。たとえば1875(明治8)年に売却された松江城松江市)の天守は、旧藩の銅山経営にあたった豪農の勝部本右衛門と元藩士の高城権八らが資金を調達して落札額と同額で買い戻されている。落札額は180円(約360万円)で、天守以外の建物は4〜5円だった。丸亀城天守と大手門も、旧藩士の懇願で破却を免れたとされる。
 松本城の国宝天守も、民間人の奔走により奇跡的に残った。廃城令により競売にかけられ取り壊しが決まると、下横田町の副戸長・市川量造が私財を投げ打ち買い戻しに奔走。資金が足りなかったため、博覧会ブームを受けて天守内での博覧会開催を提案し、1873(明治6)年から1876(明治9)年まで5回の博覧会を催して、その利益で補充したという。
 老朽化が進んだ天守はその後、松本中学校長の小林有也(うなり)が資金調達に奔走。1903〜1913(明治36〜大正2)年に大修理されている。

近代 | 名古屋城の歴史 | 知る | 名古屋城公式ウェブサイト
 明治に入ると名古屋城は陸軍の所管となり、取り壊しの危機を迎えます。
 しかし、全国屈指の名城として永久保存されることが決まると、宮内省所管の名古屋離宮となり、天皇や皇后、皇族の宿泊などに利用されました。
 名古屋城は、1872年(明治5)に本丸に陸軍東京鎮台第三分営が置かれ、同年に二之丸、三之丸も陸軍省の所管になります。翌年、東京鎮台第三分営から名古屋鎮台に改称され、天守を仮兵舎、本丸御殿が名古屋鎮台本部に。その後、二之丸、三之丸に兵舎などが整えられていきます。この頃、場内に新たに陸軍の施設が建てられると同時に、二之丸御殿をはじめ多くの建物が撤去されました。
 こうした動向に対し、名古屋城を保存すべきとの声が挙がりました。1879年(明治12)に、陸軍省内務省、大蔵省は、名古屋城を姫路城とともに「全国中屈指の城」として、永久保存する方針を決定。この決定によって、保存修理の費用や人員の負担が重くなったことをひとつの要因に、名古屋城陸軍省から宮内省への移管が1891年(明治24)に決まりました。
 名古屋城宮内省に移管され、1893年(明治26)に本丸・西之丸東部は名古屋離宮*3となりました。この後、1930年(昭和5)までこの名で呼ばれ、天皇や皇后を度々迎えます。本丸御殿は、皇族の宿泊所として利用されました。
 1930年(昭和5)、名古屋離宮名古屋市へと下賜されて、再び名古屋城と呼ばれるようになりました。翌年には一般公開が始まり、多くの市民が足を運びました。

中村大佐顕彰碑 | 姫路城完全観光案内所
 姫路城を訪れて、この碑に注目される方はなかなか少ないんですよ、こんなにいい場所に建てられているのに。
 ここに名前が刻まれている中村大佐とは、明治初期に陸軍歩兵大佐であった中村重遠大佐のことです。姫路城が今日までその美しい姿を伝えている裏側には、実に多くの人たちの努力と苦労があったのですが、この中村大佐はその中でも第一級の働きをされた方として、ここにその業績を顕彰し、「姫路城の恩人」として称えられています。
 明治維新によって廃藩置県がなされ、全国にあった封建制度の象徴と言うべきお城は存続か廃城かの見直しがなされ、陸軍が兵営地や訓練場所としての価値を認めた全国43城以外は、明治6年の「廃城令」によりすべて廃却されました。
 姫路城は幸いにもその43城の中に入り、お城は残ることになりましたが、それは姫路城の敷地は陸軍の師団が駐屯するのに好都合だからそのまま残された、というだけのことであり、今日のようにお城の歴史的・文化的価値を認める、などという発想はまだ誰にもありませんでした。そのため建築物などは荒れるに任され、明治11年ごろまでには姫路城も取り壊しや売却の危機に瀕しました。このとき、陸軍の建築、修繕を担当する部局第四局で局長代理の任にあったのが中村重遠大佐でした。中村大佐は全国の城を視察する中で、とくに姫路城と名古屋城の文化的価値を認め、ときの陸軍卿山縣有朋に、この天下の二名城を後世に残すよう太政官に上申してもらいたい、という意見書を提出し、その結果陸軍参謀本部がこの上申を認め、とにもかくにも応急の保存工事が国の予算の中からできることとなり、のちの大規模な修理工事へとつながるのです。
 ほんとうに、この中村大佐がいなければ今ごろは姫路城もほかの多くのお城と同じように、石垣だけが残る「城跡」になっていたことでしょう。ありがたいことです。

