坂野潤治を批判する(2025年8/27分)

自称「中道主義者」の日記―のどぐろ味噌は美味しい - Pontarou0608’s diary
 タイトルを「坂野潤治を批判する」に修正しました。

 ボーガスさんは石破*1首相の退陣を求めている、ということで、その点では私と立場が反対だけれど、これも彼の共産主義堅持の信念と政局への読みゆえだろう。

 以前も書いてますが、小生の共産支持理由は「排外主義反対」「脱原発」「九条擁護」などであって「共産主義支持」ではありません。
 「1980年代」だったら共産ではなく「土井社会党」を恐らく支持していたでしょう(1970年代生まれの小生が、20歳になり選挙権を得たのは、社民党が自社さ連立政権で批判され、また民主党結成(社民党から多くの人間が離党して参加)で社民党が衰退する一方で共産が「吉田万三の足立区長当選、矢野裕の狛江市長当選(1996年)」「長尾淳三東大阪市長当選(1998年)」という形で躍進していた1990年代後半です)。
 また「政局の読み」なんてものも関係ない。
 「大軍拡、学術会議法改悪などで石破を評価しないから辞めて欲しい」「参院選挙敗北時(第一次安倍内閣)に安倍に退陣を求めた過去の石破の態度と、今の石破の政権居座り(既に衆院選参院選共に石破は敗戦)は矛盾する→石破は辞めろ」というだけであって、「石破を辞めさせることが可能である」とか「石破を辞めさせた方が、野党にとって政治的に有利」とかいう読みをしてるわけではない。
 俺にとって幸いにも共産は「石破辞めるな」デモには賛成しないようですが、仮に共産が「石破辞任に反対」でも俺は石破辞任を求める立場です。

 坂野潤治*2の晩年の作、『帝国と立憲*3』(2017年)から私が最も重要だと思う箇所を抜きながらまとめてみたい。
「…1937(昭和12)年6月までの日本で、デモクラシー勢力が躍進しつづけてきたこと。これは歴史的事実です。他方で、7月の日中戦争開始以後デモクラシー勢力が声をひそめたこと。これもまた歴史的事実です。……
 そうだとすれば、デモクラシーの頂点で日中戦争が勃発し、その戦争がデモクラシーを窒息させたことになります。……軍部の独裁政権*4がデモクラシーを鎮圧した後で戦争が勃発したわけではないのです。それでもデモクラシーは戦争の勃発を防げませんでした。そして、勃発した戦争の方はデモクラシーを窒息させることができたのです。…」(前掲、236頁)。

