無能な俺でも紹介できる範囲で紹介しておきます。
◆今月のグラビア「双体道祖神を祀る村」(松原勝次)
双体道祖神が多いことで知られる群馬県の「旧・群馬郡*1倉渕村(2006年1月に多野郡新町、群馬郡群馬町、箕郷町とともに群馬県高崎市に吸収合併され、現在は高崎市倉渕町)」が取り上げられています。
参考
道祖神 - 高崎市公式ホームページ
・倉渕町には、77ヵ所、114体の道祖神があります
・双体道祖神が多いのは、この地区の特色の一つかもしれません。
道祖神の里へひとり旅|群馬県|たびよみ(出典「旅行読売」2021年6月号)
倉渕には現在77か所・114体ある。その多くは男女の仲睦まじい様子が彫られた双体道祖神だ。
第3代将軍・家光の時代に造られた県下最古の道祖神も倉渕にある。
「それ以前から倉渕では道祖神信仰があったようです。特殊な形の石には神が宿るとする石信仰がそもそもの源流です」と話す倉渕公民館の塚越昇さん。以前は教育委員会で道祖神など文化財を担当していた。
◆参院選の結果が示す日本政治の変動(渡辺治*2)
(内容紹介)
Q&A形式で書いてみます。
Q
今回の選挙結果について言えば
1)自公過半数割れしたことは良かったが
2)しかしそれが「立民、共産、社民」といった野党共闘の側ではなく「反動ブロック」「自民補完勢力」である参政党、国民民主党、特に、他の右派政党と比べても「排外主義」等の面で極めて極右の参政党が伸びた。今後、反動ブロックによる政治の右傾化、特に排外主義の悪化が危惧される
という面で「手放しで喜べない面がある」と思います。この点、渡辺先生のご意見をお聞かせ下さい。
A
私個人は、物価高(米やガソリンの価格高騰)もあり、新自由主義経済政策への反発が自公敗北を招いたとみてます。
ではなぜ「新自由主義の最も厳しい批判者」である共産が議席を減らし、自民補完勢力の国民民主、参政が議席を増やしたのか。
それは第一に新自由主義への反発が「感覚的なものにすぎず、論理的なものではないから」だと思います。
だからこそ「手取りを増やす(国民民主党)」等といったポピュリズム的な主張が支持を受けてしまう。
第二に「日本人ファースト」という参政党の「異常な排外主義」を選挙で明確に批判したのは共産、社民だけでした。
なかには逆に参政党に迎合する政党(維新、国民民主)すらあった。
その結果、本来「参政党以外の与野党」によって批判されるべき、あるいは選挙の一大争点となるべき「参政党の異常な排外主義」が争点にならなくなってしまった。
なお、参政党の「排外主義」も選挙では残念ながら一定程度支持されたとみるべきでしょう。
「新自由主義への批判」が「自民政治で外国人移民が増えたことで我々の生活が苦しくなった」という「誤った理解」をしている選挙民が多いのではないか。今後「排外主義的な施策」を自民党が打ち出し、それに反動ブロック(維新、参政、国民民主)が同調することが危惧されます。
第三に本来、選挙の争点になっておかしくない「石破軍拡(平和問題や生活予算の大幅カット)」を明確に批判したのは共産、社民だけでした。党内に右派議員を抱える立民は曖昧な態度に終始しました。その結果、本来選挙の一大争点となるべき「石破軍拡(平和問題や生活予算の大幅カット)」が争点にならなくなってしまった。
「参政党のような異常な排外主義」「憲法九条の精神に反し、軍事予算以外の生活予算カットを招き、生活にも悪影響を与え、また中韓との関係悪化が危惧される石破軍拡」をどう批判していくかが今後の重大な課題と言えます。
なお、社民、共産と違い、「排外主義批判」「軍拡批判」を明確にしなかったことでれいわが「一部の人間が誤解してるような左派政党」とは呼べないことが明白になったかと思います。むしろ、れいわは支持層が「国民民主」「参政」と大きくかぶり、両党に支持層を奪われることで現在、停滞過程に入ってるのではないか。
なお、私個人は「消費税減税」支持の立場ですが、共産、社民などは「消費税減税を打ち出す」にあたり、国民民主、参政などとの差別化が何処まで出来たかという反省があります(その意味でkojitakenの主張「消費税減税で埋没」には「一理ある」というのが渡辺氏の立場のようです。あくまでも渡辺氏は減税反対派「kojitaken」と違い、消費税減税派で共産支持者なので「一理しか認めていません」が)。
「国民民主や参政は消費税減税を叫ぶが、社会保障充実を叫んでるわけではないので、両党の路線だと社会保証切り捨てを招く。その結果として消費抑制が生まれ、景気にも悪影響を与える」などの差別化を図ることが今後重要かと思います。
なお、参政と国民民主については、マスコミ世論調査から、二つの特徴を挙げたいと思います。
一つは従来選挙に行っていなかった層がこの両党に投票しているとみられることです。
二つ目はこの両党は「他党に比べ」女性や高齢者の支持が少ない(勿論、支持ゼロではないですが)。支持は極端に「若年男性に偏っています」。
これは両党の「女性差別、高齢者差別的な面」が多数の女性や高齢者に忌避されてる反面、そうした面が逆に若年男性に受けていると見られます。
両党は「男女対立」「世代対立」を不当に煽ってる政党と言うことも出来ます。
◆核兵器のない世界の追求をいまこそ強めよう:運動の新たな発展のために被爆者は語り続ける(田中煕巳*3)
(内容紹介)
「核の傘」論から「核兵器禁止条約」批准に後ろ向きな日本政府が批判され、条約批准が主張されています。
被爆者がメンバーであり、メンバーの高齢化から「各種の戦争被害者団体が解散した」ように「被団協の消滅(解散)」も危惧される中、今後の被団協運動をどうしていくかが今後の課題であると述べられています。
参考
「心動かす運動」継承を 被爆80年「証言の転換期」―被団協の田中熙巳代表委員・長崎原爆忌:時事ドットコム2025.8.8
被爆80年。進む高齢化を念頭に、これまで体験を話さないできた被爆者に証言を促したいと思う一方、「被爆者が体験を通して核兵器を語るのは終わる時が来た。証言活動の大きな転換期だ」とも考えている。次世代に期待し、「証言を生かすことが大事。知恵を出し合い、エネルギーを使い、相手の心を動かす運動をつくってほしい」と語る。
被団協、個人から世界へ「行動を」 会議でアピール…高齢化で活動継続に不安の声も - 産経ニュース2025.10.9
多くの地域から被爆者の高齢化で、活動継続に不安を抱えているとの報告が相次いだ。被爆2世、3世以外にも裾野を広げることが必要だとの意見も聞かれた。
◆トランプ大軍拡とハイテク軍国主義(坂口明*4)
(内容紹介)
トランプ大軍拡が
1)日本を含む世界各国の軍拡を助長している
2)軍拡によって、米国において生活予算の大幅カットを招いている
として批判されますが小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
◆憲法審査会リポート「自民党政治を終わらせ、憲法が生きる政治への転換を」(佐々木森夢)
(内容紹介)
少数与党化した石破内閣が「九条明文改憲」を進めることは出来なかったこと、しかし「石破軍拡」という形で憲法九条の精神に反する政治は進められたこと、参院選において護憲政党・共産が議席を減らし、改憲右派政党である国民民主、参政が議席を増やしたことで九条改憲を巡る情勢が「改憲派有利」に進む危険性があることが指摘されていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
◆医療はどのようにされようとしているのか:改悪の方向と危機打開の道(島田雄一)
(内容紹介)
自公政権による医療費抑制施策によって多くの医療機関が経営危機に陥っていることを指摘。
むしろ「医療予算の拡大」が主張されていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
◆ジェンダー覚書 ”The personal is political”「なぜ、学校の「男性性」を問うのか」(大江未知)
(内容紹介)
『学校の「男性性」を問う』(虎岩朋加*5、前川直哉*6との共著、2025年、旬報社)の著者である大江氏が「学校の男性性(男性社員が多い企業とは違い、教員全体では女性が多くても、校長、教頭と言った幹部教員は学校においても男性がほとんどであり、企業等と同様に男性優位の価値観が強い。企業に比べれば育休、産休制度などが充実しているが、それでも、結婚や出産を機に退職する女性教員も未だ多い→学生、生徒にも男性優位の価値観が浸透してしまう。決して学校現場は男女平等ではない)」について論じていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
◆改定「給特法」をめぐる課題:運動がつくりだす新たな局面(藤森毅*7)
(内容紹介)
「給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)」の「特別手当」支給率が上がったことを一定程度評価しながらも「特別手当を支払う代わりに残業代は払わない、ただ働き容認法(教員版ホワエグ)=給特法」は廃止し、残業代がきちんと払われる制度にすべきと主張。そうすることによって教員の時間外勤務も減り、教員志望者不足も解消されると指摘されていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
◆「時間外労働に関するアンケート」で明らかになった教職員の働き方の現状(板橋由太朗*8)
(内容紹介)
全教が実施した「時間外労働に関するアンケート」を元に「教員の時間外労働の実態」について論じられてますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
◆志位和夫著『Q&A いま「資本論」がおもしろい』:エッセンスが見事に描かれ、挑戦する気持ちに(萩原伸次郎*9)
(内容紹介)
志位氏の新著の紹介ですが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
参考
「労働者階級の成長・発展を主軸にして、社会変革の展望をとらえる」/志位議長の「赤本」講義から(1)/労働者階級の成長・発展こそが社会変革の原動力2025.10.6
志位議長の「赤本」講義から(2)/経済運動から政治運動、さらに階級の運動へ2025.10.7
志位議長の「赤本」講義から(3)/未来社会の主体的な「建設者」として成長・発展2025.10.8
志位議長の「赤本」講義から(4)/「搾取制度の廃止!」という革命的スローガンを、自分たちの旗に書きしるそう2025.10.9