*1:自民党と似たり寄ったりの路線を取れば自民批判派は立民から離れ、自民支持層は「自民が与党なのに立民を支持するメリットがない」で当然立民など支持せず、立民が惨敗するのも当然でしょうがそうは思わないらしい泉には心底呆れます。

*2:宮内庁宮内公文書館研究員

*3:日本では皇族が利用する建物のうち、一定規模以上の建造物と敷地を有するものを離宮とし、小規模のものを御用邸と称している。名古屋離宮名古屋城)のように近世城郭が一時的に離宮となったケースとしては他に「二条離宮(二条城)」がある。なお、離宮としては現在、桂離宮修学院離宮が存在する。御用邸としては、現在、那須御用邸葉山御用邸須崎御用邸が存在する(離宮 - Wikipedia御用邸 - Wikipedia参照)

今日の中国ニュース(2023年1月17日分)

チェコ大統領に元NATO軍事委員長 脱「親中国」鮮明に - 産経ニュース
 反中国「産経」的には「近年、NATOは米国の影響もあって中国への姿勢がかなり批判的」「元NATO高官なら、新大統領は反中国で動いてくれるはず」つう考えのようですが1)そもそも反中国が大統領選の争点か産経記事を読んでも不明、2)NATO高官時代、中国批判的な立場だからといってそれを大統領になってから続けるか不明、3)既にチェコには中国企業が進出してるので中国相手にあまり無茶苦茶もできないのではないかと言う意味で産経の願望が叶うかは疑問です。


【岸田政権考】土地規制法 尖閣の指定を見送った理由は - 産経ニュース
 当然、日中関係に配慮したのでしょう。「大軍拡」「敵基地攻撃論」で中国の反発や警戒を招く岸田政権ですらそこまで無謀ではない。


台湾切迫せずと冨田駐米大使 大統領の長崎訪問「未定」:東京新聞 TOKYO Web
 まともな常識があればこのように「台湾危機」など認めるわけもない。


2027年までの中国による台湾侵攻、「認識変わらず」 前米司令官:朝日新聞デジタル
 「デマも大概にしろ」と心底呆れます。「台湾が独立宣言しない限り侵攻しない」と中国が公約しているのにそれを反故にして侵攻すれば「対ロシア経済制裁」のような「対中国経済制裁」は避けられません。長年、中国(中華人民共和国)は「台湾の独立宣言を封じ込めると共に、台湾(中華民国)と国交を持つ国を減らす」と言う路線でやってきたわけでその路線を撤回するメリットは何処にもないでしょう。


アメリカ、台湾軍の訓練拡大 中国抑止へ「州兵」活用: 日本経済新聞
 中国に対する挑発行為も甚だしい。「バイデンのバカさ」「バイデンを明確に批判しない日経のアホさ」に心底呆れます。


【台湾有情】いでよ、次の安倍晋三 - 産経ニュース

 台湾の企業家らが昨年秋に結成した「安倍晋三友の会」会長で、台湾の元外交部長(外相に相当)の陳唐山氏*1は「台湾のこと、アジアのこと、世界のことをよく勉強してほしい。安倍元首相のような立派な人物を目指してもらいたい」と日本の若者らを励ました。

 安倍信者「産経」らしいですが、果たしてこの会がどれほど台湾において草の根の広がりがあることやら。それにしても「安倍の統一協会醜聞」が表面化してからも赤字のようなことを言うとはねえ(呆)。俺のような安倍批判派は「アホか」と呆れますが、それだけ台湾が「中国に対して政治的に敗北してる」ということではあるのでしょう。


主張/日米の経済安保/中国敵視で軍事優先する危険

 日本にとって中国は最大の貿易相手です。両国経済には強い相互依存関係があります。日本が米国と一緒になって中国を排除する枠組みをつくることは日本経済をますます落ち込ませることにしかなりません。中国の覇権主義的行動や経済ルールの不当な侵害*2には道理をもった批判や国際的な取り決めに基づいて対応すべきです。