 小生も「日本史にそれなりに興味がある」「だから歴史評論 カテゴリーの記事一覧 - bogus-simotukareのブログといった記事も書いてる」とはいえ、日本史に詳しくない素人ですが、
1)坂野の言う「1937年6月までのデモクラシー勢力の躍進」とか「1937年7月以降のデモクラシーの窒息」とかどういう意味かしら。何でそう評価するの?(もし坂野著書にそう評価する具体的な記述があるなら、自称「中道主義者」の日記―のどぐろ味噌は美味しい - Pontarou0608’s diaryはそこまで引用して欲しい)。そもそもデモクラシー勢力って何?。いわゆる親軍部政治家は「政党政治家だから」それに当たるの、「親軍部だから」当たらないの?
2)確かに「1937年7月の盧溝橋事件で日中全面戦争に突入してるけど、それ以前に1931年9月の満州事変からずっと中国と戦争してるやろ。デモクラシーは戦争の勃発を防げなかった、と言う場合に何で1931年9月の満州事変(当時は第二次若槻*5内閣(立憲民政党))、1932年1~3月の第一次上海事変(当時は犬養*6内閣(立憲政友会))とかじゃなくて、1937年の日中戦争(当時は第一次近衛内閣)から話が始まるの?」
 というか【1】負けて全土を米国に占領された、【2】台湾、朝鮮など海外領土を全て失った、【3】東京大空襲、広島、長崎への原爆投下などで、銃後の日本国民が多数死亡した「太平洋戦争」と違って「勝ったかどうかはともかく、負けなかった戦争」だから問題視してないのかもしれないけど、満州事変以前にも「1918~1922年のシベリア出兵(開始されたのは非政党内閣の寺内*7内閣だが、政友会の原、高橋内閣でも継続され、撤退したのは加藤友三郎*8内閣(非政党内閣))」「1927年の山東出兵(当時は田中内閣(立憲政友会))」とか政党内閣による戦争はあるけどそれはどう評価してるの?
3)いわゆる「憲政の常道」終了(1932年の515事件で犬養首相(立憲政友会)が暗殺されてから首相は斎藤*9首相から戦前最後の鈴木*10首相まですべて非政党人となる。政党側が政党党首を首相にするだけの力がなくなる)は「日本デモクラシーの衰退」と評価されると思うが、坂野はそうは評価しないんだ?
4)1937年7月以降も国会(衆議院)は存在したし、1940年の大政翼賛会結成までは政党(立憲政友会、立憲民政党など)も存在したのに何で「1937年7月以降のデモクラシーの窒息」と評価するの?
と言うのが率直な感想です。
 正直、「性格と頭の悪い」kojitakenと類友を批判する(2025年8/26分) - bogus-simotukareのブログでも「坂野主張(立憲主義への坂野の評価)への疑問」を書きましたが坂野の主張の多くには「賛同できそうにない」。
 なお、様々な違いがあるため、単純比較できませんが「1931年の満州事変」以降、盛り上がった「排外主義的風潮(その後、暴支膺懲、鬼畜米英としてスローガン化」は今の参政党ブーム(排外主義)を俺は連想しますね。
 満州事変において既存政党に代わる勢力として「軍部」への期待が高まる一方で、二大政党「政友会」「民政党」への不満が表面化し、政友会、民政党内に「軍部にすり寄る親軍部政治家が登場する様」は、「軍部」を「参政党」、「政友会」「民政党」を「自民党」「立民党」に書き換えれば残念ながら「現状」を示すようにすら思う。
 なお、デモクラシー勢力が「政党政治家」を意味するなら、「1937年6月までのデモクラシー勢力の躍進」とか「1937年7月以降のデモクラシーの窒息」とか話はそんなに単純ではないでしょう。
 以前も別記事
今頃になって井戸まさえを批判するkojitakenに呆れるほか(2025年2/3日分) - bogus-simotukareのブログ
で書きましたがいわゆる「憲政の常道」が終了した斎藤内閣以降も

【斎藤内閣】
◆永井柳太郎*11拓務相(衆院議員(立憲民政党))
鳩山一郎*12文相(衆院議員(立憲政友会))
三土忠造*13鉄道相(衆院議員(立憲政友会))
【岡田*14内閣】
◆町田忠治*15商工相(衆院議員(立憲民政党))
【広田*16内閣】
小川郷太郎*17商工相(衆院議員(立憲民政党))
◆島田俊雄*18農林相(衆院議員(立憲政友会))
頼母木桂吉*19逓信相(衆院議員(立憲民政党))
◆前田米蔵*20鉄道相(衆院議員(立憲政友会))
【林*21内閣】
◆山崎達之輔*22農林相(昭和会)
【第一次近衛*23内閣】
◆永井柳太郎逓信相(衆院議員(立憲民政党))
◆中島知久平*24鉄道相(衆院議員(立憲政友会))
【平沼*25内閣】
◆櫻内幸雄*26農林相(衆院議員(立憲民政党))
◆前田米蔵鉄道相(衆院議員(立憲政友会))
【阿部*27内閣】
金光庸夫*28拓務相(衆院議員(立憲政友会))
◆永井柳太郎逓信相(衆院議員(立憲民政党))
【米内*29内閣】
◆勝正憲*30逓信相(衆院議員(立憲民政党))
◆櫻内幸雄蔵相(衆院議員(立憲民政党))
◆島田俊雄農林相(衆院議員(立憲政友会))
◆松野鶴平*31鉄道相(衆院議員(立憲政友会))
【第2次近衛内閣】
小川郷太郎鉄道相(衆院議員(立憲民政党))
金光庸夫厚生相(衆院議員(立憲政友会(金光総裁派)))
→なお、第二次近衛内閣で、大政翼賛会が誕生し政党は消滅するが、その後も
【東条*32内閣】
◆山崎達之輔*33農林相(衆院議員)
【小磯*34内閣】
◆島田俊雄*35農商相(衆院議員)
◆前田米蔵*36運輸通信相*37衆院議員)
【鈴木*38内閣】
◆岡田忠彦*39厚生相(衆院議員)
ら、政治家(衆院議員)が入閣