志位議長の「赤本」講義から(5)/「特別の困難性」があるが「豊かで壮大な可能性」が存在するこの道をともに2025.10.10
シリーズ戦後80年
◆軍慰安所の事実が問いかけること:新著『日本軍慰安婦』を語る(吉見義明*10)
(内容紹介)
慰安婦問題をライフワークとする吉見氏が新著『日本軍慰安婦』(2025年、岩波新書:『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)の新版)について述べていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
なお、吉見氏も言うように「慰安婦問題での日本ウヨの居直り」は深刻ですが、
◆ジャニー喜多川(1931~2019年)
ジャニー(ジャニーズ事務所初代社長)が生前、社長引責辞任等の形で追及されることはなくジャニー個人は逃げ切ったが、彼とメリー喜多川(1927~2021年:ジャニー生前はジャニーズ事務所副社長を、ジャニー死後は会長、名誉会長を歴任。ジャニーの姉)の死後、BBC『J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル』(日本語版は2023年3月8日放送)、NHK・クローズアップ現代『誰も助けてくれなかった:告白・ジャニーズと性加害問題』(2023年5月17日放送)等での批判報道を契機に、ジャニーズ事務所批判が高まり、2023年9月以降、ジャニーズ事務所が藤島ジュリー景子社長(当時。メリー喜多川の娘)の引責辞任、被害者への謝罪や損害賠償、「スタートエンターテイメント」への社名変更等に追い込まれる。
ジャニーにちなんだ名前を付けていたグループが被害者感情に配慮し「関ジャニ∞(かんジャニエイト)→スーパーエイト」「ジャニーズWEST→WEST」に改名。
ジャニーズタブーが薄れたからか、King & Princeの平野紫耀、神宮寺勇太、岸優太(King & Princeを脱退し、2023年5月末、ジャニーズ事務所を退所。後に元ジャニーズ事務所副社長の滝沢秀明が社長を務める芸能事務所TOBEに所属し、新グループNumber_iを結成)、岡田准一(2023年11月末で、ジャニーズ事務所を退所。)などジャニーズ事務所所属タレントの退所が相次ぐ。
◆中居正広
TBS『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』、テレビ朝日『中居正広の土曜日な会』(当時)といったMCを務める番組が放送中止され、中居が芸能界引退を表明。港フジテレビ社長(当時)が引責辞任に追い込まれる
◆松本人志
週刊文春で性加害疑惑が報じられたことで中居のように芸能界引退にまでは追い込まれていないものの、
・日本テレビ『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』、TBS『水曜日のダウンタウン』
「ダウンタウン」の名称だが、現在は相方の浜田のみ出演
・フジテレビ『人志松本の酒のツマミになる話』
降板し、番組名は『酒のツマミになる話』に変更され、現在のMCは吉本興業所属の大悟(松本の後輩芸人)
等、地上波から事実上撤退。地上波復帰の目処は現時点では立ってない(但し吉本興業の動画配信には出演)。
等の性加害追及」など「性被害を巡る状況」には一定の改善も見られることは事実です。そこに一つの希望を見いだしたい。
参考
「人権の侵害」直視を 『日本軍慰安婦』を出版、実態に迫る 吉見義明さん(中央大名誉教授):東京新聞デジタル2025.10.4
◆戦争はどう論じられてきたか:「戦後80年」とアジア・太平洋戦争史研究(佐々木啓*11)
(内容紹介)
近年の研究成果がいくつか紹介されている。俺的に興味深い本を後でいくつか紹介しておきます(なお、他にも様々な著書が佐々木論文では紹介されています)。
なお、以下の拙記事で「戦後80年」について論じました。
新刊紹介:「歴史評論」2025年8月号(副題:著書『ソ連兵へ差し出された娘たち』、映画『黒川の女たち』『ハナ子さん』『無法松の一生』、『樺太1945年夏 氷雪の門』、文化放送『大竹まこと・ゴールデンラジオ』ほか) - bogus-simotukareのブログ
新刊紹介:「歴史評論」2025年9月号(特集「敗戦80年と歴史研究2:『外地』と戦争」)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ
新刊紹介:「歴史評論」2025年10月号(特集「敗戦80年と歴史研究3:終わらない戦争」) - bogus-simotukareのブログ
また、今回、前衛に寄稿された佐々木氏は
◆徴用工の男性史:日本人新規徴用工の「体験記録」を読む(佐々木啓)(歴史評論2025年8月号収録)を執筆しており、佐々木氏の歴史評論論文については拙記事で
新刊紹介:「歴史評論」2025年8月号(副題:著書『ソ連兵へ差し出された娘たち』、映画『黒川の女たち』『ハナ子さん』『無法松の一生』、『樺太1945年夏 氷雪の門』、文化放送『大竹まこと・ゴールデンラジオ』ほか) - bogus-simotukareのブログ
◆徴用工の男性史:日本人新規徴用工の「体験記録」を読む(佐々木啓*12)
(内容紹介)
徴用工*13の体験記録として、大石善次『徴用日記』(昭和18年、隆文堂大運社)、熊谷宗秀の小説『徴さん』(1964年、三重文学協会)が紹介される(勿論、大石著書は戦前の刊行なので、徴用について否定的なことは書けるわけもなく、何処まで本心が描かれてるか、問題がある点に注意が必要)。
大石著書では徴用工体験は「国への奉仕」として誇るべき行為として描かれているが、熊谷著書ではむしろ徴用工は「体調不良のために、徴兵検査不合格で兵役に就けなかった人間」として社会からネガティブな視線で見られていること(また彼らが多く従事した工場労働者は底辺労働者として蔑みの目で見られることが少なくなかったこと)が描かれる。
筆者は「戦後日本」において徴用工体験はあまり語られてこなかったとした上で、その理由を熊谷著書が描くような、徴用工に対する「差別的な視線」を徴用工自身が感じていたからではないかとしている。
として紹介しました。
【参考:近年の研究成果】
【1】中村江里*12『戦争とトラウマ』(2017年、吉川弘文館)
PTSD(心的外傷後ストレス障害)を負った兵士やその家族が沈黙し続け、長くタブーとされてきたが近年注目される「日本軍兵士の戦争トラウマ」についての研究書の一つ。
中村著書の他にも、近年の戦争トラウマを扱った著書として、清水寛*13『日本帝国陸軍と精神障害兵士』(編著、2006年、不二出版)、後藤遼太、大久保真紀*14『ルポ・戦争トラウマ:日本兵たちの心の傷にいま向き合う』(2025年、朝日新書) 等がある。
【2】飯田未希*15『非国民な女たち:戦時下のパーマとモンペ*16』(2020年、中公選書)
「贅沢は敵だ」「パーマネントはやめましょう」のスローガンがあっても戦時中、パーマの人気が続いたことを指摘。
拙記事『銃後』とは『自由』な『自己実現』ができる時代だった(副題:NHKスペシャル「銃後の女性たち―戦争にのめりこんだ‟普通の人々”」) - bogus-simotukareのブログ、積極支持ではない消極的支持(諦め)であれ、「デマ扇動やメディア統制による詐欺的支持獲得(いわゆるポピュリズム)」であれ、国民の支持無しでは独裁は成り立たない(追記あり) - bogus-simotukareのブログに似た価値観かと思います。
「話が脱線します」が、「戦前日本政府にとっての国賊・共産党(天皇制を否定する)」等に比べれば「パーマ愛好家」の「国家にとっての脅威度は低い」とは言え、憲兵や特高(特別高等警察)が猛威を振るった戦前日本ですら「これ」です。日本共産党の内部に「独裁的体制が敷かれてる」かのような「松竹や紙屋の物言い」ははっきり言って嘘ではないか。
「党の活動を行うに当たって容認できない、酷い反党分子(紙屋や松竹)」が仕方なく除名されてるだけの話でしょう。紙屋や松竹が新党を作って勝手にやればいいのにいつまでも「酔っ払いのように党に因縁を付ける」とは全く「紙屋や松竹」も変な奴らです。
「離婚した妻」にしつこくつきまとう元夫(例:元妻への殺人未遂で逮捕された元棋士・橋本某)並みに迷惑な紙屋や松竹です。
なお、飯田氏には『女たちよ、大志を抱け:戦時下、外地で就職する』(2025年、中央公論新社)の著書もある。
勿論、過大評価は出来ないが、戦前においても「女性の社会進出、それも戦地に近い外地での社会進出」があったことに触れ、戦前を単純に「男尊女卑の時代(女性は『産めよ殖やせよ』等で、戦場より安全な銃後で『内助の功』として活動)」とは描けないことを指摘。
【3】金子龍司*17『昭和戦時期の娯楽と検閲』(2021年、吉川弘文館)
「軍部等、行政の統制とそれに抵抗するエンタメ業界」と理解されがちな戦時下検閲について新聞投書などを題材に「検閲を支持する声」が国民内部にあったことを指摘しています。現在の日本においても「自民党のマスコミへの圧力」を是とする右翼支持層があることを考えれば理解できる話です。
金子氏については拙記事新刊紹介:「歴史評論」2025年8月号(副題:著書『ソ連兵へ差し出された娘たち』、映画『黒川の女たち』『ハナ子さん』『無法松の一生』、『樺太1945年夏 氷雪の門』、文化放送『大竹まこと・ゴールデンラジオ』ほか) - bogus-simotukareのブログで◆戦時日本の娯楽と文化(金子龍司)(歴史評論2025年8月号収録)を取り上げました。
【4】吉田裕*18『日本軍兵士:アジア・太平洋戦争の現実』(2017年、中公新書)、『続・日本軍兵士:帝国陸海軍の現実』(2025年、中公新書)
吉田著書については拙記事
◆新刊紹介:「歴史評論」2025年8月号(副題:著書『ソ連兵へ差し出された娘たち』、映画『黒川の女たち』『ハナ子さん』『無法松の一生』、『樺太1945年夏 氷雪の門』、文化放送『大竹まこと・ゴールデンラジオ』ほか) - bogus-simotukareのブログ
・『兵士と戦場』(山田朗*19)の紹介
◆新刊紹介:「前衛」2025年8月号(その1) - bogus-simotukareのブログ
・『無残な大量死は現在に何を語りかけているのか:「続・日本軍兵士」で戦後80年に考えたいこと』(吉田裕)の紹介
で触れました。
今回、俺的に「前衛で一番の収穫(?)」は佐々木記事で飯田未希『非国民な女たち:戦時下のパーマとモンペ』(2020年、中公選書)を知ったことですね(上記で紹介した本のウチ、飯田本以外はその存在を前衛記事を読む前から既に知っていた)。この記事を読むまで飯田本について知りませんでしたし、前衛「佐々木記事」やネット上の紹介記事(後で紹介します)だけでも飯田本は面白そうです。