 「日中友好関係の重要性」についての指摘には全く同感です。文革批判、天安門事件批判の日本共産党ですら、さすがに産経のような「非常識な反中国」は経済の観点から口にはしません。


中国の人口、すでにインドを下回った可能性 - 産経ニュース

 中国は既に人口減少時代に入ったもようだ。人口減少は国力低下に直結するため習近平政権は危機感を高めているが、これまでのところ目立った成果が出ていない。

 反中国の産経らしいですが、1)「人口」が単純に国力(経済力)に直結するわけでは勿論ない、2)人口減少なら日本も深刻(増加の見込みが当面ない)なので「おいおい」です。

*1:陳水扁政権時代(2000~2008年)に外相、総統府秘書長、国家安全会議秘書長を歴任。外交部長時代の2004年9月27日、シンガポールのジョージ・ヨー外相が国連総会の場で「一つの中国」を支持する発言をしたことに対して、シンガポールについて「鼻くそのような大きさの国」と述べ、さらに台湾語スラングを使い「中国に金玉(睾丸)を捧げた(中国に媚びへつらった)」と発言したことが政治問題化。陳は翌日、この表現について外交部を通じ陳謝した(陳唐山 - Wikipedia参照)

*2:というのが具体的に何を意味するのかがこの文章だけでは分からない点が残念です。

今日もkojitakenに悪口する(2023年1月17日記載)

×××新選組の水道橋博士参院議員が議員辞職し、比例区の繰り上げ当選者を同組が「×××ローテーション」と称して1年ずつ議員を交代させる奇策を打ち出した - kojitakenの日記

 現時点での私は新選組よりも立民(泉健太)と共産(志位和夫)の問題の方がより深刻だととらえていることもあって本件には価値中立的なのだが

 「はあ?」ですね。野党共闘を事実上破壊して恥じない泉はともかく、志位氏の何が問題なのか。「反共分子」のkojitakenらしいと心底呆れます。
 しかもれいわの行為は「そんなことを誰も想定してない(あくまでも、今回の水道橋博士の病気辞任など特殊な事情での繰り上げが原則)」と言う意味で制度の悪用も甚だしいでしょう。そんな無茶苦茶な行為よりも酷いことをいつ志位氏がしたというのか。
 なお、kojitakenの

私は大のアンチ新選組

をもじれば俺は「俺のコメント投稿を拒否して恥じない唯我独尊(そのくせ、自由な言論などと虚言を吐き、俺への投稿拒否対応を『荒らしだから拒否した』と正当化)」&「日本共産党に不当な非難を加える反共右翼分子」kojitakenについては「大のアンチkojitaken」なので今後もあの男には悪口します。


ウィングをどんどん狭くしているのは泉健太さん自身なんじゃないか。(尾張おっぺけぺー氏) - kojitakenの日記

 上記ツイートにこたつぬこ(木下ちがや*1)氏が噛みついていたっけな。少し前まで共産党系の学者として鳴らしていた人が、なぜ泉健太のような新自由主義者を躍起になって擁護するのか私にはさっぱり理解できない。

 「はあ?」「kojitakenってバカ?」ですね。
今日もkojitakenに悪口する(2023年1月6日記載) - bogus-simotukareのブログ今日もkojitakenに悪口する(2023年1月8日記載) - bogus-simotukareのブログでも書きましたが

代表世話人 | 全国革新懇(敬称略)
◆五十嵐仁*2(法政大学名誉教授)
→また、五十嵐氏は4月2日(木) 塩田庄兵衛先生のご逝去に際して:五十嵐仁の転成仁語:SSブログ(2009.4.2)では恩師・塩田庄兵衛 - Wikipedia氏への追悼の弁を述べ、3月11日(木) 金子ハルオ先生の息子さんが作ったドキュメント映画を見てみたい:五十嵐仁の転成仁語:SSブログ(2021.3.11)では恩師・金子ハルオ - Wikipedia氏への感謝の弁を述べています(塩田氏も金子氏も共産党支持者)。こうした五十嵐氏なら「共産系」と呼んでもいいでしょうが、「木下レベルの何処が共産系?」ですね。
石川康*3神戸女学院大学名誉教授)
◆纐纈厚*4山口大学名誉教授)
小林節*5慶応義塾大学名誉教授)
◆小林武*6沖縄大学客員教授
◆小松泰信*7岡山大学名誉教授)
桜田照雄(阪南大学教授)
◆浜矩子(同志社大学大学院教授)
◆牧野富夫*8日本大学名誉教授)