等と、「斎藤~鈴木」の歴代内閣には「政党政治家達(いわゆる親軍部政治家ではあるでしょうが)」は協力してきました。
 坂野の「デモクラシー勢力」とやらには「親軍部政治家」は含まないのかもしれませんが、いずれにせよ政党政治家達と軍部の関係は「単純な対立関係」ではない。軍部に協力する政治家、戦争推進に協力する政治家もいたわけです。

「デモクラシー勢力が政権についていれば、戦争を止めることができる」

 「坂野の言う、デモクラシー勢力って何?」ですね。
 1931年の満州事変以降、ずっと日本は中国との戦争を続けます。そして、「第二次若槻内閣(立憲民政党満州事変当時の内閣)→犬養内閣(立憲政友会:戦前最後の政党内閣)」は戦争を止められませんでした。ということは坂野にとって戦争を止められなかった「若槻が党首である立憲民政党」「犬養が党首である立憲政友会」はデモクラシー勢力ではないのか?
 しかし、この両党(政友会、民政党)以外にも1931~1937年当時(満州事変から盧溝橋事件での日中全面戦争まで)、社会大衆党(1926年結党の社民政党。戦後、社会党委員長になる片山哲河上丈太郎浅沼稲次郎などが参加)、国民同盟(1932年誕生の親軍部政党。立憲民政党を離党した安達謙蔵*40が結成)などがあったとはいえ「政権を担う力があったのは政友会、民政党の二大政党だけ」なので「若槻が党首である立憲民政党」「犬養が党首である立憲政友会」がデモクラシー勢力でないならば、坂野の認識「デモクラシー勢力が政権についていれば、戦争を止めることができる」では「戦前日本において戦争を止めることは出来なかった」と言う結論にしかならないでしょう。
 一方で戦争を止められなかった「若槻が党首である立憲民政党」「犬養が党首である立憲政友会」をデモクラシー勢力と見なすならば「デモクラシー勢力が政権についていても、戦争を止めることは必ずしもできない」。
 というか民主主義理解としてそもそも「デモクラシー勢力が政権についていれば、戦争を止めることができる(坂野)」はおかしいでしょう。
 ならば一般には「民主主義国家」と理解される米国が「アフガン戦争、イラク戦争(ブッシュ子大統領)」などの戦争を行ったことは坂野によってどう理解されるのか。他にも「民主主義国家による戦争」の例はいくらでもあるでしょう。
 「戦争を推進する勢力はデモクラシー勢力ではない」と坂野が主張するなら「デモクラシー勢力が政権についていれば、戦争を止めることができる」となるでしょうが、それはトートロジー(同語反復)でしかないでしょう。