【参考:戦争トラウマ】
戦場で心を病む「戦争トラウマ」 日本軍兵士の初調査、展示始まる [戦後80年 被爆80年]:朝日新聞2025.7.24
戦場の過酷な経験や恐怖、加害行為の罪悪感などにより心に傷を負った日本軍兵士の実態について、国による初の調査結果の展示が、戦傷病者史料館「しょうけい館」(東京都千代田区)で始まった。
心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの精神疾患を患った兵士の存在は、戦時中は(ボーガス注:厭戦論の助長を恐れる)軍部によって隠蔽され、戦後も本人や家族が「恥」とする意識が強く残り、長い間埋もれてきた。近年、兵士の家族らが「戦争トラウマ」として証言活動を広げ、本人の苦悩だけでなく、トラウマを抱えた元兵士から虐待を受けるといった家族らの苦しみも国会で取り上げられるなど、注目を集めた。
こうした動きを受け、国は昨年度、旧軍の病院や日本傷痍軍人会*20などに残るカルテや体験記を収集・分析。今月23日から始まったテーマ展「心の傷を負った兵士」で、第2次世界大戦末期、4年間の陸軍の戦病者785万人のうち約67万人が「精神病・その他の神経症」だったと説明するパネルや、戦後も家族に暴力を振るってしまう元兵士の体験記などを展示している。
社説:戦争トラウマ 実相に迫る努力欠かせない|京都新聞デジタル 京都・滋賀のニュースサイト2025.8.13
終戦80年になるアジア・太平洋戦争を体験した旧日本軍兵士の心的外傷後ストレス障害(PTSD)に関し、国が初の実態調査に乗り出した。
問題を提起してきた「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の働きかけで、昨年から始まった。厚生労働省が所管する戦傷病者史料館「しょうけい館」(東京)が、千葉県にあった国府台(こうのだい)陸軍病院(現在は厚労省所管の国立健康危機管理研究機構・国立国府台医療センター)のカルテや家族の体験記を収集、分析。調査結果は、来年2月から史料館で常設展示するという。
先の大戦中、精神疾患専門の国府台陸軍病院では1万人が治療を受けた。
しかし、「皇軍兵士」が心を病むのは恥だと隠され、軍は病院の存在を否定した。
米国では、ベトナム戦争やイラク戦争に従事した兵士の2~5割がPTSDを患ったとの報告がある。終戦時、約310万人が復員した日本は、100万人前後に上った可能性がある。
社会に広く知られなかったのは、自身の症状を受け止められず、精神疾患への根強い偏見も恐れて治療しなかった面もあろう。
今回の調査対象は、戦時中に治療を受けた元兵士に限られ、戦後に病んだ人らは含まれない。国は範囲を広げて、全国規模で家族の証言などを掘り起こすべきではないか。
ロシアと戦闘が続くウクライナでは兵士の心のケアが深刻な課題となり、ガザ侵攻のイスラエル兵にも自殺者が相次ぐ。PTSDの発症は、戦況の優劣にかかわらない。
空襲を受け、多数の死者を目の当たりにした市民らも「眠れない」など、心の傷は深い。
戦争は、さまざまな形で長く人々の中にとどまる。その実相を伝え、平和への歩みに刻んでいく努力が欠かせない。
『ルポ 戦争トラウマ』後藤遼太、大久保真紀著/『戦争トラウマを生きる』蟻塚亮二、黒井秋夫著 : 読売新聞2025.8.15
『ルポ・戦争トラウマ*21』の主役は旧日本軍兵の子どもたちだ。戦争に行く前には優秀で快活だったと言われる父親が、敗戦後に帰ってくると酒に溺れ、悪夢を見て、物音に 怯える。家族に暴力をふるい、社会とのつながりを断つ。体を壊し、ときに自死する。
今はもう高齢者となっている子どもたちはそのような父親のもとで育ち、苦しんできた。
以上の戦争トラウマを社会的に提起した「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の黒井秋夫*22と、沖縄戦の心の傷を治療し研究してきた精神科医の蟻塚亮二*23の対談本『戦争トラウマを生きる*24』は、この問題を深掘りし、いかにして戦争トラウマが発見されていったのかを明らかにする。
「母は感情の掃きだめにされていた」 元兵士の父と家族が苦しんだ「戦争トラウマ」…証言で実態が明らかに:東京新聞デジタル2025.8.29
終戦から80年がたっても、残り続ける戦争の被害がある。過酷な戦場を体験した兵士が心に負った傷「戦争トラウマ」だ。
暴力やアルコール依存症、無気力といった症状で現れ、本人だけでなく家族ら周囲を苦しめた。家族の証言によって実態が明らかになってきている。
【参考:戦時中のパーマ】
「♪見よ東条のはげ頭」「♪パーマネントはやめましょう」戦時中の替え歌から当時の子どもたちの本当の姿が見えた#きおくをつなごう #戦争の記憶 | TBS NEWS DIG (1ページ)2025.2.25
大阪府に住む外山禎彦(とやま・よしひこ)さん(90)。太平洋戦争の初期の頃に歌った「皇軍大捷の歌」という軍歌の替え歌を、はにかみつつも歌ってくれた。
「♪パーマネントに火がついて、みるみるうちにはげ頭。はげた頭に毛が三本。あぁ恥ずかしや恥ずかしや。パーマネントはやめましょう」
戦時中、「贅沢は敵」とされ、パーマは贅沢で控えるべしという風潮があった。この替え歌は、パーマの女性をからかっているようにも、そうした風潮を揶揄しているようにも聞こえる。
「パーマネントはやめましょう」って言い続けたけど、押さえ切るのは無理なことでした。新聞投稿で論争も。|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)2024.4.2
「パーマネントはやめましょう」という標語というかスローガンというか運動というか、そういった言葉が登場したのは意外に早く、日中戦争が始まった1937(昭和12)年ごろからでした。贅沢を排撃する風潮の高まりに合わせて、婦人団体やら生活改善やらで活動したようです。しかし、効果はどうだったか。
次にパーマネントをやめさせようという機運が盛り上がるのが、1939(昭和14)年の電力不足のころで、同年6月16日の国民精神総動員委員会では、学生の長髪、ネオンの禁止と並んでパーマネントの禁止も決定します。
パーマネントが目の敵にされたのは、洋風であること、電気を使うこと、お金持ちに見えるからーといった感じで十分な説得力もなく、なかなか浸透するものではなかったようで、1940(昭和15)年8月29日の信濃毎日新聞夕刊の読者投稿に「電髪(パーマネント)廃止論」が載っています。
そして、この提案には9月3日、反論が飛んできます。
「松本市のNT様、29日付の御説を拝見致しました。あの『藁屑をたたいた如き百舌の巣』の如き頭を振り立てて颯爽として肩で風を切りながら往来を闊歩する勇ましき姿をご覧になって寒気がなさるそうですが誠にお気の毒と存じます。初めにお断りしておきますが私はパーマネントを一度もかけた事がありませんが、パーマネントはよいものだと思って居るものです(極端なものは別として)。
▼パーマネントの良い所は、一度掛ければ長持ちが致します。ですから、毎朝時間をかけずにきれいになります。髪の中に何も入れませんから頭が軽くて気持ちが良くて活動的です。そのうえおっしゃる通りに造作の悪い顔をカバーできますならこんなよい事はありません。パーマネントの長所を考えましたら短所は僅かだろうと思います。
▼あれがいけない、これがいけないと非難ばかりしていないでどうしたらもっとよくこの時局下のほんとの日本人になれるだろうか、たとえば新日本の女性の髪としてパーマネントをいかに理想的に改善すべきか、ということなど考えてお互いに自重し合って進んでいきたいと存じます(MT)」
このころの信濃毎日新聞の記事を見ますと「パーマネントを見ると癪に障る」として岡谷市役所の社会課長が女子職員のパーマを禁止させています。いろいろ言って女性を支配したいだけでは、と感じてしまいます。
その後も、パーマをやめさせることで「軍事訓練や心身鍛錬の体制整った」(1941年11月14日夕刊)、銃後の緊張をかき乱すとして諏訪警察署がパーマをした人の住所氏名を出させる(1942年6月9日夕刊)など、さまざまな圧力が忙しい時局に行われます。
それでも、静岡県勝間田村*25(現・牧之原市*26)の1943(昭和18)年7月1日の生活改善実施要項では、結婚改善実行として島田髷とパーマネント廃止と上がっているので、いろいろ言われながらも続いてきた様子です。
1943(昭和18)年10月1日から、電力統制で電気を使ったパーマネントはできなくなりましたが、長野県ではその前日、大勢の客が押し掛けた様子です。
とはいえ、その後も炭で温めたこてを使ってパーマを提供する業者は続いた様子で、1945(昭和20)年7月3日の信濃毎日新聞には上田警察署が県下に先駆けて廃止に乗り出し、木炭持参者にパーマをかけていた業者8人に今後行わぬよう、行ったら営業停止にする、と上田署長が言明したとのことです。
おそらく敗戦の日まで、パーマをやり続けた業者も女性もいたことは、権力でも押さえられないものがある、ということを示したように思えます。
戦時下の化粧。非国民と非難されても女性たちはパーマをかけた! | 化粧の日本史ブログ by Yamamura(山村博美*27)2021.8.15
テーマにした本は、『非国民な女たち:戦時下のパーマとモンペ』(飯田未希著、中央公論新社、2020年)
私たちは、戦時下の女性はパーマネント禁止で、モンペ着用だったと思いがちですが、戦況が悪化した1938~1939年(昭和18、19年)頃でも、電気ではなく炭火を使ってパーマをかけたり、モンペでなく洋服を手作りするなど、オシャレをしていた女性がけっこういたという内容です。
「非国民と言われようともオシャレがしたい」という女性たちの熱い思いが、伝わってくる一冊でした。
パーマネントウェーブが大々的にバッシングされはじめたのは、1939~40年(昭和14~15年)頃でした。
主導したのは、国民精神総動員委員会。
法的な強制力はなかったのですが、朝日新聞をはじめとするマスメディアも、追随して一斉にパーマヘアを非難しました。
下の写真は、「アサヒグラフ」の1939年7月12日号。
「電髪葬送曲」というキャッチフレーズに、わざわざ「パーマネントよ、さようなら」とルビが振られています。
しらじらしいことに、同じ号には、しっかり(ボーガス注:パーマ姿の女性が登場する)美容院の広告が載っているんです!!