新春対談/上智大学教授(政治学) 中野晃一さん 文明壊す安倍政治と決別する「覚醒の年」に/日本共産党委員長 志位和夫さん 国民にポジティブな魅力が伝わる野党共闘へ(2020.1.1)の中野晃一*9上智大教授
新春対談/同志社大学教授 岡野八代さん/日本共産党委員長 志位和夫さん(2021.1.1)の岡野八代*10同志社大教授
新春対談/東京大学教授 本田由紀さん/日本共産党委員長 志位和夫さん(2022.1.1)の本田由紀*11東大教授

と言った御仁たち*12は「共産党系」と評価してもいいかもしれない。しかし彼らと違い、全国革新懇代表世話人でもない、新日本出版社*13や学習の友社*14といった共産党に近い書店から本を出したこと*15もない(大月書店からは出していますが)、おそらく前衛や赤旗に寄稿者や「共産党幹部の対談相手」として恐らく一度も登場したこともない木下の何処が「共産党系」なんでしょうか?
 木下などどうみても「市民連合幹部の山口二郎*16・法政大教授」レベルの「野党共闘支持」でしかないでしょう。彼を共産系と見なしたkojitakenの頭がバカなだけです。「レベルの低い反共分子=id:kojitaken」であるが故に「志位氏と赤旗で対談したり、全国革新懇代表世話人になったりするような、ある程度性根の入った共産支持者たち」と「所詮そこまでは深入りしない、できない木下のようなインチキ共産支持者」の区別もつかないようです。
 そしてkojitakenの言うような「木下の酷い振る舞い」によって木下は単に「立憲民主党執行部の太鼓持ち幇間」でしかないことを露呈したわけです。「ウヨの泉擁護」など木下はもはや「共産系」「左派」どころか「保守リベラル」ですらない。
 「木下はふざけてる」「木下は下劣」とは思うものの、何ら不思議ではないでしょう。そういうクズは世の中で何ら珍しくない。

*1:著書『国家と治安 : アメリカ治安法制と自由の歴史』(2015年、青土社)、『ポピュリズムと「民意」の政治学 : 3・11以後の民主主義』(2017年、大月書店)、『「社会を変えよう」といわれたら』(2019年、大月書店)、『”みんな”の政治学:変わらない政治を変えるには?』(2022年、法律文化社

*2:2016年1月、現職に敗れるが、東京都八王子市長選に出馬(社民、共産推薦)。著書『保守政治リストラ戦略』(1995年、新日本出版社)、『徹底検証・政治改革神話』(1997年、労働旬報社)、『政党政治労働組合運動』(1998年、御茶の水書房)、『戦後政治の実像:舞台裏で何が決められたのか』(2003年、小学館)、『現代日本政治』(2004年、八朔社)、『この目で見てきた世界のレイバー・アーカイヴス』(2004年、法律文化社)、『労働再規制』(2008年、ちくま新書)、『労働政策』(2008年、日本経済評論社)、『対決安倍政権』(2015年、学習の友社)、『活路は共闘にあり』(2017年、学習の友社)、『打倒安倍政権』(2018年、学習の友社)など。個人サイト五十嵐仁の転成仁語:SSブログ

*3:著書『現代を探究する経済学』(2004年、新日本出版社)、『覇権なき世界を求めて』(2008年、新日本出版社)、『マルクスのかじり方』(2011年、新日本出版社)、『橋下「日本維新の会」がやりたいこと:何のための国政進出?』(2012年、新日本出版社)、『「おこぼれ経済」という神話』(2014年、新日本出版社)、『「古典教室」全3巻を語る』(不破哲三氏、山口富男氏との共著、2014年、新日本出版社)など。個人サイトはげしく学び はげしく遊ぶ-石川康宏研究室