 リベラルな政党内閣もしくは準政党内閣

 「リベラルな政党内閣って何?」「リベラルな準政党内閣て何?(「憲政の常道」終了以降の斎藤内閣以降の内閣の内の一部をそう評価する?)」ですね。

 原敬*41高橋是清*42内閣の後にできた政友会内閣を「帝国」を承認する立場ゆえに「リベラル」から除外している点にも注意が必要だろう。

1)「帝国」を承認する立場って何?
2)高橋内閣以降の政友会内閣は「田中*43内閣」「犬養内閣」があるけどそれをどちらも否定的に評価するの?
3)原や高橋が「帝国を承認しない立場」と見なす理由は何?。
4)政友会云々ってことは「民政党内閣(濱口*44、第二次若槻内閣)」は「帝国を承認しない立場」「リベラル」と評価してるの?
と、俺にとって疑問だらけの文章ではあります。

 「立憲」思想からは、共産党には変わる必要があるのではないかとは思う。それは広原盛明氏*45の指摘する通りではないかとも思う

 広原の主張は「すべてが、反共分子(広原)の、ただの言いがかり」であり「無視すればいい」と言うのが私見です(実際、共産どころか、野党各党にせよ、市民団体にせよ、ほとんど誰も「夜郎自大広原など相手にしてないと思いますが)。
 広原も共産に「無駄な悪口」をして憂さ晴らしするくらいなら仲間と一緒に新党でも作ればいいでしょう。
 といったら
1)広原がやりたいのは日本の政治を変えることではなく、単に「私怨がある共産」に悪口して憂さ晴らしすること
2)広原も自分に政治活動家としての識見や能力、人望がないことは自覚してる
なので新党など作らず、共産に悪口しかしないわけですが。

 ボーガス氏による党機関誌の紹介*46も、そうした支援の大切な営みの一つなのだろう。

 前も書きましたがそんなご大層な話ではなく「読み捨ては勿体ないから記事にしてる」だけの話です。
 記事にすることで後で読み返して「忘れてたけどそんな記事が前衛にあったんだ」「忘れてたけど俺、当時そんなことを思ってたんだ」ということもある。
 そもそも前衛には勿論「党幹部の寄稿」もありますが、外部筆者の記事もあり、単純な「党宣伝雑誌」ではない。
 俺も以下の通り「党宣伝とあまり関係ない前衛記事紹介(映画や演劇の紹介など文化記事の紹介が多い)」もしています。
新刊紹介:「前衛」4月号(その2:吉田裕『日本軍兵士』&ジャパンライフ疑惑) - bogus-simotukareのブログ
新刊紹介:「前衛」6月号(その2):映画「ペンタゴンペーパーズ」「ザ・シークレットマン」 - bogus-simotukareのブログ
新刊紹介:「前衛」6月号(その3):映画「大統領の陰謀」 - bogus-simotukareのブログ
新刊紹介:「前衛」2021年6月号(その2:今月のグラビア『田中一村』) - bogus-simotukareのブログ
新刊紹介:「前衛」2022年5月号その2(副題:昭和天皇のクズさに改めて呆れる) - bogus-simotukareのブログ
かんけ(菅家)まり監督映画『鳴らせ自由の号笛:人権と民主主義を守るたたかい』ほか(副題:松崎明の革マル疑惑を改めて思い出す) - bogus-simotukareのブログ
演劇批評「パートタイマー・秋子」/「モンテンルパ」(寺田忠生)(「前衛」2024年4月号収録) - bogus-simotukareのブログ
演劇批評「こまつ座「夢の泪」/東京芸術座「医者の玉子」」(寺田忠生)(「前衛」2024年7月号収録) - bogus-simotukareのブログ
新刊紹介:「前衛」2024年9月号(その2)(副題:長谷川利行ほか) - bogus-simotukareのブログ
新刊紹介:「前衛」2025年6月号(その2:文化の話題) - bogus-simotukareのブログ
新刊紹介:「前衛」2025年8月号(その2:映画批評) - bogus-simotukareのブログ

*1:小泉内閣防衛庁長官福田内閣防衛相、麻生内閣農水相自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相を経て首相