まさに、ダブルスタンダード。
『非国民な女たち』で知る戦時下女性ファッションの事実反社会学講座ブログ(パオロ・マッツァリーノ*28)2025.6.4
『非国民な女たち:戦時下のパーマとモンペ』(飯田未希、中公選書)を紹介しましょう。
結論からいうと、戦時中もパーマをかけ続けていた女性たちは大勢いました。そして、モンペはダサいと嫌われていて、履かない女性もたくさんいました。
つまり、「パーマネントはやめましょう」という貼り紙がずっと貼られていたのは、パーマをかけるのをやめない女性がいたからだったのです。なので、戦時下を舞台としたドラマ・映画にパーマの女性が出てこない、あるいはみんなモンペを履いているのは、時代考証的には、実は間違いなのです。
なぜ昭和初期の日本女性たちがパーマにそれほど固執していたかというと、パーマが日本女性のファッションに革命を起こしたといっても過言ではなかったからです。伝統的な日本髪は、毎日結ったりほどいたりする手間が大変で、髪を洗うのもめんどくさい。とにかく非効率な髪型だったのです。
じゃあストレートのショートカットにしたら?。
大正時代から流行の最先端を行くモガ(モダンガール)の間ではショートは流行していましたが、まだ昭和初期までは、ショートカットは子どもの髪型というイメージが根強かったので、女学生までなら許されるけど、真面目なオトナの女性にはふさわしくないと思われてたのです。
そこへ登場したのがパーマでした。パーマは毎日結ったりする手間が不要だし、洗うのもラクという点が、働く女性たちの圧倒的な支持を得ました。そしてなによりオトナの女性の見た目にふさわしいということで、あっというまに日本全国にパーマが普及したのです。
戦時下では、電力を使う機械式のパーマは贅沢として批判されます。本書では新聞の投書欄でパーマの賛否をめぐる激論がたびたび交わされていたことにも言及しています。
しかし機械の使用が禁止されても、日本髪の呪縛から解放された女性たちはパーマをあきらめませんでした。炭火で加熱したコテを使う木炭パーマが開発されて美容院は営業を続け、戦争が始まってもなお、客足が途絶えることはなかったのです。これは東京・大阪のような大都市だけでなく、地方都市でも同様だったとのこと。
モンペは当時の女性たちにとってもダサすぎる「ありえないファッション」として、かなり嫌われてました。実際にはズボンかスカートが好まれていて、戦時中の女性たちを撮った写真を見ても、ズボンかスカートを履いてるものが多いんです。
どうも戦後世代である我々は、戦争中は国民全員が国の命令に従って抑圧的で質素な暮らしかたを強いられていたと思いがちです。でもそれは歴史のほんの一面でしかありません。(ボーガス注:パーマなど辞めろという)国の命令に従わず、ささやかな抵抗(?)を続けていた勇敢(?)な「非国民(?)」も庶民のなかには大勢いたというのが事実です。
モンペを履きたくない若い女性たちのために、カッコいいデザインの女性用国民服を作ろうと試行錯誤していたファッション関係者もいました。その一人が杉野芳子。日本に洋裁の技術を広めた功労者のひとりで、戦前に創立されていまも東京・目黒にある「ドレスメーカー学院」の創設者でもあります。
本書でも杉野の自伝『炎のごとく*29』の一節が参考資料として取りあげられてます。その自伝のほうも読んでみたら、終戦直後のエピソードにちょっと感動してしまいました。なのでこちらもちょっと紹介しておきます。
空襲で校舎は焼失してしまい、疎開先から焼け野原になった東京に戻った杉野の念頭には学校の再建など微塵もなく、運良く焼け残った自宅でイモを育てる算段をしていました。
終戦からまだ1週間ほどしか経ってなかった、そんなある日、生徒の一人が訪ねてきます。そして「学校はいつから始まるのですか、もう一度教えてほしいんです」と涙ながらに訴えるのでした。
同じように学校の早期再開を懇願する生徒は、翌日からも続々と訪ねてきます。生徒たちの熱意にこころを動かされた杉野夫妻は、イモ作ってるどころじゃないぞとミシンや机の確保に奔走し、自宅での学校再開を目指します。
新聞広告なども出さず、家の門に告知の貼り紙をしただけだったので、志願者は多くて30人くらいだろうと杉野は思っていました。なので家の玄関に机をひとつ置き、先生と生徒の二人に受付を任せていたのです。
ところが当日受付が始まると、受付係の生徒が杉野のところにあわてて駆け込んできました。学校再開の話は口づてに広まり、なんと入学志願者は千数百人にのぼったのです。
終戦直後でまだ食うや食わずの毎日だったにも関わらず、それでも学びたいという若者たちの意欲に私は感動しました。
これこそ朝ドラにぴったりの題材じゃないかと思えてきました。どうですか、NHKさん。
「非国民」と罵られても、パーマをかけたい! 戦時下でわきまえない女たちが守ったもの 繰り返された「パーマネントはやめましょう」|教養|婦人公論.jp(飯田未希)
戦時期の女性たちの典型的なイメージは、まっすぐな髪を後ろで束ね、モンペをはいた姿だろう。
パーマネントが「禁止」され、モンペが「強制」されたということは、戦時体制の監視と抑圧が生活の隅々にまで行き渡った極めて象徴的な例として記憶されてきた。確かに、「パーマネント禁止」は日中戦争が始まった1937年の国民精神総動員中央連盟*30(以下「精動」)の精神作興運動の委員会で決議され、大日本国防婦人会(以下「大日本婦人会」)などの各種婦人団体もそれに賛同して、地域での反対運動を始めている。
またモンペは、1937年頃から盛んに行われるようになった地域の消火訓練や防空演習で女性たちが自主的にはくようになり、「戦時に相応しい服装」として新聞などのメディアでも盛んに取り上げられた後、厚生省によって42年に制定された「婦人標準服」の「作業衣」として公的にも認められた。
しかしながら、このように「戦時に相応しい」髪形や服装が公的に「決定」されたということは、多くの女性たちがこのような決定に従ったということを必ずしも意味しない。
新聞では、パーマネントや女性の派手な化粧、洋装姿を批判する読者からの意見文がたびたび掲載された。
『読売新聞』1938年1月17日の「読者眼」で、「日本橋生」という投稿者は「断髪諸嬢に告ぐ」として、パーマネント女性の氾濫を以下のように非難した。
濡れ羽色の黒髪、丈なす黒髪は過去一千年来わが親たちが子供によせた悲願であり、信仰であった。そしてそれこそは日本民族の、殊に大和撫子の誇りであり、シンボルではなかったか。
然るに、いま、巷にはボッブド・ヘアー・パーマネント・ウェーブの雀の巣のような頭をした若い女性が氾濫している。中にはわざわざ薬品で毛を赤くした婦人までが存在する、もしできるならば眼玉を碧くし、皮膚を白ちゃけたサメ肌にし、そしてああ!魂まで入れ替えかねぬ女たちであろうか。
今こそ日本女性の黒髪に還れ、貴女がたには次の日本人を作る聖なる“母”の使命があるのだ。
この投稿は、「読者眼」に議論を巻き起こした。同年1月21日には、女性の投稿者による「パーマネント讃」という反論が掲載されている。彼女は「断髪諸嬢に告ぐ」という投稿が「あまりにも日本女性の心理と、時代を無視した概念的な偏見ではないでしょうか」と述べた後、パーマネントについて以下のように説明している。
私共職業婦人は、朝の早い出勤に、一々髪を結うことは大変です。一度パーマネントをかけておけば、まさか永久(パーマネント)ではないまでも、二月や三月は髪の心配をしないですみます。男性が「チョンマゲに裃」の時代ならいざ知らず、女性へのみに黒髪の伝統を強要なさるのは、女性を玩弄物視した封建的男性の身勝手な趣味でしかありますまい。そんな男性は“対手(あいて)にせず”と黙殺するほかありません。
なぜパーマネントは真っ先に批判のターゲットになったのか。それは1935年頃に国産機が導入されることで低価格化し、大流行し始めたからであろう。
精動は1937年7月、「パーマネント禁止」の決議を出して以降、たびたび女性の「パーマネント禁止」を決定している。また街頭での婦人会によるパーマネント禁止の呼びかけも全国各地で繰り返し行われ、パーマネント禁止のポスターが街のあちこちに張られた。子供たちが美容院の前で「パーマネントはやめましょう」という歌を歌っていたことも、各地の美容師が記録している。
しかしながら、驚くべきことに戦争が進んだ1943年の大日本婦人会の大会においても、まだ「パーマネント絶対禁止」が決議されている。これだけの禁止や反対運動にもかかわらず再度禁止を呼びかけなければならないというのは、どういうことか?。むしろ、たび重なる禁止は実効性を伴っていなかったということだろう。
実際、精動による「決議」は、精神総動員運動という官製運動の運動方針を決定しただけであり、禁止のための法的根拠はなかった。
このため、実際にはパーマネントを続けた業者がほとんどであり、また女性たちも婦人会などの街頭などでの呼びかけにもかかわらず美容院に通っていた。
戦争末期の電力規制でパーマネント機の使用ができなくなると、各都市において見られたのは、配給の木炭を持って美容院の前でパーマネントの順番待ちをする女性たちの姿であった。
しかしながら、木炭パーマによって女性たちから支持されていた美容院も、地域社会においては難しい立場に置かれていた。女性の最も重要な役割は「天皇の赤子」を育てることであり、各家に配給された木炭は、夫や子供のための調理に使われるべきであるとみなされていた。その木炭をもって女性たちは美容院の前に行列していたのである。