*4:著書『日本海軍の終戦工作』(1996年、中公新書)、『侵略戦争』(1999年、ちくま新書)、『「聖断」虚構と昭和天皇』(2006年、新日本出版社)、『暴走する自衛隊』(2016年、ちくま新書)、『戦争と敗北:昭和軍拡史の真相』(2019年、新日本出版社)など

*5:著書『なぜ憲法学者が「野党共闘」を呼びかけるのか』(2016年、新日本出版社)など

*6:著書『沖縄憲法史考』(2020年、日本評論社)、『平和的生存権の展開』(2021年、日本評論社)など

*7:著書『隠れ共産党宣言』(2018年、新日本出版社)『共産党入党宣言』(2020年、新日本出版社)など

*8:著書『構造改革は国民をどこへ導くか』(2003年、新日本出版社)など

*9:著書『戦後日本の国家保守主義』(2013年、岩波書店)、『右傾化する日本政治』(2015年、岩波新書)、『つながり、変える 私たちの立憲政治』(2016年、大月書店)、『私物化される国家』(2018年、角川新書)など

*10:著書『法の政治学』(2002年、青土社)、『シティズンシップの政治学(増補版)』(2009年、白澤社)、『フェミニズム政治学』(2012年、みすず書房)、『戦争に抗する:ケアの倫理と平和の構想』(2015年、岩波書店)など

*11:著書『若者と仕事』(2005年、東京大学出版会)、『多元化する「能力」と日本社会』(2005年、NTT出版)、『「家庭教育」の隘路』(2008年、勁草書房)、『軋む社会:教育・仕事・若者の現在』(2008年、双風舎→2011年、河出文庫)、『教育の職業的意義 』(2009年、ちくま新書)、『学校の「空気」』(2011年、岩波書店)、『社会を結びなおす:教育・仕事・家族の連携へ』(2014年、岩波ブックレット)、『もじれる社会:戦後日本型循環モデルを超えて』(2014年、ちくま新書)、『教育は何を評価してきたのか』(2020年、岩波新書)、『「日本」ってどんな国?:国際比較データで社会が見えてくる 』(2021年、ちくまプリマー新書)など

*12:当たり前ですが日本共産党員、後援会員の多くは「全国革新懇代表世話人」「志位氏と対談」ならまだしもその種の付き合いが共産党とない木下のことなどほとんど認識してないでしょう。実際、俺も木下のことなどkojitaken記事を読むまで知りませんでした。

*13:月刊誌『経済』の版元。赤旗日曜版編集部『「桜を見る会」疑惑』(2020年)、 赤旗編集局『核実験被ばく者の真実』(2022年)、市田忠義日本共産党の規約と党建設教室』(2022年、市田日本共産党副委員長、元参院議員)、緒方靖夫『つながる9条の絆』(2014年、緒方は日本共産党副委員長、党国際委員会責任者,元参院議員)、川田忠明『アート×ジェンダー×世界』(2022年、川田は日本共産党平和運動局長、党中央委員)、小池晃小池晃対話集・政治に希望はある』(2019年、小池は日本共産党書記局長、参院議員)、志位和夫『改定綱領が開いた「新たな視野」』(2020年、志位は日本共産党委員長衆院議員)、浜野忠夫『民主連合政府をめざして』(2015年、浜野は日本共産党副委員長)、ワタナベ・コウ『ワタナベ・コウの日本共産党発見!!』(2017年)など共産党関係の著書を多数刊行

*14:月刊誌『学習の友』『月刊全労連全労連機関誌)』、季刊誌『治安維持法と現代(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の機関誌)』の版元。上杉朋史『西田信春』(2022年)、加藤文三『渡辺政之輔とその時代』(2010年)、玉川寛治『飯島喜美の不屈の青春』(2019年)、藤田廣登『小林多喜二とその盟友たち』(2008年)、『時代の証言者 伊藤千代子《増補新版》』(2020年)(飯島、伊藤、小林、西田、渡辺は戦前の日本共産党活動家の一人、飯島、伊藤は獄死し、小林、西田は特高に虐殺された)、鯵坂真ほか『日本における唯物論の開拓者:永田廣志の生涯と業績』(2008年)、本庄豊『山本宣治』(2009年)(永田や山本は党員ではないようですが共産党に近い立場)、小笠原貞子『一粒の麦:政治に愛を』(1983年、小笠原(1920~1995年)は元日本共産党副委員長)、小泉親司『今日の「日米同盟」を問う』(2019年、小泉は日本共産党基地対策委員会責任者、元参院議員)、不破哲三科学的社会主義の理論の発展』(2015年、不破は元日本共産党委員長)、山口富男マルクス資本論』のすすめ』(2021年、山口は日本共産党付属社会科学研究所副所長、党常任幹部会委員)など共産党関係の著書を多数刊行