*2:東京大学名誉教授。著書『昭和史の決定的瞬間』(2004年、ちくま新書)、『明治デモクラシー』(2005年、岩波新書)、『未完の明治維新』(2007年、ちくま新書)、『近代日本の国家構想:1871‐1936』(2009年、岩波現代文庫) 、『自由と平等の昭和史:一九三〇年代の日本政治』(2009年、講談社選書メチエ)、『日本政治「失敗」の研究』(2010年、講談社学術文庫)、『明治国家の終焉』(2010年、ちくま学芸文庫)、『日本近代史』(2012年、ちくま新書)、『西郷隆盛明治維新』(2013年、講談社現代新書)、『近代日本とアジア』(2013年、ちくま学芸文庫)、『〈階級〉の日本近代史:政治的平等と社会的不平等』 (2014年、講談社選書メチエ)、『近代日本の構造:同盟と格差』(2018年、講談社現代新書)、『明治憲法史』(2020年、ちくま新書)等

*3:筑摩書房

*4:そもそも戦前日本の政権トップは昭和天皇であり、軍部の力が戦争によって強まったとは言え「昭和天皇の独裁(まあ、こういう見方をする歴史学者もほとんどいないでしょうが)」ならまだしも「軍部の独裁」と言う見方はまともな歴史学者は誰もしてないと思います。昭和天皇の力が絶大だからこそ、226事件も簡単に鎮圧されたわけです。あるいは「阿部内閣の組閣時(1939年8月)、多田駿(当時、第3軍司令官)は陸軍三長官会議(当時の三長官は板垣征四郎陸軍大臣(平沼内閣)、閑院宮載仁参謀総長(皇族)、西尾寿造陸軍教育総監)で陸相候補に決定した。しかし、昭和天皇から「陸相には畑(俊六)(以前、侍従武官長を務め昭和天皇の信頼が厚かった)か梅津(美治郎)(226事件後に、陸軍次官として皇道派を予備役編入する粛清人事に力を振るったため、皇道派嫌いの昭和天皇の信頼が厚かった)を」との意思表明があった。結局、陸軍三長官会議のやり直しにより、陸相候補は畑となったため、多田陸相は実現しなかった。なお、陸軍三長官会議で決定した陸相候補が覆されたのは、多田の事例が最初で最後であった」(多田駿 - Wikipedia参照)というのも天皇の力の強さを示しています。

*5:大蔵次官、第三次桂、第二次大隈内閣蔵相、加藤高明内閣内務相等を経て首相

*6:第一次大隈内閣文相、第二次山本、加藤高明内閣逓信相等を経て首相。515事件で暗殺される。

*7:参謀本部次長、第1次桂、第1次西園寺、第2次桂内閣陸軍大臣朝鮮総督等を経て首相

*8:鎮守府司令長官、第2次大隈、原、高橋内閣海軍大臣等を経て首相

*9:第一次西園寺、第二次桂、第二次西園寺、第三次桂、第一次山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相、内大臣を歴任。内大臣在任中に226事件で暗殺される

*10:海軍軍令部長侍従長、枢密院議長等を経て首相

*11:1881~1944年。斎藤内閣拓務相、第一次近衛、阿部内閣逓信相を歴任

*12:1883~1959年。戦前、田中内閣書記官長、犬養、斎藤内閣文相を歴任。戦後、自由党総裁、日本民主党総裁、首相、自民党総裁を歴任

*13:1871~1948年。戦前、田中内閣文相、蔵相、犬養内閣逓信相、斎藤内閣鉄道相を歴任。戦後、幣原内閣で内務相

*14:田中、斎藤内閣海軍大臣、首相を歴任

*15:1863~1946年。戦前、第一次若槻、濱口、第二次若槻内閣農林相、岡田内閣商工相、立憲民政党総裁等を歴任。戦後、日本進歩党を結党し党総裁(党首)となるが公職追放を受け政界引退。町田の政界引退後は幣原喜重郎(戦前、加藤高明、第一次若槻、濱口、第二次若槻内閣外相を、戦後、吉田内閣副総理、衆院議長を歴任)が日本進歩党総裁に就任