秋田の美容師中村芳子は、以下のように述べている。
店の前には相変わらず行列でした。戦争も女性の美しさへのこだわりを押さえることはできなかったのです。私は本当に感動しました。
しかし、「辛い日々」でもありました。
みんながパーマを歓迎している訳ではありません。「お国の一大事に敵国のパーマをかけるのは国賊だ」といって、店の前に炭をもって並ぶ数に勝る中傷、非難の嵐が吹き荒れました。
「アメリカのまねをするな」と店に石を投げ込まれた苦い思い出もあります。しかし、私はパーマをかけることを一度も止めようとは思いませんでした。求めるものがいる限り、それに応えていこうと心に誓っていました。
中村芳子氏については以下の記事も紹介しておきます。
「美容院」大好き県は秋田県! | NTTタウンページ株式会社
人口約10万人当たりの登録件数でみると、1位は秋田県(207.14件)、2位は鳥取県(199.30件)、3位は山形県(198.32件)。
以降、高知県、島根県、福井県と地方が続きます。実は、この10年のトップ10の顔ぶれは、ほとんど変化がありません。同時に、登録件数が少ないのは神奈川県、埼玉県、東京都、大阪府など都市部となっており、こちらの顔ぶれも変わっていません。
地方に美容院が多いのは、技術を持った女性が自宅を改築して小規模の店舗を経営するケースが多いからと見られます。地域密着型になるので、固定客が多いというメリットがありますね。逆に、都市部では広めの店舗に複数のスタッフを置くなど大型経営の店が望まれるため、必然的に店舗数は少なくなってしまうようです。
1位の秋田県には、美容院が多いことが納得できるエピソードが。それは、美容業界で先駆的な役割を果たした伝説の美容師中村芳子さん(平成17年に105歳で死去)の存在です。大正15年に秋田市内で美容院を開業後、国産電気パーマ機第1号を取り入れたり、新しい髪型と洋服を着こなしたモデルを登場させてファッションショーを開くなど、まさに先進的なプロデュースを行ないました。また、弟子を育てるのにも熱心で、その数は100人を越え、多くの人が独立して店を構えました。その影響もあり、3位の山形県を始め、東北地方には美容院が多いそうです。
美人作る美容師の腕…秋田2006.4.21
秋田の“美容院事情”に迫ろうと、秋田駅から徒歩数分の市街地で美容院「モードスタジオQ」を経営し、県美容生活衛生同業組合の理事長も務める山本久博さん(55)を直撃した。
山本さんは、一人の美容師の存在抜きに秋田の美容事情は語れない、と教えてくれた。昨年(2005年(平成17年))7月、105歳で亡くなった中村芳子さんだ。
中村さんは1926年(大正15年)、秋田市で美容院を開業、90歳までハサミを持ち続けた。秋田の美容業界の先駆的存在で、今で言うところの“伝説のカリスマ美容師”だ。
中村さんに弟子入りした女性は100人以上。多くが独立し、県内で店を構えた。43年前、秋田市内に「山三美容院」を開業した長谷川ふき子さん(67)もその一人。
【みちのく会社訪問】美容師の地位向上へ企業化 RBアドバンス(秋田市) - 産経ニュース2015.7.10
秋田県の美容室密度は全国一だ。人口10万人当たりの美容室の数は294店。最下位の神奈川県(117店)の2・5倍もある(厚生労働省「平成25年度衛生行政報告例」から計算)。
「秋田の女性は身だしなみに気を使うから」「伝説の美容師中村芳子さん(平成17年に105歳で死去)が業界を発展させたから」といった理由が語られることが多いが、基本的な要素として、都市部に比べて個人経営の小規模店が多いという事情がある。
【参考:女たちよ、大志を抱け】
<書評>「女たちよ、大志を抱け」飯田未希著:北海道新聞デジタル中村安希*31(ノンフィクション作家)2025.10.12
(ボーガス注:現在は女性自衛官もいるが、日中戦争、太平洋戦争当時は)兵力とならない女は国家の役に立たず、よって女は兵士を産み育てる母として、または軍需工場の女工や従軍慰安婦などとして、男性に従属、隷従することで銃後を支えた。それが一般的な歴史認識となっているが、はたしてそれだけだったのだろうか。
本書は「そうではなかった女性たち」の存在を掘り起こした研究論文である。戦争のただ中にあって、進んで外地に向かった女性たちがいた。貧しさからではなく、夫の赴任や性労働のためでもない。当時としては比較的高学歴とされた中流層の独身女性たちが、事務員やタイピスト、電話交換手や日本語教員などの都市的な仕事を求めて、旧満州(現中国東北地方)や南方の占領地へと続々と海を渡っていたのだ。そうした動機の背景には、教養ある独身女性たちが置かれていた内地の息苦しい社会状況があったことも浮かび上がってくる。出兵せず、子も産まず、肩身の狭い思いをしていたであろう女性たちは、「お国のために」というスローガンを利用して内地を脱出していった。読み終えた時、戦争への理解がこれまでよりも複層的になり、戦地のイメージが身近なものへと更新されていることに気がついた。
なお、女性自衛官については以下を紹介しておきます。
自衛隊、女性初の「将」誕生 駐屯地や基地に託児施設整備し女性が勤務しやすい環境に 3・8 国際女性デー 半径5mからの一歩 - 産経ニュース2025.3.1
「男社会」の典型とみられてきた自衛隊が変わりつつある。採用者の5人に1人は女性で、人手不足に悩む自衛隊にとって女性自衛官は今や「不可欠」(中谷元*32防衛相)な存在だ。
1月14日、青森県むつ市の海上自衛隊大湊基地。約150人の隊員を前に訓示したのは大湊地方総監、近藤奈津枝*33海将(59)だ。
近藤氏は2023年12月に海自で最も階級の高い海将に昇進した。女性が「将」になるのは陸海空自衛隊で初めてだった。
自衛隊では2023年度時点で、全体の8・9%に当たる約2万人の女性が勤務している。採用者に占める女性の比率は年々上昇傾向にあり、2023年度は18%と10年前に比べて倍増した。
増加の背景には、採用枠の拡大に加え、配置制限の解除がある。自衛隊はかつて戦闘に直接関わる職域に女性を配置していなかったが、1993年から段階的に開放した。
女性自衛官の配置制限を完全撤廃 除染活動など可能に - 日本経済新聞2025.7.18
防衛省は18日、女性自衛官の配置について規制を完全撤廃したと発表した。制限が残っていた有毒な化学物質や放射能に汚染された地域で活動する可能性がある陸上自衛隊の部隊でも女性自衛官が働けるように変えた。
◆「戦後80年」のいま、アイヌ遺骨問題を考える(下)(小田一郎*34)
(内容紹介)
新刊紹介:「前衛」2025年10月号 - bogus-simotukareのブログで紹介した『「戦後80年」のいま、アイヌ遺骨問題を考える(上)』の続きですが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
参考
記者の目:「心」を無視した遺骨収集 先人の行為に「謝罪」と「経緯の検証」を | 毎日新聞2025.9.5
かつて欧米や日本を中心に、先住民族の遺骨を研究目的で持ち去るという行為が盛んに行われていました。時を経て、保管していた遺骨を先住民に返還する流れになっています。最近、東京大など日本の研究機関がアイヌや海外の先住民への返還に際して、初めて自らの行為について「謝罪」を表明。長くこの問題を追ってきた三股智子記者は、先住民の心を無視し、傷付けてきた反省があるならば、研究機関は返還に際し謝罪と、なぜそういう行為に至ったかの検証が必要だと訴えます。
◆三股智子(くらし科学環境部)
今年6月、東京都港区のオーストラリア大使館で、東京大と京都大、国立科学博物館(科博)が参加して豪州の先住民遺骨の返還式典が行われた。遺骨は研究目的で収集・保管されてきたが、先住民側の要請に応じて約1世紀ぶりに古里へ帰ることになった。
私はこの問題を9年間追ってきた。ようやく一つの区切りを迎えたわけだが、大きな転機と感じる出来事があった。
「遺骨を返すのにこれほど長い年月がかかり、遺憾に思う」(東大学長)。
「先住民の心に悲しみを与えてしまったことを反省している」(科博館長)。
式典参加者を通じて聞いたこれらの言葉は、日本でそれまで行われてきた、主にアイヌ民族を対象とした先住民遺骨返還では聞かれなかったものだ。
これまでそれがないことで先住民側の感情を傷つけ、関係構築に影を落としてきた。遺骨返還はただ物理的に返すだけではなく、謝罪と経緯の検証があってこそ意義がある。「返す側」がこれまでの姿勢を転換する時が来ている。
先住民の遺骨は、遺族や地域コミュニティーの承諾を得ない盗掘や、遺骨の尊厳を軽視した取り扱いがなされたケースが少なくない。
しかし、日本の大学側は長い間、返還の場で謝罪をしたり、遺骨収集・保管の詳細を説明したりすることを避けてきた。昨年11月に東大から返還を受けた米ハワイの先住民は「謝罪の言葉は全くなかった。死者の尊厳に対し敬意を欠き、差別的な対応だった」と憤った。
(以下は有料記事です)
◆論点「トランプ米政権による国際刑事裁判所への制裁」(島田峰隆)
(内容紹介)