*15:上記で紹介した学者では五十嵐仁法政大学名誉教授が新日本出版社、学習の友社から、石川康神戸女学院大学名誉教授、纐纈厚山口大学名誉教授、小林節慶応義塾大学名誉教授、小松泰信岡山大学名誉教授、牧野富夫日本大学名誉教授が新日本出版社から著書を出している。

*16:著書『政治改革』(1993年、岩波新書)、『日本政治の課題』(1997年、岩波新書)、『イギリスの政治 日本の政治』(1998年、ちくま新書)、『日本政治 再生の条件』(2001年、岩波新書)、『戦後政治の崩壊』(2004年、岩波新書)、『ブレア時代のイギリス』(2005年、岩波新書)、『若者のための政治マニュアル』(2008年、講談社現代新書)、『政治のしくみがわかる本』(2009年、岩波ジュニア新書) 、『政権交代論』(2009年、岩波新書)、『政権交代とは何だったのか』(2012年、岩波新書)、『いまを生きるための政治学』(2013年、岩波現代全書)、『ポピュリズムへの反撃:現代民主主義復活の条件』(2014年、角川oneテーマ21)、『徹底討論 日本の政治を変える』(共著、2015年、岩波現代全書)、『民主主義は終わるのか:瀬戸際に立つ日本』(2019年、岩波新書)など

山上に対してむしろ贖罪や慚愧の念を感じる(追記あり)

このような「正論」を述べても、山上容疑者ほからには、なんら心に響くものはないだろう - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 統一協会を野放しにしなければ、安倍暗殺はなかったし、少なくとも「約30年前」の櫻田淳合同結婚式の時には統一協会の問題は表面化していたわけです。
 30年間、日本の政治や社会が統一協会被害を放置し続けたこと(むしろ自民党の癒着で分かるように助長すらしていた)に、日本人の一人として、山上やその家族に対し慚愧と贖罪の念を感じずにはいられません。
 だから山上に対しても寛刑を望みます。
 何も「社会や政治の放置」で「苦しんだ人間」が暴走するのは山上に限った話ではなく古今東西そうです。
 「例は何でも良い」ですが、今思いついたのだと「高利貸しの債務に苦しんだ農民が蜂起した」秩父事件*1や「米価高騰に苦しんだ庶民が蜂起した」米騒動なんかそうでしょう。あれは暴動だから勿論犯罪です。
 だからといって、そこで「犯罪は悪だ」とのみ言っても無意味だし、実際、

秩父事件(刊行年順)】
◆井上幸治*2秩父事件:自由民権期の農民蜂起』(1968年、中公新書)
井出孫六*3秩父困民党』(1979年、講談社現代新書
◆井上幸治『完本秩父事件』(1994年、藤原書店
井出孫六『峠の廃道:秩父困民党紀行』(1995年、平凡社ライブラリー)
秩父事件研究顕彰協議会編『秩父事件圧制ヲ変ジテ自由ノ世界ヲ』(2004年、新日本出版社
◆ツルシカズヒコ『秩父事件再発見:民主主義の源流を歩く』(2018年、新日本出版社
米騒動
◆井本三夫『米騒動という大正デモクラシーの市民戦線』(2018年、現代思潮新社)

等において秩父事件米騒動を単に犯罪事件として評価する人間はまずいないでしょう。それは赤字部分でも明白でしょう。
 「あえて言えば」山上の事件も全く同じではないか。
 なお、秩父事件はともかく米騒動では当時の寺内*4内閣が総辞職に追い込まれており、米騒動の政治的衝撃は、今回の安倍暗殺並みに大きかったのではないか。