*16:斎藤、岡田内閣外相、首相、第一次近衛内閣外相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*17:1876~1945年。広田内閣商工相、第二次近衛内閣鉄道相を歴任

*18:1877~1947年。広田、米内内閣農林相、小磯内閣農商相を歴任。戦後の1945年に衆院議長(戦後は日本進歩党に所属)。1947年に公職追放

*19:1867~1940年。憲政会幹事長(加藤総裁時代)、広田内閣逓信相、東京市長(今の都知事)など歴任。東京市長在任中の1940年に病死

*20:1882~1954年。犬養内閣商工相、広田、平沼内閣鉄道相、小磯内閣運輸通信相を歴任

*21:朝鮮軍司令官、斎藤、岡田内閣陸軍大臣、首相等を歴任

*22:1880~1948年。林内閣当時は昭和会所属。政党所属経歴は立憲政友会→昭和会→立憲政友会・中島総裁派(当時の政友会は内紛から久原総裁派、中島総裁派、金光総裁派の三派に分裂)→翼賛政治会(政党解散後に誕生した官製組織。後に大日本政治会)。1934年、岡田内閣農林相として入閣するが、「政党内閣復帰を目指して、非政党内閣の岡田内閣(田中、斎藤内閣海軍大臣を務めた岡田啓介が首相)には協力しない」という党の方針に反していたため、立憲政友会を除名される(話が脱線しますが、このように「共産による松竹、紙屋らの除名」に限らず反党分子が除名されるのは当然の話です)。政友会除名後、山崎同様に党方針に反して岡田内閣に入閣したことで、政友会から除名された内田信也(岡田内閣鉄道相、その後も東条内閣農商相(戦前)、吉田内閣農林相(戦後)を歴任)らとともに新党「昭和会」を結成(話が脱線しますが、そんなに志位議長、田村委員長ら共産執行部に不満があるなら「共産を除名された反党分子」紙屋や松竹もどうぞ、ぜひ「政友会を除名されたことを契機に昭和会を結成した山崎や内田」のように新党を作って下さい。作る能力も覚悟もないでしょうが(皮肉、嫌みのつもり))。なお、昭和会には参加しなかったが、岡田内閣に入閣したことで高橋是清(岡田内閣蔵相。元立憲政友会総裁、元首相。岡田内閣蔵相在任中に226事件で暗殺される)、床次竹二郎(岡田内閣逓信相。元政友本党総裁)も政友会を除名されている(高橋は自主的に参加せず、床次は昭和会に参加し、「政友本党」で総裁を務めたように昭和会の党首就任を目指したが昭和会の正式な誕生前に病死)。後に山崎は立憲政友会(中島総裁派)に参加。山崎は岡田内閣農林相以外にも、林、東条内閣農林相、東条内閣農商相を歴任。戦前、厚生省社会局長、静岡県知事、内務省土木局長、警保局長、警視総監、内務次官等を、戦後、東久邇宮内閣内務相、池田内閣自治相・国家公安委員長等を歴任した山崎巌(1894~1968年)の兄

*23:貴族院議長を経て首相。戦後、戦犯指定を苦にして自殺

*24:1884~1949年。中島飛行機(現在のSUBARU)創業者。戦前、第一次近衛内閣商工相。戦後、東久邇宮内閣商工相。竹下内閣文相を務めた中島源太郎の父。橋本内閣防衛政務次官を務めた中島洋次郎(後に防衛汚職での有罪判決を苦にして自殺)の祖父

*25:検事総長大審院長、第2次山本内閣司法相、枢密院議長、首相、第二次近衛内閣内務相を歴任。戦後、終身刑で服役中に病死。後に靖国に合祀

*26:1880~1947年。第二次若槻内閣商工相、平沼内閣農林相、米内内閣蔵相を歴任。池田、佐藤内閣通産相、田中内閣農林相、自民党政調会長(三木総裁時代)、福田内閣建設相、自民党幹事長(大平、鈴木総裁時代)、鈴木内閣外相、衆院議長等を歴任した櫻内義雄の父。小渕内閣総務庁長官、福田内閣農水相を務めた太田誠一の祖父