ガザでの戦争犯罪を理由にネタニヤフ・イスラエル首相の逮捕状を発行したICCに対し「制裁措置」を発動した親イスラエルのトランプ政権が批判されていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
また赤根氏(日本の検察庁出身)をICC所長に送り込んでいる国として、日本政府はもっとICCを支援し、米国を批判すべきとも主張されています。
参考
トランプ政権、ICC本体への制裁へ - 高世仁のジャーナルな日々2025.9.24
ロイター通信は22日、トランプ米政権が週内にも国際刑事裁判所(ICC、赤根智子所長)に制裁を科す方向で検討していると報じた。米兵やイスラエル高官の戦争犯罪を追及するICCへの報復措置とみられ、実施されればICCの活動に支障を来すのは必至だ。
制裁対象に指定された場合、米国内の資産が凍結され、米国人との取引などが禁止される。ICC職員への給与支払いや銀行間の送金が困難になることが考えられる。
ICCは、集団殺害犯罪(ジェノサイド)、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪という四つの重大な中核犯罪を犯した個人の刑事責任を追及する裁判所で、(中略)2024年11月にはガザの事態で戦争犯罪と人道に対する犯罪の容疑でイスラエルのネタニヤフ首相に逮捕状を発布した。
これに対し、(中略)米トランプ政権は二回にわたりICCの裁判官や検察官九名に制裁を科すという挙に出た。
裁かれるべき側が、法の番人たる国際裁判所を攻撃し、存続の危機に陥らせている。とんでもない事態である。
これに対して赤根智子*35所長は、レッドラインを越えたと批判する。
「制裁によって裁判官としての尊厳、要するに人間性を否定されたことで、本人たちは大きなショックを受けました。職務を遂行していただけで、OFAC(米財務省外国資産管理室)の制裁リストにテロリストと並んで名前を載せられたわけです」(赤根)
(以上、駒林歩美「法の支配を誰が守るのか」世界2025年9月号を参考・引用)
トランプ政権、ICC本体への制裁へ② - 高世仁のジャーナルな日々2025.9.27
トランプは国際法をあからさまに蹂躙する一方で、その“番人”たるICC(国際刑事裁判所)への野蛮な攻撃を行っている。
ICC攻撃はまず裁判官、検察官個人への制裁からはじまった。米国はアフガニスタンでの米国人による犯罪の捜査とイスラエルのネタニヤフ首相への逮捕状発付を理由に、今年2月にはカリム・カーン主任検察官に、6月には4人のICC裁判官に制裁を科した。そして8月、トランプ政権はあらたに4人の裁判官に制裁を科し、資産を凍結するなどの制裁を科すと発表した。
トランプ政権、ICC本体への制裁へ③ - 高世仁のジャーナルな日々2025.9.28
制裁対象になったカーン検察官は、(ボーガス注:トランプの報復を恐れる)マイクロソフトからサービス提供を停止されたという。
帰国時の逮捕を恐れてICCを退職した職員(中略)もいる。
イスラエルとハマスによる戦争犯罪疑惑の調査を率いた主任第一審弁護人のアンドリュー・ケイリー弁護士も緊張と制裁への恐れから体調を崩し、今年、職を離れた。不安から体調を崩す職員は少なくないという。
赤根智子ICC所長は、取材した駒林歩美氏に、現在考えられる最悪のケースは「ICCそのものが制裁対象になる場合」だと語っている。そして、それが現実になろうとしているのだ。
トランプ政権、ICC本体への制裁へ④ - 高世仁のジャーナルな日々2025.10.2
ICCそのものが制裁対象になれば、世界中の金融機関や組織がICCとの取引を止める可能性が高いという。そうなると職員への給料その他の経費が払えなくなり、各国からの拠出金も受け取れなくなる。
制裁を見越して、すでにICCとの取引を敬遠する金融機関も少なくない。
赤根智子所長が制裁対象になれば、アメリカと取引のある日本の銀行の口座まで凍結され、クレジットカードも使えなくなる。
このような危機の状況においても、赤根所長は取材した駒林歩美氏に毅然と語っている。
「法の支配や民主主義は、人類が叡智を求めて進んできた歴史の積み重ねでできたものです。それらを守り育てていく責務が人類全体にあり、そのための一つの役割がICCという国際的な裁判所に課されているのだと思います。だからこそ今のICCを守り育て、その先にある法の支配が廃れないようにすることが必要なのです」
◆暮らしの焦点「住民運動が問う東京都の都市計画道路:小金井市、杉並区を中心に」(原田あきら*36)
(内容紹介)
ネット上の記事紹介で代替(共産は勿論小金井市の道路計画を環境保全の観点等から反対、批判する立場)。
道路計画 見直し必要 原田都議、子どもの施策提案 | 日本共産党東京都委員会(しんぶん赤旗2023年3月1日付より)
日本共産党の原田あきら東京都議は22日、都議会一般質問で、都市計画道路の見直しを迫るとともに、子どもの「遊び」を保障するための施策拡充を提案しました。
杉並区では、前区政の都市計画道路に、住民から住宅街を壊す道路を事業化するなとの声が広がり、昨年の区長選では道路計画見直しを掲げた岸本聡子*37区長が誕生しています。
1962年の都市計画道路の整備が急に動き出した謎 かろうじて復活した自然生態系に道路建設が迫る | 環境 | 東洋経済オンライン2025.4.29
はけ(国分寺崖線)、湧き水、野川は、大岡昇平の小説「武蔵野夫人」(1950年、文芸誌に発表、翌年初版本刊行)の舞台となった。
野川がドブ川化していた39年前に発足した「野川ほたる村」は、はけ、湧き水、野川の自然再生にかかわる市民団体のひとつ。
「野川ほたる村」が武蔵野公園と野川区域の生きものについて調査し、まとめたところ、植物、昆虫、野鳥、爬虫類、両生類、陸生貝類、クモ類、哺乳類、魚類、底生生物など約1300種のうち、都のレッドリストで絶滅危惧種に指定されている種が79種に及ぶことがわかった。
2024年11~12月に都が行ったパネル展示による説明会で行われたアンケート調査にこう書き込んだ人がいた。
「残り少ないハケの自然をこれ以上減らしたら元に戻らない。将来の小金井の汚点にしたくない」。
そう思う人は少なくないだろう。
都道「小金井3・4・11号線」整備を一転して容認 白井亨市長が公約を撤回、「辞めろ」の怒号も:東京新聞デジタル2025.2.18
東京都小金井市の白井亨*38市長は17日、市議会本会議で市長報告として、市南部で計画中の二つの都道のうち、小金井3・4・11号線を「防災に資する路線であり、市民の安全を守る自治体の責務から必要性は否めない」と一転して容認する姿勢を表明した。「これまで『必要性はない』としていた。公約に反すると認識している。市民に約束したことを守れず申し訳ない」と陳謝した。
「計画中の都道は環境を破壊」 小金井市の説明会、反対相次ぎ紛糾 [東京都]:朝日新聞2025.8.3
東京都が小金井市で進める都道計画をめぐり、市は2日、市独自の検証結果や今後の方針について報告する市民説明会を開いた。参加者のほとんどは、都道が交差する野川の環境保全などを理由に反対を表明。検証の中身や白井亨市長の姿勢などを問う質問が相次ぎ、説明会は紛糾した。
白井市長は3年前の市長選で計画中止を掲げて初当選したが、今年2月に一転して容認する姿勢を示す市長報告を市議会に提出。
メディア時評
◆新聞『「読売」大誤報とメディアの悪弊』(千谷四郎)
(内容紹介)
読売の「石破辞意表明」誤報を(ミスだとしても重大なミスだが)ミスではなく「反主流派の高市*39や、高市を支援する麻生*40を応援したいという故意の虚報ではないのか」と批判している。
また維新議員の秘書給与詐取「人違い報道*41」については「東京地検特捜部検事」「池下議員やその秘書」など、関係者への裏取りが明らかに不足していたと批判している。
また維新問題については、独自スクープ(独自調査)ではなく、いずれ東京地検特捜部に公式発表されることなのに、誤報のリスクを犯してまで「スクープ(早く報道すること)にこだわること」は問題ではないかとしている。
〈読売誤報事件〉検証記事が触れなかった一番知りたかったこと、いつまで読者を「特ダネごっこ」に付き合わせる気か 【どーしょーるん】いずれ発表されることを他社より早く書くことがそんなに大事か、悪しき文化と決別する勇気持て(1/6) | JBpress (ジェイビープレス)
(ボーガス注:警察や検察など)権力者からのリークをもらって、いずれ発表されることを半日、一秒でも早く報じる。それを「特ダネ」だの「独自」だの自称して報じる。
ことに「ジャーナリズム的な意味」で何の意味があるのか、むしろ取材先(今回は東京地検特捜部だが、他にも警察など)との癒着、馴れ合いを生むだけではないか(こんなことで「冤罪問題等での警察や検察の批判」等が出来るのか?)と批判している。
参考
東京地検の捜査巡る誤報は記者の思い込みが原因、編集役員ら処分…池下議員の名誉回復へ取り組み : 読売新聞2025.8.29
読売新聞は、27日朝刊1面「公設秘書給与不正受給か 維新衆院議員 東京地検捜査」の記事で、東京地検特捜部の捜査対象者を取り違え、日本維新の会の池下卓衆院議員について秘書給与不正受給の疑いで捜査が進んでいるとの重大な誤報を掲載した(ボーガス注:実際は維新の石井章参院議員(当時。現在は議員辞職))。取材経緯の検証を行った結果、最初の取材で担当記者に思い込みが生じたうえ、キャップやデスクも確認取材が不十分だったことを軽視し、社内のチェック機能も働いていなかったことが誤報につながった。