【追記】
 コメント欄では「義士」安重根*5の伊藤*6暗殺が取り上げられていますが、この種の事件(暗殺犯が英雄として評価)は他にも以下のものがありますね。なお、以前も指摘しましたが、「朴が本心から安らを敬愛していた」のか、それとも「単なる人気取りの一種」かはともかく、安や尹に「朴正熙が勲章を与えてる」と言うのが興味深い。
 勿論荒木和博も、朴正煕や全斗煥をそんなに高く評価するのなら、拓殖大学の紀要や極右雑誌でないまともな学術誌に彼らの時代制約もふくめて論じる論文でも投稿したらどうか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)と言う荒木和博のようなウヨ(安重根らをテロリスト呼ばわり)は「朴美化」に都合が悪いのでこうした部分は平然と無視します。

上海天長節爆弾事件 - Wikipedia(1932年)
 尹奉吉による上海派遣軍司令官白川義則*7暗殺。尹には死刑判決。
 1962年に韓国政府(朴正熙政権)は尹に建国勲章大韓民国章(1等級)を授与。

*1:1885年に首謀者とされた秩父困民党の総理・田代栄助、副総理・加藤織平、会計長・井上伝蔵、参謀長・菊池貫平、甲大隊長・新井周三郎ら7名に死刑判決が下された(ただし、井上、菊池は欠席裁判での判決。井上は北海道に逃走し、1918年に死去。菊池はのち甲府市で逮捕されたが、終身刑減刑され、1905年出獄し、1914年に死去)(秩父事件 - Wikipedia参照)

*2:1910~1989年。埼玉県秩父市出身。神戸大学立教大学津田塾大学教授を歴任。専門は西洋政治史だが秩父事件研究の業績でも知られる。著書『ルネサンス宗教改革』(1949年、三省堂)、『ナポレオン』(1957年、岩波新書)、『近代史像の模索:フランス革命秩父事件』(1976年、柏書房)、『ロベスピエールフランス革命』(1981年、誠文堂新光社)など(井上幸治 (西洋史学者) - Wikipedia参照)

*3:1931~2020年。著書『抵抗の新聞人桐生悠々』(1980年、岩波新書→2021年、岩波現代文庫)、『満蒙の権益と開拓団の悲劇』(1993年、岩波ブックレット)、『石橋湛山と小国主義』(2000年、岩波ブックレット)、『終わりなき旅:「中国残留孤児」の歴史と現在』(2004年、岩波現代文庫)、『野口英世』(2004年、岩波ジュニア新書)、『中国残留邦人』(2008年、岩波新書)など(井出孫六 - Wikipedia参照)。なお話が脱線しますが、井出孫六氏の兄は井手一太郎(1912~1996年:石橋、岸内閣農林相、佐藤内閣郵政相、三木内閣官房長官など歴任)という自民党三木派のリベラル政治家でした(だからこそ孫六氏もリベラルなのでしょうが)。「井手一太郎氏や昔の自民党」を過大評価はしませんが今の自民党よりはずっとマシでしょう。自民党と日本社会の劣化に絶望的気持ちになります。

*4:第一次桂、第一次西園寺、第二次桂内閣陸軍大臣朝鮮総督等を経て首相

*5:1962年に韓国政府(朴正熙政権)は尹に建国勲章大韓民国章(1等級)を授与。ソウルには安の偉業を伝える「安重根義士記念館」が1970年に建設されている。韓国海軍では、2008年に完成した潜水艦の艦名に彼の功績を称えて「安重根」と命名した。同様の理由でテコンドー界でも、型の名前に彼の名が用いられている(国際テコンドー連盟4級で習得する安重)(安重根 - Wikipedia参照)。

*6:首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など歴任。なお、皮肉にも、伊藤自身も英国公使館焼き討ち事件 - Wikipedia、「塙忠宝 - Wikipedia暗殺」という前歴を持つ元テロリストです(まあ倒幕自体が江戸幕府にとってテロですが)。また戦前の日本政府は「桜田門外の変実行犯(井伊大老暗殺犯)」「武市半平太土佐藩重役・吉田東洋の暗殺犯、後に失脚、吉田暗殺を追及され死刑)」といったテロリストたちを「維新殉難者」として靖国に英雄として合祀しました。

*7:関東軍司令官、田中内閣陸軍大臣上海派遣軍司令官など歴任