*27:陸軍省軍務局長、陸軍次官、台湾軍司令官、首相、朝鮮総督を歴任

*28:1877~1955年。阿部内閣拓務相、第二次近衛内閣厚生相を歴任

*29:戦前、林、第1次近衛、平沼内閣海軍大臣、首相、小磯、鈴木内閣海軍大臣を、戦後、東久邇宮、幣原内閣海軍大臣を歴任

*30:1879~1957年。元大蔵官僚(松江税務監督局長、長崎税務監督局長、鹿児島税務監督局長、長野税務監督局長、函館税関長、仙台税務監督局長、大蔵省主税局国税課長、東京税務監督局長など歴任)。政界入り後は岡田内閣商工政務次官、立憲民政党幹事長(町田総裁時代)、米内内閣逓信相など歴任

*31:1883~1962年。戦後、自民党参院議員会長、参院議長を歴任。岸内閣労働相、佐藤内閣防衛庁長官、農林相を歴任した松野頼三の父。維新の党選対委員長、幹事長、代表、民進党国対委員長(前原代表時代)等を歴任した松野頼久松野頼三の息子)の祖父

*32:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣を経て首相。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*33:もともとは立憲政友会だがこの頃は翼賛政治会(後に大日本政治会)に所属

*34:陸軍省軍務局長、陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官、平沼、米内内閣拓務大臣、朝鮮総督、首相を歴任。戦後、終身刑で服役中に病死。後に靖国に合祀

*35:もともとは立憲政友会だがこの頃は翼賛政治会(後に大日本政治会)に所属

*36:もともとは立憲政友会だがこの頃は翼賛政治会(後に大日本政治会)に所属

*37:1943年に鉄道省逓信省を統合して設置された運輸通信省の大臣。運輸通信省は戦後は運輸省(現在の国土交通省)と郵政省(現在の総務省)として分割された。

*38:海軍省人事局長、海軍次官海軍兵学校長、呉鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長侍従長、枢密院議長、首相等を歴任

*39:1878~1958年。元内務官僚(埼玉県知事、長野県知事熊本県知事、内務省警保局長(今の警察庁長官に当たる)、東京市助役(今の副知事)など歴任)。もともとは立憲政友会だがこの頃は大日本政治会に所属。立憲政友会(久原派)幹事長、衆院議長、鈴木内閣厚生相等を歴任

*40:1864~1948年。加藤高明、第1次若槻内閣逓信相、濱口、第2次若槻内閣内務相など歴任。自らが党首となった国民同盟は思ったほどの力を得られず、1942年の衆院選挙には出馬せず政界引退。戦後は公職追放され失意の内に、1948年に病死

*41:第四次伊藤内閣逓信相、第一次西園寺、第二次西園寺、第一次山本内閣内務相等を経て首相

*42:日銀総裁、第一次山本、原内閣蔵相、首相、加藤高明内閣農商務相、田中、犬養、斉藤、岡田内閣蔵相を歴任。岡田内閣蔵相在任中に226事件で暗殺される。

*43:参謀次長、原、第二次山本内閣陸軍大臣等を経て首相

*44:逓信次官、大蔵次官、加藤高明、第一次若槻内閣蔵相、第一次若槻内閣内務相等を経て首相

*45:京都府立大学名誉教授。著書『震災・神戸都市計画の検証』(1996年、自治体研究社)、『開発主義神戸の思想と経営』(2001年、日本経済評論社)、『日本型コミュニティ政策:東京・横浜・武蔵野の経験』(2011年、晃洋書房)、『観光立国政策と観光都市京都』(2020年、文理閣)、『評伝・西山夘三』(2023年、京都大学学術出版会)等

*46:「前衛」紹介のこと(前衛 カテゴリーの記事一覧 - bogus-simotukareのブログ参照)