読売新聞東京本社は9月5日付で、前木理一郎専務取締役編集担当と滝鼻太郎*42執行役員編集局長について、役員報酬・給与のそれぞれ2か月30%を返上する処分とする。また、小林篤子社会部長を罰俸とし更迭する。当日の編集責任者だった編集局デスクをけん責、社会部のデスク、司法記者クラブキャップ、担当記者をいずれも出勤停止7日とする。
誤報の原因はまず、担当記者に思い込みがあったことだった。特捜部が維新の政治家を捜査しているとの情報をつかんだ記者は、関係者への取材から、その対象者は池下議員だとの感触を得た。しかし、その関係者が直接、池下議員の名前を挙げたわけではなく、確認が不足していた。
実際には特捜部が捜査していた政治家は、池下議員と同じ日本維新の会の石井章参院議員(当時。現在は議員辞職)だった。
読売新聞は、こうした不十分な取材により誤報を出したことを重く受け止め、池下議員と元公設秘書2人の名誉回復に向けた取り組みを進める。また、記者教育の強化や記事掲載前のチェックの徹底といった再発防止策を講じる。
◆滝鼻太郎・読売新聞東京本社編集局長の話
「27日朝刊1面の誤報について、池下卓衆院議員と元公設秘書の2人、及び関係者の皆さま、読者の皆さまに深くおわびいたします。思い込みと確認不足に加え、記事化にあたってマイナス情報を軽視し、重大な誤りを招いてしまいました。過去の誤報の反省と教訓も生かされませんでした。こうした事態を決して起こさないよう、本紙の信頼の回復に向けて、徹底した再発防止策に全力で取り組んでまいります」
石破首相退陣報道「結果として誤報」 編集担当幹部ら処分―読売新聞:時事ドットコム2025.9.3
読売新聞は3日、「石破(茂)首相退陣へ」と報じた7月23日付の夕刊や号外について、検証記事を3日付朝刊の1面などに掲載した。
9日付で、前木理一郎専務と滝鼻太郎編集局長を役員報酬・給与の1カ月10%返上処分、川嶋三恵子政治部長と担当したデスクをけん責、首相官邸クラブキャップを厳重注意とすることも発表した。
◆テレビ『MBSが選挙報道の検証』(沢木啓三)
(内容紹介)
ネット上の記事紹介で代替。
「参政党ムーブメント」をどう報じる?記者が悩み、葛藤するMBSドキュメンタリーを見ながら考えた「選挙報道」で本当に変えるべきこと|SlowNews | スローニュース
今夏の参議院選挙をめぐるテレビ報道には、一つの大きな転換点がありました。それは「量的公平」から「質的公平」への舵切りです。
これまで日本のテレビは各政党や候補者に露出時間を均等に割り振ることを第一義とし、時間や枠を平等に分ける公平さを担保してきました。「量的公平」です。それに対して「質的公平」とは、各候補者や政党が掲げる政策や課題の重要性に応じて、報道の時間や深さを調整するという考え方です。
転換のきっかけは、2024年の兵庫県知事選挙です。選挙期間中、大量のSNS投稿やネット動画が飛び交い、その中にはフェイク情報や誹謗中傷も含まれました。一方、既存のテレビ・新聞メディアは選挙に影響を与えることなどを配慮し報道を抑制しました。結果、真偽不明の情報がネット上で拡散し、誤解や不安を生む土壌を作ってしまったのです。
その反省をもとに、兵庫県知事選挙では地元局でもあったMBSが制作したドキュメンタリー「選挙報道は変わるか〜MBS報道の60日〜」(2025年8月31日放送)は、報道現場でのその取り組みを描き出した番組です。
取材に奔走する記者たちの迷いや葛藤、どうすれば公平性を保ちながら本質に迫れるかという現場の苦労を丁寧に映し出しています。
今回の選挙では、参政党が大きく投票数を伸ばしました。このムーブメントをどう報じるべきかについては、意見が分かれる場面もありました。今後の報道を考えるうえでも、この議論も大変興味深かったです。
番組によれば、今回の参院選では事前報道の放送時間が合計8時間に達し、前回の衆院選と比べると実に5倍に増えたとのこと。数字を見て、思わず「これまでそんなに少なかったのか」と驚きました。
とはいえ、「本当に重要なのは、変えるべきは選挙期間中の報道にとどまるのか?」ということです。
有権者が投票の判断材料を得るためには、むしろ日常の政治報道こそが肝心です。
選挙期間という熱量の高い時期ではなく、平時だからこそ冷静に伝えられることがあります。
文化の話題
◆音楽『オペラと「共産党宣言」』(宮沢昭男)
(内容紹介)
新刊紹介:「前衛」2025年10月号 - bogus-simotukareのブログで紹介した◆音楽「オペラ「ナターシャ」の世界初演」(小村公次)のオペラ「ナターシャ」が「共産党宣言」の観点(オペラ内において「共産党宣言」の一文が演者によって読み上げられたとのこと)から再度取り上げられていますが小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
◆映画『山田洋次監督「TOKYOタクシー」』(児玉由紀恵)
(内容紹介)
山田洋次の新作映画「TOKYOタクシー」の紹介。
おすすめ映画「パリタクシー」TOKYOタクシー公開決定|ちなこ/猫と映画好き2025.6.27
今作、山田洋次監督で『TOKYOタクシー』としてリメイク決定しました。
マダム・倍賞千恵子と運転手・木村拓哉として、東京の街がどう描かれるのか楽しみです。
山田洋次監督、最新作『TOKYOタクシー』で木村拓哉と再タッグ!いままでにない木村拓哉の“素顔の魅力”を「盗み取りたい」|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS2025.1.23
原作となるのは、監督、脚本、プロデューサーをクリスチャン・カリオンが務めたフランス映画『パリタクシー』(2022年)。
ということで、2022年公開のフランス映画「パリタクシー」の翻案(リメイク)とのこと。
ジブリのアニメ映画『ハウルの動く城』(2004年公開)でソフィー(倍賞千恵子)とハウル(木村拓哉)として共演した倍賞、木村が今回「客(倍賞)とタクシー運転手(木村)」として共演してるのは偶然ではなく、【1】『ハウル』での共演を山田が評価、【2】話題作りで客寄せにもなるという「必然」でしょう。
なお、倍賞は
倍賞千恵子 - Wikipedia参照
【山田監督映画】
◆『二人で歩いた幾春秋』(1962年公開)
◆『下町の太陽』(1963年公開、主演)
◆『霧の旗』(1965年公開)
松本清張の同名小説の映画化。
◆『運が良けりゃ』、『なつかしい風来坊*43』(1966年公開)
◆『喜劇 一発勝負』(1967年公開)
◆『ハナ肇の一発大冒険』(1968年公開)
◆『喜劇 一発大必勝』(1969年公開)
『運が良けりゃ』、『なつかしい風来坊』、『喜劇 一発勝負』、『ハナ肇の一発大冒険』、『喜劇 一発大必勝』はハナ肇主演(『運が良けりゃ』、『喜劇 一発勝負』では倍賞はハナの妹役で設定が完全に『男はつらいよ』での「車寅次郎(渥美清)の妹・さくら」とかぶる)であり、当初、松竹は山田監督とのコンビでハナを松竹の看板俳優として売り出そうとしていました。しかし、皮肉にもハナ映画がそれほどヒットしなかったことで、『男はつらいよ』が制作され、ヒットしたことで、渥美清が松竹の看板俳優として売り出されていきます。
◆『男はつらいよ』シリーズ(1969~1995年まで48作:主人公「車寅次郎(渥美清)」の妹「さくら」)
倍賞が『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(1975年公開)でブルーリボン賞助演女優賞を受賞
◆『家族』(1970年公開)
倍賞が毎日映画コンクール主演女優賞を受賞
◆『故郷』(1972年公開)
◆『同胞』(1975年公開)
◆『幸福の黄色いハンカチ』(1977年公開)
◆『遙かなる山の呼び声』(1980年公開)
倍賞が日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。『幸福の黄色いハンカチ』(1977年公開)で夫役だった高倉健、『男はつらいよ』で息子役(1981~1997年まで『男はつらいよ』に出演)だった吉岡秀隆がこの映画でも夫と息子を演じている。
◆『キネマの天地』(1986年公開)
ちなみに『男はつらいよ』で夫役だった前田吟(1969~1995年まで48作に出演)、息子役(1981~1997年まで『男はつらいよ』に出演)だった吉岡秀隆がこの映画でも夫と息子を演じている。山田映画らしく、「寅さんファミリー」として他に「下條正巳(おいちゃん)」「三崎千恵子(おばちゃん)」「笠智衆(御前様)」「佐藤蛾次郎(源公)」「美保純(タコ社長の娘)」も出演。
◆『ダウンタウン・ヒーローズ』(1988年公開)
早坂暁の同名小説の映画化
◆『隠し剣 鬼の爪』(2004年公開)
藤沢周平の同名小説の映画化。主人公である海坂藩*44藩士・片桐宗蔵(演:永瀬正敏)の母「片桐吟」役
◆『母べえ』(2008年公開)
主人公「野上佳代(演:吉永小百合)」の娘「野上初子(演:志田未来)」の晩年を演じた。
◆『小さいおうち』(2014年公開)
中島京子の同名小説(2010年上半期直木賞受賞作)の映画化。布宮タキ(演:黒木華)の晩年を演じた。なお、黒木はこの映画でベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞。
ということで、山田映画の常連。
木村も倍賞ほどの常連ではないとはいえ、既に『武士の一分』(2016年公開、主演)で山田映画に出演しています。
なお、韓国俳優「イ・ジュニョン」が在日コリアン(「倍賞演じる老女・高野すみれの若い頃」(演:蒼井優*45)の恋人役)として出演してるそうですが
学校 (映画) - Wikipedia(1993年公開)
◆オモニ(金順姫:キムスニ)
演: 新屋英子
朝鮮料理店を経営する在日コリアン。
等、朝鮮半島には山田氏もそれなりに思い入れがあるのでしょうが一方で「韓流ブーム」と言う要素も当然あるでしょう。
◆演劇『鬼灯(ほおずき)町鬼灯通り三丁目』(水村武)
(内容紹介)
ネット上の記事紹介で代替。
『鬼灯町鬼灯通り三丁目』キャスト一新で15年ぶりに上演が決定 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス
出演は音無美紀子、有森也実*46、森川由樹(もりかわ・ゆき:女優)、浅井伸治。2008年8月*47下北沢スズナリで初演を行い好評を博し、2010年*48に再演をした本作が、戦後80年となる今夏にキャストを一新し15年ぶりに上演となる。
『鬼灯町鬼灯通り三丁目』を見ました。 | 倉倉のくらくら2025.9.14
9月2日(火)、赤坂レッドシアターで、トム・プロジェクトの『鬼灯町鬼灯通り三丁目』を見ました。
9月4日(木)までの公演で、すでに終了しています。
作品は、17年前に書かれたもの。初演、再演を重ね、今回、15年ぶりとのこと。
舞台は、1946年の博多。
番場鶴恵(音無美紀子)と、鍋島小梅(有森也実)、松尾弥生(森川由樹)の暮らす、鬼灯に囲まれた一軒家。
鶴恵の息子の裕介と、弥生が、将来を誓った関係。しかし、裕介は出征し。弥生は、意に添わぬままに、松尾大吉(浅井伸治)と結婚させられ。
ただ、大吉も、すぐに召集され。実質的には、数日の夫婦。しかも、戦死公報が届き、葬式もすませ。
その松尾大吉と弥生の家に、空襲で焼け出された鶴恵と小梅が身を寄せ。女3人で、敗戦後の混乱の中を生きていたのですが。
そこに、死んだはずの大吉が戻って来て。
笑いあり、涙あり。
怒鳴りあい。
1時間50分、濃密な時間。
◆スポーツ最前線「ボクシング・リング禍を考える」(小林秀一)
(内容紹介)
ネット上の記事紹介で代替。
ボクシング 相次ぐリング禍 “前代未聞”対策急げ/頭部外傷専門医 中山晴雄氏・・・今日の「赤旗」記事 - (新版)お魚と山と琵琶湖オオナマズの日々2025.8.23
同一興行で選手ふたりが死亡...。悲劇が続くボクシング界に必要な改革とは? - スポーツ - ニュース|週プレNEWS2025.9.7
2025年8月2日、"格闘技の聖地"後楽園ホールで行なわれた東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチに臨んだ神足茂利(こうたり・しげとし)さんと、日本ライト級挑戦者決定戦に出場した浦川大将(うらかわ・ひろまさ)さんが、いずれも帰らぬ人になってしまったのだ。
一昨年12月26日には日本バンタム級タイトルマッチで判定負けを喫した挑戦者の穴口一輝(あなぐち・かずき)さんが、退場後に意識を失い病院へ緊急搬送。開頭手術を受けたが、翌年2月2日死亡した。
今年5月24日には、IBF世界ミニマム級王座に挑戦した重岡銀次朗さんが、試合後に採点結果が読み上げられているときに意識を失い、緊急搬送された。幸い一命は取り留め、現在は意識があるところまで回復しているという。
相次ぐ不測の事態に対し、長年深い溝があると伝えられていたプロとアマチュアが歩み寄り、8月22日に緊急の合同医事委員会を開いた。
穴口選手が亡くなった直後には事故検証委員会が設立され、報告書も作成された。そこには再発防止策として
①試合前の練習及び減量、②試合の運営及び安全管理、③平時における指導研修や医療体制の充実、④所属ジムの健康管理体制、⑤事故防止のための医療体制
について提言が盛り込まれていた。
もしすべての提言が履行されれば、大きな抑止力になったと推測される。しかし、実際に実行されたのは一度の合同医事講習会にとどまったといわれている。理由は、リング禍が起こっても予定されていたボクシング興行は行なわれ、関係者が日々の業務に追われていたからだろう。
JB SPORTS BOXING GYMの山田武士代表は、「あれから僕はずっと現場に出ていたけど、前と変わっていなかった」と嘆く。
「今回のように3ヵ月間に3件も事故が起きた。絶対に何かやらないといけないということでしょう」
では、実際にどうすればいいのか?。ボクシング・アナリストの増田茂氏は次のような提言をする。
「今は試合をストップするのもドクターチェックを受けさせるのも、レフェリーが進言する形を取っている。その権限をスーパーバイザー(試合の管理・運営全般を担当する責任者)やジャッジにも持たせたらどうでしょうか。
さらに増田氏は、リングドクターの権限についても言及する。
「アメリカでは、ドクターはラウンドごとに選手へのチェックを要求できる。実際には、ラウンド間のインターバルが終わってからの時間が余分に与えられています」
加えて、最近はMMA(総合格闘技)やキックボクシングなど、ほかの格闘技の選手たちも当たり前のように取り入れている「水抜き」による過度な減量が、事故につながっている可能性を指摘する声もある。
「昔のボクサーがやっていた、水分を一切取らない方法も水抜きの一種。ですが今は少し変わり、数日間たっぷりと水分を取り、水分を出しやすい体にしてから一気に4~5㎏落とす『ウオーターローディング』というやり方が一般的です」(山田氏)
水抜きの何が問題なのかといえば、誰もが正しい知識を持ってやっているわけではない点に尽きる。
現在JBC(日本ボクシングコミッション)では、過度な水抜きを規制するために「ハイドレーションテスト」の導入が検討されている。このテストは計量時の選手が適切な水分を保持しているかを確認するため、尿比重値を測定するものだ。
「もし導入すれば、今の日本のランキングは大きく様変わりすることになるでしょう」(山田氏)
過度な減量を避けるとなると、階級アップを図るしかないのだ。本当に導入するなら、多方面への考慮が必須となる。
さらに、JBCは8月以降、全興行での救急車待機を義務づける方針も発表した。そのきっかけは、神足選手の兄でトレーナーを務める神足昌冶氏が、弟の緊急搬送時の手際の悪さを指摘したことと無関係ではないだろう。
ボクシングのリング禍について考える話(追記あり)|zacco method研究所🇯🇵2025.8.10
近年の格闘技では「水抜き」による減量が当たり前になっています。
計量を通過したら、試合当日までに急激に水分と体重を戻す。
この方法はボクシングにも浸透しているように思います。
しかし、過度な水抜きは脳脊髄液も減らしてしまう恐れがあるとも言われています。
簡単に言えば、脳は水の中に浮かぶことで衝撃から守られています。この液が減ると脳が直接揺れやすくなったり、揺れた際に血管が切れるなどダメージを受けやすくなるとのこと。
「過度な減量で死亡」というとフィクションですが「あしたのジョー」の力石を連想しますね。
参考
あしたのジョー - Wikipedia
力石徹の減量と死のエピソードは、ちばと梶原の設定確認の行き違いによって生まれたものだという。ジョーと力石の初対面シーン、渡された原稿の一文を自分なりに解釈したちばは、力石の身長をジョーより頭一つ分高く描いてしまった。発行された誌面を見てそれを知った梶原は、この身長差では二人が同じ階級で戦えないということに気付き、後に話の辻褄を合わせるため、人間の限界を超える過度の減量を力石に強いねばならなかった。
力石をどうするかで、梶原は力石を殺したいが、ちばは生かしておきたいということになり、口論になった。ここで梶原が「絶対殺す!」と発言。口論の場となった新宿のバーのバーテンダーが梶原の発言を聞いて本物の殺人予告だと思い込み、警察に通報して騒ぎになった。最終的には『週刊少年マガジン』編集次長の宮原照夫(後に『週刊少年マガジン』編集長)がちばを説得、力石は試合後に死ぬという方向に決まった。
あしたのジョーの登場人物 - Wikipedia参照
◆力石徹
ジョー(矢吹丈)と力石を試合で対戦させるには、ジョーと力石を同じ体重にする必要があり、力石に大幅な減量が必要になってしまい、過酷な減量が行われた結果、力石が死んでしまうというストーリー展開にせざるを得なかった。力石は本来のウェルター級の66kgから、ジョーが所属するバンタム級の53kgまで、13kgの差があり、驚異的な減量である。フジテレビ『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』で力石の当初の階級であるウェルター級からジョーの階級であるバンタム級まで減量は可能かとプロのトレーナーに問い合わせた際には「絶対無理です! そんなことしたら死んでしまいますよ!」という回答が来たという。